228. 落ちる錆
『……二週間、だよな……』
『ああ……』
重厚な扉の覗き窓から、二人の番兵たちはそっと内部を覗き見る。
硬く狭い石牢。そこには、膝まで浸かるほどの水が張られていた。
そんな一室の壁際で、とてつもない巨躯の大男が腰を落ち着けて座っていた。
並々と満ちた水により、横たわって休むことすらままならない懲罰房だが、その巨人は意に介した風もなく堂々とくつろいでいる。小さな装飾品の通った太い唇には、余裕げな薄笑みすら浮かんでいた。
『馬鹿な……食を絶たれてもう二週間だぞ。奴め、なぜああも平然としていられる……?』
与えているのは飲み水のみ。
しかしその人知を超えたような肉体は、一向に衰える気配がない。皮膚が水に負けてふやける様子も見られない。
このまま、一年。いや、十年。延々と閉じ込めていても、同じように悠然としているのではないか。
否、それどころか。
大人しくしていることに飽いたなら、この怪物はあっさりとこの牢獄を破って飛び出してくるのではないか。そんな懸念さえ浮かんでくるような恐ろしさがあった。
『……「不死者」、か……』
その当時。懲罰房に入れられたエンロカク・スティージェの監視は、兵たちが最も嫌がる仕事の一つだった。
多量の本に囲まれた研究室の片隅にて。
『んー、分からんのう。というより、専門外じゃっ。ワシが研究するのは不可思議な事象やら現象やらであって、むさ苦しい大猿人なぞ知ったことではないわ。別嬪さんの胸の膨らみについての調査なら、そりゃもう喜んでやらせてもらうんじゃがの~』
ええい、これだから変わり者の研究職を相手にするのは嫌なんだ。
そう思いつつも、二年目の下っ端雑兵に仕事を選り好みする権利はない。
そこを何とか、カーンダーラ殿に咎められてしまいます――と頼み込めば、チモヘイ所長は一転して同情するような笑顔を向けてきた。
『ふぅむ、カーンダーラの使いじゃったか。ならば、あまり駄々を捏ねては主が路頭に迷うことになってしまうやもしれんの。ならば……どれ、「ぷりんぐ」一つで手を打とうではないか』
菓子ですか、と思わず返すと、仙人じみた老夫は眉をひそめて厳格な表情を作った。
『たかが菓子と侮るでないぞ。女子が好みし「ぷりんぐ」を理解すれば、それ即ち女子を理解する近道となろうと云うものよ』
白く立派な顎ひげを撫でながら、さも真理を語るかのように老人は首肯した。
『む、それで思い出したわ。戟の家系の、あの糞みたいな木偶の坊……アンクウってのがおるじゃろ。それこそ、エンロカクの次ぐらいに大きいあ奴じゃよ。あんの野郎、ワシが特注しておった新作氷菓、絹白雪を勝手に食べよったんじゃ! 女子の気を引くための切り札じゃったのに! 「腹が減ってしまったので……」じゃと! ふざけおって、しょっちゅう減っとるだろうがお主ャァ! わしゃあもう、悔しゅうて悔しゅうて……』
どう反応したものかと迷うところだったが、所長はすぐに表情を引き締める。
『……何の話じゃったかの。おう、ともあれ……エンロカクの特異性については、少しばかり本腰を入れて調べてみるとしよう。我々の手には余るやもしれんがな。最悪、東の「薬師」にでも尋ねてみるわい』
ご厚意感謝いたします、と頭を下げれば、チモヘイ所長は早速ながら研究者の顔となった。
『エンロカクは……断食刑にも悠々と耐えおったそうじゃのう』
奇妙な話じゃて、とレフェ随一の知識人は目を細める。
