241. 全身凶器
「まじか……」
流護はその存在を目にして、思わず唖然となって呟く。
話には聞いていたが、それは確かにカマキリだった。
全長は約四メートル前後。一見の印象としては、カマキリを模した金属製の像とでも例えたほうが近いかもしれない。無機的というか機械的というか、生物としての温もりが感じられない造形だった。
しかしそれは、確かに動いていた。
思い切り真正面から相対してしまったが、わずかに首を傾げて隻眼の視線を飛ばしてくる。口元に乱立した針のようなものが、ゾワゾワと細かに蠢いていた。
「アリウミ。視線を外すなよ。隙あらば、あの鎌が飛んでくるぞ」
「うへえ……」
隣のダイゴスの言を聞き、つい頬を引きつらせる。
鋭い棘の乱立した大鎌は、見た目にも分かりやすく凶悪だった。折り畳んで構えられているが、広げれば倍以上のリーチとなるだろう。その威力は言わずもがな。人間など、容易く引き裂いてしまうに違いない。
互いの距離は十メートルほど離れているものの、それでも届くのではないかと警戒してしまう。
そして何より気になるのは、
(あの、右腕……)
右の鎌、その上部に刺さった長剣。上品な意匠が施されており、刃は怨魔と同じ黒に染まっている。かなりの業物なのか、抜ける気配も折れる様子もなく屹立していた。
(なるほど。『帯剣の黒鬼』、か……)
ここへやってくるまでの道中、ダイゴスから聞いたその名を反芻する。誰が名付けたのか知らないが、よく言ったものだと流護は妙に感心した。
そしてそんな怪物を挟むように立っている、二人の男。ドゥエン・アケローンと、ディノ・ゲイルローエン。
外で解説を務めているはずの前者がどうしてここにいるのかと思ったが、この怨魔を排除するためにやってきたのかもしれない。左側頭部は血にまみれており、首筋には切創。右肩も派手に抉られてしまっている。見ているほうが顔を歪めたくなるような大ケガを負っているが、当人は至って飄々としていた。
そしてその向こう、不敵な表情で佇む炎の超越者ディノ。数時間前に対峙したときは無傷だったが、この怪物とやり合ってできたものなのか否か、今は服のそこかしこに血が滲んでいる。かすり傷程度らしく、微塵も気にかけてはいないようだ。視線が合うと、目を細めて薄ら笑いを返してきた。
苦々しいとばかりに視線を逸らし、流護はこの場で唯一人間ではない存在へと目を向ける。当の相手は顔の脇に掲げた鎌を鋏のように開閉し、無感情な視線を返してきた。じゃきん、と重く物騒な音が響く。
その身を闇色に染めた、攻撃的すぎる形状の巨大蟲。もし自分に『力』がなければ、へたり込んで失禁しているだろう――と現代日本の少年は唾を飲む。目前の異形には、それだけのおぞましさと迫力があった。
「で、このバケモンはどっから出てきたんすかね……」
そうして最終的に行き着くのは、その疑問だ。
最初から森の中にいた、という可能性はまずありえない。
当初、二百近い人数がひしめいていたこの『無極の庭』。皆が隠れ、息を潜めながら探り合っていた序盤戦。あの時点では、誰もが敵に見つからないよう慎重に行動していたのだ。こんな巨体の怪物が紛れていたなら、早々に発見されて大騒ぎとなっていただろう。それよりまず、各所へ設置された黒水鏡によって外にいる者たちが気付くのが先か。まさに今など、大騒ぎとなっている真っ最中かもしれない。
となればやはり、この招かれざる客は途中から乱入してきたのだ。おそらくはあの金属質な咆哮を上げた、あれより少し前あたりに。
だが、どのようにしてこの森へやってきたのか。
プレディレッケは背中に羽こそ備えているものの、空を飛べないという。そして、周囲には三万の観客たち。何より、ここは首都内部……いわば街の中なのだ。
咆哮を聞いてなお、絶対にありえないがはずだが――とダイゴスも道中で顔をしかめていたが、怨魔は現にこうして入り込んでしまっている。
唐突に、忽然と現れた、としか言いようがない状況――
(……忽然と……現れた……?)
