361. 異世界の年の暮れ
しんしんと降り積もる雪によって、ミディール学院の校庭や中庭は白一色に染め上げられつつあった。
暗幕にも似た、濃い曇り空。その狭間からゆっくり舞い落ちてくる白い欠片。
廊下の窓越しにそんな光景を眺め、雪も地球と変わらないんだなぁ、と有海流護は安心したような感慨を抱いた。ちなみに初雪だそうである。
無浄の月、三十一日。大陸暦七八一年、最後の日。
真白に彩られていく学院の敷地内に、人の気配はない。
世間は冬休み――学院では『白兎の静寂』と呼ばれる長期休暇を迎え、生徒の大半が実家へと帰省している。
期間は夏の『蒼雷鳥の休息』よりも長く、およそ四週間ほど。
フィニアセンドと呼ばれる大晦日、ニヴスイルと呼ばれる新年の扱いは日本と大差なく、多くの者が仕事から離れて休息の一時を過ごす。
ジャックロートでの任務を終えて一応の休暇に入った流護だったが、もちろん何かあればいつでも出動しなければならないのが兵たる務め。ではあるのだが、幸いにしてその可能性は低いはず、とベルグレッテやカルボロからは聞いていた。
年の暮れから新年にかけてのこの期間、基本的には馬車屋も休業となる。となれば、遠方に出向くことが難しくなる。そのため旅人などは、そのとき泊まっていた街に腰を落ち着けて、年が明けるのを待つことがほとんどだそうだ。今年を無事に過ごせたこと、そして来年も無事に過ごせることを神に祈りながら。
こうして出歩く者の数が減るため、無用な揉め事も減る。皆が家にいるため、盗人も減る。となれば、兵士の仕事も減る。そういうことらしい。
とはいえ、王城などは平常通りである。年末年始だからとて、まさか防備を手薄にする訳にもいかない。ここは基本的に兵たちがローテーションを組み、最低限の人数が城に常在することになる。
そして何分、物騒で過酷な世界。帰るための家や家族を持たない、という者も少なくない。そうした人間は城を家代わりにしていることも多く、むしろ新たな年を王族と同じ屋根の下で迎えられる、と誇りに思う者もいるようだ。
そしてこのミディール学院にも、帰る場所のない者が少なからず存在する。まさしく流護などは、その一人に違いない。
そして――
「リューゴくん、準備終わったよー!」
自室のドアを開け放ってぴょこんと顔を覗かせたのは、おなじみの元気娘ミアだった。
彼女もまた、今や帰る場所の失われた一人。
こうした事情を抱える者は、否応なく学院で過ごすしかない。
ちなみに教職員や雑用作業員たちも帰省するため、『蒼雷鳥の休息』と違い、食堂も完全に休業する。前もって滞在人数に見合った食料が配給されるので餓える心配はないが、それなりのものが食べたい場合は自炊しなければならない。
ちなみに今年、学院に残っている唯一の大人にして責任者はロック博士だけとなる。というより、博士もまたここに住み続けている一人だ。
「ひゃー、けっこう雪降ってるね。気づかなかった」
流護の背後、窓の外を眺めたミアが目を輝かせる。
「あれだろ? ミアは元気に雪の中に飛び込んでいくんだろ? そんでごろごろ転がったりして」
「そんな犬みたいなことしないよ!」
「じゃあ、ネコみたいにコタツで丸くなってるタイプか」
「コタツ? ってなにー?」
「あ、そうか。えーと、コタツっていうのはだな……」
日本伝統の暖房器具について説明してやると、少女はなにそれよさそう! と興味津々な様子だった。外の寒々とした銀世界を見やりつつ、流護は投げやりに言ってみる。
「何だっけ。色んな封術道具出してる……ジェイロム商会だっけ? あそこが造ったりしてくんねーかなあ」
流護もこれまであまり意識したことはなかったのだが、身近で使われている人気かつ高性能の封術具というものは、ほとんどこの商会が提供しているものだった。この冬に備えて購入した、ミアおすすめの温術器もそう。その拠点はエッファールク王国なる北の小国だが、近隣で最も売れているのがこの商会なのだとか。
現在レインディールで開発を進めている、例の魂心力結晶を使った商品が出回るようになれば、ジェイロム一強と評される市場にも一石が投じられることだろう。
(つか、あれか。ウチで開発しちまえばいいのか。コタツを)
