341. 前章 完
帰宅してリビングへ入ると、妹の月花がしかめっ面で端末に向かっていた。
「どうしたんだい。難しい顔をして」
問いかければ、ソファに座っている彼女は目の前の画面を見つめたままで言う。
「物語を考えていたの」
「そうか。熱心だね」
好意的に返事をしたつもりだったが、彼女はすぐさまジト目でこちらを睨んできた。
「またか。どうせ長続きしないな。同じような話ばっかり考えて何が楽しいんだか。一見優しそうな我が兄の笑顔からは、そんな呆れにも似た感情が溢れ出ているのであったー……、っと」
カタカタと慣れた指捌きで、自ら口に出した言葉をそのまま打ち込んでいるらしい。
「はは、今度はノンフィクションを書いてるのか? それともモキュメンタリーかな?」
「言うようになったわね、兄さん……」
「それで、今度はどんな話?」
「え? えーっと……」
こちらの相槌が気に食わなかったようなのでいざ掘り下げてみれば、月花は目を逸らしてしまう。
もっとも、自分の考えた話を面と向かって喋るというのは恥ずかしいに違いない。
「えーっと……主人公は、日本人の男の子で」
「うん」
「あ、ある日……」
「ある日?」
「いっ、異世界へと召喚されるの……」
場に静寂が満ちた。
「な、なによ! なによなによ! なにが言いたいの兄さん!」
「何も言ってないよ、落ち着いて」
「顔が言ってるもん! 『うわぁ……』って、表情が物語ってるもん!」
顔を真っ赤にしてぶんぶんと手を振り回す月花だったが、
「あっ」
その拍子にふらりとよろけて、ソファから下の床へ落ちそうになってしまう。
「おっと」
一足飛びで駆け寄り、彼女のか細い身体を支えた。
長く美しい、さらさらの黒髪が揺れる。
「ご、ごめんなさい、兄さん」
バツの悪そうな顔で、彼女はしょぼくれてしまった。
「……ほんと、嫌になっちゃう。私、どうしてこんな身体に生まれたんだろ」
妹は、生まれつき足が不自由だった。
自由に出かけることもできず、家の中で過ごす日常。
だからこそ、なのだろう。
彼女は空想の世界へと思いを馳せた。
漫画を描いたり、小説を書いたり、果ては端末で簡単なコンピューターゲームを作り上げたこともあった。
「もう少し聞かせてほしいな。月花の考えた話を。まあ、そんな感じの設定の話って前にも十作ぐらいなかったっけ? と思ったことは正直に告白するよ」
「うっ」
「いやいや、楽しみにしてるんだよ、本当に。新作を考えるたびに、それまで粗の多かった部分がしっかりしていくからね。単純に話も面白くなってるし。このままいけばそのうち、とんでもない超大作を発表してくるんじゃないかって」
「いやー、それほどのものでは……」
「それで、内容は?」
「え? えーと……」
コホンと喉を湿し、月花はやや緊張の面持ちで口を開く。
「主人公の男の子は、格闘技を使うの。兄さんみたいに」
「へえ。でも、いいのかい? こういう場合の主人公って、気弱だったり平凡だったりするって聞いたことがあるけど。そっちのほうが読者にとって等身大で、感情移入がしやすいとかで」
「わっ、詳しくなったわね、兄さん……。でも、いいの。別に、どこかに公表するものでもないし。書きたいものを書くっ。実験作でもあるの。召喚される主人公が最初から強かったらどうかって」
それでね、と妹は目を輝かせて語る。
いくら強くても、普通であれば人間が異世界の怪物に敵うはずもない。だからこの主人公には、とある秘密があるのだと。
その秘密って? と問うと、それは先のお楽しみと流されてしまった。
「それでね、もちろんファンタジーの醍醐味、魔法もあるよ。これにも色々と設定があるんだから。でも名前がそのまんま魔法とかだと、ちょっと新鮮味もない感じで……」
「何にしたの?」
「……それが実は、色々迷ってて。この世界の魔法は、神様に授けてもらったものっていう設定があるから、それっぽいのにしたいのよね。候補としてはギフトとか、神術とか……そんな感じ? 色々迷ってて」
