293. 鮮烈な捕食者
「くそっ、欝陶しい奴らだ!」
唸る風切り音の中、攻めあぐねる兵士たちが忌々しげに後方へ下がる。
森を行く兵団は現在、十数匹の怨魔と対峙していた。
識別名、ガーゲルメイラム。カテゴリーはC、その中でも上位に分類される。
姿は植物そのもの。背丈は大人の胸元ほどで、でっぷりとした袋状の胴体を持ち、その先にはギザギザした鋭い葉(歯)が生えている。その本体たる捕食袋からはよくしなる四本の長い蔦が伸びており、見た目としては典型的な『植物系モンスター』だった。
特筆すべき点を挙げるならば、まずはその体色だろう。胴体――捕食袋が、目に毒々しいまでの蛍光ピンクなのである。周囲に紛れて擬態するのではなく、目立つことによって生き抜いている怨魔だった。
戦闘に入った経緯からして、
「おい、あの珍妙な桃色はなんだ? あとなんか臭いぞ」
「ん? ……怨魔だ! 総員構えー!」
などという兵士たちのやり取りが始まりだ。
このガーゲルメイラムなる怨魔、袋から常に甘ったるい香りを放っている。これが餌となる小動物には『引き寄せられるいい匂い』として、天敵となる大きい怨魔や猛獣には『近づきたくもない嫌な臭い』として感じられるのだ。そのうえ芳香(異臭)の元が目に眩しいピンク色ということで、近づく者にしろ避ける者にしろ目印としやすい。
圧倒的強者でないにもかかわらず、自らの存在を『誇示』することで棲息を可能としているその在り方は、厳しい自然界において希有な一例といえるかもしれなかった。
そしてこのガーゲルメイラム、もう一つ大きな特徴がある。
「う、うわあぁ、こっち来たぞ!」
「ええい、面妖な! 下がれ下がれ!」
構えた兵士たちが、クモの子を散らしたように散開した。
そう、移動するのだ。幾重にも広がる根を細かに蠢かせ、思いのほか俊敏に自走することができるのである。そのうえで四本の長く強靭な蔦を縦横無尽に振り回すため、迂闊に近づけない。
上はSから下はEまでのカテゴリーのうち、Cに位置づけられる怨魔。『怨魔補完書』の区分けとしてならば下から数えたほうが早い存在ではあるが、それでも並の人間にとっては充分すぎるほどの脅威だった。戦う術を持たぬ民では抗うことすらできず、鍛え抜いた兵であっても死の淵に立たされるような。
特にこの怨魔、多くの兵士にとって相性が悪い相手といえる。
蔦の間合いが広く、その力も強い。迂闊に近づけば、薙ぎ倒されるか絡め取られるかしてしまう。自然、遠距離から術を撃ち込む戦法が基本となるが、何分ガーゲルメイラム自身が硬い。強靭な外皮によって、攻撃を軽減されてしまう。素早く動き回るため、なかなか直撃させることも難しい。
そんな怪物が進路上に十数匹。
馬車への襲撃を防ぐため積極的に仕掛けていった兵団だったが、思うように立ち回れず苦戦を強いられていた。
さすれば、その状況を打破するのは――『その道の専門家』に他ならない。
突出した、戦闘の専門家に。
対峙する一人と一匹。
高々と伸び上がった右脚により、振り回された蔦の一本が切断されて宙を舞う。それによって、凶器たる触手は四本全てが切り落とされ――この怨魔は、ただの動く植物となり果てた。
「…………」
下衣の衣嚢に両手を突っ込み、真上へ右脚を掲げたまま。微動だにせず静止するは、『銀黎部隊』ダーミー・チャーゾールベルト。
厄介な武器として振るわれるガーゲルメイラムの蔦、その全てを、彼は『風を纏う脚技』によって切り落としていた。
「…………はぁ~」
戦場にまるでそぐわぬ溜息だった。
ピンと掲げていた右足を地に着けると同時、彼はそれを軸足として跳んだ。遠心力を伴ったダーミーの痩躯が、二転三転しながら弧を描いて怨魔へと迫る。
都合七回転半、旋回しつつ放物線の軌道で降った男の右踵が、怨魔の頭頂部へ斧さながらに叩き落とされた。
怪物は派手な破裂音と共に弾け飛び、内包されていた体液は旋風の前に吹き散らされていく。
怨魔の痕跡は、土くれの大地に残る染みだけとなった。
着地の余韻で屈み込んでいたダーミーは気だるそうに立ち上がりながら、
「汚いですねぇ……」
右のブーツに付着した怨魔の体液を地面にこすりつける。
つまらなげな表情は終始変わらず、両手が衣嚢から抜かれることもなかった。
