266. 糧
「――さて。では魔闘術士の連中には、少しでもこの任務によって生じた支出の補填をしてもらうこととしよう。各員、資源回収に移れ。万が一生き残りがいた場合は、確実に冥府へ送ってやれ。ないと思うが、連中に囚われていた女性で生存者がいた場合は、速やかに保護せよ。息があるも手遅れと思わしき場合は、苦しまぬよう天上へ送って差し上げろ。以上、解散っ」
周辺の探索に移る部下たちを横目に、テオドシウスは傍らのアーミックを見上げた。
封術道具、と呼ばれるものがある。
その名の通り、神詠術の力を内側に封じ込めた物品のことだ。最も身近なところでは、冷風を吹かせることのできる冷術器や、温風を吹かせることのできる温術器などがそれに当たる。
このアーミックBA‐49は、封術兵器と表現すべきものだろう。
複雑な射出機構と火の術が生み出す、圧倒的な破壊力。魂心力に高い感応性を示す金属と探知の術が合わさり実現した『鏡面レーダー』、小型化したそれを搭載することで発揮される索敵能力。操作手を守るため、込められた簡易防壁を最大で七枚同時に素早く展開できる防御能力。
神詠術と兵器の融合、その完成形といえる性能がここにあった。
(とりあえず、ブッ壊れたりしねぇで良かった良かった)
巻き起こした破壊の余波で損壊してしまったのでは、目も当てられない。
大国ザッカバールでわずか三機。一機につき、上級貴族が全てを差し出したとて到底賄いきれないほどの金額が投入されているのだ。
運用したからには保全が必要となるが、それにもまた莫大な経費がかかることとなる。殲滅した相手から対価を巻き上げなければ、とてもではないがまともに稼動できないほどだった。今回は魔闘術士の殲滅を依頼したアウレーリア子爵によって多額の運用資金が提供されていたが、それでも到底帳尻は合わない。
巨額の製造費や燃費の悪さも相俟って、現時点では量産など夢のまた夢といえるだろう。
「さて、と」
テオドシウスは、新たに生まれた前方の岩山へと視線を移す。
完全に圧壊された家屋や、ひしゃげ曲がった大きな鉄柱が目につく。それなりに金目のものを溜め込んではいるのだろうが、この最新鋭兵器の運用費の二十分の一でも回収できれば上々といったところか。
「それはそれとして……オイラも探し『モノ』をしなきゃな」
舌で唇を湿し、男もまた部下たちと同じように岩山へと向かっていった。
瓦礫の山を登り、岩と岩の隙間を覗き込む。
押し潰された家の残骸や金属片、あるいは生死を確かめるまでもない黒装姿が横たわったり挟まったりしているものの、標的はなかなか見つからない。
「反応からして、この辺りに間違いねぇんだがなっと」
こめかみに指を当て、意識を集中し――
「そこかねぇ」
赤茶けた岩の隙間を覗き込み、ようやく目標を発見する。
「ヘイ、当たり! よっ……と、重てぇなクソ!」
テオドシウスは片手を突っ込み、折り重なった石壁の隙間から『それ』を引きずり出した。
「……が、…………あ……」
もはやボロ切れと化して、手足にまとわりついているだけの黒いマント。その枯れ木のような細い四肢はねじ曲がり、落ち窪んだ目や皺だらけの老いた顔には、ただただ死相と驚愕の色が浮かんでいる。
長老と呼ばれる、魔闘術士の首領だった。
持てる術の限りを尽くし、辛うじて一命を取り留めたのだろう。
「流石だねぇ、爺さん。あれだけの崩落に巻き込まれて、まーだ生きてるたぁ」
釣り上げた魚を掲げるようにしながら、テオドシウスは瀕死の老人に賛辞を送る。
「…………な、ぜ……、だ……」
「なぜ撃ったかってか? そうだな、政治……ってものを解さねぇ追い剥ぎ原人には難しい話かもしれねぇが」
騎士が掴み上げていた手を離せば、長老は打ち捨てられたように崩れ落ちた。
「オイラたちは最初から、テルメア嬢を助けに来たワケじゃねぇのよ」
彼女が行方知れずとなったのは、早十ヶ月近くも前。
長きに渡る捜索の末、魔闘術士に連れ去られたらしい、という情報が飛び込んできたのはつい先日のことだったが、
