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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
8. プログレッシヴ・イーラ
304/669

304. 役割

「これでひとまず、処置は完了です。よろしいですか。しばらくの間は、安静にしていてください」


 白衣姿の女性研究員ことシャロムが、一息ついてメガネのフレームを押し上げる。


「かたじけない。感謝します……」


 包帯でぐるぐる巻きになった自分の右手を見下ろしたテッドが、申し訳なさそうに頭を垂れた。


「さすがシャロム君。慣れてるねえ」


 脇で治療の様子を眺めていたロック博士は、世辞でなく助手の手際を称賛する。


「おだてても何も出ませんよ、先生。私は基礎的な術しか使えませんので、できることは知れています」


 今は神詠術オラクル研究部門の一員であるシャロムだが、以前診療所に勤めていた経験がある。この遠征には、研究員かつ治療士として同行しているのだ。

 とはいえ、


「ぐ……」


 身体を横たえたテッドの額には、脂汗が滲んでいる。表情も苦しげだ。

 シャロムは自身が語った通り、基礎的な治療術しか扱えない。そのような応急術と持ち込んだ医療品だけでは、噛み潰されたテッドの腕を治すことなど不可能だ。同じく、折れた肋骨を処置することも。

 運の悪いことに、三号車についてきた面々の中には、ベルグレッテやアマンダのような回復術に秀でた者がいなかった。

 実質、テッドは戦闘不能に陥ってしまったといえる。


(ううむ……)


 ロック博士は、メガネに指を添えながら周囲の様子を窺う。

 馬車内には、やや沈んだ空気が充満していた。

 常に地図や資料を広げてあれこれ議論していた他の研究員たちも、今は一様に押し黙って窓の外を見つめている。


(まあ、無理もないか。ズゥウィーラ・シャモアが四体、ときたら誰だってねえ……)


 怨魔に詳しい研究員とて、実際に生きた個体と出遭ったことがある者はそういない。闘うすべを持たぬ者にしてみれば原則、遭遇は死に直結するからだ。

 かくいうロック博士自身も例外ではなく、不安な気持ちで窓の外に広がる緑を眺めていた。


(やれやれ……。鹿やキリンみたいな動物がトラウマになりそうだよ……)


 今にも木立の合間から、あの巨体がヌッと姿を現しそうだ。


 三号車は現在、緑に覆われた岩陰に停車している。

 岩盤が天然の屋根を形作っており、仮にズゥウィーラ・シャモアがやってきたとしても、あの長躯でここへ入ることは不可能。

 何より、追ってきた二体はテッドとダーミーが撃破した。

 彼らが無事この三号車に合流できたことから考えて、さすがに追加の個体がいる可能性は低い。少なくとも今、この近くには。


(流護クンやベルちゃんたちは……無事かな……)


 なじみの若人たちを案ずる。

 何しろ、彼らは成体へと果敢に向かっていった。無力な五十男には、無事を祈ることぐらいしかできないのが歯がゆいところだ。

 どうにも落ち着かない心持ちでいると、


「アデオー殿、ダーミー殿。提案があります」


 伝声管から兵士の声が聞こえてきた。


「いつまでもこうしている訳にはいきません。我々が、周囲の様子を見てきます」


 窓から外を覗けば、意を決した表情の若い兵二人が、御者のアデオーとダーミーに進言しているところだった。


「だ、だがよぉ……危ねぇぞ」


 大男のアデオーは、その厳めしい外見に似合わず弱々しい口ぶり。もっとも、つい先ほどあのような目に遭ったばかりなのだから無理もない。


「それほど遠くへ行くつもりはありません。道に迷わない程度に、辺りを窺ってくるだけです」

「しかしだなぁ……」


 御者は明らかに渋るが、


「分かりました~」


 ダーミーは明後日の方向へ顔を向けたまま、適当な口ぶりで同意してしまう。


「お、おいダーミーさんよ。んなあっさりとよぉ……」

「……今、一番懸念すべきは……こうして全員が固まっている状況で、またズゥウィーラ・シャモアのような怨魔に遭遇してしまうことです。次も上手く捌ける保証はありません。分断されてしまった以上、『6』の旗を目指して戻る必要もあります……が、迂闊に動くのは愚策。誰かしらが斥候の役目を負うのが賢明でしょう。ひとまずこのお二人にお任せして、無事に戻ってくればそれでよし……戻らなければ、何らかの危険があったと判断することもできます」

「おい、あんたなぁ! もうちっと言い方ってもんがあんだろう。他人事だと思ってよぉ。そう言うあんたが行ってみたらどうなんだい。強ぇんだしよぉ」


 アデオーが食ってかかれば、


「別に……構いませんよ」


 表情ひとつ変えず。ダーミーは明後日の方角を向いたまま、あっさりと言ってのけた。


「ただ……今はテッドさんも戦力外ですから、あなた方は『銀黎部隊シルヴァリオス』抜きで研究者の方々を守ることになりますが……可能ですか~?」

「……っ」


 アデオーは返答に窮した。

 考えるまでもない。たった今の事態も、テッドとダーミーがいたからこそ乗り切れたのだ。この二人を欠いた状態で、またも強力な怨魔に襲われるようなことがあれば――


「くっ……」


 悔しげな御者へ、当の兵士たちが言い添えた。


「ここはダーミー殿の仰る通りです、アデオー殿。兵団としては、何としても馬車を……研究員の面々を守らねばなりません」

「もし僕たちが戻らなければ、その時は……迷わずこの場より離脱を」


 小窓から見下ろす彼らの顔は、死をも厭わぬ決意に満ちていた。

 二人ともまだ若い。年齢など、博士の半分以下といったところか。


(……頭が下がるね……)


