276. その人たち
芝生の上を駆け、交錯する両者。大地に映る影だけを注視したなら、舞踏に見えなくもない。それほど、至近の間合いで繰り広げられている戦闘だった。
「……っと!」
輝く白銀の水流が、耳元を浅くかすめていく。
頬濡らす細かな飛沫は、その一撃が限りなく肉薄していたことの証でもあった。紙一重で攻撃術の回避に成功した流護は、
「シッ!」
深く踏み込むと同時、腹打ちの軌道で右拳を繰り出す。
「はっ!」
応えるように中庭に響き渡るは、少女の鋭い呼気。そして、ガキンと木霊する硬い金属の残響。
迫った右の拳を、ベルグレッテは左手で引き上げた腰の鞘によって止める。さらに、威力に逆らわずそのまま受け流す。
「――やっ!」
そして、反撃の返す刀。すぐさま振り下ろされた右の水剣が、
「うおっ……と!」
限界までのけ反った流護の前髪に触れ、毛先を濡らしていく。
袈裟斬りを空振ってふらつく少女騎士と、無理な体勢の回避でよろける空手家。
状況は――五分と五分。
「はいっ! 三分たったよ! そこまでー!」
飛び込みながら割り込んだのは、傍らで二人の交錯を見守っていたミアだった。それを合図に、両者は戦闘態勢を解く。
「あーっ、いけた! と思ったのにー……」
額に浮かんだ汗を拭いながら、ベルグレッテが肩で荒く息を整える。
「ふー……。いやー、最後のはいい感じだったな」
流護も一息ついて、どっかとその場に座り込んだ。
「でもベルちゃんすごいよ! リューゴくん相手に、戦えるようになってる! これ、試験の模擬戦ならきっと引き分けだよ!」
自分のことのように興奮しきりなミアの言葉通り。
ベルグレッテは、レフェから戻って以降の二ヶ月で飛躍的に腕を上げていた。わずかな間であれば、流護との格闘戦が成立する域まで達している。
もちろん流護も、まだまだ全力には程遠い。重いパワーリストを装着したまま、そのうえで直撃をもらうことは一度もないのだが、これまでより息が切れるようになってきていた。
「ん……ひたすらリューゴとの訓練を繰り返してるから、慣れてきてるってのもあると思うけど……」
「謙遜すんなって。慣れだけでここまで張り合われたら、『拳撃』の遊撃兵なんて商売上がったりだよ」
切っ掛けはやはり、兄の仇たる『黒鬼』を討ち果たしたことだろう。
精神的な壁を乗り越えることは、時として大きな成長に繋がる。越えられない存在と認識していたプレディレッケを倒したことで、彼女は一つ上の段階へと進んだのだ。
「次こそは、なんとか一撃当ててやるんだからっ」
「はっはっ。がんばりたまえ」
二人で芝生に座りながら休憩していると、
「やっとるの」
「毎日毎日、頑張ってんなァ」
そこへやってくる、寡黙な巨漢ダイゴスと、パンチパーマの不良学生エドヴィン。おなじみのコンビである。そんな男子二人の姿を見るなり、
「ダ、ダイゴスっ。だめだからねっ」
息も整わないままに、ベルグレッテが巨漢へと制止の声を投げかける。
「リューゴもっ」
目の前に座る少年にも。
「分かっとる」
ダイゴスはいつもの不敵な笑みをたたえながら答え、
「あ、はい、重々承知してるでござる……」
流護も小さくなりながら頷いた。
……それは、ダイゴスが学院に戻りしばらく経ってからのこと。
有海流護とダイゴス・アケローン。第八十七回・天轟闘宴にて、最後まで覇を競った戦士である両者。もはやその知名度の上昇は留まるところを知らない(ダイゴスが実はとてつもない実力者であることも、当然明るみに出てしまった)。是非見てみたいという周囲からの要望もあり、二人は訓練の模擬戦という形で立会うことになったのだ。
――が、率直に言うならば。ヒートアップしてしまった。それはもう、お互いに。
天轟闘宴ファイナリスト同士の一戦。武祭の時は、互いに万全の状態で闘えなかったという事情もある。「怖ぇなあ……」「怖いのう……」などと格闘マンガみたいに言い合いつつ、しかし苛烈さを増す雷撃の渦と、訓練の域を越えていく打撃の応酬。集まった生徒たちが盛り上がりつつも逃げ惑い、最終的には教員たちが総出で駆けつけてくる――という大騒ぎになってしまった。
「何でぇ、決着つけねーのかよ?」
