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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
9. 英雄譚の裏側で
317/669

317. 先輩

「はっ!?」


 雷に打たれたようにハッとした宮原柚みやはらゆずは、


「たっ、わたっ……た、わ、」


 意味不明な言葉を垂れ流しながら屈み込んで、落としたスポーツバッグをまさぐった。


「あ、わ、わわっ」


 そうして、それを取り出す。流護の持っているものとは操作方法からして違う、限りなくスマートな最先端の携帯電話を。


「まま、待った! 先輩待った! 何しようとしてんすか! 何でいきなり電話出してんすか!」

「ひっ」


 流護が思わず飛びかかる形でその細腕を掴めば、柚は怯えたようにビクリとその動きを止めた。


「おわ、脅かしてすんません……! ただ先輩、ちょっと待って……落ち着いて……おち、落ち着いて……ください」

「やっぱり……有海くん、なんだよね……?」

「は、はい」


 思わず至近距離で見つめ合う。明らかに両者ともが落ち着けていない。


「リューゴ……?」


 そこで全く状況が理解できていないであろうベルグレッテが、訝しげに少年を呼ぶ。反応したのは柚のほうだった。


「そ、そう、誰!? このキャラクリで一日かけて理想のパーツだけ組み合わせて作った最高のアバターみたいの誰よ!? なんで有海くんのジャージ着てんの!? ってか日本人じゃないよね!?」

「せ、先輩静かに……! つか何言ってんのか全然分かんねーし!」

「だ、だって有海くん、きみっ……」

「先輩、ちょっとこっち……!」


 半ば強引に、脇道の暗い路地へと引っ張っていく。


「な、なにっ、だめ、だよ……? わたし、彼氏いるしっ……」

「ボケる余裕あるんすね、いいからちょっと静かに話聞いてください……!」


 そうは言ったものの、続く言葉が出なかった。何をどう、どこから説明すべきか。真実を話したところで、到底信じてもらえるとは思えない。


「……、」


 時間にして十秒ほどではあったが、無言であれこれと考えあぐねた結果、


「あの、色々……その、すんません……」


 流護の口からは、そんな謝罪の言葉が漏れていた。

 ようやく落ち着いてきたのか、柚が大きな溜息を吐き出す。


「……とにかく……無事だったんだね。よかった。みんな、心配してたよ。もちろん、わたしも」


 飾り気のないそんな言葉が、少年の胸に滲みた。


「今まで……どうしてたの?」

「えーと……」


 当然、真っ先に飛んできて然るべき質問だろう。

 しかし流護としては、どう話すかも問題ではあったが、それ以上にこの場所も難があった。すっかり暗くなったとはいえ、繁華街から少し外れた程度の狭い路上。これ以上誰かに――特に知人や警察などに見つかり、面倒なことになってしまうのだけは避けたい。

 宮原柚は、気がきくと評判の敏腕マネージャーである。後輩の気まずそうな態度から、察する部分があったのだろう。


「……じゃさ、今からわたしの部屋に来て。もう、すぐそこだから。一分で着く。ウチで詳しい話、聞かせて」

「え、いや、でも」

「もう、放っとけるワケないでしょ!? 来ないってなら、今すぐメッセ流すからね! 有海流護が戻ってきたああああ! って」

「えぇ!?」

「有海くんも知ってるでしょ。わたし、アパートに一人暮らしだから大丈夫。ほら、行くよっ」


 手招きしながら、有無を言わさず歩き出してしまう。


「ちょ、先輩……」


 どちらにせよ、柚を見過ごすことはできなくなってしまった。ここで放置し、本当に誰かに連絡でもされては困る。


「……あーもう、仕方ねぇ。ベル子、とりあえずあの人について行こう」

「リューゴ……、なにが、どうなってるの? あの人は……あなたの知り合い、なのよね?」

「ああ。すまん、詳しいことは後でちゃんと説明する。とにかく危険とかはないから、まずはついて行こう。そんでさ、ベル子……悪いんだけど、ちょっと口裏を合わせてほしいんだ」

