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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
9. 英雄譚の裏側で
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321. 接触

 グリムクロウズへ戻る。

 一応の決意を固めたとはいえ、それで現状が動く訳ではない。


「うーむ……」


 インターネットの海でどれだけ情報を漁っても、進展はなし。当たり前ではあるが、意図的にグリムクロウズへ渡る方法など、皆目見当もつかないままだった。タスクバーの時計を見れば、すでに夕方の六時になろうとしている。


(なんてこった……。ネットしてるだけで一日終わっちまうじゃねーか……)


 こらいかん、と身体を伸ばし、肩や首をパキパキと鳴らす。

 ちなみにベルグレッテは現在、隣の部屋で干していた衣類を取り込んでいる。洗濯機も問題なく扱えたようで、早くも現代文明になじみ始めている感があった。


(はは。さすがの優等生っつーか……、おっと)


 そろそろ夕食の準備をしつつ風呂でも沸かそうかと思い、椅子から立ち上がる。


(……)


 のんびりネットをして、家事に勤しんで。早くも現代日本の暮らしに違和感なく戻れている己を自覚しながら、風呂場へと向かった。






「どっ……、」


 有海流護は、ただ驚愕に目を見開く。


「どうなってんだ、これ……!?」


 場所は脱衣所。流護が立っているのは、随分と旧式なアナログ式体重計の上。困惑の視線は、その目盛りへと注がれている。

 風呂に火をつけるついで、ふと目に留まった体重計に何気なく乗ってみた流護だったが、予期せぬ異常事態が発生してしまった。


「いやいや、おかしいって」


 体重計の薄板から一旦降り、また乗り直す。


「……、」


 しかし、赤い針が示す結果は依然として同じ。

 正確な身体測定をしたのはこの春が最後だったが、それまでは格闘技を嗜む者の端くれとして、自己スペックはしっかりと管理・把握していた。

 身長は百六十七センチ、体重は七十五キロ。成長期ということもあって、今はそれらの数値を多少は上回っているだろう(特に身長は百七十を超えていてほしい)。

 グリムクロウズでは体重の数値がまるで別物になってしまううえ、そもそも空手から離れたことで正確なスペックを把握する必要性も感じなくなったため、特に測定もしないままだった。

 ともあれ、前回の計測からはたかだか半年程度。無理な増量や減量をした訳でもなし、そこまで急激に変化するものではない――はず、なのだが。


「…………、何だってんだ、これ……」


 体重計の針は――八十九キロを指し示していた。


 身長は(残念ながら)ほとんど変わっていない自覚がある。あの世界で実戦や鍛練を繰り返していたこともあり、全体的な肉づきは確かに厚みを増している。新しい服がすぐにきつくなったり、そういった部分は日々実感していた。しかし、それでも――


「十五キロ近くも増えるわけ、ねーだろ……」


 背が伸びたり太ったりと外見的な変化があったなら、半年ぶりに再会した柚に指摘されているはずだ。


「実はぶっ壊れてるとか……?」


 洗剤セットをどかどかと体重計に乗せてみるが、きちんと内容量に見合った数値が示される。


「まじか……」


 しかし一方で、得心がいった。かすかに切れて痛む唇の端を押さえる。そこにあるのは言わずもがな、昼間のケンカで負った小さな傷だ。グリムクロウズとの感覚の違いから咄嗟に対応できず、相手の拳をまともにもらってしまったのだが――


『な、んだ……こいつ……!?』


『宗教野郎』の驚きに満ちた声と表情が、ひどく印象に残っている。

 直撃を受けたにもかかわらず、全くといっていいほど効かなかったのだ。

 逆に、流護の反撃によって、さほど体格の変わらない二人は面白いように吹き飛んだ。あの異世界でもあるまいに、同じ地球の人類同士、日本人の少年同士――なぜそこまで、圧倒的な力の差が生まれたのか。


