290. 語らいの道中
武装馬車というものに初めて乗る流護だったが、乗車室内は広く、定員いっぱいとなる十七人もの大人数が収まっているにもかかわらず狭苦しさを感じない。揺れもほとんど気にならなかった。つまり極めて快適。壁際には、何本かのシャベルが備え付けられている。
乗車したのは三号車。縦に連なって進む四台のうち、その三番目に当たる。乗っているのは流護とベルグレッテの他に、ロック博士を始めとした研究者たちが総勢七名。彼らのうち数人は、前方の座席に集って資料らしき紙束を並べ、あれやこれやと議論中だった。流護たち二人は彼らの護衛という形で同席している。
ちなみに一号車と四号車には兵士たちが乗り込み、二号車には遠征に必要な物資や目標物を回収するための道具がこれでもかと満載されていた。
「はい。できたわよ」
「おう、サンキュな」
ベルグレッテから上着を受け取り、改めて羽織り直す。内側に、先ほどミアから受け取ったピアガの人形がぶら下げられていた。なくしたりしないよう、ベルグレッテに縫いつけてもらっていたのだ。
仕上がりに満足しつつ顔を上向ければ、
「…………」
「…………」
向かい席に座るその人物と目が合った。
ボブカットの短い茶髪。メガネをかけてキリリとした顔立ち。ロック博士と同じ白衣姿。知的な印象の、女性研究者。いかにも理系女子といった雰囲気の彼女とは、何気に初対面ではない。十日前、閑寂の間での会議でも見かけた顔だった。
女性研究員の……名前は、シャロムといったはずだ。
メガネの向こうから覗く切れ長の瞳は、じっと流護の目を見つめている。
「え、えーと……何ですか?」
居心地の悪さを感じておずおずと尋ねると、
「あ……、す、すみません。先日の会議でもお見かけしましたが、噂の『拳撃』の遊撃兵さんだったとは知らなかったもので……つい」
そこで初めて自分が流護を見つめていたことに気付いたのか、彼女は慌てて目を逸らした。
そんなやり取りを見て、隣に座るロック博士がはっはっと快活に笑う。
「シャロム君、流護クンが気になるかい?」
「それはもちろんです。ファーヴナールや『ペンタ』すらも打ち負かし、果てはあの天轟闘宴で優勝……。この小さな身体のどこにそれだけの力が隠されているのか、とても興味があります」
面と向かってそう言われると実に気恥ずかしい。いやまいったなデヘヘ、と照れる流護だったが、
「是非とも調べてみたいですね。解剖して」
あかん人だった。
「あ、す、すみません。悪気があったわけじゃないんです……」
どん引きした流護に気付き、女性研究者は申し訳なさそうに目を伏せた。
「はは。このシャロム君は、なかなかに研究熱心な若手の有望株でね。今回の原初の溟渤の調査に関しても、ボク以上に熱意を燃やしてるぐらいなんだ」
「はい。よろしいですか。原初の溟渤は、神々や悪魔によって秘匿された禁断の地などではありません。極めて強力な霊場であることは間違いないと思われますが、そもそも……」
ロック博士の紹介に偽りなし。
シャロムは、延々と原初の溟渤について語り続けた。
流護が思考停止して夢の世界に誘われるまで、それほど時間はかからなかった。
空は快晴、旅路は順調。乗り心地も快適。
各席に座った兵士たちも和やかに談笑している者が多く、うたた寝から目覚めた流護も何となく学校のバス遠足を思い出しながら口を開く。
「そいや博士。未知のよく分かんねー場所に行くんすよね。この七十五人、って人数はどうなんすか? いっそ千人ぐらいで突入しちまえばいいんじゃ」
例えばRPGなどではゲーム仕様の都合上、どんな危険な場所へ行くにも少人数パーティーを強制されるが、これは現実なのだ。無論、兵は常に人不足なので、千人もの数を投入できるはずはないが、それでも多ければ多いほどいいのでは、と流護は思ってしまう。
「ははは。人数が多いと、それだけ費用もかさむからね。どうしたってフットワークも重くなるし……何より最悪の事態があった場合、被害が甚大なものになってしまう」
「……最悪の事態、すか」
おうむ返しに呟けば、博士はあえて言葉にはせず肩を竦めた。
つまり――全滅するようなことがあった場合、ということだろう。
考えてもみれば、それこそゲームではないのだから、敵に倒されるだけが『末路』ではない。
行く先は未知の領域。
例えば全員揃って崖崩れに巻き込まれたりだとか、谷底に落っこちたりだとか、妙なガスで昏倒したりだとか、あるいは遭難して野垂れ死んだりだとか――千人もの大所帯でそんなことになれば、確かに目も当てられない大惨事となりそうだ。
「そう考えたなら、この人数は妥当じゃないかな」
