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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
7. 天に轟くは、闘いの宴
242/670

242. 異常事態

 その逆三角形の小さな顔ですら、鉄みたいに硬かった。


「お、――お――――」


 俺は何を殴ったんだ、と流護は思わず怯みそうになる。


「お、あぁ――」


 しかし、臆さず振り抜く。歯を食いしばり、軋む拳の痛みに耐え、全力で突き出す。

 訪れた千載一遇の好機。この場に集った四人、互いに連携するような顔ぶれでもない。しかしそれぞれが技巧を尽くしたことで、鉄壁の怪物に生まれた隙。その瞬間を意味あるものにすべく、流護は右腕に全力を滾らせる。


「おッ……るあぁあああああぁぁっ!」


 黒い破片が宙を舞った。

 装甲じみた顔の外郭が割れ、大きな右複眼の一部が水晶のように砕け散る。


 流護の右拳が、プレディレッケの下顔を粉砕した。


 ひび割れた顎部から、黒い液体が吹き出す。その巨体がぐらつき、大きくのけ反る。鎌に押さえられていた倒木が取り落とされ、両者の間を分断する形で大地を激震させる。その轟音にも、巻き起こる砂塵にも構わず、流護は凄絶な笑みを刻む。


「終わるタマじゃねーよなぁ……!」


 倒木を飛び越えると同時、両腕でそれを掴んだ。射出され、未だ戻っていなかったプレディレッケの口吻を。腕力に任せ、全力で引っ張った。まるで綱引きのように、怨魔の顔が流護へと引き寄せられる。


「ウルアァッ!」


 傾いだ怪物の顔面に炸裂したのは、渾身の頭突き。

 細かく砕け散る、黒の破片。硬い外殻を割ったことで、流護の頭から迸る赤い鮮血。


「シィッ!」


 そして、間髪入れず放たれる三打目。

 縦に描かれる弧。地面を割るような左の踏み込み。放物線を描く右の軌道。全霊のロシアンフックがプレディレッケの顎へ炸裂し、その巨躯を大きく後退させた。

 間合いが、離れる。


(――まだだ)


 終わらない。終わるはずがない。これほどの怪物が、人間のたった三打で終わるはずがない。

 かつての、恐怖にも似た苦い記憶が脳裏をよぎる。邪竜ファーヴナールへ連打を決め、勝ちを確信した瞬間に受けた反撃。視認すらできず飛んでいった自分の腕。同じ轍は踏まない。

 さらに追撃を仕掛けるべく、流護は鋭く踏み込み――、そして、見た。


「…………――――――、ッ」


 あかい。


 渾身の拳によってわずかに砕けた、プレディレッケの大きな右複眼。その奥から覗く、煌々とした赤い光。同じくひび割れた下顎。チューブじみた口吻の根元に密集する、剣山のように鋭く乱立する牙の群れ。歪に、まるで笑むように吊り上がっている、大きく裂けた口部。得体の知れない、貌。

 電流に似た悪寒が、流護の背筋を走り抜けた。


 ――ああ、コイツは。やっぱり、ただデカいカマキリなんかじゃねえ。本物の、とんでもねえバケモンなんだ――と。


 今更すぎる思いが去来した、その刹那。


『コロシテヤル リューゴ』


 あの怪物と同じ黒い体色が、未知の異形という存在が、その言葉を脳の奥から引きずり出し――わずか、少年の身を硬直させた。


 空裂く唸りは、闇の色。

 わずかに離れた間合い、その空間を埋める一閃。考えるより速く左腕を掲げる流護。

 カァン、と突き抜ける音が木霊した。


「……――が、あ」


 その長さ、多関節ゆえの芸当だろう。のけ反った無茶な姿勢から繰り出されたプレディレッケの左鎌が、それでも流護の首筋を正確に狙い――間に割り込んだ左腕へと叩きつけられていた。

 力を滾らせ、脇を締め、強硬なファーヴナールの篭手で受けて、なお。


(――――あ、これ、折――れ……)


