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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
7. 天に轟くは、闘いの宴
262/670

262. 終幕と、

 黒水鏡から、最後の脱落者を告げる音が鳴り渡る。

 残り二つだった名前のうち、片方が消失する。


『決っっ……着うぅ――――――ッ!』


 音声を担当する乙女ことシーノメア・フェイフェット、その最後の絶叫が、紅に染まった大空へと木霊した。



『第八十七回・天轟闘宴! ただ一人の覇者、ここに決定ッッ! 栄えある勝者はっ……リューゴ・アリウミだああぁ――――!』



 大地が揺らぐほどの振動と喝采が、『無極の庭』を全方位から包み込んだ。

 黒水鏡が映し出すは、二人の男。

 大の字になって倒れた有海流護と、紫電の棍に身を預けて立つダイゴス・アケローン。

 そして輝く名前は、『前者』ただ一つのみ。


 仰向けに崩れ落ちていった流護。同時――立ったままのダイゴス、その首から解け落ちたリング。それが、終戦の証。


『なんという幕切れ……っ、しかし、凄まじいまでの執念というべきでしょうか! ダイゴス・アケローン、なんと……なんと、立ったままで力尽きています……っ!』


 己が相棒たる雷節棍を大地へ突き立て、その大きな身体を寄りかからせたまま。ダイゴスは、眠るように目を閉じていた。

 わずか離れた草地の上には、巨漢の首から解けたリングが紐状となって落ちていた。

 人の集中力を礎に発現する、神詠術オラクルという奇跡。一部例外を除き、通常であれば術者が意識を失ってなお顕現していることはありえない。

 強力な霊場であるこの森が、何らかの作用を及ぼしたのか。『絃巻き』という、特殊な体質ゆえか。はたまた、極限まで練り上げられたかの術が、主の制御から離れてなお留まり続けることを可能としたのか。

 真相こそ定かでないが、淡く細く光る紫電の棍は、まるで力尽きた主を自らの意思で支え続けているかのようだった。


『倒れた勝者と、倒れなかった敗者! これもまた、天轟闘宴ならではの決着の形というべきでしょうか! 倒れ込んだリューゴ選手も、何が起きたか分からないといった表情で白服の方々に囲まれています!』


 そこでシーノメアはちらりと視線を横向けて、


『いやー、ドゥエンさん! ついに……ついに決着ということで、その、お話を伺いたいところなんですけど……』


 弟のこととなると、目に見えて機嫌を損ねる覇者である。恐る恐るといった口調で切り出してみるシーノメアだったが、


「……え……?」


 思わず集中が途切れ、広域通信が消失する。


「………………ドゥエン、さん……?」


 彼女のその呼びかけは、どこまでも小さく発せられた。


「ドゥエン坊……、ッ」


 隣に座るツェイリンも異変に気付き、慌てた様子でどこかへ通信を飛ばし始める。


 それは、どこまでも安らかな寝顔だった。

 席に座したまま顔を下向ける男の口元に浮かぶ、優しげな笑み。

 これまでのような、仮面じみた冷たさを感じさせるものではなく。

 彼の弟であるダイゴスにどことなく似た、温もりのある微笑みだった。






 白服が三人がかりで、立ったまま落ちているダイゴスを慎重に支える。

 触れられて初めて、ハッとしたように巨漢の顔が上向いた。


「……ッ、……ワシ、は……」


 役目を終えたかのように、握られていた雷棍が虚空へと消失する。巨体を傾がせながらも、ダイゴスは視線を巡らせた。自分を押さえる白服たち。足元に運ばれてきている担架。


「……、」


 それだけで、察しはしたのだろう。

 恐る恐る伸ばされた巨漢の手が、自らの太い首に触れる。そこにあるはずのものがなくなっていることを、確認する。


「…………そう……か。ワシ、は……」


 かすかにうなだれて、そこで未だ座り込んでいる流護と目が合った。

 勝者と呼ぶにはあまりにも満身創痍。激痛で身動きできなくなっていた流護は、白服の一人によってどうにか起こされ、全身にアーシレグナの葉をすり込められている最中だった。


