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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
8. プログレッシヴ・イーラ
303/668

303. 烈火の葬者

 太い男。


 その姿を見て最初に感じたのは、そんな漠然とした印象だった。

 単純に体格が、というだけではない。ずっしりと重い芯を感じさせる、巨大な城のような……安定感、安心感。

 ごつごつとした右腕に滾る炎は――森を煌々と照らす灯火は、自分たちよりも大きな、斧の見た目をしていた。


 直前まで死を覚悟していた状況だというのに。

 あの斧で薪割りをしたらどうなるのだろう、などと呑気に考えた。いつも愚図だのノロマだのと叱られている身からすれば、簡単にたくさん割れるのだろうかと。


 無造作に振るわれたそれが生み出すは、朱色の尾を引く灼熱の旋風。

 豪快すぎる一閃によって、見るだに恐ろしい怪物たちは、為すすべもなく駆逐された。薪どころではない。大木すら薙ぎ倒せそうだった。

 太い男は、信じられないほど強かった。

 悪魔の申し子である怨魔。そんな恐ろしい怪物たちを軽々と一蹴し、屍の上に君臨する立ち姿。短く逆立った髪は獅子のたてがみのようで、堂々たる佇まいは王様のようだった。

 そんな、獅子王とでも呼ぶべき男は豪快に笑う。


「大丈夫か、小僧っ子ども」


 見た目に似合った低い声。

 そんな一言が、今も胸に残っている。親にすら疎まれる自分たちに対してかけられた、その一言が。

 震える妹を抱いたまま辛うじて頷けば、大男はニカリと笑って言ったのだ。


「そうか。そいつぁよかった」


 それだけで、充分だった。


「大丈夫か」。「よかった」。

 愛する両親に言って欲しかった言葉。けれど言ってくれなかった言葉。

 それを、見ず知らずのこの男は当たり前のように言ってくれた。

 恐ろしく強い大人が、子供みたいな笑顔で。


 いつかこの人に、恩を返したい。

 この人のように強くなりたい。


 それが、幼く無力な少年にとって始まりとなった。

 胸の奥に灯る、小さくとも確かな火種となった。


 近場の草葉を掻き分けて、数人の大人たち――兵士たちが現われる。皆、はあはあと激しく息を切らせていた。


「へ、陛下! お一人で先行なさるのはおやめください……!」

「バーカ、遅ぇんだよ。呑気なこと言ってんじゃねぇ。お前ら待ってたら、そこのガキどもは手遅れだったぞ」

「し、しかしですな……!」

「ったくよ、やっぱ必要だなぁ? 俺について来れる、俺のための騎士団がよぉ。俺の手となり足となり……とにかくあれだ、俺が楽できるようになるための騎士団が」

「ま、またそのようなことを……。ゴートウィン大臣のお耳に入っては事ですぞ」


 この『王のような人物』が本物の王だと知るのは、まだ後のことだった。






 薄暗い林道にて、四者が対峙する。

 その二体のズゥウィーラ・シャモアは、アマンダたちの下へ現れた個体と比したなら遥かに小柄だった。頭部までの高さは三マイレあるかないかといった程度。当然、胴体や開いた口も小さい。……が、それゆえに事態が芳しくない方向へ流れてしまった、といえるかもしれない。


「……はぁ~~」


 戦場にそぐわぬ溜息をつきながら、ダーミー・チャーゾールベルトは眼前の怨魔たちへ無気力な視線を向ける。 

 周囲の草地には、血溜まりが広がっていた。頭部をかじられ、倒れ伏した銀鎧の兵が四名。

 そう――丸呑みではなく、かじられていた。この小さなズゥウィーラ・シャモアでは、人間を踊り食いすることができないのだ。ゆえに、この場の者たちは知るよしもなかったが――流護やリサーリットのように、『丸呑みされたからこそ助かった』、という状況が生まれることはなかった。


