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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
7. 天に轟くは、闘いの宴
252/669

252. ドラゴン・フライ

「はは、すっげ……。浸透勁かよ……」


『無極の庭』、その範囲ぎりぎりの木陰で激闘を眺めていた流護が目を剥き、


「決めたか。手出しは不要じゃったの」


 同じく隣で観戦していたダイゴスが静かに口角を吊り上げ、


「や……やった! ドゥエン殿が仕留めたぞ――ッ!」


 前線に集った二百超の赤鎧たちが一斉に勝ち鬨を轟かせ、


『やったぁっ! ドゥエンさんがっ……! や、やりましたよ、皆さ――んっ!』


 客席後方、鏡越しにその瞬間を目撃したシーノメアが声を弾ませれば、応えるように周囲の観衆たちが喝采を響かせる。


 水面に広がる波紋さながらに、勝利の歓喜が次々と伝播していった。






 ――最初に気付いたのは、四十マイレほど離れた物見台で様子を窺っていた四人だった。


「…………なん、だ? あれは」


 呟いたのは、ベルグレッテたちをここまで案内した大柄な兵士。その視線は、倒れた『黒鬼』と喜びに包まれた兵士たち――の、遥か上空に固定されている。


「……まさか……皆、気付いていないのか……?」


 その声は震えていた。

 そう。あの場にいる人間は、誰も気付いていない。


 あまりに『近すぎて』、そこは死角となっている。


 遠く離れているこの場の四人だからこそ、『それ』が視界に収まっているのだ。


「……あれ、は」


 ベルグレッテも、ただ視線を上向けて固まっていた。

 確かに一瞬、終わったと思った。自分の出る幕などなく、決着したと思われた。

 倒れ伏したプレディレッケ。そのそばに立つドゥエンとディノ。彼らを囲む赤鎧の兵たち。

 その真上、高さにして三十マイレほどはあるだろうか。


 中空に、異様なものが浮かんでいた。


 体長は一マイレに満たない程度。色は漆黒。その身体よりも遥かに大きく細い二枚の透明な羽を震わせながら広げ、空中で静止している。胴体は異様に細く垂れ下がり、獅子の尾や蛇に酷似していた。異様なまでに細く長い脚が身体の左右に三本ずつ、計六本。全体的な形状としては、トンボが最も近しいだろうか――というのがベルグレッテの感想だったが、


「トンボ……? ううん、もっと細い……かげ、ろう……?」


 同じくその生物を見つめていた桜枝里が、呆然と呟いた。


「カゲロー?」


 ベルグレッテが目を離さずなぞれば、


「あ、うん。故郷に、そういう名前の虫がいるの。でも……確かに似てるけど、あれは……」


 言い淀んだ言葉の続きを察し、少女騎士は唾を飲み込んだ。


 ――禍々しい。

 一見して細く華奢なはずのその生物は、しかし妙な力強さとおぞましさを醸し出しているように思える。似たような姿形の虫や怨魔も存在するが、既存のどの種にも当てはまらない。怨魔だとしても、ベルグレッテの知らない個体だ。それは兵士である男性やユヒミエも同じようで、その異様な存在に釘付けとなっている。


「あれって……どこから、出てきたんですか……?」


 ユヒミエの問いには、誰も答えなかった。答えることができなかった。皆、同じように分からないのだ。いつの間に。どこから。

 だが分からなくとも――見ていなくとも、容易に推察することができる。

 プレディレッケが煙と飛沫を吹き上げながら倒れた直後、いつしかあの生物が空中に現れていた。今しがたまで猛威を振るっていた怪物と全く同じ、闇のような体色。それはつまり――


