267. 未来を想う
「オレはディノ・ゲイルローエンだ。ナメてんじゃねェぞ」
「俺はリューゴ・アリウミだ」
互いに、相手を見据えながら名乗りを上げる。
そして次の瞬間、拳撃が交差する。
「おりゃー!」
「わー!」
否、拳撃と呼ぶにはいささか迫力に欠ける、小さな手と手だった。
昼下がりの街角では元気のいい子供たちが、それぞれ流護やディノになりきってのごっこ遊びに興じていた。
天轟闘宴が終わり、早くも一ヶ月と少しが経過した。さすがにあの熱狂は過去のものとなり、暑かった夏も終わりつつあるが、それでも首都ビャクラクは未だ完全には冷めきっていない。
何分、術を全く使わない有海流護が優勝するという異例の結果に終わり、ガイセリウス信仰の強い者たちの間ではちょっとした伝説になりつつある。次々と詠術士たちを打ち倒していったその拳や、プレディレッケの羽を吹き飛ばした投石――通称『神の槍』は、民衆や子供たちの憧れの的となっていた。
後々発覚したことだが、流護は支給された三枚のアーシレグナの葉――そのうち二枚を、他者のために用いていたという。彼に助けられたという若者や山賊にしか見えない二人組みが流護の見舞いに訪れたことで、明らかとなった。特に、後者の二人組みの片割れのガドガドという男は大層流護に惚れ込んだらしく、その優勝者たる少年の行いを誇らしそうに吹聴して回っていた。
さらには、優勝した流護が自身の要求として、ミョールの治療の手配を願い出たことも大きい。他人のために危険極まりない天轟闘宴へ挑み、そして見事勝ち抜いたという偉業は、この地で延々と語り継がれていくことになるだろう。
こういった逸話も手伝って、このレフェにおける有海流護の人気というものは現在、凄まじいものになりつつある。
「もー、みんなしてリューゴ役やりたがるんだもんなぁ。今度から、硬貨投げで決めようぜ~」
「ほかの役はどうする?」
「わたしは、ベルグレッテさまよ!」
「あっしはダイゴスでごわす」
「え? しゃべりかた、ちがうくない?」
「よし、じゃあおまえ『黒鬼』な! しかも鎌」
「鎌!? どういうこと!?」
突如乱入して『黒鬼』を打ち倒したベルグレッテや、最後の最後まで流護と覇を競った地元の勇士ダイゴスの人気も高い。
それらの光景を微笑ましげに眺めつつも、男は「やはり自分の役をやってくれる子はいないのだな」と少し寂しく思いながら雑踏を歩く。そこへ、
「あーっ、ゴンダーだ!」
まだ歯の生え揃っていない少年たちがパタパタと駆け寄ってきた。
「ねえゴンダー、きょう、夕ごはん食べにいってもいいー? ひさしぶりに、ゴンダーの作ったエビ麦飯食べたい!」
そんな腕白坊主たちの問いかけに、男――ゴンダー・エビシールは生真面目な頷きを返す。
「む。構わんが……父上や母上の了承を取ってからにするのだぞ」
「うん、わかってるよ!」
「じゃあ、また夜ねー!」
実家の宿は基本的に外部の人間向けであるが、地元の者たちの食事処としても機能している。
子供たちの後ろ姿を見送り、霧氷の術士はそのまま首都の街並みへ視線を移した。
確かに人は多いが、あの一ヶ月前の雰囲気はさずがに消え失せている。旅装姿の者はあまり見られず、また無法者めいた輩が我が物顔で街を闊歩していることもない。
ほどなく歩いて、自宅でもある『旅路の宿・エビシ~ル』の扉を潜る。
「おう、いらっしゃ……、ってお前か、ゴンダー」
広間のカウンターで日報紙を読んでいた父親が愛想のいい笑みを浮かべかけ、すぐさま気の抜けた顔となった。
毎度のことではあるのだが、天轟闘宴を終えた後は宿泊客の数も激減し、まさしく祭りの後といった寂しい空気が漂う。
今回は、特に――
「リューゴくんたちは、どうしているかねえ」
懐かしむように、父が目を細める。
武祭の優勝を飾った流護自身かなりの重傷だったが、彼はまず何よりも先にミョールの治療を国へ願い出た。優勝者としての権限を利用した、最先端・最速の治療処置。その結果、彼女は見事回復。
流護、ベルグレッテ、ミョールの三人がレインディールへ帰り、すでに三週間。皆で過ごした日々も懐かしく、今はどこか夢や幻のように感じられた。
「お前もまた、そろそろ出るのか?」
「そう、だな……」
決めあぐねていた。ゴンダー自身は、天轟闘宴にて魔闘術士の一員であるカザ・ファールネスに敗北し脱落。己の未熟さを痛感する結果に終わっている。
後に出現した『帯剣の黒鬼』との戦闘にも助力することはできず、最高潮の盛り上がりを見せたという流護とダイゴスの闘いも目にすることは叶わなかった。
医療キャンプで昏睡状態。不甲斐ないことに、完全に蚊帳の外である。
しかし、ここで立ち止まるつもりはない。流護から『カラテ』の手ほどきを受け、様々な着想も得た。また腕を磨いて、いつか――
「おっ」
密かな決意を固めていたところで、父親が窓の外へと目を向ける。
「巫女様がお通りみたいだぞ。すげえ人だかりができてる」
「む」
天轟闘宴が終わって以降、レフェは次々と苦難に見舞われた。否、現在も見舞われている、というべきか。国長不在の状態が続き、およそ半数が解任された『千年議会』も立て直しの目処は立っていないのだから。
しかし、悪いことばかりではない。今までにないような、新しい試みなども生まれつつある。そのうち最も大きなものは、『これ』といえるだろう。
昼下がりの往来。赤鎧の兵団と、彼らに守られて歩く『神域の巫女』。
そこへ集まり、寄っていく町民たち。
かの巫女は城の奥に座するだけでなく、こうして自らの足で街まで下りてくるようになった。身近な存在として感じられるようになった。
「あの巫女様も確か、リューゴくんたちの知り合いなんだろ?」
「そのようだな」
「一時は、これからレフェはどうなっちまうのかと思ったが……あの巫女様の献身っぷりを見てると、何だかいい方向に変わっていってくれそうな気がするよ」
「うむ。そう願うばかりだ」
窓の外、人だかりと青く澄み渡った空を見やり、ゴンダーは父の言葉に心から同意するのだった。
第七部 完
第八部はレフェやミョールのその後を振り返りつつ、新しい話に入ります。
開始までしばらくお時間をいただきますが、お待ちいただければ幸いです。




