232. ダンス・マカブル
派手な攻撃術の応酬が、薄暗い林道を様々な色彩に瞬かせる。
「くっそ……! 当たりゃしねーぞ、この女……!」
「男の方の火力もやべぇ、貰ったら終わるぞ!」
「フラムギオ、俺たちにはちょいと荷が重い。あんたの逆転に賭けさせてもらうぜ……!」
「ああ」
戦場を駆け巡る四つの影と、
「ったく、さすがに楽させちゃくれねーぜ……ジュリー、平気か!?」
「ええ。問題ないわ、サベル!」
寄り添う形で疾走する二人の男女。
黒き森の合間で勃発したそんな戦闘も佳境。
四対二。
しかしその人数差があってなお、サベル・アルハーノとジュリー・ミケウスは有利に立ち回っていた。人数が減ってきた現状においての、珍しい遭遇戦。惜しむらくは、この場に黒水鏡が見当たらないことか。当人たち以外は知らない激闘、その天秤がサベルたちの勝利へ傾きかけたその直後、異変が起きた。
「ブハ、ハ、 ハ ハハハハ」
茂みを掻き分け。低い哄笑と共に、その男が現れた。
「なっ……なんだ、この野郎は!?」
敵対している四人のうち一人が、訝しげに眉根を寄せる。
その反応も無理はない。
現れた男の風体は、あまりに異様だった。
信じられないほどの巨躯は、黒と形容したくなるほどの褐色。凄まじいまでの筋肉に覆われた全身は血にまみれ、ギョロリとした目の焦点は定まっていない。そして何より――太いその首に、参加者の証たるリングが巻かれていない。
ただ。
(コイツ――)
サベルは、ある事実を直感した。
トレジャーハンターとして培った勘。それは、過酷な外の世界でここまで生き抜くことを可能としてきた確かなものだ。その感覚が、かつてない警鐘を鳴らしている。
そんな紫炎の青年の懸念などどこ吹く風、対峙していた男たちの一人が、呆れたような声でその巨人へと呼びかけた。
「おいおいアンタ、よく見りゃリングしてねえじゃねえか。随分と傷だらけだし……大丈夫か? とにかく、もう負けたんだよな? それなら、すっこんでてくれよ」
巨人が、その言葉で初めて首をこちらへと巡らせる。
その所作は、人よりも獣のそれに近しかった。
「ねえ、サベ、ル……!」
隣のジュリーも察したのだろう。
――こいつは、やばい。
「おいジュリー、油断す――」
言い終わるより速く、黒獣が残像を奔らせた。
「……ふうっ」
一呼吸と同時、有海流護は残心の動作を取った。
「……う、嘘、だろ……」
わずか離れた後方では、その光景を目撃したガドガドが驚愕の呻きを漏らしていた。
一撃。
いつも通り、と評してしまえばそれまでではあるが――
凶悪な氷の触手を喚び出したその男を、流護は右拳一撃の下に薙ぎ倒していた。マント姿の壮年詠術士は、白目を剥いて痙攣している。
術を振るわせる間も与えない。一瞬で距離を詰めての拳。
これまで数々の詠術士を倒してきた黄金パターンだが、特に神詠術で武器を象る相手には有効だった。
流護が詠術士と対峙するうえで怖さを感じるのは、相手が何をしてくるか分からないという点である。神詠術という魔法めいた神秘の力。どんな効果があるのか、自分では想像もつかないような攻撃方法があるのではないか。ほとんど何でもありのように思えるその力は、どう放たれてくるかまるで予測ができない。
しかし相手が神詠術で武器を創出したなら、それは「これで攻撃しますよ」と宣言しているに等しいのだ。
それが分かれば、対処は容易。この世界の大半の者は流護の動きに対応できないのだから、相手より先に叩き込んでしまえば基本的にはそこで終わりとなる。
ひどく物騒な得物を喚び出したこの詠術士だったが、そのセオリーから外れる相手ではなかった。
(まあ……通じねぇ奴が、この森ん中に少なくとも二人いるけどな……)