「神様から授けてもらったもの、か。いいじゃない。僕も考えてみようか」
「え? う、うん。ありがと。それで……切っても切り離せないのが、あれよ。その能力を使うために必要な力よ。これもマナとか魔力とか、色々候補はあるんだけど被りが気になって」
「なるほどね」
ちょっと思案し、切り出してみる。
「プラーナ、とかはどうかな? ヨガなんかで使われてる言葉だね。生命エネルギーの源だとか、そんな意味があるそうだよ」
「わ、なんかそれっぽい! 生命エネルギーの源! 設定とも合ってる! それを文字ればいい感じになりそう。プラナ。プラーナー、うーん」
「あっ。ただこの単語なんだけど、スペルが……」
すごい勢いで端末を叩く妹を見て、無粋なことは言わないでおくか、と胸に仕舞った。ちょっとした間違いや勘違いも、いい糧となるだろう。
そこからしばし、その物語についての熱弁を聞いた。
五体ひとつで全てを切り抜けていく、一人の少年の活躍劇。しかしそれは彼を中心に回るだけでなく、異世界で息づく人々の思いも描かれ、相互に組み合うことで紡がれていく。
今回は随分と細かい部分まで考えたようで、素直に関心する部分も多かった。
「なるほど、そんなところまで考えてるんだ。でも、その設定っているのか?」
「いっ、いるの!」
「そ、そうか」
気合の入りっぷりも過去にない。どうにも、設定を考えることに夢中になりすぎている感は否めないが。
「それでね、この物語の核になる人物が八人いるの」
「八人……、大丈夫?」
「多すぎるって言いたいのね兄さん、素人がそんなに風呂敷を広げて大丈夫かって言いたいのね兄さん……!」
「い、いやそういう訳じゃないよ」
「このうちの一人が色々あってかつての仲間との折り合いをつけて戻って、そこで話が折り返すの。コホン。『その物語を紡ぐにして欠かせぬは、八人の勇士たち――』」
付き合ううちいつしか日は落ち、夜になっていた。
そして、耳に届いてくる。
ギシリと、外から響いてくる軋みのような異音。
窓の外に目をやれば、道端で夜空を見上げ、祈りを捧げる者たちの姿。
今日は、『聞こえる日』らしい。
(レンブラント計画の末路、か)
個人的には、わざわざあんなものを眺めようという気にすらならなかった。もはや人の手ではどうにもならないところまできている。なるようにしかならない。
「ねえ兄さん。あの人……は、今日も遅いのかな?」
「みたいだね。そろそろ夕飯にしようか」
「うん」
リビングから一続きになっているキッチンへと移動する。
「……まだ、抵抗があるかい? 父さん、と呼ぶのは。僕のことは兄さん、って呼んでいるのに」
何気なく問うと、
「ち、違うの。私はもともと、一人っ子だったから……『兄さん』はそんなに抵抗がなかったの。でも、父さんはほら、実の……真境名の父さんもいたから……ちょっと違和感があるっていうか。ご、ごめんなさい。すごくよくしてもらってるのに……」
「いや、責めてる訳じゃないよ。無理はしなくていいからね。ただ……月花にそう呼ばれたら、父さんも喜ぶだろうなって思ってさ」
「う、うん」
「早く帰ってきてね父さん、なんて言われたら、きっと仕事を放り投げて帰ってくるよ」
「そ、それはダメでしょ。すっごい大事な仕事してるのにっ」
そして夕飯の席でも、物語の話は続いた。
「でもそれだと、その部分が破綻しないか?」
「あ、そっか……! うあー、矛盾のない設定考えるのって大変……!」
がっくりする月花だったが、目まぐるしく変わるその表情は実に楽しそうだった。
小説など書こうと思ったこともないので分からないが、最初のうちは書き出した数行の間で内容に矛盾が発生するほどだったらしい。
「大丈夫だよ。僕も手伝う」
「え?」
「一緒にやればいいさ。一緒に、世界を作っていこう」
ただ自然と、そんな言葉が零れていた。
この愛すべき妹を。『世界でたった一人』となってしまった彼女を。どこまでも支えていこう、と。
