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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
7. 天に轟くは、闘いの宴
253/672

253. 抱く覚悟と――

 およそ三万人が避難を完了した、観客席後方部。

 それぞれ自分の近くにそびえる巨大な黒水鏡に釘付けとなった人々は、一様に困惑していた。


『ツェイリンさん……、どうして、みんな倒れてしまったんですか!? それに、ドゥエンさんは……っ』

『分からん』


 常に余裕をたたえていた超越者の表情には、今や明確な焦りの色が滲んでいる。


『ただ……遠見でも感じ取れたが、あの化生めが……妙な声を発しおった。間違いなくあれが原因じゃろうて』


 不幸中の幸いというべきか、あの咆哮は鏡越しに影響を及ぼすことはなかったらしい。仮に鏡を通じてすら『効果』があったなら、自分を含めた三万人の観衆たちまでもが倒れてしまっていたかもしれない。

 とんでもない事態だ。

 周囲に首を巡らせるが、この場に『千年議会』や要人の姿はない。連中のことだ。下手をすれば、すでに自分たちだけ会場から退避してしまっている可能性すらある。

 もはや『ここまで』、か。


(チッ……せめて、ラパあたりがおれば)


 生真面目な実力者として名高い、鎚の家系が誇る若き当主――ラパ・ミノス。この武祭にも裏方として携わるはずの男だったが、どうした訳か天轟闘宴を間近に控えて、忽然と姿を消してしまったという。『千年議会』のカーンダーラも、同じく姿を眩ませている。この両者に繋がりはなさそうだが、一体何がどうなっているのか。もう滅茶苦茶だ、と言わざるを得ない。


(……むっ)


 俯瞰から戦場を見下ろしていたツェイリンは、ある異変に気付く。

 怨魔のいる場所から、距離にして四十マイレほどか。

 点在する物見台の一つに、凄まじいまでの魂心力プラルナの流れが集束しているのを捕捉した。


(……あれは)


 先ほど、面白そうという理由で放置した巫女たちだった。






 目の前を横切る、黒。黒黒、黒。

 全力で展開している防御膜が軋みを上げ、殺しきれなかった衝撃が肉体を後退させる。ディノの赤い瞳に映るのは、視界の端から端へと疾る黒影の嵐だった。

 それはまるで、闇色の暴風雨。

 今や、わずかほども防御術を解くことはできない。施術を緩めたが最後――ディノの肉体は、縦横無尽に飛び回る影によって瞬く間に削り尽くされるだろう。人の肉など残るべくもない。暑気に溶ける氷よりも早く、ディノの身体は痕跡すら残さず消滅するはずだ。


「……、」


 霞む黒が、捉えられない重撃の嵐が、あの夜を彷彿とさせる。あの闘いを思い起こさせる。

 唯一の、敗北を。


(――ああ、そーいや……)


 おぼろげな記憶が蘇る。


(あん時も……こんな感じだったっけか)