好戦的な炎の超越者と、風を操る黒肌の巨人を思い浮かべ、どっと肩が重たくなったような気がした。
「つっ、強えぇ! すげえ、すっげぇよリューゴの兄貴ィ!」
振り返ると、ガドガドが自分のことのように小躍りしながら喜んでいた。一見して悪人面の怪しい男だが、ラルッツを案じていた様子からしても、性根は心優しい人物なのだろう。
流護はポリポリと頬を掻きつつ提案する。
「まあ、とりあえず……その人、運び出した方がいいと思うけど」
「ああ……そうさせてもらうよ、すまねえ!」
そう答えたガドガドは、迷わず自分の首に巻かれているリングへと指をかける。あっ――と流護が思う間もなく、彼は首輪を引っ張ってスルリと外してしまった。
「俺っちはもういい。持って行ってくれ、リューゴの兄貴。あんた、すげぇ男だ。優しいうえに、こんな強えなんて……あんたなら、きっと優勝できるよ! ここからは、外で見届けさせてもらうからさ!」
「はは……」
差し出されたリングを受け取った。
「じゃあ、俺っちはラルッツの兄貴を運び出すよ」
「ああ……でも、大丈夫か? 遠目だとリングしてるかどうか分かりづらいし、また誰かに狙われたりとか……」
「へへ、心配無用だ。ラルッツの兄貴の心配さえなければこっちのもんよ。威張れることじゃねぇけど、逃げるのは得意なんでね。よっ……と」
ニカリと笑い、兄貴分を背負い込む。
「外まで結構遠くないか?」
「あんたぁ優しいな。こっちは大丈夫さ、俺っちには『足』があるからね。それじゃあ行くよ。リューゴの兄貴に、ラクタナの加護があらんことを!」
ラルッツを背負ったガドガドはしばらく目を閉じ、瞑想するような素振りを見せて――
「――迅雷疾駆!」
なんと人ひとりを抱えているにもかかわらず、流護の全速力も顔負けといった速度で、瞬く間に木々の合間へと消えていった。駆け出す瞬間、ガドガドの足回りに白い火花のようなものが見えていた。つまりあれも神詠術の一つ、ということなのだろう。
(便利そうな技だなあ……、)
二人の姿があっという間に消えていった林道を眺め、何の術も使えない少年は首をぱきぱきと鳴らす。
(っし……回復アイテムもなくなった。こっからはガチで……気合入れていかねえとな)
「かーっ、やっぱりおやっさんの酒は最高だねぇ! 品によって冷やし方を絶妙に変えてくる。たまらないよ」
「へっ……おだてたってマケやしねぇぞー」
グラスを磨くひげ面のバーテンは、呆れ気味ながらも口元を綻ばせた。
飯時を過ぎてしばらくということもあり、昼下がりの酒場の店内は閑散としていた。一日の中で、最も客の入りが少ない時間帯かもしれない。
が、今日に限ってはそれだけが理由ではなかった。レフェが誇る最大規模の催し、天轟闘宴――その当日である。
首都ビャクラクが比較的近いため、この小さな村からも観戦しに足を運んでいる人々は多い。基本的に店は休業となるか、もしくは現地で屋台を出すか。娯楽の少ないこの地方では、皆が一丸となって楽しめる数少ない行事の一つなのだ。
「……」
そんな数年に一度の特別な日に。ひげ面の壮年バーテンはいつもと変わらず、店を営業していた。
客の男は、比較的最近村へやってきて常連となったばかりだった。酒の絶妙な冷たさに満足しながら、一気に杯の中身を呷る。
「く~っ……たまらん! ふー……それにしてもよぉ」
氷だけが残ったグラスをカラカラと振って、彼は不思議そうに言う。
「おやっさんは天轟闘宴、見に行かねぇの? 通り掛かったら店開いてるから、驚いたよ」
「そういうおめぇさんはどうなんだ」
「そんな金があると思うかい~?」
「はっは。違いねえ」
