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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
10. 風雪のオーヴェルテュール
356/669

356. 南方にて

『……と、いう訳でだ。リューゴよ、ジャックロートに向かってくれ』

「は、はあ……」


 空中で幾重にも輪を描く通信の波紋、その向こうから響いてくるアルディア王の声に、流護は戸惑いながらも返事をした。

 その通信術を展開しているクレアリアは、つまらなげな顔で二人のやり取りを傍聴している。


 場所は学生棟一階の片隅に位置する、流護の私室。

 王の命令で両者の会話を取り持つため部屋までやってきたクレアリアだが、出入り口より奥に入ろうとはしなかった。最近丸くなってきたとはいえ、そこは男に厳しめな妹さんである。殿方と部屋に二人きりなんて認められません! ということなのだろう。

 通信内容がアルディア王直々の指令ということで他人に聞かれないようドアは閉めているが、狭苦しい出入り口付近で二人棒立ちのまま通信している図は、何とも奇妙なものがある。第三者が目の当たりにしたなら、「こいつら何やってんだ」と思うに違いない。


『これが本年最後の仕事になるだろうな。終わり次第、休暇に入ってもらって構わんぞ』

「了解っす……」

『どうした? あまり気が乗らんか?』

「あ、いえ。知らない場所に行くのが、未だに慣れないっていうか……不安な感じがして」

『ふうん、それだけかぁ?』

「え? いや、別に……それだけっすよ」

『ふうーむ。やはり、アヤカを残しての遠出は不安か。リューゴの頭の中はすっかり、旧知の女のことで一杯のようだな。どう思う、クレアよ』

「ええ、大変喜ばしいことと思います。彼女がお目覚めになられ次第、ご結婚でもされてはいかがかと。お似合いですよ」

「だっ、だから! あいつはそんなんじゃねーってのに!」


 最近は、何かといえばこんな扱いだった。とんだ弱みを握られてしまった気分である。


『がははは! まァ、お前さんが不在の間は、例によってシャロムに付いてもらう。何かあれば、すぐお前さんに連絡が行くよう手配もさせてもらう。今は出払ってるヤツも多くてな、この仕事を任せられそうなのがお前さんしかいねぇんだ。場所がジャックロートだから、本当ならアテがねえ訳じゃねぇんだが……ちょいと事情があってな。ま、アヤカが心配で心配でたまらねぇのは分かるが、一つよろしく頼むぜぇ』

「いや、だから俺は別に……」


 実際のところ、確かに心配ではある。

 もし自分が遠くへ出かけている間に、彩花が目覚めたら。もしくは、何かあったら。流護の頭から、そういった懸念が消えることはない。


 とはいえ、そこにとらわれていたら何もできない。

 この世界で生きていくと決め、自分の意志で戻ってきたのだ。彩花にばかり気を取られて、他のことを疎かにする訳にはいかなかった。

 ……正確には、時間が経ってそう考えられるぐらいには落ち着いてきた、というべきか。


「明日からジャックロート地方、目標はフォビロックルの討伐っすね。慎んでお受けいたしますよ」


 やってやりますとも、と鼻息荒く快諾する遊撃兵であった。






 大陸暦七八一年も残りわずか。

 そんな年の瀬も迫りつつある無浄の月は十九日。

 寒々とした冬の森――その一角に、重く鈍い拳の打撃音が鳴り渡る。葉を落とした枝上に留まっていたカラスたちが、その決着を見届け終えたかのように一斉に飛び立った。

 直後、横倒しとなって大地を震わせるのは、全長二メートル半ほどもある毛むくじゃらの黒い巨獣。


「しっ」


 対象が沈黙したことを確認し、残心の動作を取る。

 深い息を吐き出しつつ、有海流護は自らが仕留めたその相手を見下ろした。長い爪と小さな丸顔、突起じみた鼻。黒く長い毛に覆われずんぐりとした体型が特徴的な、地球の知識で考えるならナマケモノに似た怨魔だった。


(動きは、とてもナマケモノとかってレベルじゃなかったけどな……)


