23. メランコリックリューゴ
博士の研究棟を出て、オレンジに染まる中庭を歩く。
夕飯まで時間もあるので誰かと時間を潰したい流護だったが、ベルグレッテは明日の城へ行くための準備で忙しいらしい。ミアは友達と街へ出かけてしまっていた。
また少しトレーニングでもしようか……と思案する。
「ちょっと。そこな平民」
しかし、鍛えればいいというものでもない。オーバーワークになってしまっては、逆に筋肉が衰えてしまう可能性もある。
「ちょっと。貴方ですよ、そこな平民」
それにしても。ベルグレッテとミアがいないだけで、こうも暇になってしまうのか。ちょっと友達いなさすぎかもしれな――
「ちょっと貴方! そこの貴方ですってば!」
「ん?」
大きく聞こえた声で、流護はようやく自分が呼ばれているのだと気がついた。
顔を向ければ――学院の門前に佇む、貴族らしき少女の姿。
白を基調とした、フリフリの豪奢なドレス。髪は金髪の縦ロール。唇は少し厚ぼったく、頬にはそばかす。ベルグレッテと同じようにつり目がちな瞳をしているが、彼女と違いあまり整っておらず、高貴さは感じられない。
失礼な話だが、正直、性格の悪そうな目つきだと流護は思ってしまった。
高い身分の人間だと一目で分かるものの、ベルグレッテとは真逆の印象だ。
……うむ。ベルグレッテやミアと接してばかりいると忘れがちになるが、あの二人は相当に可愛い部類なんだな、と流護は再認識する。
「まったく。この私が呼びかけているというのに、これだから平民は」
性格の悪そう、という少年の分析はあながち間違ってはいないらしい。
そして有海流護という人間は、正義の味方でもなければフェミニストでもない。気立てのいい少年でもない。それどころか、気に食わないヤンキーを路地裏でボコっていたような人間である。
「あん? どちらさまで?」
「っ、な、なんですか! こ、この私をシリル・ディ・カルドンヌと知っての狼藉ですか!」
狼藉って。ちょっと睨んだだけだぞ。
「んで……何か用っすか?」
「くっ、こ、この学院にベルグレッテ・フィズ・ガーティルードがいるでしょう。彼女を呼んでちょうだい」
シリルと名乗ったこの少女は、ベルグレッテの知り合いらしい。貴族っぽいし、ありえないことではなさそうだが……。
「学生棟の部屋にいるぞ。勝手に入ったらいいんじゃね?」
「貴方、生徒じゃないわよね。使用人でしょう? なら、しっかり案内してちょうだい」
高慢な貴族などどうでもいいが、ベルグレッテの知人とあってはあまり蔑ろにするのもアレかもしれない。ここは大人しく連れて行くことにした。
シリルと名乗った貴族らしき少女を連れ、ベルグレッテの部屋の前にたどり着いた。ドアをノックする。
「はーい」
「流護だけど。お客さんが来たぞ」
「え? うん、ちょっと待って」
十秒もしないうちにベルグレッテが扉を開けた。ほぼ待たせないあたり、彼女の人を気遣う性格が窺える。
「おまたせ……って、あれ、シリル!? え、どうしてここに?」
ベルグレッテが目を見張る。想定していない客人だったようだ。
「お久しぶりね。ベルグレッテ」
驚く少女騎士に、シリルは薄く笑みを浮かべて答えた。
具体的に何者で何の用だか知らないが、そこは流護が気にすることではないだろう。
「んじゃな」
「うん、ありがと。リューゴ」
役目を終えた流護は、小腹も空いてきたのでもう食堂へ向かおうと踵を返し――
「――――」
否が応にも、視界に入る。
廊下の窓から差し込む、紅い陽射し。
窓越しに見える空はいつの間にか、うろこ雲が覆う不気味な姿へと変貌していた。
……やべえ。なんかさびしい。
『ザルバウムの焼肉定食』をもりもりと食べながら、流護は一人思う。
午後七時。いつもベルグレッテやミアと夕食にする時間をとうに過ぎていたが、今日は二人ともいなかった。
ミアは街へ行ったきり帰ってこないし、ベルグレッテも先ほどのシリルと一緒にいるのか、食堂に姿を現さない。
元々、日本にいたときも一人で食事をすることが多かったので問題ないはずなのだが、皆と一緒にいるのに慣れてしまうと、こうも違うものだろうか……。
「よう」
もりもりと定食を頬張る流護に声をかけてきたのは、見覚えのあるパンチパーマ。エドヴィンだった。
雑な作りの木のコップを手にした炎の少年は、特に断りを入れてくるでもなく流護の対面へと座る。
「エドヴィンは、これからメシか?」
「いんや。俺ぁもっと早く食ってるからよ。今は、たまたま一休みしにきたトコだ」
言われてみれば、夕食でエドヴィンに遭遇したことは今まで一度もなかった。
そうして湯船にでも浸かるかのようにどっかと腰を落ち着けた彼だったが、
「……お前、それ……『ザルバウムの焼肉定食』……か?」
流護の食べているメニューを見て愕然とした表情を浮かべる。
「え? そうだけど」
「…………」
『狂犬』は顔を背けてうつむいた。
「え、ちょっ」
「そっ、そーいやよ。明日、城行くんだろ? 名誉っちゃ名誉だけど堅ッ苦しいよな。ベルも交代の時期だしよ、やってらんねえよなァ」
ちょっと待てこれ、ザルバウムって一体……、ベルも交代?
