258. アデュラレッセンス
薄暗い森の合間、向かい合う見知った両者。
黒水鏡に映るそんな場面を、三万もの人々が固唾を飲んで見守っている。その中の一人であるベルグレッテは、うん、と鼻息荒く頷いた。
流護の予測は正しい。
雷節棍を携えている以上、ダイゴスが保持しておける術の数は一つか二つ。彼の技量を考えるならば、二つが順当か。
防御や補助の術を行使するのであれば、発動前に棍を消す必要があるが、自ら攻め入る姿勢を見せているところから考えて、おそらく備えは攻撃術のみ。
通常であれば詠唱の早い攻撃術を交互に隙なく撃ち出し、戦況に応じて別系統の術も一つ保持しておく――といった立ち回りが基本戦術となるが、流護は身体能力のみでその循環を崩してしまう。詠唱が終わる前、術が発動する前に割り込んで終わらせてしまう。それこそが彼の怖さ。つくづく、詠術士にとっては天敵だ。
『詠術士殺し……とでも言うべきかな。お嬢さんのお友達は』
指定席で右隣に座っていた――途中で退席してしまった褐色肌の紳士がポツリと零していた、そんな言葉通りの存在。
が、その『詠術士殺し』たる有海流護を現状しっかりと型にはめ、『詠術士の基本戦術』で対応し続けているダイゴスの技量もまた、恐るべきものといえるだろう。
いずれにせよ、保持し続けているだけでも魂心力をじりじりと消費していくため、ダイゴスとしてはすぐさま行動に移りたいはず。
おそらく雷燐はもう使わない。一度披露してしまった技だ。流護は間違いなく、初見より楽に切り抜ける。
(ダイゴスも、それはよく分かってるはず。だから……)
防御術で後手に回る、という判断はない。
最高位の攻撃術を――二発。
それが、ダイゴスの備え。その攻撃術二発を凌がれたなら、彼に次はない。次の詠唱は間に合わず、倒されてしまうだろう。
つまり。
その二撃が決まるか否か。それがそのまま、勝敗に――決着に繋がる。
ベルグレッテは思わずゴクリと唾を飲み込み、隣に座る桜枝里の様子を伺う。
「……、」
ダイゴスの勝利を願っているのだろうか。
彼女は両手の指を組み合わせ、悲痛な表情で目を閉じていた。まさしく祈りを捧げる巫女のように。
ベルグレッテとしても、正直複雑な心境だった。
流護に勝ってほしいのはもちろんのこと、ダイゴスだって友人だ。しかも彼がここまでして勝ち上がった理由は、間違いなく桜枝里――
どっと沸いた観衆たちの熱気が、鏡に映る光景が、少女騎士の思考を中断させる。
ダイゴスが雷棍を左手一本へ持ち替え、流護に向けて大きく右手をかざしていた。
大技が二発。
ダイゴスの攻め手をそう予測した流護は、どっしりと地に足をつけて身構えた。
こちらに手のひらを向けた巨漢。その顔には、かつて苦手だった「ニィ……」と形容したくなる不敵な笑み。
何が来るのか。どんな技を見せてくれるのか。流護自身、笑みが浮かんでいるのを自覚する。
(たまんねぇな、この緊張感……。まあ、何が来ようと)
凌いで、終わらせる。
そう集中を高めると同時。
ダイゴスがかざしていた右手を鋭く横へ払い、解放の言霊を口にした。
「アケローンが巫術、参之操――六王雷権現」
風が舞った。
現界したそれらから、我先にと逃げ出すかのように。
ダイゴスを囲む形で空中に現れたのは、六対の長大な光の槍。虚空に浮かぶ十二本の電光は、じりじりと凶悪な音を漏らしながら穂先を流護へと向けている。
「すっ……げ……、何だよそれ……。『ペンタ』みてぇな技じゃん」
流護はただただ、目を剥いて硬直していた。
その大きさ。迫力。暗いはずの森を煌々と照らし上げる明度。あの超越者たちが扱うような術と比較しても、何ら遜色はない。
「フ……『凶禍の者』のよう、か。この国では好かれん例えじゃが、褒め言葉として受け取っておこうかの。――いざ」
――秒にして、その数は三。
迫る光の槍に、流護は真正面から立ち向かった。
