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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
9. 英雄譚の裏側で
332/671

332. 旅立ち

 靴の紐を結び、荷物をしっかりと担ぎ直す。両膝に力を込めて、ゆっくりと立ち上がる。


「……そんじゃ親父。俺……行くよ」


 振り返った流護は、噛み締めるように告げた。


「ああ」


 いつも通りの声で、見送りに出てきた父が受け答える。

 時間は夜の八時を少し回ったところ。場所は有海家の玄関。これまでコソコソと利用していた、狭い裏口ではない。明かりもつけている。

 もう、人目を気にする必要もない。最後ぐらい、堂々と玄関から出ていきたかった。


「お世話になりました」


 柚から譲り受けたカジュアルな服装のベルグレッテが、ぺこりと頭を下げる。

 今時のギャルみたいな格好に大きなバッグ、果ては布でぐるぐる巻きにした長柄を抱えている――という風体だが、そんなちぐはぐな印象すら、彼女の整った容姿の前では瑣末事に感じられた。


「アホ息子のこと頼むな、ベルグレッテちゃん。また、いつでも遊びに来てくれよ」

「……、はい。お心遣い、痛み入ります。では、失礼いたします」


 彼女はもう一度深く頭を下げ、流護に小さく頷いてから先に玄関を出ていった。

 残った有海親子の間に、しばしの沈黙が舞い降りる。


「……流護。お前、幼稚園の頃に書いた『将来の夢』って覚えてるか」

「は? 何の話だよ……、覚えてる訳ねーだろ、そんなの」

「お前、『おおきくなったらマーシャルンジャーみたいなヒーローになりたい』って書いたんだぜ」

「マーシャルンジャーって……、はは、また懐かしいな」


 今から十年以上も前。当時、日曜の朝に放送していた子供向けの特撮番組である。ありがちな戦隊モノではあったが、ヒーロー側のメンバー全員が多種多様なマーシャルアーツを得意とし、敵もまた意味の分からない宇宙格闘技を得意とする、妙に凝ったアクションシーンがウリの意欲作だった。

 ああいった番組も視聴しなくなって久しいが、今も同じ時間帯に、彼らのような正義のヒーローが地球の平和を守っているのだろう。


「ベルグレッテちゃんからも、色々聞いたよ。お前がいたから、本当に助けられたんだってな。大袈裟じゃなく、命の恩人なんだってよ」


 ふっと口元を緩め、感慨深そうに言う。


「身体の弱ぇモヤシっ子だったお前が……いつの間にか、ガキの頃夢見てたヒーローみてぇに……誰かの助けになってたんだなぁ」

「……、」


 病弱だった幼少時代。少しでも強い身体を作るために、そして幼なじみの少女を護れるように、との思いから始めた空手。

 自分は今、その護りたかったはずの人を置き去りにして、旅立とうとしている。

 本当にそれでいいのか。間違っているのではないか。

 現代日本かグリムクロウズか、どちらか一つしか選べない道。もう何度目の自問だろう。

 彩花を置いて。父親から離れて。平和で満たされた現代の暮らしを捨てて、あの過酷な異世界へ舞い戻る。本当に、それでいいのか。


「迷ってんのか、流護」


 これまで聞いたことがないほど優しい父の声に、


「いや。もう、決めたんだ」


 息子は、はっきりとそう返した。


「ほら、なんつーかさ……向こうも、俺がいないと大変みたいでさ。色んな人に頼りにされててさ。もう……俺がいないと回らない、っつーの?」

「調子に乗ってるフリーターか、お前は」

「ははは。それで……だから……親父とか彩花には、迷惑かけっぱなしで……何も、返せてないんだけど……」


 決めたからといって、すっぱりと割り切れるものではない。

 口ごもる息子に対し、しかし父は見当外れだと笑う。


「お前からの見返りなんて、ハナから期待しちゃいねぇよ。けどまぁ……恩返しをしたいって気持ちがあるなら、その分はお前の力を必要としてる人に使ってやれ。これからも……マーシャルンジャーみてぇにな。そうすりゃお前を育てた俺としても、ちったぁ鼻が高いってもんだ」