 ――その理由として考えられるのが、この体重。


 若者向けのバトルジャンル作品などでは軽視されがちな要素だが、『身体の重さ』というものは強さに直結する。

 その差をある程度技術で補うことも可能な総合格闘技などはともかく、二本の腕、かつ立ち技だけで正面から渡り合うボクシングに至っては、ミニマム級からヘビー級まで十七もの階級に区分けされているのだ。このことからも、体重差の重要性は推し量れよう。

 そも、あれこれ深く考えるまでもない。デカければ当然強いし、重ければやはり強いのだ。

 だからこそフィクションの世界では、意外性を出すために線の細い美少年やらがやたらと強キャラだったりするのかもしれない。実際に格闘技を嗜む身である流護としては、そういった描写には正直苦々しさを感じてしまうこともあるのだが――


(……って、『あっち』に思いっきりいやがるじゃん……。細いくせに俺と正面から張り合ったイケメンホスト野郎が……)


 燃えるような赤髪と紅玉の瞳が特徴的な美青年を思い出し、ついつい顔をしかめる。そうか、だから俺はあいつが気に入らないんだ、と流護は妙なところで納得した。

 それはともかく――


(八十九キロて……もうヘビー級に届くじゃねーか……。この身体のどこに何が詰まってるってんだよ、まじで……)


 筋量の増大だけでは到底説明のつかない、常識の範疇を越えたウェイトアップ。薄気味悪いものを見る目で自分の身体へ視線を落とすが、その要因となりそうなものは見当もつかなかった。

 見た目的には分からないが、他に考えられる可能性としては――


(骨……とか?)


 基礎の骨組みが強靭であれば、その分だけ打たれ強さも増す。

 とはいえ、いくら何でも限度があろう。体重がこれほど増える原因になるはずがない。

 ただ、


(グリムクロウズが原因なのは、間違いねぇんだろうけど……)


 あの世界で絶大な力を振るえたことと何か関係がありそうではあるが、さすがに流護の知識ではどうしてみようもない。ファンタジー世界に要因があるなら、ネットで調べてみても実りはないだろう。

