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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
8. プログレッシヴ・イーラ
283/670

283. ディアレー降誕祭と、――――

 黒一色の天蓋の下、煌びやかに輝く街明かり。ごった返す人の波。そんな中、通信の術で増幅された上品な声音が響く。


『そこで、わたくしは思ったのです。ケーキを食べたいという気持ちが、思いもよらない力を引き出すのだと!』


 その力いっぱいな演説を舞台脇で眺めながら、改めて流護は頷いた。

 リリアーヌ姫は美しい。

 小さく慎ましやかな桜色の唇、彫刻顔負けに通った鼻梁。そして穢れを知らぬようにキラキラと輝く緑の瞳。金色の長い髪は上質な絹さながらに滑らかで――繊細なほどに華奢な身体や、纏う純白のドレスと相俟って、その立ち姿は畏れ多い神聖な存在感すら醸し出している。

 アルディア王とは似ても似つかず可憐。カリスマとでもいうべき魅力があり、それでいてどこか普通の少女のような身近な雰囲気がある。この一生懸命な演説も何というか微笑ましい。

 だからこそ、


「よっと」


 流護が素早く放り投げた小石が、『それ』を撃墜する。


「おけ、当たり」


 檀上のリリアーヌ姫を目がけて投げ込まれた、子供用の蹴り球だった。投石によって弾かれたそれは、見当違いの方向へと放物線を描いていく。


「あっ、くそっ!」


 ごった返す人ごみの中、その球を投げつけた若い男が逃げ出した。


『ったく』


 姫の隣に立ったうんざり顔のクレアリアが、凝縮した水弾を撃ち放つ。一直線に飛んだ水のつぶては、犯人の後頭部に見事命中。転倒した若者は兵士らによって取り押さえられ、手際よく連行されていった。


『も、もう! やめてくださいねっ』


 姫の可愛らしい抗議を受けて、人垣から歓声と拍手が起こる。

 ここまででワンセットだな、と流護は溜息をついた。


 緋羽の月、十日。時刻は夜の七時を少し回ったところ。

 ディアレー降誕祭。

 偉大なる詠術士メイジの生まれた日を祝して賑わう、ディアレーの街の広場。

『アドューレ』と呼ばれるリリアーヌ姫の演説、その一場面での出来事である。この催しには、往々にして妨害が入ることがあった。犯人は大抵が若い男。雲の上の存在である姫を驚かせ、その反応を楽しもうとするのである。

 リリアーヌ姫もまた全力で驚いてあざといリアクションをする(もちろん当人に自覚はない)ため、それを見るためなら捕まることも厭わないクレイジー野郎が少なからず出現してしまうのだ。


 大概は護衛として姫の脇についているベルグレッテたちに阻まれ、速やかに排除されることになるのだが――

 どうも、この姉妹によって撃たれることそのものを目的としているらしき輩もいる。二人目の妨害者は、クレアリアに術を叩き込まれた瞬間、「ありがどぶございまぶふぅ!」と言い残してその意識を手放した。流護から見ても悶絶ものの一撃がどてっ腹に突き刺さったのだが、見上げた根性である。その才能は、もっと別のことに活かしてほしい。

 ちなみに、今しがた排除された男で四人目だった。


『ええと、それで……あれ、どこまで話しましたでしょうか……』


 遊撃兵である流護は、姫とガーティルード姉妹が立つ演台の脇に控え、『アドューレ』の完了を見届ける任務の最中だった。


(姫様も可愛く抗議すっから、バカが付け上がるんだよな。いっそ『邪魔すんじゃねェーこのドグサレがッ、オモチャ球の代わりにテメェのゴールデンボールかち割ったろかアァッ』ぐらい言っちまえば……)


 考えて、すぐさまかぶりを振る。桜色をしたリリアーヌ姫の可憐な唇から、この気品溢れる声音から、ゴールデンボールなどという単語が飛び出すことがあってはならない。


(にしても、不思議なもんだな……)