その軌道は読みづらく不規則で、また重々しい風切り音が威力の高さを物語る。
(見える……っ)
直撃したなら無事では済まないだろう触手を前にして、しかしベルグレッテは余裕の立ち回りを見せていた。
日々重ね続けてきた鍛練の成果。流護と比べたなら、怨魔といえどその動きは緩慢なほどに感じる。しなり飛んできた蔦の一本に対し、
「ふっ!」
左腰に提げた鞘から抜き放った刃を一閃する。兄の形見であり、『帯剣の黒鬼』の影響によって黒く染まった長剣。
蔦は微細な手応えとともにあっさりとその長さを減じ、すぐさま横から飛んできたもう一本も、翻す斬撃によってあえなく同じ末路をたどることとなった。
怯んだガーゲルメイラムに対し、ベルグレッテは大きく地を踏んで肉薄する。
奔ったのは、黒と白の閃光だった。
左手に握った水の長剣、右手に携えた黒い実剣。描く残像は十字。すれ違いざまに放たれた両の刃が、蠢く植物の伐採に見事成功した。
「よしっ……!」
倒れ伏した怨魔を振り返って確認し、少女騎士は双つの剣を小さく振る。流護と鍛練するうちにいつしか身についた、ベルグレッテなりの『残心』だった。
「おお……」
「ビュ、ビュリフォ」
鮮やかなその立ち姿に、目撃していた青年兵士たちが感嘆を漏らしていたが、自分へ向けられる好意にやたらと鈍い少女騎士は気付かないのだった。
「一匹、こっちに来るぞ!」
前方で繰り広げられる乱戦をすり抜けた一匹のガーゲルメイラムが、触手を振り回しながら馬車のほうへと突進してきた。
「馬車に近づけるな!」
馬や車体の周囲に展開した兵たちが色めき立つ。
反対側では現在、アマンダとオルエッタの二人が同怨魔と交戦中。
「……私が迎え撃つ!」
となれば、ここは自分が対応する以外にない。
身構えた兵士らの中から威勢よく飛び出した女騎士リサーリット・テールヴィッドが、我先にと怨魔へ突っかけた。
「リ、リサーリット殿!」
「お、お戻りください!」
そんな兵たちの慌てふためいた声が、より女騎士の闘争心に火を点ける。
(私だって『銀黎部隊』なんだ! 兄さんに言われて下がってたけど、昼間でもこの程度の敵――、っ!?)
腰の長剣に手をかけた瞬間、違和感に気付いた。
左足首に、怨魔の蔦が素早く巻きついたのだ。
「うわ、あっ!」
凄まじい力で、瞬く間に引きずり倒される。
「くっ、離せ、このっ!」
残る右足で蔦を蹴りつけるも、びくともしない。人外の怪力で、怨魔のほうへ身体がずるずると引き寄せられていく。とても、人が抗えるような力ではなかった。
「この怪物が――ぐおっ」
「リサーリット殿を離っ……だあっ」
兵たちの数人がガーゲルメイラムへ突っ込んでいくが、振り回された蔦を受けて倒れ込んでしまった。
「いててて……お、おのれ!」
「焦って突っ込むな! 射撃で――」
壮年兵士の一人が声を張り上げた瞬間、
ドンッ、と凄まじい振動。そして爆音、立ち込める土煙。
怨魔の直上から、重撃めいた何かが着弾した。
「……なっ、あ」
そこでリサーリットは気がつく。
左足首を掴んでいた恐ろしい力が、ぱったりと消失していることに。
もくもくと舞い上がった靄が晴れたそこには――燃え盛る炎の戦斧を大地へとめり込ませた、もう一人の『銀黎部隊』の姿があった。
「汚い手で俺の妹に触れないでおくれよな、草よ。滅すぞ」
突然降ってきた兄――テッドの脇。長柄の炎斧が叩き込まれ焦げた大地一帯に、怨魔の痕跡は何一つとして残っていなかった。たった今リサーリットの足首から解け落ちた、半ばから千切れた蔦の残骸以外には。
優しげな顔に似合わぬ、テッドの圧倒的火力。アルディア王に心酔し、最初は模倣することから始めたその炎斧。今や、これを紛い物や真似事と馬鹿にする者はいないくなった。現六十三名しか存在しない精鋭部隊の一人として、恥じぬ実力を誇っている。
「リサっ。下がっているように言ったろう」
術を消失させた兄が小走りでやってきた。妹の危機に、慌てて前線から飛んできたらしい。幼子に接するようなその態度が、余計にリサーリットの自尊心を傷つける。
「し、しかし私だって……」
「分かってるよ。お前の力は、夜になれば否が応でも必要になるんだ。焦らないで」
「……、」
『銀黎部隊』に入って、もう二年になるのだ。
