26. 迫り来る闇
炎の槍が炸裂する瞬間。
凄まじい音を轟かせて、先の襲撃とは比較にならない規模の水蒸気が立ち上った。吹きつけるように広がった白い闇に、視界が閉ざされる。
「く……!」
風圧を受け、流護は思わず顔を庇って手をかざす。
(……水蒸気、ってことは――)
『――チッ』
通信に乗って、クレアリアの舌打ちが響いた。
『くどい、下郎が――!』
続く、凛としていながらも怒りに満ちた彼女の声。
蒸気はすぐに晴れ、壇上に――無事な、三人の姿が現われる。彼女らを包み込むように、巨大な水の壁が覆っていた。
人垣からも、安堵の声が漏れる。
(……無事か!)
ほっと胸を撫で下ろす流護だったが、
(でも、どうなってんだ? 今――)
三人とも、飛来する炎の槍には気付いていなかった。
そんな状況で、クレアリアはどうして水の壁を展開でき――
思う間もなく。
再度、遠方の闇に炎が灯った。
――二撃目が来る。
「調子に乗ってんじゃねえぇぞ、ド腐れがァッ!」
気付いたアルディア王が激昂し、演台へ上がろうと足を掛ける。が、控えた兵士たちに四人がかりで抑えられた。
「危険です、陛下!」
「ええい、俺のこたぁどうでもよいわ!」
「違います! 陛下が暴れると、街と民が危ないんです!」
なんだそりゃ、と流護が思う間もなく、二撃目の炎槍が直線を描いて飛んできた。
しかし今度は壇上へ到達する前に爆音を響かせ、空中で蒸気を上げながら霧散する。
ベルグレッテが対抗するように水の槍を放ち、炎の槍を迎撃していた。
「姫、こちらに!」
そのままリリアーヌ姫を抱き寄せながら、素早く演台を駆け降りる。姉妹で姫を挟むように護りながら、三人は走り出した。
「おいおい、えらいことになってんじゃねーか……!」
大混乱になって逃げ惑う人々をかき分けながら、流護もベルグレッテたちを追って走り出した。
二人の姉妹とリリアーヌ姫は、建物の隙間にある狭い路地へと駆け込んだ。
街灯もなく、両脇の建物と表通りから漏れるかすかな明かりだけが、辛うじて三人を照らしている。
「姫。暗く汚い場所ですが、お許しください。この暗さなら、敵に狙い撃たれることはないはずです」
周囲を慎重に見渡しながらクレアリアが言う。
「ええ、わたくしは大丈夫よクレア。ありがとう」
辺りの闇を払拭するかのような明るさで答えるリリアーヌ姫。
「この道を通って、なんとか城までいきましょ」
ベルグレッテが先導して歩き始めようとした瞬間、ジャリ……と足音が大きく反響した。
瞬時に顔を上げ、姫を護る位置取りで構える二人の姉妹。
「いや、俺だよ。俺俺」
三人を追ってきた流護は、何か詐欺みたいだなと思いつつ、両手を上げて答える。
「なぁんだ、リューゴか。びっくりした」
安堵の溜息を漏らすベルグレッテ。
しかし。
「申し訳ありませんが、そこで止まっていただけますか? アリウミ殿」
クレアリアの冷たい声が、狭い路地に響いた。
「……クレア、」
「姉様は彼のことを『少し』知っているようですけど。私は、知りませんから」
今度は姉に萎縮することなく、朗々と告げた。
「――例えば。記憶を失ったなどと言って神詠術が使えない振りをして、まるで長槍みたいな炎を放ってくる刺客がいたとしたら……恐ろしいとは思いません?」
「はは。そりゃ策士だな」
流護はむしろ、楽しげな声で答える。
「クレア。リューゴはさっき、人ごみの中にいたわよ」
うんざりといった口調でベルグレッテが言う。
(…………、)
やはり。壇上のベルグレッテと目が合ったのは、気のせいはなかったのだ。
流護はこんな状況の中でも、無性に嬉しさが込み上げてきてしまった。
「ちなみにクレア。リューゴが敵だったら、私たちもう終わってる。リューゴってば、本気出したら十マイレを一秒かからずに詰めるんだから」
「……は?」
クレアリアが、少し間の抜けた声を出した。
「そんな人間、いるはずが……」
「そう、思うわよねえ……。後から気付いたんだけど、私もエドヴィンも、ずいぶんと手加減されてたんだなーって」
「い、いや……別に手加減してたってワケじゃなくてだな」
