372. 一路、北へ
「見事だったわね、メル。新入生の皆が尊敬の眼差しで見ていたわよ」
「やめてくれ。授業だから仕方なく披露したけど……私の技術は本来、人に見せるようなものじゃないんだ。君も分かってるだろう」
「……それは……」
「ああ、そんな顔しないでよ。そういうつもりで言った訳じゃないんだ、ゴメン。それより……新入生たちの羨望の眼差しといったら、すぐに君に移るさ。学院首席にして生徒長、面倒見がよくて美人でお淑やか! 皆、嫌でも君の魅力に気付く。まぁ私も、美人という点では負けてないつもりだけど? でも言葉遣いもこれだし、ガサツだからね」
「あら。そういう男勝りなところが素敵、って言う子も多いらしいわよ。特にこういう女子の園では」
「いやいや、やめてよ。そっちの趣味はないんだ」
「ふふふふ。……ねえ、メル。ついに私たちも来年には卒業ね。……私、不安だわ。正式に教団に入って、本当にやっていけるのか……」
「今からそんなことを気にしてるの? ほんと真面目で心配性だな。君がやっていけないなら、他の誰でも無理だろう。もっと自信を持って」
「……でも……」
「全く。大丈夫だって。君のことは、これからも私が支える」
「…………ええ」
「君が困っているなら、私はいつでも手を差し伸べる。この命を投げ出すことだって厭わない」
「! もう、ダメよメル。その発言は許されないわ」
「おっと、そうだった。我が主よ、お許しを。とにかくさ、いつまでも一緒に頑張っていこう」
「……ええ、ありがとう。そうよね、前向きに頑張っていかなくちゃ」
「ああ、それでこそだよ。私は、そういう君が好きなんだ」
何気ない会話だったが。
それは間違いなく、これからの少女の根幹となった。
しかし同時に、この上ない呪いなのかもしれなかった。
「学校に行きたかった?」
ガタゴトと馬車に揺られながら。
有海流護は、聞いた言葉をそのままなぞって問い返した。
「うん。あの子は、そう答えたの。今でもはっきりと覚えてるわ」
ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードが、懐かしむように微笑みながら目を細める。
それは、物静かな風雪の少女――レノーレ・シュネ・グロースヴィッツとの出会いの話。
やはりというべきか、あのメガネ少女は入学当初、学級の中でも明らかに浮いていたという。無口・無感情・無表情。あいさつをすれば、どうにか応じてはくれる。が、向こうから自発的に口を開くことはない。
これから四年間にも渡る学院生活。どうせ過ごすのなら、楽しいほうがいいに決まっている。そんな前向き思考のベルグレッテが、ある日ぶつけた質問。
『あなたは、どうしてこの学院に?』
それに対し、物静かな彼女が返した言葉が――
「学校に行きたかった、か。バダルノイスにはなかったんかね?」
「私もあまり詳しくはないけど……たしか、二十年前の大災害による復興施策のひとつとして、いくつもそういった学び舎が造られたって話は聞いたことがあるわ。それに古くから、キュアレネー神教会の附属学院っていうのもあるみたいね。男子学院と女子学院が別々にあるんですって」
「へー」
ならばどうしてわざわざ、遠く親交もないレインディールへやってきたのか。
「その辺りの事情とか訊かなかったのか?」
「……うん。余計な詮索はしたくなかった。色んな事情を抱えている人がいるから。必要があれば、いつかレノーレのほうから話してくれるだろうって思って」
ひどく悲しげな顔。
結局は話してくれることはなく、今このときを迎えているということか。
ミディール学院は神詠術の専門校でもある。バダルノイスに同じような学校がなければ、それが理由……だったりするのだろうか。
「…………」
結露した小窓の外を覗けば、見渡す限り一面の銀世界が流れていく。
平地も森も遠く連なる山々も、全てが等しく白雪に覆われている。
「学院とか王都らへんより積もってるんだな、この辺りは」
少し重くなってしまった空気を変えるべく、座席に腰を落ち着け直しながら流護はそう呟く。