そこに妙な引っ掛かりを感じた瞬間、視線を怨魔へ固定したままのドゥエンが錆びた声を上げた。
「リューゴ殿に……ダイゴス。見ての通り、少々不測の事態が発生しております。参加者である二人がこの怪物と闘り合う必要はございません。速やかに退避を」
「いや、退避たって……なんかそのカマキリ、めっちゃこっち見てるんですけど」
「フフ。この場にやってきた事で、奴の気を引いてしまったようですね。何とか初撃を凌いで頂き、離脱願います」
簡単に言ってくれる、と流護は内心で溜息を吐く。
プレディレッケは、新しくこの場へやってきた流護たち――否、流護のほうに狙いを定めている。出会い頭に目が合ってしまったのが運の尽きか。
ガッチリと構えられた二振りの凶器。隻眼から感じる視線。蛇に睨まれた蛙は、こんな気持ちになるのだろうか。言葉など通じずとも、その殺気はビリビリと伝わってきた。
黒いカマキリは一歩、その細い脚を前進させる。
同時に、ドゥエンの指示が飛んだ。
「……ダイゴス。お前は今の内に退がれ。奴から目を逸らさぬよう、背を向けずに後退しろ」
「……」
そんな兄の声に、弟は答えなかった。流護のすぐ隣に立ったまま、怨魔へ視線を向けている。長兄は感情のない声で、淡々と言葉を羅列する。
「……まさかとは思うが……エンロカク『如き』を下した程度で、思い上がっているのではあるまいな。満身創痍のお前に出来る事はない。退け」
兄には答えず、巨漢は静かな声で囁いた。
「……アリウミ。躱せるか」
「どうかな。やってみねーと、何とも」
まるでボクシングのピーカブースタイルのように、顔の前で構えられた二つの大鎌。怨魔は身体をゆっくりと左右へ揺らしながら、少しずつ流護に近づいてくる。その挙動は、どこか格闘技に似ているといえなくもない。蟷螂拳と呼ばれる武術が生まれるだけのことはある。
「まず間違いなく、左が来るはずじゃ。間合いは六マイレ程度。凌げよ」
「やってみる」
そうして、ダイゴスが兄の言いつけ通り少しずつ後退し始めた。プレディレッケはそちらへ構うことなく、ゆらゆらと流護を目指す。
(左が来る……なら、まじで格闘技みてえなもんだな)
まずは左ジャブの牽制。基本中の基本だ。……無論これが格闘技で、相手が人間なら――の話ではあるが。
流護は腕をだらりと両腕を下げ、その場で軽くステップを踏み始めた。
――直後。少しずつにじり寄っていたプレディレッケが、ピタリと動きを止めた。
互いの距離は八メートル弱程度。
ステップを踏む流護に対し、じっと無機的な視線を送ってくる。
急に動き出した獲物が逃げることを危惧しているのか。それとも。格闘技者のように、敵の動きを見定めようとしているのか。後者だとしたら厄介だ、と流護は気を引き締める。目の前の小さな人間にすら油断をしていない証左となるからだ。
「止まんなって……来いよ、ほれ」
くい、と指を起こして挑発する。通じたはずもないだろうが、プレディレッケは再びのそりと迫り始めた。
(はは、どうなってんだよ、コイツ……)
少しずつ近づいてくる怪物。木々の隙間から差し込む陽光に照らされたその姿を前にして、実感する。
まるで、鉄の塊。胴はおろか腹部、細い脚に至るまでが、ぬらりとした金属質な光沢を放っている。その体躯はどちらかといえば細身のはずだというのに、脆い印象は微塵もない。むしろ素手の打撃など当てたところで、通用するのかという懸念しか浮かばない。
となれば――
(……、届く……よな)
全長四メートルにも及ぶという巨大カマキリ。いざ相対してみれば予想以上に大きく感じるが、十メートル近くあったファーヴナールと比べたならその体長は半分以下となる。
あの邪竜との対峙では、常に打撃の届かない高みへ頭をもたげられていたこともあって、この上ない苦戦を強いられた。ようやく手が届いたと思えば、数発殴った程度では到底通じない頑強さも備えていた。
だが、
(間違いねえ。届く)
相手が近づくにつれ距離感を掴み、確信する。
プレディレッケの顔は、地上から約二メートルほどの位置にある。ダイゴスと同程度の『身長』か。
あの位置なら、拳は届く。
そして、
(見ろよ。あれなら、何とかへし折れそうじゃねーか……)
細く長い身体の先に鎮座する、逆三角形の小さな顔。見た目からして太く頑丈そうだったファーヴナールとは、比べるべくもない。
(あれなら……)
全力で叩き込むことさえできれば――
のそり、と。
一歩。プレディレッケが前進した――、直後。
細い前脚のうち一本が、驚くほどしなやかに、そして素早く。ざっ、と草の大地を踏みしめた。
「――――――」
流護はほとんど感覚で察知していた。
その一歩は、前進のための『歩み』ではない。まるで格闘技のような、一撃を放つための『踏み込み』であると。
――風が、裂けた。
途上にあるもの全てを貫くだろう、黒き剛刃の一閃。ただまっすぐ突き出された、直線の一刺。
ばっさりと切断された流護の黒髪が、風圧に散らされ飛んでゆく。
(……、…………速――ッ……!)
