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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
8. プログレッシヴ・イーラ
277/673

277. 秋天の異世界と穏やかな日々

 夕刻の食堂は、特に変わったところもなくいつも通りの混雑を見せていた。

 そんな賑わいに満ちた空間の一角で、やはりいつもと同じく食事をとるのは、流護とベルグレッテとミアの三人。

 今日は途中までレノーレが同席していたのだが、いきなり「……もはやこれまでか」などと言い出して退席してしまった。ちょっと意味が分からなかった。


「ふいー。ごちそうさまでした~」

「おう、もういいのかミア。デザートはどうだ? 今日はマンガルプディングがオススメみたいだぞ」

「うんうん、あたしも気になってたんだよね……! でも、お小遣いがそろそろ……」

「なぁに、奢ってやるとも」

「ううー……うれしいけど……おとといぐらいにも、おごってもらったばっかりだよー?」

「気にすんなって、ちょうど俺も食いたかったんだ。甘いスイーツ系ってあんま好きじゃないんだけど、マンガルは別なんだよなー。肉料理の後はあのスッキリした口当たりがたまらんのだよ。ベル子もどうだ?」

「…………ええ、そうね……」


 三人でデザートを楽しみながら、まったりとした時間が流れていく。

 一息ついたところで、ミアがガタリと席を立った。


「よーし、それじゃーあたし部屋に戻るね。課題やらなきゃ」

「おっ、やる気だなミア」

「うん、がんばるよー。あ、ベルちゃん。分かんないとこあるから、あとで聞きにいってもいい?」

「ん、いいわよ。でも、すぐに答えを教えたりはしないからね。解きかたは教えるから、まずはしっかり自分で考えてみること」

「うう、がんばります」

「あんまり根詰め過ぎんなよー。お、そうだ。後で夜食でも持ってってやろうか」

「わ、ほんと!? ありがとリューゴくん! 楽しみにしてるね!」


 ふすっ、と鼻息ひとつ、小動物のような少女はテテテと急ぎ足で食堂の出入り口へ向かうのだった。

 その後ろ姿を見守りつつ、流護はうんうんと頷く。

 最近は勉強も頑張っているようだ。父親代わりを自認する少年としては、何とも頼もしい限り。とはいえ、成績など別に優秀でなくともいい。アホの子でもいい。元気いっぱいに、すくすくと育ってくれればそれでいい。あと嫁には出さん。どうしても娘さんをくださいと言うのなら、俺を倒してからにしてもらおうか。誰だろうと全力でブチのめすがな。この世から消滅させてくれる。

 腕組みをしながらそんな風に唸る流護の向かいの席で、


「…………」


 紅茶のカップを手にしたベルグレッテが、少しジトッとした視線を送ってきていた。元から吊り目がちな彼女がこうした表情をすると、何ともいえない迫力がある。


「な、なんだよベル子さん。どうかしたか」

「……最近、思ってたんだけど……。リューゴ、ミアのこと甘やかしすぎじゃない?」

「え、えぇ? そ、そんなことないだろ別に……」

「ふーん……そうかしら……」

「そ、そうだよ」

「んー……」


 ミアの後ろ姿を目で追ったベルグレッテが、何やら訝しげに唸る。声を潜め、囁くように提案してきた。


「……リューゴ。今、ケータイデンワは持ってる?」

「え? あ、ああ。さっきミアから回収したけど」


 どうせこの世界では何の役にも立たない品である。最近は、携帯電話を玩具代わりにミアへと貸し出していることがあった。日付表示がバグったりし始めており、そろそろ壊れる前兆かとも思えるが、まだカメラ機能は生きている。異世界人の暇潰しとしては充分使えるのだ。雷属性を扱えるミアなら、自分で充電すら可能というトンデモぶりも相俟って。

 ちなみに自分で写真を撮ることを覚えたミアのおかげで、画像フォルダは色々とカオスなことになっている。この世界には本来存在しない物品なので、他の誰かに見つからないように使ってくれ、と言い含めてはあるのだが。


