265. 当然の帰結
遥か地平線まで続く、広大な砂の海。
乾ききった熱風が地表を撫で、どこまでも延びる砂の大地に風紋を刻む。あるのはただ、ひたすらの砂と赤茶けた岩山のみ。
過剰なまでに降り注ぐ昼神の恵みが凄まじい熱気を生み出し、それら味気ない景観を歪に揺らめかせている。
モワダラーリ砂漠。
レフェ巫術神国より遥か南、南北を縦断する旅人や商隊にとっては大きな壁となる砂漠地帯である。
それでも、西部遠方――灼熱の聖域と称される『南の大熱砂』よりは水源もあり、また気温も低い。数は少ないが、怨魔以外の野生動物もわずかながら棲息している。高低差のある岩場も数多く、熱気から逃れて身体を休めることができる地形に恵まれていた。
しかしこの砂漠地帯を通過する際に最も注意すべきは、過酷な環境でも闊歩する怨魔でもない。
この砂漠のどこかに根城を築いていると噂される、ある略奪者たちの存在があった。
全てを奪い尽くしていく、黒装の凶人集団。運悪く彼らと出くわし、消息を絶った人々の数は計り知れない。
かの無法者たちは、自らを特別な存在だと――詠術士よりも優れた術者だと声高に主張していた。
その名を、魔闘術士という。
「遅いな」
長老は枠だけの窓から青空に輝く昼神を睨み、しわがれた声で呟いた。
裸の上に黒いマントを引っかけているだけという風体だが、この集落で外面を気にする者はいない。
立ち上がって窓辺に寄り、階下へと視線を落とす。
遮るもののない、閑散とした広場。赤土に覆われた大地には、一本の鉄柱が高々とそびえ立っているだけだった。
「やはり……遅い」
赤く錆びた柱を――それが大地に落とす影を眺め、魔闘術士の長は苛立ったように繰り返した。
この柱は時計代わりである。正確な時刻の概念を持たない彼らは、鉄柱が地面へ落とす影の向きによって、おおよその時間を把握しているのだった。
広大なモワダラーリ砂漠の東部。入り組んだ岩山の合間に、魔闘術士の集落はあった。
地形的に外部からは見えづらく、岩場は昼神の照りつけを遮る壁となり、渓谷には水も流れている。
過酷な土地ではあったが、場所によっては人が営むに足る環境を充分に備えていた。
とはいえ、基本的に不毛な砂漠地帯である。雨も降らず、家畜や農作物を育てるに適した草や土もない。
では、どのようにして生きるための糧を得るか。
奪う、のである。
彼らは、ありとあらゆるものを外部から奪った。
物、金、人、命。
もし仮に肥沃な土地や恵まれた資源があったとしても、彼らは『奪う』ことを選択したのではないか。それほどに、魔闘術士という集団は凶暴だった。
奪うだけ奪ったが用途の分からないようなものは、広場の脇に捨てられ堆く積み上げられている。金属や車輪、木柱といったものが乱雑に折り重なり、ちょっとした塔の様相を呈していた。昨今では置き場がなくなってきたため、不要物は谷底へ投棄されるようになっている。
原則として子を成すために女をさらうが、誤って男が連れてこられることも少なからずあった。
略奪を主とする兵隊の中には、知能や教養が足りず、他人の顔や男女の差異を区別できない者が存在した。
さらわれてきた女は休む間もなく犯され続け、次代を生むための母体となるが、男は不要である。命乞いなどが通じることはなく、即座に殺された。死体は解体され、骨は武器や小道具へと加工された。その扱いは、野生動物と同じといえる。
過去には捌いた男の肉を食してみるという試みもあったが、直後、十名以上の魔闘術士らが次々と変死を遂げる事態が発生し、以降人肉食は行われなくなった。
食された男が生前、自らに罠のような術を仕掛けていたに違いない――いや、悪神の呪いだ――と魔闘術士たちは好き勝手に推測した。彼らは知るよしもないが、原因は感染症である。
金銭の価値を知ったのは比較的近代になってからのことで、より遠くへ足を伸ばすようになって以降はさすがに必需品となった。
そうして今回、多大な金を得る機会があるとのことで、外界の事情に通じているジ・ファールを始めとする十五名を北方へと送り出したのだが――