いつまでも、『夜だけ』ではいられない。昼間だって、騎士として活躍したい。この遠征に意気込んで参加した裏には、そんな思いが――
「おお!」
「うおっ……!」
リサーリットの思考を中断したのは、突如沸き立った兵士らの声だった。
彼女も何事かと顔を向けて、思わず目を見張る。
皆の奮闘で、怨魔はいつしか残り一匹までその数を減じていた。そして、その最後の敵と渡り合うのは――
「ふむ。お手並み拝見させてもらおうかな、アリウミ遊撃兵」
そんな兄の言葉通り。アルディア王直々に『拳撃』なる二つ名を賜った、その少年だった。
殊更に皆の興味を引いたのは、その状況。
遠方から伸ばされたガーゲルメイラムの触手が、遊撃兵の右腕にガッチリと絡みついているのだ。たった今ほどのリサーリットのような、怨魔に捕らわれた不利な状況。
残りはこの敵、一匹だけである。やろうと思えば、周囲の兵たち総員で袋叩きにしてしまうことは容易だ。
しかし、誰も動かなかった。
そこには、様々な思いからなる理由があった。
「へっ、掴まれてやがるじゃねーか。どうすんだ、『加護なし』さんよぉ?」
それは遊撃兵に対する反感であったり、
「例のテロで見た感触からすると、問題なかろうよ。派手に見せてくれよなぁ」
あるいは期待であったり、
「さあ、どう対応する……?」
傍らで見守るテッドのような観察であったりした。
共通するのは――全員が、『拳撃』の一挙一動に注目しているということ。
(ふんっ……その実力、見せてもらおうじゃないか! リューゴ・アリウミ……!)
睨みつけながら念じるように強く思うリサーリットだったが、
「あっ……!?」
すでに、その考え自体が間違いだと気付く。
長距離で対峙する怨魔と少年。双方を繋ぐ、ピンと張り詰めた触手。
おかしい。
あの遊撃兵はなぜ、ガーゲルメイラムの蔦に右腕を捕われながら、ああも平然と立っていられる――?
(私は……あっという間に、引きずり倒されたのに――)
とうに少年は、その底知れぬ力の片鱗を見せつけていた。
「んだよ、そんなグイグイ引っ張んなって」
微動だにしなかった。怨魔は明らかに、少年へ巻きつかせた蔦を戻そうとしている。相手を引きずり倒そうとしている。なのに、その小さな男は大地に根ざしたかのごとく不動。
(う、嘘!? どんな力をしているんだっ……!?)
「そんじゃ、俺も引っ張るぞ……っと!」
彼が宣言した直後だった。
どっ、と皆の歓声が爆発した。
思い切り蔦を引っ張られたガーゲルメイラムが、軽々と宙を舞ったのだ。放物線を描き、遊撃兵のほうへと吸い寄せられるように。それはまるで大きな魚の一本釣り。
「――ヂィッ!」
そして聞いたこともない呼気。
蔦が巻かれていることなどお構いなし、眼前へ飛んできた怨魔に向かって、遊撃兵の右拳が突き出される。
一撃は、あっさりと捕食袋を貫通。水を満載した袋が破裂するような音と共に、最後のガーゲルメイラムは空中で爆散した。
袋に溜められていた体液や花粉が、ぶわりと一斉に撒き散らされて――
「完」
まだ粉塵も晴れぬ中、何事もなかったかのように。勝利を収めた少年が、皆の下へ戻ってくる。
「な、なんて倒し方だ……」
「不利が不利になってねぇなあ! 拳で一撃! 『拳撃』たぁ伊達じゃねえな!」
多数の兵たちが、歓声で彼を迎えた。
「うーん、なんとも! 豪快だな!」
リサーリットの傍らに立つテッドも、満足そうに頷いている。やや呆れ顔のベルグレッテが、少年へと駆け寄っていった。
「リューゴ……また、随分と派手に……」
「いやまあ、相手が力比べをご所望だったのでな……」
「んー、お見事ね、アリウミ遊撃兵! 見応えあるわ。……ところで、いる?」
そう言って織物を差し出すのは隊を統括するアマンダだ。
「……はい。ど、どうもです。げほげほげほ、ヴぇー、臭いし粉っぽいしネバネバするし何だこれ……」
「怨魔の体液が毒性だったらどうするつもりだったのよ、もうっ」
「いや、突っ込む前に博士から大丈夫だって聞いてたから……」
怨魔の体液にまみれた遊撃兵は、少し恥ずかしそうに布を受け取り、顔や身体を拭き始めた。どうにも締まらない光景に、兵たちからも明るい笑い声が漏れる。
「……っ」
そんな光景を睨みながら、リサーリットは小さな拳を握りしめるのだった。
その小ささこそが、己の未熟を示しているように感じながら。