 極めて獰猛で好戦的。そして素早く、強靭だった。長く発達した爪をひたすらに振り回す、圧倒的な暴性の怪物。

 頬のぬめりを拭うと、手の甲にべったりとした赤が付着する。頬、腕、首。余すところなく赤い線が走っており、服も所々裂けている。流護の全身は、満遍なくかすり傷だらけだった。

 策や小細工なし、真っ向からのぶつかり合いとなったが、何とかそれを制することができた。


 カテゴリーA、フォビロックル。通称、暴爪ボウソウ

 同ランクの怨魔としては最低辺に位置づけられる存在であるが、飽くまでその区分は『A』。これは本来、多くの熟達した詠術士メイジや兵器の運用が必要となる指標。

 今回、このフォビロックルを討伐するに当たり、兵団は充分な人員や兵器を用意する余裕がなかった。

 そこで、流護に白羽の矢が立ったのである。

 結果は、単騎での撃破に無事成功。遊撃兵の面目躍如、といったところだろう。


「ふう……」


 吐いた息が、白く色づいて寒空へと解け消えていく。

 これで今年の仕事も終わりだ。そう安堵していると、背後から落ち葉を踏む足音が届く。振り返ると、銀色の鎧に身を包んだ三人の兵士たちがそろそろとやってくるところだった。


「う、お……や、やったのか、リューゴ!?」


 おっかなびっくりといった足取りの一人――初任務の頃から顔なじみの兵士ことカルボロ・フロスランが、倒れた黒獣と流護を見比べながら目を白黒させる。


「まさか本当に、フォビロックルをたった一人で……?」


 初めて流護と組むことになった別の青年兵士は、信じられないといった表情で首を横へ振った。


「怨魔の反応が消えたときは目を疑ったけど……実際にこの光景を前にして、今度は自分の正気を疑いそうになってるわ……」


 最後尾の若い女性兵士も、ぎこちなく頬を引きつらせている。

 王国正規兵たる彼らとはいえ、わずか三人かつ適した武装もない状態では、Aランクの怨魔に太刀打ちできるべくもない。流護とともに闘おうにも、むしろ足手まといになってしまう。そのため、「俺が一人でやるんで皆さんは後方で待機しててください」という、遊撃兵の異常な提案を受け入れざるを得なかった訳だが――

 結果、わずか四名でカテゴリーAの怨魔フォビロックルを討伐せよ、という本来ならば無茶にもほどがある任務は、被害もなく無事完了と相成った。

 その事実を噛み締めたのか、同行の青年兵士が何とも憔悴しきった表情で呟く。


「実は俺……今回の任務に出る前、遺書を書いてきたんだ……。まさか、無事に帰れるとは……」

「だははは! よかったなぁ、遺書が無駄になって! だから、リューゴと一緒なら絶対大丈夫だって言っただろー!? なぁ、リュー……ってお前! 傷だらけじゃねぇか! 大丈夫かよ!?」


 今さら気付いたカルボロが、自分のことのように騒ぎ立てた。


「ああ……かすり傷だよ。思ったよりリーチがあってさ。まぁこの怨魔がカスッただけでもヤバイ毒とか持ってなきゃ、とりあえずは問題ないかな」

「はは、フォビロックルを相手にしたとは思えない台詞ね……。とりあえず軽く処置するわ。腕を出して」

「あ、どもっす」


 治療に取りかかった女性兵士が、引きつった笑顔のまま問うてくる。


「ほんと、凄まじい筋肉をしているわね……。ええと……貴方の故郷……ニホン、だっけ? 貴方みたいな使い手が、他にもいたりするの?」

「いや、確かに俺はちょっと、故郷でも特殊かもしれませんね……」


 大っぴらに公表した訳ではないが、一応『遊撃兵の記憶は戻った』ということになっている。『ニホン』という国名も、今や少なくない人数が知るところとなっていた。もちろん、レインディールより遥か遠方のどこかにある国、という認識ではあるのだが。