唸りを上げて一直線に飛来した一本を、身体ごと動いて大きく躱す。
続く二本目と三本目を、屈み込んでやり過ごす。
跳んで回避された四本目が大地を粉砕し――続く数本が、白い尾を引きながら周囲の木々に突き刺さる。
当たらない。十二の閃光は、次々と無手の少年に捌かれてゆく。
そうして最後の一本は、横合いから流護の篭手に叩かれ、大きくその軌道を逸らされた。大樹の幹に突き刺さり、傷跡のみを残して霧散する。一拍置いて、おびただしい量の落葉が風に舞った。
「いぃーよっしゃ……!」
全ての電光をいなし、少年は巨漢へニッと挑戦的な笑顔を向ける。
「…………、」
瞠目するのはダイゴス・アケローンだ。
初めてだった。
真っ向から、あの槍全てを捌いてみせる人間など。
だが、当然の話なのかもしれない。
六王雷権現に対し、『ペンタ』のようだと称賛した流護だったが――彼自身はかつて、その『ペンタ』の一人を打ち破っているのだから。
雪のように舞う落葉の中。
三秒の攻防を終え、流護はダイゴスへと肉薄する。
(まず一つ……!)
想定した大技二つのうち、片方を凌ぎきった。
発動直後の隙を狙って突っ込む流護だが、ダイゴスもそこは想定しているだろう。間合いを詰めきるより先に、最後の技が発動する――
「――アケローンが巫術、終之操・戦嵯一鐵」
おん、と空間が哭いた。
巨漢の左手に携えられた雷棍が、青く瞬き伸長した。それはもはや、棍とは呼べない。毒々しいほどに蒼く光る、棒状の『何か』。
「……!」
やっぱり来たか、と流護は全身に力を滾らせる。
おそらくダイゴスの奥義だろう、その術。
プレディレッケとの闘いでは、動けなくなった流護に迫った口吻を切断し、複眼を叩き割った絶技。流護自身、この技に助けられたといえる。今は一転して、これを打ち破らなければならない。
大気に蒼白の尾を引く得物が、袈裟掛けに振り下ろされる。
退いて避ければ、遠心力を加えた横薙ぎへと変わる。
躱せば躱すほど、振り切った勢いによって加速し、蒼の残像は密度を増してゆく。巨体からは想像できないほど軽やかに、美しく。
その乱舞には、ダイゴス・アケローンという男が積み上げてきた武の全てが結実しているように思われた。
バオンと鳴る軌跡が、舞い散る緑葉の一枚を鮮やかに両断する。
「……、」
尋常でない切れ味に冷や汗を流しつつ、次々と襲い来る連撃を凌ぎつつ、流護は戦嵯一鐵の性能を分析する。
通常、当てようと思った一撃を外した場合――つまり空振りをしてしまった場合、大きく体力を消耗する。想定した衝撃を得られなかったために体勢が傾き、隙を晒すことにも繋がる。
だが、ダイゴスの乱舞にはそれがない。
着弾に備えた力みも、空転することによる損耗も感じられない。
軌跡の途上に目標があろうとなかろうと、蒼白の得物はただひたすらに振るわれ続ける。
(意識……する必要が、ねぇんだ)
たった今ほど真っ二つになった緑葉のように。手応えすらなく、対象を両断する。
だから、当たるか否かで心乱す必要がない。どちらにせよ、刃は手応えなく振り抜かれるのだから。
(どんな名刀だよ……!)
ファーヴナールの篭手ですら受けるのは危険と判じ、流護は回避に徹する。
そして、
「ぬっ……う!」
見逃さない。攻め立てる巨漢の額に浮かぶ、珠のような汗を。乱れる呼吸を。
規格外の威力を秘めるその獲物。当然、魂心力の消費量も桁違いに大きいはずなのだ。ベルグレッテが扱う、あの水の大剣のように。
「破ッ!」
限界が近いのか。ダイゴスにしては珍しい、焦るように大きく振り下ろされた一閃。それに対し、
「シィッ――!」
左の軸足で、大地を抉るようにステップイン。流護は躱しざまの右下段蹴りを合わせる。短く弧を描く、刈り取る軌道。
気付いた巨漢が、すぐさま身を引く――が、
「……グ!」
つま先が左大腿をかすめていく。ダイゴスが呻き、後退すると同時――蒼い刃が消失した。
(これで……二つ!)
