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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
2. デュアリティ
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29. 殺人者との対峙

 大衆酒場、ゲーテンドール。

 レインディールへ来る際に乗った馬車の中で読んだ、吟遊詩人のインチキガイド……だかにも記載されていた大きな酒場である。


 大きく時間をロスしてしまったせいか、店内にクレアリアの姿は見当たらない。行き違いになった可能性もある。


 流護はゲーテンドール店内をぐるりと見渡す。何とも西部劇に出てきそうな雰囲気だった。

 ミルクでも頼もうものなら、「おいおいミルクだとよ」「ここはガキの来るところじゃねえぜ」でケンカが始まりそうだ。

 そうでなくとも異国の酒場などという初めての場所なので、何だか無性に落ち着かない。……酒場というよりは食堂といったほうがいい店のようではあるが。


 まだ昼前だというのに客数も多く、酒らしきものを飲んでいる者もいれば、食事をしている者もいた。


「いらっしゃいませ。何になさいますか?」

「えっ」


 当然というべきか、ウェイトレスが注文を取りにやってきた。

 慌ててメニューを見るが、字が読めたところで、メニュー名を見ても何が何だか分からない。……と、そこに見知ったメニューを見つけた。


「……ええーと、じゃあ、ザルバウムの焼肉定食を……」

「え?」

「ザルバウムの焼肉定食」

「え?」


 何で聞き返してんだよ。


「ザ・ル・バ」

「はっ、はい! わ、分かりました! ザル……、え~……どうしよ……少々お待ちくださいませ!」


 なぜか慌てたようにウェイトレスは引っ込んでいった。つうか「え~どうしよ」とか言ってたぞ。


「そういやよぉ、知ってっか? また『白夜の騎士』様が、『西の荒涼地レッドテイル』周辺に現われたパミーニオンの群れを掃除してくだすったらしいぜ?」

「バルクフォルトのレヴィンかー。男前で人を見下さねえ『ペンタ』ときたもんだ。女はどいつもこいつも股濡らしてコイツの話してやがるってな。うらやましいこったね。創造神ジェド・メティーウ様は、つくづく平等じゃねえってこった」

「おいおい。ロダンティのクソシスターに聞かれたらマズイっての……」


 日本語で喋ってくれ、と言いたくなるような周囲の客の会話が聞こえてきた。

 言葉が通じるとはいえ、つくづく異質な世界へ来てしまったのだと再認識する。多少は慣れたつもりでいたが、やはり一人だと心細さが半端ではない。


 ――そこへ。

 入り口の扉を揺らして、酒場には似つかわしくない小さな人影が入ってきた。

 クレアリアだ。


 彼女はカウンターのほうに行き、店員と何やら会話をし始めた。

 その店員は何やら慌てた様子で、媚びたように愛想笑いを浮かべている。考えてみればクレアリアは騎士なのだ。店に警官が訪ねてくるようなものだろう。


 さてここからだ。彼女を見失わないようにしなければならない。


 刑事の張り込みとか尾行みたいで俺ちょっとかっこいいんじゃね? ――と思ったところで、クレアリアはすぐに出口へと向かい、そのまま店を出ていってしまった。


「げっ」


 ザルバウムの定食がまだ来ていないが、仕方ない。店を出るしかない。

 注文してしまったのでウェイトレスに料金だけ手渡そうとしたら「ひいっ! ザ、ザルバウムまだですし、いいです! イヤァ!」と言われたので、何なんだよと思いつつも金をポケットに戻し、流護は慌てて店を飛び出した。






 大通りでクレアリアの後をつけて歩いていると、ガラの悪そうな三人の男たちが彼女に近づいてきた。二、三と言葉を交わした後、あろうことかクレアリアと男たちは通りから外れた路地裏へと入っていく。