期限を大きく過ぎても、彼らが戻らないのだった。
「……チィッ」
隣の部屋から漏れてくる雑音――男の下卑た声と女の悲鳴――を煩わしく感じ、長老は雑な造りのあばら屋を出た。
岩山の合間、自然の地形を利用して作られた集落。垂れ下がる岩場をそのまま屋根として利用している家屋や、絶壁の側面に藁葺き屋根を立てかけただけの住家が目立つ。
見てくれというものをまるで考慮していない、雑多な景観の目立つ里だが、その防衛機能は極めて高い。集落には、風峰の術を始めとする気配隠蔽系統の神詠術が常に施されており、外敵――猛獣や怨魔の侵入を許さぬ対策が取られている。
十数年前、当時少年だったバルバドルフの父親が何者かに殺害され、当のバルバドルフは散々「両目のない女が父を殺した」と主張していたが、まともに取り合う者はいなかった。
詳しく特徴を聞けば、修道服を着た長い金髪の女だったというが、当然そんな人物がこの里にいるはずもない。侵入や殺害に際し、神詠術が行使された痕跡もなかった。
そもそも過酷な砂漠を抜け、外界から隠蔽されたこの里に侵入し、誰にも気付かれず、相当な手練であったバルバドルフの父を殺す――などという真似が可能な人間がいるとは思えなかった。
魔闘術士間でも『狩人』となれば、当たり前のように通常の人間と同じ感情を発する。殊更、凶悪な人格をした者たちの集まりだ。モノや金、女に執着し、諍いが起きることは珍しくなかった。
バルバドルフの父については恨みを買った誰かに刺されたのだろうということで終着し、その息子自身の言についても狂操霊薬の煙に当てられて夢でも見たのだろう、ということで片付けられた。
その後、犯人が明らかになることはなく、また同じような事件が起こることもなかった。
無論というべきか同族殺しはご法度であるが、この件は曖昧なまま終わり、結局はそのままとなっている。
以降、同族間で大きな揉め事などはなく――魔闘術士の総人数は現在、六十一名。その生活様式から考えたならば、村や仲間というよりは家族が近しいだろう。もっとも、人が想像する一般的なそれとはあまりに異なる。猛獣の群れ、とでも表現するのが妥当かもしれなかった。
ジ・ファールらの他にも『狩り』と称した略奪に出かけている者がいるため、広場は閑散としている。
「奴らめ……どこで道草を食っておる」
遥か北に位置するレフェ巫術神国で開かれた、天轟闘宴と呼ばれる武祭。
一千万の金に加え望みのものを取らせるという破格の褒賞を獲得するため、魔闘術士の中でも主力となるジ・ファールを一団の長に任命し、カザ・ファールネス、バルバドルフの『狩人』二名を含む大人数が向かっていた。
――が。この武祭は、早一月も前に終了している。
他方へ寄り道をする場合は、鴉による伝書を飛ばす手筈となっていた。しかしその連絡もなく、これほどの長期に渡って帰還もしないという、初の事態。
苛立ちを隠せない長老は、睨めつけるような視線を集落の入り口となる門のほうへと向けて――
頑強な岩場と木組みで造られている集落の門が、轟音と共に吹き飛んだ。
「!?」
爆発したように広がる砂塵と烈風。飛んだ岩と木片が、近くに建っていた家屋を巻き添えにし、瞬く間に瓦礫へと変貌させる。
長老は巻き添えを食わぬよう咄嗟に飛びずさり、何事かと眉根を寄せて里の入り口となるその部分を注視した。
「な……に」
砂嵐もかくやといった煙が晴れた瞬間、老人は喉の奥から驚愕の呻きを発していた。
つい数十秒前まで門のあった場所。集落の入り口となるそこに堂々と佇んでいたのは――緋色の全身鎧に身を包んだ、数十名からなる騎士たちの集団。
(こやつら……確か、ザッカバールの)
ザッカバール大帝国。通称、『熱砂の古都』。遥か南東に位置し、周辺地域の要となっている巨大都市国家である。このモワダラーリ砂漠も、正確には帝国領の一部だった。
――それはいい。
「なん……じゃ、あれは」
長老は、落ち窪んだその目を剥いた。
なぜ里の位置が特定されたのか。なぜザッカバールの騎士がやってきたのか。
