273. 空白の二ヶ月・後編
それからしばらくの間は、一応の謹慎期間にもかかわらず忙しい日々を過ごすこととなった。
まず学院に戻り、いつもの顔ぶれ――まだレフェから戻っていないダイゴス以外――に囲まれる。
「ミア、ほれ……泣きやんでくれって、な」
「だっで、だっで……うわあぁああぁぁん……!」
ミアについて、ミョールへは「寂しさのあまりひっくり返って死んでるかも」などと茶化して説明したが、率直に言ってそれどころではなかった。
小さな少女はようやく戻った流護とベルグレッテにしがみつき、わんわんと泣き続けた。
「ミアさーん、みんな見てるっていうか、服が伸びちまうっていうか……いやもう涙と鼻水でびちゃびちゃなんですが」
「やだ、やだよー! ほんどに、うぅ、心配じだんだがだー!」
期限を過ぎても二人が戻らない。
何かあったのでは、と思うのは当然だ。
かつてミアが連れ去られたあの一件も同じだった。始まりはまさに、安息日が終わっても彼女が戻らないことだった。
「ほんとに、ぜんぜん、もどってごないがら……あだ、あだじ、捨てだでたのかも、って思って、うぅ、」
「あのな……んな訳ねえだろ、もう」
「だっで……」
しばしして天轟闘宴で流護が優勝したという風の噂を耳にするも、そこから音沙汰がない。二週間以上戻らない。
何かあったのでは。自分を置いてどこかへ行ってしまったのでは。
かつて実の父に捨てられてしまった少女が――未だ心の傷が癒えていない彼女がそのように考えてしまうのは、無理からぬことだったのかもしれない。
「ミア……ごめんね、遅れて」
「ばかー! ベルぢゃんのばがー! 大好きー! うわあああぁ……!」
余談だが。この出来事が切っ掛けとなり、流護は任務で遠出した際、ミアに土産を買って帰るようになった。必ず帰ってこれを手渡す、という意志の表れである。彼女に対してより過保護になってしまったことも、言うまでもない。
ベルグレッテと二人で、ガーティルードの屋敷にも足を運んだ。
少女騎士の母であるフォルティナリアは、まず優しく娘を抱き止めた。
「お母さま……」
「よくぞ……」
そして長女に渡された黒ずんだ剣を前に、瞳を潤ませる。
「……、よくぞ」
よくぞ無事でいてくれた。よくぞ息子の無念を晴らし、この剣を取り戻してくれた。
そんな思いの込められた一言だった。
一方で同じく久しぶりに顔を合わせたルーバートは少しやつれたようにも見えたが、愛娘の無事を確認し、ほっと胸を撫で下ろしたようだった。
そして。
「……うむ……」
黒く染まった長剣。
たった一人の息子がかつて携えていたそれを胸に抱き、父親もまた言葉を詰まらせた。
長男の形見となるその剣の扱いについては、父と娘で意見が分かれることとなった。
兄の仇である怪物の残滓に汚れたままでは嫌だ、元の姿に戻したい――と主張するベルグレッテと、
「ふむ。ベルグレッテの言ももっともだが……私には、この剣が怨魔の瘴気に染まりつつも屈さず打ち克った結果が、この姿であるようにも思える」
剣を掲げながら、品定めするようにルーバートは語る。
どちらにせよ、現状では『竜爪の櫓』の名工であるウバルの手でも元に戻せないとのことなので、このままお蔵入りにするか使うかするしかない。
「ひとまず害がないことは確認済みであるうえ、とてつもない逸品と化したのだろう? ならば私は……お前に使ってほしいと思う」
「お父さま……」
ルーバートは一線を退いた身。今や、剣を振るう機会はほとんどない。
今のガーティルード家で騎士として戦いの場に立つのは、ベルグレッテとクレアリアだ。小柄な妹のクレアリアが扱うにしては、この得物は少し大きいだろう。
となれば――
「分かりました。お父さまが……そう仰るのであれば」
ベルグレッテは恭しく長剣を受け取った。
「兄さま。私に、力を……お貸しください」
丁寧に剣を携える娘の姿を満足げに眺めながら、しかしルーバートは大きく溜息を吐いた。
「しかしベルグレッテよ。帰還期限を超過したことは良い。謹慎処分となったことにも目をつぶろう。だが……プレディレッケのような相手に正面から立ち向かうなどという真似は、もう今回限りにしてくれ」
「も、申しわけありません、お父さま……。ですが……」
「いやいや、ルーバートさんの言う通りだってほんと。あの瞬間は正直、俺も心臓止まりかけたんだからな」
「うう……」
流護自身、未だにゾッとする。
もし、ダイゴスの雷舞抛擲による強化がなかったなら。もし、自分があの投擲を外していたなら。もし、あの場でディノが食い下がっていなかったなら。もし、ベルグレッテが最後の斬撃を外していたなら――。
何か一つでも欠けていれば、この少女は兄と同じ末路をたどっていたかもしれないのだ。
ダイゴスはもっとベルグレッテを信じてやれと言っていたが、やはりまだ簡単に割り切れるものでもない。
(……そういや……)
そこでふと気にかかった。
ディノといえば、あの男はどうしているのだろう。
武祭前は二度も街中でばったり遭遇したものだったが、闘いが終わってからは見かけていない。
さすがというべきか、あの激闘を潜り抜けていながら最も軽傷だったため、さっさとレフェを後にしてしまったのかもしれない。
今もどこかで、あの圧倒的な紅蓮の嵐を巻き起こしているのだろうか。
その後、城にてクレアリアと顔を合わせた。