「……えーと」


 今武祭の覇者となった少年は、気まずそうにダイゴスから視線を逸らす。

 勝者が敗者にかける言葉はない。過去、空手でも味わったことのある妙な居心地の悪さを感じていると、


「アリウミ」


 低く力の篭もった声で名を呼ばれた。

 ほとんど反射的に目線を戻せば、いつもの笑みを浮かべたダイゴスの顔があった。そんな表情のまま、男は短く言ったのだ。


「強かった。完敗じゃ。おめでとう」


 不器用で飾り気なく、どこまでも率直で。それでいて、温かみのある声音で。


「……、」


 不覚にも流護は、鼻の奥にツンとしたものが込み上げてくるのを感じてしまった。


「……押忍っ。ありがとう、ございました……!」


 胸前で両腕を十字に切り、勢いよく頭を下げる。目頭に浮かんできたものを見られないように。

 そうして――担架を拒否し、支えられながらも自らの足で歩いていく巨漢の背中を見送った。その立ち姿は、まさに武人のそれで。


(…………マジ……強かった)


 相手の思考や動きを読み、有利に立ち回ることを得意とする流護が、終始型にはめられていたといっていいだろう。互いに万全の状態だったなら、果たしてどんな結果となっていただろうか。

 とにかく今回に関していえば、


(こっちなんか、三回ダウンしてんだぜ……。本来なら、確実にレフェリーストップだよ。しかも、折れてる左腕とか全然狙ってこねーし。勝った気が、しねえや……)


 勝者はただ、溜息と共にそう脱力するしかなかった。

 白服たち数人を伴ったダイゴスの姿が木立の合間に消えていくも、流護はまだ動けそうにない。残った一人に傷の処置を施されながら、首筋へ指を宛がう。

 ふと、ひどく懐かしくすら思える、開始前のタイゼーンの規定説明を思い出した。


『リングは残酷だぞ? 心が折れたとて、少しばかりの激痛を味わったとて、決して外れてはくれぬのだからな。自らの手でしっかりと握り締めるか、意識を手放すか。――もしくは、命に危険が及ばぬ限り』


 どうにか立ち上がるも、結局は激痛に倒れてしまった流護だが、リングは「まだ余裕がある」と判断していたということなのだろう。


(ったく、充分死にそうだったっての。無茶言ってくれるぜ……)


 指先で弾くと、キンと硬い質感を返してくる。強く引っ張らねば、解けそうにはない。

 とんだ鬼畜首輪だ、と少年は口の端を引きつらせた。


「もう外しても構わんぞ」


 リングに触れている流護を見て、白服が処置の手を止めずに言う。


「あ、はい……」


 それでも勝者の証をそのまま外すことなく、余韻に浸るように暮れなずむ森の景色を眺めていた。茜色に染まった木々が、一陣の風を受けて穏やかにさざめく。これまでの――先ほどまでの激闘が嘘のような静寂が、辺りを包み込んでいる。


「あの……」

「どうした。痛むか」

「あ、いえ。さっきの闘い……外で、三万人が見てたんですよね」


 あまりの静けさに、まるでそんな気がしなかった。


「そうだな。我らの持っていた黒水鏡は割れてしまったが……幸い、ここは外からも近い。『映し』を担うツェイリン殿が、力を尽くして闘いの様子を届けられたことだろう。今この瞬間も、皆に見られておるやも知れんな」


 含み笑いと共にそう言われて、流護は思わずキョロキョロと周囲を見渡してしまった。当然、目視で分かる何かがあろうはずもない。白服の言からすれば、ここには鏡も設置されていないようだ。正確にはあったとしても、ダイゴスの術で割れていることだろう。