「……前に、リューゴが来たばかりの頃。私とミアとあなたと三人で、シャシンをとったことがあったわよね。あれって、まだ見られる?」

「ん? ああ。残ってるぞ」


 日本にいる頃から流護としては写真機能を活用することがまずなかったため、フォルダを展開すればその画像は一番最初に表示される。


「見せてもらってもいい?」

「……? 別に構わんが」


 ベルグレッテの意図を掴めないまま、流護は取り出した携帯電話を操作し、画像を表示する。


「はは。なんか、ちょっと懐かしい……な……、……あれ?」


 ――そうして。

 すぐさま、その異変に気付くこととなった。


「…………、やっぱり……」


 覗き込んだベルグレッテも、形のいい柳眉をひそめる。


 今から五ヶ月ほど前に撮られたその写真。

 二人の少女に挟まれ、顔を赤くして不自然な笑顔になった流護。その隣でカメラ目線を送るベルグレッテ。そして流護の肩に顔をちょこんと乗せた満面の笑顔のミア――はいいのだが、


「……これ……ミア、細いな」

「ええ」


 つまり。最近のミアはちょっと太ってきている。

 いつも一緒にいるとなかなか気付きづらい、ということか。


 振り返ってみれば当たり前かもしれなかった。最近の遠征先では必ず、土産(決まって食べ物)を買って帰り。何だかんだと、食事やデザートを奢ってやり。

 ミア自身が運動の苦手なインドア派であるため、余剰分のカロリーを消費する機会も少ない。


「……で、でもさ。俺に言わせりゃ、グリムクロウズの人はちょっと細すぎなんだって。今のミアぐらい肉付きがあった方がさ……」

「それ、本人に言って納得すると思う?」

「…………」


 流護が個人的にそう思ったところで、自分が『太った』という事実を好意的に受け入れる女性はそういないだろう。


 例えば、ミョール・フェルストレムという女性がいる。

 一見して茶色の大きなマントで全身を覆っていたものの、その下には露出高めな衣装と抜群のスタイルが隠されているという、思春期少年としては目のやり場に困る年上お姉さんだった。

 気さくでよく喋る彼女とは色々な話をしたが、流護にとって特に衝撃的で忘れられない逸話が一つある。

 ミョールは子供の頃、同い年の男たちに『デブ女』などと呼ばれてからかわれていたというのだ。むしろ今でも、少し口論になった場合などにはそんな罵声を浴びせられるのだとか。


(ワカッてない……実に嘆かわしいッ……)


 世を憂う為政者のように首を振る。

 デブだなんてとんでもない、と現代日本の少年は声を大にして言いたい。あれは最高にスタイルがいい、というのだ。正直、地球でもその辺のモデルでは勝負にならないレベルだ。ベルグレッテほどではないが豊満な膨らみを維持する双つの丘、ほどよくくびれた腰、臀部から優美な曲線を描く太ももへのラインに至っては、もはや芸術的といえる。彼女がデブなら、地球の女性は九割以上がそれに該当することになってしまう。おうお前ら、地球の人口の半数を敵に回したかんなぁ? 宇宙大戦争の開幕である。つか、ミョールをデブとか言う奴に男の資格はねえ。見る目がなさすぎる。その貧相な『棒』切り取って、エドヴィンのケツに突っ込むぞ。


 などとつらつら考えた末、


(……あっ!? あの遠征でケータイ持ってりゃ、ミョールの写真とか撮れたんじゃねーか……!)