当時最高潮に盛り上がっていた一人であるエドヴィンの冗談交じりな問いに対し、
「決着ならついとる。ワシではアリウミには勝てん。あの立会いで、武祭の結果も当然のものじゃったと改めて納得した」
「よく言うぜ、ダイゴス先生。もし近くで桜枝里が見守ったりしてたら、絶対引かなかっただろ」
「ふむ。ならばやはり、あ奴をこの国に連れて来んで正解じゃったかの」
「まずサエリが見てたら、大ごとになる前に絶対止めに入ってたと思うわよ。そのあたりでやめなさい、って」
そうして、『神域の巫女』を知る三人は笑い合う。
「チッ……しょーがねーな。まァ、ダイゴスもアリウミも、いつか俺がブッ倒してやっからよ……」
「エドヴィン……」
「何だよ、ミア公」
「なんでもない」
「オイ、その売られそうになってるカワイソーな仔牛を見るよーな目をやめろ」
そうして五人で他愛ない雑談に興じていると、ベルグレッテの耳元に通信の波紋が広がった。
「リーヴァー、こちらベルグレッテです」
『リーヴァー、ね、姉様ですか!? クレアリアです!』
向こう側から響いてきたのは、今は城にいる妹さんの声だった。常時落ち着いた物腰の彼女としては珍しく、明らかに冷静さを欠いている。
「ど、どうしたのクレア。なにかあったの?」
当然ながら困惑する姉へ、妹は話すのももどかしいとばかりの勢いでまくし立てた。
『聖妃とアマンダ姉の帰還が、正式に決定したそうです! 来月の十三日! お二人が、ついに戻られるそうですよ!』
レインディール王国を統べる勇敢で屈強な武王、アルディア王。
そんな父とは似ても似つかぬ可憐で清楚な王女、リリアーヌ姫。
この両者は親子なのだから、当然、アルディア王にとっての妻となり、リリアーヌ姫にとっての母となる女性が存在するはずである。
しかし流護は今まで、その人物を目にしたことがなかった。
ベルグレッテとクレアリアは、ロイヤルガード『見習い』である。
『王族の方々のお傍について、この命に代えてもお護りするのが仕事。私と妹は、姫さま付きなの。……見習いだけど』
かつてこの世界へやってきたばかりの流護がベルグレッテ自身からそう聞いたように、見習いである彼女ら姉妹には当然、先輩となる『正規』ロイヤルガードが存在するはずである。
しかし流護は今まで、その人物を目にしたことがなかった。
スープの器を両手で包むようにしながら、流護は申し訳なさそうに告白する。
「いや、その……てっきり、お亡くなりになったりしてるもんかと……」
「リ、リューゴ。それ絶対、ほかの人に言ったりしたらだめだからねっ」
夕刻、食堂の片隅の一席にて。サラダをつつきながら小声でそう言うに留めるのは、ベルグレッテが持つ底無しの慈愛ゆえか。
「リューゴくん、強気すぎるよう……」
さすがに無礼極まりない発言だったか、ミアも周囲を窺うようにキョロキョロしながら囁く。
「で、でもよー。今まで一回も会ったこともないし、誰も何も言わないから、そう思っちゃってもおかしくないだろ? 本当に亡くなったりしてたら悪いから、俺からは何となく訊きづらいし……」
「う……たしかに、なにも説明しなかったこっちにも落ち度はあるわよね……。ごめんなさい」
この中世的な文化と国柄だ。一国の王妃と姫の専属護衛騎士に対し「出てこないから死んでるのかと思った」などとのたまえば、侮辱罪と見なされての処罰もありうる。
ようやくこの世界での生活に慣れてきたとはいえ、こういうことには気をつけないとな……と肝を冷やす流護だった。むしろ慣れてきた頃が一番危ないかもしれない。もっとも、浅学な現代日本の少年なりに気遣ったからこそ自分からは言い出さなかったのだが。
――それはともかく。
アルディア王の妻にしてリリアーヌ姫の母親、この国では『聖妃』と呼称される準最高権力者、エリーザヴェッタ・アウシュベリア・レインディール。
ベルグレッテら姉妹の先輩に当たる正規ロイヤルガードの女性騎士、アマンダ・アイード。
長らく王都を離れていたこの二人が率いる一団――通称・白鷹隊が、近いうちに戻ってくるとのことだった。
「そもそも『戻ってくる』ってどういうことだ。そんな王族のすごい人がずっと留守だった、ってのはどういうことなんだ」