「ふ、貴殿はこの天轟闘宴を制したのだ。何をびくついている。胸を張るといい」

「は、はあ……」


 とはいえ、そもそも森の中での行動を、どこからどこまで見られていたのだろう。

 今更ながらそんな思いが込み上げ、身を固くする少年なのだった。






『無極の庭』から遠く離れた岩場に乱立する、大小様々な天然の高台の数々。

 その中で最も高い岩山の頂に、四人の男女の姿があった。


 一人は、白い鍔広の帽子と白いワンピース姿が映える、令嬢然とした背の高い少女。

 一人は、派手な刺繍の入ったサーコートに身を包んだ中年の男。

 一人は、目隠しするように顔の上半分を包帯で覆った、男とも女ともつかない小柄な人物。

 一人は、チャコールグレーの礼服が嫌味なく似合った褐色肌の青年。


 身なりや年齢、果ては人種すらもそれぞれ異なる彼らに、一見して共通項は見出だせない。家族はおろか、友人同士にも見えはしない。

 四人は、決して表沙汰になることのない組織に属している構成員だった。


 その名を、オルケスターという。

 彼らの眼前には鞠程度の大きさの球体がゆらゆらと浮遊しており、焦ったように辺りを見渡す黒髪の少年が――此度の天轟闘宴を制した男の姿が映し出されている。


「ふぅん。突如乱入した『帯剣の黒鬼』によって、参加者は次々死亡。レフェは伝統ある天轟闘宴を滅茶苦茶にされてあら大変、が脚本シナリオだったけれど……無事に終わってしまったわね」


 上品かつ艶やかでありながら、どこか見下した情の混じった声音。

 微笑みながらそう言ったのは、背の高い少女だった。

 年齢は十八前後といったところか。夏らしい薄手の白いワンピースに細身を包み、同色の大きな鍔広帽を被った涼しげな装い。

 赤みがかった髪は、胸元や背にかかるまで長く伸ばされている。丸出しの額と切れ長の黒い瞳、真っ赤な口紅をさした唇が印象的な、面長の顔立ち。

 良家の令嬢とでも紹介されれば、誰もが納得しそうな容姿である。――が、


「けれど天轟闘宴なんて、やはり所詮は無能共のお遊戯に過ぎないわね。今回は、特に酷いのではなくて? ろくに術も扱えない人間が勝ち残るだなんて、白けるにも程があるわ」


 切れ長の目元をぐっと細め、彼女は吐き捨てるように言い連ねる。


「しかも何? この黒髪のチビ。顔も地味だし、好みではないわ。本当、運良く残ってしまったのね」


 散々にこき下ろしてそう結論したこの白い少女へ、


「流石、『ペンタ』は言うことが違うねぇ」


 傍らに立つサーコートの男が、からかうような声を投げかける。

 歳の頃は三十前後か。派手な刺繍の施された騎士服に負けない濃い顔立ちをした、金髪碧眼の美丈夫だった。子供が見ても騎士と分かる出で立ちをしているが、お世辞にも勤勉とはいえない気だるそうな雰囲気が佇まいから溢れている。


「目の付け所が違い過ぎて、なーんも本質が見えちゃいねぇんだな。ナインテイルのお嬢さんよ」


 美丈夫の騎士が肩を竦めながらそう続けた瞬間、


「はぁ~~~~~~ん?」


 辛辣な白い少女――ナインテイルの顔が、豹変した。

 ひび割れた傷のような皺が一斉に浮かび、凶相と表現して差し支えない表情を作り出す。異常なまでに吊り上がる赤い唇。より角度を増す切れ長の瞳。

 もはやどこか人間離れした、邪悪な狐のごとき面相。


「何? 私を? 馬鹿にするつもりなの? この私を? 『ペンタ』であるこの私を? ただの人でしかない貴方が? ねぇ? テオドシウス」


 異常、ともいえる変貌。

 しかし美丈夫の騎士ことテオドシウスは、落ち着き払った様子で両手を上げる。慣れているのだ。


「まーたまた、すーぐそうやって怒る。ヘイ、綺麗なお顔が台無しだぜ。落ち着きな。別に馬鹿にしちゃいねぇよ。圧倒的な力を持つ『ペンタ』にゃ、却って細かい部分が見えづらくなるんだなって話だ」


 眼前で浮遊する球へ視線を落とし、テオドシウスは挑戦的に口の端を歪めてみせる。


「一見して、術も使えん奴が残っちまっただけに見えるかもしれんが……この小僧、実力は確かだ。人間同士の小競り合いならともかく、プレディレッケと正面から張り合ったんだぜ、コイツは。気にならねぇかい? どうやってあれだけの身体能力を維持し続けてるのか。頑丈さ加減も、ちょいとどうかしてる。どう考えたって、リングが外れてるほどのケガだったと思うんだがなぁ。明らかに普通じゃぁねぇ」

