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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
7. 天に轟くは、闘いの宴
249/671

249. 共同作戦

「はっ……ぜっ……」

「大丈夫ですか、国長」


 息を切らせるレフェの統治者を支えながら、桜枝里は王族観戦席の長い階段を下りきった。


「すまぬな、サエリよ……世話を掛ける……」

「いえ……」

「それにひきかえ、使えん老いぼれ共め……武祭が終わったなら、覚えておれよ」


 忌々しげに国長が唸る。

 観戦席にいた『千年議会』の老人たちは、それぞれ直属の部下を引き連れ、我先にと逃げおおせてしまっていた。

 長時間の観戦や予想外の事態で疲れきった国長は一人置いていかれる形となり、最後まで残った桜枝里と共に避難を開始したところだった。とはいえこの王族観戦席は、今回のような非常事態に備えて、要人が迅速に退避できる位置に建てられている。先に行った兵の数名が、すぐに近場まで馬車を引っ張ってくるはずだ。


(かなり……人も減った、のかな)


 辺りを見渡せば、忙しげに動く兵士たちが人波の後方の一団を牽引していく光景。この近辺は、退避もほぼ完了しつつあるようだ。

 それらを横目に、桜枝里は近場の大きな鏡へと目を向ける。


「……、」


 ――まさに、死闘。

 失格となることもお構いなし、『無極の庭』から文字通り飛び出してきたディノ・ゲイルローエンが、左手に携えた炎の柱を狂ったように振るう。

 血に染まった右腕をだらりと下げたまま、猛獣のような速度と苛烈さで、片腕のみによるものとは思えない密度の乱撃を放ち続ける。対するプレディレッケは、二振りの鎌でその全てを捌ききる。

 あらゆるものを灰燼へと帰してしまいそうな紅の猛威は、しかし黒曜の防壁を突破できない。

 無理もない。単純に片腕と両腕。どちらに分があるかは論ずるまでもなく、さらに相手は人間など遥かに凌駕する怪物。

 そんな怨魔を相手にこのような剣戟を成立させているだけでも、ディノという青年が異常なのだと桜枝里でも理解できる。

 だが。


『チィッ……!』


 黒の残影がかすめ、超越者の赤髪が宙を舞った。


 恐るべきは、この怨魔。

『凶禍の者』と呼ばれるディノの乱舞を凌ぎ、突き放したうえで、


『ぬうっ……!』

『おっと!』


 響くのはタイゼーンとラデイルの声。

 ディノが退き、その空白を埋めるように接近した二人へ対し、油断なく鎌を振るう。

 老戦士の氷腕が削れ、周囲に煌く破片を舞い散らせる。矛の次男の頬が浅く裂け、虚空を鮮血が彩った。


『……ったく、顔は勘弁してくれよ。傷モノになっちまったら、悲しむ女性が多いんでね……!』


 軽口を叩きながらも、美青年の額には珠のような汗が浮かんでいた。

 刹那、紫に輝く光条が怨魔目がけて飛来する。

 かつて桜枝里が扱っていた薙刀よりも長大なそれは、『黒鬼』の顔を浅くかすめて大地へと突き刺さり、すぐさま消失した。

 怨魔がとうにカマキリのそれとはかけ離れた顔を巡らせれば、鎌の届かない位置で腕を振り抜いているドゥエンの姿。薄笑みを張りつけた、温もりの感じられない表情。桜枝里も見慣れているその顔。しかし、


(……?)