「交代の時期って何だ?」
「あ? ロイヤルガードの話は聞いてんだろ? ベルとクレアの姉妹が、交代で姫様の警護やってるっていう」
「ああ」
「だからもう、クレアと交代する時期なんだよ。ベルが姫様付きになって、クレアが学院に来るよーになる」
「あ」
そこで流護はようやく思い出した。
そうだ。そんな話を以前、聞いた覚えがある。……ということは。
しばらく、ベルグレッテに会えなくなる……?
この世界へ来て、一番長く一緒にいるのは彼女だ。今まで顔を合わせない日はなかった。世話にもなりっぱなしだ。……そのベルグレッテと、会えなくなる。
「クレアはなー、性格キッツいからよぉ……アレがどうしてベルの妹なんだか理解できねー」
「どれぐらいの周期で交代してんだ?」
「あ? ワリと不定期だぜ。一週間だったり二週間だったり。んでも今回は長めだったな」
「そう、なのか……」
身体能力の劣化、ベルグレッテの交代。
何だか、いまいちテンションの上がらないことが続いている気がした。
ふと窓の外に目をやる。月明かりは全く覗いておらず、外は漆黒の闇に覆われていた。
「つき……じゃなくて、イシュ・マーニが出てないんだな、今日は」
「出てないって、んなモノみてーに。神さんもたまには休まねーとだからな、定期的に顔出したり帰ったりしてんだよ。あー、記憶喪失だから忘れてんだな?」
それは単に月の満ち欠けだ。
神の存在を信じる世界。傍若無人に見えるエドヴィンですら、やはり例外ではないのだ。
今更ながら、ここが異世界であることを強く認識した。
エドヴィンは手にした飲み物をグイッと飲み干す。同時、その手に生み出された炎によって、木のコップが瞬時に燃え尽きた。
「おー」
神詠術ならではの芸当に、流護は感嘆の声を上げる。
「へへ。ベルが見てたら『ちゃんとゴミ箱に捨てなさい』って言われんだけどよ。クレアに見られた日にゃァ……」
なぜか炎の『狂犬』は、虚ろな目で引きつった笑みを浮かべる。
そこで流護は、前から気になっていたことを尋ねてみることにした。
「そいやあさ。その自分で生み出した炎って、熱くないのか?」
「熱かったら使えねーだろ。自分の魂心力を使って出してるモンだから問題ねーよ。ただ、自分の制御を離れた火に触るとダメだけどな。例えば、俺が自分で生み出した火でローソクに火を点けた場合、ローソクの火はもうアウトだ。触っちまえばアチイ。ま、確かに火ってのは、他の属性より扱いづれーかもな」
なるほど、と流護は頷く。
「つまりあれか。火の使い手でも、火が効かない訳じゃないんだな」
「そらそうよ。火山にいるよーな怨魔じゃあるめーし」
「自分の身体はともかくとして、服とかは燃えたりしないのか?」
「ああ。詠術士ってのはみんな、自分で作った『護符』を服の内側に仕込んでんだ。俺ぁこれが正直メンドイしだりーんだけどよ……でもこれだけは、やらん訳にもいかねえ。これやらねーと、火ィ喚び出した瞬間に服が燃えちまう」
カッコつけて火を召喚した途端に炎上するエドヴィンを想像して吹きそうになった。
「だからよ、オシャレなんつって服いっぱい持ってる女子は大変みてーだぜ? ま、そういうヤツはワリと裁縫も好きだったりで、護符の手間も苦にならねーみてーだけどな」
面倒くさがりな面のある流護は、詠術士じゃなくてよかったかもしれないとしみじみ思う。
ベルグレッテも水を召喚して身に纏うように展開させたりするが、あれは服などに護符を施しているからこそできることなのだろう。
もし護符がなければ、ベルグレッテは水を召喚した途端にびしょ濡れとなってしまうはずだ。……うん。それはそれで。
「さってと……んじゃ、俺ぁ部屋に戻るぜ」
「あ、おう。お疲れ」
去っていくエドヴィンの背中を見送る。
再び、何ともいえない静寂が訪れた。
思うように動かなくなった身体。ベルグレッテの交代。言葉こそ通じるが、根本的な考え方の相違。神詠術という、この世界においては常識である能力。自分にはない能力。
(……あー、やっべ)
椅子の背もたれに身を預け、食堂のだたっ広い天井を見上げる。
このグリムクロウズに来て約二十日。
(ちょっと、ホームシックなのか……?)