手加減をしていた……というより様子を見ていた、というほうが正しいのだが、ベルグレッテたちにしてみれば大差ないだろう。
「ふーん?」
「いや……その、まあ」
「ふふっ、冗談よ。そのうち、手加減なんかさせないぐらい強くなってやるんだから。……っと、立ち話はおしまいにしましょ。刺客もどこにいるか分からないし。リリアーヌ、リューゴが一緒でもいい?」
「ええ、もちろん。心強いですわ、リューゴどの」
「あ、ええ。はい、ども」
「…………」
不満そうな表情を見せるクレアリアだったが、それ以上は何も言ってこなかった。
真っ暗な路地を四人で進んでいると――
『えぇとリーヴァー。ベルグレッテちゃんたち、どこにいますかぁー? 聞こえたら応答願いまぁす』
やたら気の抜けた声が響き渡った。
声のしたほうを見ると――前方五メートルほどの上空に、水の波紋みたいなものが浮かんでいる。
「あら。デトレフの声ね」
リリアーヌ姫が言ったところで、流護も思い出した。
デトレフ。褒賞金を持ってきた、少し頼りなさそうな『銀黎部隊』の男性だ。
「……デトレフ殿……、敵がどこにいるかも分からないのに、何て迂闊な真似を……」
眉間を指で押さえ、やれやれといった様子でクレアリアが呟く。
そうだ。一見かなり便利そうな通信の神詠術だが、携帯電話よりは無線に近い。周りにいる人間にも思いっきり聞こえるのだ。敵に傍受される恐れもある。
頼りなさそうに見えたデトレフだが、やはりイメージ通り抜けたところがあるのかもしれないなあ――と流護は苦笑いを浮かべた。
「リーヴァー。ベルグレッテです」
ベルグレッテが通信を拾う。すると上空の波紋が消え、彼女の耳元に再出現した。
『あ、リーヴァー。デトレフです』
「あのデトレフさん。広域通信はちょっと……敵が、どこにいるか分かりませんし」
『あぁ、そっか。ごめんごめん』
流護の耳に、クレアリアが小さく舌打ちした音が聞こえる。
相手が何者であるかにかかわらず、彼女は男そのものに厳しいようだ。
『今どこにいますかぁ?』
「十六番街の裏道を通って、城へ向かうところです」
『おぉ、そうだったのか。曲者は僕の方で捕まえたんで、後は安心して城まで戻っていいよぉ。んじゃよろしくねー』
「あ、はい。了解しました」
ベルグレッテが通信を終え、波紋が消失する。
「え、あの人が犯人捕まえたのか?」
犯人を捕らえるどころか、子供同士のケンカすら止められなそうな人なのに、と流護は思ってしまう。
「ふふ。意外だった? デトレフさんだって、ああ見えて『銀黎部隊』の一員よ?」
「『ああ見えて』だなんて。ベルも、さらっとひどいことを言ってるわよ?」
ベルグレッテとリリアーヌ姫は、ふふふと二人で笑い合った。女の子って怖い。
ベルグレッテ、リリアーヌ姫、クレアリア、流護の順に並び、さらに暗闇の路地を歩くこと数分。
ようやく目が慣れて、辺りが見えるようになってきたな――と、流護が思った瞬間だった。
息苦しい圧迫感を与えてくる狭い路地。
その先、七メートルほど前方にある石壁の影が、盛り上がるように蠢いた。
「!」
流護は足を止める。
ベルグレッテたちも、異変を感じ取り身構える。
それは、黒。
黒という色が、自我を持って動き出したみたいな気味の悪さ。しかし間違いなく人の形をしたそれは、狭い路地に立ち塞がる。
流護は異質な気配を肌で感じ、本能的に悟った。ただの、ならず者などではない。
「――暗殺者」
クレアリアが、流護の想像した通りの単語を呟く。
意思を持った闇とでもいうべきそれは、全身に黒一色の装束を纏っていた。顔までも、目の部分のみを残して覆っている。その目も必要最低限しか露出しておらず、暗さもあって全くといっていいほど特徴が掴めなかった。
姫を後ろ手に庇ったクレアリアが前へ出て、ベルグレッテと並ぶ。両者の距離は――およそ、七メートル。
「先ほどのデトレフ殿の通信は、何だったのやら……」
溜息混じりでクレアリアが呟いた――瞬間。
四足歩行かと思うほど低い姿勢で、大地を蹴った暗殺者が肉薄した。瞬時にベルグレッテが水の剣を生み出し、縦に振り下ろす。