「でもおやっさんは、おれと違って儲けてるし……今日は客の入りも悪いだろうし……何よりあんた、昔は名うての用心棒だったんだろ? 元・腕利きとしちゃ、気になったりしねえのかい? と思ってさあ」
「…………」
初見の客に見抜かれることも少なくなかった。
氷属性の巫術を扱い、絶妙な冷やし具合の酒を提供する。そんな細かな芸当も、優れた術者としての証といえる。
昔はレフェの人間らしく術に頼らない生活をしていたが、各地を点々としながら戦いに明け暮れる日々を過ごすうち、そんな考えは霧散した。
この力は『哀れみ』。神はなぜ、人にこのようなものを授けたのか。なぜ哀れんだのか。それは、弱いからだ。この力を使わねば、生きていけぬほどに。そうしてせっかく恵んでもらったなら、使わない道理などない。
今はそう開き直り、こうして生きるために活かしている。信心深い連中には何かと嫌味ったらしいことを言われたりするが、おかげ様で商売の調子も上々だ。
「そういやぁ、新参のおめぇさんには……話したこたぁなかったっけな」
遠い目で、バーテンは昔を懐かしむ。
「俺は確かに、昔……用心棒をやってた。腕前もそれなりのモノだ、と自負はあったさ」
商隊の護衛。冒険者の随伴。いけ好かない金持ちの身辺警護。数々の仕事をこなし、そのどれも成功させると共に生き延びてきた。
「まっ、『凶禍の者』なんかにゃどうしたって敵わねぇ自覚はあったが、そうじゃなきゃ何とでもなると思ってたさ」
巫術を用いた戦闘とは、結局のところ『読み合い』である。
戦況を把握し、その時々に適した術を選定する。詠術士の弱点である詠唱を素早く済ませ、いつでも放てるよう保持しておく。そこで役に立たない、通じない術を備えてしまっては意味がない。読み違えばその瞬間、敗北へ続く一本道に立たされている。
幸いにして、そうした相手を読む心理戦は得意なほうだった。同じ『普通の』人間同士なら、それほど差は生まれない――どころか、自分が優位に立てる。事実勝ち続けてきたし、仕事も極めて好調だった。
「だがよ、世の中にはいるんだよなぁ。本物の……化物ってヤツが。……もう……七、八年前になるのか――」
あれは、遥か南――ザッカバール大帝国の領地にて。カルパリエラと呼ばれる、猿に酷似した怨魔が大量発生した山間での出来事だ。その属するカテゴリーはC。似たような姿形のドラウトローより能力は数段劣るが、鋭い爪を持ち、何より群れることが危険視される怨魔である。
依頼を受け、五名でこの怪物たちの討伐に向かったのだが――
「その数が異常だったんだ。カルパリエラってのは普通、十匹もいりゃ多過ぎるほどなんだが……そこには、十七匹がいた」
「じっ、十七ぁ!?」
闘いに身を置かない者でも、その危険度を認識することは容易い。
怨魔の中では最弱とされるコブリアやアブガといった個体でさえ、民衆にしてみれば恐るべき殺戮者。
カテゴリーCが十七匹となれば、歴戦の冒険者でも二の足を踏む脅威といえた。
「それをよ……『アイツ』は、たった一人で……ものの数十秒で、片付けちまった」
――忘れられない。
あの男が放った、圧倒的な氷塊の嵐。あれはまるで、災害だった。
その威力も恐るべきものだったが、あの男には希有な才があった。
即ち、詠唱の早さ。
『凶禍の者』と常人を分け隔てる大きな要素の一つ。それを、あの男は極限まで簡略化することに成功していた。
あの吹雪と呼ぶには激しすぎる暴威を、二連。それで、さすがの怨魔たちも為す術なく全滅した。
読み合いが成立する以前の問題。
圧倒的破壊力と、速度。
「な、何者だい、そりゃあ……。『凶禍の者』かい?」