「あれが……」


 桜枝里が、やはり呆然としたまま呟く。皆が考えているだろう、その予想を。


「あれが……『黒鬼』の、中身……っていうか……本体、ってこと……? ドゥエンさんにやられる直前に、飛び出したの……?」


 誰も、その疑問に反応しなかった。認めたくないといわんばかりに。


 そこで動きがあった。

 空中に浮かぶその生物はモゾモゾと蠢いたかと思った直後、顔を上向けて身体をのけ反らせる。


「なに……? エビ反りになった……?」


 桜枝里がそう零した直後、その異形の細い腹が少しずつ膨らみ始めた。蛇のようだったその身が、

みるみるうちに膨張していく。


「……あれって……、息を……吸い込んでるの……?」


 巫女のその言葉通り。身体を大きく反らせた巨大な飛行虫は、凄まじい勢いで腹に大気を溜め込んでいるように見える。


「――――、」


 一体、何をする気なのか。眼下に兵士たちを見下ろして、大きく息を吸い込んで、何をするつもりなのか。


 ――まずい。

 ただ、ベルグレッテの中でとてつもなく嫌な予感だけが膨らんでいく。まさしく、その生物の身体のように。


「ッ……ユヒミエさんっ、私に増幅の術を!」


 不安に駆られるまま、少女騎士は衝動的に判断を下す。


「えっ、は、はいっ」


 うろたえながらも指示に従い、詠唱を終えていた彼女が施術を開始した。


 ――まずい。何か。一刻も早くあれを止めないと、大変なことになる――


 刹那。

 ピタリ、と。

 息を吸い込み続けていた巨大な羽虫は、時間が止まったかのように動きを止めた。当初の細身からは想像もつかない、酒樽じみた外見となって。

 そして、


(……ッ、だめ、間に合わない――!)






 次に気付いたのは、その能力によって広範囲を見渡すことができる『凶禍の者』、ツェイリン・ユエンテだった。


「む……?」


 ついに轟沈した『黒鬼』。その周囲で勝利に沸く兵士たち。

 俯瞰から見下ろすそんな光景でも鏡に投影しようかと、目線の高度を上げたその時――ふと、視界を横切る異物があった。

 思わずまぶたをこする。目にゴミが入ったのかと思ったのだ。


「……――?」


 違う。

 それは。間違いなく、『あちら側』に存在している。

 つまり、倒れた怪物と狂喜乱舞する兵士らの上――遥か上空に。

 視点を引き、まじまじとそれを確認した。


「…………………、」


 ――――――何じゃ。こ奴は。


 それは黒く禍々しい、飛行生物。不自然なほど大きく膨らんだ腹部。赤々と灯る右の隻眼。姿形はまるで異なれど、その体色や特徴は――


「……ツェイリンさん、どうかしましたかっ? 勝ちましたよ、ドゥエンさんがやっちゃいましたよっ」


 隣のシーノメアが、一緒に勝利を喜ぼうとばかりに明るく話しかけてくる。しかし並大抵のことに動じないはずの『凶禍の者』は今、遠縁の乙女の呼びかけに応じることすらできなくなっていた。


「ツェイリンさん……?」


 超越者はただ、ひたすらに『それ』を注視する。


 ここで、周囲からかすかなざわめきの声が上がり始めた。周囲の観衆の幾人かも、気がついたのだ。戦場と化していた遥か前方――その上空に、小さな黒点が浮かんでいることに。

 禍き漆黒の羽虫。眼下にドゥエンたちやディノ、大勢の兵士たちを見下ろして。大きく膨張したその腹は、一体何をするための準備なのか。


「…………ッ、」


 結論が出るよりも早く、ツェイリンは通信の術式を飛ばす――






「…………」


 ディノは、倒れ伏したプレディレッケの亡骸に目を落としていた。

 あれほど猛威を振るった黒き怪物は、もはやピクリとも動かない。毒々しいまでに赤く灯っていた右の隻眼も、抜け殻のように色を失っている。


(抜け殻、ねェ)


 何気なしに思い浮かんだその例えが、ふと脳裏に引っ掛かった。

 関節という関節から吹き出した黒い液体と、内側から撒き散らされた灰色の肉片。凄まじい衝撃が突き抜けたことによってか、頭部から背中にかけては大きく破れたように裂けている。一見すれば、確かに脱皮した後の抜け殻とも思える気がした。