「お前らに攫われて十ヶ月も経ってる時点で、貞操の無事は有り得なかった。で、貴族ってのは何より体面を気にする連中だ。良家の令嬢なら、矜持・貞淑・清楚・純潔……なんてのは必須なワケだが……お前らに食い物にされた時点で、そんなのは全部消し飛んじまう」
溜息をつきながら、サーコートの騎士は今にも息絶えそうな長老に向けて淡々と語った。
「そうなりゃ、貴族の娘としちゃお終いだ。テルメア嬢が生きてても、もう戻れる場所はねぇんだよ。今回の件はな、彼女の父親――アウレーリア子爵からの依頼だったんだ。娘を辱めたであろう魔闘術士共を、完膚なきまでに叩きのめせ。もし娘が生きていたなら、せめてこれ以上苦しまなくて済むよう、天上に送ってやってくれ――ってな」
おそらくテルメアは、幾度となく自らの命を絶とうとしたことだろう。彼女に子を生ませたい魔闘術士は当然、それを阻止したことだろう。
自害を防ぐために、極限まで自由のない生活を強いられていただろうことも予想がつく。先ほど連れられてきた彼女は、もはや自分の足で立つことすらままならなくなっていた。
「さっき言ってただろ、テルメア嬢自身も。『自分ごと撃ってくれ』ってよ。強がりだと思ったのか知らんが、あんさんの部下が彼女を盾にしだしたのは噴飯モノだったぞ。人質にならん人間を、得意げな顔で盾にしやがって」
所詮は原人だな、とテオドシウスは軽蔑の眼差しで吐き捨てる。
「総括すると、だ」
南の大国の騎士団長は、這いつくばる僻地の無法者に言い放った。
「お前ら魔闘術士は、手を出しちゃならん相手に手を出した。細々と分相応の追い剥ぎでもやってりゃ良かったものを、大国の貴族にちょっかい出して怒らせた。その結果がコレ、ってこったな。実に簡単な話だろ」
ついでに言うとな、とテオドシウスはあまり興味なさげに言を継ぐ。
「お前ら、誰に許可取って『メイガス』って名乗ってんのよ。『魔聖術者』ってな元々、オイラたちの国を興した祖先……エラくてスゴい大先輩方の名前なんだぜ。それをお前らみたいな追い剥ぎが名乗ろうなんざ、烏滸がましいにもホドがあるってもんだ。伝統を重んじるような連中はカンカンだぞ」
心底軽蔑する眼差しで、テオドシウスは笑った。
「――さて、まあそんな話はいいとして」
その声が潜められるように小さく、妖しく発せられる。
「騎士としての話は以上だ。ここからは、オイラがこっそりと国には内緒で参加してる『劇団』の話なんだが」
意味が分からなかったのだろう。伏したまま黙って聞いている長老の顔に、困惑の気配が浮かぶ。
「オイラは何も、騎士道精神に則ってお前らを裁きにきたワケじゃねぇんだな。好き好んで、こんなクソ暑い砂漠に来るかっての。仕事に生き甲斐を感じてる真面目人間じゃねぇんでね」
そうして、男はようやく本題を口にする。
「一ヶ月前に終わった、レフェの天轟闘宴。魔闘術士からも十人程度が出てたよな」
「!」
その発言を聞き、長老が大きく目を見開く。
「ウチの劇団からも一人出てたんだが、どうもそいつは魔闘術士の一人にやられたみたいでな。ま、それはいいんだ。あいつはあの場でヤラレるのが仕事だったからな。そんでもそれなりの使い手だったから、少しばかり気になってあんたらについて調べてみたら、ちょいと面白いことが分かった」
そうして、核心に触れる。
「同族交配による異能の創出と、狂人の集まりとしか言いようがない魔闘術士の統率を可能としてる、狂操霊薬って薬の存在だ」
なぜそれを、と言いたげな長老を無視し、テオドシウスは思い出すように続けた。
「まず同族交配な。大概の人間なら本能的に嫌悪感を抱くもんだが、平然とやってのけるのが流石だよ、お前らは。それを延々繰り返すことで、妙な能力を持った人間が生まれることがある――。これは実に興味深い。こんな事実、それなりに進んでる神詠術の研究機関でも知らねぇんじゃねぇか?」
呆れ半分、感心半分といった表情で大仰に頷く。
「で、もう一つ。檮昧香を利用して作ってるとかいう、狂操霊薬」
魔闘術士の男たちは、生まれ落ちた直後に内包している魂心力の量を査定され、大きく二種類に選別される。
魂心力が少ない場合は、『兵隊』と呼ばれる戦闘員に。多い場合は、『狩人』と呼ばれる上等兵に。
