274. 東の風
定食を受け取り、どこの席に座ろうかと食堂内を見渡していた流護とベルグレッテとミアの三人は、すぐに見知った顔の一人を発見した。
「おっ」
流護を先頭に、その人物の下へ歩み寄っていく。
「よ、ダイゴス」
「お主らか」
一人静かに食事をとっていたのは、飾り気のない寡黙な巨漢。ダイゴス・アケローン。
「一緒にいいか?」
「構わんぞ」
「それじゃあお邪魔するわね、ダイゴス」
「ダイゴスはなに食べてるのー?」
周囲の席に座る生徒たちから、おお……と感嘆の声が上がる。明らかに注目されていた。
(……むむ)
少し居心地の悪さを感じてしまう流護だったが、皆の関心が集まるのも無理はない。有海流護とダイゴス・アケローン。レフェで開催された今回の天轟闘宴において、最後まで覇を競っていた二人なのだ。
気にしないよう意識しつつ、巨漢の対面へと陣取る。
――天轟闘宴が終わった後。
レフェ巫術神国は、かつてない試練の連続に見舞われることとなった。
まず。ダイゴスの兄にして矛の家系の長であるドゥエン・アケローンが、死亡した。
武祭の最終戦――流護とダイゴスの闘いが決着を迎えたそのときには、すでに意識不明の重体に陥っていた。すぐさま救護班による応急処置がなされ、城へと運び込まれて治療の限りが尽くされたものの、夜には死亡が確認された。
……のだが。奇妙なのは、そこからだった。
確かにドゥエンの心拍は止まり、呼吸も止まった。しかし、体温が下がらないのである。また、腐敗が進むこともなかった。
かの国における医学的視点からすれば、確かに『死亡』としか表現しようのない状態だという。
レフェ最強と名高い戦士はそのまま目覚めることなく、武祭から二ヶ月が経過した今もまだ『眠り続けて』いる。まるで、彼の時間だけが止まってしまったかのように。この不可思議な世界であっても過去にこういった事例はなく、全くの原因不明とのことだった。
もしかしたら、と。かすかな希望にすがるレフェの者たちの意向もあって、今のところ埋葬は予定されていない。
そしてレフェの苦難は、それだけでは終わらなかった。
武祭を終えて数日後、王である国長カイエルまでもが倒れてしまったのだ。ただでさえ高齢だったうえ、随分と心労が積み重なっていたらしい。復帰の目処は立たず、現在もまだ臥せったままである。
さらには『十三武家』の強力な使い手が行方不明となっていたり、剣の家系の有望株であったエルゴ・スティージェが武祭で命を落としてしまったりと、重要な位置にいた人物が立て続けに消えてしまっている。
天轟闘宴を観戦していたレフェの重鎮――通称『千年議会』と呼ばれる老人たちは、『帯剣の黒鬼』が客席へと乱入してきた折になりふり構わず真っ先に逃げ出すという醜態を見せたため、処断として多くの者がその立場を追われることとなった。
その乱入してきた『黒鬼』――プレディレッケの異常個体についても、そもそもどうやって『無極の庭』へ入ってきたのか皆目見当がついていない。しかし怨魔が街中、それも神聖な地へ侵入してきたという事実に変わりはなく、管理体制が問れる事態となっている。街の治安維持はもちろん、今後の天轟闘宴の開催にも影響することだろう。仮に次回の集客が見込めなくなったりしてしまえば大打撃だ。
率直に言って、レフェという国は傾きつつある。
流護はダイゴスとの闘いの最中で語った通り、桜枝里にある話を持ちかけた。すなわち、一緒にレインディールへ行かないか、と。場合によっては、実は自分たち二人が姉弟であるというでっち上げも辞さないと。
レフェという国には気の毒だが、彼女が解放されるにはいい機会なのではとの思いもあった。この国は今、巫女がどうのこうのなどと言っていられるような状態ではないと。
桜枝里さえ頷くのであれば、実行に移すつもりでいた。
しかし。
『ありがと、流護くん。一緒に行ってみたいのはやまやまだし……「流護くんが実は弟でしたー!」ってのも面白そうなんだけど……それでも私、ここに残る』