 そして、一度定めた獲物を執拗に追う、という習性も成体と比べたならまた弱い。

 最初は三号車に狙いを定めていた二体の怨魔の仔だったが、横合いから仕掛けていった兵士の一撃を受け、あっさりと捕食対象をその者へ転じた。

 成熟した個体ほど強靭でないため、攻撃が通るのだ。そしてそれだけの痛撃を受けたなら、このズゥウィーラ・シャモアは目標を切り替える。

 一般兵の攻撃でも通じるという現実が、却って怨魔の気を引くという結果に繋がり、次々と犠牲者を出す要因となってしまっていた。






「ようやく俺たちを見たな、この鹿め……」


 呻くように言って炎斧を肩へ担ぐのは、テッド・テールヴィッド。

 普段、妹の前では決して見せないような、険しい顔つきとなっている。


 騎士二名、怨魔二匹。

 随伴の兵たちを次々と噛み殺したズゥウィーラ・シャモアの幼体らは、ここでようやく『銀黎部隊シルヴァリオス』と向かい合うこととなった。

 三号車と護衛についた兵士たちは、辛くもこの場からの離脱に成功している。


「…………目を付けた相手を延々と追う習性があるようで。生物としては、非常に理に適った性質かもしれません~。二兎を追って逃してしまうよりは……目に付いた一体を確実に仕留めた方が、狩りの成功率も上がるでしょうし」

「そんなことはどうでもいいさ。片方、キッチリ頼むよ。ダーミー殿」


 肩に担いでいた燃え盛る戦斧を一振り、テッドは敵の一体へと照準を定めながら言う。


「貴方は、陛下のお墨付きだと聞いている。任せて問題ないね?」


 現在六十三名からなる『銀黎部隊シルヴァリオス』という集団は、互い見知った親しい間柄――という訳ではない。共通しているのは、アルディア王が自らの目で見定め、選び抜いた強者であるということのみ。

 団員同士であっても、必ずしも面識があるとは限らない。テッドにとってのダーミーはこの任務で顔を合わせるまで、まさにそれだった。三年前、アルディア王が直々に引き入れた無気力な男。『銀黎部隊シルヴァリオス』の中では最も新参となり、また遠地での任務に就いていることが多いため、テッドは全くといっていいほどこの男のことを知らなかった。つまり、ダーミーにとってのテッドもほぼ同様となるはず。


 そんな『よく分からない』ダーミーが、億劫げに口を開く。


「…………貴方は『どうでもいい』と仰いましたが……重要なことだと思いますよ~」

「何がかな?」


 こんな状況で何をもったいつけた言い方をするのか。敵を見つめたままのテッドがやや苛立たしげに返せば、


「この怨魔たちが見ているのは、『俺たち』ではありません。今のところは……『貴方だけ』です」


 それが合図だったかのように、怨魔二体が駆けた。

 ダーミーの言葉通り、テッド一人に向かって。


「――――は。上等だ、鹿。滅すぞ」


 火種が、爆発する。

 温和なテッドの顔が、目を血走らせた怒りの形相へと変じた。

 搦め手や奇策はなく。暗銀の精鋭騎士は、どっしりとその場で身構えた。その場で一回転、さらにもう一回転し、火の粉散らす炎の斧を迫ってきた一体の首筋へと叩き込んだ。

 ゴギャッ、と凄まじい音が木立の間を駆け抜ける。

 一体を屠り、返す一撃でもう一体を続けざまに仕留める算段だった。が。


「何っ――」


 長い首に痛撃を受けたズゥウィーラ・シャモアは涎を撒き散らし、金管楽器のような咆哮を上げながら、


「ぐ、がはっ……!」


 倒れ込む形でテッドへ体当たりをぶちかました。成体であれば己の足元程度の大きさしかない人間にぶちかましを放つことはできないが、幼体であれば話は別だった。

 そしていかに仔とはいえ、人間より遥かに大きなズゥウィーラ・シャモアである。強烈な体当たりを受けたテッドは勢いよく吹き飛び、盛大に地面を転がった。炎斧が消失する。

 首筋に致命傷を受けた個体は同じくその場で転倒したものの、健在のもう一体が倒れたテッドへと間髪入れず躍りかかる。大きな口を開け、容赦なく覆い被せた。


「ぐ、お、おぉあああああぁ――!」


 断末魔――、ではなかった。

 顔へ迫ってきた臼のような歯に対し、テッドは間一髪自らの腕を差し込んでいた。ガチン、と容赦なく食いつかれ、強固なレギエル鋼の小手に覆われたはずの腕が容易に軋みを上げていく。