よし後で博士に提案してみよう、と頷く現代日本の少年だった。
「うう……ベルちゃんたちは今ごろ、どうしてるんだろ~」
隣で寒空を仰いだミアが、恋する乙女のように呟く。
「家族水入らずで、楽しくやってるんじゃねーかな」
そうなのだ。いつもの顔ぶれはもちろんのこと、ベルグレッテとクレアリアもいない。遥か東、ガーティルードの屋敷に帰っている。
今回の休みについても、彼女らから一緒に屋敷へ行かないか、と誘われてはいた。しかし、流護とミアは丁重に辞退した。夏に思い切りお邪魔してしまったこともあり、純粋に家族だけで楽しんでほしかったのだ。
「クレア先生、ルーバートさんに素直になるんだぞー」と生温かい眼差しで言ってみた流護だったが、案の定「余計なお世話です!」と怒られてしまったことは言うまでもない。
しかし、夏以来となる本格的な実家帰り。ツンツンしていながらも、心の奥底から滲み出る嬉しさが隠せていないのは明らかだった。
(まあ本音を言えば、そりゃ俺も一緒に行きたいっちゃ行きたかったとこではあるんだけど……)
……やはり流護としては、未だ目覚めず眠り続けている彩花を放っていくことはできない、との思いがあった。
しかし転んでもただでは起きないとでもいうべきか、せっかくなのでこの機会を利用してある実験を行う予定となっている。
「でもでも、夜が楽しみだね! ちゃんと通じるかな?」
「一応、今の段階だと距離的にはいけるはず……らしいぞ」
今回、ベルグレッテたちの帰省に際し、開発中の通信具の試運転をすることにしたのだ。
学院からガーティルードの屋敷まで、馬車で七時間の距離。これだけ離れると、ベルグレッテやミアの技量では通信も届かなくなってしまう。
そこで通信具である。これをベルグレッテたちの邸宅に一台設置してもらい、指定の時間――午後八時に通信を飛ばしてみる手筈となっていた。これで通じれば、通信具の有用性も示すことができるだろう。流護や博士のような最初から術の使えない者だけでなく、詠術士であっても技量的に届かない範囲を超えての通信が可能となるのだ。
「ふゃっくしょーい! かー! ちきしょうめー!」
不意にミアが、おっさんみたいなくしゃみを轟かせた。
「おおう、さすがに廊下も結構冷えるよな。部屋入ろうぜ」
「うん、どうぞどうぞ~」
そうして、片付けが終わったというミアの部屋へと招かれて入る。
ほのかな甘い香りの漂う、小綺麗な一室。その中央には先客の姿があった。座布団の上に行儀よくちょこんと腰掛ける少女が一人。黒を基調としたゴシックドレスに包まれたその細身や、長く美しい栗色の髪、整った愛らしい柔和な顔立ちが相俟って、まるでそこに飾られた愛玩人形のようでもあった。
「おまたせ、リーフちゃん。リューゴくんきたよー」
「あ、お待ちしてました。リューゴさんっ」
喋ることも一生懸命、といった感じの少女に、流護も自然と笑顔が零れる。
「おう。お邪魔するぞ、リーフィア」
「は、はいっ」
リーフィア・ウィンドフォール。ミディール学院に所属する『ペンタ』の一人にして第五位。常人の枠を超えた超越者でありながら、その性格は控えめで奥ゆかしく、底なしに心優しい。
流護としては、夏に彼女が学院へ検査を受けに来た折に知り合ったのだが、その直後の王都テロでもかかわりがあり、それ以降、数える程度ではあるものの顔を合わせている間柄である。
知り合った当初のリーフィアは自分の持つ大きな力を制御できず、暴発させてしまうことも多かった。
そのような上手くいかない状況を悲観する気弱な面も目立っていたが、最近は少しずつ前向きになってきている。術を制御できるよう練習に励み、扱えなかった通信術も習得した。以前ほど、簡単にくよくよするようなことはなくなっていた。
「わ、わたし、年の終わりにこうして過ごすのって初めてです……!」
リーフィアもまた、家族のいない一人。普段住んでいる家も国から宛てがわれたもので、研究員たちが常在しているという状況下。
今回、流護が話を通し許可を得て、年末年始を一緒に過ごすゲストとして学院に招いたのだった。ちなみに、リーフィアに入れ込んでいるロック博士からは多大な感謝を受けた。今頃、一生懸命に自分の研究室の掃除をしていることだろう。