 自覚すると同時、流護は踏ん張りきれず吹き飛んだ。放り投げられた球のごとく、二転三転と大地を転がっていく。

 同時、赤い光線が怨魔目がけて水平に飛んだ。

 ディノの左手から迸った、あらゆるものを破壊する灼熱の火線。流護へ攻撃した後の隙――動きが止まった瞬間を狙った、精密な狙撃。


「!」


 仕掛けた『ペンタ』の紅玉めいた瞳が見開かれる。

 それは、驚くべき『技巧』だった。

 プレディレッケは迫ってきた熱線に対し、伸ばしていた左鎌の上部を下から軽く『当てた』。長い腕の上を滑るように走った焦熱の一閃は、わずかに軌道を逸らされ、そのまま斜め上後方へと飛んでいく。行く先の枝を粉砕し、炎上させ、彼方へと消えていく。


「……ッ、へェ」


 さすがのディノが目を見開く。

 躱すのでもなく、防ぐのでもなく。最小限の動作で、いなしていた。まるで、練達した武人のように。

 じっ……とディノへ赤い視線を向ける怨魔だったが、そこで唐突にくるりと背を向け、素早く森の中へ消えていく。


「オイオイオイ、んだそりゃ!? ココまできて逃げるつもりかよ!?」


 凶悪に笑むディノだったが、


「逃げる心算か、ではないよ。ディノ君」


 投げかけられたのは、やや呆れ気味なドゥエンの声。


「あー?」

「周りを見ての通りだ」


 そう言われ、周囲へ首を巡らせる超越者。


「おっと」


 そこでようやく察したようだ。

 周辺の木々が、ディノの撒き散らした炎によって派手に燃え盛っていた。一帯はもうもうとした熱気に包まれ、煙も立ち込め始めている。この場にいては、じき火と煙に巻かれてしまうだろう。


「幸い、幹の太い千年老樹が乱立している地帯だ。炎は自然とそこで食い止められるだろうが――」


 側頭部、そして肩からとめどなく流れる血を拭い、ドゥエンは怨魔が消えていった森の闇を睨む。


「奴を外へ出すのは避けたい所だな……」


 拭った血を振り捨て、ドゥエンは怪物を追おうと歩を進め――


「……む、」


 ほんのかすかではあったが、その痩躯を確かによろめかせた。


「……兄者」


 そんな矛の長兄を、弟が横からしっかりと支える。


「……ダイゴス。全く、お前は……退けと言っているだろうに」

「フ、兄者こそ。危険な相手とは闘うな……と散々ワシに教え込んだ張本人が、この有様ではの」

「耳を削がれてしまった所為かな。聞こえんな」


 そう零す長兄の口元には、わずかな笑みが浮かんでいるようにも見えた。


「くそ、死ぬかと思った……。つか、何か山火事みてーになってきてるし……」


 プレディレッケの一撃によって飛ばされた流護が、額の汗を右腕で拭いながら戻る。もはや全身が土や砂にまみれているせいで、触れた肌は余計に汚れてしまっていた。


「よォ、生きてたか。ま、オメーなら当然だな」

「……誰かさんの炎のおかげで、蒸し焼きになりそうだけどな」


 紅玉の瞳を向けてくるディノに対し、流護は目を逸らして悪態をつく。そのまま、運営委員も兼ねている男へ疑問を投げかけた。


「ドゥエン……さん。これ、天轟闘宴……どうなるんすか?」


 いるはずのない怨魔が乱入してくるという、この異常事態。簡単に排除できるならともかく、あの常軌を逸した強さだ。もはや、人間同士で競い合っている場合ではないだろう。

 ゆっくりとダイゴスを押しのけ、レフェ最強の男は毅然と受け答える。


「これまで……太古の昔から現在に至るまで、一度として天轟闘宴が中途終了となった事は御座いません。無論、続行です。あの蟲を排除し、続行となるよう手を尽くさせて頂きます」


 返事や異論を挟む余地もないまま、ドゥエンは疾風のように駆け出す。流血が帯となって尾を引くのも構わず、瞬く間に木立の合間へと消えていく。


「武祭はともかく……久々の上質な相手だ。逃がせねェな」


 凶悪な笑顔を浮かべ、炎の超人もまた後を追う。


「……」


 その背中を眺め、流護は推し量る。

 つい先ほどまで、おびただしい流血が伝っていたディノの右腕。術によるものか、今はひとまず止血がなされているようだが、おそらくあの腕は使えない。「もう抑えない」と宣言したディノは遠距離攻撃へと切り替えたが、術の発動を全て左手のみで行っていた。

