370. 迷い路の犬
――それは、流護たちがハルシュヴァルトへ向かう二日前の出来事だった。
「へぇー。そんな便利な武器があんのかよ」
「ってウワサだぜ? どーにかして手に入れてみてぇよなぁ」
「おう。本当にそんなもんがありゃ、気に食わねぇ兵士やら詠術士連中に一泡吹かしてやれっからな~」
談笑する者、札遊びに興じる者、寝転がっている者、稼いだ金貨を数えている者。
狭い室内では、いかにも悪童といった面構えの少年たちが思い思いの時間を過ごしていた。
普段は昼夜関係なくディアレーの裏通りや道っ端でたむろしている彼らだが、冬場はこうして仲間の家に集まることが多い。今夜もいつものごとく、暇な連中が誰からともなく揃って適当に楽しんでいるのだった。
「なぁトリスよぉ、どーにかして入手できねぇもんかね? えーと、何だっけ……あー……そうそう、ハンドショットとかって名前だっけか」
手札と睨めっこ中の一人が、離れた机で金勘定をしている少年に話を振る。
「あぁ? 無理だろ。実際に持ってるヤツなんて、この辺にゃいねえんじゃねぇの? ……っと」
数え終わった金貨を隅に寄せたトリスは、そう答えながら部屋の片隅に視線をやった。
雑に毛布が積まれたそこには、一人の青年が仰向けで寝転がっている。微動だにしないが眠っている訳でもなく、その鋭すぎる双眸は何もない天井を睨み続けていた。
トリスはそんな彼に話題を放る。
「よぉ、お前だったら何か聞いたことあんじゃねーか? あのホラ、遊撃兵とかってヤツとも知り合いだったろ? エドヴィンよぉ」
間を置くこと数秒。
「……あー? 何だ? 何か言ったか?」
寝転がったままのエドヴィン・ガウルは、ようやく自分が話しかけられたことに気付いたようだった。
「チッ、んだよ。ボケーッとしやがって」
トリスが首を竦めると、エドヴィンは億劫げに身を起こして立ち上がる。そしてそのまま、出入り口の扉へ向かって歩いていく。
「あぁ? どこ行くんだよ、エドヴィン」
「帰る」
「はぁ? おい、ちょっ……」
何か言う間もなく、彼は戸を開けて出ていってしまった。
「うぉぁ、寒ィっ」
入れ替わりで吹き込んできた外の空気に、皆が身体を震わせる。
「何だぁ? ノリ悪くねーか、エドヴィンのヤツ……ほい、ドロー」
「まっ、そんな日もあんじゃねえの……っと、それ貰いだ」
「えぇ!? っだよ、ついてねぇな~クッソ」
仲間たちの会話を聞き流しつつ、トリスは無言で扉を見つめていた。
「……」
エドヴィンとは数年来の付き合いで、ともに幾度となく修羅場を潜った仲でもある。
そんな相棒から見た彼は、よくも悪くも馬鹿で一直線。血の気が多く好戦的で、ケンカは滅法強い。学院では『狂犬』などと呼ばれているらしいが、何ともお似合いの渾名だ。
裏表のない、隠しごとのできない性格。不満があればぶちまけ、正面から反抗する。
だから、珍しい。
(エドヴィンの野郎……何か悩み事でもあんのか?)