それらの疑問よりも何よりも、不可思議なものがあった。
里の出入り口に堂々と佇む騎士たち、その中心に鎮座する、移動式の大砲を何倍にも肥大化させたような『何か』。
その大きさは、馬車の数倍。人の背丈を優に越す車輪。城の煙突と見紛うばかりの太い砲身。その他にも何やら用途の分からないものが、ゴテゴテと取りつけられている。見たこともない、しかし確実に兵器と分かるそれが、入り口前面を完全に塞ぐ形でそびえ立っていた。
門を岩山ごと吹き飛ばしたのは、考えるまでもなくこれの仕業だろう。
長老は油断なく下がり、様子を窺うことにした。
「目標発見」
「はいよ」
緋色の鎧に身を包んだ騎士の事務的な報告を受け、その男は耳をほじりながら頷いた。金髪碧眼、彫りの深い顔立ちをした美丈夫。身に纏う派手な刺繍の施されたサーコートは、ザッカバール大帝国の上位騎士たる証である。
騎士は、空いているほうの手で広域通信の術式を紡ぐ。上空に巨大な波紋を展開し、そこから声を響かせた。
『あー、あー。聞こえるかな、魔闘術士の諸君』
呼びかければ、集落に点在する家々から黒い影が次々と顔を覗かせた。まるで凶暴な血吸い蝙蝠の巣だ、と男は内心で苦笑う。
『我々は、ザッカバール大帝国が第四騎士団、通称「凛明団」。私は団長を務める、ウィレントリッジ・S・テオドシウスである』
名乗りを上げれば、奥に鎮座する一際大きなあばら家の屋根へ、一人の老人が着地した。
『えー……そこの裸に黒いマントのご老人が、長老殿かな』
誰何を受けて、怪老はニタリと笑った。張り合うように、通信の神詠術を頭上へと展開させる。
『随分な真似をしてくれるな、騎士どもよ』
『真っ当に訪問したところで、門を開けてくれるとは思えなかったのでね。さて、簡潔に用件を申す。我が国の地方都市の令嬢であるテルメア・アウレーリア嬢が、あー……十ヶ月前だっけか……とにかく、隣町へ外出された折に行方不明となられた。調査の結果、貴殿ら魔闘術士に拐かされた可能性が高いと。そういうことで、この場を訪問させて頂いた次第だ』
騎士団長テオドシウスの言を聞き、黒装の老人は思案するように顎の下へ手を添えて――
『テルメア……テルメアのう。おお、知っとるぞ』
それは、ひどく悪意に満ちた笑みだった。
『自分に手を出せば、国の者が黙っておらんだとか……えらく気丈に振る舞っておったな。成程確かに、見てくれからしてその辺の女とは違うと思っておったが』
肩を揺らし、こちらの反応を窺うように。
『クク、あやつはえらく人気での。男どもの間で、軽く諍いが起きるほどじゃったよ』
そうして、老人は呼びかける。
『おう。誰か、連れてきてやると良い』
数分後。
ザッカバール騎士団の者たちは愕然とし、悲嘆に暮れることとなった。
魔闘術士の一人によって、あばら家の前に連れてこられたその少女の姿を見て。
確かに、テルメア・アウレーリアだった。
しかし。かつての、深窓の姫君としての美しい面影はどこにもなく。
一糸纏わぬ、薄汚れた姿。乱れた髪。そして――大きく膨らんだ腹部。
『さて。父は誰かな。ジ・ファールか、アバストルトタか、それとも――このワシかな。ク……フ、ハハハハ!』
この世の悪意、その全てを集束させたかのような、どす黒い何かに満ちた哄笑。
「馬鹿、な……テルメア様」
「お、のれ……魔闘術士め!」
騎士たちは無残なテルメアの姿から目を逸らし、それぞれに呻く。
『ほれ、テルメアよ。お前のお仲間が助けに来たぞ。随分と手遅れじゃがな。何か言ってやると良い』
黒装いの老人が術を操作し、テルメアのそばへと波紋を展開させる。
気付いた彼女は身をよじり、顔を背けた。
『い、や……見ないで……』
広域通信術が拒絶の吐息までをも増幅し、生々しく残酷に響かせる。
おかしくてたまらないとの情を隠しもせず、長老は腹を抱えて高らかに笑う。
『フ、ハハハハハ! 良いぞ騎士ども! こんな状態で良ければ、貴様らに返してやろうか!? 皆で腹の子の名前でも考えてやったらどうじゃ! ヒャハハハ……、ハ……?』
そこで老人は気付く。