巨漢が携えていた二つの大技は、そうして双方共が無へと帰した。
ざん、と流護の左足が今一度大地を踏みしめる。握り込んだ右拳を腰溜めに構える。
(今度こそ終わりだ、ダイゴス……!)
超至近。完全な拳の間合い。
打つ手なしとなっただろう巨漢の顔には――、
当然のように浮かぶ、あの不敵な笑みが。
「――――――――」
何だと問われれば、勘だと流護は答えるだろう。師が絶賛した、鋭すぎるほどの、『何か』を知覚する能力。
流護がなりふり構わず後方へ跳んだのと、
「アケローンが巫術――四之操・刺波閃耀花」
解放の言葉が発せられたのは、全くの同時だった。
その数、百超にも及ぶだろうか。
巨漢を中心に、全方位へ射出される紫色の刃。一本の長さはナイフ程度。しかしそれらが、信じがたい密度で撒き散らされる。
「ぐっ……あ!」
さすがに避けきれず、二本が流護の左脚――ふくらはぎへと突き刺さった。それだけではない。
「むっ!」
紫の刃は周囲で鏡を構えている白服たちの下にも飛び、彼らは慌てて木陰へと隠れることでやり過ごした。それでも間に合わなかったのか、鏡の割れる音が複数連続する。
刃の群れによって空中を乱舞していた木の葉は一掃され、立ち並ぶ木幹はサボテンのような様相を呈することとなった。大地にも多くの紫電が不揃いに屹立し、その様子は模型で作った墓地さながらといったところか。
(三つ目の、術……!?)
がくりと膝をつきつつも、流護は素早く思惟を巡らせる。
らしくない大振りは、この技で迎撃するための誘いか。それはいいとして、この技をいつ詠唱した? まさか戦嵯一鐵を振り回していたあの短い時間で、ここまでの術を――?
直後、爆発した。
木々に刺さった短剣たちが。大地に並んだ刃たちが。そして、流護のふくらはぎに突き立っていた二本の紫電が。
「ぐおあぁぁッ!」
激痛に思わず転がりながらも、立ち込める土煙の中、辛うじて顎を浮かせれば――
「アケローンが巫術・裏・参之操――六王雷権現・二連」
待て。何がどうなってんだ。いつ詠唱した。
考える暇など与えんとばかりに揃う、総勢二十四もの光条。
左脚を押さえ屈み込む流護へ、容赦なく光の槍が殺到した。
中ほどから折れた幹のいくつかが、不格好なへの字を形作る。派手に穿たれた地面に、ごうごうと巻き上がる砂塵が、放たれた術の威力を物語っていた。
「……ハァ……、ゼッ……」
揺らめく煙に抱かれて立つは、ダイゴス・アケローン。
肩で大きく息を乱しながら、しかし口元を象るのは例の笑み。
「……あれで、なお……避けられた、か。流石……じゃの」
かすれた声で、そんな称賛が発せられる。
掻き乱された森の中、直線距離にして十メートルほどか。折り重なって倒れた木々で区切られた両者。倒木の一本を背に座り込み、流護もまた荒く息をついていた。
「はー……、痛っ……、」
辛うじて全ての光条を躱したが、うち一本が右の脇腹付近を通過していた。結果として、紙一重で避ける形になってしまった。予測はしていたが、あの光の槍に対し、間一髪の回避は意味を成さない。
風圧と熱気は、流護の脇腹に容赦なく焼けた痕跡を刻んでいった。
引きつるような腹部の傷み。黒く煤けた左脚のふくらはぎ。総じて、立って歩ければ上々、といったところか。
「……まいった……な、おい」
重なる幹の隙間から、流護はそっと様子を窺う。
崩れた木々と巻き上がる砂煙の中、肩で息つきながらも堂々と佇む巨漢。ダイゴス・アケローンという男の戦力。その分析。
修正に次ぐ修正だ。もう、訳が分からない。
たった今交わされた、一分にも満たない攻防。その中でダイゴスは明らかに、高威力の術を四連続で使用した。三発目の刺波閃耀花については、詠唱する隙を与えてしまったかもしれないという懸念もあった(それでも十数秒程度の詠唱で放てる術とは思えない)。が、最後の六王雷権現に至っては、もはや考えるべくもない。詠唱すらせずに放ったとしか思えなかった。
(ダイゴス……)
詠唱の間を感じさせない、怒涛の連撃。地形を崩すほどの、圧倒的な破壊力。
(……『ペンタ』みたいな技、じゃねえ。あんたまさか、本当に――)
そこで気付く。
佇む巨漢。尋常でないほど上下する、その肩に。初めて見る、苦しげなその表情に。滝のように流れる、不自然な汗に。激しく動き回った訳ではない。その疲弊は当然、連続で術を行使したことによる反動――魂心力の消費からくるものだろう。
しかし。
『ペンタ』の魂心力は、ほぼ無尽蔵に近いとされている。実際にディノなどは、あれだけの規模の神詠術を多用しても平然としていた。
違う。
ダイゴス・アケローンは、『ペンタ』ではない。
(じゃあ……、……!?)