ほとんど横倒しの姿勢となった流護、そのすぐ脇を通過していく黒鉄の腕。射程六メートル。プレディレッケ自身よりも長く伸び突き出された、左の大鎌。来ると分かっていた、『左ジャブ』。本物のカマキリのように、獲物を捕縛するための鎌ではない。拳として、剣として――振るうための凶器。
(見え……なかっ……!)
辛うじて躱すことに成功した流護は、顔のすぐ横を走る黒鎌の光沢にゾッとした。磨き上げられた黒曜石のような輝き。わずかにでも反応が遅れていたなら、果たしてどうなっていたのだろう――
プレディレッケが一閃を放った後、わずか数秒。
その短い間に、濃密な攻防が詰め込まれることとなった。
獣は、獲物へ喰らいつく瞬間にこそ隙を晒すという。
その鉄則をなぞるがごとく、雷と炎が動いた。
右側からディノが。左側からドゥエンが。それぞれ、流護へ仕掛けたプレディレッケの隙をつき、猛然と迫る。
自らの属性を体現するかのような速度で忍び寄ったドゥエンが、プレディレッケの巨体を支える脚の一本に接触する。勢いに乗った攻撃を加えるでもなく、ぴたりと手のひらを宛がい――
「卦ッ――!」
ぱん、と衝撃が突き抜けた。怨魔の巨躯がわずかに傾ぐ。
「発勁……!?」
のけ反ったままとなっている流護の驚きが木霊する中、怨魔を挟んでドゥエンの反対側から走り込んだディノが炎を唸らせる。
「オルラァッ!」
神秘的な技巧を操るドゥエンとは対極。荒々しく、分かりやすいまでに単純で強大な暴力。赫焉たる赤い双牙が細い脚へ叩き込まれ、高らかな金属音が鳴り渡った。
左右からの挟み撃ちによる、脚部への攻撃。
流護へ仕掛けたことでわずかに前傾気味となっていたプレディレッケは前のめりとなってよろけるが、突き出した左鎌を地面に刺すことで持ちこたえた。まるで、転びそうになった人間が手をつくように。咄嗟に鎌をついた瞬間、もたげられていた逆三角形の頭部が降りてくる。
「あ」
流護は思わず声を漏らしていた。
――何とも絶妙な位置に、顔が。
考えるより速く、地を蹴った。
流護の接近に気付いたプレディレッケが、右の鎌を高らかに振り上げる。
「――――」
ギロチンのごとく叩き落とされた強撃をするりと躱し、鎌が大地を割った衝撃と風圧を背に受けながら、流護は一挙肉薄した。
完全に両の鎌の内側へと入り込み、怨魔の顔に迫る。間を阻むものはもう何もない。
「シッ――!」
鋭い呼気を吐くと同時、空手家は腰溜めに拳を構えて踏み込んだ。無感情な隻眼を向けてくる怨魔の顔へ、渾身の正拳を撃ち放つ――
よりも速く飛び出したプレディレッケの口吻が、槍さながらに流護の右肩をかすめ飛んでいった。
「……、――が――――っ……!」
直撃ではない。せいぜい薄皮を裂く程度ではあった。が、カウンターとなる形で刺突を受けた少年の身体は、回転しながら盛大に吹き飛んだ。
「アリウミッ」
身体強化を施したダイゴスが走り込み、流護を受け止める。
時を同じくして、後方でも動きがあった。
「ハハ、ちったァ効いたみてーだな。お次はケツでもブッ叩いてやろーか……よっと!」
脚への衝撃でにわかに腹這いとなったプレディレッケ。その尾部を目がけて、ディノが躊躇なく炎柱を横薙ぎする。それは凶悪にすぎる尻叩きだ。
しかし。
伝わったのは、ガン――という硬すぎる手応え。
「……あ?」
プレディレッケの尻の先。そこから飛び出た太い針が、ディノの一閃を受け止めていた。
蜂を彷彿とさせる、大きく鋭い一本の先端。それが――先ほどの口吻のように、凄まじい勢いで飛び出していた。
「お!?」
弾かれる。
急激に射出された針の威力に押され、ディノが大きくのけ反った。