 思わず目をこする。

 ドゥエンの姿が霞んでいるような――、どこか『映り』が悪いように感じらるのは気のせいか。陽炎みたいに、彼の周囲の空気が歪んでいるように見える。


 ともあれ、一進一退。互角。

 今現在は、そう評していい戦況といえるだろう。

 ディノ以外の彼らは、レフェでも選りすぐりの戦士たちだ。突破されるようなことは、絶対にありえないはず――


「国長、巫女様! こちらです! 馬車をご用意致しました!」


 そこで、一人の真面目そうな兵士が慌ただしく駆け寄ってきた。準備が整ったようだ。

 ひとまず馬車内へ避難し、最悪の事態となった場合は、そのまま速やかに発進してこの場を離れる。要人やその関係者については、そういう手筈となっていた。


「よし……では行くとしよう、サエリよ」

「はい――、!?」


 国長に頷きかけた瞬間、桜枝里は目を疑った。

 すっかり閑散とした、王族観戦席周辺。

 人の目を避けるように、脇の歩道を走っていく者の姿があった。

 その進行方向は、逆。逃げるのではなく、明らかに怨魔との闘いが繰り広げられている最前線を目指している。

 冒険者風の旅装。たなびく革のマントと藍色の美しい髪。端正にすぎるその横顔は――


(ベル子……ちゃん……!?)


 類い稀なその美貌は、見間違えようもない。

 ベルグレッテが、戦闘の行われている区域へと向かい疾走していた。


(なんでっ……!?)


 これまで触れ合う中で、正義感の強い少女だとは思っていた。

 生真面目で、実直で……しかし全く融通がきかない訳でもない、美麗な少女騎士。高貴ながら嫌味もなく穏やかな性格で、流護が惚れ込むのも無理はない。

 それは果たして、その正義感ゆえなのか。

 彼女は、プレディレッケとの戦闘に助力するつもりで駆けつけようとしているように見えた。むしろ、そうとしか見えなかった。


「ごめんなさい、あの、国長をお願いします!」

「なっ!? み、巫女様、どちらへ!?」

「ど、どうした、サエリ!?」

「逃げ遅れた人を見つけたので!」


 兵に国長を任せ、巫女は考えるよりも早く駆け出していた。






「サエリ様!? ここで何をしておられるのです!?」

「すみません、どいて!」


 悠長に説明している時間すら惜しい。

 逃げるべき方向とは逆に走る巫女を見つけ、止めようと駆け寄ってくる兵士を躱して走る。身軽な巫女装束を着た桜枝里に対し、重厚な鎧を纏った兵だ。振り切るのは、そう難しくなかった。

 観覧席と歩道を隔てる段差へ屈み込み、周囲の様子を窺う。そこで、


「ママー、ママー……!」


 逃げ遅れてしまったのだろう。泣きじゃくる小さな女の子が、無人の観覧席をトボトボと歩いているのを発見した。


「……っ」


 まだ全員が完全に避難できた訳ではなかったのだ。

 兵士たちの手が回りきらないこの状況。万が一前線が崩されれば、ここもすぐ戦場となってしまうかもしれない。

 ベルグレッテも放ってはおけないが、この子を見過ごすこともできない。皆の退避が完了するのを待ってから、などと言っておいてこの様だ。桜枝里が飛び出そうとした瞬間、


「おう、小さなお嬢ちゃん! 母ちゃんとはぐれちまったのか?」


 不精ひげを生やした小太りの男が、急ぎ足でやってきた。見覚えがある。確か、武祭に参加していた戦士の一人だ。 


「ママが……ママがいないの……。ひっぐ……、うああぁーん」

「よっしゃ、俺っちに任せろ! 韋駄天のガドガドとは俺っちのことよ! こう見えて、足の速さには自信があるんだぜ。あっという間に、母ちゃんのところまで連れていってやるからな!」


 ニッ、と不器用な笑顔を見せるその男の後ろから、


「悲しい……こんな……こんな小さな子が、母親と引き離されてしまうだなんて……それは悲しいことです。う、ううぅぶふ……」


 とんでもない美貌の青年が姿を現す。この人物は、桜枝里の記憶にもはっきりと残っていた。『打ち上げ砲火』が始まった後半戦、あのディノ・ゲイルローエンと正面から打ち合った――


「グリーフットの旦那よ、泣いてる暇があったら向こうを見てきてくれ。まだ、逃げ遅れた奴とか怪我人がいるかもしれねぇ」

「そう、ですね。この子のような者がまだいるすれば、それは……う、うぅぅ」


 涙を拭いつつ、旅装の美青年は逆側の観覧席へと向かっていく。

 よくよく見れば、この二人だけではない。他にも参加者として見覚えのある戦士たちが、こちらへと向かってくるところだった。彼ら自身、森の中での激闘を終えたばかりの身。巻いた包帯から血が滲んでいる者も多い。それでも、皆の避難に手を貸すべく動いている。