「本当に、全く神詠術オラクルを使わないで勝ってしまったの?」

「あ、ええ。そっちの才能はからっきしなもんで、まあ」


 そして飽くまで、神詠術オラクルの扱いが『極めて苦手』、ということになっている。

 魂心力プラルナをまるで保有していないので、術など全く使えない――という事実は、無用な混乱を避けるため伏せたままとなっていた。


「よーっし、とにかく仕事は終わりだ終わり! だはは! 街に戻ろうぜ!」


 やたらと元気なカルボロを筆頭に、四人は最寄りの街へ向けて移動を開始するのだった。






 ジャックロートの街。王都より馬車で南下すること四日ほど、いくつもの山を超えた先にある、レインディール有数の大都市である。

 ここよりさらに南へ向かうと、しばらく(といっても馬車で一週間以上)の間は何もない荒涼とした大地が続き、やがて『南の大熱砂(フォールニス・デュテ)』と呼ばれる広大な砂漠に通じるという。そこから先は、現在のレインディールの地図には記述がない。足を踏み入れた者が全くいない訳でもなく、別の国に通じるようではあるが、公式には未踏の領域という扱いになるのだ。

 そんなレインディール最南端とも呼べる立地ゆえか、この街に吹く冬の風は、王都周辺に比べるとやや温く感じるほどだった。


 仕留めた怨魔の処理を現地の駐在に引き継ぎ、仕事も完了した流護は、せっかく訪れた遠い街、ということで気ままに散策していた。

 ちなみに本日はこの街の宿で一泊、明日早朝に帰還の予定である。


「うん、うめぇ」


 露店で購入したよく分からない素揚げを頬張り、活気に溢れる歩道を一人のんびりと歩く。

 街の景観は王都と大差ない。目に見える違いは、各家屋の屋根に設けられた傾斜がやたらと急な点ぐらいだろうか。これは、南方から飛んでくる砂が屋根に堆積することを防ぐための構造らしい。

 大通りを行き交う馬車。店の軒先で商売に精を出す男性、井戸端で会話に花を咲かせる奥様方。元気に駆け回る子供たち。

 すっかり当たり前になってしまった、中世西欧風の街並み。これから一生暮らしていくことになる――やがてはどこかに骨を埋めることになる、異世界の風景。


「…………」


 再びこの世界へ舞い戻ってきて、早一ヶ月と少々。

 ホームシック的な気持ちがないといえば、嘘になる。こうして時折、思い出したみたいに郷愁の念に駆られることがあった。


 本当にこの選択でよかったのか。


 二度と帰れない故郷。学校。家。自分の部屋。二度と会えない人たち。父・源壱。そして、


(先輩……)


 空手部マネージャーの宮原柚。

 この異世界へと舞い戻り、一連のゴタゴタが落ち着いてから、流護は自分の携帯電話を何気なく確認したことがある。

 電源を入れてみれば、数件の不在着信と、新着メールの知らせが一件。

 出立前、一方的に別れを告げた柚からの返信が、そこに届いていた。


『ちょっとどういうことなの!? また行くって急すぎない? お父さんには会えたの? 結局学校には戻らないの? みんなにバラすぞこのやろう! もう色々ツッコミたいけど、有海くんが決めたならしゃーないのかな……。やりたいことがあるなら一生懸命頑張って、それでまた戻ってきてね。ベルグレッテさんも一緒に。待ってるぞ後輩よ。土産話とか楽しみにしてっから! いってらっしゃい!』


 色とりどりな絵文字が散りばめられた電子の手紙。

 理解のありすぎる敏腕マネージャーには、感謝しかない。

 二度と会えないであろう、大事な人。


 ……と、そこまで考えて、本来はその分類に含まれるはずだった幼なじみの顔が浮かぶ。


(…………っとに、あのバカ……)


 おそらくは転移の巻き添えとなってしまった、蓮城彩花という少女。

 この世界へやってきて以降眠り続けているが、どうすれば目覚めるのか。長期間寝たきりとなっているため、健康面でも心配だ。目覚めたら目覚めたで、この世界について説明しなければならない。もう帰れないという現実を、告げなければならない。


(ったく、面倒かけやがって……)