 今この瞬間、気付く。痛恨の極みであった。

 ミョールならノリがいいから、普通にダブルピースとかもしてくれそうだ。

 ともかくそんな下心は別としても、携帯電話を持ち歩いていればレフェでの日々を色々と記録できたかもしれない。ミョールやゴンダー、そして桜枝里との思い出。レインディールとはまるで異なるレフェの街並みや風景を撮影することもできたはずなのだ。もったいないことをした、と純粋に少年は悔やむ。


 話が逸れたが、とりあえずミアが少しまるっとしてきた、ということである。地球の感覚で考えたなら全く問題ないレベルではあるのだが――

 もう一度、写真をまじまじと見る。そして、現在のミアの姿を思い浮かべて比較してみる。


「………………」


 うん。

 あれ、エサやりすぎたハムスターだ。


「俺が……甘やかし……すぎた、のか……?」

「そーねー。最近のリューゴ見てると、過保護なお父さんって感じがするものねー」


 ベルグレッテさんの瞳はじとーっと冷たい。


「だ、だってさ! ミアには、すくすくのびのびと育ってほしいしさ! わんぱくでもいいからさ! いっぱい食べて、幸せになってほしいしさ!」

「ぷっ。ふふふ、もう。なによそれ。気持ちは分からないでもないけどね」


 しかし、確かなことがある。この写真の頃より、今のミアが少し丸みを帯びてしまっているという事実。つまりこのまま同じ生活を繰り返していては、彼女はどんどん太くなる一方ということだ。

 おいしい食事に喜ぶミアの顔を見ることが楽しみの一つとなっていた流護としても、なかなかにつらい現実を突きつけられたといえる。


「この連鎖を……断ち切らねば、ならんのか……」


 渋面でうなだれる流護と、なんだかなーと苦笑うベルグレッテ。

 そうして、平和な夕飯の時間は終わっていくのだった。






「ふぅー……疲れたああぁ」


 ぐぐっと身体を伸ばすと、ポキポキと小さな音が響く。 

 ひとまず課題が一段落ついたミアは、机から離れてベッドに飛び込んだ。


(あとは、分からないとこをベルちゃんに聞きにいって……あ、そういえばリューゴくんが夜食ごちそうしてくれるって言ってたっけ。ぐへへへ、楽しみ~)


 しばらくゴロゴロしていたミアだったが、


「……うう、なんか寒いなあ、今日」


 秋も深まってきた今日この頃。そろそろ夜は肌寒くなってきている。

 去年購入した、ジェイロム商会最新型の温術器おんじゅつきを出すにはまだ早い。少しだけ厚着しよう、とクローゼットの前へ向かう。


「……おっ!」


 色々な服を漁っていたところで、それを発見する。去年購入した、冬物の衣服だった。もこもこした長毛が心地よい、暖かな部屋着である。

 せっかく見つけたのだから少し着てみよう、と着替えを開始して―― 


「…………あれ? なんか、肩が……や、腰周りもきつい……」


 そんなはずは、と何度も確かめる。


「…………」


 きつい。気のせいじゃない。

 単純極まりないその事実は、少女にある無慈悲な結論を突きつける。

 そこでコンコン、と部屋の扉を叩く音があった。


「あ……はーい。何者じゃー、名を名乗るがよーい」

「……こんばんは。……我が名はレノーレである。……封印されしこの扉を開けられたし」


 ノリのいい親友を迎えるために戸を開け放つ。

 そこにいたのは、名乗った通りクラスメイトの少女、レノーレだった。さらさらした金髪を肩まで伸ばした、メガネの女子生徒。常に無表情、口数も少ないが、人見知りという訳でもない。まさしく今のように、ミアの調子にも合わせてくれる相棒だ。ちなみにそういう場合も、変わらず無表情。抑揚のない声のままである。