「……、」


 大丈夫。この人たちがいれば、観客たちの心配はない。自分は、ベルグレッテを追う。

 このままここにいて、彼らや他の兵に見つかって面倒なことになるのも避けたい。

 近くに誰もいないことを確認し、草履を脱ぎ捨て、足袋のまま全力で歩道を駆け抜けた。

 ほどなくして見えてくる、先ほど見かけたその背中。一見して冒険者風のその姿は、他の参加者に紛れてしまいかねない。彼女を知る自分こそが、ここで止めなければ。


「ベル子ちゃんっ!」


 呼びかければ、遥か先の少女騎士が振り返った。


「……え、サ……サエリ? どうしてここに……?」

「いやいや、こっちのセリフだってば! どこ行こうとしてるのっ」


 ようやく追いつき、肩で息をしながら問い質せば、ベルグレッテはわずか目を伏せてうつむいた。


「ベル子ちゃん、まさか……あの怨魔と……闘うつもり、だったりする?」

「…………」


 その沈黙を肯定と受け取った桜枝里は、ベルグレッテの腕を掴んだ。


「だめだよ、もう。正義感強いんだから。ベル子ちゃんが出なくても、大丈夫。兵士のみんなとかドゥエンさんたちがいれば……」

「そうじゃ……ないの」


 袖を引くも、少女騎士は根を張ったように動かない。


「……あの怨魔は……私の……」


 そうして彼女は、簡潔でありながらも丁寧に語った。プレディレッケとの因縁。そして、それを乗り越えて先へ進みたいという意志を。






「チッ……」


 自らの炎によって熱せられた空気と夏の暑気が、否応なしに汗を吹き出させる。

 天轟闘宴開始から五時間。さしもの『ペンタ』といえど、体力も集中力も大きく削られていた。


(足りねェ……)


 苛立ちが募る。

 ドゥエンからプレディレッケの足止めを頼まれたディノだったが、律義に守る気など更々なかった。

 約束を反故にしよう、という意味ではない。

 軽口を叩いたように――足止めなどといわず、倒してしまうつもりでプレディレッケへ攻勢を仕掛けていた。

 しかし――

 眼前に佇む黒鉄の怪異。傾き始めた昼神の恵みを受けてわずかに赤く染まるその怨魔は、ただの一撃として直撃を許さなかった。


(……まるで別モンだ)


 これが――この怪物、『黒鬼』本来の姿。

 巨躯の妨げとなる木々の存在しない、平坦な空間。遮るもののない戦場で振るわれる鎌の精度は、森での闘いとは比較にならないほど高まっていた。

 最大で十マイレ以上にも及ぶ射程。長距離の大鎌から近距離の槍、防御特化した盾への変形。それら、切り替えの速度すらも上がっている。

 対するディノは、肩で息をつき始めていた。

 右腕も動かなくなって久しい。無為にぶら下げている分、邪魔だとすら感じる。いっそ斬り落としてしまいたい衝動に駆られるほどだった。

 そうして今、ディノの中で初めて味わう思いが脳内を駆け巡っていた。


 自らの火力が――足りない、と。


 苦戦自体は、そう久しいものではない。初の敗北となったあの少年との死闘も、比較的最近の話といえる。

 しかしあれは、双方共に『当たれば終わる』闘いだった。

 ところが――今、この相手は。

 捌かれてしまう。届かない。倒しきることができない。

 いつしか授けられた、『獄炎双牙ディノファング』という嬉しくもない異名。その象徴たる二振りの炎の得物。この牙の前に噛み砕けない敵などおらず、事実、これによって数多の勝利を重ねてきた。