瞬間、流護は目を剥いた。
呼吸が整ったのだろう。いつもの泰然とした物腰が戻ったダイゴスの、その周囲。
漂う砂埃が、ゆるやかな螺旋を描きながら渦巻いていた。
(あの空気の流れ……って、まさか……!)
『ツェイリンさんっ、まだ映せないんですかツェイリンさんっ!』
『喧しい! もうちょい待っておれ……!』
急かすシーノメアに対し、ツェイリンは珍しく焦り顔で受け答えた。
ダイゴスの放った術によって、白服たちの持つ鏡が破損したのだろう。客席の黒水鏡の『映し』が消えて、早数分が経過したか。
あわや決着かと思われた瞬間に鏡が真っ暗となり、観衆たちからは悲鳴にも似た不満の声が上がっている。
「ちょっ、ど、どうなっちゃったの……!?」
桜枝里も、腰を浮かしかけてうろたえていた。
「……、」
ベルグレッテも落ち着かない心地のまま、何も映さなくなった黒水鏡――の脇へ目を向ける。燦然と輝き続ける二人の名前。流護もダイゴスも、未だ健在だ。決着はついていない。
沈黙した鏡を見据えながら、少女騎士はごくりと唾を飲み込む。
(……ダイゴス……)
『映し』が断絶するその直前。巨漢は、間違いなく高位術を四連続で撃ち放った。
(あなたは、まさか……)
『原則として』ありえないはずのその所業に、ベルグレッテの中で確信にも近い予感が膨れ上がる。
『うぬ……やはり、この森を見通すのはしんどいのう……』
疲れを滲ませたツェイリンの声が響く。彼女は今、鏡を介さず独力で場面の取得を試みている最中だった。
強力な霊場である『無極の庭』。濃密に滞留する魂心力によって、遠見の術はその視界を阻害されてしまう。ツェイリンのような『ペンタ』ですら見通すことは困難なはずだ。だからこそ、常に無数の鏡を通している。
『奴らは森の奥地に入り込んだ訳ではない。今程の音もここまで響いておったしの。必ず近くに……、……おった!』
ツェイリンの声と同時、鏡に場面が戻る。やや俯瞰気味の視点から見下ろす、森の一風景。
「大吾さん……!」
いち早く気付いた桜枝里が安堵の吐息を漏らす。
倒壊した木々や陥没した地面。竜巻が全てを刮ぎ取っていったかのような光景、そんな破壊し尽くされた森の一角に佇む巨漢の姿。そして――その男を包み込む、緩やかな砂塵の螺旋。
(やっぱり……!)