 岩波輝は陰鬱な気分でかぶりを振った。

 このグリムクロウズへやってきて十四年。

 不可思議で不便だった別世界の生活も、今やすっかり慣れきって当たり前のものとなった。が、王宮戦士たちの抱く精神や誇りというものは、岩波輝にとって未だ理解しがたい。


 自分が死んででも次へ繋げる。自分の死を仲間の糧とする。

 アルディア王のために。レインディール王国のために。


 いつか地球に……日本に戻ることを夢見て神詠術オラクル研究に携わっている身としては、到底共感できない心情だ。戦時中の日本における『特攻隊』のような覚悟など、とても持てるものではない。

 もっともこの世界では、『転生論』が浸透している。生前に善行を積んだ者は、神によってよりよい来世が約束されるという。そう信じているからこそ、多少の無茶もできるのかもしれない。

 とはいっても、死への本能的な恐怖を克服するなど、決して容易にできることではないはずだ……。

 あれこれと思い馳せる間に、勇敢な若者二人は青い霧の立ち込める森へと消えていった。


(そんな神様が本当にいるのなら……来世といわず、今の人生を幸せなものにしてほしいね)


 幸福な一生を先送りすることに何の意味があるのか。

 若い彼らが、あんな悲壮な決意を固めずとも済む世界にしてやればいい。

 誰も苦しまない、何もかも都合よく回る、幸せで平和な世界を創造してやればいい。


 いもしない神に心中で悪態をついて、岩波輝はしばし静かな森を眺めていた。






「……くそ、そろそろ時間になるかぁ……」


 いつでも発進できるよう御者台に跨がったアデオーが、懐中時計を取り出して口惜しげに呟く。

 様子見役を申し出た二人が森の中へ消えていって、じき半刻。

 この時間を過ぎても彼らが戻らないようなら、それを機に三号車一行はここから離脱する手筈となっている。


「…………そろそろ移動の準備をしておきましょう」


 ダーミーが淡々と言ったその直後、


「む……! 戻ってきたぞ!」

「おおっ、無事だったか!」


 周囲の兵士たちが安堵に沸いた。

 一行が注目すると、青い霧の向こうから確かにあの二人が戻ってくるところだった。馬車からその様子を眺めていたロック博士――岩波輝も、自然と安堵の息をつく。


「お疲れだぁ! いやぁ、良かった良かった。何事もなさそうで何よりだぁ」


 無事に帰ってきた二人を迎え、アデオーが労いの言葉をかける。


「御苦労様です~。何か……報告するようなことはありますか~?」


 相変わらずの調子で尋ねるダーミーに対し、二人は一瞬だけ顔を見合わせて、


「……ええ。ひとまず、怨魔や獣の姿などはなさそうです。ただ……その、廃墟……らしきものを発見しました」


 馬車内の面々――研究者たちが、一斉にざわりと反応する。そう報告した彼ら自身、やや困惑している様子だった。


「このルビルトリに……廃墟……?」

「建造物があったのか? 誰かが隠れ住んでいるんじゃ……」

「普通の森ならまだしも、ここは原初の溟渤だぞ。人が住んでるはずはねえ」


 馬車の内外から口々に意見が漏れる。


「廃墟……とは、どのようなものでしたか」


 そこで目撃者の二人に尋ねたのは、彼らよりも若い正規兵の一人だった。


「おっ、何だぁ。探索好きとしては気になるかい、オズーロイ」


 アデオーが笑うと、その兵士――オズーロイと呼ばれた青年は「いいえ」とかぶりを振る。


「逆です。どんな危険があるとも知れませんし、近付かぬが得策かと」


 兵士間でも、「行ってみるべきでは」「やめておいたほうがいい」と割れているようだ。

 ともかく、実際に見てきた二人の証言をまとめると――

 ボロボロに朽ちた石造りの建造物だった。広さはちょっとした劇場や屋敷ほど。屋根はほぼ抜け落ちていて、二階以上の存在しない平屋。一方で壁はかなり原型を留めており、入り組んだ通路も見て取れた。人や獣、怨魔の気配はない。内外に木がそびえ、廃墟となって相当な年月が経過しているらしい……といったところだった。