 だが――この天轟闘宴において、この牙に抗う相手が続々と現れた。

 強靭な腕甲を巻いた、あの黒髪の少年。セプティウスと呼ばれる兵装に身を包んだ、狂信者の老人。背に氷の脚を生やした、奇妙な美青年。豪風に身を包んだ、黒肌の巨人。レフェ最強と名高い、雷鳴の暗殺者。そして、眼前に佇んでいる鋼の怪物――。


(タマンねェな……)


 レインディールから出てきて正解だった、と青年は唇を舐める。ただ隣国へ来ただけで、これほど多くの強者と巡り会えた。

 さて。それはさておき――今、この局面をどうするか。

 いっそなりふり構わず……『ペンタ』らしく、全力で炎を解放してみるのも一つの手段だろう。やろうと思えば、辺り一帯を焦土と化すこともできる。

 だが、そんな真似をすれば周囲の人間を巻き込んでしまう。

 飽くまで助っ人という形で参戦している以上、依頼人を害してしまっては本末転倒だ。それでもドゥエンたちならば凌ぐだろうが、その他大勢の兵からは確実に大量の蒸し焼きが出来上がる。


(……ナルホド、実感するぜ)


 要る。

 必要なのだ。

 そんなありふれた『ペンタ』の力ではない、磨き極まった攻撃手段。己が象徴たる双炎牙を凌駕するような――洗練された、目標のみを打ち砕く力が。






「……そう、なんだ。お兄さんの……」

「ええ」


 続く言葉を言い淀めば、ベルグレッテが神妙な面持ちで頷いた。

 平和な日本で生まれ育った桜枝里としては、到底実感がわかない言葉。

 仇。

 だが、想像することは容易い。

 もし父や母、友人たちがひどい目に遭わされたなら。正気でいられる自信などない。

 桜枝里自身、ダイゴスや流護をエンロカクの脅威から遠ざけたくて、カーンダーラにすがろうなどという――今思い返してもゾッとするような行為に走ろうとしてしまったのだから。

 長年討ち果たすことを夢見ていたという家族の仇。それを前に、安易な制止の言葉などかけられるはずがない。

 それでも、


「やっぱり……でも、やばいよ、あの怨魔は……」


 上手い説得も思いつかず、ただうつむいてベルグレッテの旅装の裾を掴んでいた。彼女が行ってしまわないように。


「……正直、私も……怖いわ」


 その言葉を聞いて、桜枝里は思わず顔を上げる。

 間近でもシミや荒れひとつ見当たらない、美麗にすぎる少女騎士の顔。その表情はわずかにこわばり、薄氷色アイスブルーの瞳には怯えの色が浮かんでいた。


「それでも私は……ここで動かなきゃ、いつまでも前に進めない。そんな気がしてるの。兄さまの妹としても、騎士としても……リューゴと肩を並べて戦っていきたい、私個人としても」


 恐れ以上に、勇敢さと決意が溢れた眼差しで。


「……ベル子ちゃん、ひとつだけ確認させて。あの怨魔と刺し違えるつもりだったりとか、玉砕覚悟だったりとか……しないよね?」


 ダイゴスの死が――エンロカクへ身柄の引き渡しが確定したなら、命を絶つつもりでい自分のように。


「まさか」


 懸念に対し、少女騎士は薄笑みを浮かべてかぶりを振る。


「今言ったとおり。私が先に進むためなんだから。自己犠牲のつもりなんて、さらさらないわ。ここで無為に特攻して命を落としたりすれば、レフェにも迷惑がかかることになっちゃうし」


 溌剌とした笑顔。生真面目というか、レフェの内情にまで気を回すあたり、確かに破れかぶれではないのだろう。


「そっか。ならよし。でも……」


 となると桜枝里の脳裏に浮かぶのは、当然ともいえるその疑問だ。


「何か……作戦はあるの?」


 相手はダイゴスやドゥエン、流護やディノの猛攻を凌ぎきり、果ては兵団やタイゼーンすらも蹴散らしてみせた正真正銘の化物だ。ベルグレッテも腕の立つ騎士見習いとはいえ、あまりに相手が悪すぎる。