ベルグレッテは思わず唇を噛んでいた。
ダイゴスを取り巻き、守るように揺らめいている大きな渦。あれは、魂心力の流れだ。舞い散る細かな砂埃によって、誰の目にも明らかなほどはっきりと可視化されている。
そして――その渦こそ、ダイゴスが『ある特殊な体質』を備えていることの証。
(私は……、)
知らなかった。
ダイゴス・アケローンという青年のことを――知っているようで、何も知らなかったのだ。
すごく悔しい。そして少し、憤りを感じる。
何も知らなかった、気付きすらしなかった自分に。微塵も悟らせず、また話してくれなかったダイゴスに。
『健在です! ダイゴス・アケローン! 凄まじい攻撃術の嵐を巻き起こした雷の使者、未だ健在です! ……そっ……それにしても……っ』
声を詰まらせたシーノメアは、鏡を注視しながら当然の疑問を口にする。
『ダイゴス選手を包み込んでいる、あの渦みたいなものは……?』
『……ダイゴスが纏わせている、魂心力の流れです』
さらりと答えたのはドゥエンだ。
『え、え!? 魂心力の……あんなに大きく……、はっきりと……?』
『ダイゴスは……「絃巻き」ですから』
どこか、後ろめたいことを告白するような口調だった。
『えっと……それって、確か――』
『他国では多重保持者等とも呼ばれていますね。該当者の割合はさほど多くありません。通常であれば、一個人が待機保持出来る巫術の数は二つか三つ、といったところですが……「絃巻き」は、より多くの術を保持する事が可能とされています』
『個人差もあるそうじゃが、常人の倍程度の数を保持できると聞くのう』
ツェイリンの補足に、シーノメアはごくりと唾を飲んで続ける。
『じっ……じゃあ、ダイゴス選手は、発動前の巫術を四つも六つも待機しておくことが可能だと……?』
『……いえ。ダイゴスの場合は、』
抑揚のない声で、実兄は告げる。
『十です』
会場がざわついた。それも当然だろう。詠術士でなくとも、市井の民であっても、それがどれだけ桁を外れていることなのかは容易に理解できる。
「な、なに? どういうことなの? 大吾さんがどうかしたの?」
……その、別世界からやってきたという『神域の巫女』を除いて。
「サエリは……ダイゴスから、なにも聞いてないの? 多重保持者……『絃巻き』であることとかについて」
「え? う、うん……何も……ただ、」
「ただ?」
「天轟闘宴のことについて話そうとすると……お主は何も心配せんでええ、ワシが何とかする、って言ってくれるだけで……」
「……、」
らしい、というべきなのか。
寡黙で、多くを語らず。
しかし一方で、納得する。
ダイゴスは、心配無用と豪語できるだけの……本当に優勝を狙えるだけの力を秘めていたのだ。例えば、あのエンロカクとの闘い。あのときも鏡が破損してしまい、事の顛末は分からないままだったが、ダイゴスは同じように高位の攻撃術を一瞬かつ連続で叩き込み、かの巨人の意識を刈り取ったのだろう。
『そ、それにしても……十個も術を保持できるなら、上手く循環させていけば、「凶禍の者」みたいにバンバン連発できちゃったりするんじゃないですか!?』
『理論上は……そうですね』
含みのあるドゥエンの物言いに、シーノメアが小首を傾げる。
『理論上……ですか?』
『十の術を保持可能とは言いますが……しかし実際に出来るかどうかは、また別の話となります。例えばシーノメアさんは、この精度の広域通信を維持しながら、他に同規模の術を幾つ保持出来ますか?』
『あっ……』
そういうことだ。高位の術になればなるほど、詠唱保持にも負担がかかるようになる。綱渡りをしながら皿を回して同時に火を吹ける曲芸師が存在しないのと同じ。高位術を複数保持しておくことは極めて難しい所業なのだ。その数が十ともなれば尚更だろう。というより――
『まず何より、常人は十も連続で術を放てるだけの魂心力を保有出来ません。常人の身では、その十という上限を活かす事が出来ないのです』
『わっちらのような「凶禍の者」でない限りは、無理じゃろうのう。そも、「凶禍の者」であれば基本的には詠唱なぞ不要。無理に保持をしておく必要もないがな』
鏡に映るダイゴスの姿を見て、ベルグレッテは悟る。
