269. 遊撃兵の日々
「っとぉ……行ったぞ、右ィッ!」
両手で長剣を握りしめたレインディール正規兵、カルボロ・フロスランの鋭い声が村の一角に響く。
短めに刈り上げられた金髪は砂にまみれており、褐色の肌は傷だらけになっていたが、その闘志は萎えるどころかさらに燃え上がっていた。
敵を追い詰めた、もう少しだ。そんな思いが痛みを忘れさせると同時、戦意の高揚を促している。
「よし、任せろ!」
「おおっ、掛かってこい!」
カルボロと同じような気迫で応え、二人の若い兵士が走り込む。
古い家屋の間に延びる道を塞ぐ形で立ちはだかり、足を止めて身構えた。
そこへまっすぐ突っ込んでいく、獣の黒影が一つ。
体躯は成人男性をやや下回る程度。全身を茶色い短毛に覆われており、四肢はずんぐりとした印象で、太く短い。しかし強靭な筋力を秘めている証左だろう、人間など比較にもならぬ速度で大地を蹴り進む。
『一見して』、小型のクマと形容できる生物だった。
ぐんぐん迫り来るその獣に対し、待ち構える兵士の片方が威勢よく怒号を飛ばす。
「この野郎、来い! あと、熊なのか鳥なのかはっきりしろ!」
そう。『一見して』などという但し書きがつく理由。
頭部が、鳥類のそれなのだ。丸々としていて、造形としては梟に瓜二つといえる。
そんな顔の中央から伸びる、長く尖った嘴。これを突き出しながら獣の身体で駆ける様は、ともすれば滑稽かつ愛嬌があるようにすら見えた。
が、
「……って、やっぱり無理だ、うわああっ!」
いざ鳥獣が間近まで迫ってきた瞬間、兵士二人は慌てて建物の影へ飛び込んだ。
紙一重の差で、黒影が彼らのいた場所を薙ぎ払うように通過していく。その突進によって生まれる地鳴りめいた振動が、二人の肝を心底ひやりとさせた。
「おいおい、何避けてんだよ!」
「む、無茶言うな! 思った以上にやべぇよ! もう少し弱らせなきゃ、話にならねぇ……!」
走り寄ってきたカルボロに文句を言われ、腰を抜かした一人が辛うじて返した。
とても止められるようなものではない。嘴に貫かれるか、体当たりに弾き飛ばされるか。馬車に撥ねられるみたいなものだ。無事では済まないだろう。
「かー、なかなか厄介だぜぇ、こいつは……!」
額の汗を拭ったカルボロが、引きつった笑みと共にそう零した。
王都から遠く離れた山間に佇む、とある長閑な農村。
村長より「村に度々現れる怨魔を排除してほしい」との要請があり、カルボロたち正規兵六名と他一名の計七名がやってきたのが、昨日の昼過ぎのこと。
そもそも村に怨魔が現れるということは、外壁に魔除けが施されていないということである。これは例えるなら、治安の悪い地域で家の扉を開けっ放しにしている、という状況に等しい。
もちろんミディール学院が怨魔の群れに襲われた件のように例外はあるが、大概は住民が魔除け処置を怠ったためにこういったことが起きてしまうのだ。
村長自身、そんな怠慢によってこの事態を招いてしまったという自覚があるのだろう。ひたすら平身低頭に、丁重な持て成しで兵士らを歓迎した。
昨日は何事も起こらなかったため村長に注意を促すに留まり、そして今日――時刻は昼過ぎ。
昼食を終えた兵士らが各自村中へと散らばり、警備に当たり始めて間もなく。それは、当たり前のように集落の入り口となる門から駆け込んできた。
「うわぁ、来たぞ!」
「逃げろ逃げろ!」
「お願いしますぜ、兵士さんがた!」
度重なる襲撃を経験しているゆえか村民らも慣れたもので、クモの子を散らしたように素早く家々へと逃げ込んでいく。
分類はカテゴリーB、識別名はオルソバル。
鳥じみた顔に長く鋭い嘴を携え、若干小柄ながらもクマに似た体躯を有した怨魔である。知能は極めて低く、獲物や外敵に対しては原則として突進を仕掛けるのみ。顔の真正面にちょこんとついている小さな両目のためか、視野は狭い。遮蔽物に隠れる、もしくは建物へ避難したうえで扉を閉める……などしてしまえば、それだけで対象を見失うので、身を守ることはさほど難しくない。ある意味、村に現れたのがこの怨魔だったのは不幸中の幸いといえるだろう。多少のケガ人や家畜に被害が出てはいるものの、村民の死者は皆無とのことだった。