 ボウとする思考。重く鈍る身体。

 そんな中で、戦意を支え続けたのは――


「私にはな……立場……というものが……あるんだ」


 そこで唐突に『ペンタ』の思考を断ったのは、細く錆びた声だった。

 防御に徹しながら声の出所へ目を向けたディノは、


「……!」


 初めて。

 人を目の当たりにして、背筋がゾッとするという感覚を味わった。



 ドゥエン・アケローンが、立ち上がっていた。



 まとめ上げていた頭髪は解け落ち。ざんばらな黒髪によって顔は覆われており、その表情は窺えない。

 しかし男は、幽鬼のようであるが確かに佇んでいた。両の足で、確かに大地を踏みしめて。


「アケローンが立つ……と……いう事は」


 ディノにたかるように連撃を加えていた黒虫も、間合いを取ってその男へ顔を向ける。


「殺せる……という事だ。勝てぬ相手、とは……闘うな……そう教え続けてきた私が……斃れる事など……あっては……ならない」


 立つのがやっとであることは、誰の目にも明白。

 しかし、容赦はなかった。

 極悪な羽音を響かせ、黒き悪魔が翔ぶ。

 死に体の男。躍りかかる怪異。



 交錯の瞬間、プレディレッケはドゥエンの右腕を肩口から易々と噛み千切っていた。



 が、その代償のように。

 矛の男の残る左手が、怪物の小さな頭部を鷲掴みにしていた。それはまるで――すれ違いざまに財布をかすめ取ろうとした盗人を、しっかと捕えたかのような。

 そんな右腕を強奪しようとした下手人に対し、制裁として叩き込まれたのは――膝。

 二発、三発。ドゥエンは、掴んだ怪物の頭へ膝蹴りを突き入れる。くぐもった苦鳴と黒い飛沫が撒き散らされ、怨魔は口にしていた腕を取り落とした。


「……貴様に喰わせてやるには……少々、惜しいのでな。返して貰おうか」


 怨魔から手を離したドゥエンは、転がった自らの右腕を即座に拾い上げ、そのまま高々と振りかぶる。

 そして何の躊躇もなく、敵目がけて振り下ろした。

 ゴギン、と鈍い音が響く。

 怪物は地面に叩きつけられ、武器として振るわれた右腕は、白い骨格を剥き出しに異様な方向へとねじ曲がった。


「……生まれてこの方、肌身離さず……長い年月を掛けて鍛え上げてきた、自慢のぶきだ……。フフ、効くだろう……?」


 ドゥエンの表情は窺えない。しかし広がった髪の隙間から刹那に露わとなった血まみれの口元は、至上の笑みを象っていた。


「――――――」


 ディノは思う。

 何がこの男を突き動かしているのか。

 そんなボロボロの身体で、腕を千切られてまで、なぜ闘うのか。なぜ闘えるのか。

 もはやまともな神詠術オラクルなど使えはしないだろう。そもそも、歩くことすら困難な状態のはずだ。そんな死に体の状態で、飛翔した怨魔を交錯の瞬間に捕らえるという技巧すら披露し。そのうえドゥエン・アケローンは、落下して隙を見せた怪物に踏み込んでいく。


「アケローンは……負けぬ」


 それは、意志なのだ。

 一族の長として。指導者として。模範として。「勝てない敵とは闘うな」と教え続けてきた当人が、敵に打ち負かされるようなことがあってはならない。正しき指標であり続けるために、勝とうとしている。


 ディノにも、ある。

 勝たなければならない理由。負けられない理由が。

 自らの、この名を轟かせるため。『あの少女』がこの世界のどこかに再び生まれ落ちたとき、ディノ・ゲイルローエンという名前を道標にできるように。


『あたしが、すぐに見つけられるように……一番強いヤツに、なっててね……?』


 あの約束を守るために。

 それなら――


 ――こんな虫に、足止め食らってる場合じゃねェだろ。


 ディノの内にあった何かに火がつくと同時、ドゥエンが前のめりに足をもつれさせた。武器として握っていた己の腕を取り落とす。限界などとうに超えているのだ。

 その間に起き上がった怨魔は細い足で器用に身体を支え、迫り来る瀕死の男に向けて羽を振りかぶる。


 ――勝って名前を売らなきゃなんねェのに、手こずってるなんざ逆効果じゃねェか。


 爆炎伴う飛翔をもって、ディノは両者の間に割り込んだ。

 横殴りに飛んできた透明の羽を、左手に携えた炎刃で受け止める。右肩で、ふらついているドゥエンを突き飛ばした。矛の長はもはや踏ん張ることもできず、そのまま仰向けとなって倒れていく。