「……?」


 二人は会話を交わしながらも小走り気味に、先行する女子高生の後を追った。






 柚の言葉に偽りはなく、彼女が住んでいるというアパートは目と鼻の先にあった。追いつくとほぼ同時に到着する。一人暮らしだと聞いてはいたが、こうして訪問したのはこれが初めてだった。

 古びた三階建ての建物。赤茶けて錆びた鉄柵や黒ずんだ壁が、並ならぬ年季を感じさせた。

 これほど近場にこんなアパートがあったのか、と見上げる流護をよそに、一階の中ほどにあるドアの前で振り返った柚が手招きをする。


「ここがわたしの部屋ー」

「あ、はい」


 柚は慣れた手つきで鍵を回し、軋むドアを開け放つ。


「入って入って。どうぞ」


 流護としてはベルグレッテやミアの部屋でも経験したことだったが、女子の私室というものは、入った瞬間に明らかな違いを感じる。ほのかに漂う甘い香りと言葉にしがたい緊張感。思春期の少年としては、どうしても色々と意識してしまい、慣れることができない。


「そ……そんじゃ、お邪魔、しまっす」

「お邪魔します……」


 ベルグレッテもしっかりと玄関でブーツを脱ぎ、靴下でふかふかのマットを踏む。入ってすぐ、一枚しかない引き戸が開けられれば、建物の朽ちた外観からは想像できないほど小綺麗な部屋が広がっていた。壁には男性アイドルのポスターやカレンダー。ファンシーなクッションが多く転がっていながらも散らかった印象はなく、しっかり者たる柚の性格がよく表れた私室といえる。


「適当に座って。有海くんはウーロン茶でいい?」


 ピンクのシーツで整えられたベッドへとバッグを放り投げ、さも当たり前のように尋ねてきた。


「あ、はあ。いや、お構いなく……」

「いいからいいから。で、こっちのかたは……」


 部屋の入り口で立つベルグレッテと真っ向から視線を合わせた柚は、気圧されたようにうっと怯んでしまった。


「ドゥ、ドゥーユーライク、……えっと……その……どんな、ドリ、ンク……?」

「せ、先輩。日本語で大丈夫っす……! つか何語だそれ……」

「え、ほんとに!?」

「今さっき、日本語でお邪魔しますって言ってましたよ……」

「まじで? えっと……あなた、どんな、お飲み物が、ライク、デスカー……?」


 流護の助言により却って中途半端となった謎の言語が、容赦なくベルグレッテを襲う。当の少女騎士はやや困惑しながらも、しかし彼女らしいというべきか、生真面目に受け答えた。


「飲み物、ですか? 私は紅茶が好きで、よく嗜みますが……」

「!? た、たしなみますか!? そうですか! ど、どうしよう有海くん、ウチ、英国王室御用達みたいな高級ブランド紅茶とかないよ……!?」

「いや、インスタントで全然大丈夫なんで……つか、そんな気ぃ使わなくていいんで……」

「い、いいから! ちょっとそこに座ってプリーズウェイト!」


 柚は言語機能に異常をきたしたまま、奥の引き戸を開けてその向こう側へと慌しく消えていく。そちらに台所があるようだ。ゴン! いたっ! という音声が聞こえてきたあたり、ひどく動揺していることが窺える。


「はー……、しょーがねーな、もう……」


 観念して部屋の中央に鎮座する洒落たテーブルの前にどっかと腰を下ろす流護だったが、


「……ベル子?」


 一方で傍らにやってきた少女騎士は、佇んだまま座る気配を見せない。


「……リューゴ。彼女は……」


 柚の消えていった引き戸を見つめるベルグレッテの声は、やや固い。立ち姿にも隙がなく、不測の事態が起きたなら即座に対応しそうな気配すら漂わせている。それで、流護は全てを察した。


「……ベル子、大丈夫だ。さっき変なこと頼んじまったけど、あの人に危険は一切ねえ、俺が保証する。あの人は宮原柚って名前で、俺が通ってた学校の先輩なんだ。戦う力もない、ほんっとに普通の一般人……グリムクロウズでいう平民だから、警戒しなくていい」