しかし確かに身を守ることは比較的容易な相手であるが、これを仕留めるとなると話は別である。縦横無尽に駆け回り続ける体力と、その突進が生み出す圧倒的な破壊力ゆえ、慣れた兵士でも一筋縄にはいかない強敵といえた。
入り組んだ村の中をひたすら駆け回るオルソバル。突進をもらわないよう動きつつ、攻撃術を当てていく兵士たち。しかし怨魔が素早く動き回るうえで頑強な肉体を有していることもあり、兵らはなかなか決定打を浴びせることができない。
ランクBに分類される怨魔を相手取る場合、正規兵三名が必須とされる。が、それは飽くまでも指標。勝ちを確約するものではない。状況次第では十人がかりで苦戦することもあるだろうし、逆に二人で優位に闘えることもあるだろう。
現在、カルボロたちは六名でオルソバルと対峙しているものの、苦戦を強いられていると言わざるを得ない状況だった。
「くっそー、手こずるもんだ……!」
兵士の一人が、建物の隙間に身を潜めつつ砂まみれの顔で呟く。
六人がかりでこの有様。今は残念ながら、敵に流れを持っていかれている。
「カルボロよ、あの『勇者様』はどこ行ったんだ? 姿が見えねえようだが」
「いや、それが……ちょうど怨魔が現れる直前ぐらいに、腹が痛いから用足し行ってくるって……」
「はぁ!? 本当かよ、こんな時に!」
カルボロの返答を聞き、若い兵士は「おお創造神よ」と頭を抱えた。
「まぁ、そろそろ来てくれると思うんだけど……!」
当のカルボロも、それこそ神に祈るような面持ちで建物の隙間から顔を出す。
そうなのだ。兵士らの数は六人だが、もう一人特殊な男がこの任務には同行している。飲み水があまり合わなかったらしく、今は用足しに行っている。怨魔が現れて以降、まだその姿を見せていないが――
「……!? おい、カルボロ! まずいぞ!」
指差す同僚の声にハッとして、カルボロはそちらへと顔を向ける。
「あっ……野郎、逃げるつもりか……!?」
走り回るオルソバルが、村の出口の方角へと向かっていた。
せっかくそれなりの傷を与えたというのに、逃げられてしまっては水の泡だ。ここで確実に仕留めなければ、またいつ村が襲われるか分からない。
「くっ、多少強引でも突っ込むしかねぇか!?」
この怨魔は知能が極めて低い。逃げるふりをして敵をおびき出す――といった小細工を弄することはできないだろう。となれば、見たまま逃げようとしている以外にありえない。
「追うぞ!」
「お、おう!」
カルボロたちは意を決して建物の影から飛び出し、疾駆する怪物の後を追い始めた。
一目散に村道を駆けていくオルソバルが――相手が何であろうと突撃を仕掛けていくはずの怨魔が、戸惑ったように足を止めていた。
行く手を遮る、その存在に対して。
「予想通りだな」
村の門前に立ちはだかった一人の少年が、拳をバキバキと鳴らしながら言ってのける。
「村の出入り口はこの一箇所だけ。なら、ここで構えてりゃそのうち絶対に来る」
村長に急かされながらもトイレに篭もること十分ほど(出なくなるからやめて、と思いながら)。ようやく外へ出るも、戦況は大詰め。傷を負った怨魔が逃げようとするかも――と考えての行動は、見事的中したようだった。
「悪いけど……逃がす訳にはいかねえ。倒させてもらうぜ」
ずんぐりとしていて既存の動物に近い見た目ではあるものの、そこは怨魔。決して相容れることのできない存在。少年としては多少の抵抗がないでもなかったが、向こうは容赦をする気はないらしい。低く身構え、四肢に力を込めている。嘴の上部にある小さな両眼には、明らかな殺意が灯っていた。
そんな怪物に対応すべく、少年はどっしりと地に足をつけて身構える。同年代の者たちと比してかなり小柄であはるものの、重厚な筋肉に覆われた体躯と落ち着いた佇まいから、最近では堅牢な要塞のようだと周囲に評されていた。
髪は短い黒髪。顔は深みのない地味な目鼻立ちにやや幼さの残る、女性寄りの造作。
現代日本からやってきた高校生の少年にして、レインディール王国に所属するただ一人の遊撃兵――その名は有海流護。
少年と怨魔、静かに向かい合うこと数秒。
口火を切ったのは後者。四肢で力強く大地を蹴り、鋼弾さながらの勢いで流護へと突撃を仕掛けた。
瞬く間に、両者が接触する。
刹那。
怨魔を追って追いついてきた兵士らが、家々の窓から闘いを見守っていた村民たちが、驚愕に目を見開いた。