「……ミア殿よ。……ノートを返していただきたく、参上つかまつった」

「あっ、そうだったね。ごめんごめん」

「……ところでミア。……薄々思ってはいたんだけど」


 レノーレの静かな青い瞳が、メガネ越しにじっと向けられる。去年の冬と同じ格好をしている目の前の相手を見て、判断したのだろう。決定的なその一言が繰り出された。


「……太ったね」


 それはもう容赦なく。


「…………、…………――ッッ」


 グサリと言葉の刃が胸に突き刺さる。

 よろめいて倒れ伏しそうになったミアは、辛くもその場で踏み止まった。負けを認めまいとする騎士がごとく。


「う、うん。やっぱりそうだよね。今さっき、あたしもその事実に気づいたのだよ……。ありがとう、見なかったことにしようと思った現実と向き合わせてくれて」

「……太りもうしたね、ミア殿」

「うぅるっせーよ!? 今聞いたよ! なんで丁寧に言いなおすんだよ!」

「……そうやって絶叫させれば、少しは痩せる手助けができるかなと思って……」

「ああ、ありがとう。レノーレはやっぱり親友……、うん、『ずっとも』だよ」

「……ずっとも?」

「なんか、仲のいい女子の合言葉? みたいなものなんだって。リューゴくんが言ってた」

「……ずっとも」

「ずっとも!」


 そんなこんなで、いつも通りの夜が更けていく。

 うん、痩せよう。リューゴくんが夜食ごちそうしてくれるって言ってたけど、断りにいこう。すごく食べたいけど。

 そんな風に決意を固めるミア十五歳、秋の夜のことであった。






 よく晴れ渡った秋空の下。芝生の中庭に、ヒュンヒュンと風を切る音が小気味よく連続する。

 その身を小刻みに弾ませていた流護は動きを止め、手に握るそれをまじまじと見つめた。


「……よーし。いい感じじゃん」


 両手に握る簡素な木のグリップ。その先に続いているのは、細く長い縄。

 つまり、縄跳びである。

 トレーニング器具の一つとして、自分で作成したのだ。材料については、この学院で雑務を担当しているローマン(この世界に来た直後はしばらく世話になった、元上司ともいえる人物である)が気前よく提供してくれた。

 色々と不便なことも多いこの異世界。術も使えないし、多少のものは自分で作れるようになっておこう――との思いもあって、工作の練習を兼ねて昼過ぎからチマチマと製作していたのだが、ようやく完成したのだった。


 さて、ボクシングのトレーニングなどでもおなじみ縄跳び。ロープスキッピングとも呼ばれる、れっきとした練習メニューの一つである。

 体力をつけるなら走ったほうが効果的なのでは……とも思えるが、ランニングだけでは養えない部分を磨くことができるのだ。

 例えば、リズム感。特にこの異世界へやってきて以降、脚を使ったノーガード気味の構えを取ることが多い流護には重要な点となる。

 他には、手首リストの鍛錬。ようは、強いパンチを作るためだ。『拳撃ラッケルス』などという二つ名を授かって食っていくことになった以上、最も疎かにできない要素といえるだろう。

