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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
8. プログレッシヴ・イーラ
268/669

268. 禁断の地

 夜の女神ことイシュ・マーニの姿なき、暗く静かな秋の晩。

 身体の芯に響く重い雷鳴を合図に、大粒の雫が当たり始めた。

 少しずつ激しさを増した雨は、石造りの城壁や庭園の草花、そして対峙する二人の男女を等しく濡らしてゆく。

 そんな大地打つ雨音の中で発せられたのは、


「……アルディア王。貴方は本当に……原初の溟渤めいぼつへと踏み入るおつもりなのですか」


 凜とした中に非難めいたものが込められた女の声と、


「ああ。お主とならば最奥に至れると思っている。我が国の勇猛なりし遊撃兵、レッシア・ウィルよ」


 低く、揺らぐことのない決意に満ちた男の声。

 宵闇の中で瞬いた雷光が、一瞬だけ双方の顔を照らし出す。

 鋭い眼光を飛ばす彼女の表情が、刹那に――しかしはっきりと王の目に焼きついた。


 その名を、レッシア・ウィル。

 癖のあるブラウンの長髪と蒼白の瞳、可憐さよりは凛々しさを感じさせる美しい面立ち。すらりとした長身と隙のない佇まいは、しなやかな女豹を彷彿とさせる。

 強気で男勝りな性格かつ頼れる人柄ゆえか、年下の女性兵らに慕われる傾向があった。あのクレアリアが珍しく心を開いている相手でもあり、アマンダなどは「性格その他が自分に似ているうえに優秀な人物だから正直複雑」と零しつつも信頼を寄せている、そんな人物だった。

 出身は遥か西、海の向こうのカーティルリッジ教主国。

 剣腕、神詠術オラクルの扱い共に、比類なき超一流。

 アルディアが惚れ込み遊撃兵として引き入れた、武勇と統率性を持ち合わせる女傑だった。


「それだけは……原初の溟渤だけは……なりません、陛下」


 その彼女が、震える声で否定の言葉のみを吐き捨てる。


「……変わらんな。理由を言ってみろ。侵されざる聖域やら禁断の地やらとして広く認識されとるから、なんてつまらん答えなら聞かんぞ」


 古くから禁じられていたものにあえて触れた結果、革新ともいえる爆発的な進化が齎された事例は数多く存在する。

 例えば黒燕鉄こくえんてつという凄まじい硬度を誇る金属が存在するが、これは古来、悪魔の産物として忌避されていたものだ。『竜滅書記』に謳われるガイセリウスが防具の素材としたことで扱いは一変し、現在では武器や建材に欠かせない礎の一つとして重用されている。

 その不気味な黒色や異常なまでの頑強さから邪なものと認識された説、古くに栄えたある国家が有用なこの金属を独占したいために悪評を流した説……様々な推測がなされながらも真相は不明なままであるが、確実なことが一つ。

 忌避されていた黒燕鉄にガイセリウスが触れたことで、製造や建築の分野は飛躍的に進歩したのだ。


 無論世の中には、真に触れてはならぬものも存在する。その見極めを誤れば、己が身を滅ぼすことになろう。

 アルディアは長年に渡る綿密な調査の末、原初の溟渤を有益なものと判断した。

 至るまでの道のりが険しいものであることは重々承知している。過去、多くの国で調査隊が派遣されたが、最深部にたどり着けた者は皆無。中途で引き返し、生きて帰ることができた者もごくわずか。

 しかしそういった事例も踏まえ、入念な下調べや分析を行った結果、今や到達・帰還できるだけの目星がついていた。当然、想定外の危険が生じるようならば、深追いするつもりもない。


 ――だが。


「なりません、陛下。それだけは」


 レッシアは以前から、原初の溟渤の話題を避けたがる向きがあった。しかしそれも、情報が少なく安全の確証が持てないからであって、時期が来れば理解を示してくれるものだと思っていた。


「考えを……お改めください」

「レッシアよ。そうまでして否定するその理由を言え、っておじさんは言ってんだぜ」


 しかし依然として、会話は平行線をたどった。

 理由を尋ねる王、ただ否むばかりの遊撃兵。

 何かに怯えるように首を横へ振り続ける彼女は、あまりにもらしくないように――まるで別人のように見えた。


「……やれやれ、埒が明かんな。お前さんも激務続きだったし、疲れとるんだろう。今日のところはいい、戻って休め。これ以上雨に濡れても、身体に障るしよ」


 溜息と共に大きな肩を竦めるアルディアだったが、


「……考えは……お変わりに、なりませんか……?」


 幽鬼のように。

 レッシアは王の言葉など聞こえていないかのように呟き、



 しゃん――と、雨音に交じったのは、抜剣の残響。



 沈黙が場を支配すること数秒。


「……レッシア。人に見られる前に、剣を収めろ」

「陛下こそ……原初の溟渤を諦める、と……そう、仰ってください」

「お主がそれ程までに忌避するのであれば、調査隊からは外す。だが、かの地へは往く。他の者を向かわせる。これは決定事項だ」


 その厳然たる宣告に言葉は返らず。

 レッシアは長剣を携えた右腕を引き、地に伏すように低く身構える。彼女の故郷に伝わるという、刺突を主軸とする流派。飛びかかる寸前の獣にも似た、攻撃重視の体勢。


 それは。眼前の相手を屠ると心に決めた、本気の現れ。


「……レッシアっ」


 諌める響きを伴う、王の声。

 そうして名を呼ばれ、遊撃兵の女はようやく顔を上向けた。


「陛下。私は……」


 喘ぐように、懺悔するように。


「私は……願わくば……ずっと、この国の……貴方の、遊撃兵でいたかった――」


 雷鳴が映し出すは、悲哀に歪んだ、彼女の顔。

 頬を伝う雫は果たして雨だったのか、それとも涙だったのか。

 今も、その答えは分からないまま。






 全てを優しく包み込むような、心地よい風が吹き抜ける。

 見えざる大気の息吹にひと撫でされ、どこまでも続く草原へ敷き詰められた葉々がなびいて躍った。そんな緑の波間から、薄く発光する綿毛のようなものが一斉に舞い上がる。それらは儚い粉雪のように、夢から覚めたように消えていく。

