257. 戦士たち
『す、すごいすごいすごいです! ダイゴス選手の怒涛の攻めを前に、リューゴ選手、為す術がありませんっ……!』
決着を予感したか、シーノメアが声に熱を篭もらせた。
『舞い躍る雷の粉雪と、暴れ狂う棍の合わせ技! 上手く避け続けるリューゴ選手ですが、これは時間の問題か!? やはり無術では限界があるのかっ!?』
立ち上がっての叫びに、呼応した観衆たちも轟々と歓声を響かせる。
「……」
そんな音声担当の隣に座るドゥエンは、ただ静かに戦局を眺めていた。
「どうした、ドゥエンの坊や。弟が押しとるというに、相も変わらず無愛想じゃのう」
横並びで座るツェイリンがからかうような声をかけてくれば、
「……いえ。あの子は……ダイゴスは、昔から……変わらないな、と思いまして」
「……」
そこで彼女は気付いたのだろう。
矛の当主の額に滲む脂汗に。常と変わらぬ冷淡な顔の下に、堪えがたいまでの疲労と苦痛を押し殺していることに。当然だ。『黒鬼』との闘いによって、ひどく傷ついた身。応急処置などで、どうにかなるようなものではない。
「……ドゥエン、お主……」
「……問題ありません。心配ご無用」
居住まいを正し、ドゥエンは対岸の森で繰り広げられる戦闘へ目を向ける。
「……本当に、変わらない」
胡乱な頭のまま。しかし、思わずにはいられない。
(……ダイゴス。お前は、本当に――)
才能がない。
川岸ぎりぎりの砂地に立ち、すぐ向こう側で闘う弟の姿を見守りながら。昔から長兄が零していたその小言を、ラデイル・アケローンは心中で反芻する。
(ダイゴスには……暗殺者としての才能がない)
生真面目で口うるさい長兄だが、これに関してはラデイルも同意見だった。
ダイゴスはかつて――気弱で心優しい、小さな少年だった。
花壇の草花が枯れれば悲しみ、庭先に訪れていた小鳥たちが姿を見せなくなれば落胆し、城の誰かが没せば当たり前のように涙する。
武の面では、実直かつ堅実。いつか天轟闘宴に出たい、と毎日のように言っていた。英雄ガイセリウスに憧れ、正々堂々を信条とした。暗殺を請け負う家系にはあまりにもそぐわないその考えを、当然のように抱き続けた。
転機はやはり、大老の死だったのだろう。
綺麗事しか知らなかった少年は、憎しみの情を覚え、その手を血に染めることとなった。
錯綜する思惑や、利害の一致。殺し殺されることで動く、世の情勢や金の流れ。意図的な死の創出で変えられるものがあることを、純真だった少年は汚れるように学んでいく。改心など望めず、命を絶つことでしか排除できない悪が存在することを、否が応にも理解していく。
そうして次第に口数が減り、感情を表に出さなくなり、笑わなくなり。無垢だった三男は、血濡れた第三の矛として着実に磨き上げられていった。
そんなダイゴスだったが、闘争の場において生き生きとした顔を見せることがあった。
行軍の最中、不意に鉢合わせた怨魔と正面からぶつかることになった時。他の武家に助っ人として駆り出され、敵を殺める必要のない『戦闘行為』に携わることになった時。そして、殺生問わず――楽には勝てぬ強敵と巡り合った時。
そういった局面において、稀ではあったが――笑い方を忘れたかのように思われた弟は、ぎこちなく口の端を吊り上げてみせることがあった。
幼い頃とは似ても似つかない、大きく無骨に成長した青年の笑み。それは太く力強く、どこか不敵なようでもあり、他人に威圧感を与えることもあったようだが、ラデイルとしては少し安堵した覚えがある。
ああ、この子は笑顔を失った訳じゃなかったんだ、と。
そんな不器用な笑みが浮かぶ共通項。不意をついての暗殺ではなく、面と向かい合っての闘争。
ダイゴスは事実、正面きっての戦闘でその才覚を遺憾なく発揮した。
長年の修業は、精錬された武力へと繋がり。気弱とさえ思われた考え方は、冷静に戦況を把握する観察眼へと繋がった。そして、幼い頃に露見したある特殊な体質。『絃巻き』と呼ばれるその力すらも携えて――
(そう。ダイゴスにあったのは、暗殺者としての才能じゃない。稀有なまでの……戦士の才能)
幼い頃、夢見ていたように。青年は今や、自らが渇望したその領域へと踏み込んでいる。あれほどの強者を相手に、一歩も引かず。
『下がるリューゴ選手、追いすがるダイゴス選手! さあリューゴ選手、これはもう打つ手なしか!?』
ラデイルは思わず拳をぐっと握る。
(……行けるぜ、ダイゴス)
目前に迫った勝利。
(皆に……兄貴に、見せてやれ。お前の本当の力を)
自分だけは知っている。そんな弟の姿を。多忙で家族を省みることが減ってしまった長兄よりは、少なくとも。
柄にもなく熱くなったラデイルは、弟に追い込まれる黒髪の少年へと何気なく目を向けて――
「――――――――――ッ」
悪寒が、走り抜けた。
目。
吹き荒ぶ雷燐を潜り、縦横無尽に疾る雷節棍をいなし、回避に徹している有海流護の瞳。
その闇のような色の両眼が、ダイゴスの一挙手一投足を見つめている。とても窮地に立たされている男のものとは思えない、静かな視線で。
(ゾッとした……? この俺が……?)