「さて、片付いたな。……む……」


 そんなドゥエンの声に目を向ければ、彼の耳元に通信の波紋が広がっているところだった。


「……はい。こちらドゥエンで――」


 さすがに疲れを滲ませた矛の長の応答。そこへ被せるように響き渡ったのは、


『ドゥエンッ! 上じゃ――ッ!』


 超越者、ツェイリン・ユエンテのただならぬ絶叫だった。



 瞬間、地面が起き上がった。



「――――」


 例えるなら――開け放たれていた扉が、強風に吹かれて勢いよく閉まってきたかのような。そんな勢いで、『大地が迫ってきた』。あまりに突然で、それでいてなぜか腕も咄嗟に動かず、ディノは地面に為す術なく顔を打ちつけた。


(――……グ……何、だ)


 やけに震える手をつき、大地を押しのけようとする。

 つまり――立ち上がろうとする。


(立ち……、? 何だ? オレは……倒れた、のか――?)


 ようやく現状を認識し、身体強化に注ぐ魂心力プラルナの割合を増す。

 地面が地面でないような、天地の区別がつかないような――初めて味わう、極めて奇妙な感覚。


(身体……、じゃねェ。こりゃァ……、神経が……マヒしやがったのか)


 無理矢理に地面から身体を引き剥がし、這いつくばるようにして顔を起こせば、


「……!」


 周囲に集った赤鎧の一団。総勢二百を超えるレフェの兵たちが、一人残らず同じように倒れ伏していた。皆幸いにして息はあるようだが、誰も起き上がることはできず、横になったままもがいている。


(何、だ……何が起きた――?)


 膝に力を込めながら、さらに視線を巡らせる。ラデイルやタイゼーンといった強者も、当たり前のように転がっていた。そして――


「!」


 ディノのすぐ左横。

 たった一人だけ、両足で大地を踏みしめ立っている男の姿があった。

 無駄のない痩身。餓狼のような面立ち。矛の家系が当主、ドゥエン・アケローン。その顔は――細められた鋭い目線は、遥か上空を見据えている。


「……、…………――」


 皮肉げに吊り上げられたその口元が、かすかに蠢いた。ディノには何も聞こえなかったが、「蟲め」と動いたように読めた。


 そうして。

 どろり、と。

 ドゥエンの口から、耳から、鼻から、目から――赤い血流が伝っていく。


 それは奇しくも、彼が奥義を叩き込んだ『黒鬼』に起きた現象と同じような。

 最後に、頭皮へ撫でつけられていた黒髪がバサリと広がって――ドゥエン・アケローンは、前のめりになって倒れ込んだ。


「……、!」


 間近でその光景を目の当たりにし、ディノは初めて自覚する。思うように動かない身体に気を取られるあまり、気付くのが遅れてしまったが――


(耳が……聞こえねェ)


 自分が倒れたときも、ドゥエンの口元が動いた際も、そしてたった今彼が崩れ落ちたその瞬間も。何ひとつ、音がしなかったのだ。

 強化を集中し、急いで耳の機能を取り戻すべく力を注ぐ。


(……?)


 聴覚が復調したその瞬間。

 ディノの耳に届いたのは、低く唸る振動音だった。

 ヴ、ヴヴ、ヴ――、

 虫の羽音を何倍にも重く増幅したようなそれは、上から響いてくる。少しずつ、近づいてくる。


「――――」


 瞬間的に顔を上向ける。

 その存在が、降臨していた。


 それは例えるなら、黒いトンボだった。


 頭部から尾の先まで、その長さは一マイレ程度。虫としては巨大すぎるが、怨魔としては極めて小さな部類だろう。毛と見紛う細長い脚が六本。その背から生えた透明の羽は細く長く、全長四マイレほどに及んでいる。両翼を広げたその姿は、横幅十マイレ弱にも達していた。

