32. 兵の本懐
同じ見習い騎士であるアルマが、隣を歩くプリシラに確認の意味で問いかけてきた。
「そういえばプリシラ。まだ先の話だけど、今年のレヴィン様の公式演舞、予定合いそう?」
「ん? そうだねー、まあ行きたいとは思うんだけど……あんまお金ないし、今年はどうしよっかなって思ってるとこなんだよねえー」
「え、そうなの? こないだジゼルに訊いたら、あの子も都合悪いって言ってたんだよね……」
アルマは人差し指を顎に当て、考え込むような仕草を見せる。
茶色いショートヘアのおさげで地味めな顔立ちの少女だが、自分よりは数段可愛い、とプリシラは思う。
残念ながら、自分はこんな仕草をしても似合わないのだ。
「えー……、ベルグレッテさんはどうするんだろ? さすがにバルクフォルトまで一人で行くのはちょっとなー……」
基本的に仕事熱心で真面目なアルマだが、唯一この催しのときだけは何があろうと休暇を取るのだ。……が、さすがに隣の国まで一人旅となると躊躇してしまうらしい。
「今年はベルも行くか怪しいんじゃないかなー。ふっふっふ」
「え、ベルグレッテさんも? どうして……あ」
アルマも思い当たったようだ。
『竜滅』の勇者様の話は、すでに誰もが知るところとなっている。
「なるほどおー。……ウワサの勇者様か。それにしても素手でファーヴナール倒したって、ほんとなのかな? それこそレヴィン様ならファーヴナールだって倒せるだろうけど、素手って……。プリシラ、見たんでしょ? 勇者様。どんな感じだった?」
「んー、見たけど……あたしより背が小さいぐらいだしねぇ」
「え、ほんとに!?」
正直プリシラとしては、半信半疑だった。
現代に現われた、『竜滅』の勇者。アリウミリューゴ。
確かに服の隙間から覗く腕なんかは異常なまでに太く逞しかったが、そんなことでカテゴリーSの怨魔に勝てれば誰も苦労はしない。
大体、神詠術で戦ってきた人類の歴史を覆すような話だ。
素手では何もできない人間が、身を守るために道具や武器を作り、そういった発明の功績を認められることで、神から神詠術を授かったというのに。
そもそも素手で強かったらもうメチャクチャだ。ある意味、人間の進化を否定している。
ラティアスやクレアリアのような信仰に篤い者は、まず間違いなく彼を快く思っていないだろう。
プリシラとしては、懐疑的ではあるものの、実はむしろ歓迎だ。そんな英雄みたいな存在がいてもいいじゃないか。おとぎ話みたいで面白い。
「でもちょこっと話したけど、いい人だったよ。フツーに、あたしたちと何も変わらない感じ。平民みたいだし。ふふ、もう『リューゴくんとプリシラ』で呼び合う仲だしね!」
「へー……。ど、どう? かっこよかったりする?」
「うんー? どっちかっていうと、カワイイ系かな? あたしより小さいせいかもだけど。でも普通以上かな、個人的には! 悪くはないかな!」
「あはは、プリシラ偉そう。なるほどおー。……ちょっと見てみたいかも」
そんな何気ない雑談を交わしながら、二人は午後からの仕事である街の巡回へ出かけようとしているところだった。
いつもは退屈気味な巡回任務だが、昨日の今日だ。アルマではないが、真面目にこなさないと……。そう考えていたプリシラは、ふと背後に人の気配を感じた。
「おい、お前たち」
かけられた声に、プリシラとアルマは同時に振り返り――びくりと身を竦め、慌てて敬礼の姿勢を取る。一連の動作は、完璧に息が揃っていた。
「は、はいっ! お疲れさまです、ラティアス隊長!」
「お疲れさまです!」
緊張する少女騎士二人を気にも留めず、若き『銀黎部隊』の長は用件を告げる。
「お前たち、これから街の巡回だったな?」
「は、はい、そうです!」
震えた声で返事をするアルマ。
ラティアスは、何でもないことのようにさらりと続けた。
「姫を狙った賊の正体が判明した。『アウズィ』と呼ばれる、南部で売り出していた暗殺者の一団だ。知ってるか?」
「え、えっ……、『アウズィ』ですか……聞いたこと、ありません。勉強不足で、お恥ずかしい限りです。アルマ、知ってる?」
「い、いいえ! 私も……」
見習いのプリシラとて、危険な暗殺組織の名前は騎士の教養として心得ている。
ほとんどゴーストロア化して子供でも知っている『ゲヘナ』や、世界最大規模を誇る組織といわれる『ヒュドラ』など。……まあ、実は研修で聞いて最近知ったのは内緒である。
それにしても、『アウズィ』などという名前は聞いたことがなかった。勉強熱心なアルマでさえ知らないとなると、プリシラが知るはずもない。
「いや、知らんのも無理はない。ここ数年で結成され、南部で粋がっていた田舎者が調子に乗って都会に出てきた……というパターンらしいからな」
「な、なるほどおー。かなりの新鋭、なんですね」
アルマの言葉に、金髪の青年は無言で頷く。
「構成人数は五名。炎使いのみで構成され、南部ではそれなりに売れていたらしいが……」
首を回し、気だるそうにラティアスは続ける。
「さて。この田舎者どもには、『レインディールの姫を狙った』という愚行が何を意味するのか、それをよく知ってもらう必要がある」