 檀上に立つ姫とロイヤルガードの姉妹を眺め、流護は何ともいえない感慨にとらわれた。

『アドューレ』の場に居合わせるのは、これで二度目。前回はこの世界へやってきて間もなく、何の身分もない異邦人として、彼女らを見上げていた。

 それが今は、一人の兵士としてこの場での職務についている。あの数ヶ月前の夜には、予想だにしなかったことだ。


『ですので、わたくしは……』

「よぉっ! 姫!」

『これからも、及ばずながら……』

「おぉ! どうしたどうした! 聞こえんぞおー!?」


 その野太い男の茶々は、通信の術で増幅されている姫の声音よりも大きい。うるせえおっさんだな、と流護は溜息をつく。


『ええと……』

「どうした! はっきり言わんと分からんぞぉ!?」


 聞こえてくる方向から察するに、野次を飛ばしている輩は前列付近にいるようだ。


(これで五人目か、ったく……)


 どこのどいつだ、と流護は石を握りしめながら犯人を探して――


『も、もう! おやめください、お父さま!』

「おっと、怒られちまったか! がはははは!」

「ちょっ」


 どこのおっさんかと思ったら姫様の父親かつこの国で一番偉い人だった。顔を赤く染めながら豪快に笑っている様子からして、かなり酒が入っているようだ。危うく、雇い主にして一国の王に石をぶつけるところだった。


『もう……みなさん、お父さまのように羽目を外しすぎないようにしてくださいませね。ええと……長くなってしまいましたし、わたくしの話はこれで終わりにいたしましょう。それでは、激動の時代を生きた偉大なる詠術士メイジに感謝を。みなさん、今宵は大いに盛り上がるといたしましょう!』


 そうして――暗殺者の襲撃があったりすることもなく、今回のリリアーヌ姫の『アドューレ』は無事に終了した。






 ずらりと立ち並ぶ出店からは、食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってくる。

 道行く人々の楽しげな雰囲気も、まさしく祭りという非日常空間ならではのものだろう。


「それじゃあリューゴくん、九時すぎぐらいになったら合流しようね! このお店の前で集合だからね!」

「ああ、分かってるって。ほれ、みんな待ってるぞミアさん」

「う、うん。じゃあ行ってくる!」


 すぐ先の人ごみの中では、クラスメイトの女子たち数人が待っていた。そこへミアが駆け寄っていく。


「きひひ。もういいの? ミアは本当に、『リューゴくん』が大好きなんだね~」

「ち、違うもん! 今はリューゴくんお父さんみたいなものだから、ちゃんと言っておかないと……」

「へえー? 『今は』? 今後は違うカンケイになるかもしれないってこと?」

「うるせー、もー! しばくぞー!」


 姦しく楽しそうに、彼女らは人ごみの中へと消えていく。


(いや、聞こえてるからな……)


 さすがに照れくさい気持ちになってしまうお父さん……もとい流護であった。

 談笑しながら歩いていく女子の集団の中に、レノーレの姿はない。先日、実家へ帰ると言い残して出ていったきりだ。往復で四日はかかる距離らしく、彼女が今回の降誕祭に参加できないことは、帰郷した時点で確定していた。バダルノイスより手前の中立地帯、ハルシュヴァルトに屋敷を借りているそうだが、それでも充分に遠い。

 こんなところでもまた、移動の大変さを実感する。特に彼女と親しいベルグレッテやミアは、一緒にこの祭りに参加できず残念がっていた。


「さて……」


 気持ちを入れ替え、周囲を見渡す。凄まじいまでの人だかりだ。

 遊撃兵たる少年は、これから小一時間ほど会場の見回り。ベルグレッテら姉妹は、王と姫が宿泊する施設までの護衛をしなくてはいけないため、すぐには皆と遊べない。

 ミアたちの姿が見えなくなったことを確認し、流護はふうと一息つく。

 そうして、ごった返す人波の中で一人になった。


「そんじゃ、お仕事しますかね」


 これから、定められた順路で会場を見回らなければならない。とはいえ、楽な仕事である。露店で何か買って食べながら歩いてもいいし、命のやり取りになるような戦闘が発生する訳でもない。せいぜい、酔っ払いが問題を起こしていたら仲裁に入る程度だろう。