それは、幼い頃に交わした約束だ。
彼女の望みを叶えるためならば、何だってすると。
「に、兄さん……。……えーと、……恥ずかしいんですけど」
「い、いやまぁ。うん。申し訳ない」
ずず、自分の表情を隠すようにスープをすする。
「でも、うん。そうだね」
優しい声だった。
「一緒に世界を作っていこう、兄さん」
飾り気のないその笑顔が素敵で、直視できなかった。
「……そうだ。うん。そういえば、その物語の題名は考えてあったりするのか?」
照れ隠し気味の質問に、彼女は自信たっぷり頷く。
「もちろんよ。この物語の題名はね――――」
深く、青い霧が立ち込める森の中。
「ハッ……ゼェッ……」
手近な幹に寄りかかりつつ、肩で息を整えていた。
(やっぱり……短いインターバルでの『跳躍』は、厳しいものがあるね……。十二月三日というのは、ちょっと早まりすぎたか)
額に浮かぶ珠のような汗を拭い、自嘲する。
『生物』として行き着くところまで行き着いた現在、死すら予感させるのはこの行いに及んだ場合のみだ。
(……はは、懐かしい……夢を)
意識が白んでいた間、随分と昔の光景を見ていた。
一緒に世界を作っていこう。
当時は、思いもしなかった。その言葉が、これほど大きな呪いへと変化するなど。
ともあれ、
(あれは……)
今まさに転移しようというあの瞬間、考えられない現象が起きた。
自分が支配していた制術の場。偶然はありえないはず。
(どうする……? 頃合いを見計らって…………いや、もう……)
慎重を期するべきだ。行動に移す前に、なぜこんなことになったのか調べておくべきだろう。偶然がありえないなら、尚更だ。
そも今回は、あまりに動きすぎた。
それによってオルエッタや流護たちに、自分の存在を匂わせてしまっている。
(やれやれ。もうちょっと大人しく動かないとね……)
と、彼の顔脇に、通信術の波紋が浮かぶ。
ここは原初の溟渤。極めて強力な霊場であるため、通信や索敵などの術は機能しないとされている。が、『彼ら』にしてみればまるで関係のない話だった。
「……はいはい。僕だよ」
『兄さん! 繋がった! 戻ってきたの!?』
響いたのは、心配そうな妹の声。
「ああ。さすがにちょっと、しんどかったけどね……」
『お疲れさま。しばらくはゆっくり休んで。それで、流護くんたちは……?』
「ちゃんと連れ戻したよ。ただ……」
『ただ?』
「……月花。悪いんだけど、ちょっと調べてほしいことがある。あのアクシデントが、これからの展開にどう影響するのかを」
『えっ、なんの話? アクシデントって何よ?』
「ああ、実はね――」
この事態すら、見えざる神が描いた筋書きの通りなのか。
知っておく必要がある。本筋に関係ない、瑣末事なのか。それとも、鍵となる重要なことなのか。
近く訪れる、ヴィントゥラシアを乗り越えるために。
探索を始めて十五分ほどが経過した頃だった。
「お、あれって……?」
なだらかな傾斜になっている林道を進んでいた流護とベルグレッテは、木立の向こうから突き出る巨影を発見した。
「城……、よね?」
「それっぽいよな。俺らが踏み込んだ、あの城か……?」
まだ遠く、はっきりと断定はできない。しかし木々の向こう、青靄の闇夜ににそびえ立つそれは、少なくとも巨樹や崖といった自然の産物ではないように思えた。
自分たちが歩く場所も、その影へ向かって緩やかな斜面となっている。傾斜の終点に鎮座していたあの廃城と同じ地形だ。
「よし、もうちょい近付いてみようぜ」
「ええ」
そうして歩き始め、しばらく経った頃だった。
ガサリと近くの潅木が揺れ、
「っ!」
その相手と流護たちは全く同時に驚き、全く同時に身構える。
まろび出てきたのは、銀色の鎧を纏った一人の若い男性兵士だった。
構えた槍の穂先を下げながら、恐る恐るといったように尋ねてくる。
「……ベルグレッテ殿に……、遊撃兵殿……!?」
幽霊でも見るような目だった。