翌日の昼休み。学院前に、大きな馬車が到着した。
「それじゃ行きましょうか、リューゴ」
「おう……」
いよいよ召集に応じるべく、ベルグレッテと一緒に城へ向かう。このために今日明日と、流護の仕事は休みになっていた。
ベルグレッテは、初めて会ったときの青いドレスに着替えている。流護も余計な疑念を抱かせないようにするべく、こちらの世界でベルグレッテにもらった服を着ていた。
「二人ともいってらっしゃーい!」
「……気をつけて」
見送りに来てくれたミアとレノーレが手を振る。ちなみに二人とも微妙に眠そうだ。昨日は大人数で遊びに出て、かなり帰りが遅くなったらしい。
馬車に乗り込み、二人は王都――レインディール城へと向けて出発した。
「……がっ」
思わず、揺れで舌を噛みそうになる。
今回呼んだ馬車は貴族用の特別なもので、これでも乗り心地はいいほうらしい。しかし街道に舗装などは当然されていないので、揺れに揺れながら約四時間を過ごすことになる。
先日、退院して学院へ帰る道中では、やたらと気分が悪くなったものだ。
王都レインディールまで四時間。最寄りの街ですら、二時間以上はかかる。今更だが、やはり現代日本と比較すると不便などというレベルではなかった。
「リューゴ、どうかした? ちょっと元気ないみたいだけど」
対面に座ったベルグレッテが、気遣うように声をかけてくる。
「……ああー、そうだな。慰めてくれるか?」
昨日からテンションが低いせいで注意力が低下しているのか、アホなセリフが無意識にさらっと出てしまった。
「えっ……? う、うん。わ、私にできることなら……」
もうだめだ。なんだこいつは。どうしてこう健気なんだ。昨日の貴族の変な女と大違い――
「あ。そういやさ。昨日のシリル? とかって人は何だったんだ?」
「ああ、うん。シリルはレインディール領にある騎士の家系の子なの。隣国にある別の学院を卒業しててね。昨日は学生棟の空き部屋に泊まってもらったんだけど」
「ベル子に何か用事だったのか?」
「……ん、ちょっとね」
歯切れが悪い。まあ、聞かれたくない話の一つや二つあるだろう。
確かにベルグレッテは都合の悪い話を隠したりする性分ではないが、何でもかんでも流護に話さなければいけないという訳でもないのだ。
そりゃそうだ。恋人でもないんだし。
(……って、何だよ俺は。何でこんな、モヤモヤしてんだ……)
「えっと、実はね……」
「え? い、いや。話したくないなら無理しなくていいぞ」
「んっ? だってリューゴ、聞きたいって顔してるもん」
可愛い口調に、流護は悶絶死しそうになった。のだが。
「姫様が不届き者に狙われてるかもしれない……って情報を、シリルが教えにきてくれたの」
思いがけず、穏やかでない話だった。
「え、まじかよ……って、そんな話、俺にしていいのか?」
「リューゴが聞きたそうな顔してるんだもん」
もう誰かこいつ逮捕してくれ。かわいい。
「ふふ。別に機密じゃないから大丈夫よ。……それに残念だけど、珍しいことじゃないの。いつの時代も、王族を狙う輩は後を絶たない。今夜、王都で姫さまが民との触れ合いのために露店を視察することになってるんだけど……刺客は、確実にそこを狙ってくるでしょうね」
何とも、急に物騒な話になってきた。
「大丈夫なのか?」
「ん。そのためのロイヤルガードだからね。私とクレアが、絶対に姫さまをお守りする」
「いやそうじゃなくて。ベル子は大丈夫なのかって」
「あ、うん、ありがと。大丈夫よ。こういうの、初めてじゃないから。……なーんて大げさに言ってみたけど、ほんとよくあることなのよ。姫様にちょっかいを出したいならず者が、驚かせる目的で妨害してくるの」
はあーと溜息をつきながらも、ベルグレッテは笑顔を見せた。
「そか。お疲れさんだなそれは……」
「ありがと。……んー。今度は、私から質問」
「え? な、何だよ」
「こないだ……ファーヴナールの襲撃前に、リューゴが言ったこと。『どうせもう元の世界には戻れないし』って。どういうことなの?」
「むっ……」
もう二十日も前の話である。すっかり忘れたものだと思っていた。
別に、やましいことがある訳ではない。ただこの説明をする場合、ロック博士の……岩波輝のことを話さなければならない。勝手に博士の事情を喋ってしまう訳には――
「……まあ、話したくないならいいけど」
少し拗ねたような表情で目を逸らすベルグレッテ。
うん。よく考えたら博士とか俺の情報エドヴィンに売った前科あるし、別にいんじゃね?