人を見てそう感じるなど、いつ以来のことか。
暑気の中でブルリと身を震わせ、ラデイルは額に浮かんだ汗を拭う。
(……、気を付けろよ、ダイゴス……。その兄ちゃん、このまま終わりゃしねーぞ……!)
流護の背が、苔むした大樹に軽く触れる。
「! おっと……」
そこでようやく、少年は退路がなくなったことに気付いたようだった。
天を衝くようにそびえる老木。樹齢は千年を優に超えるだろう。横幅だけで五マイレはありそうなその幹は、もはや壁と大差ない。流護はもうこれ以上、後方に下がることができない。
巧みに棍を振り、漂う雷燐を誘導し――退避先を制限することで、ダイゴスは相手をその袋小路へと追い詰めた。
互いの距離は六マイレ弱。双方の間に浮遊する雷の塵、その数は四十弱といったところか。
そんな状況下でしかし、壁を背にした隣国の遊撃兵はいつもと変わりなく笑う。
「いやー、それにしても……器用だなぁダイゴス。上手いこと空気掻き乱して、その雷の粉ずっと引き連れて……ビリヤードとかやらせたら、すげえ上手そう」
『びりやーど』が何なのか分からなかったが、虚勢とは思えないその軽口に、ダイゴスも太い笑みを返す。
「……ふむ。この状況を覆す策が見つかった……と、考えるべきかの」
「策、とか言う程のもんじゃないんだけどさ」
「いずれにせよ興味深い。見せて――貰おうか」
ぐっと雷節棍を握りしめ、深く腰を落とし――
一閃。
大気裂く棍の一振りによって、雷燐の群れが号令を受けたかのように流護へと殺到した。数瞬の間を置いて、ダイゴス自身も突撃する。
間断なき二段構えの攻め。退路はなし。さあ、これをどう凌ぐ――
「――――」
そうして、巨漢は見た。
武の極致とでも表現すべき、その業を。
弾ける。連続する破裂音。
二、三、五、七――
躍りかかった雷燐たちが、小刻みに射出される流護の右拳によって、次々と打ち落とされていく。
速さも凄まじいものではあるが、驚くべきはその精度。
胸前に掲げられた右腕が霞む。刹那に消失する。雷燐が弾ける。腕が元の構えに戻っている。数秒間にこの工程が反復されること、およそ十数度。
「――――」
踏み込みかけた巨漢は、思わず足を止めていた。生まれつきの細い眼を、限界まで見開いていた。魅入っていた、と言い換えてもいい。
拳に接触した雷燐が炸裂するよりも速く、腕が引き戻されている。流護はかすり傷ひとつ負うことなく、右拳一本で紫電の軍勢を次々と駆逐していく。
とはいえ、総数四十にも及ぶそれらを、右手のみで捌ききれるはずもない。
拳の弾幕を潜り抜けた雷燐の一つが、流護の顔に接触する――寸前、首を振る動作のみで躱された。背後の幹に付着し、小さく弾けて消える。
「!」
そうして、一連の動作に一つの工程が追加された。
雷燐を迎撃する。打ち漏らしたものは避ける。言葉にすれば単純なその攻防が、驚くべき速度で反復されていく。
そこでようやく、ダイゴスは認識した。そして、戦慄した。
(アリウミめ、この為に――)
雷燐の末路は二つ。拳に打ち落とされるか、背後の木に接触して弾けるか。
流護は袋小路に追い込まれたのではない。捌ききれない雷燐を壁にぶつけて消すために、あえてそこで陣取ったのだ。
(……と、いう、ことは――)
ダイゴスの背筋に寒気が奔る。
自分は、相手を追い詰めてなどいない。
それが何を意味するのか理解するより早く、
「――、」
生まれていた。
流護とダイゴスの間に、遮るもののない空間が。雷燐の数が減少したことにより、無傷で通れるようになった道が。
「――――ッッ!」
挙動は思考よりも先だった。
ダイゴスは全力で地を蹴り、その巨体を後方へ飛ばす。
時間差は、刹那ほどもなかったに違いない。
ほんの寸前までダイゴスの顔があった空間に、握り込まれた右拳が突き出されていた。
「……んー、惜しい」
さして悔しくもなさげな、流護の呟き。そんなとぼけた口調の若者から放たれたとは思えない、疾風のごとき踏み込み。迅雷のごとき拳打。