 そんな桜枝里の心情を察したのだろう。


「あるわ。……私には……当たりさえすれば、終わる一撃が」


 静かに。ベルグレッテは、自らの右手に視線を落として呟く。そうあってほしいと、自分自身に言い聞かせているようでもあった。


 ――それは、一振りの剣なのだという。


 その『一振り』とは。あらゆる意味で、である。

 長大な一太刀。一撃限り。行使した後は身動きを取ることすら叶わなくなる、まさしく己の全霊を注ぎ込んだ珠玉の一手。

 実直でひたむきな少女騎士らしい、その在り方を体現する秘技といえるだろう。

 水流の逆噴射によって滑空。急加速、接近し、一撃の下に斬り伏せる。ただ、それだけ。『もしも』のことなど、考えない。


「……、」


 桜枝里は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 奇策や搦め手とは縁遠い。あまりに愚直な、突っ込んでの一太刀。

 ……無謀すぎる。例えベルグレッテに死ぬ気がなかったとて、ほとんど命を投げ打つような行為だ。


「……危険は承知のうえよ。けれど……今までも、そうして戦ってきたの。私は……私たち、騎士や兵という存在は」


 日本人の少女がいくら説得したところで、誇り高い異世界の少女騎士が折れることなどないのだろう。


「……っ、ベル子ちゃん、約束して。無茶はしないって。冷静になって考えて、無理だと思ったら諦めて。……やっぱり……危なすぎるよ」


 それでも、言わずにはいられなかった。

 せっかく親しくなれたのもある。

 日本という環境で培われた感覚として、ここで見過ごした結果ベルグレッテに『何か』があったなら、自分が罪悪感に苛まれてしまうだろうという打算的な思いもあった。


「約束してくれないと……離さないから」


 ぐっ、と掴みっぱなしだった少女騎士の旅装の袖を強く握り込む。


「ん、約束する」


 観念したように。ベルグレッテは、微笑みと共に頷いた。

 同じく頷き返し、桜枝里も平然と言ってのける。


「よし。それじゃ、私も一緒に行くからね」

「え?」

「ベル子ちゃんがほんとに無茶しないか、ちゃんと見てなきゃだし」

「……もう。しょうがないわね」


 表情から、説得は無駄だと悟ったのだろう。何より、立ち話をしている時間も惜しいはずだ。


「よっし、じゃあ行こ、ベル子ちゃん! できるだけ兵士とか他の人に見つからないように――」


 そう言って駆け出した瞬間、


「サ、サエリ様!?」


 いきなり第三者の声が割って入った。

 言ったそばからどころか言い終わらないうちに、と慌てて顔を向ける桜枝里だったが、


「……あっ」


 やってくる人物の姿に思わず声を上げる。

 小柄な女性兵士だった。女性、と表現するにはいささか早いほど。少女兵士、のほうが当てはまるだろう。年齢は十四、五歳といったところか。

 他の兵たちと同じく赤鎧を纏ってはいるものの、それより小さなサイズがないのか、あまりにぶかぶかだった。どことなく、大きすぎるランドセルを背負った小学生一年生を思わせる。見た目通り重いのだろう、よたよたとした足取りでこちらへ向かってきた。桜枝里を止めるどころか、「えいっ」と押せばひっくり返って動けなくなってしまいそうだ。

 ちなみに、見知った顔である。

 巫女の部屋の前には常として女性番兵が立つが、彼女もまた幾度かその務めをこなしたことがあった。名前までは知らないが、他の女性兵士と比べても小柄な身体(おそらく一メートル五十五センチあるかないか)と童顔、弱気な性格が印象に残っており、一目見ればすぐ分かるほどには覚えていた。


「サ、サエリ様っ。ここは危険です。お逃げください……!」


 ようやく目の前までやってきて言う彼女に対し、


「ごめんなさい。私……やらなきゃいけないことがあるから」


 濁すことなく、率直に言ってみる。


「ええっ……そ、そんな……」


 他の兵ならば、何を言っているのかと強引にでも手を取るところだろう。この少女兵は、やはりというか困惑した。

 とはいえ、彼女も仕事なのだ。馬鹿正直に見逃した結果、巫女にもしものことがあったとなれば、責任を問われることになってしまうかもしれない(それは先ほど振り切った兵士に対してもいえることだったが)。