 その二枚羽を微細に震わせつつ、それはゆっくりとディノの対面へ舞い降りた。着地はせず、重い羽音を響かながらわずかにその身を浮かせている。

 虫そのものの顔に――赤々と、毒々しいまでに輝く右の隻眼。


「……ハッ……さすがにビックリだぜ。ソレがテメーの正体か。ズイブンと別モンになったな」


 つまるところ、間違っていなかったということになる。くずおれたプレディレッケを見て、「抜け殻のようだ」と思ったその感覚は。

 そして、


「……このオレを『ついで』でひっくり返したのは褒めてやるよ」


 ディノが、周囲の二百以上にも及ぶ兵士たちが、一斉に倒れ込んだ理由。その中でただ一人立っていたドゥエンだけが、血を溢れさせながら最後に崩れ落ちた理由。

 音撃、とでも呼ぶべきか。

 この怪物は、上空からドゥエン目がけて咆哮――音の塊を叩きつけたのだ。それは、己が受けた珠玉の一撃に対する返礼だったのだろう。こうして降りてきたことから考えても、連発できない類の大技であると推測できる。

 ともあれその余波が、周囲の者の耳を麻痺させた。ディノはそれらしき声を認識していない。鼓膜も傷ついてはいない。人の耳では捉えられない領域の『音』なのかもしれない。しかし確かに発せられたその声は、居合わせた者の感覚を揺さぶり、その場に昏倒させた。

 果たして、標的たるドゥエンが浴びた衝撃はどれほどのものだったのか。耳から、目から、鼻から、そして口から体内へ入り込んだ音の波は、おそらく内臓という内臓を掻き乱し、ズタズタにしたに違いない。

 それだけの一撃を受けたドゥエンがしばし立っていられたのは、もはや偶然にすぎないはずだ。無造作に放り投げた硬貨が、稀に上手く立つことがあるように。

 しかし、そんな状態は長く続くことはなく――傍らで倒れ伏したままピクリとも動かないドゥエンを横目に、ディノは嗤う。


「面白ェ芸ではあるが……オレから先に狙うんだったな」


 完全に自由を取り戻したディノが、左腕に再度炎刃を携えると同時、振るう。


 消えた。

 怪物の姿が、前触れなく消失した。


「――――――」


 強化を施した超越者の両眼ですら、その残影を捉えることはできず。

 それは、本能によるものだったのかもしれない。

 刹那、ディノは炎を消失させ、力の全てを防御術へと注ぎ込んだ。


 直後。

 秒を刻むより早く、ディノ・ゲイルローエンの肉体は鞠さながらに吹き飛んだ。

 投石砲やセプティウスのハンドショットすらも完全に凌ぐ、『ペンタ』渾身の防御術。それをものともせず。

 直前まで炎の青年が立っていた場所に、羽を剣のごとく振り抜いた怪物が浮遊していた。






「……ッ」


 腰を浮かしかけた流護だったが、思わず片膝をついて屈み込んでしまった。


「む……」


 隣のダイゴスも同じく、その巨体をよろめかせている。


「気をつけろよ、ダイゴス先生……。すっ転んで川にでも落ちたら、失格どころの騒ぎじゃねえ。そのまま溺れちまうぞ」


 頭の奥に突き刺さるような、鋭い残響。

 さほど大きな音ではなかった。しかし、突如襲ってきた耳鳴り――おそらくは怪物の咆哮――によって、三半規管を刺激された。そして、平衡感覚を失ってしまった。

 が、離れた位置にいる流護たちはまだましなほうだろう。

 あの場で転がっている兵士やラデイルたちなどは、上下左右の区別がつかないほどの感覚に見舞われているはずだ。

 あの特異な身体強化によってか、唯一すぐさま持ち直したディノは、しかし変幻自在に飛び回る黒虫に打ちのめされ、防御一辺倒となっている。


(あのディノでも……)


 むしろあの男だからこそ、ああして持ちこたえることができていると見るべきか。

 そして――


(…………)


 大地にうつ伏せとなり、完全に動かなくなったドゥエン・アケローン。

 あの瞬間。まるで、見えない何かが天から降り注いだように見えた。木陰で観戦していた流護たちには、枝葉が遮蔽物となって、遥か上空に浮遊する怪物の姿が見えなかったのだ。

 浴びせられたあれが凝縮された音の塊だったとするなら――

 果たして現在、ドゥエンは息があるのだろうか。仮に生きていたとしても、瀕死の状態に違いない。先ほどダイゴスに持ちかけた例え話が、現実のものになってしまおうとしている。