それは、武祭が終わってすぐのこと。
『無極の庭』に観戦しに行っていたという国民たちから、桜枝里の下に多くの感謝の手紙が寄せられたのだという。
武祭後の状況が状況だったため、巫謁――巫女と顔を合わせての対話――が無期限中止となっていたこともあり、それはもう膨大な数の手紙だったそうだ。
『黒鬼』が森の外へ飛び出し、観衆たちが一斉に逃げ出したあのとき。将棋倒し寸前だった彼らを落ち着かせた、桜枝里の巫女としての呼びかけ。
さらには、ベルグレッテが怨魔を打ち倒す光景を『視た』という――未来を言い当てたという事実。もちろんこれは本当に未来を予見した訳でも何でもなく、ベルグレッテが桜枝里の発言に合わせてあの怪物を討ち取ったことで嘘を嘘でなくしただけの話だが、皆は知るよしもない。
雪崎桜枝里は、混迷の只中にある現在のレフェにおいて、民衆たちの大きな心の拠りどころとなってしまったのだ。
彼女は苦笑いを浮かべつつ、流護に語った。
『結局「神域の巫女」って、普通の社会人みたいなものなんだと思う。いや、働いたことなんてないから、ちょっと違うかもしれないけど……』
いらなくなれば、あっさりお役御免となる。しかし必要とされる限り、務め続けることができる。
『なんだろ。私、巫女としての自分に意味なんてないと思ってた。でも今回、色んな人たちから手紙もらって、感謝されて……すごく、嬉しかったんだよね』
全く無意味だと思っていた、巫女の修業。確かに不可思議な力を授かることこそありえないが、そうして真面目に務めをこなすことでいつしか勝ち取っていた、信頼という名の力。
民衆たちだけではない。『千年議会』の一人であり、前線でプレディレッケと凌ぎ合い続けた老兵ことタイゼーン・バルも、桜枝里の功績を絶賛した。
そのタイゼーンが、頭を下げて頼み込んだのだという。もうしばし巫女として務め、民の心の支えとなってやってくれないか、と。
現在のレフェは、国長や最強の戦士を欠いている状態。天轟闘宴にもかつてない怨魔乱入という事態が発生し、その原因すら掴めていない。国民の皆が強い不安を抱いている状態。拠りどころとなる存在が必要なのだ。
『だから私、思ったんだ。それならもういっそ、生贄に捧げられるなんてことが起きないぐらい、この国にとって必要な人間になってやる、って。替えのきく存在じゃなくて、本当に欠かせない存在になってやるって』
ダイゴスやラデイルと相談した結果、そう決めたのだという。
そうして桜枝里の職務には自ら街を訪れての民との触れ合いが追加された。不安な情勢に怯える人々に勇気を与えることが、新たな役目となった。
巫女の護衛役としてラデイルが、専属の侍女としてユヒミエ・スズルカという少女兵が任命された。
さらには人不足に次ぐ人不足ということで、武祭の裏方を務めていた音声担当のシーノメア・フェイフェットと、『映し』を担っていた『凶禍の者』ツェイリン・ユエンテが入城し、それぞれ桜枝里と共に様々な業務に励んでいるという。
グリムクロウズへやってきて以降、友人の作れない環境に置かれていた桜枝里だったが、期せずしてユヒミエやシーノメアのような年齢の近い友達ができることになった。
『うん、なんだかんだで……今、やりがいも感じてるし、楽しいんだよね。……いや、レフェの今の状況考えたら、楽しいとか言っちゃいけないんだけど』
眩しい笑顔で、彼女は言った。
『だから……私、ここに残る。もう少し、がんばってみる。いつかドゥエンさんが目覚めたとき、「立派になりましたね」ぐらいは言わせてやるのだっ』
本人がそう言うのであれば、流護が無理強いできるものでもない。
またレフェの民が彼女を心の支えにしているという話を聞いて、引け目を感じてしまった部分もある。
こうして、雪崎桜枝里は『神域の巫女』であり続けることを選んだ。
今この瞬間もミニスカ巫女装束に身を包み、遠きレフェの地で職務に励んでいるのだろう。
もっとも、今や試練続きといわれているレフェだが、悪いことばかりではない。