あんな風にピリピリした様子ながらも黙っていることなど、トリスの知る限りでは初めてかもしれなかった。
「ふん……」
机上の貨幣を両腕で一気にかき寄せると、ジャラジャラと派手な金属音が狭い部屋に響き渡った。
「トリスよー、稼いだんだろ? 奢ってくれよな~」
からかい口調の悪友に対し、不良少年はニッと挑戦的な笑みを返してやる。
「誰がタダで恵んでやっかよ。けどまあ、機会はくれてやる」
札遊びをしている場に椅子を引っ張っていき、ドカリと割り込む形で座り込んだ。
「一勝負千エスクだ。タダになるかどうかはお前ら次第だぜ」
仲間の歓声を受けながら、トリスはただいつも通りに過ごす。何か抱えているだろうエドヴィンにかかわることもなく。
馴れ合いの間柄ではない。あの『狂犬』は相棒、戦友なのだ。
必要であれば、向こうから話を持ちかけてくる。夏に起きた、学院の女子生徒が行方不明になった事件のように。
何も言ってこないということは、助けを必要としていないということ。もしくは、トリス程度では力になれないということ。
そこに多少の悔しさを感じないでもないが、くだらない我儘で相棒の足を引っ張る気はない。
だからトリスは、いつも通りに過ごすのだ。
あの戦友が自分を頼ってきたなら、即座に動けるように。何か大きなことを成し遂げたなら、自慢話を聞いてやれるように。
何が起ころうとすぐ対応できるよう、日常を維持しておくのだ。
「いつものこったが、ツケは受けねぇぞ。即払いだけだからな」
助けてやるにしろ、祝ってやるにしろ、結局のところ金がかかる。
ろくでなしを自覚するトリスは、いつも通りガッポリと稼いでおくことにしたのだった。
冷え込んだ夜の街を歩きながら、エドヴィンの思考は闇に抱かれるように沈んでいた。
つまらねェ。こんなモンじゃダメだ。もっと強く。
焦りにも似たそんな気持ちが生まれるようになったのは、果たしていつからだったろう。
エドヴィン・ガウルは最近、ふと我に返ったようにそう思うことがある。
(……考えるまでもねぇ)
有海流護という少年に、出会ってからだ。黒い髪と黒い瞳。背丈なんて自分より十センタル以上も低いというのに、その肉体は怨魔もかくやといった強さを誇る。
エドヴィンの切り札、スキャッターボムをものともしない頑強さ。間近でにわかに見失うほどの脚力。そして、相手を一撃で殴り倒す腕力。
今にして思えば、あの男に決闘を吹っかけたことなど、無謀以外の何でもなかったとしか言いようがない。
だが、そのおかげで目標が定まったことは事実だ。
英雄ガイセリウスの逸話は、過度に誇張されたものではない。荒唐無稽なおとぎ話などではない。
いつか手が届くかもしれない、夢と公言『していい』ものなのだ、と。
そう、心が躍った。
しかし、すぐに現実を突きつけられることになる。
人は、神詠術がなければ何もできない。結局のところガイセリウスや流護は、特別な存在。少なくともエドヴィン・ガウルは、そこに分類されないのだと。
流護に出会って以降、彼の真似事をしつつ自分なりの鍛練に努めた。確かに腕力は強くなり、体力もついた。しかしそれが戦闘において、勝敗に影響する要素となるのか。そう問われれば、否と言わざるを得ない。
属性の煌めきが乱舞し、激しく撃ち交わされる戦場で、個々の肉体強度など些末事。なまじ鍛えたことで、却ってその事実を再認識する羽目になった感すらあった。
「……」
冷え込む夜の街を歩きながら、エドヴィンは手のひらにじっと視線を落とす。
念じれば、小さな火球が応じて現れる。
暖かに揺らめく橙色は、何だかんだと今のような寒い時期には重宝する。
別に、神詠術という力を蔑ろにしている訳ではない。神から与えられた恩寵であり、生きていくうえで欠かせないもの。その考えに異論はない。
だが、それは個人の証と誇れるのか。努力の結晶と呼べるのか。
否だ、とのたまえば、信仰篤いクレアリアなどは爆発したように怒るに違いない。