言葉に感情はなかったが、見習いの少女二人はごくりと喉を鳴らしていた。
ラティアスが気だるそうに首を回す仕草。これは、彼が不機嫌なときに見せる癖だ。騎士たちの間では有名な話だった。
「『アウズィ』の長は、シヴィームという男だ。東南の国の田舎出身で、痩身禿頭。黒いローブ姿。真昼の街中であっても平気で術を乱射する、気の狂れた屑だ。それでいて、神詠術を軽視し、下らん武術を得手とする背信者でもある。もう、救いようがない」
「そ……それは、街にいたら目立ちそうですね」
アルマが少しずれた相槌を打った。ラティアスの機嫌をさらに損ねたりしないよう必死なのだ。
「ところがこの屑、中々に頭が回る。捕らえた暗殺者どもに『訊いて』みたんだが……自分たちのリーダーがシヴィームであること。それ以外の一切を、知らされていない。依頼人のことも知らんらしい。それどころか、『自分たちが狙ったのは姫じゃない』の一点張りだ。中々に、教育が行き届いている」
「え……」
「終いには、『俺たちが狙ったのはロイヤルガードだ』ときたもんだ。く、はは。つい、笑ってしまったぞ。人間、苦し紛れになると思いもよらんことを言い出すものだな」
そのときのことを思い出したのか、珍しくラティアスが笑い声を漏らした。
「ベルとクレアを……?」
プリシラは違和感を覚えた。
政治的な地位にいるリリアーヌ姫はともかく、貴族とはいえ、ベルグレッテとクレアリアが狙われる理由が思いつかない。仮に地位的な問題だったとして、ロイヤルガードとはいっても、二人はまだ見習いなのだ。
個人的な怨恨にしても、暗殺者を雇って……などと、そこまでする人間がいるのだろうか。
ラティアスの言う通り、苦し紛れにしても『ロイヤルガードを狙った』は厳しい言い訳だと感じてしまう。
「さて……話が逸れてしまったが、これから巡回に出るお前たちには、シヴィームの発見に重点をおいてもらう。兵舎には通達済みだ」
「はっ!」
「了解しました!」
二人は背筋をピンと伸ばし、声を揃えて返事をした。
「不肖アルマ、標的を発見し次第、全力で捕縛にあたります!」
勇ましく声を上げた真面目な少女に、しかしラティアスは、
「駄目だ」
ただ一言そう返していた。
「え……?」
思わずプリシラが声を漏らす。
「お前たちの任務は、飽くまでシヴィームの『発見』だ。奴を見つけ次第、『銀黎部隊』に連絡を入れろ。午後は、ミファエアルトとヤグドの二人が出る」
「お、お言葉ですが隊長。発見しても、連絡している間に逃がしてしまったら……」
アルマが食い下がる。
まだ見習いではあるが、アルマは正義感の強い少女だ。賊を見つけたにもかかわらず、みすみす逃すことはできないと考えているのだろう。
「逃げられたら、それはそれで構わん。シヴィームは……お前達はおろか、手練の正規兵でも危険な相手だ。屑に違いはないが、その実力は本物といっていい。捕縛は、『銀黎部隊』が担当する。それに確か……お前は、通信を得手としていたな? ならば、その能力を存分に活かせ」
「は、はい、り、了解しました! しかし、このアルマ……レインディールのために命を捨てる覚悟は、とうにできております! 有事の際には……!」
半分声を裏返しながら、必死に言い募るアルマ。そんな彼女の肩に、ラティアスはポンと手を置いた。
「気持ちは汲む。だが……お前が命を投げ出した程度で、結果は何も変わらない。ならば……せめて、命を粗末にするな」
そう言い残し、騎士たちの長は去っていった。
「…………うう」
お前が命を懸けたところで無意味だ。言外にそう宣告されたアルマは、涙目になっていた。
「……あ、そっか……」
しかしそこでプリシラは、思い至ったように声を上げる。
「……ほら、こないだ……ロムアルドさんたちが、亡くなっちゃったから……」
「あ……」
ロムアルドは、『銀黎部隊』でこそないものの、腕の立つ兵士だった。
ベルグレッテの兄弟子で、ブリジアやディアレー、ミディール学院周辺の治安を維持するにあたって、大きな貢献を果たしていた人物でもある。
しかし、プリシラは聞いている。学院がドラウトローに襲われた際、北の国境付近にある森へと調査に行き、ファーヴナールにやられてしまったと。生徒たちを学院から逃がす時間稼ぎすらできず、部隊は全滅してしまったと聞いている。
あれほどの人物ですら……言わば、無駄死にをしてしまったのだ。ラティアスがあのように言うのも、無理はないだろう。
「よし……行こう、アルマ。命張って無駄に死ぬより、ちゃんと生きて役に立とうよ、なんてね?」
「……、うん。そうだよね。……よし。行こう、プリシラ!」
二人の騎士見習いは、走り出した。自分にできることをやるために。
「……っ」
それにしても、とプリシラは胸のうちに湧き上がる不安を押さえつける。
ラティアスをして『銀黎部隊』が直々に相手をしなければならないとまで言わしめる、シヴィームという男。それは一体、どれほどの使い手なのか。
不吉な予感を押し殺し、騎士見習いは廊下を駆け抜けた。