「親父……」

「彩花ちゃんも心配いらねぇ。何つってもあの器量よしだ、他の男が放っとかねえよ。そのうち、お前なんぞよりよっぽどいい野郎でも見つけてくっつくだろよ」

「うぐ……」


 彩花に彼氏ができるなど、認めたくない。

 でも、それでいい。

 自分のことを一刻でも早く忘れて、幸せになってほしい。

 それが、有海流護の選択。


「よし。忘れ物はねぇか」

「大丈夫」

「ちゃんとメシ食えよ」

「ああ」

「体調管理はしっかりしろよ」

「うん」

「歯も磨けよ」

「うん」

「外でベルグレッテちゃん待ってんだろ」

「うん」

「それならよ、ほら……ボロボロ泣いてねぇで、早く行ってやれ」

「……、」


 いつの間にか溢れ出していた涙は、止まることなく次々と頬から滴り落ちる。


「……ったく。空手始めてちったぁ強くなったかと思えば、まだまだガキだな……」

「だってさ……、俺さ……! 俺……!」


 戻ることへの迷いはない。

 だけど。

 未練はあるに、決まっている。


 声も視界も、みっともなく歪む。

 生まれ育った現代日本の父や彩花、柚たち。

 グリムクロウズで死線すら共に潜り抜けた、学院の生徒や同僚の兵士たち。

 どちらも大事に決まっている。なのになぜ、どちらか片方だけしか選べないのか。なぜ自分だけが、こんな辛い選択を強いられなければならないのか。

 つい崩れ落ちそうになったその瞬間、父の低い声が耳に届く。


「おら、歯ぁ食いしばれっ」


 言うが早いか。源壱の無骨で太い右手のひらが、流護の頬を強めに張り飛ばす。同時、よろけた息子の身体を支えるように、大きな両手が肩を押さえつけた。


「お前の力を必要としてる人がいるんだろ。お前じゃなきゃ助けられねぇ人がいるんだろ」


 鼻をすする流護の瞳を正面から見据えながら、源壱は諭すように言い連ねる。


「立派なことだぜ。今の時代、そんだけの価値を持った人間がどんだけいるよ。ったく、どいつもこいつも替えのきく社会の歯車ばっかだぜ? 俺も含めてな。胸を張って行け。俺や彩花ちゃんは、別にお前がいなくたって死にやしねぇんだ」