が、それも致し方ないところだろう。彼にしてみれば、流護たちはあの城の大穴に落ちたきり、十日ほども音沙汰がなかったのだから。
「…………、」
流護は流護で、妙な感覚を味わっていた。
銀の輝きに身を包んだ武装。現代日本からは考えられないような兵士の出で立ちを目の当たりにして、改めてグリムクロウズに『戻ってきた』のだと実感した。
ベルグレッテが一歩進み出て、丁寧に頭を下げる。
「はい。リューゴ・アリウミにベルグレッテ・フィズ・ガーティルードの両名、ただいま戻りました。ご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございません」
「い、いえ、ご無事だったのですね! よかった、大事がなくて何よりです!」
ようやく理解が追いついたのか、兵士の顔が綻んだ――のも束の間、怪訝そうに流護たちの顔を見比べながら問うてくる。
「して……オズーロイはどちらへ?」
遊撃兵と少女騎士は、思わず顔を見合わせた。兵士の言葉の意味が分からなかったからだ。
「オズーロイさんが……って? どうかしたんすか?」
オズーロイ・ゴーダリック。
遠征部隊に抜擢された凄腕正規兵の一人で、ドボービークの群れをまるで寄せつけない剣捌きや、廃墟で倒れていたロック博士を介抱した手際など、頼りになる働きぶりの青年である。
流護とベルグレッテがあの廃墟の大穴に落ちそうになったときにも、冷静に対応しようとしていた。
「え、いえ……オズーロイの奴も、お二人と一緒に穴へ落ちたと聞いておりましたので……」
「え!? オズーロイさんも落ちたんすか!?」
流護とベルグレッテの驚き顔を交互に見やり、若い兵士は表情に落胆の色を滲ませた。
「そうですか、ご存知ありませんでしたか……。ロックウェーブ博士からは、そのように伺っております。お二人もこうしてご無事だったわけですし、ならば奴も……と思いたいところですが」
「……、」
流護とベルグレッテは揃ってうつむいた。
あの大穴でのやり取りを思い出す。何とか自分たちを引き上げようとしてくれたオズーロイだったが、あの後、彼までもが転落してしまったということか。
(でもオズーロイさんは、現代日本には……少なくとも、あの公園には来てなかった……)
あの大穴とそこに渦巻く翠緑の気流、そして転移現象の因果関係も分からない以上、彼がどうなってしまったかなど見当すらつかない。
「ひとまず……お二人のご帰還だけでも、アマンダ殿にお知らせいたしましょう」
「そう、すね」
「はい。お手数おかけします」
そうして流護とベルグレッテは、兵の後に続いて歩き出した。
先ほど発見したそびえ立つ巨影へと近づくにつれ、徐々にその形がはっきりとしてくる。朽ち果てながらも堂々とした威容には、やはり見覚えがあった。
「やっぱ、あの廃墟の城だったか……」
「そうね……」
そんな流護たちの会話を聞いて、先導する兵士が振り返る。
「そういえば……お二人は穴に落ちた後、どのような経緯を辿ってここへ?」
「え? いや、まあ……なんつーか、どっか外に繋がってたみたいで、すごい遠くの方に放り出されちゃって……。よーやっと、こうして戻ってきたって感じで」
「左様でしたか。ともあれ、ご無事で何よりです」
「いえ、心配かけてすんませんでした。……あ、そういや、他の人たちはどうしてるんすか? 例の魂心力の発掘とか?」
「はい。廃城の周囲にキャンプを設営し、結晶化した魂心力の回収作業を進めています。同時に、地下でお二人やオズーロイの捜索を行っています」
「すんません……」
「ごめんなさい……」
少年少女は揃って頭を垂れた。
「いえいえ、そう恐縮なさらずとも」
「いや、何日も空けちゃいましたし……、……?」
そこで、ふと流護の脳裏をよぎる疑問があった。率直に尋ねてみる。
「あの、そういや……あなたは、ここで何してたんですか?」
一行は魂心力の発掘作業中。行方不明となった流護たちの捜索も、城の地下で行われているとこの若い兵は言った。であればその彼自身は、城から離れたこんな場所で一人、何をしていたのか。
