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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
10. 風雪のオーヴェルテュール
344/669

344. 研究者として

 ミア、シャロムと共に、遊撃兵の少年は幼なじみの眠る部屋を後にする。


「リューゴくんは、これから暇なのー?」

「いや、ちょっとロック博士に用事があるんだ」


 すぐ上、棟の二階を仰ぎながら言うと、ミアは「そっかー」と寂しそうにうなだれてしまった。


「夕飯の時間になったら、こっちからミアの部屋に呼び行くからさ。今日って確か、マンガルプリンが出る日だったろ。品切れになるまで食いまくるぞー。時間までに、充分腹を減らしておくよーに」

「う、うん! 了解だよ! じゃあ、またあとでね!」


 外に飛び出し、寒空の下をテテテと駆けていくミア。本格的に冬到来ということもあって、制服の上には大きな毛皮のコートを羽織っている。服に着られているようなその後ろ姿を眺めて、シャロムが頬を綻ばせた。


「ミアさんはなんだか、見ていて癒されるといいましょうか。微笑ましいですね」

「そうでしょう、そうでしょう」


 最近のミアは遊ぶときは目いっぱい遊び、勉強もしっかりと頑張っている。直近の順位公表では、過去最高となる三十一位を獲得した。三百人を超える詠術士メイジの卵が集うミディール学院にてこの順位は、相当に優秀な部類といえる。地位的にはミアの主となる流護も鼻高々だった。気分はすっかり親バカである。

 まだまだだらけてしまったりサボってしまったりすることも多いミアだが、それはそれで微笑ましい。少しずつ頑張っていけばいいのだ。親バカである。


「小さくて愛らしいですし、男の子が放っておかないのでは?」

「まあ、そういう奴は俺が放り投げてやりますけどね」

「…………」


 なぜか「うわあ……」みたいな目で見られた。

 そんなシャロムと一緒に研究棟の階段を上り、


「おっ、来たね来たね。二人とも」


 デスクに積まれた膨大な紙束の山。その中に埋もれているようにすら見えるロック博士と対面する。


「どもっす。しっかし……いつ見てもとんでもねー量だな……、つか、また増えてないっすか」

「はは。これ全部が、『やり甲斐』そのものだよ」


 紙でできた山脈の向こう側で、白髪の研究者はそう笑った。

 机や床にこれでもかと積み上げられた、膨大な数の紙紙、紙。これらは全て、結晶化した魂心力プラルナを持ち帰ったことによって始まった、新たな研究の資料だった。


 原初の溟渤から持ち出したならどうなるか……と思われた固体の魂心力プラルナだが、その性質は――

 まず手のひらサイズの小さな結晶の場合、雪や氷が解けるように少しずつ減っていき、半日ほどで消えてしまったという。

 より大きな結晶では、消失までの時間もより長く。単純に、大きければ大きいほど蒸発にも時間がかかることが判明した。


「ええと……ロック先生曰く、『循環』……でしたよね」


 興味深げに、シャロムがその単語を口にする。

 結晶化した魂心力プラルナは原初の溟渤から持ち出した場合、原則として大気中へと霧散し消えていく。先の例えの通り、雪や氷が自然と解けるがごとし……である。


 しかし、『実は消失しているのではない』と博士が早々に解き明かした。

 大気中へ飛び出した高純度魂心力(プラルナ)は、空中で再び結合を起こし、下方へと沈み落ちてくるのだ。結果、それらはまた塊に吸収される形で融合する。

 この現象が絶えず繰り返されていくことになるが、その過程で、魂心力プラルナは少しずつ大気に分散して減っていく。そうして、やがては完全蒸発という末路をたどる。


 現在は封印術や防護術の施された容器に魂心力プラルナ結晶を入れて密封し、逃げ場をなくすことによっての完全保存に挑戦中と聞いている。

 まだ試行錯誤の段階だが、理論上、人工的にあの廃城と同じ環境を構築することができれば、結晶の消失は防げるはずなのだ。これを成功させ、次第に小型化していけたなら、いよいよ様々な道具に組み込んでの応用が可能――となるはずなのだが、


「いざ密封すると、閉じ込めた結晶がガサガサに崩れて、くすんだ琥珀色に変化しちゃうんだ。こうなると、力も失われちゃうみたいだね。これは封印術と防護術、どちらが施された箱でも変わらなかった。というより、施術されてないただの箱でもあんまり大差ないね」