「ちょ、おいおい、十八禁にするつもりかよ」


 慌てて路地を覗き込むが、すでにそこに少女の姿はなかった。男たちも見当たらない。

 流護は急いで路地裏に入り、すえた臭いのする細い道を駆ける。

 ――と。

 角を曲がったところで、ゴミ箱に頭を突っ込んだ男たちが転がっているのを発見した。死んではいないようだ。


「うわあ……」


 ゴミはゴミ箱に、といわんばかりの惨状に、思わず声が漏れる。それはそうだ。心配なんていらなかったのかもしれない。

 だが、肝心のクレアリアの姿がない。


 そう思ったところで、流護は後ろから首筋に剣を突きつけられた。


「――先ほどから、何をしてるんです?」


 首筋に当てられた――水の剣。まさに水のように冷たい、クレアリアの声。流護は両手を上げる。


「こそこそと私の後をつけ回して。どういうつもりですか?」


 流護は腕っ節こそ立っても、尾行のプロなどではない。というよりただの高校生だ。むしろそういった部分に関しては、刺客から姫を守る立場にあるクレアリアのほうが秀でているだろう。

 実際、気付かないうちに背後を取られてしまった。

 そして、彼女のことだ。何をどう答えようが納得などしてはもらえまい。


「いや……あ、クレアリアさんだ、と思ったので……」

「いつから私たちは、そんなに親しくなりましたか?」


 首筋に当てられた水剣が、ぐぐ……と少し強めに押し当てられる。

 とても水とは思えない鋭さ。ベルグレッテとの決闘のとき、彼女が形作っていた剣とは違う。加減も容赦もない。


「ちょ、死ぬ。死ぬって」

「……ふふ。人の命なんて、軽いんですよ? ものすごく、ね」


 聞き覚えのあるセリフだった。

 そうだ。つい先日、ロック博士が同じようなことを言っていた、と流護は思い出す。


「例えば貴方がここで死んでも、誰も気になんて留めませんよ」

「うわ。そら怖えなあ……」

「…………」


 少女はしばし沈黙した後、


「…………嘘つき」


 小さく、そう呟いた。

 同時に、流護の首筋から水の剣をどける。


「貴方は、全く怖がってなんていない。随分と腕は立つようですけど……嘘つきですね」


 流護はベルグレッテとの会話を思い出した。『男は約束を守らない。嘘つきだ』と思うようになってしまったというクレアリア。

 少年は彼女に背を向けたまま言う。


「いやいや。別に嘘じゃねえよ。俺がここで死んでも誰も気にしないなんて、そんなのは怖えに決まってる」

「……首筋に剣を突きつけられても、全く動じすらしないのにですか?」

「それは……えーと。正直、その状態からでも……何とか、できるかなと」


 クレアリアの息をのむ音が耳に届く。


「……ふん。さすがは『竜滅』の勇者様ですこと」


 嘘つきだと思われたくなかったので、正直に答えていた。しばし、無言の間が生まれる。


「ええと……そんで、何か収穫はあったのか?」

「……それを貴方に話す義理もないのですが。学院の件に続き、またも手柄が欲しいんですか? まあ、構いませんけど」


 剣こそ収めたものの、その冷たい口調に変化はない。自嘲するように言い連ねた。


「シリル殿の情報などを当てにした私が間違ってました。それらしき不審者の影も形もなし。馬鹿らしい。私は帰ります」


 ジャリ……と。クレアリアが踵を返したのだろう、狭い路地に音が反響する。

 その瞬間。

 流護の正面。昼間でも薄暗く伸びる狭い路地。怪物の体内にでも繋がっているのではないかと思わせる不気味な闇の中に、赤い炎が瞬いた。


「――――」


 考えるより早く。流護は咄嗟に振り返り、背を向けて歩き出そうとしている少女の肩を掴み、強く抱き寄せた。


「、なっ、何――」


 驚きの声を発するクレアリアにも構わず、彼女を抱えたまま全力で横へ跳ぶ。

 直後。寸前まで二人のいた空間に、爆発が巻き起こった。


「っ――ぐ!」

「あぐっ!」


 砂塵が巻き上がり、石片が狭い空間を乱舞する。

 爆風に煽られ、二人は跳んだ以上の距離を転がった。クレアリアを抱え込んだ流護は、壁に激突することでようやく停止した。


「っで!」

「く……、何事ですか一体っ……!」


 ごうごうと立ち上る埃と砂煙。砕かれた石畳の破片が小雨のようにパラパラと舞い落ちる。


「……っ、痛ッ」


 流護は左腕に鋭い痛みを感じた。見れば、手首から肘の間――前腕の辺りが、ざっくりと裂けて血を垂れ流している。爆風で飛んだ破片で切ってしまったようだ。腱でも傷つけてしまったのか、指が動かない。