 腱が傷ついたのかもしれない。右手を動かせなくなり、『獄炎双牙ディノファング』の二つ名が示す炎の柱――あの連撃を振るえなくなってしまったのだ。

 しかし、それによってより燃え上がったといわんばかりの戦意。気概まで炎のような男は、強敵との闘いを渇望して疾駆していく。


「……どうかしてるっての」


 言いつつ、流護の足も自然と彼らの後を追うように前進した。

 もはや全身傷だらけ。すり傷や切り傷にまみれ、エンロカクの風撃がかすめた脇腹は鈍く痛みを発している。つい先ほどプレディレッケの鎌を防いだ左腕は――手甲によって固定されてはいるものの、間違いなく折れていた。右腕も、これまで攻撃に防御に散々酷使してきた。もう限界が近い。しかしアーシレグナの効果なのか、痛みはさほど感じない。


「フ。帰って、泥のように眠りたい気分じゃの」


 隣を歩くダイゴスが、いつも通りの不敵な顔で言う。


「はは、意見が合いますなー。ま、でも……天轟闘宴が中止になるのは困るんだよな」


 笑って答えながら流護は駆け出した。


「そうじゃな」


 同意し、糸目の巨漢も地を蹴って進む。






『ま、間違いありません! 神聖なる「無極の庭」……その一部から、火の手が上がっているようです! ここからでも、立ち上る煙が確認できます! 燃やそうとしても燃えないと名高いこの森の木々が、どうしてそのようなことになってしまったのかっ……! 暴れ狂うエンロカク選手はどうなったのか、突如として現れた怨魔は!? もう何が何だか! ツェイリンさん、どこか映せないんですか!?』


 焦りに焦ったシーノメアの通信が快晴の空に響く。しかし黒水鏡が拾ってくる光景は、参加者の大半が脱落し誰もいなくなった森林の風景のみ。時折人影が捉えられるが、それは注意深く動く白服だった。

 先程、参加者の一人が泡を食ったように森から飛び出してきて川へ飛び込み、失格扱いとなったところだった。ひどく取り乱した様子だったが、プレディレッケと遭遇してしまい大慌てで逃げてきたらしい。

 残り人数は、あと五名にまで絞られている。今や、参加者が映ることのほうが稀だろう。この事態では、天轟闘宴の続行そのものも怪しくなってきているところだが。

 次々と場面が切り替わっていくも、森の一角から上がっている炎と煙の一部しか映し出されない。今起こっている事態に対し、あまりに正反対な――静かすぎる緑の景色のみが次々と提供された。


『……む、ここもか。少なくとも、プレディレッケを捉えることは難しいやも知れぬな。何せあの蟲め、次々と鏡を叩き割りよるからの』


 半ばふて腐れたようなツェイリンの言葉。ラデイルが同意して頷く。


『仮に兄貴や皆が「黒鬼」と交戦中なら、もうほとんど誰も映らないだろうね。近くの鏡は割られてるだろうし。誰か白服が向かえば、何か映るかもしれないけど……。ま、とにかく……ひとまず兄貴に任せて、こっちはこっちで備えるしかないさ』


 のんびりしてすらいるアケローン次兄の声が聞こえているのか否か、王族観戦席に集った『千年議会』の老人たちはまたしても喧々囂々と騒ぎ立てていた。


 ――もはや武祭は中止とし、兵士を投入すべきだ。馬鹿を言うな、古より続いてきた聖なる武祭を、我々の代で汚せるものか。そもそも、あの怪物が迷い込んだのは誰の責任なのだ。それより森が燃えているのはどういうことだ、由々しき事態だぞ。

 言い合い、衝突し合うのが趣味であるかのような老人たちを眺めながら、再び階段を上ってきたタイゼーン・バルが国長へ状況を報告する。


「観客席、前列より三十席まで。全員の退避が完了致しましたぞ」

「う、うむ」


 頷き、国長は遥か下方の観客席へ視線を落とす。タイゼーンの報告通り、最前列から数えて三十列目までの席へ座っていた観衆たち全員が、最後列付近の草原へと避難していた。その数、およそ数千人。訓練された兵ではなく、思い思いに集まった民衆たちだ。単純に後ろへ移動してもらうだけでも、かなりの時間を必要とした。