 そんなことを考えていると、台所のほうからピピピピと電子音が鳴り響いてきた。


「おっと」


 夕食の仕込みにキッチンタイマーを使っていたのだ。急かされる形で、流護は足早に風呂場を後にした。






 二階へ続く狭い階段をトントンと上りながら。


「うう……」

「どした、ベル子」


 困ったような声に振り返れば、後ろに続くベルグレッテが渋い面持ちで腹部をさすっていた。


「あれ? も、もしかして、俺の牛丼はイマイチでしたか……?」


 昨日は結局柚の家でご馳走になってしまったため、本来予定していた流護自作の牛丼はつい先ほどお披露目となったのだ。


「あっ、違うの。むしろ逆で、すごくおいしくて……それでこのニホンに来てから、ずっと食べてばかりで動いてないし、そろそろ身体がなまっちゃいそうかな、って……」

「む……そうなんだよな」


 その点は流護も同じだった。

 現代日本へ戻ってきて早三日。人目を気にしていることもあって、全くトレーニングの類をこなせていない。今後どうするにせよ、このままではよろしくないだろう。


「あれだな……後で、ちょっと走りに行ってくるか」


 周囲の視線的な意味でも、変にうろつくよりはジョギングをしていたほうが自然で怪しまれないかもしれない。

 部屋へ戻って流護はパソコンの前に、ベルグレッテはベッドの端にちょこんと腰を落ち着ける。共にそこが定位置となりつつあった。


「うーむ……」


 マウスに触れてスクリーンセーバーを解きながら、流護は苦々しく眉根を寄せた。

 確かに、よろしくない。パソコンの前に座り、一日中画面と睨めっこである。身体的にも精神的にも、いいはずがない。

 第一、どん詰まりだ。これ以上電子ネットワークの海を漂流しても、あの異世界にまつわる情報が得られるとは思えなかった。

 それなら、異世界転移をする直前に歩いていたあの路地をもう一度調べてみるか、自分たちがやってきたあの公園を改めてみたほうがいいような気がしてくる。


「……よし。後でと言わず、今から――」


 立ち上がりかけたところで、電子メールの受信を知らせるポップアップが画面右下に表示された。


「ん……」


 元々、それほどパソコンを活用していた訳ではない。人とメールのやり取りをするようなこともなかった。というより、使う機会が少ないので誰にもアドレスを教えていない。

 来るメールは、プロバイダからの使用料金請求の通知か、アドレスを用いて登録したサイトからの宣伝広告と決まっている。


(ん? 件名も空白だし……知らねえアドレスからだな……)


 一応既読にしておくか、と深く考えずにクリックし、


「――――――――――――は……?」


 有海流護はただ、硬直した。


 たった今、届いたメール。

 そこに記されていた本文。

 短く簡素な、その文章。






『再び異世界へ渡りたくば、十二月三日の午後九時、ベルグレッテと共に笹鶴ささづる公園へ向かえ』






「――――――なん……だ、こりゃ」


 目眩を起こしかけた。

 簡潔極まりない一文。しかしその中に、とてつもない情報が凝縮されている。


「……どうかしたの、リューゴ?」


 ただならぬ様子を察してか、立ち上がったベルグレッテが後ろから覗き込んでくる。


「…………、これ、って……?」


 そして流護ほどではないが、やはり訝しそうに眉をひそめた。


「メール……つって、パソコンでやり取りできる手紙みたいなもんなんだ。で、今……ちょうど誰かから送られてきて、開いてみたら……」


 二人の視線がしばし、その短文へと注がれ続ける。


「誰、が……?」


 呟かれたベルグレッテの一言は、まず最初に抱いて然るべき疑問だろう。


「……いや、名前は書いてない」


 件名もなし、前述の本文のみ。送信者のアドレス――@以降は、誰でも簡単に取得できるフリーメールのものだ。

 ならば、いたずらか。


(いや、それこそありえねえ……)


 この送信者は。

 自分たちのことを知っている。グリムクロウズという異世界のことを知っている。二人がこの現代日本へやってきたことを知っている。それどころか、この日本からあの異世界へ渡る方法すら知っている――と受け取れる。


(いやいやいやいや、何だよそれ……! 何モンなんだよ……!?)


 止まっていた時間が動き出したかのように、今になって驚きと焦りが吹き出してきた。

 特に、流護とベルグレッテがこの現代日本へやってきた経緯については、他の誰も知るはずがないのだ。あの廃城の大穴に落ち、こうしてたどり着いた自分たち以外は。


「ササヅル公園、っていうのは……?」

「……ああ、俺らがこっちの世界に来た時に放り出されてた、あの公園だよ」


 飾り気も何もない、率直な文。

 そのまま素直に解釈するのなら、来月の三日、夜九時にベルグレッテを連れて笹鶴公園へ向かえば、再びグリムクロウズに行ける――ということだ。むしろ、それ以外に曲解しようもない。

 そのこと自体も充分に驚愕すべき内容ではあるが、


「まじで……誰、なんだ……?」


 このメールを送りつけてきたのは、一体何者なのか。


(待て待て、誰とかいう問題じゃねえよこれ。んな奴がいてたまるか! おかしいって、超展開すぎんだろ……!)


 混乱も覚めやらぬまま、返信メール作成の画面を開き、急かされるように文字を打ち込んでいく。


『ちょっと待ってくれ。あんたは誰なんだ?』


 思わず震える指で何度も打ち間違ってタイピングしながら、当然の疑問をしたためた。送信ボタンをグッと押し込めば――


(…………送れた)


 エラーを起こすこともなく、メールは正常に飛んでいった。

 少なくともこのアドレスを使っている誰かは、確かに存在しているということになる。その内容を構成する文字や数字は適当としか思えず、そこから相手を推し量るのは無理そうだった。


(返信は……来ねぇだろうな)