「……ん。リューゴが、そこまで言うなら……」


 そうしてようやくといった風に、ベルグレッテが腰を下ろす。彼女にしてみれば、『訳も分からないまま、誰だかも分からない者の家に招き入れられてしまった』としか言いようのない状況だ。まして今は帯剣しておらず、神詠術オラクルも使えない。油断すれば命が消える世界からやってきた騎士として、当然の反応だったといえよう。


「ふう……」


 ぐるりと部屋全体を見渡す。

 女の子女の子した調度品や床に放置されたファッション雑誌がいかにも『らしい』ところではあるが、割とゲームをやり込んだりする一面もあるとかで、何らかのタイトルの設定資料集らしきものも積まれている。


「ほーい、おまたせーいたしましたぁ」


 飲み物の乗った盆を片手にした柚が、もう片方の手で引き戸を開けながら登場した。


「はい、どうぞ」

「あ、すんません。そんじゃ、いただきます……」


 よく冷えた烏龍茶を手に取ると同時、ベルグレッテと視線が合う。流護が小さく頷けば、


「お気遣い感謝いたします。ありがたくいただきます」


 少女騎士は丁寧に紅茶を受け取り、


「あっはい! いやほんとただのティーバッグですみませんが……!」


 柚がやたらと恐縮した。

 それぞれ一口含んで唇を湿し、無言の間が訪れる。

 汗をかきはじめた烏龍茶のグラスを眺めながら、そろそろ切り出さなきゃな、と流護は覚悟を決めた。


「……宮原先輩。俺が、その……んー……、例えば。例えばの話なんですけど」


 それでもやはり、躊躇が生まれてしまう。


「ん、なに?」


 マネージャーの声と眼差しは優しい。どんな話だろうと、真面目に聞き入れようとしている。その心遣いが流護にもありありと分かった。

 しかし、それでも――


「俺が……いきなり遠い外国に行く羽目になって、そこで色々あって……連絡も取れないような状況になって、ずっとその国で過ごして……。そんでもやっと、何とか帰ってくることができた……って言ったら、信じてくれますか?」


 それでも到底、本当のことなど話せるものではない。だから最低限、『こちら』でも通用しそうな言い回しに変えた。これですら、一笑に付されて当然の内容といえるだろう。――が。


「うー……え? ……いや、その……うーん……」


 柚の視線が、遠慮がちにベルグレッテへと注がれる。

 そう。本来ならどうしようもない与太話で終わるはずのこの告白は、それでも少女騎士がいることによって妙な現実味を帯びるのだ。その外国とやらで知り合ったと思わしき彼女。突飛極まりない流護の独白と、しかしそれを裏付けるかのようなベルグレッテの存在。何か、妙なことが起きたのは事実だと。

 となればやはり、柚の矛先は彼女へと向く。


「え、えぇーと……まだお名前、聞いてませんでしたよね……?」

「申し遅れました。私は、ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードと申します。リューゴ氏とは、知り合ってまだ日も浅いのですが……私自身や友人たちも含め、大いに助けられております」


 おっかなびっくりな日本の女子高生とは違い、異世界からの客人は堂々とした態度で言葉を紡いだ。


「はっ、はぁ……。そ、そうなんですか。わ、わたしは、宮原……ユズ・ミヤハラっていいます。その、に、日本語、お上手なんですねー……、は、ははは」

「……、いえ。ありがとうございます」


(……、ベル子……)


 流護は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 ベルグレッテはレインディール王国の騎士見習いであり、また当人もその事実をこの上なく誇りに思っている。そしてその肩書きを知れば、国民たちは彼女を畏れ敬う。

 しかし今、ベルグレッテは『名乗らなかった』。

 レインディールという国名も、騎士という肩書きも。

 そして、

『その、に、日本語、お上手なんですねー……』

 柚のこの発言に対し、何も問い返さなかった。

 ベルグレッテが礼を述べる前、わずかな空白があった。間違いなく、彼女は思ったはず。

「自分が使っているのはイリスタニア語だ」、と。

 しかしその内面を表に出さず、違和感を抱かれないよう飲み込んだ。


 流護としてはレインディールで半年を過ごして実感したことだったが、かの国の者たちは極めて愛国心が強い。アルディアという国王を心の底から尊敬し、自らがレインディール人であることを至上の誇りと考えている。