「! ディノ君、退けっ」
刹那、鋭く飛んだのはドゥエンの声。
ドゥエンよりわずか遅れ、ディノも大きく飛びずさる。
おん、と大気が唸りを上げた。
それは、羽。
プレディレッケの胴体部分――その背中を丸々覆っている、飛翔機能を持たない大きな羽。幾重にも畳まれていた流線形のそれが瞬時に開き、扇状となって広がった。それもまた、どんな構造をしているのか。羽々は元の倍ほどの長さへと伸長し、プレディレッケの後方一帯を横一文字に薙ぎ払う。
「……チッ!」
赤い飛沫が宙を彩った。針に体勢を崩された分、その反応はわずかに遅れていた。
扇の斬撃がかすめ、『ペンタ』の右腕から鮮血が迸る。数瞬遅れていれば、胴ごと両断されていただろう。
「……!」
流護を支えたまま、ダイゴスは目を見張っていた。
正面から迎撃され、自らの腕の中で荒い呼吸を繰り返す、『竜滅』の勇者。
血を流し、左耳を削がれ、これまで見たことがないほどの深刻な傷を負う、強く厳格な長兄。
炎よりも鮮烈な朱色のぬめりにその身を染めた、最強と名高い灼熱の支配者。
――これだけの顔ぶれを以ってしても、崩せぬのか。
屈強な三者を当たり前のように退け、平然と構え直す『黒鬼』。
底知れない怪物を見上げて、矛の末弟は――
崩せぬ?
誰にも?
そうか。それは実に――
――たまらぬ。
「……く、ダイゴス?」
ゆるりと立ち上がった巨漢を仰ぎ、流護が怪訝そうな声を漏らす。
「ダイゴス、何をしている。退けと言った筈だ」
怪物を隔てた向こう側から、長兄の声が響く。
「そうは言うがの」
不敵な笑みと共に答え、ダイゴスは怨魔を見据える。
「此奴も、易々と見逃がしてはくれんじゃろ」
プレディレッケは、近づくダイゴスに静かな視線を注いでいた。どこか、目の前の相手を見定めるような眼。お前は何を見せてくれるのか、とでも言いたげな。
巨漢は笑う。
「なぁに、心配は無用じゃ。失望させはせんよ、蟲」
言い放ち、ダイゴスは低く腰を落とした。
左腕を前へ突き出し、右手を後ろへ引く。どこか、見えない長柄を携えているようなその構え。
「ダイ、ゴス…………それ、は……、お前は――」
兄がかすれた言葉を投げかけようとした刹那、
しゅうしゅうと、何かが吹き上がるような音が聞こえた。すぐさま、皆が出所へ目を向ける。
――それは、赤い蒸気。
ディノ・ゲイルローエンの右腕。つい先ほどプレディレッケの羽がかすめたその手から、真紅の煙が立ち上っていた。
「お、おい。お前、なんかぼっこわれたロボみたいに煙出てんぞ」
恐る恐るといった流護の指摘にも、『ペンタ』は答えない。流れ出る血流を瞬く間に蒸発させながら、肩を小さく震わせ、静かに――笑っていた。
「ク、クク……タマンねェな。こりゃ、我慢できそーにねェ」
輝く真紅の瞳が、ギョロリとプレディレッケを見据える。それだけで対象が燃えてしまうのではないかと錯覚する、焔の色。
「……もう、抑えねェぜ」
怨魔も何かを感じ取ったのか、顔をディノのほうへと巡らせて――
細い、火線だった。
指差すように、怪物へ向けられたディノの左手人差し指。その先から、細く赤い光線が放たれていた。
同時、凄まじい金属音が反響した。
プレディレッケ目がけて飛んだ、真紅の熱線。怨魔は左鎌でその一閃を受けるが、跳ね飛ばされてたららを踏んだ。火線も軌道を曲げ、あらぬ方向へ飛んでいく。
流石、というべきか。結果として一撃を凌いだプレディレッケ。
一方、明後日の方角へ走った灼熱の赤光は、近場にある巨大樹の幹を水平に通過。あっさりと断ち割った。切断面に火の粉が取りつき、ばきばきと破砕音を響かせながら傾いて――