「……親父……泣きながら……言われてもさ……」

「うるせえよ……!」


 額と額が、ごつんとぶつかった。

 そうしていたのも、わずか数秒のこと。

 突き合わせていた額が離れる。温かで力強い……それでいて優しい父親の手が、最後に一度だけ肩を叩いて離れていく。行け、と後押しするかのように。

 時間には限りがある。外で待たせているベルグレッテが誰かに見つかって、面倒事になるような展開も避けたい。


「……親父、ありがとう」


 昼間は照れて口に出せなかった言葉が、すんなりと自然に言えて。

 顔を上げて、目を見て、はっきりと。



「――俺、親父の息子でよかった。行ってきます」



 子は、父に背を向けて。



「おう。行ってこい、自慢のドラ息子」



 父は、歩き出した子を送り出す。


 そうして有海流護は、生まれ育った家を後にした。

 半年前とは違う。今度は、自分自身で決めた意志に従って。






 外へ出ると、カジュアルな服装のベルグレッテが足元に荷物を置いて待っていた。


「い、いきましょうか」


 彼女は赤くなっている両目を逸らし、そう促してくる。


「ベ、ベル子……聞いてたのか?」

「えっ、ええと、その……聞くつもりはなかったんだけど……ごめんなさい……」


 静まり返った夜の団地。さらには、安普請のボロいガラス戸を一枚隔てているだけである。嫌でも耳に入るだろう。


「ま、まあ、別に……いいんだけどさ……」


 流護自身、涙が滲んで声も詰まったままだ。どうせごまかせる状態ではない。

 涙を拭いながら道路に出て、辺りを確認する。やはりこの時間、人の気配はない。

 最後に、自宅を振り返る。父は居間に引っ込んだのだろう、すでに玄関の電気は消えていた。築二十五年。今にも潰れそうな、木造一戸建ての有海邸。


「…………っ」


 また帰りたい。居間のソファでだらだら寝転がって、狭い湯舟で温まって、見慣れた自分の部屋でくつろぎたい。父と馬鹿話で盛り上がりたい。

 その全てを断ち切るように、流護は自分の家に向かって頭を下げた。顔から滴り落ちた雫が、アスファルトに染みを作る。

 たっぷり五秒ほどの『礼』を終えて、


「――行こう、ベル子。待たせた」


 少女騎士へと向き直った少年は、別人のように芯の通った声で告げる。


「ええ。いきましょう」


 それに応える形で、彼女もまた表情を引き締めて頷いた。






 引き戸を開けた源壱は、しばしその場で棒立ちとなりながら居間を眺めていた。

 つい先ほどまで賑やかだった、十畳間のリビング。

 突然消えた息子が戻ってきたと思いきや、すぐにまた旅立っていき訪れた静寂。

 部屋の片隅に置いてあった冗談みたいな武具一式も、きれいさっぱりなくなっている。――まるで流護が戻ってきたこと自体、夢か幻だったかのように。


「……、ッ」


 唐突にいなくなった息子が、どことも知れない場所でありえないような体験をして。そこで得たものを護りたいからと、また旅立つ。


 アホか。そんな話があるわけないだろ。

 そうして出ていく息子を素直に見送れる親なんて、いるわけないだろ。


 だん、と壁に握り拳を打ちつける。振動が伝わり、すぐ脇のガラス戸が耳障りな音を立てて震えた。


「……でもよ」


 食いしばった歯の隙間から、絞り出した声が漏れる。


「……これで……いいんだろ……? 片山十河……」






 現在時刻、夜の八時二十分。指定の時間は九時。目指す笹鶴公園までは、徒歩で十五分ほど。少し早く家を出た二人には、ちょっとした目的があった。


「よし。ベル子は、ここでちょっと待っててくれ」

「ええ」


 そうして荷物を下ろした流護は、暗闇の道端に明々と浮かび上がる平屋の店――つまりコンビニへと向かっていく。

 自宅最寄りではない、少し離れた住宅街近くの店舗。表の大通りは車もバンバン行き交っており、歩道にはわずかながら通行人の姿もある。流護はパーカーのフードを目深に被ろうと摘んだが、しばし逡巡して逆に背中側へと撥ねのけた。コンビニに入るには逆に目立つ。それに、


(誰も気にしやしねえ、ってな)


 失踪から半年。有海流護という高校生の時が止まって半年。

 この現代日本という世界は、目まぐるしく変わっていく。話題の芸人は気がつけば見かけなくなり、流行っていたスラングはいつの間にか誰も使わなくなっている。生き急ぐかのように、皆『次の何か』を求めて進んでいく。

 半年も前にリタイヤしたただの高校生のことなど、頭の片隅にすら残っていない者が大半だろう。そもそも自分には起こり得ない無関係な出来事として、記憶から完全排除されていてもおかしくはない。


(なーんて、ポエムっぽく思ったりしてな……)


 念のため、外から店内を眺める。

 戻ってきてから、最初で最後となるコンビニ。知る顔が立ち読みしていたり働いたりしていないことを確認し、扉を開けた。


「いらっしゃーせー」


 定番の挨拶すら懐かしく思える中、カゴを取って菓子コーナーへと向かう。ずらりと並ぶ多種多様なパッケージを前にして、流護はうーんと唸った。


(さて……ミアの奴は、どんなのなら喜ぶかな)


 そうなのだ。ここへ寄ったのは、ミディール学院で自分たちの帰りを待つ、あの元気娘に土産を買っていくためだった。

 遠征先の特産品をミアに買って帰るという、流護が自らへ課した決まりごと。『帰る』意志を固めた遊撃兵の少年は、今回もこの慣習をしっかりと実行すべく、グリムクロウズでは手に入らない現代日本の品々を買っていくことにしたのだった。


(わさび味とか明太子味みたいのは、避けといた方が無難だろうな……)


 やはりというべきか、ベルグレッテも結局、和風な味つけのものはあまり合わなかった。誰でも知っている有名なおやつのコンソメ味やチョコ、ジュース類、ついでにカップラーメンをカゴに詰め込み、レジへと向かう。どれもこれも、日本人なら一度は口にしたことがあるだろう王道の一品ばかり。現代日本からの土産としては、申し分ないラインナップのはずだ。値段は気にしない。日本の通貨を使うのも、これで最後なのだ。

 バイトの店員が気だるそうに会計する様子を眺めながら、流護はぼんやりとそんなことを考えていた。

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