「よーし、何して遊ぶんだ?」
「時間いっぱいあるから、全部やろうよ!」
トラディエーラと呼ばれるボードゲームや流護自作のトランプで時間を潰し、穏やかな楽しい時間が流れていく。
あれこれと会話も弾んだ。知り合った当初のこと。学院の出来事。この無浄の月には流護やベルグレッテにクレアリア、そしてミアの誕生日が密集していたこともあり、それらをひっくるめて先日盛大な生誕パーティーを開いたこと。
話は尽きるどころかますます盛り上がり、
「今日は寝ないで新しい年を迎えるぞー、リーフちゃん!」
「は、はいっ」
奮起する小さな少女たちだが、
(……なんか絶対寝そうな気がすんだよな、この二人……)
なぜだか、ほぼ確信のようなものを抱く流護だった。
午後八時を間近に控え、三人は通信具の設置してある流護の部屋へと移動した。
「うう、寒い! 温術器つけるよー、リューゴくん」
「おう任せたミア。……っと、」
自分の部屋のように遠慮ないミアとは対照的、入り口で立ったまま緊張している風の少女を振り返る。
「そう身構えないで入ってくれていいぞ、リーフィア」
「は、はいっ。お、お邪魔します……!」
男子の部屋であることや、自分の風で家具などを吹き飛ばしてしまわないかが気になるのだろう。
おっかなびっくりといった様子で入ってきたリーフィアが、奥にある黒い箱を見て目を丸くさせる。
「それが……通信のための道具、ですか?」
「ああ。思った以上にゴツイだろ?」
djプレイヤーや金庫にも似た、一メートル四方ほどもある大きな四角い物体。
開発も進み、今や王都・学院間であれば、雑音が混ざるものの通じることも実証されている。
今回、帰省したベルグレッテたちが一台持っていって屋敷のどこかに設置しているはずなので、この距離でも通信可能かどうか確認してみようという試みだ。
これで成功すれば、ほとんど固定電話のように使うことができるようになる。
もちろん、数を普及させることで通信音声が混線したりしないのかなど、課題も多く出てくるだろう。内臓されている結晶の寿命も極めて短い。通信術そのものや携帯電話のような手軽さで扱えるようになるのは、果たしていつになることか。
ともあれ、この試みが通信具を浸透させるための第一歩となるはずだ。
「そろそろ時間だな。よーし……」
暖まりつつある部屋の中、流護は通信具の操作に取りかかった。ツマミやレバーを動かし、音量や方角などを細かに設定していく。
向こう側の通信具の前では、ベルグレッテたちが待機しているはずだ。
午後八時から二十分ほど、ガーティルードの屋敷へ向けて通信を飛ばす手筈となっている。この二十分の間に応答があれば成功だが、果たして……。
「よし、そんじゃ通信開始な」
「な、なんだか緊張するね!」
「は、はいっ」
ミアとリーフィアが見守る中、ポチリと通信開始のボタンを押し込むと、装置のスピーカーがザザザと耳障りな音を立て始めた。
流護はオホンと咳払い一つ、向こう側にいるはずの姉妹へと呼びかける。
「えーと……おーい。流護だけど、聞こえるかー?」
しかし応答はなく、聞こえてくるのは雑音のみ。
「ベル子ー、クレアー。流護ですけどー……。もしもーし……」
おずおずと語りかけてみるが、機械からは砂嵐のような音しか返ってこない。
「うーむ……やっぱこれだけ離れてると、まだ無理なんかなあ」
「ざーって音しかしないね~。おーいベルちゃーん、クレアちゃーん」
現状、向こうが通信具の前にいるのかどうかも分からない。あるいは、同じようにベルグレッテたちからも呼びかけているが、こちらからの反応がないと思っているのかもしれない。
「とりあえず予定通り、二十分はこのまま繋いでおくか」
そうしてまったりと過ごしながら、時折思い出したように呼びかけてみる。
「もしもーしベル子ー、聞こえるかー」
「ねえねえ、リューゴくん」
「ん? どうしたミアよ」
「さっきから気になってたんだけど、『もしもし』ってなにー?」
そう言われて、初めてハッとする。
「そうか、こっちの世界だと言わないのか。俺らの世界じゃ、電話で話し始めたりする時に言うんだよ。呼びかけっつーか……前置きみないなもんかな。もしもし流護ですけどー、みたいな感じで」