暗殺者は両手に携えたダガーらしきものを交差させて構え、水剣を受け止めた。
本物のダガーではない。わずかに赤熱する、二本の短い刃。これもまた――神詠術。
水の刃を受け止めてしゃがみ込んだままの暗殺者に、ベルグレッテは鋭く蹴りを繰り出す。暗殺者は軽やかにこれを躱し、大きく距離を取った。
油断なく敵を見据えたまま、少女騎士が言う。
「リューゴ、姫さまを連れて逃げて」
「え?」
思いもよらないセリフに、流護は間の抜けた声を出してしまった。
「姉様!?」
クレアリアも、思わず姉に顔を向ける。
その充分すぎるほどの隙をついて、暗殺者はクレアリア目がけて赤いダガーを投擲した。迂闊にも、彼女は気付いていない――はずだった。
しかしダガーがクレアリアに迫った瞬間、突如として間欠泉のような水の壁が噴き上がる。炎の短剣は、じゅっと音を立てて消滅した。
「!」
暗殺者の驚いた気配が伝わる。
それらを意にも介さず、何事もなかったかのように彼女は姉へ問う。
「姫様を、よりにもよってこの男に? どういうつもりですか、姉様!」
「『よりにもよってこの男』? 姫さまをエスコートするにあたって、『竜滅』の勇者さまは申し分ないんじゃない?」
暗殺者から目線を外さず言うベルグレッテ。
今度は彼女へ向けて、暗殺者が赤い短剣を投げ放った。少女騎士はそれを軽々と打ち払い、続ける。
「デトレフさんが刺客を捕らえたにもかかわらず、目の前に敵がいる。どういうことだと思う?」
「ま、まさか! デトレフが刺客を捕らえたふりをして……つまり、彼が黒幕っ!」
リリアーヌ姫がはっとした顔で言う。
「や、ミステリ書の読みすぎだからリリアーヌ。いくらなんでもデトレフさん聞いたら泣くわよ。……つまり、」
「敵は一人じゃねえ、ってことか」
流護が答えた。
「ん。デトレフさん黒幕説よりは、そっちが現実的かな?」
「う……ベルのいじわる」
拗ねたように姫が呟く。
……しかし、目の前に暗殺者がいるというのに、リリアーヌ姫は随分と落ち着いている。おそらくはそれだけ、姉妹を信頼しているのだろう。
流護は、油断なく暗殺者の様子を窺う。
炎のダガーを投げつけてきて以降、離れたまま何もしてくる気配がない。
まさか、こっちが会話している間は空気を読んで襲ってこない……などという訳もあるまい。
(……いや、それ以前に……気になるのは、そこじゃない)
流護は、暗殺者に言いようのない違和感を覚えていた。
何だ。何かが、引っ掛かる。姫を狙ってきた暗殺者。
そうだ。コイツ、何で――
「でしたら。私が、姫と参ります」
そこでクレアリアが、なおも食い下がった。
「それでもし、クレアの手に負えないような相手に遭遇してしまったら? そんな状況で、リリアーヌを護りながら闘うの?」
「そ、それは……」
「だから、リューゴが適任なの。リューゴだったら、伝説の暗殺組織『ゲヘナ』相手でも何とかしそうだもの」
流護が考え込む間にも、話が進んでしまっていた。後回しにしたほうがよさそうだ。
「何だか知らんけど。姫様と逃げればいいんだな?」
「ん、お願いするわ。リリアーヌも、いい?」
「ええ。分かったわ」
「……っ」
クレアリアは悔しそうに唇を噛みながらも、それ以上は何も言わなかった。
――刹那。
暗かった路地が、ごうっ……と明るく照らされた。
暗殺者がその両手に喚び出した、二本の炎剣によって。今度は、短剣ではない。刃渡り約一メートルほどの、赤い長剣が双つ。
「うお、そりゃそうか」
流護は思わず言葉に出していた。
当然ながら、暗殺者は空気を読んで襲ってこなかった訳ではない。むしろ逆。この会話の間を利用して、悠々と詠唱を済ませていたのだ。
「二刀流……か。奇遇ね、私も二刀流が本領なのよ」
そう言って左手を振り、もう一本の水剣を顕現させる少女騎士。
二刀流の両者が、じり……とわずかに動く。
直後、ベルグレッテが暗殺者へ向かって駆け出したのを合図に、
「んじゃ姫様、こっちに!」
「は、はい!」
流護はリリアーヌ姫と二人で、来た道を逆走した。