 つい勢い任せで送ってしまったが、望みは薄い。

 説明する気があるのなら、最初から自分の正体や経緯を明かしたうえで、詳しく記して送ってきそうなものだ。


(でも少なくとも、こいつは……)


 グリムクロウズを知っている。それどころか文章に偽りがないのなら、あの異世界へ渡るための方法をも知っている。

 それはどういった方法なのか。時間を指定しているところから考えて、地球とグリムクロウズを繋ぐ門のようなものが開くのか。それともこの人物に、何らかの力が――


 瞬間、流護の思考が空白に染まった。


「…………、神詠術オラクル……?」


 呆然と、呟く。


「……リューゴ? どうしたの? 神詠術オラクルがどうかしたの?」

「いや……。これさ……この文の通りにすれば、グリムクロウズに戻れるってことだよな」

「そういう風に……受け取れるわよね」

「どうやって……どんな方法で戻るんだ? これ……この差出人のコイツが、神詠術オラクルを使うんじゃないのか? そういう、『世界間を渡る』っていう術を」

「……、世界を……?」


 そこでベルグレッテも気付いたようだった。

 グリムクロウズに存在する、魔法めいた不可思議な力。それをもって、そんな奇跡を起こすのではないか。世界や空間を跨ぎ、移動するという行為を可能とする。


「いくらなんでも、それは……」


 ベルグレッテが言葉に詰まる。言いたいことは流護にも分かっていた。

 そんな術、見たことも聞いたこともない。

 今現在、瞬間移動のような系統の術は確認されていない。流護自身、いつも常々思っていたことだ。往復で八時間もかかる学院・王都間を、もっと楽に行き来できればと。任務で赴く街や村へ、もっと簡単に行ければと。


 魔法じみた不可思議な能力が存在する世界ながら、移動手段は馬車を用いた地道なものだ。野盗や怨魔の襲撃に怯えながら、何日、何週間といった時間をかけている。

 それがグリムクロウズの基本スタンダードだというのに、『惑星間の移動が可能』となると、もはや桁違いどころの話ではない。


「それに、仮にそんな術が実在したとして……このチキュウには、魂心力プラルナが存在してないんでしょ? なら、使えるはずがないわ。それだけの規模の術であれば、消費する魂心力プラルナだってとてつもない規模になるはず。……いいえ、やっぱりそんな真似……『ペンタ』ですら可能とは思えない……」

「……、」


 そうなのだ。優秀な詠術士メイジであるベルグレッテでも、この世界では滴る程度の水しか出せなくなっている。仮に惑星をも飛び越えるような術があったとして、この地球上で発動できるとはとても思えない。


「これさ、コイツわざわざ日にち指定してきてるだろ。この日にならないとできない何かがあるとか……。そういう神詠術オラクルってないのか? 日とか場所とか細かい制約があって、それを満たせば発動する的な……」

「うーん……。たしかに、そういった複雑な前提を踏まえたうえで完成する術はあるわ。だけど、あまりにも規模が……」

「やっぱそこがネックか」


 となれば、ますます謎は深まる。


「!?」


 瞬間、流護は椅子からずり落ちそうになった。

 画面の右下に、メールの着信を知らせるポップアップが表示されたのだ。


「お、おいまさか……、っ!」


 慌ててクリックすれば、先ほどのアドレスからのメールが届いていた。


「うっそだろ、返信きた!?」


 慌てて開封すると、先ほどより長い文章が表示された。


『君の疑問はもっともだ。しかし今、私が「自分はこういう者です」と身分を明かしたところで、君達からの信頼が得られるとは思えない。事情を説明し信じてくれと言ったところで、素直に信じられるものでもないはずだ。ゆえに、簡潔に道を示させてもらうのみとした。どうするかは君たち次第。以上熟考の末、判断していただきたい』