 その巨漢の顔を横目で窺ってみるが、いつもと変わりなく見えた。兄が倒れた瞬間も、わずかに低く呻きこそしたが、取り乱すようなことはなかった。


(覚悟ができてる、ってやつなのか……)


 現代日本で育った少年には、およそ理解の及ばない感覚だった。


「……、」


 流護は向こう岸の戦況を確認する。


(もう……)


 確認、するまでもない。

 二百超の兵団は総崩れとなり、ディノ一人が辛うじて抗っている状態。距離があったことで軽度の被害で済んだのか、客席付近には辛うじて身を起こそうとしている兵らの姿も見受けられるが、正直彼らが立ち上がったところで戦況は変わらない。

 これがたった一匹の怪物によって引き起こされた惨状であるなど、目にしてなお信じがたい。悪夢のような光景だった。


 ――もう、天轟闘宴どころじゃない。


 ここからでは姿が見えなくなってしまったが、ベルグレッテや桜枝里も、そう遠くない場所に潜んでいるはずなのだ。おそらく距離にもよるが、下手をすれば同じように昏倒しているかもしれない。

 もしディノが突破されてしまえば、次は無防備な兵士たちが……その近くにいる彼女たちが危ない。最終的には、集った三万の観衆たちからも犠牲が出ることになるだろう。


「……ここまでだろ。さすがに、行くしかなさそうだ」


 傍らの木を支えに、流護は立ち上がる。

 未だに足がふらつく。失われた体力も、まだ回復していない。


「倒せるのか」


 そこで、静かな問いが飛んできた。


「その状態で……奴を倒せるのか。アリウミ」


 目を向ければ、大樹に背を預けたダイゴスの真剣な顔があった。


「さてね……。でも……見ろよ、ほら」


 肩を竦め、流護は対岸へと視線を送る。

 縦横無尽に飛び回る黒影。時折ピタリと中空に静止するその姿は、二振りの鎌を携えていたときに比べれば、あまりに小さくあまりに細い。


「脆そうだろ。ああなりゃ、もうハエ叩きみてーなもんだよ。当たりさえすりゃ終わるって、あんなの……」


 ――分かっている。

 この距離であっても、刹那に見失うほどの速度スピード。あのディノを軽々と吹き飛ばし、防戦一方に追い込むほどのパワー

 流護は、あの怪物が出てきた瞬間を目撃していない。ドゥエンの奥義を喰らうその間際、飛び出して上空へ逃れたのだろうが、目に留まらないほどの速度で飛翔したということになる。

 そして、二百以上もの人間を一斉に昏倒させる咆哮――


 容易い相手であるはずがない。

 言うなれば、ハエは自分のほうだ。


「…………、」


 自らの両手に目を落とせば、明らかに震えているのが分かった。

 久々に感じている。

 恐怖を。死を。

 ファーヴナールと対峙したときのあの悪寒。初めてディノと相対したときのあの重圧。

 思えば、この天轟闘宴にてエンロカクやジ・ファールと向かい合った際には感じなかったものだ。怒りの感情が上回っていたせいもあるだろう。

 しかしやはり、根底となる自負があったのだ。他の者にない膂力を携え、この異世界での戦闘行為というものに慣れ、幾度となく勝利を重ねてきたという自信。

 そんな自尊心をも呆気なく霧散させてしまう、怨魔という存在。あの絶望感が、久々にこの身を震わせている。


「ワシも……同じことを思っとった」

「は? ん? ……何が?」


 黙々と思い耽っていた流護は、そのダイゴスの言葉の意味が分からず、つい間抜けな声を漏らしてしまっていた。


「脆そう、じゃと。当たりさえすれば、倒せそうじゃと」

「お、おう。……って、え、まじか?」


 流護としては強がりから零れたセリフだったが、巨漢は太い笑みと共に言ってのける。


「さっきも言うたじゃろ。手立てがある。お主の力を借りる必要があるがな」

「俺の……?」


 ダイゴスは重々しく頷く。


「よく分かんねえけど……ここから何とかできるような手段がある、のか?」

「ああ」


 迷いなく断じて、巨漢は詠唱を開始した。

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