「つま、り……臓器を……摘出する、価値が、ある……」


 テオドシウスの意図を汲んだのは、『軋んだ音』とでも表現すべき声だった。


「ヘイ、その通りだ。さすが、『死角なしの』アラレアは察しが良くて助かる」


 テオドシウスは気取った仕草で、顔の上半分を包帯で覆った小柄な人物――アラレアへと人差し指を向けた。


「……う、ん……」


 発せられたその声から、辛うじて性別が女だと分かる。

 それほど、異様な風体の人物だった。

 背丈は子供程度。顔も鞠さながらに丸く小さい。少年のように短く切り揃えられた黒髪は傷みきっており、艶やかさというものが完全に消失している。その中に色褪せた白髪が多く交ざっていることもあって、どことなく不潔な印象だった。

 服も千々に裂けた鼠色のボロ着れを纏っており、その外見は貧民街にたむろする捨て子のようでもある。

 が、あまりに常人とは異なる奇妙な特徴が一つ。

 顔の上半分――特に目の部分を厳重に、幾重にも覆った包帯の存在だろう。完全に両目が塞がっており、これでは当然何も見えないはずだが、しかしこのアラレアにはそれを気にした様子もない。それどころか、


「ふん、察しの悪い女で失礼したわね。アラレア、このチビはもういいから、彼を映して。彼を」


 普段通りの顔に戻ったナインテイルの言葉にぎこちなく頷き、アラレアは皆の眼前で浮遊する球体へと震える指を向ける。すると、映し出されている場面が切り替わった。

 そう。情景を捉えるこの球は、アラレアが操作している神詠術オラクルの一つだった。この遠距離から、遠見を得手とするレフェの『ペンタ』であるツェイリン・ユエンテに気取られずに。


「……ふふ」


 新たに映った人物を見て、ナインテイルはうっとりと微笑む。

 その狐目が射抜くは、客席に踏ん反り返る一人の青年。燃えるような赤髪に端正な顔立ち。炎の『ペンタ』、ディノ・ゲイルローエン。


「ねぇ、デビアス。元々、今回の騒ぎに乗じて彼をハケさせるつもりだったのよね? それも失敗に終わってしまったけれど。なら……」


 流し目を向けられ、チャコールグレーの礼服を着込んだ褐色肌の紳士――オルケスター団長補佐、デビアス・ラウド・モルガンティは溜息と共に肩を竦めた。


「あまり君を、彼にぶつけたくはないんだけどね」


 強大な力を持つ『ペンタ』同士の激突となれば、周囲へ及ぼす被害もまた甚大なものとなる。必然的に目立つことになる。レインディールなどでは、彼ら超越者同士の私闘を法で禁じているほどだ。


「いいじゃない。私なら、確実に上手くやれるわ。それこそ、臓器の摘出ができるくらい綺麗な死体を持ち帰るわよ」

「確かにな。どうせ潰しちまうんだ、それなら内臓もひり出しちまった方が得か」


 テオドシウスが頷く。


「生半可な奴じゃ、あのディノって小僧は手に余るだろうし……かといってオイラが出張っても……うーむ、上手く『削れる』自信はねぇなあ。塊にしちまうと思うぜ。ここは、同じ『ペンタ』のナインテイルが適任だろうな」

「やれやれ……」


 組織二強の間で勝手に進んでいく話に、デビアスは苦笑を残すのみだった。


「となると、だ。『実験』が成功に終わって浮かれてたが、これは思いがけん好機といえるかもな」


 テオドシウスは青い瞳を少年のように輝かせる。


「途中からとはいえ初めて天轟闘宴を見物したがよ、悪くねぇな。仕事を忘れて見ちまってたよ。それなりに使えそうなヤツも多いね。特に武祭で最後の方まで残ってた奴らの臓器は、充分な上物といえる訳だ。狩る価値有り、とオイラは判断するね」