 などと思いつつも、彼女が『二度と会えない人々』に含まれなかったのは、流護にとって喜ばしい事実であることも確か。


「あー、くそ! おわ!?」


 気恥ずかしさを紛らわそうと足を速めた瞬間、肩が誰かにぶつかった。その相手は焦げ茶色のケープを纏った、地味めな装いの少女……らしき人物だった。

 流護のぶちかましとなれば、この世界では大の男ですら吹き飛ぶ威力である。少し行き会って当たっただけとはいえ、華奢な女性がどうなるかなど考えるまでもない。彼女は、派手によろめいて尻餅をついてしまった。その細腕にかけられていたカゴも落としてしまい、中に入っていた果物や野菜が石畳に散乱してしまう。


「お、おわー! 大丈夫ですか! すんません……!」


 慌てて謝り倒す流護だったが、


「いえ……大丈夫、です」


 座り込んでしまった少女はといえば、まるで他人事みたいに冷静だった。

 どこかの使用人だろうか。目深に被った焦げ茶色のフード、足元まで覆い隠す丈長の黒いロングスカート。徹底したかのように派手さを排除した装いで、パッと見た限りでは化粧っ気のない口元しか覗いておらず、人相はおろか髪の長さや色すら分からなかった。声からすると、年齢は流護とそう変わらないだろう。


「いや、まじすんません……!」


 平身低頭になりながら、流護は転がったカゴの中身を拾い集める。


「いえ、お構いなく」

「いやいやいやいやい! もし傷んでれば、弁償するんで……!」


 前をしっかり見ていなかった自分の落ち度、と流護は率先して動いた。少女が自分の周りに落ちていたオレンジやリンゴを手に取る間に、転がっていったニンジンやキャベツをかき集める。


「あー待て、やめれ!」


 コロコロと一番遠くまで行ってしまったリンゴに、通りすがりの犬がじゃれついていた。追い払って回収、ぱしぱしと埃を払い、カゴに入れる。


「うーん、やっぱちょっと欠けちゃったりしたな……。あの、弁償するんで……」

「いえ、本当に大丈夫です。これは、飼っている家畜たちの餌ですので。落としても問題はございません」

「あ、そうなんすか?」

「はい。古くなって傷んだものを譲っていただいたので、人が食べられるようなものではないのです」


 全ての食料をカゴに詰め直し、少女が立ち上がる。そして深々と被っていたフードを背中へとのけ、ペコリと頭を下げた。


「こちらこそ不注意で、ご迷惑をおかけしました」


 少女としては、被りものをしたままでは非礼に当たると考えたのだろう。顔を明らかにし、謝辞を述べて。


「………………、」


 一方の流護は、挨拶を返すことすらできず、ただその少女の顔を凝視していた。

 なぜなら。

 大人しげな雰囲気の、美しい少女。決して彫りこそ深くないものの、ぱっちりとした二重まぶた、肩までのさらりとした髪が印象に残るその少女は。

 黒い瞳と、黒い髪。なじみのある肌の色。顔の造形。

 どこからどう見ても、


「…………、あの、もしかして……日本、人っすか……?」


 自分と同郷の人間にしか、見えなかったから。

 しかし、


「……なんでしょうか?」


 なじみある面立ちの少女は、流護の意図が掴めないとばかりに小首を傾げる。


「いや、えーと……あなた、日本人じゃ、ない? っすか?」

「……仰る意味が分かりかねます」


 勘違いか、との思いが鎌首をもたげてくる。

 思えば、少女を見て「日本人か!?」と驚いた流護だが、一方の彼女は最初から流護に対してそういった反応を見せていない。


「あの、えっと……初対面なのに失礼ながらお尋ねしたいんすけど。名前は、なんていうんすか?」


 不躾な質問ながら、彼女はさして警戒した風もなく答える。


「私の名前ですか? カエデと申しますが……」

「かえで、さん?」

「はい」


(…………マジかよ)


 もはや疑いようもない。何も日本人とは限らず、東アジア系の人種という可能性もあったが、その名前からして同郷の人間としか思えない。というより流護にしてみれば相手が『日本語』を喋っているので、もはやそうとしか考えられないのだ。

 そのはずなのだが、当の彼女の反応はあまりに淡白すぎて――


「おい」


 混乱が増すばかりの中、思考を遮る形で横から声が飛んできた。

 向かい合う流護とカエデのすぐ脇に、気付けば一人の青年が立っていた。

 歳は十七、八か。この世界標準の痩身長躯。何の変哲もない、シックな茶色を基調とした平服姿だが、おそらく高級品。少しだらしなく着こなしているその様が、何とも似合っている。