ここで特殊なのは『兵隊』のほうで、幼少の頃からこの狂操霊薬と呼ばれる薬を与えられて育つ。
成分の一つである檮昧香には頭の働きを鈍らせる作用があるが、独自の調合によって生み出されたこの霊薬にはまた別の効能があった。
強烈なまでの依存性、それによって引き起こされる反抗心の欠落、恐怖心の減退である。
「オイラは不思議だったんだな。手当たり次第噛み付く狂犬みてぇなお前らが、どうして大した内輪揉めも起こさずキチンと集団生活を営んでられるのか」
全員が血族のようなものだから、という理由だけでは弱い。
男の大半は『兵隊』となる。大多数を占める彼らが、都合のいい駒として作り上げられているのだ。
薬を得るため実直に働き、恐怖心がないゆえ敵に臆さず、反抗心を持たないから逆らうこともない。
幼少の頃からそのような薬に溺れているため、当然真っ当な知能は育たず、自ら薬を作ったり造反したりというような思考が生まれることすらない。
「秘境の部族の神秘、とでもいうのかねぇ。よくもまあそんな怪しい薬を作れたもんだ、と感心したワケだな」
「……な、ぜ……、そこまで……」
「なぜそこまで知ってるのかって? ジ・ファールから『聞いた』んだよ」
「!」
結論のみ述べれば、長老は驚愕に目を見張った。
「結果から言って、天轟闘宴に参加した魔闘術士の戦績はそりゃ酷いもんだった。南から来た優勝候補なんて前評判はどこへやら、いざ蓋を開けたら術を使えない小僧に次から次へと文字通り殴り倒されてくんだから、もうどうしょもない。まっ、所詮は世間知らずの田舎モンだし、ヤラレ役の悪役としちゃいい働きだったかもな。痛快に盛り上がってたしよ」
肩を竦めながら言い捨て、思い出すように笑う。
「で、ジ・ファールなんかは物凄ぇ拳喰らってひっくり返って、ションベン漏らすわ左目潰れるわ起き上がれなくなるわで、長期療養が必要な身体になっちまったんだが……レフェの医者は、誰も相手にしたがらねぇのよな。ただでさえ武祭の後で忙しいし、鼻摘み者の魔闘術士だ。治療費の支払いだって怪しい。誰だって、恩を仇で返されちゃたまんねぇからな。だから、オイラたちが引き取るって形で回収した」
「……き、さ、……まら、は……一体……」
「そんなワケでな。オイラはザッカバール第四騎士団の長としてじゃなく、怪しい秘密劇団オルケスターの男優として、秘境の部族の神秘ともいえる同族交配と狂操霊薬の技術やら知識やらをあんたから教えて貰うために、わざわざこんな砂漠くんだりまでやってきたってワケだ。このお前らの技術は、オイラたちならより良く有効活用できるんでね。オルケスターは、より大きく……より強くなれる」
「……ふ」
そこで辛うじて身を起こした長老が、テオドシウスを見上げつつ鼻で笑う。
「教えると……思うのか?」
話を聞きながら、回復術を施していたのだろう。老人は、会話を交わせるほどに持ち直しつつあった。
「騎士どもに探らせているようだが……無駄だ。形として残してはおらん。貴様の求めている知識は、『ここ』にしか存在せん」
そう言って、長老は自らの頭をトントンと人差し指で示す。
「ふむ。代々の長老が口伝のみで継承してる……ってとこか? いかにも部族の秘術っぽくていいねぇ、そういうの」
「どうする? ワシを殺してしまえば……知識は手に入らんぞ」
くつくつと笑いながら、長老は立ち上がった。
大した回復力だ、とテオドシウスは内心で驚嘆する。ただの老人ではない。黒装の凶人集団を統べている長なのだ。当然ではあるが、詠術士としても高い技量を持っているのだろう。
「さて……となると、これは実に愉快な状況じゃ」
「愉快とな?」
「貴様は情報を得たいが為、ワシを殺せぬ。しかし、ワシには貴様を殺せん理由なぞない」
「あら」
初めて気付いたとばかりにテオドシウスが肩をそびやかした瞬間、
「死ね、若造」
躊躇なく薙がれる右腕。顕現する真紅の揺らめき。
細く頼りない老体から発せられたとは思えないほど激しい炎の塊が、テオドシウスへと躍りかかった。
――しかし。
「!」
長老は息をのむ。