直後、莫大な衝撃が大地を震撼させた。
「だっ……!」
耳を塞いだ流護が、思わず跳ね上がる。
倒壊した巨大樹によって、辺りは霧のような土煙に包まれた。
それだけでは終わらない。
「オラァッ!」
ディノが左腕を振ると同時に迸る、熱波と轟音。
炎の壁が屹立した。
周囲の木々に劣らず高々とそびえる、真紅の絶壁。突如として出現したそれによって、真下から炙られたプレディレッケは飛びずさり、立ち込めていた砂塵は散らされた。
同時、周囲の木立へ火の粉が降り注ぎ、次々に取りつき始める。
「これ、は……、フ、そういうことか」
それはダイゴスの声だったが、流護もドゥエンも同じく理解していた。
『もう、抑えねェぜ』
つい先ほどのディノの言葉。
何をもう抑えないというのか。これまで何を抑えていたというのか。その答えが示されていく。
周囲の木々が、枝に火を宿していく。やがて、揺らめく炎に包まれていく。
熟達した詠術士の炎ですら弾くとされる、異常発達した『無極の庭』の木々。それらを容易く紅蓮に染め上げ、超越者は哄笑を轟かせる。
「ハ――ッハハハハハ! いいねェ、やっぱ格が違ぇな、伝記に載るような怪物はよ! あっさり死ぬんじゃねェぞオイ!?」
この上ない狂喜をその顔へ張りつかせて、ディノはまたも火線を撃ち放つ。プレディレッケは機敏な動きで上体を反らし、これをすいと躱した。代わりに背後の巨木がばっさりと割け、緩やかに倒壊を始める。
「全く……詠唱の時間は稼げたがね」
呆れ気味に漏らされたのは、ドゥエンの呟きだった。
いつの間にか。熱線によって今まさに倒れようとしている木の根元へ立った矛の長は、幹に手のひらを宛がう。
「少々やりすぎだよ、ディノ君」
ばぢん、と火花が散った。下から上へ。巨大樹に、白い電光が迸る。それだけで――傾く幹の向きが、変わった。
崩壊を始めた巨木は、プレディレッケ目がけて倒れ込んだ。それは恐るべき破壊の槌となって、怨魔へと振り下ろされる。
プレディレッケの細脚に力が込められた。迫り来る倒木から逃れようとしたのだろう。
しかしその顔目がけて、鋭い白光が飛ぶ。その正体は――雷で形作られた、長柄の棍。
怪物は咄嗟に鎌で弾き、出所へ隻眼を向ける。視線の先には、「ニィ……」と不敵な笑みを見せるダイゴスの姿。
刹那の出来事ではあったが、時間稼ぎとしては充分だった。
巨大な老樹が――絶大な破砕撃が、プレディレッケを押し潰さんばかりの勢いで叩きつけられた。
耳をつんざく轟音、震撼する大地、巻き起こる烈風、散らされる砂埃。
倒壊する樹木という名の鎚。圧倒的にすぎる破壊の前に、屈強な怪物とて為す術はない――はずだった。
止めていた。
それは、振り下ろされた剣を防ぐ勇猛な騎士のごとく。
両の鎌を交差させ、怨魔は倒木を受け止めていた。
重量にしていかほどになるのだろう。石の砦ですら瓦解させそうなそれを、怪物は完全に防ぎきっていた。
そして、黒い影が滑り込む。
足が止まり、鎌を封じられた怨魔に対し、有海流護が肉薄する。
プレディレッケの独眼が、迫る流護の姿を捉えた。
砲弾じみた速度で踏み込んだ少年は、拳を腰溜めに構え――
ぼひゅん、と飛び出した。獲物を貫かんと射出される、黒い口吻。かすめたその先端が、血飛沫を撒き散らす。
踏み込んだ流護が、突き刺す一撃をギリギリで躱した流護が、溜めに溜め、握りしめた拳撃を打ち放つ。
「ヂッ――――!」
伸びた口吻の上から、被せるように。
人外の存在に対する、その技術の成立。
クロスカウンターとなる流護渾身の右拳が、プレディレッケの顔へ叩き込まれた。