 場所もここから近く、直線距離で十分ほども行けばたどり着けるという。

 馬車内の研究者たちはすっかり興味を刺激されたらしく、あれやこれやと議論に花を咲かせ始める。


「是非とも見てみたいものですな」

「しかし、つい先ほどあのようなことがあったばかりで……」


 行ってみたくもあるが、この場から移動するのも怖い、といったところか。


「謎の廃墟、ですか。どう思われますか、ロック先生」


 眠るテッドの額に浮かぶ汗を拭いながら、シャロムが尋ねてきた。メガネ越しのその瞳には、明らかな好奇心の光が宿っている。


「ううーむ……そうだねえ……」


 深い森に佇む謎の廃墟。

 このルビルトリの奥深い森に人が住んでいる……もしくは住んでいた、という話は聞いたことがない。報告を聞く限り、建物の規模も大きそうだ。だからこそ皆、困惑している。

 研究者の一人としてはやはり、否が応にもそそられる。

 そこに固体化した魂心力プラルナがあるかもしれないし、そうでなくとも何か得られるかもしれない。しかも、今は――


「ロックウェーブ博士は……どのようにお考えですか~?」


 シャロムの問いに答えるより先に、外から同じ質問が飛んできた。

 伝声管の近くに佇むダーミーが(どうでもよさそうに)こちらを見上げている。他の研究員たちと外の兵士たち、双方から注目を浴びる形になってしまった。

 仕方ないので、窓を開けて咳払いひとつ。


「ええーと、そうですねえ。ずっとこの場に留まっているワケにもいきませんし、ボク個人としては、移動ついでに是非立ち寄ってみたいと思いますが……」


 そう主張してみると、


「何が待ち受けているか分かりません。危険かと思います」


 反論したのは、先ほども同じ意見を主張していた青年兵士オズーロイだった。


「これはボク個人の考えになりますが……今現在この近辺には、ズゥウィーラ・シャモアに比する、またはそれ以上に相当する脅威は存在しないと予想します」


 妙に言い切る形となったためか、ざわ、と周囲が喧騒に包まれる。


「それは……何か、根拠がおありですか?」


 問うてきた別の兵士に頷いて続ける。


「ズゥウィーラ・シャモアは、餌を求めて非常に広い範囲を移動する怨魔です。それこそ十五年前、どこからともなくやってきたうえでラインカダル山脈を蹂躙し尽くしてしまったように。今のところこの原初の溟渤であまり外敵と遭遇しないのは、彼らが食い散らかしたからと考えて間違いないでしょう」


 話を聞いた幾人かが首肯する。


「ところでこのズゥウィーラ・シャモア、天寿を全うする個体はほぼ皆無に等しいんだそうです。というのも先述の通り、広範囲を渡り歩いて目についたものを摂食する――この習性が祟って、他の怨魔と争いに発展しやすい。あの異常に高い背丈も悪目立ちしますしねえ。他の強力な怨魔と遭遇しても、臆さず補食にかかろうとする。そうなると格上の相手に挑んで返り討ちに遭うこともあるでしょうし……生き抜いた個体も転戦に転戦を重ね、傷を増やし……結局はやがて斃れる、と」


 恐るべき怪物ズゥウィーラ・シャモアだが、やはりそうした野生の原則から外れるものではないのだ。


「あっ。なるほど、そういうことですか」


 そこで瞠目するのは対面に座るシャロムだ。


「そう。この原初の溟渤の怨魔や獣たちは、ほぼ彼らに食べられてしまった。その彼らは、傷を負った様子もなく我々の前に姿を現した」

「ああ! つまり、この地ではズゥウィーラ・シャモアが最も強いはず……奴ら以上の脅威はいないはず、ということですか」


 兵士の一人の反応に……言いたかった結論に、博士は「そうですね」と同意した。


「ただこの山岳地帯は広いですし、何より原初の溟渤です。まだ、常識では考えられないような脅威が潜んでいる可能性も充分にあります。油断は禁物ですが、少なくとも今この近辺に、彼ら以上の敵はいないのではないか……と思いまして」


 そう締めると、一行はそれぞれにざわめいた。


「…………そうですねぇ~……。ロックウェーブ博士の言にも一理あると思いますよ。このままここにいても埒が明きませんし」


 ダーミーのどうでもよさげな意見に、しかしアデオーも頷いた。


「だな。こうして一箇所に留まってるから安全ってぇワケでもねぇしな。それに、探索も仕事の一つだ。怪しげなモンを見つけときながら何もしなかったんじゃ、この地にやってきた意味もねえ。こっちにゃ、あんたもいるしなぁ。うっし、ちょっくら行ってみるぞ! 異論のある者はいるか!」

「私は反対です」


 先の青年兵士オズーロイはなかなかに頑固だった。


「なんだ、オズーロイ。どうしたんだ。おめえさん、怪しい廃墟の探索なんか、率先してやりたがる方だったじゃねえかよ」


 からかうような言葉を受けて、彼はやや鼻白んだ様子を見せた。


「今は部隊も分断されてしまっています。未知の危険があった場合、我々だけでは……」

「おめえとダーミーの旦那で対応できねぇバケモンが出るようなら、全員一緒でも相当な犠牲が出らぁ。おし、腹括って行くぞ!」


 意義を募っておきながら、受け入れるつもりは最初からないのだろう。

 こうして、三号車の面々は謎の廃墟へ向かって移動を開始した。

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