 練習に場所を取らないなど、地味な利点もあったりする。

 我ながらいい仕事だ、と満足していると、今日の授業を終えたらしいベルグレッテとミアがやってきた。


「リューゴくん、あそぼー! ……ん? それなにー?」


 やはりというか、好奇心旺盛なネコのようにミアが興味を示してくる。本来、この世界には存在しない道具なのだ。


「うむ、これは縄跳びといってな。こうやって」


 トレーニング式の素早い跳び方ではなく、子供がやるように両足でピョンピョンと実演して見せる。


「うわあ、すごい! おもしろそう!」

「へえ……単純な動作に見えるけど、ずっと続けていたらかなりの運動になりそうね」


 ミアとベルグレテッテが、それぞれ『らしい』感想を口にした。


「ああ。ベル子の言う通り、繰り返してやってるとこれが結構……あ」


 そこで閃いた流護は、白々しく言ってみる。


「……えーと例えば、最近ちょっと太ってきたなー、とか思うような人にもいい運動になったりするんだよな、これが。おすすめ」


 それは昨夜のこと。ミアが、苦汁の決断を下したような顔で「夜食はいらない」と申し出てきたのだ。何やらものすごい歯を食いしばって。

 鈍いとされる流護でも、容易に察することができた。

 ……気付いたのだ。ミア自身、自分がちょっとまるっとしてきたことに。


「へー……。う、運動になるんだ……。ね、ねえリューゴくん、あたしにもやらせて!」

「おう、いいぞいいぞ」


 予想通りというか、乗ってきた。

 手渡してやると、ミアはふんと鼻息ひとつ、流護の見よう見まねで縄をぐるんと前へ回す。


「えい! あ!」


 回した縄が足にぱしっと当たり、一秒近くも経ってからピョコンとミアが跳ねた。


「ははは。タイミング遅かったな」

「も、もう一回!」


 何分なにぶんこの世界に存在しない運動であり、ミア自身がひどく運動音痴なこともあってなかなか跳べないが、初めて経験する縄跳びそのものが楽しいのか、めげずに頑張っている。


「そうだな。ジャンプするときに、腕とか手首を下に向けるんだ。それと同時に飛ぶ感じで……あんま力みすぎないよーにっつーか」

「あっ! できた!」

「おお! そうそう、そんな感じ」


 少しコツを掴んできたようだ。一回一回の跳躍が不器用で不安定かつ全力だが、本人が楽しそうなので問題はないだろう。


「ふふっ」

「ん? どうしたベル子さん」


 隣のベルグレッテに顔を向ける。


「ううん、なんでも。微笑ましいなー、って」

「ミアが?」

「ふたりとも」

「えぇ? ……ったく、なんだよそれ」


 何だか気恥ずかしくなって、明後日の方角へ目を逸らし――


「ウワー!」


 すぐ脇から、縄跳び挑戦中の少女の悲鳴が聞こえてくる。

 何事かと視線を戻せば、全身に縄を巻きつかせて雁字搦めとなったミアが転がってジタバタしていた。


「ウッソだろ……。目ぇ離したほんの一瞬の間に何があったんだよ……」

「わかんないよ! 助けてー!」

「いやミアの場合そういうオチもありえるかな、って思わないでもなかったんだけど、実際にそうなってるの見ると驚愕を禁じえない。しかも一瞬で」


 ぐるぐると絡まった縄をゆっくり丁寧に解いてやると、勝手に捕縛されたハムスターは「ふーひどい目にあった」と目の端に涙を浮かべた。


「難しいよ~。なにか、コツとかないの?」

「つってもな……練習あるのみだろうなあ。まあ、これは俺用に作ったやつだから、ミアがやるにはちょっと紐が長すぎるかもな」

「うーん……そっかー。あ。ねえねえ、ベルちゃんもやってみない?」

「え? 私?」


 ミアのリクエストで、ベルグレッテが縄を手に取る。しげしげとグリップとロープを眺めて、

 

「服に引っかけそう……。上衣を脱いだほうがやりやすそうね」

「ま、れっきとした運動だからな。繰り返しやってればかなり息も切れるし、できるだけ身軽になった方がいいと思うぞ」


 彼女の背は流護とそう差はないので、ロープの長さについてはネックにならないだろう。

 制服の上着を脱ぎ、簡素なシャツ風の半袖姿となったベルグレッテが両足の後ろに縄を当てて、よーしと身構える。ぐるんと両手を回し、


「ほっ」

「わあ! ベルちゃんすごい!」

「おおう」


 一回、二回、三回。初体験となるだろう縄跳びを、かなりゆっくりではあるが確実にこなしていく。さすがに運動神経がいい。


「全然余裕あるな。もっと速くしてもいけんじゃね?」

「そうね……、それじゃあ」


 そうしてテンポを上げ、おっかなびっくりだった跳躍がきちんとした形――『連続した縄跳び』となったその瞬間、


「!?」

「!?」


 流護とミアの驚愕が完全同期した。

 そんな二人のことなどつゆ知らず、ベルグレッテは危なげなく軽快に縄を跳び続けているのだが――


 ベルグレッテという少女には、ある際立った特徴がある。

 超絶美形、頭脳明晰。そして、抜群のスタイル。

 端的にいえば。

 胸が。大人の女性と比較しても大きめなその部分が、繰り返す跳躍によって、それはもう激しく。たゆんたゆんと。


(でかい)