 そんなサーコートの騎士の提案に、デビアスは渋面を作った。


「そうは言うが……そもそも後半戦まで残るような使い手は、王宮抱えの戦士や名うての傭兵だったりと、目立つ立場の者が多い傾向があるからね。迂闊に手は出せないさ」

「しっかし、このまま逃すのは勿体ないな。特に……」


 そんなテオドシウスの言葉だけで汲み取ったのか、アラレアが震える指を球体へと向ければ、場面が切り替わる。


「!」


 デビアスはわずか目を見張る。

 俯瞰気味の視点が映したのは、芝生に座る一人の少女の姿。

 上質な絹ですら霞んで見える黒藍色の長髪と、磨き抜かれた宝石のごとき薄氷色アイスブルーの瞳。宗教画に描かれる美の女神をも凌駕する整った容姿。地味な旅装に身を包んではいるが、所作や振る舞いからしてただの平民ではないと容易に想像がつく。

 デビアスはその少女をそう評したが、テオドシウスも大方同じなのだろう。


「見た目だけでも極上のお嬢さんだが、何と言ってもプレディレッケを正面から叩き斬ったんだぜ。術の精度も然ることながら、その蛮勇に敬意を表したいね。是非ともこの顔を、絶望と恐怖で歪めてみたいもんだ」


 好色と残虐が同居した笑みを貼りつかせるテオドシウスに対し、ナインテイルが心底軽蔑したような目を向けた。


「結局は、顔が良くて胸があればそれでいいのでしょう? あの女……最後に出てきて横槍入れて、美味しいところを持っていっただけじゃないの。ただの泥棒猫だわ」

「そりゃまた、随分と傍観者の目線だねぇ」

「はぁ? 傍観者? どういう意味かしら」

「あの場にいた観衆や兵士さんがたは、誰でもいいから一刻も早くこの怪物を何とかしてくれ、って思ってたはずさ。彼女を横槍だなんて思えるのは、安全な場所で高みの見物を決め込んでた傍観者だけ。これからどうなる? 誰がやられる? それとも誰かがあの化物を倒す? って、離れたこの場所から優々と楽しんでたオイラたちみたいなね。途中まで観覧席で森の中の潰し合いを楽しんでた、観衆の連中と同じ。実際にあの場所にいたなら、それどころじゃないと思うなぁ」


 そんなテオドシウスの高説に対し、


「あら。『あなたは』、そうなのね」


 ナインテイルは、意外そうとも小馬鹿にしているとも取れる顔で小首を傾げた。


「私は――例えあの場所にいたとしても、『傍観者の目線』とやらでいられたと思うわ」


 プレディレッケなど脅威に感じていない。そんな言外のセリフを、


「言葉ってのは実に偉大よな。神が我々に与えてくだすった、神詠術オラクル以上の恩恵だと思うぜ、実に。何せ言うだけなら、誰にだってできるんだものなぁ~」


 肩をそびやかしたテオドシウスが、ニカリといやらしく笑う。


「はぁ~~~~ん? 今、この場で、貴方を、使って、証明、すればいいのかしら?」

「毎度毎度、本当に仲がいいな君たちは」


 そこまで、とばかりにデビアスがスッと双方の間に割って入る。

 諌められた不真面目な中年騎士は、団長補佐へその矛先を向けた。


「デビアスの旦那よ。あんさん、あの娘の隣に座ってたんだろ? 名前の一つも聞いてないなんて、伊達男の名が廃るってもんだぜ」

「はは。まさかこんなことになるとは、流石に予想してなかったんでね」


 デビアスが苦笑いで答えれば、テオドシウスはふと真剣な表情になった。


「それはともかくとして……実験は成功したんだ。大陸有数の霊場である『無極の庭』にすら、あの術は通じると分かった。そろそろ次の段階に進むためにも、戦力の増強は必要だろう。真面目に、この武祭で上位に残った連中のことは洗ってみるべきだと思うぜ。ひり出すにしろ、勧誘するにしろね。逃す手はねぇよ」

「その点は賛成ね」


 ナインテイルも頷く。


「そうだな」


 デビアスも呟き、目の前に浮く球体ではなく遥か遠い森へと視線を注いだ。この位置からでは、『無極の庭』は小さくわだかまる黒色の塊にしか見えない。しかしその場には、至上の『素材』たちが集っている。