 美しい光景だった。

 幻想的。神秘的。その瞬間を称える言葉は数多く存在するだろう。しかし――この地に住まう二人にとっては、あまり歓迎すべきでない『事象』だった。


「…………」


 キィ、と金属のこすれるかすかな音響。

 泉の前に備え付けたチェアへ身を委ねていた少女は、背後から聞こえた軋みによって目を覚ました。

 大自然に抱かれたこの場所で、そのように人工的な錆びた音を立てるものは一つしかない。古くなった小屋の扉は、どうしても開閉するたびにギイギイと悲鳴を上げる。そしてこの場所では、その音を立てるのは自分以外に一人しかいない。


「おっと。起こしちゃったかな」


 労わるような、優しい青年の声。事実、少女の身を案じているのだろう。この世界にたった一人の家族。彼女にとって兄となる人物。


「……ん」


 少女は気紛れなネコのようにぐっとその身を伸ばした。胸元まである黒髪がかすかに揺れる。


「いい引越し先は見つかったかい?」

「それが、なかなか……」


 いい物件が見つからなくて、と黒髪の少女は明るく言いつつも溜息を零した。彼女が振り返れば、穏やかで儚げな雰囲気の美青年がチェアの背もたれに手をかけて見下ろしている。

 二人はこの場所を放棄し、新たな住み処を探そうとしていた。


「全く人目につかなくて獣の類も少なく、それなりに王都にも近い場所……となると、なかなか候補が見つからないのも無理はないか。最近は山間も、人の手で開発が進んでるからね。喜ばしいことではあるんだけども」

「ん、それもそうなんだけどね……」

「まあ、始動の時は近い。おそらく来年初めには街に下りることになるだろうから、無理に新天地を探すこともないかもね」

「うん……。それで兄さん、話は変わるけど、ちょっと気になることが」


 そう切り出して、少女はたった今しがた『視た』夢のことを報告した。


「ふむ……アルディア王が? 確かに言ったんだね? 『原初の溟渤』と」

「うん」

「野心の強い王だとは思ってたけど……なるほど。今回、真っ先に気付いたのは彼だったか。ある意味『らしい』というか、目の付け所がさすが……と褒めるべきなのかな」


 珍しく困ったように兄がガシガシと頭を掻く。いたずら小僧に手を焼いているみたいな口調だった。正味な話、彼らの感覚としてはその通りであるのだが。


「大陸暦も七八一年……。うん、そろそろ発展してもらってもいいか。彼なら、決めたら即行動するはず。そのレッシアっていうのは、流護くんの前の遊撃兵だったっけ。何年か前の話だよね、彼女がいたのは」

「うん。あんまり詳しくは視えなかったけど……きっとあの後イザコザがあって、『跡地』に行くのを一旦諦めたんだと思う」

「……そうか。王が流護くんに拘ったのは、それが理由か……」


 しばし思案する素振りを見せた兄は、素早く決断を下した。


「流護くんがすっかり遊撃兵として馴染んできた昨今、そう遠くないうちに、王はまた『跡地』を目指すだろう。王都から行ける範囲内だと、今はどこがあったかな……?」

「多分、ルビルトリだね」


 少女の言を聞き、兄は「あー」と天を仰いだ。


「……あそこか……懐かしいな。しかし、よりによってあの場所とは……見つかると思うかい? 『あれ』」

「ルビルトリの場合、地下だったよね。念入りに調査されたらあっさり見つかっちゃうかも。昔、兄さんがベッドの下にいっぱい隠してたヤラシー本ぐらいには簡単に見つかっちゃうんじゃない?」

「なっ……」


 ぷい、と少女が顔を背ければ、青年はあからさまに狼狽した。珍しい兄のその表情を見るなり、妹は思わず吹き出してしまう。


「ふふ、は、あはははは。まあでも、見つかっても大丈夫だって。日本語で書かれた文献なんて残ってないでしょ? 資料が残ってても、解読できる人なんていないと思うけど」

「……、いや」


 しかし少女の予想に反し、兄は深刻な表情を見せる。


「……ロック博士がいる」

「あ!」


 その事実に気付き、妹も思わず声を上げていた。


「彼が同行するようなら、気付かれる恐れがある。僕がアルディア王なら、絶対にロック博士を調査団に入れるね」


 しばらく思案した兄は、苦汁の決断を下したように切り出した。


「……ごめん。しばらく空けるよ。ちょっと見張りに行く」

「…………うん」


 仕方ないといったような、遅れた少女の頷き。詫び代わりに優しく妹の頭を撫でながら、青年は小さく呟いた。


「博士があの場所に接触してしまうようなことがあるのなら……気付かれてしまうならば――――『消さなければ』ならない」

「……、もう少し詳しく視てみる?」

「いや、いい。君は準備の方に注力してくれ。こっちは……僕が、何とかする」

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