 ファーヴナールのときといい、俺の左腕が何かしたのか、と流護は顔をしかめる。


「貴方、その傷……」


 流護のケガに気付いたクレアリアが、かすかに目を見開く。


「ん? まあ大したこと……、あるか。……っく」

「……どうして、私を庇って……」

「いや、どうしてって」


 当然だというように、流護は笑顔を見せた。


「お前がケガしたら、姉ちゃんが悲しむだろ?」

「…………っ」


 クレアリアは目を見開き、その笑顔から顔を背ける。


「……っし、ほれ、立って逃げんぞ。追撃が来るかもしれん」


 立ち込める砂煙の中、二人は立ち上がり、狭い路地を駆ける。

 そういえばクレアリアによってゴミ箱に突っ込まれていた男たちはさっきの爆発で大丈夫だったんだろうか、などと流護が思った矢先、行く手に闇が佇んでいた。


 黒。痩躯に黒一色のみを纏った――考えるまでもない。暗殺者。


「ふは。俺の炎から逃れるか。やるじゃないか」


 唯一露出している目元を笑みの形に歪めながら、闇色の男は言う。


「うお、喋りやがった。っつーか、やってくれんじゃねえか、この全身タイツ」

「くく。女の前だからとて虚勢を張るなよ、少年。お前に用は無い。退け」


 ひたり……と。暗殺者は一歩、音もなく間を詰める。


 ――狭く暗い路地裏。

 表通りから隔離されたこの空間、目の前には『敵意』ではなく『殺意』を秘めた殺戮者。これは、路地裏のケンカなどではない。エドヴィンやベルグレッテと繰り広げた決闘でもない。