「……ッ、ぐ、ぬ」


 圧し潰される激痛の最中、そこで初めて気付く。

 間近に迫った、ズゥウィーラ・シャモアの顔。大口を開けて歯並びが剥き出しとなることで、まるで笑っているようにも見える、至極不気味な面構え。

 仲間の鮮血にまみれた歯列、今まさに自分の腕を噛んでいる臼のような牙、その奥から。


「……!?」


 く、く、くくくく。


 声。

 小さく。かすかではあるが、紛うことなき『声』が漏れている。それも、


 くくくく、くくくくく。


(笑い、声…………)


 笑っている。

 この怪物は。

 人を襲い、生きたまま食らいながら、喉の奥で笑っている。


 たった今しがた、己の兄弟だろう個体が目の前で薙ぎ倒されたばかりだというのに。まるで気にかける素振りもなく、笑いながら、眼前の餌にありつこうとしている。


(こい、つ……)


 たった一人の妹のために幾度も修羅場を潜ってきたテッドには、まるで理解不能だった。

 その不気味さ。不可解さ。絶望感。


(陛、下……お、れは……)


『大丈夫か、小僧っ子ども』

『そうか。そいつぁよかった』


 初めて、自分を案じてくれた人に。ひいては、妹を救ってくれた人に。

 アルディア王に、恩義を返す。


(俺は、あなたに……)


 そのために、騎士となった。


(こん、な……ところで……)


 噛み潰されていく自らの腕を見つめながら、ズゥウィーラ・シャモアの笑い声を聞きながら。

 テッド・テールヴィッドは改めて怨魔という存在の恐ろしさを、意志だけではどうにもならぬ世界の残酷さを目の当たりにする。

 幼い頃、怨魔に絶望したあの過去を思い出しながら。


(陛、下)


 あのとき助けてくれた王様は、ここにはいない。

 あの王様の助けとなるためにここへやってきたのだから、当然だった。






(おやおや……これまで、ですかね)


 倒れたテッドにがっつくズゥウィーラ・シャモアの尻を眺めながら、ダーミーは密かに詠唱を完遂した。

 その後ろ姿は、まるでゴミを漁る野良犬。品性も何もあったものではない。

 そもそもこの『暴食』、空腹に耐えられなくなると、己のひり出した糞すら食らうという。この様子では、テッドをかじった後はすぐ横で倒れている自分の兄弟すら貪るのではなかろうか。


(所詮は獣……)


 背後から無造作に歩み寄る。野生の怨魔が接近に気付かないはずもないだろうが、振り返る素振りすら見せようとしない。


(成体であれば、生半可な妨害など気にも留めず食事を続けるんでしょうが……)


 相手は未成熟な個体。テッドに夢中となっている怨魔の首を掻き切れば、それで終わり。


(相手の実力を見誤った生物は……死ぬだけ……)


銀黎部隊シルヴァリオス』から死者が出た事実は兵団の士気に悪影響を及ぼすだろうが、ダーミーには関係がない。そこをまとめるのはアマンダの仕事だ。


(彼女も生きていれば、の話ですがね~)


 もっとも、曲がりなりにもレインディール三大騎士の一人なのだ。簡単に負けることはないだろう。

 呑気に考えながら、堂々と間合いへ。

 距離は五マイレ弱。

 生半可な一撃で気を引く暇など与えない。一足飛びで、横から首を切断する――


「!」


 身構えた直後。

 ボン、と炎熱が吹き上がった。


 ズゥウィーラ・シャモアの頭部を貫く形で。

 それは猛々しく伸び上がり、斧の形状を象る。


「…………これは……」


 ダーミーは思わず目を見張っていた。

 揺らめく長柄状の炎。それと同期したように、ふらつきながら起き上がる青年。


「……どうした、鹿よ。俺の炎は不味かったか……?」


 咀嚼されひしゃげた右腕に、燃え盛る炎斧を携えて。

 入れ替わるように横倒しになったズゥウィーラ・シャモアを、テッド・テールヴィッドは一瞥する。


「……ぐ、ッ」


 しかし傷は深い。炎を虚空へと帰すなり、跪いて荒い呼吸を繰り返す。


「…………ご無事でしたか」


 ダーミーが猫背のまま歩み寄ると、


「無事、とは……言い難いかな…………」


 若き荒獅子は、苦しげな顔を隠しもせず笑った。それはそうだ。咀嚼された腕は見るも無残に潰れている。鎧越しとはいえ、ぶちかましの直撃を受けたことで肋骨も何本か折れているだろう。