流護は半身を翻して突撃を躱しつつ、そのまま怨魔の頭部に素早く右腕を回す。脇の下で相手の首をがっちりと捕縛、固定した。
「っ、らぁ!」
そして、持ち上げた。
突進による慣性の力も加わり、オルソバルの躯体が凄まじい勢いで跳ね上がる。瞬間的に真っ逆さまとなった怨魔の嘴が、地面に引っ掛かる形でつっかえるが――
そのまま流護は、怪物の頭部を抱え込みながら後方へと倒れ込んだ。
鮮やかな弧を描いて、オルソバルは大地へと強かに叩きつけられる。兵士や村民らの元まで、その振動がわずかに響く。
手本のようなブレーンバスター。そんな投げ技の存在を知らない異世界の住人たちは、ただ驚愕の眼差しでその光景を見つめるのみ。
「……む」
大技を見舞いながらも即座に立ち上がった流護と同じく、怪物が跳ね起きる。
両者の間には、破損した黄色い長剣のようなものが転がっていた。
中ほどから折れた嘴と、殺意に満ちた眼光。
投げられたダメージはさほどでもないのだろう。どちらかといえば、嘴を傷つけられたことに対する怒りなのかもしれない。低い咆哮と共に、流護目がけて右前足を振りかぶる。
叩き下ろされた怨魔の剛腕を、少年は左腕に巻かれた灰色の手甲で受け止めた。
「――シッ!」
そして放たれるは、反撃の一矢。
腰溜めの位置から一直線に空を裂く、大砲めいた右の拳撃。
炸裂する鈍音。眉間に受けた正拳突きによって、オルソバルは力なくその場へと崩れ落ちた。残心を取り、空手家の端くれたる少年は敵が沈黙したことを確認する。
「っしゃあぁ! さっすがリューゴだぜえぇ!」
息つくよりも早く駆け寄ってくるカルボロの姿を見て、遊撃兵は苦笑いを返すのだった。
そうして、昼の神が燦々と輝く昼下がり。
「いやはや……この度は、本当にありがとうございました。お手を煩わせてしまい、申し訳ない限りで……」
責任を感じて小さくなる村長を見ると、兵士らも強くは言えないのだろう。
「ともあれ、今回は死者が出ずに済んで何よりでした。今後は、近隣の街の詠術士に依頼するなどして、欠かさず万全の対策をするよう心掛けてください」
出立前の挨拶を交わす兵士たちを横目にしながら、流護は遠く連なる山々の稜線へと視線を向ける。
(これで今回の任務は終わりだな。けどまあ……)
ついつい、溜息が漏れる。
ここから帰るまでの道のりがまた、長いのだ。どんなに馬車を飛ばしても、王都まで丸一日以上かかる距離。ミディール学院に到着するのは、早くて明日の夕方だろう。
このグリムクロウズと呼ばれるファンタジー世界へやってきて、早五ヶ月弱。
さすがに生活の面では完全になじんできた感があるものの、この移動にかかる時間というものについてだけは、何とかならないのだろうかという思いが未だにあった。というより、任務で各地を転々とするようになって、改めて移動の大変さを実感した。
人とは慣れるもので、流護も最近では揺れる馬車の中で平然と本を読めるようになってきている。もっともそうして移動時間の暇を潰せるようになってきたところで、根本的な問題が解決した訳ではないのだが……。
そんなことを思い少し憂鬱気味になっていたところで、
「あ、あの! き……騎士さま!」
すぐ近くから、たどたどしい声がかかった。
何事かと思えば、いつの間にやってきたのか、村の少年がすぐ横で流護を見上げている。
「あ、あの……騎士さま、ありがとう! これ、おれい! あげる!」
そう言って、流護の腰ほどの背丈しかない彼は、小さなどんぐりを差し出してきた。
「おっ、おう……俺にくれるのか? ありがとな」
「ま、またきてね、騎士さま!」
反射的に受け取れば、少年はぶんぶんと手を振りながら元気よく駆けていく。
「はは……騎士じゃないんだけどな、俺」
どんぐりをポケットに仕舞いながらの流護の呟きを受けて、
「ま、いいじゃねぇの。子供にしてみたら、騎士も兵士も遊撃兵も一緒だって」
やってきたカルボロが満面の笑みで肩を叩いてきた。
「いやはや、ありがとなリューゴ。今回も大助かりだったよ」
「おう」
「ところでリューゴ、腹の調子は大丈夫か?」
「ん、まあ……落ち着いたよ」
「うーん……お前さ、最近かなりの頻度で任務こなしてるだろ? さすがに疲れ気味なんじゃないか? それもあって、水飲んだぐらいで腹に来ちまったんじゃねぇかなぁ」
「そう、なんかね……」
