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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
7. 天に轟くは、闘いの宴
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246. 騎士の、騎士たる理由

 三万人の悲鳴、怒号、叫び。

 負の情念――その全てが巻き起こり、一斉に爆発した。


「っと……!」


 我先にと逃げ出した人々の波に押され、ベルグレッテは大きくよろめく。

 瞬く間に広がった恐慌は、観衆を混乱の渦へ叩き込んだ。酒を片手に武祭を楽しんでいた者などは、何が起きたのか分からないまま走り出している。


『わ、み、みなさん落ち着いて――ひゃ、危なっ』


 音声担当のシーノメアも逃げ惑う人々に押されたのか、通信を途切れさせた。


「……!」


 ベルグレッテは駆ける観衆の流れから外れ、咆哮の聞こえてきた方角を睨む。

 そう。

 聞き覚えのある、あの金属音じみた雄叫び。

 あのとき。兄がプレディレッケを食い止めると残り、皆で森を駆けたあのとき――背後から響いてきたたけり。

 全く同じだ。

 その咆哮も、今の状況も。

 逃げ惑う人々の姿が、当時の自分と重なる。


(わ、たしは――)


 兄の死を契機に、騎士を目指した。

 プレディレッケという怨魔について学び、その脅威を知り、それでも諦めきれず勝機を模索し――結果、挫折した。


(私、は)


 彼我の実力差は当然として。

 そもそも敵は、広大なレフェのどこにいるとも知れない怪物。レインディールの騎士として生きる以上、相対する機会など訪れるはずがない――と考えた部分も大きい。

 けれど。

 今、すぐそこにいる。手の届くところに。

 全ての元凶が。悲願の仇が。

 そして、


(私は――私にはっ……!)






 暑気もやや薄まってきた夕刻。

 広々とした宿の庭に、水剣と氷盾のぶつかり合う音が響く。


「っ! ……ま……参りました」


 気付けば、顔前で寸止めされた掌撃。ベルグレッテはガクリとうなだれ、負けを宣告する。


「はぁっ……、勉強になります、ゴンダーさん」

「む。こちらこそ良い経験をさせて頂いている。その若さにして、これ程のお手前……敬服するばかりだ」


 織物で汗を拭ったゴンダーが、両手を合わせて深々と頭を下げた。


「いえ……恐縮です」


 ベルグレッテもぺこりと礼を返す。


 天轟闘宴を間近に控えたある日。

 流護とゴンダーの調整に付き合うべく、少女騎士は二人との模擬戦に繰り返し臨んでいた。


(……、強い……)


 木陰のベンチに腰を下ろしつつ、ベルグレッテは胸中で悔しさを滲ませる。

 流護は当然として、ゴンダーにも一度として勝つことができない。勝負の形にはなるものの、全ての練度が違う。

 ミアが連れ去られた例の一件、レドラックファミリーとの大乱戦。

 あのときゴンダーも倒すべき敵として意識していたベルグレッテだったが、もし仮に衝突していれば、あえなく敗れ去っていたことだろう。

 ――そして。


「シャー!」


 流護は突き出された氷の小盾を躱しざま、篭手で軽く叩いて明後日の方向へと弾く。それだけでゴンダーの身体が大きく傾ぎ、


「よっと」

「ぐぶっ……!」


 脇腹へ掬い上げられた、右拳による一打。たまらず霧氷の術士は身をよじり、あっさりと崩れ落ちる。


「あ、やべ。つい流れでテンポよく思いっきり……。大丈夫っすか?」

「し、心配……無……ぶぐ、ふ……」


 しかし尻を高々と突き出したまま、ゴンダーは身体を起こせなかった。

 この屈強な傭兵ですら指一本触れられない、有海流護という少年。彼が遊撃兵となることを決意した夜、一緒に頑張っていこうと約束を交わした少女騎士だったが、双方の間には比べるのも愚かしいほどの実力差が存在している。

