31. 究極形
ボン・ダーリオは軽快な足捌きで、水の双刃による連撃を躱す。回避行動から流れるように身体を翻し、両手へ生み出した小さな炎を次々と放り投げる。
ベルグレッテは飛来した炎を身に纏う水で打ち消し、水剣で叩き落し、体幹を傾けていなし、その動作から反撃の剣へと繋げていく。
水対炎。手数対手数。
均衡を破ったのは、銀色の剣閃だった。
「……ぐゥッ!」
ベルグレッテの一撃が、ボンの胸を浅くかすめていた。
この間合いを不利と判断したのか、ボンが大きく後方へ跳ぶ。逃がさず追いすがろうとするベルグレッテだったが、下がりながら放たれるボンの速射砲のような炎に、防御を余儀なくされた。
「ふ……流石は騎士殿だ。見習いとは思えぬ腕前だな。創出している武器の錬度も素晴らしい。接近戦では、分が悪いか」
神詠術には、各々が宿す一つだけの属性の他に、『操術系統』というものが存在する。いわば、『神詠術の使い方』だ。
『創出』。ベルグレッテやダイゴスが得意とする、武器などを形作り行使する技術。
『解放』。ミアやエドヴィン、レノーレが得手とする、生み出した力をそのまま放出する技術。
『身体強化』。力を身体の内部に滾らせ、身体能力の向上に特化する技術。
『補佐』。通信や索敵といった、補助的な役割を担う技術。
さらには、それらの枠に収まらない特殊な技術も存在する。クレアリアの自律防御がそうだ。
このボンという男は、エドヴィンと同じタイプだとベルグレッテは判断した。同じ属性。力を火球として放出する、『解放』の操術系統も同じ。
「ハッ!」
中間距離が本領なのだろう。男の低い声に呼応し、十数個に及ぶ火球が出現、ベルグレッテへ向けて掃射された。
――が。少女騎士が横に振るった左腕から、幾筋もの銀色が放たれる。水の散弾が、殺到する全ての火球を相殺した。
「ぐっ!」
否、相殺ではない。
火球の物量を上回った水弾が、ボンの側頭部をかすめていた。頭から一筋の血が流れ、赤い曲線を描いて頬へ伝う。
それを拭いながら、岩のような男は笑みをたたえる。
「ふ……水の剣による近接戦闘が本領かと思いきや、力の掃射にも長けているのか。手強いな」
得意とする操術系統は、一つとは限らない。
ベルグレッテが得手とするのは飽くまで『創出』による水剣の接近戦だが、ミアに言わせれば「ベルちゃんは『解放』もあたしより全然うまいし。ほら、あたしの心もベルちゃんに解放中だよ?」とのことだった。
騎士は無言で剣を構え直す。
一見して圧されているはずのボンに、焦りの色は見られない。それどころか、余裕すら窺える。
その理由がベルグレッテには推察できていた。この男は、自分と同じことをやっている。つまり――戦闘をこなしながらの、強力な神詠術の詠唱。
この余裕。詠唱している神詠術に、余程の自信があるのだろう。
無論、そんなものをわざわざ披露させてやるつもりなど、ベルグレッテには毛頭ない。
さらに水の連弾をボンへと叩き込む。が、今度は男が迎撃の火球を放った。
「むっ……」
しかしボンは迎撃しきれず、腕に被弾する。やはり手数では、ベルグレッテが一枚上を行っていた。
それだけではない。
水弾の後を追い、少女騎士は相手へ肉薄していた。振りかぶる水の剣士。身構える炎の刺客。ここで速いのは――水の煌きだった。決定打となるだろう一撃をベルグレッテが閃かせる――その瞬間。
「――火の神よ」
ボンが、力強く言葉を口にした。
爆発じみた膨張。男の周囲に燃える炎が、まるで油でも注いだかのように大きく膨れ上がる。
「っく!」
突如発生した凄まじいまでの熱気に、ベルグレッテは思わず後退した。
「――クル・アトよ……我が意に、応え給え」
言葉を紡いだと、同時。
ボンを中心に、巨大な――天を焦がすかと思うほどに巨大な、炎の渦が巻き起こった。
「これ、は――」
近づくことさえ叶わない。身を焦がす熱気の中、ベルグレッテはそれを呆然と見上げる。
「我なりに炎の道を追求し、至ったのが……この境地だ」
ボンの背後。彼を守るかのごとく、上半身のみの巨大な炎の人型が出現していた。