「アンタはもう、ちっとばかし休んでな。せっかく受けた仕事だってのに、依頼人に死なれちゃ困るんだよ」


 振るう炎の柱を、黒虫は両翼で事もなげに打ち払う。

 もはやこの怪物に、己が代名詞たる炎牙は届かない。完全に警戒され、読まれている。

 ならば、戦況を覆し得るのは――


 ――ったく。ガキの頃ですら、少しばかりケガするだけで「心配した」だの「気をつけなさい」だのギャーギャーやかましかったってのに――


 集中する。

 動かなくなったディノの右腕が、痙攣と共に脈動する。


 ――再会してオレの右腕がなくなってたりしようモンなら、そりゃもうクソうるせーんだろうな、アイツ――


 解放する。炎熱が吹き荒ぶ。


 再動させる。

 右の一撃で。

 終わらせる。


「――ケリつけよーぜ、カマキリ」


 迷いは消えた。

 赫焉かくえんたる紅蓮の鼓動が、脈々たる魂心力プラルナの流れが、機能を停止した右腕に再びの活力を取り戻す。喪失と引き換えに、一度限りの絶大な力を憑依させる――


 その寸前。


 覚悟を決めたディノの目に飛び込んできたのは、美しい尾をたなびかせる銀色の流星。凄まじい速度で飛来するそれは――水流を纏った、一人の少女騎士だった。






 黒水鏡にて戦局を見守っていた人々の多くは、後にこう語る。

「天上から戦女神が舞い降りたようだった」と。

 古ラスタリッド語に、『ベルティラルッケ』という単語がある。鋭い、聡明な、といった意味合いを持つその言葉。

 無論、この場の誰もが与り知らぬことではあったが。

 元は同じ語源の名を持つ両者、ベルグレッテとプレディレッケが、刹那――その言葉を体現するかのように、鋭く交錯した。






 兵団を総崩れにした『黒鬼』の咆哮。

 それは遠く離れた物見台に潜んでいたベルグレッテたちの下にも届いていたが、


(問題ない。少し、耳鳴りがしただけ……!)


 前線からあの物見台まで、およそ四十マイレもの距離があった。それゆえだろう。頭に響く嫌な音だったが、戦闘に支障が出るような影響は受けていない。

 そう判じ覚悟を決めて翔んだ少女騎士は、神詠術オラクルの逆噴射で宙を駆け、瞬く間に怪物の背後へと肉薄する。


(――取った……!)


 完全な死角。

 ディノと向き合い、こちらに背を見せている怨魔。俊敏に飛び回っていたその動きは止まり、先ほど咆哮を発したときのような攻撃態勢にも入っていない。

 思わぬドゥエンの反撃を受け、すぐに動けない状態なのだ。

 訪れた――絶好の機会。ぎりぎりまで飛び出すのを堪え、確実に叩き斬れる瞬間を狙っての一撃。


(剣よ――来たれッ!)


 音はなく。ただ眩いばかりの白銀の輝きが、天駆ける少女の両手へと集束する。全長三マイレにも及ぶ、煌めく水の大剣が形成される。


(っ……!)


 現界させたその瞬間から、剣に己の魂心力プラルナが吸われていくのをはっきりと自覚した。分かっていたことだ。長くはもたない。

 空を駆け、風切りながら、迫る。

 距離、十、九、八――

 そうして、一撃の届く間合いへ。黒光りする敵の躯体を視界に捉えて。


「――――――」


 無心で振るう。飛翔の加速と、着地の勢いを乗せて。

 全身全霊、天から地へと結ぶ両断の軌跡。

 振り抜いたその一閃はしかし、少女騎士の手に何の反動も返すことはなく――あるのはただ、大地を強く踏みしめた両足の感覚のみ。


「…………、っ!」


 顔を上げれば、瞳の赤光が尾を引く。

 毒々しく灯る右の隻眼が、ベルグレッテを見下ろしていた。


 背後から迫った渾身の一撃を、振り返りざまに容易く躱し。

 目前に舞い降りた突然の乱入者の姿を、プレディレッケの赤眼――隻眼が、静かに捉えていた。


 奇しくも同じ名を持つ両者が。

 水の騎士と黒の騎士が今、正面から対峙する。

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