 ベルグレッテも決して例外ではない。だからこそ、本来ならばありえないことなのだ。

 彼女が自己紹介に際し、国名や身分を明かさなかったという事実は。


 これが――このアパートへやってくる直前、少女騎士に頼み込んだ『口裏合わせ』。


(……、)


 そういった部分を把握し受け入れるベルグレッテの理解力や度量の大きさは、あの世界の住人の中でも屈指といえるだろう。


「んー……でも有海くんさ、そんな……うーん、でも……」


 ベルグレッテの助け舟もあり、柚は流護の告白に信憑性を感じ始めたようだった。しかし真っ当な日本人の感性からすれば、やはり疑わしい話であることに変わりはない。やや言いづらそうな追及が続く。


「でもやっぱり……学校にも、家族にも言わないでいなくなっちゃう、なんてこと……しかも外国、でしょ……?」

「……俺自身、いきなりでびっくりしたんすけど……なんつーか、ほんと、色々あって……」


 弁明するに当たり、特にこの部分がネックだった。

 日本は四方を海に囲まれた島国であるため、とにかく「外国に行った」という主張にはどうしても無理が出てしまう。飛行機や船で海を渡ったことが前提となり、しかも流護のような高校生が密かに、となればより真実味が薄れる。


「う、うーん」


 柚も追及しにくそうに唸り、またも水を打ったような静けさが部屋を支配した。


「……、」


 流護の中に、釈然としない気持ちが渦巻く。 


「えと……あれだ、そもそも有海くん、どこの国にいたの? ベルグレッテさん……でしたよね。どちらの国の方なんですか?」


 その質問を受け、流護とベルグレッテは顔を見合わせた。うんと一つ頷き、


「レインディール王国です」


 言ってのけたのは、ベルグレッテ――でなく、流護だった。


「え、どこ……?」

「リューゴ……?」


 少女二人がそれぞれ戸惑った表情で流護を見つめる。


「人口は三十二万人。気候は温暖で過ごしやすくて、自然がきれいで、食べ物も旨くて……日本に比べればちょっと治安が悪かったりもするんすけど、過ごしやすい国っすよ」

「……えっと、聞いたことないんだけど……どの辺りにある国なの?」

「あー……北、かな……。俺は地理とかからっきしなんで、あんま詳しくは分かってないんすけど」


 あるいは南かもしれないし、西や東かもしれない。『日本から見て』ではなく、『地球の位置から考えて』であることはさすがに言えなかったが。


「このベルグレッテなんて、その国の貴族のお嬢様なんすよ」

「え、えぇ!? ま、まあ確かに、雰囲気からして普通の人じゃないよなー、とは思ってたんだけど……」

「ちょ、ちょっとリューゴ……」


 愚策だったのかもしれない。

 例えばこの後、柚がレインディール王国という名前をネットで調べたりした場合――何も出てこなければ、不審に思ってしまうだろう。


 それでも、流護はもう嫌だったのだ。

 柚に嘘をつかなければならないことが。ベルグレッテの素性を大っぴらにできないことが。誰も悪くない、どちらにも非などないというのに、どうしてこう顔色を窺うような――探り合うようなやり取りをしなければならないのか。

 だからせめて、話せることであれば正直に話してしまいたかった。


「で、でもま、とにかくさ。有海くんもこうやって戻ってこれたわけだし……あ、いつ帰ってきたの?」

「ほんの昨日っす。何となく察してたと思いますけど……帰ってきたこと、まだ誰にも話してないんすよ。事情が事情だし、いざ帰ってきたら親父も留守だったし……周りに知られたら色々面倒になりそうだし。だから家で大人しくしてたんすけど、篭もりっきりなのもアレなんでベルグレッテの街案内ついでで散歩に出たら、こうして先輩に見つかっちゃって。つか、何で俺に気付いたんすか? フード被ってたのに」

「いやぁー。なんか向かいからすっごい美人さんが歩いてくるなーと思って。うわすごいどこの国の人だろ、なんでジャージ着てんだろ、って思ってよく見たら、『有海』って名前書いてあるじゃん。え!? って思って隣歩いてる人見たらなんか見覚えのある男子で、そこでまたええっ!? て……」


