318. ひととき
活発で流行りもの好き、追っかけている男性アイドルグループの話をさせたら止まらない。彼氏の影響で始めたゲームにはまり、少しゲーマー寄りになりつつある。SNSで使っている流行り言葉(と彼女は思っているもの)の元ネタなんて知るよしもない。
割とどこにでもいる、ごく一般的な女子高生。
そんな見た目と性格の宮原柚ではあるが、この人物の驚くべき点は『観察眼』だと流護は思っている。
気配り上手、よく気がつく。マネージャーとしては実に有能で、例えば練習中にちょっとしたケガでもしようものなら、隠し通すことは不可能だ。彼女はすぐさま気付き、親身になって適切な処置を施してくれる。
その女子力というか献身的な一面もあって、裏では男子部員からの人気も高い。
「宮原って、アッチの方面でも気持ちのいいツボすぐ把握して、丁寧にご奉仕してくれそう」
「カレシいんだよなー。色々仕込まれてんだろなー。そのテクニックで、俺の使ったことない筆を卸してほしいわ~」
などと先輩が下卑た会話で盛り上がっているのを耳にしたこともある。年上お姉さん系がちょっとだけ好きな流護としても、柚が時折見せる包容力や優しさには少なからずドキリとさせられることがあった。
今、この夕食の場においても、そんな彼女の行き届いた気配りは存分に発揮されている。
「どう、かな? ベルグレッテさん」
「……、これは……ええ、とても……ええ、美味しいです……!」
「よかった~」
うんうんと頷くベルグレッテを見て、柚がホッと胸を撫で下ろす。キャベツやレタスをメインにプチトマトの彩りを加えたサラダと、各自で思い思いに取り分けられるニンニク風味控えめのペペロンチーノ。豚バラ肉の生姜焼きと茶碗に盛った白米、ほかほかと湯気を立てるコンソメスープ。
向こうでも堪能できそうなメニューではあるが、流護としても久方ぶりに味わう、現代日本で提供される手作りの食事。それも気合充分といった丁寧さが感じられる。
「ついでに有海くんは? どう?」
「……ついでっすか……いや、ウマいすよ」
ついで呼ばわりされたので思わずぶっきらぼうに返してしまったが、正直染み渡る心地だった。およそ半年ぶりとなる、真っ当な日本の食事……。涙ぐみそうになってしまったのは内緒である。
何より、いい意味で無難なラインナップなのだ。
例えば、『外国人』であるベルグレッテが食べられない可能性のある、納豆や味噌汁、漬物や刺身といったものは出ていない。何も言っていないのに、箸ではなくフォークを用意してくれている点も抜かりない。
「いずれも絶品ですが……とくにこの……、キラキラしてる……!」
殊更にベルグレッテが関心を示したのは白米だった。グリムクロウズで――レインディール周辺で普及しているのはやや固めの麦飯であるため、米というものは彼女にとって未知の食材となる。
「や、やわらか……おいしい……!」
目を輝かせながら頬張る少女騎士の姿は何とも珍しく、また微笑ましい。
「あははは。こないだ、お父さんが新米いっぱい送ってくれたんだよね。おかわりあるから、いっぱい食べてね」
三人で食卓を囲んでの、賑やかな団欒。
こっちの世界でこんな時間を過ごすのはいつぶりだろう、と流護は自嘲気味に笑う。半年ぶり――、ではない。
グリムクロウズへ渡る遥か以前から、長らくこんな時間は過ごしていない。中学の頃は、『あいつ』が夕食時に押しかけてくることもあったりして――
「へえ……すごいなぁ。お姫様の護衛、って。なんかゲームみたい」
かなり噛み砕いたグリムクロウズでの出来事を聞いて、柚が相槌を打つ。
あの世界を語るうえで欠かすことのできない神詠術や怨魔といった存在を省いての説明は、やはり違和感を隠しきれないほどに齟齬や粗が目立つ。それでも気配り上手な先輩マネージャーは、流護やベルグレッテのたどたどしい話を頷きながら聞いてくれた。数えきれないほど存在するだろうおかしな点を、あえて指摘することもなく。
(……ほんと、この人は)
……あの頃と、同じ。
桐畑良造に敗北し、自暴自棄になって、部活にも顔を出さなくなって――それでも当たり前のように変わらず接してくれた、何も訊かずにいてくれた、あの時と同じ。
(すみません、先輩……)
気遣いがありがたいと同時に、申し訳なかった。
「……げえっ」
食事後のまったりした時間を過ごすことしばらく。
ふと壁かけのアナログ時計を見上げた柚が、女子からぬ潰れた声を漏らす。短針と長針が協力して、逆L字を描こうとしているところだった。明日も平日、学校がある。一人暮らしの柚としては、ここから後片付けやら家事やら明日の準備やらと雑事をこなしていれば、すぐ日付が変わってしまうはずだ。
「……先輩。それじゃ俺ら、そろそろ……」
「あ、う、うん」
帰る意思を伝えると、柚も渋々といった体で頷く。