 のんびり一人の時間を楽しむつもりで、遊撃兵は賑わう雑踏の中を歩き出した。






 特に何事もなく、巡回の行程を半分ほど終えた頃だった。

 雑踏の中、対面から黒ずくめの女性騎士がやってきた。その背丈は並の男より高く、身に纏う暗銀の軽装鎧もまた目立っている。周囲の人々も、彼女の進行を妨げないように道を開けていた。


「あら、アリウミ遊撃兵。ご苦労様」

「いえ……ケリスデルさんこそ、お疲れっす」


 ボサボサに広がる黒髪、やけに細長い手足と背丈。大きな瞳と細長い瞳孔、大きく裂けたような口元が特徴的な、迫力ある面立ち。どことなく恐ろしげな魔女やメドューサを彷彿とさせる女性だった。『銀黎部隊シルヴァリオス』の一人、ケリスデル・ビネイス。このディアレーの街の治安維持を統括する上位騎士である。

 何というかその長身や目力ゆえか威圧感のある女性で、流護としてはなかなか慣れなかったのだが、かつて初任務でも世話になった人物だった。


「異常はないかしら?」

「はい。問題ないです」


 自然と双方立ち止まり、屋台や民衆たちへと目を向ける。


「それにしても……凄い混雑っすね。亡くなってから四百年も経ってるのに、毎年こんなデカイ祭りが開かれるなんて……。ディアレーって、よっぽどの偉人なんですね」


 流護としては、賑わう人波を見つめながら零した、何気ない一言だった。が。


「皆、ディアレーを過大評価し過ぎよ。解決できなかった問題も少なくないし……見過ごしてしまった『不正』も多い。最後は結局、たかが無法者の手に掛かって斃れてるんだから」

「……あれ。ケリスデルさんはディアレーのこと、嫌いなんすか?」


 そんな流護の問いに対し、一拍の間を置いて。


「……さぁね。自分でも、よく分からないわ」


 黒衣の女騎士はそう言い残して、雑踏の中へと消えていく。


「…………」


 なぜだろう。優しげな、それでいて寂しげな……自嘲するような笑顔だった。

 ディアレーの街を守る騎士は、その名の元となった詠術士メイジに、何か思うところがあるのだろうか。

 細く黒いその後ろ姿を、少年はしばし眺めていた。






 結果として、中盤を過ぎたあたりから思いのほか忙しい時間を過ごすこととなった。

 迷子になった子供と一緒に親を探したり、ひったくりを追いかけたり、道端で殴り合っていた男たちを埒が明かないので(物理で)両方眠らせたり、そんなこんなであっという間の時間が過ぎ去っていった。


(……っと、もうそろっと九時か)


 懐中時計を取り出してみれば、ミアたちとの合流時間が迫っていた。見回りも、ちょうど今いる場所で最後である。

 ざっと周囲を見渡して問題がないことを確認し、待ち合わせ場所へ向かうことにした。

 ……それにしても。


(ぬう……)


 歩道を一人歩きながら、思春期の少年は思わず胸中で唸る。

 巡回していても気になっていたことだったが、とにかく『多い』のだ。


「次は何食べる?」

「あなたと一緒なら、なんでもっ」

「そうかー。じゃあ、君を食べちゃおうかな」

「きゃっ、やだー」


 何が多いって、カップルが。


(ぬわあぁーにが! 君を食べちゃおうかな、だ! ファー!)