(でかい)


 ゴクリと生唾を飲み込む二人に気付いたベルグレッテが、跳び続けながら「?」と訝しげな目を返し――


「っ!」


 すぐさま、流護たちの視線が意味するところに気付いたようだ。

 ピタリと即座に縄跳びを止めた彼女は、片手で胸の辺りを庇うようにしつつ縄を差し出してきた。その姿すら様になっている。大事な部分を手で隠している女神が描かれた、有名な絵画のようであった。


「……っ、もうやらない……」

「おいおい、何でだよ! これ、いい運動になるんだぜ! やろう! これから毎日! 欠かさず! ほれ、ミアからもなんか言ってやって」

「う、うん! えーと……ぷるんぷるん!」

「それ今一番言っちゃいけない擬音だと思うんですけど」

「やらない! もう絶っっ対やらない!」


 顔を真っ赤にした少女騎士が、両腕で自分を抱くようにして胸を庇う。むしろそうした仕草をされることで流護としては余計にそそるのだが、純真な彼女はそんな思春期少年の内心に気付くこともなく。


(ぐへへへ、たまらんのう、たまらんのう)


「リューゴくんが『ぐへへへ、たまらんのう、たまらんのう』って顔してるよ~」

「え? あれ? 俺、今声に出してた? 出してないよね?」

「もう、知らないっ……!」

「わ、待ってよベルちゃーん」

「いや、悪かったよベル子……!」


 早足でその場を去っていくベルグレッテを、慌てて二人で追う。

 とりあえず、縄は芝生の隅に放り出して。






「あ? 何だ? この紐はよ」


 中庭を通りかかったエドヴィン・ガウルとダイゴス・アケローンは、そこに放置されている奇妙な物体に気がついた。

 長さは二マイレ程度だろうか。細めの縄の両端には、木製の『握り』のようなものがついている。


「何に使うんだ? こりゃ」


 拾い上げたエドヴィンがしげしげとそれを眺め、当然の疑問を口にした。

 場所は壁際の一角。ここは、いつも流護がトレーニングに励んでいる場所でもある。近くの木枝からぶら下がる砂袋、隅に置かれた黒牢石製の重々しい鍛錬器具たち。となれば、これも彼が使用する何らかの道具なのだろう。


「何だと思うよ? ダイゴス」

「……ふむ」


 糸目をさらに細めて思案する素振りを見せる巨漢。ややあって、その結論が導き出される。


「――武器、じゃろうの」

「これが? ただの紐だぜ? どーやって使うんだよ」

双流極そうりゅうきょく、に似とるが……両端が些か頼りないの。紐も短い。修練用やもしれん。……部分部分も粗いな。アリウミが自作したんじゃろう」

「ソウリュウキョク? って何だよ?」

「レフェに伝わる武器の一つじゃ。昔は、流星錘りゅうせいすいとも呼ばれとったそうでな。この型であれば紐の中央を握り、振り回して両端で打ち据える。重石でなく刃を括り付けた物も存在するが、そちらはジョウヒョウと呼ばれとったらしい」