(けどよ……)
身近な例がある。
そもそもやる気はなく講義もサボりがち、成績など下から数えたほうが早い。そんなエドヴィンがミディール学院に入ったのは、親の勧めがあったからだ。
詠術士の素養を認められた者たちが集う、神詠術の扱いを修めるための学院。ここを卒業すれば、将来の選択肢は多種多様となる。平民でありながら宮仕えとなり、危険や貧困とは無縁な生活を送ることも決して夢ではなくなる。王都周辺に住まう親ならば、我が子をこの学院に入れたがるのは当然ともいえた。
入学に際して試験を受ける必要があるが、そこで最重要視されるのは、個々が内包する魂心力の総量。これが規定以上であれば、馬鹿でも入学資格を得ることができる。自分が合格したことで、図らずともそれは証明された、とエドヴィンは考えている。
つまり、生まれ持った素養が全て。この世に生を受けた時点で定まっている、覆しようのない価値。
(……なんせ、アイツが落ちちまったんだ。努力もクソもねーだろ)
子供の頃から親しかった、とある少年がいた。
彼はエドヴィンとは正反対で、大人しく内向的。頭がよく運動は苦手、神詠術関連の本が好きで、いつも持ち歩いているような少年だった。幼少時代は気弱な性格から近所の悪ガキにいじめられやすく、よく助けてやったものだ。
『運動なんてできなくてもいいんだよ。僕たち人間には、神詠術があるんだから』
口癖のように、誇らしげに、そんな言葉を繰り返して。
何から何までエドヴィンとは対照的だったが、だからこそ互いにないものを埋め合ったというか、逆に噛み合う部分があったのかもしれない。
約二年前。
彼が十四歳となり、神詠術についての知識も身についた頃、念願たるミディール学院の試験に挑戦する話が持ち上がった。
『オウ、頑張れよ』
このガリ勉小僧なら何の問題もないだろう。丸っきり気楽に、かつ他人事でいたエドヴィンだったが、
『せっかくだし、あんたも受けてみなさいよ』
思いもよらぬ、母の一言。どうやら保有する魂心力次第では、『もしかしたら』があるらしい。エドヴィンは興味がなかったため、そんなことすら知らなかった。
受かるはずもないだろうが、万が一があれば、同じ学院でしばらく一緒につるむこともできるか。
そんな気軽な考えから適当に同意し、二人でともに入学試験へと臨み――結果、エドヴィンだけが合格した。
あの少年に、抜かりはなかった。筆記も、実技も。ただ魂心力だけが、規定量をわずか下回った。
エドヴィンはその対極。筆記や実技は到底褒められたものではなかったが、魂心力が規定の値を大きく上回っていた。
……こんなところでも、二人は正反対だった。
『エドヴィン、よかったね。おめでとう』
とても祝いの言葉を口にしているとは思えないほど、彼の顔はありとあらゆる感情を堪えていて。
『どうして僕がダメなのに、きみが受かるんだ』
きっと、そう叫びたかったに違いない。いっそ叫んでくれてよかった。
しかし、彼は最後までそんな恨み言を吐き出すことはなかった。彼は、どこまでも優等生だった。
そして期せず始まった、エドヴィンにとってはある意味で不本意ともいえる、実家を離れての学院生活。自分とは毛色が違う優等生ばかりの環境に今ひとつなじめず、ふと王都に戻ったある安息日。
……あの少年が一家で遠い街へ引っ越していったことを知った。
(結局、神詠術なんてのは才能だ)
確かに努力次第で、精度は見違えるように変わる。
だが、根底は変わらない。
あのベルグレッテですら、『ペンタ』には遠く及ばないように。自分よりも明らかに有資格者だったはずの彼が、呆気なく篩い落とされてしまったように。
神の気まぐれで決まってしまう、抗いようのない『当たり外れ』。
入学できなかった彼の分も頑張ろう、なんて気はエドヴィンには更々なかった。起きもしなかった。
努力した人間が認められず蹴落とされた様を目の当たりにして、神詠術の限界を……世の不条理さを知っただけだった。