 苦々しい視線を向ければ、彼らだけではない。その向こう、そのまた向こうにも、必要以上に密着して歩く男女の姿が確認できる。

 こういった中世ファンタジー的な世界は男女交際や恋愛について厳格な印象のあった流護だが、本で色々と学んでいくうち、少なくともこの国ではそうでもないことが発覚した。

 恋愛を司る神ことエルラダイアが、やたらと大らかなのである。この神は絶世の美男子で、あちらこちらと女神や巫女に言い寄りまくったのだとか。……何だか、レフェという国にいる誰かの兄を彷彿とさせてしまう『たらし』っぷりである。ともかくその影響もあってか、レインディールでは恋愛に禁忌的な風潮はみられない。それどころかご覧の有様だった。


「!?」


 その瞬間、流護は思わず路地の隙間に身を潜めた。

 向こうから歩いてくる、少年と少女の二人組み。私服のため見落としそうになったが、あれは学院の生徒だ。

 直接話したこともなければ名前も知らないが、中庭や食堂で何度か顔を見かけたことがある。あちらも、流護のことは見れば分かるだろう。そんな微妙な間柄である。


(あ、あの二人……そういう関係だったのか)


 手を繋いだうえで腕を絡ませ、寄り添うようにして歩いている二人。あそこまで密着しているのを見るのは初めてだ。学院ではあえて控えていたのだろう。

 流護は息を潜め、気配を殺し、闇へ溶け込んだ。狭い路地の隙間で集中力を高め、彼らが通り過ぎるのを静かに待つ。今の有海流護を捉えることなど、ディノやドゥエンであっても不可能だ。ただの学生に気取られることなど万に一つもありえない。

 このまま森羅万象と一体化する。


(あ……やばい、確信した。俺、今ここに開眼したわ……。我、神の領域に到達せし者なり……)


 もはや高尚な概念と化した流護。その存在に気付くはずもなく前を素通りする二人が、密やかな会話を交わしている。その内容が、聖人となりし流護の耳に自然と届いてきた。


「……あのさ、おれ……そ、その……」

「な、なに?」

「ふ……二人とも、ほら、初めてだろ? だから、その……上手くいかなかったら、ゴメン……」

「う、うん。それはしょうがないよ。ど、どうしたらいいのか、よくわからないよねっ……」

「あ、ああ。い、色々試してみないとなっ、なーんて言ってみたりして……」

「…………うん。……いっぱい、しようね」


「ダアァ――ラッシャァアアアァィッ!」


 森羅万象は崩壊した。


「きゃっ!? なに!?」

「な、なんだ!? 野良ネコか!?」


 咆哮と共に、少年は駆けた。翔けたのだ。

 行き詰まった人生のごとき狭き路地を。一片の光なき闇の中を。ゴミ箱とかそういうのを蹴り飛ばし。

 何かに躓いて前のめりになりながら、しかしその勢いをも前進の力に変え、少年はひたすらに疾駆した。

 細い裏道を激走すること幾許か。明けない夜はないとでもいうように、やがて反対側の大通りに溢れる光が見えてくる。


「ホヤ!」


 格闘ゲームばりの前転(もちろん無敵時間なし)をもって、文字通り歩道へと転がり出た。

 真っ暗な路地からいきなり飛び出してきた流護に、通行人たち(やはりカップル)がギョッとした目を向けてくるが、当人はそれどころではない。魚の骨や糸屑みたいなゴミがまとわりついていたが、それらを振り払う気力もなかった。


「ふざけんなよ……ふざ、ふふふざ、ふざけんなよ……なにが野良ネコだよ……おめーらは、これから発情期の野良ネコのようにまっ、まぐっ、まぐわりまくるんだろうがよ……」


 弱々しくも精一杯の怨嗟の呻きであった。

 つうか気まずいだろ。今度学院であの二人見かけたとき、どんな反応すりゃいいんだ。ヤッたんだよな、こいつら……どんなプレイしたんだろな、とか色々考えちゃうだろ。

 そんな悶々とした思いが渦巻く中、


「リ、リューゴ? なにしてるの?」


 がっくりと肩を落としている思春期少年に投げかけられたのは、慈愛に満ちた少女の声。

 集合場所へ向かおうとしてこの道を通っていたのだろう。驚き顔のベルグレッテが、慌てて駆け寄ってくるところだった。


「あっ、えーと……あれだ、近道しようと思ったっつーか……」

「そ、そんなに急がなくても間に合うわよ?」


 まさか、衝動的にこの奇行に至った原因を話す訳にもいくまい。いっぱいするらしいですよ。


「はぁ……、あれ……そいや、クレアはどうした?」

「それが……」


 何でも酔ったアルディア王がふらついて花瓶を倒し、中身の水をクレアリアのドレスに引っ掛けてしまったらしい。着替えついでにシャワーを浴びることにしたので、先に行っていてほしいと言われたとのこと。