『デカイ奴ってのは、とにかく「食べる」んじゃ。そうせねば、巨体の維持は勿論、巫術の行使によって消費される巫気――今風に言やぁ、魂心力か――これの補填が儘ならなくなる。今ほど話に出したアンクウなぞ、まさにそれよ。あ奴、暇さえあれば食堂に入り浸っておるじゃろ。何せ、人の分まで食らう強欲ぶりじゃ。とはいえ、奴にしてみれば必要なことなんじゃな。その馬鹿げたほどの食事というものが』
言われてみればその通りだった。
怨魔退治を生業とする戟の家系が一人、アンクウ・ジュデッカは、毎日毎時いつものように食堂へと入り浸っている。数日も見かけないようなら、遠征任務にでも出ているのだな、とすぐに判断できるほどだ。
一方で、彼よりもさらに大きなエンロカクが、食に固執するという話は全く耳にしたことがない。人よりも多く水分を必要とする――と聞き及んだことはあるが、それだけで不可欠な栄養素を賄えるはずもないだろう。
『あのエンロカクめは……どのようにして、必要な活力を獲得しとるんじゃろうのう?』
チモヘイ所長が何気なく口にしたようなその疑問が、やけに頭の中で反響していた。
『決着、決着――っ! 一瞬の判断が明暗を分けたというべきでしょうか、ここで軍配が上がったのは――』
耳に喧しいほど鳴り渡る音声役の広域通信と、熱気を増す観客たちの声援。
いよいよ終盤に差しかかろうとしている、第八十七回・天轟闘宴。
「……」
しかしそんな熱狂的な雰囲気とは裏腹、今年十四年目となる赤鎧の熟練兵は、森の出入り口である橋の向こうを静かな眼差しで見つめていた。
「いかがなさいましたか、警備隊長殿」
隣に立つ若い兵が、怪訝そうに声をかけてくる。
「ああ、いや……」
ふと、昔のことを思い出していた。
いつしか、部下を多く従える立場になった。古参兵として、それなりの実力や見識もついてきたと自負している。だからこそ、と言うべきか。
(本当に……負けたのか? あのエンロカクが……)
今やよく知るあの怪物が脱落したなど、にわかに信じがたい。
レフェ最先端の技術とツェイリンの黒水鏡がそう判じたのだから、間違いなどありえようもない。
しかし――
(この目で実際に見ぬことには、どうにもな……)
敗れたエンロカクを運び出すために救護班が突入してから、結構な時間が過ぎている。未だ、林道の向こうから彼らの姿が見えることはない。
(……杞憂、ならばよいが)
あの巨体を運ぶために手間取っている、と考えたい。
熟練兵は、半ば祈るような気持ちで黒き森を見つめ続けた。
『ここでまたも決着ですっ! 「打ち上げ砲火」によって導かれた二人の闘い、ここに決着!』
残り人数が少なくなったことで、遭遇戦も自然と減っていた後半戦。
『打ち上げ砲火』が始まったことを皮切りに、少しずつ闘いの場面が捉えられるようになっていた。一人、また一人と確実に、残り人数が絞られていく。
『そ、その間にもこちらでは、凄まじい剣戟……と呼んでいいのでしょうか、火花――いえ、蒸気を散らし合う、至上の氷と炎!』
『うむ。後半戦に相応しき、高度な絡み合いよの。こうでなくてはな』
ツェイリンも満足そうに目を細めていた。
背中から十本にも及ぶ氷の脚を生やした、グリーフット・マルティホーク。両腕に長大な炎の柱を携えた、ディノ・ゲイルローエン。湾曲した白い脚と、火の粉散らす紅蓮の柱。その激しい交錯が、今なお繰り広げられていた。
速度と手数ではグリーフット。威力と射程ではディノ。総じて拮抗した連舞連撃が、次々と白靄を立ち上らせる。
振り下ろされた三本の鉤爪を左の炎牙一本で受け止めながら、ディノは薄く嗤う。
『いいねェ、楽しめるじゃねェか。だからよ、頼むぜ――』
ぎん、と紅玉の瞳が輝きを増す。
『簡単に終わんじゃねェぞ!?』
溢れんばかりの炎。紅蓮滾らせる右の火柱が、真横からグリーフットを薙ぎ払った。