その背丈は、腰から上しか存在していないにもかかわらず、軽く四マイレを越えている。人の形こそ採っているものの、その腕はベルグレッテの胴体より太く、その身体は小規模の家屋より分厚かった。
その威容はまるで――炎の魔神。
「残念だが、勝負あった。我は大した神詠術の技巧を持ってはいないが……唯一、この技だけならば『ペンタ』にも劣らぬと自負している」
『創出』。
得意とする者も多い、ありふれた操術系統の一つである。ベルグレッテの水剣も然り。
しかし。眼前に屹立する、まるで伝承や神話から抜け出してきたかのような、禍々しく巨大な炎の魔神。これは、その中でも究極形と呼んで差し支えない域に達している。
ベルグレッテはそのように認識し、戦慄した。
そう。得意な操術系統は、一つとは限らない。
『解放』を得手とするかと思われたこのボンという男は、凄まじいまでの『創出』の使い手だったのだ。
ググ……と、炎の魔神がベルグレッテのほうへ向き直った。その動きだけで熱風が吹きつけ、火の粉を舞い躍らせる。
「貴殿の技とて、どうにもならぬだろう。――終わりだ」
古来より、『焼け石に水』という言葉がある。
ベルグレッテのアクアストームであっても、この炎の魔神に通じるとは思えなかった。
(……く……)
少女の頬を、汗が伝う。熱さと、緊張で。
「さらばだ」
ボンが短く告げる。
魔神は、その絶大な腕をベルグレッテ目がけて振り下ろした。その巨大さゆえに広範囲で、逃れることはできない。その巨大さゆえに重撃で、防ぐこともできない。
――もう、覚悟を決めるしかなかった。
ベルグレッテは、叫ぶ。
「剣よッ!」
喚び声に応じ、少女の手に顕現する――巨大な、絶大な、長大な、水の大剣。
伝説の英雄ガイセリウスが振るった大剣、グラム・リジル。
それを模した白銀の水刃。
襲い来る一つの究極形――炎の魔神に対し、ベルグレッテは自らが至った一つの究極形を振るう。
「はああぁぁああぁッ!」
掬い上げる一太刀で、振り下ろされつつあった魔神の右腕が爆音と共に蒸発した。
「な、に――!?」
ボンが目を剥く。
「あ、ぐ……!」
急速に失われる魂心力。
ベルグレッテはふらついた勢いすらも利用し、身体を旋回させる。
「お、あ、あああぁぁあ――っ!」
その遠心力のまま踏み出し、横薙ぎの一閃をボンへと叩きつけた。
「がッ、は――!」
ほとんど前のめりに倒れ込みながら放たれた一撃は、防ごうと身構えたボンの巨躯を易々と弾き飛ばし、背後に立つ炎の魔神をも両断した。紙一重の差で、大剣が消失する。
石畳を削るように転がりながら飛んだ大男は、十マイレも離れた街灯に激突してようやく停止した。街灯、その支柱が鈍い音を立ててわずかに曲がる。
「か、は…………」
ベルグレッテはその場にへたり込んだ。
ボンは――倒れたまま、動かない。
「……、~っ」
今になって、ぞくりとした恐怖感が身体の内側を這い回るのを少女は感じていた。
大剣ではなくアクアストームを詠唱していたら、確実に負けていた。
そんな二択が自分の命運を左右していたことに遅まきながら気付き、戦慄に身を震わせる。
だが、大剣の詠唱をしていたのは偶然ではない。
昨日の今日、しかも目の前に堂々と現われた刺客。そんな相手が、昨日の相手に劣るはずがない。あの刺客は、アクアストームを躱しているのだ。そんな判断から、ベルグレッテは万が一の手段として大剣の詠唱を選択していた。
とはいえ、ほぼ一振りが限界の一撃は外すことも許されず、また上手くいったとして、その後は動くことすらままならないという事態を招く。
「はっ、……はぁっ……」
荒く息を整えながら、辺りを見渡す。
人影はなく、幸い、新手による襲撃の気配もない。
こうして身動きできないところを狙われれば、ひとたまりもないのだ。やはり大剣の召喚は、あまりにリスクが大きかった。
(……、く……反省ね……)
幸運に救われた自分を不甲斐なく思いながら、ベルグレッテはへたり込んだまま溜息をつくのだった。