「あの状態から……よくぞ、逆転されましたね~」


 何の気なしに呟けば、


「陛下が……俺を、選んでくださったんだ。その俺が斃れては、あの方を失望させてしまう。何より、陛下の見立てに間違いがあったことになる。そんなことは……絶対に許されない」

「それはそれは……大した意志です」

「……意志……だけで、闘えるものか。……そんなもので事態は変えられない。……だから俺は……強くなったんだ」


 苦しげな青年の瞳には、彼の属性たる炎のような強い何かが宿っていた。


(……死んでいた…………)


 ダーミーは期せず身震いした。

 本来ならば、テッドは敗北していた。ここで喰われて死んでいた。

 アルディア王直下の『銀黎部隊シルヴァリオス』であるという自負。王の悲願を達するために選抜されたという矜持。

 それらが、彼の中から実力以上のものを引き出した。

 ダーミーとしては噂に聞いた程度の話だが、この夏に発生した王都テロにおいても、頭を削られながら敵を仕留めた『銀黎部隊シルヴァリオス』の男がいたという。


(……これだ…………)


銀黎部隊シルヴァリオス』の強さ。その一端。

 アルディア王に対する、絶対の忠誠心。信仰、もはや狂信とさえ呼べる心持ち。

 それが、一介の若兵を強靭な獅子へと変えしめる。


(やはり……貴方は興味深い。アルディア王……)


 否が応にも笑もうとする口元を、ダーミーは頬の筋肉で押さえ込んだ。


「…………それにしてもお見事です。『葬々赤々(モド)』の二つ名は伊達ではない、ということですか。幼体とはいえ、Bクラス最上位並みの脅威だったはず。それを……お一人で片付けてしまわれるとは」


 下衣のポケットに手を突っ込んだままのダーミーは、念のためとばかりに最初に倒れた一体の首へ踵を落とす。風刃が迸り、その長い首をざくりと切り裂いた。気流に乗った血飛沫が、刹那に鮮やかな朱色の花を咲かせ、散らしていく。


「それは……皮肉、かな。ご覧の有様……だよ」


 身体を震わせて立ち上がろうとするテッドだが、膝が言うことを聞かないようだ。

 そんな青年の様子を無気力に見下ろしていたダーミーだったが、


「…………どうぞ」


 おもむろにポケットから右手を抜き出し、テッドへと差し出した。


「…………」


 差し延べられた、特筆すべき点も何もない、ごく普通の右手。

 口の端から血を滴らせながら、跪く青年は相手の顔を見上げる。視線を受けたダーミーは、やや不思議そうに尋ねた。


「私の顔に何か……?」

「……いや。貴方が……衣嚢ポケットから手を出したところを、初めて見た。何か、手を人に見せられない理由でもあるのかと思ってたけど……別に、普通の手だなと」

「…………特に、理由なんてありませんよ。……ですが」

「ですが?」

「やるな! ……と思った方には、手を貸すようにしています~」

「……は。それは光栄だ。その厚意、ありがたく頂戴しよう」


 ダーミーの右手をぐっと掴み、テッドは辛うじて立ち上がった。


「…………この怨魔は……双子だったのでしょうね~」

「……」


 双子と聞き、二号車の下へ走っていった妹のことがテッドの脳裏をよぎったのか。彼は一瞬だけ複雑そうな表情を見せるが、その思いを押し殺すように、騎士として口にする。


「三号車は……無事かな。まさか、走っていった先にさらに同じ怨魔がいる……なんてことは考えたくもないが」

「…………大丈夫でしょう。ズゥウィーラ・シャモアが、そこまで群れを成すとは思えません。それに、オズーロイ正規兵も一緒でしたし。…………歩けますか?」

「無理、と答えようものなら、貴方は容赦なく置いていきそうだ……。弱音を吐くわけにもいかないさ。何より……陛下の御為にも、こんなところで止まってはいられない」

「陛下の……ですか。ふむ……」

「何か?」

「…………いえ。それでは、行きましょうかね」


 追手を殲滅した『銀黎部隊シルヴァリオス』二人は、三号車を追って歩き始めた。

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