見えてなどいなかった。ただ危機感に急かされるまま、動いただけにすぎなかった。
「……、」
双方の距離は、またも六マイレほど。間一髪の命拾いに、大きく息を吐くダイゴス。どっしりと構え、右拳を突き出したままの流護。
結果としてどうにか一撃を凌いだ巨漢は、相手から目を離さぬよう慎重に身構え――鼻から伝う、温かなぬめりに気付く。
(避け切れて……おらんかったか……)
鼻は元々、エンロカクに潰されていた。かすめた衝撃で、再び傷ついてしまったか。
ぶり返す痛みと呼吸のしづらさに辟易としながら、手の甲で煩わしい血流を拭う。
「ほっ」
一方の流護は拳を引くと同時、唐突にその身を翻した。両の足が軽やかに大地を踏む。
――それは、演舞。
力強く突き出される拳足。危なげなく、柔軟に旋回する身体。実戦的なものではない。魅せるための、派手で分かりやすい――流れるような動き。左腕が使えずとも、舞いに不自然な印象はない。その程度では損なわれない、完成された美がそこにあった。
放たれたる拳によって、薙がれる足先によって、次々と雷燐が撃破されていく。演舞に巻き込まれる形で、白光が散らされていく。
そうして、最後の一片がバチンと鋭く踏み潰され――
流護がダイゴスに向けてどっしりと身構えたそのとき、全ての雷燐は無へと還っていた。
「……お見事」
巨漢の呟きと同時、遠く背後から観衆たちの喝采が響いてくる。一連の攻防で森の奥へと移動してしまったため、外の音はほとんど聞こえなくなっていた。
無論、音だけではない。この位置から、外の様子は見えなくなっている。となれば、その逆も同様。
この場で遠巻きに見守る、数人の白服たち。彼らが持つ黒水鏡によって、観衆たちは今の演舞を目撃したのだろう。それゆえの喝采だ。
「美しい舞いじゃ。良いものを見せて貰った」
「空手の訓練自体はもう全然できてねーから、同業者から見りゃ全然なってねえって言われちまいそうだけどな。しっかしダイゴス先生こそ、おっかねぇ技を隠し持っていらっしゃる。ちょっと肌とか服とか煤けたぞ」
「フ……癖のある術じゃがな。風使いなぞが相手ならば、まるで役に立たん。呆気なく吹き散らされてしまうからの。じゃからエンロカクなぞには、最初から使いようもなくてな」
「あっ、なるほど……」
交わす会話の軽さは、明らかに日常のそれだ。そんな雰囲気の中で、
「……さて。どうした、アリウミ。来んのか?」
探る。
「んー……、厄介な雷燐も消えて、踏み込めば届く範囲に佇むダイゴス先生が一人……。さて、俺は馬鹿正直に仕掛けるべきなのか、どうなのか……」
探り合う。
「……」
「……」
無言で向かい合うことしばし。
沈黙を破ったのは、流護だった。
「……それな」
「?」
「そのダイゴスの、『ニィ……』って感じの不敵な笑顔。俺さ、あんたのその顔が……正直、ずっと苦手だったんだ」
だった、と。過去形。その部分に言及することなく、ダイゴスは静かに耳を傾ける。
「何だろ。ダイゴスって口数少ないし、落ち着いた雰囲気あるから、その自信ありげな笑みが、こう……何もかもお見通し、みたいな。知られたくない秘密も見透かされてるような、そんな感じがして」
知られたくない秘密。
流護ならば、全く別の世界からやってきた異邦人である、という点か。無論ダイゴスとしては、当人から聞かされるまで知るべくもないことだったが。そも、次兄ラデイルに唐変木だの朴念仁だのと罵られるような身である。人の思いを見通す力になど、長けていようはずはない。
「だけど……今となってはもう、後ろめたいことも何もないしな。全部話しちゃったし。で、いざそうなった今の状況で、あんたのその顔を前にしてたら……何だか、ワクワクしてきちまって」
「……ほう」
「自信ありげな……不敵な笑みを浮かべて佇んでるこの強い男は、次にどんなトンデモ技を見せてくれるんだろう、ってさ」