「……、いえ、それが……」
どちらかといえば、興味本位の質問だった。が、若い兵は進めていた足すら止めて、深刻そうに眉根を寄せる。
「……なにか、あったのですか?」
ベルグレッテの問いに対し、
「それが……、何と申したらよいか……。……先ほど、『神々の噴嚏』が起きたのはご存知かと思いますが――」
そんな兵士の言葉に、日本帰りの少年少女はまたしてもきょとんとなった。
『神々の噴嚏』。正体不明の大規模な発光現象。一見して雷のように見えるが、音は伴わず、その発光色は青。規則性も見当たらないため、神々の気まぐれな噴嚏、つまりは『くしゃみ』と呼ばれている。が、
「……えーと……、そんなん、ありましたっけ?」
二人は見ていない。かの現象の光量はかなりのもので、おそらくこの森にいても見逃すことはまずありえない。
「なんと……お気付きになりませんでしたか? 相当な規模でしたが」
「どれぐらい前ですか?」
「そうですね……かれこれ、二十分ほど前でしょうか」
懐中時計を確認しながら答える兵士を見て、流護は納得した。
(なるほど。ちょうど俺らが『戻ってくる』直前ぐらいに起きたんだろうな)
であれば、二人が知るはずもない。時間的にも一致している。
「それでですね……、いえ、あれは一体、どういうことなのか……」
若い兵士は説明しようとする素振りを見せるも、深刻な表情で黙りこくってしまった。
「私は……アマンダ殿の指示で、付近に怪しい者の姿がないか見回っていたのです。私だけでなく、他にも廃城の周囲を見回っている兵がおります。その指示もなんと言いますか、やや漠然としたものでして……これも私が説明するより、アマンダ殿からお聞きになった方がよろしいかと。ささ、もうすぐそこです。急ぎましょう」
早足になった彼の背中を横目にしつつ、流護とベルグレッテは顔を見合わせた。
「なにかあった……ことは、間違いないみたいね」
「そうだな……」
この場で話さないあたり、危険がすぐそこまで迫っているといった類のことではないのだろう。何やら説明しあぐねているというか、彼自身かなり困惑しており、その状態から立ち直れていないようにも見て取れた。であれば確かに、帰還の報告を兼ねてアマンダから聞くべきかもしれない。
二人も足を急がせ、先行する兵士の後ろへ続く。
ほどなくして、行く先を阻むように生い茂っていた木々による天然の柵が唐突に開けた。朽ちてなお堂々とそびえ立つ巨大な廃城と、その周囲に点在するテントや馬車が視界に飛び込んでくる。
広場の各所では焚き火が周囲を照らしており、作業中と思わしき大勢の兵士たちが忙しそうに動いていた。
初めてこの場所にたどり着いた夜の、寂しげで静かな雰囲気とはまるで正反対。明るく賑やかな野営地が、流護たちの眼前に広がっている。
茂みから出てきた三人に気付いたのだろう。すぐさま、近くにいた兵らの数人が寄ってきた。
「おっ……おお! 誰かと思えばお二方! ご無事でしたか!」
「うおお、本当か!? こいつはめでてぇ!」
神の思し召しだ、どうして森のほうから、と矢継ぎ早に声をかけられる。
日本帰りの二人が恐縮しつつ頭を下げる横で、ここまで案内してくれた若い兵と寄ってきた年配兵の一人が、ひそやかに会話を交わし始めた。
「いやまさか、ベルグレッテ殿達を見つけてくるとは……お手柄だったな」
「いえ、全くの偶然で……」
「それで……どうだ? 何者かの姿はあったか? ……訊くまでもねえか」
「ええ……、そもそもこの原初の溟渤の奥地に、そのような者がいるとは……」
「だよな……。けど、さっきのみてえに、どっかその辺で同じことが起きたんだろう……って予測なんだろうがなぁ。いやはや、自分の目で見ておきながら、どうにも信じられねぇや」
「状況からして、レフェで起きたという現象と同じ……なんでしょうか……?」
「さてな……」
(レフェ……って言ったか? 何だってんだ……?)