 ……何という迂闊さか。わざわざ自分から名前を誇示しながら歩いていたことになる。まさに頭隠して尻を……いや、(ベルグレッテの)胸を隠さずか。


「もしかしてベルグレッテさん、着る服持ってきてないの?」

「ええ、まあ……平服は持ち合わせがなくて……」


 緑ジャージの少女騎士が曖昧に頷けば、柚はテーブルをバンと叩きながら勢いよく立ち上がった。


「っとにもー、有海くんってば甲斐性なしなんだから!」

「え、俺!?」

「こんなどんなカッコさせても様になるコにジャージ着せて連れ回すとか、そんなんじゃダメだよー?」

「いや、え……なんかすんません……」

「よーしっ」


 熟練の職人のように大きく頷いた柚は、


「有海くん、ゲラウトヒア」


 しっしっと手を振り、追い払う仕草を見せる。


「これからベルグレッテさんをコーディネートする。だからキミは、ちょっと部屋の外に出てるよーに」

「ちょ、え、まじすか」

「ほらほら、出てった出てった」


 あれよあれよという間に、背中を押され部屋から閉め出されてしまった。代わりに、ひんやりした玄関の空気と薄暗さが流護を迎える。


「うーん、見れば見るほど理想のアバターだわ……。何このすっごいキレイな髪……やばくない? 青系とか似合いそうだけど、単色だけじゃ面白みがないしー、さてさて」

「ええと……ユズ、さん? なにを……」

「つか何なの、この胸は……。わたしの手持ちじゃ、着せられる服かなり限定されちゃうんですけど」

「あの……」

「ほらベルグレッテさん、そんな野暮ったいジャージなんて脱いだ脱いだ!」

「ちょっ……!」

「ほっそ! ちょっといくらなんでも細すぎない? ちゃんと食べてる? わ、でもなんか引き締まってすごい筋肉が……。ってなんなのこの一片の汚れなき瑞々しい肌……! 何この……何!? やだわたしそっちのケないのに」

「く、くすぐったいです」

「おおわ、ごめんなさいね。やべえわ、わたしの中で変な塔が立ちそう」


 ……引き戸の曇りガラスに、女子二名がくんずほぐれつとなっているシルエットが浮かび上がる。


「ゲフ、ゲフン」


 流護は素早い回れ右で戸に背を向け、休めの姿勢を取った。


「ベルグレッテさんは歳いくつなんです?」

「年齢ですか? 十五ですが……」

「えっ、年下!? てか有海くんとタメなんだ。はー、やっぱ外国の人は大人びて見えるなー。こう見えてわたしは十七なんだけど」

「そう、なんですか」

「あ、ここちょっと押さえて? うん、そうそう」


 他愛ない会話を挟みつつも、ベルグレッテ着せ替え計画は着々と進行していく。


「ベルグレッテさんは学生なの?」

「はい。故郷の……ミディール学院に在籍しています」

「学院ときたかー。なんだかすごそう……あ、ここ持ってみて。うん、イイヨイイヨー」


(……、)


 流護は内心で申し訳ない気持ちになった。

 疑わしく思っていないはずがない。あまりに拙く無理がある流護の説明で、柚が納得したはずはない。それでも深く追及せず、努めて明るく振る舞ってくれている。


(……すんません、先輩)


 よく気がつくマネージャーに、後輩の少年は心の中で謝罪した。

 当たり障りのない会話を聞きながら、待つこと五分ほど。


「よし、こんなとこでしょ。うむ、うむうむ。有海くん、入ってよいよー」

「ういっす……」


 ようやく入室許可が下り、ガラガラと戸を開け放って――


「……、!」


 思わず硬直した。

 今まで見たことのない少女騎士――否、『少女』の姿がそこにあった。

 ダークブラウンのジャケットと、胸部の膨らみが強調された無地の白インナー。細く白い生脚はデニムのミニスカートからスラリと伸びており、脛から下はグレーのクルーソックスに包まれている。