騎士たちの中で、ただ一人。
動揺した様子もなく、実につまらなげに耳をほじっている男――テオドシウスの存在に。
『貴様……団長だとかほざいておったな。何を余裕ぶっておる』
『んー……そう言われてもなぁ』
返答に困った様子で首を鳴らすテオドシウスに向かって、テルメアの悲痛な叫びが飛んだ。
『テオドシウス殿……! 私、このような獣どもの子など生みたくはありません! いっそ……私を、私を……!』
『ふむ』
テオドシウスが片手を上げれば、騎士たちが背後の巨大な移動砲台の周囲へと展開した。
『クク。まさか、それでワシらを撃つつもりか? 集落の門を吹き飛ばすほどだ。さぞ凄まじい威力なんじゃろうな。で、娘も巻き込むつもりか?』
砲塔の背後へ回り込んだテオドシウスが、自分自身でスコープを覗きながら、お気に入りの骨董品を愛でるような口調で語る。
『コレは、アーミックBA‐49って名前でな。長ったらしいんで通称アーミックだ。火の扱いと工業が得意なウチの国がどえらい金をかけて開発した、最新鋭の兵器。まあ見ての通り、狙った相手だけを正確に射抜けるような代物じゃあない』
『テオドシウス殿……! どうか私ごと、この者たちを……うぐ!』
盾にする形で、魔闘術士の一人がテルメアを羽交い絞めにする。そのまま、彼女を拘束した男は優越感に満ちた声を響かせた。
『ヒヒ……撃てやしねーよ。騎士ってのは、そういう生き物だろ? どれ、一丁見せつけてやるか? お前を助けにきた騎士どもの見てる前で、楽しませてもらうとすっかァ!?』
『いや……いや! テオドシウス殿! どうか、どうか――穢れてしまった私を、天上へとお導きくださいませ……!』
悲痛にすぎる叫び。
顔を背ける団員たち。
そして、
『御意。テルメア嬢の意志――このテオドシウス、確かに汲みましたぞ』
一切の迷いなき、その騎士の応答。
巨大な砲塔には不釣り合いなほど細い熱線が、ピュン――と小さな音を残して迸った。
赤光は、魔闘術士の集落上部にそびえ立つ絶大な岩山を横一閃に撫で、過ぎる。
紅の残像に遅れること一拍。
――滑り落ちた。
それは、切り分けを失敗したケーキのようだった。
削がれた『崖』が、地鳴りと共に崩壊する。
岩と呼ぶには巨大すぎる塊が、集落そのものを目がけて落下した。
里全域を覆う黒影。呆然と見上げる魔闘術士たち。
それはまるで、蓋をするように。忌まわしいものを封じるように、そこにあった全てを下敷きにした。
耳をつんざく大爆音。身が跳ねるほどの振動。
中空を舞い躍る家屋の残骸、巻き上がった土砂と石片、視界全域を覆い尽くす砂塵の嵐。
アーミックの周囲には、虫の複眼めいた模様をした虹色の防護磁界が展開され、全ての余波から騎士たちを隔絶した。それでもなお、破壊の衝撃を受けた足場が――大地そのものが傾いて沈み、騎士たちはたたらを踏む。
終末のような暴威に晒され続け、どれほどの時間が過ぎただろうか。
ようやく視界が晴れたそのとき、周囲の景色は完全に一変していた。
崩れ去った岩場。陥没した砂の大地。新たに築かれた石の山。そして、騎士たちの前方――魔闘術士の住居が並んでいたはずのその場所に鎮座する、あまりにも巨大な岩石の塊。当然、その背後に立つ絶壁はやや低くなっていた。
集落などというものは、そこに影も形も残ってはいなかった。
一閃を発射する前後で、同じ場所だとは思えないほどの地形の変貌。
魔闘術士と呼ばれる集団の住処は、ただの一撃で壊滅した。
「……よぉーし。巻き込まれた奴はいねぇなぁ?」
テオドシウスは、子供たちを引率する教師よろしく部下の顔を見渡す。皆一様に沈んだ表情をしているものの、欠員はない。
颯爽と前を向いて、彼らの長を務めるテオドシウスは声を張った。
「ザッカバール大帝国が誇りし、『凛明団』の精鋭たちよ。これより、テルメア嬢に一分間の黙祷を捧げる。彼女の魂が、天上にて清麗に救われんことを。そして、来世での恒久な幸あらんことを。黙祷っ」
そうして騎士たちは、屹立する巨大な墓石の前で静かな祈りを捧げた。