 夜の街をうろついていそうな、ちょっと悪そう系。装飾品の類は全く身につけていないものの、鋭い目つきが映える男前だった。

 何より特徴的なのは、


(青っ)


 短く逆立つ髪。そして瞳。どちらもが、目の覚めるような瑠璃色。ベルグレッテやクレアリアのような、黒みがかった藍色ではない。

 何だその色はアニメキャラか、と思ってしまう流護だったが、その色合いがなぜかこの青年には違和感なく似合っている。


「おい、小さい兄ちゃん。ウチのメイドに何か用か」


 警戒心丸出しでそう言う蒼の男に、カエデが目を向ける。


「レオ様……」


 レオと呼ばれた青年は、流護とカエデの間にスッと割って入った。自然なその動きだけで、


(あ。かなりやるな)


 ケンカ慣れしているのが見て取れた。

 レオはどこか裕福な家の御曹司。カエデはそこに仕える女中。そんな間柄なのだろう。が、


(あれ? でも、ボンボンなのにケンカ慣れ……?)


 それもどこか水と油というか、どうにも噛み合わないように思える。この世界では尚更。

 ともかくとして、


「ああいや、俺は別に怪しいモンじゃなくて……」

「じゃあ、何でカエデに名前を訊いてたんだ」

「あの、レオ様」

「大丈夫だ。俺に任せておけ、カエデ」


 何とも事態が混沌としてきた。

 しかしてそこは遊撃兵、公的に法の守護者としての権限を持っている流護である。

 ついに刻は来た、とばかりに『それ』を財布から取り出し、スッと掲げて見せた。


「俺、こう見えてもこういう者っす。決して怪しい者じゃありません」


 レオとカエデがかすかに目を見開く。

 流護が時代劇の印籠のように示したのは、レインディールの兵であることを示す紋章だった。盾の中に獅子の顔が描かれたデザインの、暗銀色をした小さなバッジ。これは、この国の正式な兵であることを示す証なのだ。


「兵士だと? お前が?」

「そうっす(キリッ)」


 やった! と流護は内心で渾身のガッツポーズを取った。

 バッジを取り出し、「私はこういう者です」と宣言して場を収める。一度でいいからやってみたかった、刑事ドラマ的展開。その夢は今ここに実現した!

 ……はずなのだが。


「そうか。兵士なら、一発二発殴られても簡単にへこたれたりはせんよな」

「は?」


 拳をパキパキと鳴らしながら言い終わるや否や、レオが右腕を振り回した。


「ちょっ!?」


 横の軌道で唸ってくるフックを躱す。


「レオ様!」

「危ないから下がってろ、カエデ!」


 すぐさま構え直すレオに対し、


「いやおいちょっと待て! 相手が兵士だって分かってて殴り掛かってくるとか、何考えてんだアンタ!?」


 押し止めるように説得を試みる遊撃兵だったが、


「そんな手が通じるか!」


 躊躇はまるでなかった。

 右、左、とレオの拳が空を切る。


(えーい、どんだけ怖いもの知らずだよ……!)


 避けながら流護は考えた。もしかするとこの青年、相当な権力を持った家の息子か何かなのかもしれない。例えば兵士を一人や二人どうにかしてしまっても、金で解決できるような。小奇麗なその服装からもそのセンはある。

 そのうえ、


「チッ! この小粒野郎、ひらひら逃げるな!」

「うおっと……!」


 振り回されるレオの拳は、中々に鋭い。しなやかに喰らいつく蛇のよう。


(軌道が読みづらいし、腕も長い。フリッカー気味のパンチか……)


 さすがに洗練された武術には及ぶべくもないが、かなりの場数を踏んでいることが伺える。天与のリーチも持っている。身のこなしも軽快だ。


(その辺のチンピラ連中じゃ、相手にならねえだろな)