「……」
手のひらで揺れる火球を握り潰すようにかき消し、ズボンの衣蓑に両手を収める。
すると、指先に何かが触れた。何か入れてたっけか、などと思いながら取り出してみれば、それは学院の生徒手帳だった。
名前と属性などが記され、学院長の印が押された、ミディール学院の生徒の証。誰もが羨むという、その学び舎の所属者たる証……。
「ケッ」
なぜ私服の衣蓑にこんなものが紛れ込んでいるのか。自分の適当さに苛立ちを感じながら、乱暴に押し込む。封印するように。
とぼとぼと、下を見ながらディアレーの繁華街を歩く。
最近は何をやっても楽しくない。
今も一人になりたくて、帰るなどと言ってトリスたちのところを出てきたが、さて今夜はどうするか。その辺の店で過ごすか、それとも誰かのところに転がり込むか。それすら定まらない。まるで、中途半端な自分の未来を暗示しているみたいだった。
「……チッ」
そもそも気付けば、いつもたむろしている裏通りから外れ、普段は来ないような区画へと迷い込んでいた。
ディアレーの街も、気が遠くなるほど広い。少し足を伸ばせば、まるで見たこともないような場所に行き着くことがある。
いくつめかの建物の角を曲がった瞬間、向かいからやってきたらしい誰かと肩がぶつかった。
いつもなら強く睨みつけるか、相手次第では一戦交えるといったところだが、今はそんな気も起きない。まるで相手の顔も見ずにすれ違おうとするも、
「おい、待てよこの野郎」
相手のほうに見逃す気がなかったらしい。後ろから肩を掴まれた。
振り返れば、若い男の二人組みだった。歳はエドヴィンとさほど変わらないだろう。わざわざ絡んでくるからには一目で分かる無法者かと思ったが、意外にも身なりのきちんとした若者だった。
「ぶつかってんじゃねぇよ。肩が痛ぇ、外れちまったよ兄さん」
「あーあー、謝った方がいいぞチリチリ頭くん。こいつ、バルクフォルトの神詠術学院にいたんだぜ。素行が悪くて退学になった、問題児なんだ」
なるほどな、とエドヴィンは納得する。
なまじ詠術士の素質があるため、無法者の類を恐れない輩。
まともな術が使えず、悪党崩れに成り下がる手合いは非常に多い。そして詠術士の資質がある者からすれば、そのような悪漢など取るに足らない。見てくれから、エドヴィンのこともそんな容易い相手だと判断したのだろう。
「ハッ」
「あっ? 何がおかしいんだよ爆発頭。バカだから連れの言った意味が分からなかったか? 俺は詠術士候補だったんだぜ。お前らみたいな悪ガキが何人束になったって、勝てる相手じゃねぇんだよ」
恫喝しながら、チラチラと周囲に視線を走らせている。こちらに仲間がいないか確認しているのだろう。
「虚勢張んなよ。心配しねーでも、俺一人だぜ」
「あっ? 誰が虚勢張ってるだと、この野郎」
親切に教えてやると、威嚇のつもりか、男はその右手にバチリと電撃を散らした。
いかに自らの情報を秘匿し、読み合いを制して先んじるか。それが詠術士の戦闘における鉄則である。
始める前に自らの属性を明かしてしまうこの男がまともな戦闘経験すら積んでいないことは、すでに現時点で明らかだった。自分より弱い者を叩きのめすことしかできないのだろう。
相手の薄っぺらさを看破したうえで、エドヴィンはわざとらしく笑う。
「それよりよ、どーゆー神経してんだ? 詠術士になり損なって落ちぶれたのが、そんなに自慢なのか? 初対面の相手にわざわざそんなコト語って聞かせるなんざ、フツーは恥ずかしくてできねーよ」
少し、流護のような物言いだったかもしれない。何だかんだと、影響を受けてしまっているということか。
「……この野郎」
二人の目が据わり、気配が変わった。
しかし、エドヴィンはどこまでも小馬鹿にしたように笑う。
「オラ来いよ、詠術士崩れの出来損ないどもよ」
そうして、悪童にとっては嗜みともいえる心底くだらないケンカが始まった。