何となしに腹をさする。子供の頃は病弱だったこともあって、慣れない土地で水にやられることも普通にありえるとは思う。
しかし確かに、このところ仕事続きだ。
怨魔討伐などの任務が発生した際、流護にも「同行してもらえないか」と声がかかることが増えていた。そして、そういった要請を断ることなく承諾し続けていた。
「……、」
……頭の片隅から離れない光景がある。
初めての任務で踏み入った、ディアレーの森林に広がる暗い洞窟。そこで待ち構えていた黒き異形と、殉職してしまった二人の兵士。己の立ち回り次第では、散らずに済んだかもしれない二つの命。隊を率いていた『銀黎部隊』のケリスデル・ビネイスには、それは流護が気にかけるようなことではないと忠言されている。
それでも、自分が出向いて前面に立つことで、ああいった事態を少しでも減らせれば――という思いが心のどこかにあるのかもしれない。
「少し休めって。確かにお前が出張ってくれりゃ助かるけど、それで無理してお前自身にもしものことがあったらどうすんだよ」
カルボロの言う通りなのだろう。それに、いくら流護が出張るにしても限界がある。
「そう……だな。そうするよ。ありがとな、カルボロ」
「べ、別に心配してるわけじゃねーよ。あんまりお前に出てこられると、俺の活躍の場が減っちまうっていうか……」
「なぜそこでヘタクソなツンを見せるのか」
そんな流護とカルボロの様子を――正確には前者を遠巻きに眺める兵士二人のうち、一人が静かに呟いた。
「……ふん。あの『加護なし』のおかげで、任務が危なげなく達成できたのは重々承知してるんだが……」
「なんだい、不満そうだな。滞りなく無事にヤマが終わって、何が気に入らないんだ。あんな面白い顔した珍獣に轢かれて死んでみろ、あの世で笑い者間違いなしだぜ。遊撃兵様々、だよ」
「奴め、本当に全く神詠術を使う気配がない。どういうつもりか知らんが……神に対する冒涜だろう」
「さて、どうなんだろうな」
「何?」
「学院にやってきたファーヴナールを素手で仕留めて、『銀黎部隊』のデトレフを一蹴し、『ペンタ』のディノに勝って、王都テロを契機として遊撃兵に抜擢され、ついにはレフェの天轟闘宴で優勝ときた。まるで活劇の住人だよ。何だろうな、ガイセリウスの再来か? 第一、見てみろよあの身体を。すっげぇよなあ、何食ったらあんな筋肉がつくんだ……。俺は逆に、神に認められた男なんじゃないかと思うぜ」
「何だと……? 聞き捨てならんぞ。そもそも俺は、ガイセリウスなぞも好かん。いいか、術を蔑ろにするようなヤツは――」
兵らは各々、正反対の意見をぶつけ合う。
いずれにしろ、噂の遊撃兵と接した者の反応はこのように二分されることが多かった。
共通するのは、こうして話題の種になるということだろう。
村での役目を終えた一行は、帰途へつくため馬車へと乗り込んだ。
「…………」
奥の座席へ腰を落ち着けた流護の目に、ふとあるものが留まる。
馬車の壁面に止め具で固定されているそれは――シャベルだった。現代日本のものと比較しても代わり映えしない、さして特筆すべきこともない掘削用の道具である。そこにかけてある一本はかなり使い古されたものなのか、全体的に薄汚れていた。先端部の周辺には、乾いた泥や土がこびりついたままとなっている。
実は兵団仕様の馬車には、とある理由からこういったシャベルが必ず何本か備え付けられていた。
(今回も『使わずに済んだ』な……。ま、馬車のスペースにも余裕あるし、人里離れた場所でもないし……特別やばいって仕事でもなかったし、当たり前か)
ホッと胸を撫で下ろした流護は、忌まわしいものから目を背けるように視線を窓の外へと逃がす。
(お……)
山の向こうに沈み始めた昼神の輝きを受けて、地面に延びる疎らな人影。村長を始めとする住民たち数名が、馬車を見送りにやってきていた。その中に、どんぐりをくれた少年の姿も見える。彼は大人たちの後ろに隠れるようにしつつも、流護に気付いて手を振ってきた。
「……、はは」
何となく照れくささを覚える遊撃兵だったが、手を振り返した。
怨魔や悪漢との戦闘、長きに渡る移動時間。兵の任務とは過酷なものだが、こうして感謝を向けられると、達成してよかったと思えてくる。
流護は温かい気持ちに包まれながら、暮れなずむ山村を後にすることができた。
 