少年の決断はもはや神速だった。
「いや実はロック博士な。あの人、俺と同じ世界から来た人間なんだよ」
「……え、ええっ!?」
当然というべきか、さすがに驚いたようだった。
「博士がグリムクロウズに来たのが十四年前。つまり十四年間、元の世界に戻れずにここで暮らしてるってことなんだ。そんな訳で現状、戻る方法はない……って話になったんだよ」
「そっ、そう……なんだ……」
何だろうか。
ベルグレッテが、泣き笑いのような……複雑な表情を見せた。
「で、でも」
彼女は少し首を傾けて、考えるような仕草を見せる。
「じゃあ、博士も魂心力がないってこと? 十四年も、ずっと隠し続けてるのかな。それに、そんな身で神詠術の研究者になれただなんて……」
「俺らの世界の科学ってのは、住んでる俺でも信じられねえほどレベルが高いんだ。それこそ何の知識もなければ、魔法に見えるような技術が山ほどある。博士は元々、俺らの世界でも研究者やってたみたいだから、この世界でも研究職に就くのは難しくなかったろうな」
「そう、なんだ……、あ。そんな博士の事情、勝手に私に話してよかったの……?」
「んん? ベル子が聞きたいって顔してたからなー」
「むー。……ふふ。じゃあお互いさま、だね」
「はは、そうだな」
何となく二人で笑い合った。
「……でも、リューゴ。その……もう、元の世界に戻れない、だなんて……」
「ま、仕方ねえさ。……でもあれだな。元々、帰る方法を探すために学院で働いてたんだよなあ俺。まだ……あそこにいていいんかな?」
「そ、それはもちろん!」
「おわっ」
ベルグレッテが思いもよらない大声を出したので、流護はついのけ反ってしまった。
「あっ……いたら、いいんじゃない? べつに。う、うん」
「そ、そうか。……あ。ってそういやベル子、お前もう交代になるんだって? ロイヤルガードの仕事」
「あっ、うん……」
「ってことは、しばらく学院からいなくなるんだよな?」
「うん」
「……そうか。じゃあ、会えなくなるのか。寂しくなるよな――、あ」
「ぅ、……そう、だね」
思いがけず口にしてしまった流護。しかし、ベルグレッテも否定しなかった。
その頬は桜色に紅潮していて、目をそわそわと泳がせている。
これは。ベル子も。こう、悪くない感情を、俺に――
「…………」
「…………」
二人はしばし無言のまま、馬車に揺られる。
ミアのありがたみがよく分かった。いつもなら、よく分からないことを言いながら突っ込んできて空気を変えてくれる局面だ。しかし今は馬車の中に二人きり。この空気の中、四時間も過ごせというのか――?
嬉しいような恥ずかしいような、居心地がいいような悪いような雰囲気のまま、何気なく窓の外を眺めると、
「……な……?」
流護は目を疑った。
高速で流れていく外の景色。草原の中に、何か黒いモノが見えた気がした。
不吉な黒い怨魔を思い出し、すぐさま窓へ張りつく――が。
「なにリューゴ、どうかした?」
「……いや……」
気のせいだったのだろうか。
過ぎ行く緑を見渡しても、墨を落としたようなあの黒は見当たらない。
おかげでどこか薄れてしまった甘い雰囲気の余韻を噛みしめながら、流護は窓の外を眺め続けた。