『……、――ひ――』
蟲めいた挙動だった。
グリーフットは自らの足ではなく、背中から生えた脚で大地を蹴った。バッタのように高々と跳躍し、そのまま近場の木幹へと張りつく。氷の脚で老樹の幹を抱え、枝を掴み、五マイレほどの高みからディノを見下ろした。幹を背に、両の脚を浮かせて木からぶら下がるその姿は、どこか首吊り死体を彷彿とさせる。
『ハッ、クモかと思ったらバッタだったか? 今はセミみてーになってるが。おっと、褒めてんだぜ。そんな面白ぇ避け方したヤツは、オメーが初めてだ』
獄炎を纏う青年が見上げて笑えば、
『つ……強い……』
木にへばりついた美青年は、滝のような汗を流しながら震える声で呟く。
『か、……簡単には……勝てそうもない。いや……僕は、負けてしまうかもしれない。僕が……負ける? それ、は……悲しい。悲しいこと、です。ぃひ、いぃぃ』
跳んだ。
木から木へ。枝から枝へと跳び移り、グリーフットは空中にその身を踊らせる。背中の脚を器用に蠢かせ、次々と木立を渡り行く。猿も顔負けの身軽さだった。
『か、なし――ぃいひ――!』
そうして木々の間を縦横無尽に跳び回りながら、両手に生み出した氷弾を次々と撃ち放つ。移動を『脚』に任せているため、両手は空いているのだ。
上空から全方位に降り注ぐ氷塊の嵐。雹と称するには硬く大きい、一つ一つが砲弾ほどもある白氷の群れ。暴悪極まりない掃射が大地を穿ち、噴き上がった土砂は一瞬にしてディノの姿を覆い隠した。
『う、うわあぁ、なんですかこれー! 凄まじい氷の連弾――! ディノ選手はこれを凌げるのでしょうか!? どう見ますかドゥエンさん! ……ドゥエンさんっ?』
音声担当が顔を横向ければ、解説を務める覇者は黒水鏡を見ていなかった。その視線は遠く――皆の眼前に広がる黒い森、その出入り口となる橋のほうを注視している。
『ドゥエンさん……どうかされました?』
『……いえ』
顎の下に指を添え、男はポツリと零した。
『エンロカクを運び出してくる筈の救護班が……少々遅いな、と』
「ン~……、ったくよ。縛られて喜ぶ趣味はねえんだ」
――――あってはならないことが、起きてしまった。
「まァ、俺を封じてえなら最低でもあと五重は巻いておくべきだったな。命じたのはドゥエンか? 奴ですら、この程度で俺を拘束できると思ってた……ってぇコトかねえ。だとしたら残念を通り越して、悲しいぜ」
分厚い筋肉そのものといった腕をグルグルと回しながら、巨人――エンロカク・スティージェは何でもないことのようにそう零す。
「……、」
若き白服のロンは、信じがたい光景を前にただただ立ち尽くしていた。
『不死者』。
この男がそう呼ばれていることは、重々承知していた。
しかし。
「馬鹿……、な……」
時間にして、わずか数瞬の出来事。
その巨躯を縛りつけていた――幾重にも巻かれていた強靭な縄を、風の爆発で引き千切り。疾風のような迅さで跳ね起きると同時、すぐ脇に立っていた白服の顔面を拳にて粉砕。その勢いのまま流麗な挙動で、二人目の首を手刀で一閃。ここで敢然と飛びかかった三人目の白服の連撃を容易く捌き、その頭部を蹴り砕いた。
刹那の脱出、微風を纏った拳足による華麗なまでの惨劇。屈強な三名の命が失われるまで、五秒もかかっていない。
そうして檻から解き放たれた獣のごとく、血走った両眼で最後の一人――ロンを見下ろしてくる、黒き怪物。
「エンロカク――ッ!」
大地を踏みしめ、ロンは身構えた。構えつつ、内心で戦慄する。
この怪物が備えているという、驚異的な回復力。人知を超えた膂力。そして、圧倒的な巫術の能力。
(まさか、これ程の……!)