「…………いや、この……」


 確かに、正論かもしれない。かもしれないが――


「……ベル子は……これ、どう思う……?」


 ぎこちなく振り返れば、顎の下に指を添えた少女騎士が呟いた。


「……罠、とかかしら……?」


 切った張ったが日常の世界で生きる彼女の意見は、やはりどこまでも悪意に備えた騎士基準だ。


「だって……この人物はなんのために、こんな情報を提供してきたの……?」

「……、確かにな」


 メールの差出人が、グリムクロウズや流護たちの事情を知っていたとして。これを知らせてきた理由は何なのか。流護たちをあの世界へ誘うよう仕向けて、何の得があるのか。その点を問い質してみたところで、この返信ぶりを見る限り上手くはぐらかされてしまいそうな気もする。


(……いや、まじでいきなり何者なんだよ)


 そもそも、流護たちがこの世界にいることをなぜ知っているのか。誰にも見つからないよう隠れ潜んでいるというのに。

 それどころか、ほとんど使っていないメールアドレスすら知られている。


「ん……、」


 ベルグレッテが自分の肩を抱きながら、不安そうな面持ちで部屋中を見回した。


「どうした、ベル子?」

「うん……、優れた遠見の術の使い手は、ちょっとした隙間からでも情景を垣間見ることができる、って聞くから……。この世界にも似たようなことができる人がいて、どこかから見られてたりするのかも……なんて思っちゃって。でも、神詠術オラクルは使えないはずだし……」

「…………、」


 流護がこうして帰ってくるまで、有海家は長らく無人の状態が続いていた。


(事前に忍び込んで、その辺に隠しカメラとか盗聴器を……?)


 いやそれはない、と即座に否定する。二人がこうして現代日本へやってきたのは、全くの偶然のはずなのだ。

 その切っ掛けとなったであろう出来事――あの廃城の地下で、緑の気流が渦巻く大穴に落ちたことからして同じ。誰かによって意図的に突き落とされた訳でもない。不慮の事故で、たまたま落下してしまったのだ。その結果としてここにいる。事前にどうこうなどできるはずもない。

 なら、この現代日本へたどり着いて以降。二人が揃って出かけていたとき――例えば柚の家に招待されていた間――に侵入され、何か仕掛けられただろうか。


(でも、鍵は俺が持ってるし……いや、つか、なんかそういうチャチな話じゃねえ気がする……)


 では、それこそ神詠術オラクルならばどうか。ベルグレッテの言う通り、遠見の術によってこの部屋の様子をリアルタイムで覗いているのか。


神詠術オラクルはこっちじゃ使えねーっての……)


「……、」


 無駄、なのかもしれない。

 こうしてあれこれ詮索すること自体が。

 まるで想像がつかない。

 監視や盗聴、神詠術オラクルだとかそんな次元の問題ではなく、例えばこの相手はまるで神のようにこちらの全てを見通していて――


『魔法みたいな力や、怨魔なんて怪物が存在する世界なんだ。神様だって、実在するかもしれないよ? もしくは――』


『――神と呼んで差し支えない力を持つ、「何か」が』


 あれは『蒼雷鳥の休息(ラプターズレスト)』の頃か。かつてロック博士が呟いていたそんな言葉が、ふと脳裏に甦る。


(……はは。わざわざメールでこんな風に送ってくるあたり、神様にしちゃ地味すぎるわな)


 ふっ、と鼻息が漏れた。

 ともかく、現状では埒が明かない。


「とりあえず、コイツの正体について考えるのは後回しにしよう。で、どうするベル子。……『乗る』か?」


 この、謎の差出人の誘いに。


「……そう、ね」


 ジャージ姿の少女騎士は、任務時と変わらぬ真剣みを帯びた思案顔となる。


「いんたーねっと、でも……進展は、ないのよね……?」

「……ああ。残念だけど正直、これ以上は……」

「……なら」


 自らを鼓舞するように頷き、彼女は断ずる。


「私は、行ってみたいと思う」

「……だよな」


 流護自身、同じ思いだった。

 先ほどベルグレッテが憂慮したように、罠の可能性も否定できない。が、それにしては少々回りくどい。あんな文面だけでは、否応なく警戒のほうが先に立つ。流護やベルグレッテを亡き者にする――もしくは陥れることが目的なら、他にもっと楽な方法がいくらでもあるはずだ。基本的に人目を避けて二人きりでいるのだから、その機会や手段などは山ほど存在するだろう。