「はは。王様、ベロベロになってたもんなあ。んじゃ、先にミアたちと合流して待ってるか」

「ええ」


 頷き合い、どちらともなく歩き出す。

 賑やかな祭りの夜を、ベルグレッテと二人きりで。

 この通りはさほど人も多くない。そのせいもあってなのか、ぽつぽつと姿が見える男女は必要以上に密着しているようにも見える。

 稀に道行くカップルとすれ違えば、男のほうがついついベルグレッテに見とれてしまい、女に「ちょっと!」と怒られたりしていた。


「…………、」


 やっぱりこうして並んで歩いていれば、自分たちも周りからは恋人同士に見えるのだろうか……。

 そんなことを考えた流護がソワソワしていると、夜空が明るく瞬いた。直後、断続する重い炸裂音。

 赤、青、緑。

 色とりどりの花火が、深淵の夜空を鮮やかに染め上げてゆく。


「きれい……」


 周囲の男女たち同様、ベルグレッテも足を止めて花火を眺めた。長い髪を押さえながら目を輝かせる少女の横顔があまりに眩しくて、少年は思わずドキリとする。


「……ベ、ベル、ベ、ルベ」

「? なに? どうしたの、リューゴ」

「……何でもないっす」


 ベル子のほうが花火よりきれいだ、という色々とアレな台詞は、形になることなく胸の奥に封印された。レフェという国にいる誰かの兄のような軟派さが少しでも流護に備わっていれば、もう少し気のきいたことが言えたかもしれない。


「去年も、こうして花火を見上げたなぁ」


 懐かしげな、少し寂しげな声で少女騎士は呟く。


「去年は……ロムアルドやシリルも、一緒だった」

「…………」


 何も言えず、流護は沈黙する。

 ロムアルドは、ベルグレッテの兄弟子に当たる人物。優秀な正規兵として評判も高かったそうだが、北の国境付近の森にて邪竜ファーヴナールと遭遇し、無念の戦死を遂げてしまっている。