 がらんとした空席の広がる最前列では、赤鎧を着た兵士たちが揃って目の前の森を注視している。移動砲台までも持ち出して構え、プレディレッケが飛び出してくるその瞬間に備えている。兵たちの遥か背後では、観衆たちがざわつきながら遠巻きに森を見つめていた。


「兵の展開は間に合ったか。ひとまずは安心、か……?」

「奴が飛び出してきて一薙ぎしたならば、熟練した兵といえど十数人単位で両断されかねませんがな」


 タイゼーンが呵々と笑えば、国長は「やめてくれ……」と胃のあたりを押さえた。


「フフ、これは失礼。では国長、私も下で備えます。最善を尽くしますが……万一の場合は、迷わず退避を。最悪、天轟闘宴は潰れますが……致し方有りますまい」

「ふ、不吉なことを言うでない……。お主が負けることなぞ、よもや有り得んだろう?」


 弱気な顔となる国長に対し、タイゼーンは目を伏せて達観したような表情を見せる。


「私とて、生還を確約できぬ相手です。……サエリ殿」

「は、はい」


 所在なさげに立っている若い巫女を呼ぶ。


「済まんが、もしもの時は国長を頼む。……あそこで元気一杯に罵り合っとるご老体がたは、とてもアテにできんのでな」


 自身も所属している『千年議会』の集団を見やり、いたずらっぽく声を潜める。


「は、はい……」

「済まんな。其方にしてみれば、そんな義理など無いと思うやもしれんが……」

「いえ、そんな……、お任せください」


 控えめに肯定する桜枝里だが、タイゼーンの言はもっともだった。生贄とされそうになった桜枝里にしてみれば、この国や要人のために身体を張る義理などどこにもないはず。


「フ、頼むぞ。ダイゴスの故郷のためだと思って、大目に見てやってくれ。奴も、容易くくたばるようなタマではない。心配は要らんよ」


 囁けば、巫女はその顔色を朱色に染めてうつむいた。初々しい反応に、タイゼーンの表情も自然と綻ぶ。

 そうして老戦士は踵を返し、王族観戦席の階段を下り始める。羽織っていた上着を脱ぎ捨てれば、とても老人のものとは思えぬ引き締まった肉体が現れた。

 血管の浮き出たごつい腕を軽やかに繰り、通信の術式を紡ぐ。応答した相手を確認すらせず、愉しげな野太い声を響かせる。


「おう、往くぞラデイルの小僧。女子おなごと乳繰り合うのはその辺にせい」

『楽しそうだなー、タイゼーン爺。「千年氷帝せんねんひょうてい」のアンタがいれば、俺の手なんかいらないだろー?』

「それでもタマァ付いてんのか小僧。こんな時に盛り上がってこそ、男ってもんだろうがよォ」

『シワシワになったアンタよりゃ、よっぽど立派なタマとサオが付いてるよ。女性方にも大好評だ。ったく、勝てない相手とは闘うな、って兄貴がうるさいんだけどなー』


 密やかな通信のやり取りを終え、すっかり解説席に居座っていたアケローンの次男が立ち上がった。


『あ、あれ。ラデイルさん、どちらに?』


 シーノメアが怪訝そうに伊達男を見上げる。


『エライ人からのご命令でね。プレディレッケが飛び出してきた時に備えて、前の方で待機だってさ。観客の皆さーん、何かあれば指示が出ますので、それまで焦らず待機しながら観戦お願いしますよおーっと』


 とぼけた口調で言い残し、ラデイルは下衣のポケットへ手を突っ込んだまま歩いていく。


『あ……行っちゃった』

『うふふ。血は争えんのう』

『え?』


 きょとんとするシーノメア。一方のツェイリンはころころと笑いながら、どこかうっとりとした薄目でラデイルの背中を見送る。


『婦女を口説くときよりも、余程愉しげな貌をして出て行きおったぞよ』

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