「よーっし……十二月三日ってことは、六日後だな……。とにかく行ってみるか、ベル子」


 無論、警戒はする。そのうえで、指定通り向かう。

 ともすれば、このあまりに唐突すぎる新キャラクターの……メールを送りつけてきた人物の正体も判明するかもしれない。


「ガチで向こうに戻れるかどうか……実際に確かめてやろーぜ」


 しかし。

 そんな流護の鼻息荒い提案に対し、


「……う、うん……」


 少女騎士は、なぜか遠慮がちに頷いていた。


「……ベル子?」

「……、それしか手立てがない以上、『私は』もちろん構わないけど……。リューゴは……、それで……」


 居心地の悪そうな表情で彼女はうつむき、しばし逡巡するような沈黙が訪れる。


「……えっと、荷物、しっかり準備しておかなきゃね。革鎧や剣も、手入れしておかないと」


 ぎこちない笑顔を作りながら、そう言った。


「あっ。そろそろ、洗濯物の残りを片づけないと……。ごめんなさい、ちょっと失礼するわね」


 そして思い出したように言い残し、流護の返事を待たず部屋を出ていく。


「…………」


 少年はただ、そんな彼女の背中を無言で見送った。


『……、リューゴは……、それで……』


 つい今ほどの言葉。


 リューゴは、それでいいの?


 きっと、そう続くはずだった言葉。

 ようやく故郷へ帰ってくることができたのに、またグリムクロウズに行ってしまっていいのか。そんな、問いかけの言葉……。


「……いいって……言ってるだろ、だから……」


 小さく、呟いた。

 それはどこか、戸惑う自分自身に言い聞かせるかのように。






「ご利用ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


 店員の挨拶を背に受けながら外へ出ると、冷たい夜の空気に包まれた。

 闇が支配する空にはぶ厚い雲の暗幕が立ち込めていて、輝く星や月の姿は見当たらない。


(せっかくだから、久々にこっちの月も見てみたいところだけど)


 愛する妹の名、その由来となった衛星。幽玄でおぼろげな光を放つ姿『であれば』、確かに彼女の儚い雰囲気と一致する。


「…………」


 しかし一方で、このまま目にしないほうがいいのかもしれないとも考えた。

 在りし日の月は、否が応にもあの過去を……人類の業というものを思い起こさせるからだ。


(レンブラント計画、か。凄まじいことを考えるものだ)


 追い詰められた人間は何でもやる。心の底からそれを思い知った出来事だった。


(……って、それは今の僕たちも一緒なのか。何しろ月どころの騒ぎじゃない。世界や大勢の人を巻き込んで……)


 自嘲しながら商店街の歩道へ出た途端、胸元にどすんと誰かがぶつかってきた。


「ぬわっち!」


 珍妙な悲鳴とともに尻餅をついたのは、紺色の制服に身を包んだ小さな女子学生だった。


「いたたた……」


 解けば結構な長さになりそうな黒髪を頭の両側でおさげに結わえた、童顔の少女。中学生か、高校生なら一年生ぐらいだろうか。随分と寒くなってきた時分だろうに、短めのスカートからは膝や太ももが覗いている。見ているほうが冷えてしまいそうだ。