大きく上下する肩。肌に浮かぶ汗。先ほどまでの自分と同じ。魂心力の消費過多で、呼吸困難を起こしかけている。立っているのがやっとだろう。四連続でこの有様だ。十もの数を絶え間なく扱えるはずがない。その四連続の術行使とて、十二分に驚異的な技なのだ。
『……「絃巻き」は、特別な優れた能力などではありません。細心の注意を払って術の行使に臨まなければ、魂心力の損耗によって命を落としかねない。人として生まれ持っているはずの箍が、最初から外れてしまっている。そんな、「病気」なのです』
人は走り続ければ、息が苦しくなって自ずと足を止める。しかし『絃巻き』は、足を止めず走り続けることが『できて』しまう。気付かずに、己の命が尽きるまで。
そんな結論に、場内はわずか沈黙した。
「……、」
そうなのだ。例えばベルグレッテの水の大剣は、限界まで魂心力を消費したなら、後は本人の意志とは無関係に消失してしまう。主の命を守るかのように、術のほうから姿を消してしまう。
しかし『絃巻き』……多重保持者は違う。そういった歯止めがきかず、死ぬまで術を振るえてしまうのだ。
『あっ……ここで土煙の中、リューゴ選手が現れました!』
鏡の中心部に捉えられているダイゴスへと、歩み寄る小さな影。今ほどの凄まじい攻勢でも倒れなかった拳士の登場に、会場が一挙沸騰する。
『健在ではありますが……やはり無傷とはいかなかったか! リューゴ選手、片足を……左足を引きずっています! ……? あれ、あと何か喋っているようですが……聞こえませんね。ツェイリンさん、音声拾えないんですか!?』
『……残念じゃが、音声までは無理じゃ』
超越者自身、やや口惜しげに言葉を零す。
『むむ、残念ですね……。リューゴ選手とダイゴス選手は顔見知りのようでしたし、会話の内容も気になるところではあるのですが……!』
向かい合う両者。天轟闘宴を勝ち抜いてここまでやってきた、最後の二人。双方共に、もはや動くことすら苦痛だろう。素人目にも、決着の瞬間がすぐそこまでやってきていることは一目瞭然だった。
「もう、いいよ……」
消え入りそうな、か細い声。桜枝里が、鳴きそうな顔で黒水鏡を見つめていた。
「大吾さんも、流護くんも、もうボロボロなのに……友達同士なのに、こんな……本気でぶつかり合って、痛い思いして……」
「……サエリ、」
どう言葉をかけるべきか、少女騎士がわずか迷っていたところで、
「本来……こういうものだったのかも、しれませんね」
意外な言葉を滑り込ませたのは、桜枝里の隣で鏡を見上げていた少女兵、ユヒミエだった。二人の視線に気付き、小さな兵士はハッと肩を竦める。
「と、いうと?」
ベルグレッテが促せば、ユヒミエは恐縮しながら、どこか夢見るような瞳で答えた。
「あっ、いえ。天轟闘宴は古来、巫女様のおそばに付く最強の戦士を決めるための催事だったと聞きます。ああして懸命に戦っているダイゴス様の姿が、まさに巫女様のおそばに立つために武を振るう古の戦士のようで……。昔の天轟闘宴は、こういうものだったのかな、なんて。……な、生意気なことを言って、申し訳ありません……」
「ん……巫女のために、か……」
その言葉を反芻し、ベルグレッテはうん、と頷く。
「見届けましょう、サエリ」
「ベル子ちゃん……」
「どっちを応援しよう、とは言わないわ。ここまできたらもう、二人の闘いを……最後まで、見届けましょ」
様々な経緯が重なって、あの二人は激突することになった。
互いに譲れないものがあり、今もああして対峙している。
しかし、それらも関係なく。
今の二人はきっと、もう止まらないのではないかと思う。例えばミョールや桜枝里のことがなかったにしても。天轟闘宴という大きな舞台でなかったとしても。
あそこで笑みを浮かべながら向かい合っている二人は、この上なく楽しそうに見えたから。
「うちの学院にも、たくさんいるんだけどね。男子って、ほんとこういう決闘が好きなのよね」
苦笑いと共にそう言い結べば、
「ふんっ!」
桜枝里が唐突に、自らの頬を両手で挟む形でぴしゃりと叩いた。
「わっ、サ、サエリ?」
「ん、大丈夫! ここからは私も、プロレスとか試合とか見る感じで応援する!」
鼻息荒く眉を吊り上げる巫女に微笑みながら頷き、ベルグレッテも鏡へと視線を戻した。