 比較するのが間違いなのかもしれないが、一流の騎士を目指すベルグレッテとしては、どうしても焦りを感じてしまうのだ。このまま置いていかれるのではないか。いつか、彼に愛想をつかされてしまうのではないかと。


「ゴンダーさんに限ったことじゃねえんだけど……この世界で格闘戦する人って、仕掛けた時に身体が開きがちになるんだよな。その一撃に力入れ過ぎで、バランスが悪くなってるっていうかさ。当たって倒せりゃそれでもいいんだけど……避けられたり空振ったりすると、隙だらけになっちまう」

「む。左様か……。ところで……この世界、とは?」

「あっ、いや、えーとこの近辺の人たちのことな。で、ゴンダーさんなんか盾使うし、廻し受けできるようになりゃ化けると思う」

「む。マワシ、ウケ……?」

「えーっと――」


 そうして少年は、霧氷の術士に自らの技巧を実演しながら解説する。

 少女騎士はしばし、その様子をぼうっと眺め――


「ベル子、疲れたか?」


 どれほどの時間が経過したのか。気付けば、いつの間にか正面に立った流護が見下ろしていた。


「あ、ううん……そういうわけじゃないんだけど」

「よっと」


 少年は織物で汗を拭いつつ、隣に腰掛ける。


「あれ、リューゴ。ゴンダーさんは……って、……うん……?」


 ベルグレッテは思わず眉根を寄せた。

 庭の片隅。

『廻し受け』の手ほどきを受けていたはずの霧氷の術士は、いつしか大きく腕を回す奇妙な動作で窓を磨いていた。


「……えっと、ゴンダーさんは……なにをしてるの……? 掃除? 訓練は終わったの?」

「いやあ……昔見た映画――っても分かんねえよな、劇みたいのがあんだけどさ。稽古をつけてほしがる主人公に、師匠が窓拭きとかペンキ塗りばっかり命じるシーンがあるんだよ。実はその動きが結果として受け技の練習になってたってオチなんだけど、あの人にその話したら『む、それは合理的だな』とか言って実際にやり始めちゃって……」

「ふふ。そうなんだ」


 生真面目なゴンダーらしいといえるのかもしれない。そしてそんな実直さも、彼の強さを築き上げた礎の一つなのだろう。


「……もっと……私も、強くならなきゃ」


 窓磨きに励む宿屋の倅を眺めつつ、思わず呟けば。


「なんだベル子、また真面目さんモードか。お前だって、かなりの腕前だと思うぞ」

「またそうやって……、リューゴは、私のこと悪く言わないんだからっ」


 ……正直、その心遣いは嬉しい。心が、温かくなる。

 けれど、それではダメなのだ。気を使われているようでは、肩を並べて立つことなどいつまで経ってもできはしない。


「いやいや、前にもこんな話したけど……お世辞なんか言わねぇって」

「じゃあ訊くけどっ! 仮に、私とリューゴが真剣に果たし合いをすることになったとして……あなたは、万が一にも自分が負けると思う? 私が、あなたに手傷のひとつも負わせられると思う?」

「俺とベル子がガチで正面から闘ったら……ってことか?」

「ん、がちで」


 その言葉の意味もよく知らないままなぞり、鼻息荒く頷く。やや物騒な問いかけだったが、それでも流護は真顔で思案する気配を見せた。


「訓練なら……俺は、何回やってもベル子に勝てる。現状じゃ、まず負けはねえ。けど、正面から……全力を尽くしての立会いになれば――」


 一拍、間を置いて。



「俺が負ける可能性は、ある」



「え……?」


 予期せぬ回答だった。思わず呆けてしまったベルグレッテに、流護は続ける。


「ベル子には、あの水の大剣がある。俺も今まで、色んな詠術士メイジと闘ってきたけど……ベル子のあれは、その中でも郡を抜いた火力を持ってる。あんなのが当たりゃ、俺も無事じゃ済まねえよ」