「へー。こっちでいう、『リーヴァー』みたいなものかな?」
ミアがのほほんと言うと、今度は流護が相槌を打った。
「あ。そうそう、それな。通信術使った時、『リーヴァー』って言う人多いよな。前から地味に気になってたんだけど、あれってどういう意味なんだ?」
グリムクロウズへやってきた当初から、ベルグレッテなどが通信術を展開した際にそう応答するのを聞いている。半年以上も経って今更の疑問を振ってみたが、
「う、うーん。あたしも、意味まではわかんないけど……」
すると、二人の会話を聞いていたリーフィアが「あのっ」と意を決したように切り出した。
「元は『リード・オーバー』という古来イリスタニア語が短くなったもので、『反応を返します』といった意味がある言葉だとか……。他にも、音のやりとりをするということで、音の神リーディオヴァールの名前が元になっているという説もあるそうです……!」
おおーそうなのか、と感心する流護とミアの視線を受けて、風の少女は恥ずかしそうに縮こまってしまう。
「通信の術について教わったとき、講師のかたからそうお聞きしましたっ……」
そこで純真な子供みたいに「そーなんだー」と驚いているミアだが、学院の生徒なのにお前さんは知らなくて大丈夫なのか、と少し心配になってしまう父親代わり(自称)の流護であった。
「ううむ、そろっと二十分経つな……」
そうこうしているうちに、通信も不通のまま予定の時間が過ぎ去ろうとしていた。スピーカーからは、相変わらずサーッと無機的なノイズが流れてくるのみ。
「この距離だとまだダメだったか……」
実験が上手くいかなかったことよりも、今年最後にベルグレッテの声を聞けなかったことが残念な思春期の少年だった。
そこで唐突に、ふすっと鼻を鳴らしたミアが通信具に取りつく。そして、
「――ベルちゃん。あたしと結婚しよう」
やたらいい声で、そんなことを言い出した。
「クレアちゃんなんて怖くない。むしろ、壁があったほうが燃え上がるってもんだよ。だからベルちゃん、あたしと一緒になってください」
「ミア、いきなりどうした。ぼっこわれたのか」
「いやー、どうせ聞こえてないんだったら、好き勝手言っちゃおうかなーと。ほらほらリーフちゃんも、たまには言いたいこと言っていいんだよ~」
ミアに手招きされて、気弱なリーフィアが断れるはずもない。通信具の前に座らされた風の少女は、困ったように流護たちの顔を見比べる。
「それじゃあ、ベルちゃんとクレアちゃんに向けて本音を一言ね! いい? 本音だからね!」
「何でこんな罰ゲームみたいになってんだ……」
「ちゃんと本音を言ったかどうか、あたしが判定するからね。当たりさわりのないこと言ったら、やり直しさせちゃうよー。次はリューゴくんだから、今のうちに考えておいてね!」
「まじか」
そんな二人を横目に戸惑っていたリーフィアだったが、ややあって真剣な面持ちでスッと息を吸い込んだ。覚悟を決めたように、スピーカーへ向けて語りかける。
「えっと、ベルさん。わたしとお友達でいてくれて、ありがとうございます。その、おこがましいかもしれませんが……実はわたし、ベルさんに憧れてて……いつかベルさんみたいに、強くてかっこいい女性になりたいって思ってます」
一呼吸置いて、
「クレアさん。わたし、大人の男の人にもはっきりとした態度をとれるクレアさんのことが、うらやましいです。わたしと一つしか歳が違わないのに、すごいです。あの夏の事件で、わたしを守って戦い続けてくれて……本当に嬉しかった」
相手に聞こえていないと思われるにもかかわらず、ぺこりと頭まで下げて。
「こんなわたしですけど……これからも、お友達でいてほしいです……! 来年も、これからも、よろしくおねがいしますっ」
言い終えてうつむくリーフィアは、耳まで真っ赤になっていた。包み隠さぬ本心を打ち明けた表れといえるだろう。
(リーフィアは……いい子だのう……)
そんな微笑ましい、穏やかな空気が流れる中。
裁定員たるミアはというと、両手で自分の顔を覆い隠していた。
「どしたんすかミアさん」