(……そうだ)


 そこで、ある考えが桜枝里の脳内に閃く。


「えっと……あなた、少し訊いてもいい?」

「え、は、はい! なんなりと!」


 巫女が少し腰を屈めて視線を合わせると、彼女は緊張したようにピンと背筋を伸ばした。


「あなたは、どんな巫術が使えるの?」

「は、はい! わたしは……前線へ立っての直接戦闘が不得手……というか、全くダメでして……。代わりに通信や増幅、治療や身体強化などといった技術で貢献させていただいています……!」


 見た目通りというべきなのか、後方支援を得意とするようだ。


「身体強化……」


 そして桜枝里は、その単語を呟く。


「あなたの場合、身体強化はどのくらいの間持続させられるの?」

「は、はい! 二分ほどになります」

「身体強化……二分かぁ……」


 ダイゴスは最長で四分ほどだそうだが、本来この術は、数十秒程度の維持が通常とされている。二分でもかなりのものだ。

 考えてもみれば、鎧を着て歩くことすらままならないただの少女に、兵の仕事が務まるはずもない。そのように突出した能力があって然るべき、といったところか。


「……サエリ。まさかあなた、それで私と一緒に闘おう、なんて思って……」

「え? いやいや、違う違う! さすがに思ってないってば。いやいや、無理無理」


 慌てて手と首を横へ振る。

 二分限定で流護に近しい能力を獲得できたところで、とてもではないがあの『黒鬼』に立ち向かえるはずもない。仮に彼と同等レベルの強さが永遠に持続したとしても、絶対に無理だ。いかに『力』があるはいえ、素手で臆すことなく突っ込んでいける流護の勇敢さは、正直筆舌に尽くしがたいものがある。一体どんな経験を積めば、あれだけの胆力が身につくのだろう。

 ……と、逸れかけた思考を引き戻し、


「私じゃなくて……ベル子ちゃんだよ」

「え……?」

「身体強化って、体内の魂心力プラルナを活性化させる術なんでしょ? なら、それでベル子ちゃんの水の大剣の持続時間が延びたり、突っ込んでいくスピードが速くなったりしないかなー、って」


 桜枝里としては巫術の仕組みなど全く分からないが、何となくそんなことができそうだと感覚的に言ってみた。


「ん……」


 するとベルグレッテは顎下に指を添えて考える素振りを見せ、少女兵士へと向き直る。


「えっと……今ほど、増幅も使える……と仰いましたよね」

「えっ? は、はい」

「そちらのほうの、持続時間や対応種別は……」

「は、はい。時間は最長で三十秒ほど。一応……全種別の増幅が可能です」


 自信なさげな少女兵の回答だったが、ベルグレッテは対照的に目を見張っていた。桜枝里には分からなかったが、その技術もまた充分なものだったのだろう。


「ベル子ちゃん。もしかして……その、増幅っていうのがあれば……」


 こくりと少女騎士は頷く。察した桜枝里も、時間が惜しいとばかりに畳みかけた。


「よし。私にはよく分かんないけど……えっと、今更だけど、あなた名前は?」

「は、はい! ユヒミエと申します!」

「じゃあユヒミエちゃん。ちょっと協力してもらえる?」

「は、はい!? なんでしょうか……!? わ、わたしなどに、いったいなにを……? そ、それにこのかたは? サエリ様のお知り合いですか……?」

「ええ、ちゃんと順を追って説明するから」


 おろおろするユヒミエを落ち着かせるように、自らを鼓舞するように。桜枝里はニッと微笑んでみせた。

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― 新着の感想 ―
読み返してて誤字を見つけたのでご報告。 逃げ遅れた女の子にガドガドが話しかけてるとこ、「お嬢ちゃん」が譲になってます。 何度読んでも天轟闘宴編の魅力が色褪せない…あとあの時のディノの人間蒸発技、ここ…
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