「なるほど……」
多すぎず、少なすぎず。『何かあった場合』、巻き返しのきく人数、ということか。
過去、初めて確認された『ペンタ』に傾倒するあまり、そのまま滅んでしまった国もあると聞く。いかに悲願とはいえ、入れ込みすぎて傷が深くなってしまっては本末転倒ということだ。
『ペンタ』といえば、この遠征部隊の中に彼らがいないのも、似たような理由だろう。
ディノやリーフィアといった超越者を目の当たりにしてきて流護も実感したことだったが、彼らはあまりに強力すぎる。神詠術の攻撃半径も常人とは比較にならないほど広く、周囲の人間を巻き込んでしまう。とにかく敵を一掃すればいい仕事ならばともかく、こういった仲間の多い任務には向かないのだ。
レフェの天轟闘宴にて、森から飛び出したディノが『帯剣の黒鬼』と剣戟を繰り広げていたが、周囲の人間を巻き込まないようやりづらそうに立ち回っている印象があった。観覧席に戦場を移して以降、あの男は火線や飛び道具の炎といったものを一切使用していない。
何より『ペンタ』は圧倒的能力から誇り高く、協調性に欠ける者も多い。そして今の博士の言に同じ、もしものことがあればその損失も大きなものとなってしまうのだ。
「いっそ千人で……とは、遊撃兵さんは豪快な方ですね。ますます、興味があります」
じっ、と対面のシャロムが見つめてきた。その視線は異性に対するものではなく、明らかに『被験者』に向けられるそれだ。
「い、いえハッタリなんで気にしないでください」
そんなこんなで順調にディアレーの街を経由し、見通しのいい街道を行くこと数時間。
馬車の中で昼食を終えた一行は、やがて深い渓谷に挟まれた道へと差しかかった。今までの見通しがいい風景から一変し、入り組んだ岩場の目立つ山道となる。
「急に殺風景になったな。この辺りはどこなんだ?」
「ルグーディー領の端になるわね。山賊の出没も多い通りとして有名よ」
「さ、山賊か~……」
流護とベルグレッテのやり取りを聞き、やや上ずった声を漏らしたのはロック博士だ。
出かけても学院・王都間の行き来ぐらいしかしない博士は、当たり前というべきか賊の類と遭遇したことがないという。
「だ、大丈夫かな? 出くわしたりしないかな?」
「遭遇はするかもしれませんが……こちらは兵団の武装馬車ですから、襲撃を受ける可能性は極めて低いかと」
緊張する博士を落ち着かせるようにベルグレッテが微笑む。
それとなく小さな円窓の外へ目を走らせた流護は、
「……お? 言ってるそばからだけど……あれ、山賊じゃねえか?」
いきなり怪しい影を発見した。
「ん……そうね、おそらくは」
同じく外をじっと眺めたベルグレッテが頷き、
「えぇ、本当かい!?」
博士がのけ反って驚く。
岩場の隙間に、チラチラと何者かが見え隠れしている。目を凝らしてみれば、薄汚れたフードを被った人間だと分かった。数は五人。手にはボウガンのようなものを携えている。崖っぷちの高みからこちらの様子を窺っているようだった。
「ありゃ間違いない気がするな。博士も見てみますか?」
「じゃ、じゃあちょっとだけ……、うわ、本当だ……! 物騒なモノ持っちゃって、おっかないなぁ~」
恐る恐る窓の外を覗いた研究者は、サファリパークのバスから猛獣を眺めるみたいな感想を残した。
遠巻きにこちらを観察しているフード姿たちだったが、結局手出ししてくることはなかった。ベルグレッテの言う通り、相手が武装馬車の兵団だったため諦めたのだろう。……実のところ、彼らが賊ではなくただの狩人である可能性も否定はできなったりするが。
「いやー、何事もなくてよかったよ。暴力反対、平和が一番、だね」
ホッと一息つく博士を見て、シャロムがくすりと口元を綻ばせた。
「ふふっ。ロック先生はたまに、子供のような一面を見せる時がありますよね」
「そうかい? そんな普段とは違う純真なボクの姿に、ドキッとしちゃったかな?」
「いえ、先生のことは研究者として尊敬してるだけなので、その点以外は興味がないんですけど……あ、す、すみません」
(……この人のキャラが少し掴めてきた気がするぞ。あれだ、失言系女子だ)
そこは大人の余裕なのか、手厳しいねえ、と軽くいなす博士を眺めつつ、流護もハハッと口の端を引きつらせる。不用意な発言を流してしまいたいのだろう、シャロムが慌てて言を繋ぐ。
「と、とにかく……先生がそのように外出慣れしてないのも、元はといえば魂念漂泊論に異議を唱えた無知蒙昧な輩のせいなんですよね。全く、嘆かわしい話です」
博士を持ち上げる方向に転換したようだが、流護も少しだけ話に聞いていた。
――魂心力は空気と同じようなものである。