「ううむ……すでに……そこまで」


 驚くシャロムに、博士はうんと頷いて続ける。


「完全密閉はダメと分かったから、策の一つとしてかなーり小さな空気穴を作ってみたんだけど……これが功を奏してね」


 博士の目線を追うと、脇の棚にガラスケースへと収められた乳白色の結晶が置いてあった。大きさは拳より一回り小さい程度。箱の側面に、無数の小さな穴が開いている。


「現状これで、見た目も重量も全く変化していない。ま、ここから時間が経つとどうなるかは未知数だから、絶えず注視していかないとだけどね……今日は徹夜かな。これが上手くいったなら、空気穴の数の最適化もしなきゃだね。ある程度目処が立ったら、城の保管庫にも同様の処置を適用していかないと」

「は、はぁ……さすがは先生です。そんな方法で……。それにしても、恐ろしい早さで進めていますね……」

「いやいや。グスグズしてたら、せっかく回収してきた結晶が全部なくなっちゃうよ。今この瞬間も、現在進行形で減り続けてるんだから。一刻も早く、ひとまず消費を抑える方法ぐらいは確立しておかないと」


 持ち帰った結晶の魂心力プラルナはあの廃城の規模を考えたならほんの一部でこそあるが、それでも膨大な量に及ぶ。簡単に全てが蒸発してしまうことはない。計算上、何もしなくても二年近くはもつはずだという。が、かといって悠長にもしていられない。

 ……ちなみに、この魂心力プラルナが霧散してまた結合して云々、という話は、全てロック博士の『仮説』に端を発している。

 詳しくそれらを分析できるような環境など当然ながら存在しないため、大胆な仮説をぶち上げ、器具も何もない中で原始的な検証を重ねていくしかないのだ。


(ほんと、よくやるよ……。気の遠くなりそうな話だってのに……、…………)


 ……流護がベルグレッテと共にこの異世界へ舞い戻り、彩花が迷い込んできてしまったその直後。博士と交わしたやり取りを思い出す。






 原初の溟渤、その中心地。朽ちた城をすぐ脇に望む広場、テントの裏手にて。

 落ち着いて聞いてください、と前置きをして。


「あの穴に落ちて、気がついたら日本にいたんです」と。


 流護からそう告げられた岩波輝は、さすがにたっぷり五秒ほども硬直した。

 そして、彩花の出現によって流護自身なかなか落ち着けない中、ゆっくりと……順を追って説明していく。

 転移した先が自分の故郷だったこと。自宅に戻ってしばらく過ごしたこと。メールを送ってきた謎の人物のこと。その指示通りに動いて、再びこの場所へ戻ってこられたこと……。

 要点を掻い摘んだ話を聞き終えた博士は、錆びついた機械のように首を巡らせる。これまでにないほど愕然とした眼差しで、目前にそびえる朽ち果てた巨城を凝視した。


「…………そうか……」


 呟かれたその言葉と見開かれた瞳に嫌なものを感じた流護は、反射的に博士の肩へ手をかける。


「待った、待ってくださいよ博士。穴に飛び込んでみよう、とか考えてないっすか……?」

「は、はは。はは……さすがに思ってないよ、さすがに……。キミたちと同じく穴に落ちたはずのオズーロイ君は、どこにもいなかったんだろう? 無闇に飛び込むのは、危険だろうね……」


 その言葉を聞いて肩から手を離す流護だが、しかし岩波輝の瞳は、何かに魅入られたかのように城へと固定されていた。

 ……無理もない。十四年もの長きに渡り追い求め続けた、現代日本へ帰るという夢。それを可能とし得るかもしれない場所が、すぐそこにあるのだから。


「けど……気になるのは、やはりその……メールを送ってきたっていう人物だ」


 誘惑を断ち切るように城へ背を向け、博士は腕を組んで唸る。


「……その人物こそが、流護クンたちを再びこの世界へ導いた……と」

「ええ。つまりそいつは、『世界間の移動を可能にする神詠術オラクル』が使えるんじゃないか……って俺は思うんです。でも……」


 ベルグレッテには、規模があまりに大きすぎて現実的でないと否定された説。事実、それだけの真似を可能とするなら、消費する魂心力プラルナもまた莫大なものとなるはずだ。あの少女騎士がまともな水流ひとつ喚び出せなくなってしまった地球という世界で、そんな大それた術が行使できるとは考えづらい。そう流護なりの考えを説くと、