半年ぶりの帰還だという。流護がこの世界へやっきておよそ五ヶ月。聖妃たちはその少し前から、長らく王都を空けていたことになる。
そもそも、それほどの地位にいる人物が外へ出て、危険な目に遭ったらどうするのか。
童話などでは、一国の王子が一人旅に出るといったようなエピソードを目にすることがある。世界を跨いでも共通なのか、レインディールの文献でもそういった創作話や実話が存在した。
王子が一人旅とか危機感ないの? 大丈夫なの? と思ってしまう流護だったが、これには『王族や男として箔をつけるため』という理由があるらしい(ベルグレッテ談)。
しかし王の妻に相当する人物ともなれば、箔づけのために外界へ繰り出したりはしないだろう。
「聖妃は、特殊な探査術の使い手としてもご高名な詠術士なの。その二つ名は『万理の御手』。あのおかたのご慧眼は、全てを見通すとされているわ。とにかく私も、任務の詳細は聞かされてないんだけど……その術を使ってあるものを探すために、旅立たれたとだけ……」
「ふーむ。それで戻ってくるってことは、その探し物が見つかったってことなのか?」
「どうかしら。見つからず、一旦引き上げた……ということも考えられるけど……その点は報告待ちね」
「んー、探しものってなんなんだろー。気になるね!」
「だなあ」
ミアの言葉はもっともだ。
一国の王の妻。特殊な術が使えるとはいえ、それほどの地位にいる人物が自ら赴いてまで探さなければならないものとは、一体何だろうか。ベルグレッテですらその内容を知らないとなれば、相当な重要度だろう。
ともあれ聖妃エリーザヴェッタとアマンダが戻ってきた折には、流護も初顔合わせのために呼ばれるだろう、とのことだった。
(んーむ……あの王様の奥さんと、ベル子たちの先輩か。どんな人らなんだろうな……、ん?)
そこでふとあることが気にかかった流護は、率直に当人へと尋ねてみる。
「ベル子とクレアは、姫様のロイヤルガード見習いだよな。で……そのアマンダさんって人が、姫様の正規のロイヤルガードなんだよな」
「? そうよ?」
「つまり三人とも、リリアーヌ姫のロイヤルガードってことだよな。その聖妃の人のほうに、ロイヤルガードってついてないのか?」
まるきり話題に出てこないので気になり、そう尋ねてみる流護だったが、
「もちろん、ついてらっしゃるわよ」
ベルグレッテは当然とばかりに首肯した。
「あ、やっぱいるんだ。その人は、その遠征には同行してんのか?」
「ええ、もちろん。とても有能なかたよ。私としても、目標にさせていただいてる騎士の一人よ」
「へえ。どんな人なんだ? 聖妃つきのロイヤルガードだから、やっぱ女の人だよな」
ロイヤルガードは、警護対象と同性の人間が選出されると聞いている。
「ええ。素敵な女性よ。ただ……その……とっても、目立つことを嫌うかたなの。謙虚で、努力家で……素晴らしい騎士なんだけど、自分のことを話題にしないでって。あまり喋りたがらないし、人前に出ることも極端に避けたがるかたで……」
「んん……? な、何だそりゃ」
「ポミエ様だよね! こんなこと言うと失礼かもだけど、小さくて可愛らしいかただよね!」
いきなりそんなことを言い出したのはミアである。
(小さくて……可愛らしい……?)
流護はそう発言した当人をまじまじと見つめる。それはもう、「お前が言うのか」との意味を込めて。この世界の人々は基本的に背が高いこともあって、ミア(おそらくその身長は百五十センチに満たない)よりミニマムな人間など、そうそう見かけるものではない。
「だ、だめよミア……! あのかたに『小さい』とか『可愛らしい』とかは禁句なんだから……!」
「うう、でもー」
「ミアだって、子供扱いされたら怒るでしょ? 同じことよ。あのかた、ああ見えてオルエッタと同い年なんだから」
「ううーん、なるほど。そっかー」
(……よく分からんけど、合法ロリか何か?)
それも気になるところだったが、今はその前にまず、ディアレー降誕祭が控えている。
しばらく遠征や討伐任務は控えることにした流護だったが、結局のところ忙しい日々に変わりはなさそうだ、と気を引き締めるのだった。