波打って騎士を飲み込もうとした火炎は、突然チーズさながらに穴だらけとなり、その穿たれた穴に呑まれるように霧散、消失する。
「おう……劇団員としての自己紹介が遅れたなぁ」
目前に展開した白い防壁のようなもの。
その脇から顔を覗かせながら、テオドシウスは薄く笑う。
「……こ、れは!?」
刹那、老人は看破したのだろう。
テオドシウスの前に浮かぶそれは、自らの炎を掻き消したそれは、防壁では――防御術ではないと。
攻撃術。さらには、集まって防壁のような形を成している『何か』であると。
男が気障な仕草で指を鳴らせば、その白い薄膜が霧散する。そうして、それらは虚空に大きく広がって滞空、静止した。
「……粒……、!?」
一つにつき一センタルにも満たない。色も大きさも、霰のような球体。砂漠に住まい、雪を知らぬ老人は、その例えを思いつかないだろう。到底数え切れないほどのおびただしい小さな球体の群れが、テオドシウスを包み込むように漂う。
「コレの総数は、四千だ」
その言葉と同時、またしても男が指を鳴らせば――
一挙殺到したそれらが、削ぎ落とした。
四千の弾丸が、魔闘術士の長を容赦なく射抜いていく。
つい今ほど、炎を掻き消したのと同じように。貫通した弾が肉を削ぎ、吹き飛ばし、瞬く間に老体を蹂躙、損壊させていく。
返り血として吹き荒ぶ真っ赤な飛沫、飛び散る肉片や臓腑すらも全て弾き散らし、
「よっと」
テオドシウスは慌てて『それ』を掴み取った。
驚愕の表情に染まった、老人の頭部。首からダラリと垂れ下がる背骨。『残った』のは、それだけだった。
「属性は、専門家にも分からねぇそうだ。オイラも自分で使っててよく分からん。ウチのドクトルに言わせりゃ、『無』ってとこらしいが。まっ、どうでもいいけどな。『魔煌弾』のテオドシウスとかって呼ばれてるよ。オイラがオルケスターで最強なんじゃねぇかなぁ。なーんて言うと、すぐナインテイルのお譲ちゃんが噛み付いてくるんだがね」
あまりに一瞬の惨劇だったゆえだろう。老人の顔は未だ小刻みに震えながら、瞬きを繰り返していた。現状を認識できないかのごとく。顔と背骨だけになったその姿は、歪な魚のようでもあった。
「ウチには死体の脳から情報を抜き出せる奴がいるんでな、あんさんを生かしておく必要なんてねぇんだよ。目論見が外れて残念だったなジイサン。まっ、世界は広いってこった」
回収したジ・ファールからも、同様の方法で情報を獲得したのだ。あんな手当たり次第に噛みつく病気の犬みたいな人間を生かしておく理由など更々ない。それでもあの男の場合は、かなり高位の術を扱える詠術士でもあったため、魂心力集積の基盤となっていた心臓を摘出し、厳重に保管してある。
ちなみにジ・ファールは狂操霊薬を増やす手段は知っていたが、無から作り出す製法については知らなかった。そのため、この長老の知識が必要だったのである。
一月半ほど前。オルケスターに接触を図ってきた、キンゾル・グランシュアという謎の老人。この怪人物が可能とする、魂心力の宿った部位――脳、心臓、脊髄――の移植、という前代未聞の技術。それこそ世界は広い、ということだろう。南の騎士として広い見識を持つテオドシウスですら耳にしたこともない、考えたこともない所業だった。
この魔闘術士の長の魂心力が脳に宿っていれば、情報回収のついでとして移植にも使うことができるだろう。脊髄や心臓は跡形もなく吹き飛ばしてしまったので、得られる確率は三分の一となるが。
「さて、仕事は終わりだ。さっさと帰って、冷たい麦酒でもクイッといきたいねぇ」
テオドシウスは目的の買い物が終わったかのような軽い口調と共に踵を返し、巨大な岩山を振り返る。
「…………」
これは、墓石だ。魔闘術士の、ではない。黒い害虫なぞに墓を作ってやる趣味はない。
幼少の頃から知っていた、テルメアという令嬢に向けた墓標。
アーミックを掃射する直前。動いた彼女の口を、テオドシウスは見逃さなかった。
「ありがとう」
そう動いた、小さな唇を。
「……予想はしてたんだが。やっぱり何も感じないんだな、俺って奴は」
自嘲気味に呟き、魔弾の男はその場を後にした。