流護がそう言ってのければ、ダイゴスはまさしくその不敵な笑みを「ニィ……」と意味ありげに深めた。やはり、その心の裡は読めそうにない。
「天轟闘宴に出るってことで、俺も神詠術についてちょっと勉強したんだよ」
ここ数日、夕飯後などの短い時間ではあったが、ベルグレッテとゴンダーから神詠術の特性などについての講義を受けていた。マネージャーたるベルグレッテからの提案である。最初は難色を示した勉強嫌いな流護だったが、武祭で相手取るのは一流の詠術士たち。術を発動させる際の条件や制約については知っておいたほうがいい、と生真面目なゴンダーの後押しもあって、渋々了承したのだった。むしろゴンダーは、そういった基礎知識すらない流護に驚いていた。
ともあれそんな辛く苦しい勉学の時間を過ごした結果、
「えーと……『詠唱保持』、だっけ」
詠術士の間では常識だそうだが、流護にとっては有益な情報が得られることとなった。
原則として、種別の異なる術の同時行使はできないとされている。
水剣を振りながら水弾を撃つ、といったことは可能だが、水剣を片手に回復術を使う、といったことは不可能なのだ。攻撃術、防御術、補助術……これら枠組みの中から一つだけを選び、その系統に属する術のみを行使しなければならない。他の種別の術を使いたいのであれば、その時点で発現している術は破棄する必要がある(明らかに複数の種別を跨いで使いこなしているディノのような例外も存在するが)。
このような制約もあってか、本来は攻撃術に属するものを上手く取り回し、防御に利用している者も少なくない。ベルグレッテが渦巻かせて纏う水流然り、ゴンダーの氷盾然り。クレアリアの完全自律防御なども、その名に反し種別としては攻撃術に属するのだという(もっともこの術については色々と特殊で、勉強不足な少年にはまだまだ理解できない小難しい理論などもかかわってくるのだが)。
とはいえ、攻撃術を利用した『アレンジ』にも限界がある。基本、本物の防御術や補助術には及ぶべくもないのだ。
そんなとき、神詠術の武器を消して防護壁を展開したかったとして、武器を破棄してから防護術の詠唱を始めたのでは、一刻を争う戦闘の最中で間に合うはずもない。
そこで用いられるのが、詠唱保持である。
「術の種類とか関係なしに、詠唱の終わった術を発動前の状態で待機……ようはストックしておけるんだよな」
水の剣を振りながら、防護術を詠唱する。水剣を手にしているため、詠唱が終わっても防護壁を出すことはできないが、剣を消せば、即座に壁を展開できる。そういう技術だった。……もっとも、戦闘をこなしながら裏で詠唱を進めるという行為自体、かなりの訓練が必要ではあるそうだが。
実際にベルグレッテは、あのファーヴナールとの闘いにおいてこの詠唱保持を使っている。ミアがファーヴナールに対して放った、凄まじいまでの雷撃(ミアによれば、ブリッツレーゲンという名前だそうだ)。あの術を補助で増幅しながら、裏で水の大剣の詠唱を進めていたという。
保持しておける術の数は、個人の資質や技量にもよるが――基本的に二つから三つ。現在発動中の術があれば、単純にそこから差し引かれる。
「つまり。ダイゴスは今、雷の棍を持ってるから……あと一つか二つ。俺が雷燐に手こずってる間に、多分他の術の詠唱が終わってる。例えば雷燐で俺を仕留め切れなかった訳だから、それ以上の技を準備して待ち構えてるとかな。迂闊に突っ込めば、今度こそヤバイかも……ってことになるよな」
単純に、強力な攻撃術の二連打。もしくは踏み込んだ流護の一撃を堅牢な防御術で完全に凌ぎ、すぐさま超威力の攻撃術に切り替えて迎撃――といった真似も可能だ。
「ふむ。無の状態から学んだの。エドヴィンにも見習わせたいもんじゃ」
そう言って、ダイゴスは不敵な笑みをより深める。
「ともあれ……いつまでもこうして見合っとる訳にもいくまい。お主が来んのなら――こちらから仕掛けさせて貰うぞ」