「……で、でも」


 口ごもれば、流護も察したように頷いた。


「もちろん、詠唱に五分掛かるとか……一振りしかできなくて、しかもその後は力を使い果たして動けなくなっちまうとか、実用するには課題も多いだろうけど……理論的には、ってことな。前に俺との決闘でアクアストームをブチ当てたみたいに、工夫して何とか当てられれば、俺だけじゃない。大概の相手は倒れると思う。ファーヴナールにだって致命傷与えたんだしな」


 もちろん、それはあまりに大きな危険を孕んだ手段だ。

 詠唱に五分。振るえるのはほぼ一撃のみ。その後は力を使い果たしてしまい、動けなくなる。外せば、もしくは耐えられてしまえば、間違いなく死が待っている。

 王都テロでのブランダルとの戦闘では、『吸収』されることを懸念して使うことができなかった。

 行使するには、あまりに不安定すぎるその力。

 いずれは少しでも消費する魂心力プラルナを抑えられるようにしよう、研鑽を重ねて実用に耐える術にしていこう、ということでその場の話は終わった。






「……ッ!」


 逃げ惑う怒涛の人波を前に、少女騎士は己の手を見つめる。


 騎士になったのは何のためだ。あの実用に耐えない大技を、それでも磨き続けたのは何のためだ。

 今まさに混乱の渦中へ叩き落されている、このような民たちを守るため。


 しかしそれは、『すり替わった理由』だ。

 自分には、兄の仇を討てないから。せめて兄が救ってくれたこの命で、自分のように悲しい思いをする人々が減るようにと。

 ベルグレッテは喘ぐように顔を上げ、間近に設置されている巨大な黒水鏡を睨む。


『立てる奴ァ下がって盾ェ構えぇッ! 二十マイレ以上開けろ! 無事な砲台の装填を急げ! 俺が時間を稼ぐ、何としても民の所に行かせるんじゃあねェぞォッ!』

『応オォッ!』


 左腕を切断され血まみれとなったタイゼーンが鋭く指示を飛ばせば、赤鎧の兵たちが勇猛な雄叫びを上げた。

 凄まじいまでの気迫。圧倒的な力の差を見せつけられてなお、レフェの兵たちの心は折れていない。この頼もしさを考えたなら、観衆たちがぎりぎりまで逃げなかったのも無理からぬことか。

 が、いつ突破されてしまってもおかしくない状況といえるだろう。


『戦略を練って何とか当てられれば、俺だけじゃない。大概の相手は倒れると思う』


 拳を、握る。

 昔日の英雄、ガイセリウスに憧れて編み出したその技は。いつか、仇を屠るために夢見た理想。


 ――詠唱を、開始する。


 誇りすらも打ち捨て、流護にあの怪物の討伐を託そうとした父。クレアリアが男性を嫌うようになってしまった直接の原因も、元をたどればあの怪異にあるといえるだろう。ベルグレッテ自身、未だ悪夢に苛まれることがある。

 その全てを、ここで。


「水の神、ウィーテリヴィアよ。今……我に、その恵みの片鱗を――」



 ――ねえ。やめようよ。危ないよ。



 裡から、そんな声が聞こえた気がした。

 それは先刻、脳裏をよぎったものと同じ声音だ。流護さえ無事ならどうでもいい――などと囁いた、それはきっと己の中の負の感情。

 恐怖、だろう。なんて嫌な女なのか。なんて薄っぺらい誇りなのか。仇を前にしてなお、私は逃げたがっている。震えている。強大すぎる敵を前にして。


 ねえ。流護が好意を抱いてくれてるの、知ってるでしょ? 悲しむよ。


「――れ」


 ここで死んだら、意味ないんだよ?


「黙れッ……!」


 天を仰ぎ、騎士は砕けそうなほど歯を噛み締めた。


 気遣われるような、守られるような存在でいるのはもうたくさんだ。彼が安心して背中を預けてくれるような、対等な立場の戦友として。


 ベルグレッテは絶えることのない人々の群れから外れ、流れを逆走する。

 激闘が繰り広げられている、その最前線へと向かう。

 全ての元凶を、己が手で絶つために。一人の騎士として、彼の隣に立つために。

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