あの『黒鬼』との激闘にて、レフェの兵士団はその評判を大きく上げることとなった。あれだけの怪物と対峙し、兵や民から一人の死者も出さなかったという戦果は、もはや伝承に残る領域とまで称されている(白服は一名が犠牲となってしまっているが)。……流護個人としては、ミョールの件もあったため少し複雑な気持ちではある。
かの国は確かに混迷の最中にあるものの、巫女として精力的に励む桜枝里を中心に、過去にないほど活動的になっているようだった。古い体質から抜け出し、新しい時代へと移行しようとしているのかもしれない。
一方でダイゴスは、こうしてミディール学院に在籍し続けている。レフェのゴタゴタがある程度落ち着いた先月、こうして『戻って』きた。あのエンロカク相手に勝利を収めるほどの手練ということが表沙汰になり、一時は退学してしまうという噂もあったのだが、流護が願った通りに帰ってきた。
自分が心配だという理由で学院を辞めてほしくなかったという桜枝里の思いもあるが、最も大きな理由は、やはり眠り続ける長兄ドゥエンの謎を解明するためである。
神を枷と捉えるレフェと、信仰の対象とするレインディールでは、蓄えられている情報の量も質も違う。
レインディールに滞在して神詠術関連の知識を漁り、長兄の回復に繋がる糸口を得ようとしているのだった。
最近は、暇さえあれば学院の図書室や書庫に篭もっている。
『巫術を枷だなどと忌避しておきながら、困った時だけ頼ろうとする。ワシ含め、レフェの民とは都合のええもんじゃな』
そう自嘲する巨漢へ、
『そんなんどうでもいいだろ。兄ちゃんの……ドゥエンさんの命のがよっぽど大事じゃん。何とかできる方法が見つかるかもなんだから、探さない手はねーだろ』
流護は当たり前とばかりに言い飛ばした。
古いしきたりやらしがらみ、伝統にとらわれて大切なものをみすみす失うのか。
現代日本人である少年は、ただ率直にそう思う。
『……ふむ。ラデイルの兄者は……お主のように、枠に囚われん生き方ができる世の中を作りたかったのかもしれんな』
得心がいったように、ダイゴスはそう笑うのだった。
ちなみにそんな会話をした直後、そのラデイル当人から「よおー、ダイゴス! 元気にしてるか?」と通信が飛んできたのだが、あんな女の子と遊んだ、こんな女の子と遊んだ、とひたすらのプレイボーイ報告が続いた。何というか、自由な世の中を作りたかったというより、色々な女性と子供を作りたかったのではないかと邪推してしまうアレっぷりである。せっかくいい話で終わりそうだった雰囲気が台無しになったことはいうまでもない。
ちなみにそんな女好きの兄に対し、この弟は一人の女性に一途で――
「そいやさ、『大吾さん』よー。桜枝里との遠距離恋愛はどうなんだよー?」
「ワシのことよりも……お主はどうなんじゃ」
「え?」
ダイゴスをからかい倒そうとした流護だったが、予期せぬ返しに思わず当惑する。
「じき、出会うてから半年になろう。そろそろ、一歩踏み出してみてはどうじゃ」
「な、だあああっ!」
同席しているベルグレッテやミアに「?」な眼差しで注目され、流護は手をぶんぶんと振りながら巨漢を押し止めた。
よりによって。よりによって、ベルグレッテの前で。容赦なく急所を抉るかのような所業。さすがはアケローン、えげつない。
そんな風に思い、嫌な汗が噴き出してくる。
「わ、分かった。俺が悪かった。すみませんでした。やめだ、この話はやめよう」
絞り出された流護の降参を受けて、巨漢は「ニィ……」と例の不敵な笑みを浮かべるのだった。
だめだ。これが年上の余裕というものか。勝てる気がしない。
ともあれあの武祭での死闘を経て、ダイゴスとの距離も随分と縮まったように思える。こんな会話を交わすようになるなど、出会った当初では考えられないようなことだった。
全てを打ち明けた今となっては、彼の寡黙な雰囲気やこの不敵な笑みに重圧を感じることもなくなっている。それらは、巨漢の『味』なのだ。
こんな間柄の友人ができたことが、少年はただ純粋に嬉しかった。