何でも彼女は近隣の街の怨魔討伐に駆り出されてしばらく留守にしていたとのことで、ようやくの対面である。
流護としては遠征が決まった旨を報告した際の「オノレ……オノレ……」という忌まわしい呟きが耳に残っていたため、それはもうビクビクしながらの再会となったのだが、
「お帰りなさいませ、姉様。アリウミ殿も」
いざ久々に顔を合わせた彼女は、驚くほど普通だった。
「…………、」
「何ですか、アリウミ殿。そのように距離を取って」
「いや……ほら、遠征が決まったのを報告した時の……オノレ……オノレ……っていうクレアリアさんの呪いの言葉が頭から離れなかったので、つい……」
「の、呪い!? 失礼ですね! ま、まぁ……色々と思うところがあったのは事実ですけど」
はあ、と小さく息を吐き、諦めたように微笑む。
「アリウミ殿が天轟闘宴の優勝を飾った、などという情報が入ってきたのを聞いた途端、何だか馬鹿らしくなってしまって」
「は、はあ? どういう意味だよ……」
「また何か事情があって、誰かのお節介を焼くために出場したのだろうな、と。何せ、私にわざわざ自分の素性を話すような方ですし」
「ぬ、いや……」
何ということか。完全に見透かされてしまっている。
そんな妹の顔を見て、やや驚いたように沈黙するのは姉だ。
「…………」
「どうかされましたか、姉様」
「ん……、クレア、随分と物腰がやわらかくなったっていうか……」
そんな姉の言に、流護もうんうんと頷く。
「だな。俺、クレアに会う前に遺書を遺すかどうか真剣に悩んだんだけど。とりあえず遺産はミアに相続で。いやまさか、そんな寛大なお言葉をいただけるとは思いませんでしたわー。なんか、ベル子に似てきたんじゃないか?」
「えっ、わ、私が? ね、姉様にですか? そ、そうですか」
妹さんはあからさまに嬉しそうだ。そうして恥ずかしげに落とされた彼女の視線が、姉の腰元へ固定される。
「……、姉様。それが……」
「……ん」
妹の意図を察したのだろう。ベルグレッテが腰の長剣を外し、妹へと差し出す。
「…………、ああ、確かに。見覚えがあります」
その声は少し、震えていた。
「……兄様の、嘘つき」
発せられた言葉とは、裏腹に。悲しげな、優しげな声で、兄の形見となった剣を胸に抱いた。
クレアリアはしばらく、リリアーヌ姫つきとして城に滞在しているという。最近は忘れがちになってしまっていたが、この姉妹は交代で姫に侍るロイヤルガード見習いなのだ。
最近は怨魔出没の報告がやや増加傾向にあり、今回のように討伐に出向いていることもあったそうだが……。
「数日以内に『銀黎部隊』の隊員が増援として数名やってくるそうなので、そうなれば私が駆り出されることもなくなるでしょう。しばらくは姫様のお傍にいますので、何かあればご連絡くださいな」
そんな帰還後の挨拶回りが終わった頃、流護とベルグレッテの正式な処分についてその内容が確定した。
帰還日から数えての、全三週間の謹慎。外出自由、業務へ携わることは禁止。緊急の案件が発生した場合は、この限りではない。以上である。実質、謹慎とは名ばかりの休暇だった。
神詠術が使えない流護の存在を快く思っていない者たちは、こぞって厳しい処分を求めたが、彼らの要求が通ることはなかった。
感謝状が届いたのだ。
レフェ巫術神国は『千年議会』のタイゼーン・バルと『神域の巫女』サエリ・ユキザキより、プレディレッケの異常個体『帯剣の黒鬼』の討伐に貢献したことに対する謝状。そしてケルリア村民一同より、ルティアの治療に必要な費用を捻出したことに対する礼状。
元々アルディア王としては流護たちを裁くつもりなど皆無だったが、これらの書状は『何かとうるさい人々』を黙らせるに充分な材料となった。
そうして流護はこのグリムクロウズへやってきて始めて、およそ一ヶ月もの長期に渡り何事もない平和な時間を過ごすこととなったのである。
謹慎が解除されて以降の一ヶ月は、鈍った実戦の勘を取り戻す意味も兼ねて、ひたすら任務に邁進する日々を送った。
忙しない時間を過ごすうち夏は終わり、季節は秋を迎えた。
――そして、今現在に至る。
夕暮れの自室にて。
「…………」
ミョールの手紙を大事に引き出しへと仕舞いつつ、流護は今更ながらに実感する。
『自分の判断が間違っていたとは思っていない』。
その思いは今も変わらない。天轟闘宴の出場を決めたあの夜、ベルグレッテに語った気持ちのままだ。しかし、それを貫いたことによって周囲の人々に心配や迷惑をかけてしまったこともまた事実。
そして――
『そうして君が不在だった間に、もしものことがあったなら――例えば春の件のような、怨魔による学院襲撃などが起きていたなら……君はその台詞を言えたのかなと思ってね』
オルエッタは、二度とそういった事態が起こらぬよう対策はしていると言ってくれた。
が、これは一つの事例にすぎない。この言葉の本質は別のところにある。
自らの選択。お前は何が起きても、それを後悔せずに貫き通せるのか――と。
ラティアスは、暗にそう問いかけていたのだろう。
(難しいな……)
迫られる選択と、その後に待ち受ける運命。レフェの件はたまたま、結果として上手く収まっただけ……。
深く息を吐いたところで、部屋の扉をノックする音が響く。
「リューゴくーん、ごはんいこー!」
「……おう、今行くぞー」
板越しに聞こえてくるミアの声に応え、気持ちを切り替えて食堂へ向かうことにした。