「いいや、違う。……だからこそ、さ。神に特別視されたわけでもねえ……同じ『普通の』詠術士のはずなのに、これほどまでに差があるものなのか、ってよ。俺もいい歳だったし、そこで限界を悟っちまってなあ。その仕事を最後にして、こうしてここで落ち着くことにしたってわけだ」
「ひぇー……。世の中、広いもんだなあ。高名な戦士か何かかねぇ?」
「……さて、今はどこで何してるか知らねぇが……当時は、俺と同じ用心棒だった。一回こっきりの仕事だったから、名前までは忘れちまったんだが……ま、あの腕だ。今も、第一線で活躍してんだろうな」
果たしてどこの生まれの者か。かなり珍妙な響きだったこともあって、その本名はすっかり記憶から失われてしまった。
しかし彼の異名ならば、今もはっきりと覚えている。
「……『氷天羅将』。古ラスタリッド語で、氷の鬼を意味するんだとよ」
現役を退く原因となった、その怪物。自分など凡夫にすぎないのだと思い知る要因となった、その存在。
天轟闘宴はおろか――戦いというものから遠ざかる切っ掛けとなった『鬼』の仮初めの名を、苦々しく呟いた。
荒い息をつきながら、周囲を見渡す。
――くそが。どこだ、ここは。
気付けば、見覚えのない道へと迷い込んでいた。
「く……そが、どいつ……も、こいつも……」
軋む身体を引きずり、魔闘術士の一員であるカザ・ファールネスは悪態をついた。
ひとまずジ・ファールの下へ戻ろうと考えていた実弟だったが、朦朧とする意識のまま歩を進めたためか、全く別の場所へ移動してしまっていたらしい。
「クソ……クソッ!」
消耗していく体力とは裏腹に、殺意だけが増幅していく。
「うるせぇ……うるせえぇんだよ、クソッ……!」
耳鳴りが止まない。
きん、きんと。
身体の内側から、頭の中から、金属音のようなものが反響し続けている。
苛立ちのまま、がん、と脇にそびえる木を蹴りつける。揺らぎもせず、傷もつかない巨木。己の小ささを突きつけられたようで、よけいにカザ・ファールネスは苛立ちを募らせた。
そうして木を蹴りつけたせいではないだろうが――その音に釣られたかのごとく、巨大な影が姿を現す。
「おォ? また一人見つけたぜェ」
草薮を掻き分けて現れたのは、とてつもない大男だった。丸々とむくんだ顔、はち切れんばかりの黒い礼服。細々とした傷は負っているものの、その身に纏う脂肪ゆえか、どれも深手には至っていないように見える。
「向かうとなると遠いぜェ~……。移動したりしてねェだろうなァ、あの小僧はよォ。まァ、辿り着くまでゴミはキレイに掃除していくがなァ。オイは掃除屋だからよォ」
途上に茂る枝葉をものともせずバキバキと砕きながら、大男がカザ・ファールネスへと肉薄する。
「何だァ~、この糞みてーなブタが! オレに敵うつもりか、あぁ!?」
右腕を刃と化し、カザ・ファールネスは横薙ぎの一閃を放つ。ざくん、と。文字通りの『手刀』が、大男の腹部へ叩き込まれた。
「ッ!?」
目を剥いたのは魔闘術士だった。
その一撃は、確かに決まっていた。証明するように、向かい来る大男の腹からは鮮血が迸っていた。
しかし――食い込まない。全力で振るったにもかかわらず、表面の薄皮一枚を切っただけ。
「何だァ……? それがお前の能力か? 痛ェだろォ、このツクシ野郎が」
男は無造作にカザ・ファールネスの頭を掴み、そのまま近場の木へと叩きつけた。
凄まじい音が、衝撃が耳朶を叩く。ひらひらと舞う落葉は、その膂力の強さを示していた。
(……く……、そ…………が)
ずるずると崩れ落ちるカザ・ファールネスの耳に、大男の声が届く。
「このチャヴ・ダッパーヴ様に出遭ったのが運の尽きってことだなァ。諦めて死にな」
――『氷天羅将』と呼ばれるその破壊者は、途上の全てを等しく粉砕する。