「もう一度だけ言う。退け」


 冷たい、黒き男の声。

 陳腐な脅しではない。どかなければ、どうなるのか。

 それを理解したうえで、少年は言葉を投げかける。


「ハナから爆発で巻き込んどいて、今さら退けはねえだろ。来いよ、モヤシ野郎」


 瞬間。高速で動く、黒いナメクジとでも表現すればよいだろうか。

 暗殺者はぬるりとした動きで、しかし刹那の間に、流護の間合いを侵食した。


「――――」


 滑り寄った低い体勢から、暗殺者は流護の顔面に向かってピンと伸ばした指を突き出す。

 それは、殺す気で振るわれる暴力。

 普通の人間なら、殺意をもって襲われれば竦み上がってしまうだろう。

 流護とて、実際はただの高校生だ。多少の試合やケンカの経験があるとはいえ、殺す気で向かってくる相手に、平然と対応できるだけの経験も胆力も持ち合わせてなどいない。


 ドラウトローやファーヴナールとは、また違う。

 同じ『人間』から殺意を向けられるということは、得も知れない本能的な恐ろしさを感じさせた。


 しかし。

 相手がいかに殺意を秘めた人間であろうと――赤子と大人ほどの実力差があった場合。緊張によって多少動きが鈍ろうと、あまり関係がなかった。


 流護が首を横に振ると、黒い軌跡がすぐ横をかすめていく。


「ッ……!?」


 あっさりと一撃を躱されたことに驚いたのか、刺客は唯一露出している目を見開く。


 流護は身体を横に傾けた勢いそのままに、暗殺者の顔面へと右拳を叩き込んだ。

 黒い刺客は声すら上げず、受け身すら取れずに石の大地へ叩きつけられた。横倒しになったまま、ピクリとも動かなくなる。


「……ふーっ」


 浅く息を吐き、残心の動作を取る。


「な……」


 クレアリアが思わず、といった様子で驚いた声を漏らしていた。


 考えるまでもない。一体相手に三人の兵士が必要だと言われるドラウトローや、伝説にまで謳われるファーヴナールとやりあった流護なのだ。


「……っと。あっさり気絶しやがって。話、聞けねえじゃねえか」


 左手で頭を掻こう――としたが、動かなかったので右腕を回して掻き、失敗したなとばかりに流護は呟いた。

 殺意を秘めた人間を相手に緊張し、上手く加減できなかったことは黙っておく。正直、今もまだ少し震えている膝なども、悟られませんようにと願った。


「……まあいいや。捕まえるだろ? 連絡頼むな」


 流護はクレアリアのほうを向き、呆然とした様子の彼女へ言う。指示されたのが気に食わないのか、クレアリアは少し憮然とした表情で、


「…………分かりました」


 しかし、小さく頷いた。

 が、そこで彼女は通信の神詠術オラクルを紡がず、流護のほうへと歩み寄る。


「……その前に。腕を、見せてください」

「え」


 返事を待たず、クレアリアは流護の左腕を手に取る。ざっくりと裂けた上腕は、未だ血を流し続けていた。


「じっとしててください」


 言葉と同時。傷口に当てられた少女の小さな手が、淡い光を帯び始める。――回復の神詠術オラクル


「借りを、作りたくありませんから」


 流護の目を見ずに、彼女は独り言のように呟く。


「……そうか。サンキュな」

「……貴方のためではありません。貴方が、ケガをしたら……きっと、姉様が悲しみますから」

「はは。俺が死んでも、誰も気にしないんじゃなかったか?」

「……っ、うるさいです、じっとして。大体、私を庇う必要なんてなかったんです。私には、自律防御があるんだし……全く」


 流護の腕を手当てしながら、クレアリアは空いている左手を空中に舞わせた。


(あ)


 流護は、その動作につい見とれてしまった。


 同じ。初めてドラウトローと闘った後、流護の脇腹を治療しながら通信の神詠術オラクルを紡いでいたベルグレッテの姿。あのときと同じように、クレアリアが術を展開した。

 性格は全然似てなくてもやっぱり姉妹なんだな、と流護は思わず頬が緩むのを感じる。


「……あれ? はあ。……傷はどうですか?」


 通信が繋がらなかったらしく、一時中断してそう尋ねる。


「ん……」


 出血は止まったが――指が、動かなかった。

 神詠術オラクルといえど、万能ではないらしい。とはいえ、止血だけでなく、千切れ飛んだ腕の結合までできるのだ。応急処置としては充分すぎるほどだろう。


「指は動かねえけど……血は止まったし、大丈夫だ。サンキュ」

「……そうですか。後できちんと医師のところへ行ってください」


 ぷいっと少女は顔を背ける。


「……さて」


 クレアリアは再度、滑らかな所作で指を空中に舞わせた。この指の動きだけ見てると何かエロいな、と流護がアホなことを考え出したあたりで、空中に浮かんだ波紋からやる気のなさそうな声が響いた。


『はーいリーヴァー。デトレフでぇーす』

「リーヴァー。クレアリアです。……姉様に連絡したつもりなのですが、なぜデトレフ殿が?」

『うん? ああ、ベルグレッテちゃんだったら、モンティレーヌに行ったよ』

「は? どうしてこんな時に……」

『こんな時だからこそ、じゃない? 姫様が外出られないからさ、でもモンティレーヌのケーキが食べたいよねって話になったらしくて。そこにちょうど暇だった僕が通りかかって、じゃあ姫様の部屋の前で僕が番してるから買い物行っておいでよ、ってベルグレッテちゃんに言ったワケ。ベルグレッテちゃんも渋ったけど、姫様が「行ってきなさい、命令です!」って。くく。はははは』


 クレアリアはうんざりしたような表情になった。姉が通信に出なかったのはお前が原因か、とでも言いたげだ。


「はあ……そうですか。では、どなたかに取り次いでくださいませ。暗殺者を一名、捕縛しましたので、護送の準備を」

『ええ? つ、捕まえたの? それも一人で? 昨日に引き続いて、すごいなー。強くなったんだねぇ……。了解しました、人員の手配、確かにしておくよぉ』

「はい。お願いします。では」


 通信を終えたクレアリアが、はあ、と溜息をつく。

 流護は――


「……なあ。まさかベル子、外に出かけたのか?」

「そのようですね。……モンティレーヌか。私も、寄って帰ろうかな」

「――ま、ずい」


 瞬間、流護の喉が干上がった。


「どこだ! ベル子が向かったのはどこだ!?」


 ただごとでない剣幕に、クレアリアは圧されつつも答える。


「え、? モンティレーヌという……菓子屋です。十三番街にある」


 ぎり、と少年は歯噛みした。


「案内してくれ!」

「ど、どうしたんです。何だっていうんですか?」

「ベル子が危ねえんだよ!」

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