 シリルは、ベルグレッテらと同じロイヤルガード候補の家系の貴族の少女。複雑な経緯をたどった末、暗殺者の手にかかってその命を落とすこととなった。

 両者とも流護にとってはほとんどかかわりのない人物だったが、ベルグレッテには様々な思い出があるのだろう。


「……来年も……こうして…………」


 続く言葉を、少女騎士は言い淀む。


「…………」


 彼女が口に出さなかった思いは、流護にも容易に察することができた。



 来年もこうして、花火を見ることができるのか。この祭りに参加することができるのか。



 明日の保証などどこにもない世界。

 ロムアルドやシリルのように、敵の手にかかって斃れてしまうかもしれない。

 これまでの戦いを振り返っても同じこと。一度でも負けていれば、今こうして二人並んでいることなどなかったのかもしれない。

 かつて、兵士の同僚カルボロも言っていた。


『俺はこうして家を出て、それきり帰ってくることはないのかも』


 現代日本と比較して圧倒的に死にやすいこの世界で、しかし流護はあえて当たり前のように言ってのける。


「来年も来ようぜ」

「ん……来られると、いいな」

「大丈夫だって」


 自分でも驚くほど、続く言葉がするりと飛び出した。



「ベル子のことは、俺が守るから。絶対に、また来れる」



 刹那に舞い降りる沈黙。花火の音だけが、お構いなしに次々と響いていく。夜空に花咲く瞬きが、驚き顔の彼女をありありと照らし出す。


「…………ま、また、そういうこと、言ってー……」


 耳まで赤くなったベルグレッテが、恨めしそうな目をしながら小さく呟いた。そんな表情も激烈に可愛くて轟沈しかける流護だったが、慌てて補足する。


「い、いやあの。天轟闘宴の時、ダイゴスにも言ったんだけどさ……」

「えっ!? ……そ、それって、つまり……ダイゴスのことは俺が守る、って……?」

「違う! んなわけねーでしょうが!」


 頭の回転が早い分、間違った方向にすっ飛んでいくのもまた早い。この少女はごく稀に素でこういうことを言うから油断できなかった。


「俺、このグリムクロウズに迷い込んで……最初は元の世界に帰りたかったのに、気がつけば今の暮らしが大事なものになっててさ」


 皆といることが当たり前になった日常。そこからダイゴスという欠片が失われるのが嫌で、懸命に闘った。


「来年もまた、皆でこの祭りに来たい。誰一人として、欠けることなくさ。いやまあ、今回はレノーレが欠席だけど。つか、この祭りだけじゃねえ。いつものメンツで、いつもの日常をこれからも送っていきたい。だから俺は、それが壊されそうになれば戦う。必死で守る」

「ん……、そっか。そうだよね。みんなでまた来られるように……もう誰も失われないように、がんばらなきゃ……」


 そこでベルグレッテは、胸を撫で下ろしたようにホッと大きな息をつく。


「ああ、よかった。一緒に戦いたい、って思ってるのに……リューゴったら、私のこと、ま、守る、なんて言うから」


 ――常々、有海流護は思っていた。

 仮に『そのとき』が来るのであれば。


「まあ、それぐらいは勘弁してくれよ」


 どれだけ緊張するのだろう、と。

 結局のところ尻込みし続けて、勇気が出なくて、『言う』ことなど一生できないのではないだろうか、と。


「俺も男だしさ」


 そう、思っていた。



「好きな女のこと守りたい、って思うのは、別に普通のことだと思うぞ?」



「…………え?」


 目を見開き、ベルグレッテはきょとんとなった。


 かつて、偉大な聖人がこの世に生を受けたというその日。

 次々と夜空に咲く、美しい花火を背景にして。

 人影も疎らな雑踏の中――

 少年は、あまりにも自然に、飾ることなく告げていた。






「俺、ベル子のことが好きだ」






 花火の音だけが、忙しなく連続で響く。色とりどりの瞬きが、二人の顔を照らしていく。

 それらが収まるのを待って、


「俺、ベル子のことが」

「わああぁ!? な、なんで二回言おうとしてるのっ」

「いや、花火で聞こえなかったのかと思って……」

「き、きき聞こえたっ! 聞こえましたからぁ……」


 くそかわいい。


「俺、ベル子のこ」

「やめてったらー!」


 手をぶんぶんと振って押し止めてくる。うん、くそかわいい。


「待って待って、待ってってば……! どうしちゃったのリューゴ……あ、出店でお酒でも買って飲んだんでしょう……!」

「我が国では二十歳未満の飲酒は禁止されています。つか、俺が酒飲んでるとこなんて見たことあるか? 酒酔いでも怪しいクスリでも学院長の幻覚でも夢でも頭を打った訳でもない。うん……俺、ずっとベル子のことが好きだった」


 何かのつかえが取れたように、自然とその言葉が溢れ出す。これまで言いたくとも絶対に言えなかった、その思いが。


「…………うう、そんな……もう……」


 少女騎士は小さくなって縮こまってしまった。

 有海流護は決しておかしくなった訳ではないが、祭りの雰囲気や道行く恋人たちに当てられた部分はあったかもしれない。『アドューレ』でリリアーヌ姫に匹敵するほどの声援を集めていたり、すれ違う男たちの視線を釘づけにしたりしていたこともあって、妙な嫉妬や独占欲が鎌首をもたげてきたのかもしれない。