 おそらくエドヴィンあたりでも、神詠術オラクルなしの殴り合いではノックアウトされてしまうだろう。

 しかし今、この青年が相手にしているのは街のケンカ自慢や無法者ではない。空手の有段者・有海流護である。


「チョコマカするな!」


 まっすぐ突き出されたレオの右拳を左手甲で廻し受けて、前へ。間合いを潰しつつ内側に入り込んだ空手家は、右手のひらで相手の顎を軽く打ち上げる。殴るというよりは、当てて押し込むといった挙動だった。


「!?」


 支えを失ったみたいに、レオの両膝がガクリと崩れ落ちた。


「レオ様!」


 離れて見守るカエデが名を呼ぶ中、


「く、な、何……、」


 当人は何が起きたか分からないといった顔で、座り込んでしまった自分の身体を見下ろした。脳震盪、という現象が理解できないのだ。


「頼むからそのへんにしといてくれよ、ボンボンのオニーサン」


 パンパンと手を払いながら、跪いた相手を見下ろす。何分なにぶん、有海流護も――


「これ以上続けるってんなら、メイドさんの前でカッコ悪いとこ晒すハメになるぜ」


 気が短い性分、なのである。


「……、」


 屈んだレオの面がゆっくりと上向けられる。青碧の瞳が、下から流護を見据える。


「そうか。カエデに無様な姿は見せられんからな、全霊でやるしかないか。――滾ってきたぜ」


 跳んだ。

 流護が。後方に、大きくバックステップで飛びずさった。


「………………、」


 それは流護自身、下がった後に初めて気付いたような。不可解な挙動だった。


(こい、つ……?)


 考えるよりも早く。焼けた鉄に触れてしまったみたいに、反射的にレオから離れていた。


「へぇ。随分と勘がいいな、自称兵士の小僧。気付いたってことか、フフ。俺の怖さに――」


 不敵な笑みを浮かべながら、蒼の男が立ち上がる――


「と!? っ、あ!? どうなってる、膝が言うことを聞かんぞ……!」


 ことはできなかった。

 レオは未だ、脳震盪から復帰できていない。地面に手をつき、力を込めようとしている膝はガクガクと震えている。

 隙だらけ。というより、もはや勝負ありだ。流護はこのまま好きなように攻撃を加え、この相手を叩きのめしてしまうことができる。

 はず、だというのに、


「……、」


 近づけなかった。


(こいつ、何だ……? 何か知らねぇけど、やべぇ感じがする……)


 この寒さの中、握った手のひらの内側に嫌な汗が滲んでいた。鳥肌がぶわりと浮き上がっているのを自覚する。

 初めてナスタディオ学院長に遭遇したあの時を思い出す。

 極めて危険な相手を前にした際の、本能が鳴らす警鐘――


「くそ、おいチビッコ自称兵士……何をしやがった、神詠術オラクルか!? ぬう、面妖なり! 足が震えて立てん――」

「レオ様!」


 動いたのは、カエデだった。

 名を呼ぶや否や、主の下へ駆け寄っていく。レオは悩ましげにかぶりを振り、流護を睨み据えたまま語り始めた。


「カエデ、下がってろ! 俺のことなら心配はいらん。この程度の逆境、むしろ滾るってもんだ。俺はここから、ガイセリウスばりの華麗な大逆転を決めてみせ――」

「人の話を聞いてください」


 ゴッ。

 カエデが放った見事なまでの飛び膝蹴りが、レオの側頭部に直撃した。

 何やら気障ったらしくベラベラと喋っていた蒼の男は、投げ出されたみたいに石畳へと倒れ込み、「ウーン……」との呻き声を残して転がる。


「………………」


 唖然となったのは流護だけではなかった。街中ということで、遠巻きに見物中だった野次馬たちも固まっていた。終止符を打ったのがいきなり飛び込んできたメイドさんとなれば無理からぬ話だろう。

 止まった時間の中、唯一平然としたカエデが流護の前までスタスタとやってきて、謹直に頭を下げる。


「我が主が、大変ご迷惑をおかけしました」

「……あ、はあ……ご丁寧に、どうも」


 流護も流されるまま、同じように頭を下げるのだった。

 うん。見事なジャンピングニーだった。そんな風に感心しながら。

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