「へー。説明だけだとよく分かんねーな。やってみせてくれよ」

「これの扱いはあまり得意ではないんじゃがな。どれ」


 受け取ったダイゴスが、縄の中間を持って浅く腰を落とす。


「ふっ」


 回した手の動きに従い、縄が空を裂く。徐々に加速した残像が、やがて真円を描く。

 まさしく変幻自在。巧みな所作に従い、その円がダイゴスを取り囲むように動きながら展開された。ビュバババ、と凶悪な風切り音が中庭を席巻する。

 元はしなやかな紐のはずだというのに、加速を増したそれが縦横無尽に閃く様は、強靭な槍が振り回されているようにも見えた。


「うおおおぉぉ、すげェ! よく絡まねーな! 大道芸みてーだな!」

「実際、武術でなく見世物として披露する者もおるからの」


 縄を回しながらいつも通りの薄笑みで答えた巨漢は、


「疾ッ!」


 これで終いとばかり、奔らせた端の重石を木から吊り下げられている砂袋へと叩きつけた。

 パン、と乾いた音が響き渡り、


「あっ」


 同時にエドヴィンの声が漏れる。

 凄まじい勢いで叩きつけられた先端の木製部分が折れて、真っ二つになりながら飛んでいってしまった。やはり威力に乏しく、吊り下げられた大きな砂袋はかすかほども揺らがない。


「む……やはり脆いな。修練用にしても強度が足りんうえ、如何せん軽すぎる。……余計な世話やもしれんが、詫び代わりじゃ。直しついでに改良してみるとするかの」

「どーすんだ?」

「道具は常に持ち歩いておる」


 そう言ってダイゴスは、投擲用の刃や硬質の分銅など、数々の物騒な品を懐から取り出した。






「ったく……やったらと忙しい放課後だったな……」


 どっと疲れた流護は、ミアと並んで廊下を行く。

 廊下の窓から差し込む橙色の光が目に眩しい。

 今年――大陸暦七八一年と呼称することを流護はかなり後になって知った――は、ファーヴナールの年と呼ばれる厄年である。

 夕刻に時折出現する、空を覆い尽くす不気味なうろこ雲の群れもその特徴の一つ。

 まさに今、上空にはそんな光景が広がっていた。

 しかしその厄年も後半に差しかかったゆえか、皆、この空模様に慣れつつある。かくいう流護もその一人。今や、また変な空になってるなー、程度の感想だった。

 六十年に一度と伝わるこの年。遭遇できるのは周期を考えても一生に一度きりの者が多いだろう。年の暮れを迎える頃には、この不気味な空模様が見れなくなることを惜しんだりするのだろうか。

 そうして秋も深まってきた今日この頃。驚くほど早く、外は宵闇に包まれるようになってきた。


 流護が手にした物騒な道具に目を向けたミアが、苦笑いしつつ切り出す。


「それにしても、すごいことになったね。そのなわとび……」

「はは……もはや縄跳びじゃねーよ、なんだこれ……」


 縄の両端に凶悪なおもりがついた物体。完全な武器へと変貌してしまったそれをぶら下げ、流護も乾いた笑いを漏らす。

 ダイゴスが「すまんアリウミ、壊してしもうた」と持ってきたことにも驚いたが、「じゃが修理しておいたぞ」と渡された縄跳びが中国武術で使われていそうな暗器と化していたのだからもはや驚愕である。違う、そうじゃない。

 今や遠い昔のことにすら思える現代日本において、師となる人物から武器の手ほどきも多少受けていた流護ではあるが、


「つかこれって、完全に流星錘だよな……。さすがにこんなモン使えんぞ俺は。薙刀とかないのに、こういう武器はあるんだな……レフェって」


 さすがは東洋の神秘っぽい国、レフェ巫術神国というべきだろうか。


「まーとにかくあれだ、縄跳びはまた作るよ。どっちかって言うと、工作の練習として作る方が目的だったからな。そうだ、ミア用のやつも作ってやろうか?」

「え、ほんと!?」

「おう、任せとけって」


 ベルグレッテが聞いたら、また「甘やかしてる」と言うだろうか。まあ、ダイエットに繋がることだから問題はないだろう。


 顔を真っ赤にして走り去ってしまったベルグレッテを追って。そこへ、彼女らのクラスメイトの一人でありミアに惚れているアルヴェリスタもやってきて。彼がミアに近づけないように、厳格な父親みたいに顔をしかめながら二人の間に割り込んで。あれこれと話し込むうち、武器と化した縄跳びを持ったダイゴスとエドヴィンがやってきて。何とも賑やかな時間だった。