 ただ。

 自分でも驚くほど当たり前に、これまで秘めていた想いを告げていた。


「で、でもほら。私のこと……す、す……すすー、……ってなれば、クレアが黙ってないかもっ」

「そう思うじゃん? けどクレア先生ならとっくに知ってるよ」

「えぇ!?」

「結構前……王都テロの時だなあれは。移動中の馬車の中で、『姉様のことが好きなのでしょう?』とかって訊かれてさ。真面目な雰囲気で……ごまかせる空気じゃなくて、だから『ベル子のことが好きだ』ってちゃんと言った」


 またしてもの告白に、ベルグレッテは「ひぃ……」と頬を押さえつつ視線を逸らしてしまった。あざとい。


「で、でも、そんな前に……? それでクレアは……?」

「俺も斬りかかられるの覚悟して言ったけど、『姉様は素敵な女性だから殿方に好かれるのは当然です』、って」

「え、ええっ……、あの子ったら……」


 姉様が誰かとお付き合いをすることになれば話は別ですが、と言われたことは黙っておく。というか色々と怖いので脳が封印したがっている。


「ベル子は……えーと……その、あれだ……俺のこと、嫌いか?」

「き、嫌いなわけないじゃない!」


 食い気味に断言され、流護はおおう、と思わずのけ反る。


「じゃあ…………どう思う?」

「……う、うう……」


 少しだけ間を置き、少女は観念したようにぽつぽつと語り始めた。


「……それは……リューゴのことは……大事だし……他の女の人と話してるの見ると、もやっとした気持ちになることもあるし……だ、だから……えと、その……」

「よし。ベル子、俺と付き合ってくれ」

「つきあ……!?」


 びくんと跳ねた少女は、慌てて首と両手をぶんぶんと横に振りまくる。


「わ、私、ロイヤルガードだし! この身は姫に捧げたものであって、職務優先で色々とあれとかそれとかこれとか!」

「でもあれだろ? ベル子の先輩ロイヤルガードのアマンダって人は、婚約者がいて引退間近なんだろ?」


 結婚によって第一線を退くため、後進のベルグレッテたちを育成しているのだと聞いている。相手は任務の途上で知り合った平民の男性なのだとか。

 ロイヤルガードだからといって、男女の交際が禁じられている訳ではないはずだ。


「よし、ベル子も俺と婚約しよう」

「いやああぁぁああ!? も、もうやだ! リューゴがおかしくなったー!」


 ベルグレッテはその場から脱兎のごとく駆け出してしまった。


「ちょ、どこ行くんだよ!」


 流護が慌てて追いかけ始めた直後、


「姉様! アリウミ殿! 何をしているのですか!?」


 後から合流予定だったクレアリアがすぐ近くまでやってきていたのだろう。走り出した二人に気付き、後を追ってきた。


「げぇっ、出た! クレア先生! あっぶねええぇ!」

「出た、とは何ですか! 危ない、とは!? 本当にいちいち腹立たしい方ですね!」


 ついつい火に油を注いでしまう。一瞬で彼女の怒りゲージがマックスになった。それに加えて、


「あーっ、いた!」


 すぐ先の道から、ミアとクラスメイトたちの数人がぞろぞろと姿を覗かせた。


「ベルちゃんたち、遅いよ~。迎えにきたよ……、って、あれ!?」


 ベルグレッテはミアたちをも追い越し、どこまでも走っていく。


「ベルちゃん、どこ行くの!?」

「ベル子待ってくれって!」

「姉様!」

「おっと、かけっこですか!? 負けませんよ!」

「うお、チョーさんが本気出したぞ! は、速ェ!」

「リューゴ君……ほんと、いいケツしてんな」


 夜空に咲き誇る花火を背景に、どこまでも走っていく。


「オワッ!? な、何だ!? ……あァ? 何やってんだよ、あいつら?」

「ふむ。若さじゃの」


 脇の道から出てきたエドヴィンとダイゴスを追い越して。 

 真っ赤になった顔を見られないよう、全力疾走するベルグレッテと。追いかけようとするも、足が遅くて瞬く間に遅れ始めるミアと。そんな彼女を支えて走るクラスメイトたちと。一人、先頭を独走するおやっさんことチョーさんと。困惑しながらも、皆の後を追い続けるクレアリアと。今さら追いついたところで、皆がいるこの状況でどうしよう……とあえて速度を緩める流護と。