「そうね。ハルシュヴァルトに近づくにつれて、どんどん雪も多くなっていくはずよ」
対面に座るベルグレッテが、首にマフラーを巻き直しながら答えた。
流護とベルグレッテの二人は、馬車で一路北西へと向かっている最中だった。
両者とも、万全の耐寒装備姿。北方の羊の毛がふんだんに使われているという、ダウンコート風の上衣。身を刺すような冷風もほぼ寸断してくれる優れ物である。もこもこに着膨れしているが、これは致し方ないところだろう。日持ちする食料もかなり多めに携帯しており、山で多少遭難してもしばらくは凌いでいけるだけの装備が整っていた。
「そういや、ベル子とこうして外国まで行くのも二回目か」
「ん……そうね」
以前は夏、アルディア王の使いで東の隣国レフェへと赴いた。
今回はまず北西のハルシュヴァルト領と呼ばれる地を目指しているが、ここは二国間に存在する中立地帯。レインディールとバダルノイスに挟まれた領土である。
距離的には馬車で二日ほど。レフェへ向かうのと大差ない(やや近い)が、この時期は積雪が多いため、思うようには進まないだろうと予測されていた。
流護もベルグレッテも、さほど雪にはなじみがない。王都周辺はうっすら数センチ積もる程度。現代日本少年の故郷も、あまり雪には縁のない地域だった。
「……ぶっ、く、ははっ」
「なに? どうしたの、リューゴったら」
「いや、なんか……雪見てたら、あの桜枝里の話を思い出しちゃってさ」
「ああ、……ふふっ」
ついつい二人で笑い合う。
雪については、ひとつ変わったエピソードがあるのだ。
あれは去年、『白兎の静寂』に入る少し前のこと。
その日、流護たちはダイゴスを交え、レフェにいる雪崎桜枝里と通信術を介しての雑談に興じていた。
「最近、寒くなってきたよなー。レインディールは、そろそろ初雪なんじゃないかって言われてるな。そっちはどうなんだ?」
それは何気なく流護が口にした、他愛のない世間話。
『うん! レフェは全然、雪降らないんだって!』
流護、ベルグレッテ、ダイゴスの三人は思わず互いの顔を見合わせる。何というか。答えた桜枝里の声が、異常なほど弾んでいたからだ。
「えーと……なんかテンション高いな、桜枝里さん」
『え? だって、雪が降らないんだよ?』
「は、はあ。それがどうかしたのか」
『なぁに言ってんだてー!』
「!?」
間髪入れず飛んできた巫女の力強い返しに、レインディール勢は思わずのけ反った。ダイゴスも一緒に。
『だって雪降らねぇがよ!?』
「ちょ、え? お、おう。そいや桜枝里って新潟住んでたんだよな。そんなに降るのか」
『降るなんてもんじゃねぇんだてー! 県内でも海沿いはまだいいんだけど、うちのほうなんてほんとひっどいんだから! 家が潰れないように屋根の雪下ろししなきゃいけないし! バスは遅れるし! そもそも家の前かかなきゃ外出らんないし! 幅のない細い道なんて、圧雪どころか完全に埋まって雪の壁になるがよ!? 昔なんて、電柱ぐらいの高さまで積もったんだよ! で、張ってる電線を跨ぐがぁて、感電しないように!』
「あっ、は、はい。まじで」
総括すると、「とにかく雪を舐めるな」「雪やべえ」ということらしい。とりあえず、つい方言らしきものが飛び出すぐらいには。
『いやぁー、雪降らないだけあって暖かいもん、こっち』
『あ、暖かい……?』
向こう側から戸惑い気味に聞こえてきたのは、レフェ側で通信を繋いでいるラデイルの声だ。いつもは女性陣にぐいぐい迫っていくアケローン次男の色男にして常に余裕の軽口を叩く人物だが、珍しいことに引き気味である。
そんなこんなで思わぬ桜枝里の一面を目の当たりにしつつ、雪の大変さを懇切丁寧に説かれたのだった。
――馬車に揺られながら、ベルグレッテが口元を押さえてころころと笑う。
「ふふ。サエリったら、まるで別人みたいな剣幕なんだもの」
「まじそれな。ダイゴスですらちょっと困惑してて笑った」
こんな事情もあって万全の防寒対策と雪の知識を予習してきた二人だったが――およそ半日後、まだまだ甘かったことを痛感する羽目になる。