「いや待てよ……。あれだ。縄跳び量産して、遊び道具として売り出せば金稼げるんじゃ……」

「あははは。でも、みんなでなわとびやってみるのも面白そう」

「はは、そうだな。ま、ミアみたいに勝手に縛られて身動きできなくなるよーな猛者はそういねえだろうな」

「あ、あれはなにかの間違いだもん!」


 プンスカしているミアをなだめるうちに、部屋の前へたどり着く。


「あ。じゃあリューゴくん、また夕ごはんのときにね」

「おう」

「…………」


 自室に入ろうとした流護だが、ミアがふと儚げな微笑みを浮かべていることに気がついた。


「ん……どうかしたか、ミア」

「あ、ううん。なんだか……楽しいなー、って。ずっとこんな毎日が続けばいいのになー、って思って」

「おう、それはフラグだぞ」

「ふらぐ?」

「うむ。俺の故郷ではな、『こんな平和な毎日がずっと続けばいいのに』とか『この戦いが終わったら結婚するんだ』とかってセリフは禁句として知られている。そういうこと言うと、後でその願いをブチ壊すように逆のことが起きるんだ。『まさかあんなことになるとは、この時は思ってもみなかったのです……』ってなる」


 主にフィクションの世界の話ではあるが。


「そ、そなんだ。……あ! じゃあ、逆にすればいいんじゃない?」

「逆?」


 ん、と咳払い一つ。ミアの顔からスッと明るい表情が消えた。



「コンナ平和ナ毎日……終ワレバイイノニ……」



「怖っ! 怖ええぇよ! 病んでるじゃねーかよ! だめだ、それはそれで本当に終わりそうだわ」

「あはははは! じゃあだめだね~」

「そういやミア、声変えて迫真の演技すんの得意だったな。忘れてたわそんな設定」

「せってい?」

「まあでも、あれだよ」


 部屋のドアノブを握りながら、遊撃兵の少年は彼女のほうを振り返る。


「俺はさ、『平和な毎日が続けばいいのに』とは考えないようにしてる」

「それは……『ふらぐ』だから?」

「いや。『続けばいいのに』じゃなくて、平和な毎日を『続ける』んだ。自分の力で、障害は乗り越えてな。今の俺自身が遊撃兵だからってのもあるかもだけど、そうやって自分で平和を維持する、って考えるようにしてる」

「…………、」

「俺も、今の暮らしが楽しくて仕方ないからさ。みんなでバカやって楽しめるこんな毎日がずっと続くように、努力するんだ」


 最初は、現代日本へ何とかして帰ろうと考えていた。

 仮初めだったはずの異世界の人々との関係は、こんな日常は、いつしかかけがえのないものへと変わっていた。

 今まさにドアノブを回して入ろうとしている部屋も『仮住まい』ではなく、心から安らげる『自室』となった。


 ――このグリムクロウズという世界が、紛うことなき自分の生きていく場所になった。


「……っと、なんか語っちゃったな。そんじゃとりあえず、また後でな」

「リューゴくん」


 ぴょこん、と後ろに小さく跳ねたミアが、はにかんで笑う。


「…………ずっと、一緒にいてね!」


 秘密の告白をするような口調で。

 そんな彼女の顔が赤いのは、窓から差し込む夕日のせいだけだろうか。


「じゃーあとで!」


 何か答える暇もなく、少女は踵を返して駆け出していく。


「…………な、何だってんだ。だからそーゆーのはフラグだと……、まったく、ギャルゲじゃねーんだから。まったく。からかうんじゃありません、まったく」


 気恥ずかしくなった流護は、とてとてと遠ざかっていくミアの背中を見送りながら自室へ入るのだった。

 ドアノブを押しながら入室したつもりが上手く回せておらず、思い切り扉に顔をぶつけたのは内緒である。そこで取り落とした流星錘の先端が脛に直撃して痛かったのも内緒である。

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