 祭りの空気に浮かれた街の中、若者たちは思い思いに、今を駆けていく。






「うーん……」


 場所はディアレーの宿。客室のベッドで一人。

 横になった流護は、眠れない夜を過ごしていた。


 ――あの後。

 皆で祭りの出し物や出店を巡って歩いたが、ベルグレッテとは一言も会話できなかった。目も合わせてくれず、近くに行こうとするとサッと距離を取られてしまう有様である。


 早まった真似をしてしまった感が、今頃になって押し寄せてきていた。


「う~む……」


 ベル子は人がいいから、本当はお断りしたいのに気遣って言い出せないのかもしれない。俺のことを異性として見られないのかもしれない。

 一人になって落ち着いた途端、そんな考えが次々と浮かんでくる。


「……やっちまったかー……?」


 吊り橋効果ではないが、祭りの空気やカップルだらけという状況に当てられてしまった面は確かにある。というより、まさか自分でもあんな風に告白することになるなんて思ってもみなかった。ほんの直前まで、そんな予定もなければ全く考えてすらいなかった。暴走した感に苛まれる。


(いや、やっちまったとしか……。だめだ……。明日になったら……謝ろう……)


 何にせよ、彼女を困らせてしまったことは事実だろう。同僚として、これからの仕事に支障が出てしまっても困る。

 申し訳ない気持ちを抱えつつ、少年は無理矢理に目を閉じた。






「んんー……」


 場所はディアレーの宿。客室のベッドで一人。

 横になったベルグレッテは、眠れない夜を過ごしていた。


 ――あの後。

 皆で祭りの出し物や出店を巡って歩いたが、流護とは一言も会話できなかった。目も合わせられず、近づかれそうになるとサッと距離を取ってしまう有様である。


 どうしよう。ほんとに、どうしよう。


「……リューゴの、ばか……」


 不意打ちすぎた。いきなりあんなことを言われて、どうしたらいいか分からないぐらい動揺した。いや、今も動揺している。とてもではないが、眠れそうにない。


「んむううぅー……」


 寝返りを打ってじたばたするも、状況が変わる訳ではない。

 できる限り平静を装っているつもりだったけれど、こういうことに鋭いミアには、しきりに「どうしたの、なにかあったのー?」とひっつかれてしまった。

 とうに流護の気持ちを知っているというクレアリアは、驚くほどいつも通り。彼に対しても、別段冷たく当たったりはしていない。あの妹が、認めたというのだろうか。それはつまり、流護と自分が付き合っても、問題ないと――


(って、なに考えてるの私!)


 ばふばふと額を枕に打ちつける。


(と、とにかく……)


 あの後、流護とは何も話せなかった。それどころか、逃げ出してしまった。

 今はしっかり眠って、明日になったらきちんと話をしよう。

 流護は自分の気持ちを打ち明けてくれたのに、こちらは何も言えていない。そんなのは不公平だ。彼にも申し訳ない。


(……うー)


 でも。

 顔が熱くて、胸がドキドキして、落ち着かなくて。

 嬉しくて、眠れそうになかった。






 それでも夜は更け。

 人はやがて、まどろみの中へと落ちていく。


 反するように。

 それは、目覚め――綻ぶ。

 どこまでも、純粋な感情をもって。






 やっと。

 やっと捕まえた。

 長かった。

 本当に、長かった。

 ああ。

 もう、絶対に。

 二度と。

 絶対に。二度と。ゼッタイ。



 ――――――――逃がさないからね。流護。



 それは。

 きっと許されない出会いを果たしてしまった二人の、物語。

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