ダイゴスの放った技に、落ち度はなかった。完璧な練度にて、この男を打ち倒した。拘束にも、抜かりはなかった。だというのに――
今や何事もなかったかのごとく、この巨人は平然と佇んでいる。
ダイゴスがエンロカクを無力化した技。あれは間違いなく、ドゥエンの奥義にも匹敵する究極の『合わせ技』だ。
それをまともに浴びながら、一命を取り留めるどころか、すぐさま復活したこの男。おそらくドゥエンですら、ここまでの回復力は想定していない。だからこそ、脱出されてしまった。だが無理もない。何しろこれまで、エンロカクを追い込むことなど誰にもできなかったのだから。
――誰も、この怪物の限界を知らないのだから。
ただ、確信に近い事実がある。
(恐らく、こいつは……!)
痛撃を受けて意識が落ちた。そうして眠っている間に、体力が回復した。
(出鱈目にも、程があるッ……!)
とはいえ無論、万全の状態には程遠い。その巨体は生傷だらけ、肩も上下している。が、結果としてダイゴスのあの一撃すら凌ぎきったことになる。
レフェ最強の奥義に伍する術でも斃せない。まさに『不死者』。
「動くな、エンロカクッ……!」
「無駄な命令だ。お前に、その言葉を守らせる力はねえんだぜ」
漆黒の巨人はつまらなげに首を傾け、コキリと鳴らす。
ロン自身、無意味であることなど百も承知。絶望的な焦りが、言葉を吐き出させたにすぎなかった。
何はともあれ、この怪物を野放しにすることなどできはしない。
――結果論になるが。ダイゴスがこの男の意識を落としたあのとき、止めを刺してしまうべきだったのだろう。しかし白服として――天轟闘宴に携わる判定員として、そんな例外を認めることはできなかった。己の矜持が許さなかった。
さらに最悪な点が一つ。黒水鏡さえ持っていれば、ツェイリンを通してこの非常事態を伝えることができたのだ。しかしロンが所持していた鏡は、先ほどのダイゴスの一撃の余波を受けて破損してしまっている。
――ならばせめて。
「……エンロカク。白服三名の殺害……重大な違反行為だ。貴様を、ここで――粛清する」
最期まで、白服としての職務を全うするのみ。
「――呼ッ……!」
詠唱を開始する。
斃れた三名の鏡にツェイリンが接触すれば、異変を察知するかも知れない。もっとも、そう都合よく事は運ばないだろう。
それでも救護班の帰還が遅れれば、必ずドゥエンが気付く。ならば、時間を稼ぐ。とはいえ、逃げ回ることができる相手ではない。己とて白服の一人。つかず離れず、絶え間ない連撃を仕掛け続け、可能な限り長くその足を縫い止める。
目覚めたとはいえ、相当に消耗していることには違いないのだ。
「――疾ッ!」
先に攻められては不利。
ロンは懐から旋棍を取り出しながら駆け、エンロカクへと肉薄した。
(連撃で釘付けにしろ……! 間合いを維持して、封じ込め――)
鈍い音と衝撃が響く。
「……、…………!?」
肉薄した、と思った。
「が、ぼはぁっ……!」
無造作に突き出された、エンロカクの右拳が。
ロンの腹部へ、楔のように深くねじ込まれていた。
(時間……稼ぎ、すら)
ただ、無慈悲にすぎる現実を認識する。
万全な己と瀕死の敵。それでも、
――戦闘が、成立しない。
その、あまりに隔絶した体格差。武器を持ったこちらより、相手の間合いのほうが広い。そして、獣を思わせる力強さと俊敏さ。
違いすぎるのだ。基礎的な能力、そのものが。
エンロカクは――拳をまっすぐ突き出した怪物は、何の感慨もなさそうな冷めた瞳でロンを見下ろしている。圧倒的、次元違いの強者の視線。
(……ああ、)
よかった。
念の為、詠唱をしていたのが『この術』で。
「……へ、へへ。ガキの……頃から、憧れだったんだ」
血反吐と共に撒き散らされるロンの言葉を耳にして、エンロカクがようやく訝しげに眉を動かす。