「ごめん、大丈夫かな?」


 ともかくとして、いきなり店の軒先から飛び出した自分に非がある。謝りながら手を差し伸べると、


「……ッ、……! あ、はい、大丈夫……です」


 一瞬だけキッと睨みつけてきた彼女だったが、すぐに態度を軟化させた。

 おそらくは相手が大人の男、それも外国人だったからだろう。


「よっと」

「あ、す、すみません……!」


 小柄な見た目通りに軽い少女を引き起こすと、彼女は気の毒なほど恐縮してしまった。


「いや、いきなり飛び出した僕が悪かった。ごめんね」


 改めて頭を下げるが、彼女はポカンと呆気に取られたような表情をしている。

 なぜそんな顔を見せるのか、こちらの態度や対応に不自然な部分があっただろうか、と自問する間もなく、


「うわぁー、芹沢せりざわがネカフェから出てきた超絶イケメン外国人とぶつかって運命の出会いを果たしてる……。そして即オチしかけてる……。すげぇ、漫画かよあんた……」


 歩道の片隅。電柱の陰から顔だけ覗かせたメガネに三つ編みの女生徒が、好奇に満ちた視線を送ってきていた。


「ち、違うっての! つかなにその説明口調!」

「家政婦のよーに一部始終を見てしまった……。つか、こんな田舎にもグローバル化? の波が押し寄せてきてんだねー……」

「ちょっと里歩りほ、聞いてるー?」

「でもあれだね。日本に来てちゃんと日本語しゃべってくれる異人さんは、個人的に好印象~」


 友人同士らしき二人のかしましいやり取りで、


(! おっと、そうか)


 遅まきながら理解した。

 この芹沢と呼ばれた少女の、今しがたの驚き顔。外国人にしか見えない自分が、当たり前のように日本語を話したから驚いたのだ。バベルの楔を打ち破って幾星霜、慣れや慢心は恐ろしい。つい先日、あの研究者に「英語は専攻していたか?」などと偉そうに尋ねたばかりだというのに。


「義理の妹が日本人なんだ」

「ふぇっ!? な!? 何がですか!?」


 意気揚々と理由のひとつを明かしてみたが、芹沢なる少女は反射的に飛び跳ねて目を白黒させる。声をかけたことで驚かせてしまったらしい。しかもどうやら内容が伝わっていない。


「あ、あれ……うーん、いや……申し訳ない」

「いえ! な、なんでもなく! 大丈夫! です!」

「グローバルイケメン相手に動揺しまくってる芹沢がおもしろすぎる」

「そっ、そんなんじゃないっての! てかうるさい里歩!」

「ええと、じゃあ僕はこれで……」

「あ、はい! どうもでした!?」


 どうにも噛み合っていない予感を覚え、半ば逃げるようにその場を後にする。


(グローバルイケ……メン……? どういう意味だ? 流行り言葉か? うーん、年頃の女の子は難しいな……)


 常々、乙女心が分かっていない、と妹からも叱られるのだ。


「とにかく乙女な芹沢がおもしろすぎたので、これから彩花にチクる」

「やめれ、電話しまえ! つか、んなこといちいち報告すんなっ」

「いやほら、あの子もずっとあんなだし、たまには笑いを提供しないと」

「それであたしをダシにすんなっ。……てか、彩花もねー……、もうアイツのことなんて、忘れちゃえばいいのにさー……って言っちゃさすがに不謹慎か。でも、こないだだってさ――」


 背中越しに遠ざかっていく少女たちの会話を聞き流しながら、宿泊している施設へ足を向ける。吐いた息がかすかに白く色づいて立ち上っていく。

 ここは田舎町とのことだが、夜の雑踏はそれなりに賑やかに感じられた。


(……と、金曜の夜だからかな)


 先ほどの少女二人のように、談笑しながら行く若者たち。勤め帰りか、正装のまま飲食店へ入っていく大人たち。


(……平和だ)


 生存を懸けた争いや国家の興亡などに巻き込まれることなく、そのような出来事とは無縁なまま、一生を終えていくであろう人々。

 こんな満ち足りた世界に住んでいた彼らを、自分は意図的に巻き込んだ。


「……」


 今さら揺らぐことはない。幾度も繰り返してきたことだ。

 ただ、悪に徹するのみ。

 肝に銘じながら、届くことのない呼びかけを小さく口にした。


「――待っているよ、流護くん」

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