「……なんだか……リーフちゃんの純粋さが……心のキレイさが眩しすぎて、直視できない……」
「うむ。欲望まみれなミアさんも、少しは見習った方がいいかもな」
流護が神妙に頷くと、少女はいきり立ったネコのようにシャーッと威嚇する。
「なにさー、もう! ほら、次はリューゴくんの番だよ!」
「しょうがねえなぁ……」
コホンと喉を湿し、通信具へと喋りかける。
「ええーと……ベル子さん、いつもお世話になっております。クレアさんも、お世話になっております。来年もよろしくってことでひとつ」
「なんだよ! リーフちゃんの便乗じゃねーか! やり直しだおらあぁー!」
小さな判定員さんは大層ご立腹だった。
「んなこと言ってもなあ……」
「ふんだ! もういいもん! あたしは自分を偽らない! ベルちゃんすきすき! 結婚しよう! クレアちゃんの妨害になんて負けない! 絶対に……絶対にお義姉さんって呼ばせてやるッ! むしろかかってこい! おらあ!」
『――あらあら、これは大きく出ましたね。ミア』
刹那、時間が停止した。
流護も、ミアも、そしてリーフィアも。息すら止めて、その視線はスピーカーに注がれる。
暖かな風を吐き出す温術器の、ゴー……という小さな機械音だけが、しばし狭い一室に木霊していた。
『あら。急に静かになりましたね。ということは、聞こえてるんでしょうか?』
暖まった室内を凍りつかせるような。聞き覚えある冷ややかな声が、通信具のスピーカーから無情に流れてくる。
「クレ……ア、ちゃん……?」
『はい、クレアリアです』
「あー、あー。き、気のせいだよね。聞こえない聞こえない……」
『聞こえてないんですか?』
「聞こえてないよ」
『そうですか。まあ聞こえていようがいなかろうが、次にお会いした折には、念入りにすり潰して差し上げますけどね』
「すいませんでしたアァ――ッ!」
箱に向かって土下座状態となっているミアを見やりつつ、流護は慎ましやかな『ペンタ』の少女に向けて渋い顔で頷いた。
「あー……なんつーか……リーフィアはこうなっちゃダメだぞー」
「い、いえ。ミアさんらしくて、その……」
どんな時でも相手への気遣いを欠かさない風の少女。天使がおるぞ。しみじみ思いながら、流護は伏したミア越しに通信具へと声を投げる。
「おうクレアさん、聞こえるかー?」
『ええ、聞こえてます』
若干声が遠いものの、確かな返答があった。
「おお。時間掛かったけど、何とか繋がったか……」
『そちらの会話は、先ほどから聞こえていました。ただ、こちらからの声はそちらに届いていなかったようで』
そこでびくりとしたのはリーフィアだ。そんな反応を察したのでもなかろうが、向こう側からクレアリアの優しげな声が響く。
『リーフィア。こちらこそ、来年もよろしくお願いいたしますね』
「は、はいっ、えっと、その……!」
リーフィアとしては、本人に聞こえていないと思ったからこそ言えた本音でもある。恥ずかしくてたまらないのだろう、またも茹だったみたいに真っ赤になっていた。
『リーヴァー、ベルグレッテです。ふふ。ありがとう、リーフィア。あなたに愛想を尽かされないよう、今後も精進させていただくわ。これからもよろしくね』
次いで聞こえてきたのは、慈愛に満ちたベルグレッテの声。
「は、はいっ」
リーフィアはすっかり小さくなってしまった。
「おう、ベル子さんか。通信具はどこに置いたんだ?」
『ごきげんよう、リューゴ。私の部屋に設置したわ』
「そうか……。なんとか繋がりはしたけど、えらい時間掛かったし、聞こえもイマイチだな……」
とはいえ、きちんと通信が届いたという点で今回の実験は成功といえる。後ほど、ロック博士に報告しておく必要があるだろう。
『ところで、急にミアが静かになったみたいだけど……』
ベルグレッテの指摘に視線をやると、
「死んでるぞ」
通信具のすぐ脇で、力尽きた敗残兵のように横たわっているミアの変わり果てた姿があった。
「なんつーか人間、品行方正に生きないといけないなと思いました、まる」
しばし雑談に興じる皆だったが、通信状態も芳しくないため、キリのいいところで「また来年」とお開きになるのだった。
魅惑の歌姫ことミーティレード・エルメロディア、第二十七回目の公演も大成功!