 ベルグレッテという少女騎士からはあまりに縁遠いはずの、派手で小洒落た日本の若者の服装。しかし似合っていないかといえばそんなことは決してなく、誂えたようにその格好が様になっている。


「へ、変じゃない……?」


 落ち着かなそうに身体をもじもじさせるベルグレッテに対し、


「い、いや。別に変じゃないぞ」


 そう返すのがやっとな思春期の少年だった。


「もー、有海くんはー。そこは似合ってるよ、とか可愛いよ、とか言ってあげるとこでしょーがっ」


 柚は不甲斐ない後輩にダメ出ししつつ、「あ、そうだ」と思い出したみたいに少女騎士(現代風)へ向き直った。


「ベルグレッテさん。その服あげるから、そのまま着て帰っていいからね」


 あまりにもあっさりと言われ、流護とベルグレッテの「!?」が同期した。


「いえ、ですが、そんな……」

「まあ人のお古はイヤかもだし、無理にとは言えないんだけど……」

「いえ、そのようなことはございません。ですが、無償でいただいて帰るなどということは……」

「いいのいいの。もうわたしじゃキツくて、着れなくなっちゃってたやつだから。捨てるのもアレだしな~なんて思って仕舞ってたけど、着れる人に着てもらえるならそっちのがいいし」

「先輩、着れなくなったって何で……、あ、太っ」

「あーりうーみくーん??」


 ホラー映画さながらにぐりん! とこちらを向いた柚の笑顔があまりに無邪気でありながらも恐ろしく、流護は「すいませんなんでもないです」と土下座する勢いで謝り倒した。「次はないぞー」と微笑んだ柚が壁かけ時計を見上げ、


「あっ、もうこんな時間かぁ……」


 驚いたように呟く。時刻は、じき七時半になろうとしていた。流護たちとしても夕飯前の軽い散歩のつもりで外へ出たはずだったが、気付けば一時間半も経ってしまっている。


「おわ、もうこんな時間だったか……。そろっと――」

「晩ご飯の時間だね!」


 帰らなきゃな、と流護が続けるより早く、柚が割り込んだ。思わず「そ、そうすね」と頷くと、


「二人とも、うちで食べていってよ」


 満面の笑顔となった敏腕マネージャーは、さも当然のように提案する。


「い、いやでも先輩……ベル子の服もらっちゃって、メシまで食わせてもらうってのはさすがに……」

「ベル子?」

「あっ、ベルグレッテのことっす……」

「じゃさ。そういう話、もっと聞かせて」

「え?」

「二人が知り合ったきっかけとか……そんな風に呼ぶようになったいきさつとか。そもそもどんなカンケーなの、とか。有海くんがレインディール王国で半年間、どんな暮らしをしてたのかーとか。わたしまだ、全然詳しい話聞いてないよん?」

「え、えーとまあ、それは」

「それにさ~、有海くんなら分かるでしょー? 家で一人で食べるご飯の味気なさったら!」


 ……そう言われると流護に反論はできなかった。

 一人っ子で祖父や祖母はおらず、母も早くに他界。父は昔から家を空けることが多かった。薄暗くなった家に一人帰宅して、静けさの中で食べる夕飯の味気なさはよく知っている。グリムクロウズでは幸い、学院の食堂で賑やかに談笑することが多かった。

 どちらの時間が楽しいか、そんなのは論ずるまでもない。


「……分かりました。先輩さえよければ、ゴチになります」

「うっし、そうこなきゃ! それじゃー、ちょっと待っててね。すぐ準備するから」


 そうして柚は、意気揚々と台所へ消えていった。


「はー……。強引な人だよ、まったく」


 だが、悪くない。休日の部活動などで、柚手製の弁当のおかずを少し恵んでもらったことがあるが、文句なしの絶品だった。流護が作る雑な料理(みたいな何か)とは比べるべくもない。


「つー訳でベル子、今日の晩メシはここでご馳走になっていこう」

「で、でもいいのかしら。なにかお礼を……」

「いいんだよ。あの人は、世話焼きっつーか賑やかなのが好きっつーか……自分が楽しみたくてああ言ってんだから」


 観念したように、先輩マネージャーの性格を知る後輩は笑ってみせるのだった。

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