「……どうだろうね」


 指でメガネのフレームを押し上げ、博士はぽつりと呟く。


「ボクらが知ってる神詠術オラクルの常識なんて、ほんの一握りでしかない。そもそも、神詠術オラクルそのものが何なのかすら分かってないんだから。その人物は……ボクらでは想像もつかないような、とんでもない力や法則を得ているのかもしれないよ」


 気持ちを落ち着かせようとしたのだろう。博士は白衣の内ポケットからタバコを取り出し、マッチで火をつけようとする――が、なかなか上手くいかない。指が小刻みに震えていた。やがて諦め、咥えていたそれを苛立たしげに胸ポケットに仕舞い込む。


「……推測にすぎないけど……その人物……とりあえず、『彼』としようか。まぁ『彼女』かもしれないけど、とりあえずね。その『彼』がどうして流護クンたちの動向を知ってたのかとか、そういった部分はひとまず置いておく。それも、神詠術オラクルで説明できる部分かもしれないからね。気になるのは、『彼』の行動だ。なぜ自分の存在を明かしてまで、流護クンたちに再びグリムクロウズへ渡るための手段を伝えてきたのか? まさか、ただのお節介じゃないだろう」

「……そいつ……『彼』自身が、俺らをこの世界に戻したかった?」


 自分の意思で再びこの異世界へ舞い戻ってきたつもりの流護だが、それも『彼』の計算通りということか。


「ボクもそうだと思う。『彼』にとって、キミが日本へ行ってしまったのは想定外の出来事だったんだ。だから、介入してキミをこちらへ引き戻した。そしてもし、それが正しいとするなら――こんな仮定が浮上する」


 推測としておきながら、しかし岩波輝は断言する。


「半年前……お使いに出た流護クンが気付けばこの世界へ迷い込んでいた、『最初』の異世界転移。それも、『彼』の手によって行われたんだ」

「――――」


 流護が絶句する間に、博士は続ける。


「となると、おそらく……十四年前、ボクが大学の研究室のドアを開けた瞬間この世界に立ち尽くしていたのも、同じじゃないかと思う。つまりボクらは『彼』の手によって、このグリムクロウズへと導かれた……悪い言い方をすれば、拉致されてきたのさ」

「――――、」


 一気に色んなことが起きすぎて、そこまで考えが及んでいなかった。

 そうだ。『彼』は、自分たちをここへ『戻せる』のだ。なら、『最初に連れてくる』ことだってできるはず。


「……、じゃあ、桜枝里も……?」


 今も遠き異国の地でミニスカ巫女装束を着て奮闘しているだろう、同郷の少女を思い浮かべる。


「その可能性は高い……かもしれないね」

「……待ってくださいよ……、だとしたらそれ……何が目的で、俺らを……!?」

「それは分からない。けれど……そうだね、例えばボクら三人は、『それなりの結果』というものをこの世界に残している」


 多くの戦果を挙げ、遊撃兵となった有海流護。神詠術オラクル研究の第一人者として、レインディールに欠かせない識者となった岩波輝。『神域の巫女』に祭り上げられ、今やレフェの支えとなりつつある雪崎桜枝里。


「現代人をこの世界に投入して、文化の発展を促す……ことが目的だったりするのかもしれない。ただ、それにしたってなぜボクたちなのか……まぁ、それは分からないけど――」


 強く。博士の細腕が震え、小さな拳が握りしめられた。


「……『居る』んだよ。確実に、ボクたちをこの世界に連れてきた何者かが。奇妙な現象でも運の悪い事故でもない。誰かが人為的にやったことなんだ。これが分かっただけでも……今までの十四年間にはなかった、大きな進展さ」


 博士の声は、どうしようもなく震えていた。


「捕まえてやるさ。研究を進めていけば、いずれ何らかの形で『彼』に届く時が来るかもしれない。その時、問い質してやるさ。なぜボクたちを、この世界に導いたのか。何もかも……洗いざらい、全て吐かせてやるさ」


 岩波輝という男にしては珍しい、静かな怒りの情が込められた独白だった。


 今、城の地下にある穴に飛び込んで故郷に帰れたとしても、流護と同じように『連れ戻される』かもしれない。

 そう考えたロック博士は、研究を進めて『彼』の存在に肉薄するという、一見して遠回りな道を選んだ。

 転移現象の正体が神詠術オラクルであるというのなら、神詠術オラクル研究の第一人者である自分が説き明かす。そしてその使い手に迫り、この件について問いただす。

 十四年間やってきた意地、研究者としての矜持だった。

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