ロック博士はそんな理論を発表したために、魂心力や神詠術を神聖なものと盲信する派閥に命を狙われたと。それが原因で、学院の研究棟に篭もるようになったのだと。
「ロック先生。よろしいですか。ちょうどいい機会なので、不躾に尋ねてしまいますけど……かつて先生に刺客を差し向けたのは、実はデルバータ博士なのではないか、なんて噂を耳にしたこともあるんですが」
「はは……これはまた、懐かしい名前が出てきたねえ。まぁいくら彼でも、そこまではしないと思うよ。研究にかける熱意は本物に見えたし」
「デルバータ博士?」
初めて聞く名前だ。流護がおうむ返しに問えば、シャロムは自分のことのように答えた。
「ロック先生の好敵手を自称する研究者です。けれど実際は、先生に大きく水をあけられてます。一方的に先生を敵視してる、というのが正確なところですね」
ロック博士が研究の成果を出すたび、「それは自分も考えていた」だの「運がよかっただけだ」だのと捨てゼリフを吐く人物だったという。まあどの分野でも見かける、さして珍しくもないタイプの人種といえるだろう。
「彼、今はどこで何をやってるのかなぁ」
当のロック博士の呑気な口調と言葉は、なるほどそのデルバータなる人物をライバル視していない証に違いない。
「聞いた話では、今は『界離』にご執心だとか。彼の力の謎を説き明かせば確かにとんでもない功績になることは間違いないでしょうし、躍起になってるんでしょうね」
「……『界離』……」
ぽつりとその単語をなぞったのはベルグレッテだ。
シャロムは頷き、あまり興味がなさそうに続ける。
「彼については、ベルグレッテさんのような学院の生徒の方が詳しいかもしれませんね」
「いえ、私も名前を知ってるだけで……実際に本人を見たことは、一度もないんです」
「誰の話さ」
置いてきぼりを食わないよう口を挟んだ流護は、続くベルグレッテの説明にわずか息をのむこととなった。
「属性不明の『ペンタ』にしてミディール学院の第一位……レオスティオール・アレイロス。『界離』、っていうのは彼の二つ名ね」
「! なるほど……お馴染みの超越者様か」
学院に在籍する、上位五人の『ペンタ』たち。
そのうちの一人である第三位のオプトは王都テロの裏で故人となり、第四位のディノが学院を辞めるなどとナスタディオ学院長に申告していたので、今は三人となるのだろうか。
第五位は、気弱で癒し系な風の少女リーフィア。
未だ流護が知らないのは、一位と二位の二人となる。
「レオスティオール君か。実はボクも、会ったことはないんだよね。学院に所属してる形にはなってるけど、実際にやってきたことは一度もないんじゃないかな。ジャックロートの方に住んでるんだっけ。確かに彼の力が解明できれば、研究者として大きな実績になるだろうねぇ」
ふむふむと頷く博士へ、シャロムがやや非難するような目を向ける。
「そんな暢気な。いいんですか、研究者としてデルバータ博士に追い抜かれてしまっても」
「別に構わないよ。誰の手によってであれ、謎が明らかになるのは喜ばしいことだからね」
達観したような目で断言する博士に納得がいかないのか、シャロムは小さく唇を尖らせた。
「本当に先生は、野心ってものがないんですから。だから、変わり者なんて揶揄されるんですよ。誰にも負けない実力があるのに……」
「ははは。気にしない気にしなーい、ってね」
(……博士……)
明るく笑う白衣の男を見やりながら、流護はその裏側にあるものを察していた。
レインディールで最も優れた研究者になるだとか、それで富や名声を得るだとか、ロック博士――岩波輝はそんなことに興味がない。
神詠術研究や不可思議な事象の解明、そういった探求が純粋に好きで続けているのも確かではあるだろう。
しかし――最終的にこの男が目指すものは、たった一つ。
(地球に……日本に、帰るため)
十四年もの長きに渡って追い続け、未だ諦めきれないでいる、その目標のために。
神詠術研究に傾倒していながら、自らは決して神詠術を使おうとしない変人。
その正体は、帰れなくなった故郷へ――家族の下へ帰るため、今も足掻き続ける一人の男。ごく当たり前の思いを抱く、ごく真っ当な日本人。
(十四年、か……)
途方もない年月だ。十五歳の少年にしてみれば、今まで生きてきた時間と大差ない。今から十四年も経てば、流護は二十九歳になっている。
(うっへ、なんか想像すらできねーや……)
その頃、自分はまだ遊撃兵をやっているのだろうか。そもそも、この過酷な世界を生き抜くことができているだろうか。
想像すらつかない遠い未来に思いを馳せながら、少年はしばし窓の外を眺めるのだった。