その天使の歌声と桃色の瞳に魅了された一千人の人々は、大満足の余韻を胸に帰途についた。もちろん、筆者もその一人である。
レフェのカイエル国長は未だ床に臥せったまま、バルクフォルトは大雪、各地で怨魔が増えてきた……等々、暗い知らせが続く昨今であるが、彼女の歌声はそんな暗くなりがちな世の中を元気づけるものであったと断言できよう。
あの歌でいつまでも、大陸を明るく照らし出してほしいものだ――。
次号、バダルノイス神帝国の若き指導者、エマーヌ・ルベ・オームゾルフ祀神長の素顔に迫る! 新しい改革の実行者、『真言の聖女』たるその在り方とは!? 乞うご期待!
(……っと、何時だ今)
読んでいた『とても怖いゴーストロア 無浄の月版』からふと顔を上げた流護は、転がっている懐中時計を確認する。時刻は夜の十一時過ぎ。大陸歴八七一年も残すところ、あと一時間を切っていた。
そして、
(はは、やっぱな)
すぐ目の前の光景に、口元を綻ばせる。
ベルグレッテたちとの通信を終えてミアの部屋へ戻ってきた三人は、来年を迎えるまで遊ぶぞーとの信念の下、賑やかな時間を過ごしていたのだが――
(うむ、なんとも予想通り)
やけに静かになったと思えば、ミアもリーフィアも絨毯に横たわって安らかな寝息を立てていた。
「ほれ二人とも、風邪引くぞー」
無理に起こすのもしのびない。仕方ないので、それぞれに毛布をかけてやる。
「んん……リューゴくーん、もう食べられないよぉ……」
「いや食い物じゃないぞ、こら毛布を齧るでない。つか、もう食べられないよーとかリアルで寝言言うヤツ初めて見たわ……」
「ぐへへへ……ベルちゃん……ベルちゃぁん……」
「しっかし欲望に忠実だなミアさんは……」
「ベルちゃん、……むにゅ……相変わらず、右のおっぱいが……」
「!?」
いきなりの爆弾発言に、流護の動きがピタリと停止した。
「み……右のおっぱいが……あいかわらず……ぬふふふぅ」
うわごとのように繰り返すミアを見下ろしながら、思春期の少年はゴクリと喉を鳴らす。
「……ッ」
何だ。ベル子の右のおっぱいが何だ。どうしたというのだ。左と右でなんか違うのか。どういうことなんだ。あれか。利き腕みたいのあるのか。利きおっぱい。
一言一句聞き漏らすまい、と少年は精神を集中する。強敵と対峙したかのごとく。
「右の……」
「右の……?」
「…………秘密にしといたげるよー、ぐへへへー」
「言わねーのかよ!」
と思いつつも寝ぼけたお騒がせ娘を毛布で包んでやった。
一方で、
「……むにゃ、う……ご、ごめんなさい……」
「たまには強気でいけ、強気で」
寝言すら弱気な風の少女リーフィア。あどけない寝顔のはずが、夢の中でまで何を困っているのか、形のいい眉を八の字にしている。
「夢の中ぐらい強気でいこうぜ。ほれ、リピートアフターミー。ゴールデンボール、クラッシュ、したろうか、オラァ」
「……むにゅ……ごー……ごるで……ん……ぼー」
「おわあああ待った、今のなし、嘘、うそうそ」
ともあれ、寝ぼけた反応もまたそれぞれで微笑ましい。
(……っと)
すっかり静まり返った室内を見渡して一息ついた流護は、二人を起こさないよう忍び足で部屋を後にした。