知った単語、なぜか飛び出してきた隣国の名前に、流護は眉をひそめた。
この二人は何の話をしているのか。兵らの関心は、自分たちが見つかったこと以上に、別の何かへと寄せられている。
そう疑問に思った流護の目に、妙な光景が飛び込んできた。というより、辺りを見回していて、たった今気がついた。
「ったく、あいつらまだ騒いでやがんのか。野次馬根性丸出しで恥ずかしい奴らだぜ」
「お前もさっきまで見に行ってただろうに」
近くの兵士たちが目を向ける先。
廃城の周辺に点在しているテントの数々。その中の一つに、異様な人だかりができているのだ。出入り口に銀色の鎧姿がこれでもかと殺到しており、壮年兵の一人が「お前等いい加減持ち場に戻れ!」と声を張り上げているが、まるで効果を挙げていない。
「遊撃兵殿、あそこです」
ここまで連れてきてくれた若い兵が、まさにそのテントを指差す。
「アマンダ殿は、あの中におられるはずです。それに……いえ、きっと、驚かれることと思います」
「……行ってみよう、ベル子」
「ええ」
頷き合い、二人は足早にそのテントへと向かう。と、
「ちょーっと通してくだ……あいたたた、通して……ください、ねぇーっと! ひぃ~」
ひしめく銀色の中から、頼りなさげな白衣姿が飛び出してきた。
「ロック博士!」
「……、え、流護クンに……ベルちゃん!?」
およそ十日ぶりとなる、ロック博士こと岩波輝との再会だった。
「ふ、二人とも無事だったのかい!?」
ずり落ちかけたメガネを直しつつ駆けてくる博士に対し、流護とベルグレッテはそれぞれ頭を下げる。
「まあ、何とか……。心配かけてすんませんでした」
「ご迷惑をおかけしました」
「いやいや、元気そうでよかったよ……。二人が落っこちて、助けようとしたオズーロイ君まで落ちちゃって……あの場所にボク一人で取り残されて、もうどうしたもんかと……」
「やっぱ、オズーロイさんも落ちたんすね……」
「……そうか、彼は……、一緒じゃないんだね。けど二人も無事だったワケだし、きっと……。それでキミたち二人は、あの穴に落ちてから今日まで……どうしてたんだい?」
「……それ、なんすけど……」
早速日本に迷い込んでいたことを報告しようとした流護だったが、
「信じられん。か、神の遣いじゃないのか?」
「ここは原初の溟渤だぞ。得体の知れない何かかもしれん……」
「えぇい、持ち場に戻れと言うに……!」
どうにも、すぐ目の前にある例のテントが騒がしい。帰ってきた流護たちに気付くこともなく、兵らは落ち着かない様子で出入り口に密集している。
「博士、これ……何の騒ぎなんすか?」
「ああ……実はね。三十分ぐらい前のことなんだけど――」
ロック博士から話を聞いた流護は、一も二もなくテントに飛び込んだ。
その異世界にて発揮される怪力で押しのけられた兵士たちが、まとめて一斉によろける。
『ボクとキミ、そして雪崎桜枝里ちゃん……に引き続き、四人目の登場だよ』
何事かと非難がましい目を向けてきた彼らが、失踪していた遊撃兵の帰還に気付いて驚く。
『さっき、ものすごい「神々の噴嚏」が起こったのは知ってると思うけど……それと同時に、突然現れたんだ』
兵士たちが騒ぎ立てるが、流護はそれどころではない。
『ブレザーの制服姿の、長い黒髪のきれいな女の子だよ。城の出入り口前に突然現れたと思ったら、いきなり倒れ込んじゃってね。今もまだ、目を覚まさないんだ』
テントの中で丁重に横たえられた『その人物』の脇には、団を率いるアマンダ・アイードがついていた。さすがの女傑も驚き顔で流護の名を呼ぶが、当の少年はそれすら耳に入らなかった。
『制服姿だから、生徒手帳を見れば名前ぐらいは分かるかなとも思ったんだけど……残念ながら持ってないみたいでね。とりあえず目覚めるのを待って話を聞いてみないと、どこの誰だか分からないけど……間違いない、日本人だよ』
――いや。分かるよ。どこの誰だか俺には分かるんだ、博士。
そんな言葉も、声としては出ない。
テントの中央。敷布の上で眠る、その少女。
紺色のブレザーと、膝丈より上に詰められた同色のボックスプリーツスカート。長くきれいな黒髪は、広がって背に敷かれている。同年代の女子と比較しても整った愛らしい顔は、その寝顔は、この世界の美女たちと比べても決して見劣りなどしない。
「……………………彩花」
有海流護は、目の前で眠る幼なじみの少女の名前を、小さく――ただ小さく、呟いた。
その物語を紡ぐにして欠かせぬは、八人の勇士たち――
奇なる知者は、新たな理にて力なき人々に道を示し
風の寵愛を受けし娘は、その慈しみにて皆を抱き包む
迅雷纏う白夜の騎士は、惑い迷える民を守り導き
白氷の美姫と名高き英雄は、華麗に戦場を舞い踊った
闇に見初められし白き令嬢は、偽りの神へと立ち向かい
赫焉たる炎の牙は、玖尾を揺らす恐るべき黒獣と相対した
そして拓かれし道へ、二人は往く
白銀の翼を託されし少女は、己が呪われた運命へと立ち向かい
至高の拳士は、その命を以って器の役目を果たす
そして、此度の厄災へと――
終天の異世界と拳撃の騎士
第九部及び
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