何がどうなって、失踪に繋がったのか。レインディール王国などという聞いたこともない国が、どこにあるのか。本当に彼女が知りたいだろう情報を、何も伝えられないまま。
「……なんか……すいません」
「なーに謝ってんだか、もう」
名残惜しくも立ち上がり、移動する。玄関口まで見送りにきてくれた柚に対し、まずベルグレッテが丁寧に頭を下げた。
「ユズさん、本当にお世話になりました。心より御礼申し上げます。衣服をいただいたばかりか、食事までご馳走になってしまって……」
「い、いやいや! そんな大げさに感謝されるほどのものでは!」
「でもまじ、色々ありがとうございました。特に服なんか、俺じゃどーしょもなかったし……」
そんな会話もそこそこに、流護とベルグレッテは最後に一礼して歩き出す。
「……有海くん!」
その背中に、やや遠慮がちな声が投げかけられた。
振り返れば、泣きそうな顔の柚が佇んでいる。
「あの……さ、学校……は? また、来る……んだよね?」
「――――」
踏み込んだ問いがやってきた。
「こうして戻ってこれたんだし、その……また、部活も……」
がしがしと頭を掻いて、流護は視線を逸らしながら答える。
「……はは。俺って、まだ学校に籍あるんすかね? もう退学とかになってんじゃ――」
「籍、あるよ」
「え」
「有海くんは、うちの生徒のままだよ」
これ以上ない真剣な瞳で断言され、少年は返す言葉に詰まった。
「そ、そう、なんすか……。まあ、その辺りは色々と……親父が戻ってきてから、ですかね。まず親父にガッチリ怒られて、それから警察も行かなきゃだろうし……」
「……そっ、か」
「えーと、だからすみませんけど、それまで俺のことは誰にも……」
「……うん、分かってる」
「じゃ、失礼しま」
「あ、そうだ! 携帯! 今、持ってないんだったよね。なにかあったら連絡するかもだから、ちゃんと電源入れて持ち歩いとくよーにっ!」
「あ、はい。そう、すね」
「よろしい。では解散!」
「はは……失礼します」
少しだけ、後ろ髪を引かれる思いで。
古ぼけた小さなアパートを、後にした。
月の出ていない静かな夜道を、ベルグレッテと二人で行く。
「う、うーん」
ファンタジー世界の少女騎士としては、やはり現代日本の衣服に慣れないようだ。歩きながら、しきりに自分のカジュアルな格好を見下ろしている。
ちなみに、着ていたジャージを持って帰るためのバッグまでお古で譲り受けてしまった。もはや頭が上がらない。
「はは、やっぱ違和感あるか?」
「咄嗟のときに、少し動きづらいかも……」
デニムのミニスカートから延びる細脚で――編み上げブーツの先端で地面をコンコンとつつきながら、そんなことを言う。騎士たるこの少女にとって『動きづらい』とは、即ち『闘いづらい』ということである。
「ベル子の言う『咄嗟のとき』なんて、基本まずないからな……。つか、ありがとな。ベル子」
「? なにが?」
「いや、口裏合わせてくれて。何かさ、ベル子の……誇りとか、そういうのを傷つけちゃったんじゃないかって思って」
「あ、うん……気にしないで。さすがにもう、私も……『分かってる』つもり」
「分かってる?」
「ん。ここが……私の知るグリムクロウズとは、まったくかけ離れた世界だってこと」
その異世界の夜神たるイシュ・マーニが不在の星空を見上げ、寂しげな口調で。
「それにしてもリューゴ……」
「ん?」
「あんまり友達がいなかった、なんて前に言ってたけど……素敵な先輩がいるのね」
「え? おっ? な、何だよ~。もしかして、妬いてくれちゃってんのか?」
「そ、そんなんじゃないってば……!」
「はは……いやでも親しかったのなんてほんと、今の宮原先輩と、後は同じクラスの男子数人ぐらいで……」
――咄嗟に思い浮かんだ幼なじみの少女の顔は、胸の奥底に封じ込めつつ。
「そっか……」
視線を落としたベルグレッテが、どこか寂しげな溜息混じりに呟く。
「ベル子?」
「あ、ううん。私にとっての先輩……アマンダやオルエッタ……それに調査隊のみんなは、今頃どうしてるのかな、って……」
「……、」
生真面目な彼女らしい。この世界でどれだけ平和な時を過ごしても――あるいはそれゆえに尚更、過酷な世界で生きる仲間たちのことが気にかかる。
「あれからもうすぐ二日……か。まあ今頃は間違いなく、結晶化した魂心力の採掘作業の真っ最中なんだろうけど……」
アルディア王の悲願とでもいうべき、重要な任務だったのだ。乱暴な言い方をしてしまえば、今さら隊員が二人欠けた程度で中断されてしまうようなものではありえない。転落し行方不明となった流護たちを一応は捜しながらも、魂心力の回収作業を進めている……といったところだろう。
「……寒くなってきたな。早めに帰ろうぜ」
「……うん」
少し早足になり、二人は家路を急ぐのだった。