「よし。じゃあ、次に向けて動くとしようか」


 団長補佐ことデビアスは豪快に口の端を吊り上げ、一同の顔を見渡した。






「大吾さんっ……!」


 白服に肩を支えられながら森を出た巨漢の下へ、巫女が駆け寄っていく。

 決着を知るや否や、飛び出してきたのだろう。激しく息を切らせて。


「サ、エリ……」


 自分が闘い続けた理由。そして、果たせなかった約束。

 少女の姿を認識し、ダイゴスはバツが悪そうにわずか顔を下向けた。


「……すまぬ。ワシは」

「よかった」


 涙に濡れた顔を歪めながら、桜枝里はダイゴスの手を取る。


「大吾さんが無事で……本当に、よかった」


 息をのむ巨漢が言葉を挟む間もなく、巫女は声を詰まらせながら必死で言い募る。


「大吾さんが私のために戦ってくれて、嬉しかった。かっこよかった。すごかったよ。でも、なによりも……とにかく、大吾さんが無事でよかった……! 大吾さんになにかあったら……私は……、いや、いやだよぉ……」

「……」


『桜枝里、悲しむんじゃねえかな。自分のせいで、あんたに何かあったら』

 巨漢の脳裏に甦ったのは、先ほどの少年の言葉。


 沈黙が場を支配しかけたところで、


「オホン」


 ダイゴスに肩を貸している白服が、何とも居心地悪そうに咳払いをした。


「っ!」


 そこで桜枝里がハッとして、握っていたダイゴスの手を慌てて放す。耳まで真っ赤になっていた。

 そのときだった。


「急げ!」

「道を! 道をあけてくれ! 救護班、到着します!」


 武祭が終わり全体的に弛緩した空気が流れる中、やけに緊迫した声が飛んだ。

 何事かとダイゴスたちが目を向けたのは――前列観客席の一角。客や赤鎧たちが集まり、人だかりを作っている。

 なぜ観客席に救護班が集まっているのか。この暑さで、誰かが倒れたのだろうか。それにしては、周囲の兵士たちの様子が尋常ではない。


「えっ……? 大吾、さん。あの席って、まさか」

「――」


 今のダイゴスたちには、知るべくもなかった。そこで起きていた出来事が、今後のレフェの在り方を大きく変化させる切っ掛けの一つになると。

 





「……、…………」


 頭が、ぼうっとする。

 決着した直後はまだ余裕があったように思えたのだが、緊張の糸が切れたためだろうか。急に疲れが押し寄せてきて、今にも意識が落ちそうになっているのを流護は自覚した。


「もう少しだぞ」

「……、は、」


 まともな返事もできなかった。

 身体が重い。もはや、自分がどこを歩いているのかさえも分からなかった。白服に肩を支えられながらも何とか移動してきたが、もう足が言うことを聞かない。

 土くれの大地が、木板に変わった。……ということは、南北に架けられた出入り口の橋を渡っているのか。

 と、誰かが駆け寄ってくる。認識した直後、もう片方の肩を支えられた。顔を上げるのも億劫な流護には確認できなかったが、やわらかな感触と――鼻先をくすぐるその香りで、彼女だとすぐに分かった。


 ベル子、ただいま。終わったぞ。勝ったぞ。

 ミョールの治療の件も、もう頼んでおいたよ。

 つかあれだ、ベル子。あんな風にプレディレッケに突っ込んでいったけど、さすがにさ……


 言いたいことは山ほどあったが、もはや口が動かない。

 一方で彼女も一生懸命に何か語りかけてきているようだが、周りがうるさいこともあって聞き取れない。


 両脇を支えられながら、どうにか顎を浮かす。

 霞む視界に飛び込んできたのは、橋の向こうにある観覧席。そこに大勢の観客や兵士たちが集まり、何やら緊迫した様子を見せている。

 天轟闘宴の終結を祝っているだとか、祭りの余韻に盛り上がっているだとか、そういった雰囲気ではない。


(……、なん……だ……?)


 何か、あったのだろうか。

 しかし今は、それを考える頭すら働かず――






 連なる山々の稜線に、昼神インベレヌスが沈んでゆく。任を代わるように、夜の女神イシュ・マーニがその大きな真円の姿を薄ぼんやりと輝かせ始める。


 こうして。

 第八十七回・天轟闘宴。

 三万人が集った数年に一度の祭典が、戦士たちの長い長い一日が、ここに終わりを告げるのだった。

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