「……英雄、伝記……なんか、でも、よく……ある、だろ?」
とめどなく血に染まった口元を、限界までニタリと歪めて。
「……『後は任せたぜ』、ってやつ……だよ。ダイゴスの闘いを見せられて……滾っちまったなぁ」
ロンは武器を捨て、がっちりと自らの身体へ埋まっているエンロカクの腕を掴み込んだ。
「!」
意図を察した巨人が腕を引こうとするが、
「――白服をナメんなよ、デクノボウ」
ロンの凄絶な笑みと同時。爆発音が、森の一角に木霊した。
白服とは、天轟闘宴を円滑に進めるべく奔走する裏方である。
各地から集った荒くれや腕自慢たちに規定を遵守『させる』ことも業務の一つであり、従わない者を排除することもまた同様。必然的に、戦闘力の高い精鋭で構成される。
「…………くだらねえ……」
並の参加者よりも屈強、しかしそんな白き戦士たちの返り血を浴びながら。エンロカクは、かすれた低音で呆然と呟く。
周囲には、己を護送していた白服たち四名のうちの三名が、物言わぬ屍となって転がっていた。彼らの纏う純白の装束は、鮮烈な赤に染め上げられている。
「くっ……だらねえ……」
もう一度ぼやき、近場の木に背を預けた。
四名のうち、最後の一名の姿はない。なぜなら、
「自爆、しやがっ……た」
さすがに、先の神詠術爆弾と比するようなものではない。しかし捨て身の一撃は、間違いなくエンロカクの頑強な肉体に確かな傷を刻んだ。
「ぐっ……!」
返り血と白煙を纏いながら、エンロカクは今更ながらに首筋へ手を当てる。リングはなくなっていた。それは間違いなく、一度意識を手放したことの――武祭の規定上で負けたことの証左でもある。
――身体が重い。軋む。鼻が痛え。脚が震える。俺はどうして、こんな目に遭っている?
眼前に迫る、殺意の篭った肘。
目を灼くほどに白熱した、迸る雷撃の残像。
そして後者の戦闘。あの最後の瞬間、
(……あ、の……ガキ……)
羅劫颪を放とうとした直前、飛んできた六王雷権現。そして――
まさか、あんな真似を。あんな手で、この俺を。
だが覚えた。次はねえ。
「……ク、フ、ハハハ……」
認めてやる、ダイゴス・アケローン。
お前は、俺が殺すべき『強者』だ。
懐からアーシレグナの葉を取り出す。
『調整』のためにわざと攻撃を受けていたエンロカクは当然、まだ一枚として使っていない。乱雑に掴み、三枚まとめて口の中へ放り込んだ。咀嚼しながら、ふと自らの言葉を思い起こす。
『俺も何だかんだでもう三十三。丸くなったんだぜ、これでもよ』
久方ぶりの王城へ踏み入った折、国長カイエルに対して放った言葉。
――ああ。間違いだった。
最初から、こうしておけばよかったのだ。
暴れれば。規律を踏みにじれば、あの男は出てくる。あの生真面目な狐野郎は、必ず立ちはだかってくる。
何しろ『全力で』暴れる俺を止められる可能性がある人間なんざ、奴しかいねえんだから。
幼少の頃から自覚はあった。異常、だと。
留まるところを知らぬとばかり、延々と成長を続けるこの肉体。そのくせ過剰な休息や補給活動は一切必要としない、この身体。
無論、腹は減る。喉は渇く。しかし、問題がない。生き延びるのだ。死なないのだ。生物としての摂理から外れたかのような、その在り方。
生きることを必然として課されたかのような、真たる強者。
これまでの人生と同じこと。
それを、今この場においても実行するのみ。
「フ、ハハ……ハ、ハ」
くだらない。なぜ、こんな単純なことに気付かなかったのか。
エンロカクは大きく息を吸い込み――
「――――――――――――」
発せられたのは、音の暴力とでも表現すべき衝撃。
驚いた鳥の群れが、木々から一斉に飛び立つ。沼の水面に顔を出していた何かが、慌てて潜っていく。
それは紛うことなき、生きとし生けるものを竦ませる凶獣の咆哮。
「…………フゥー……」
今もなお、残る。
鼻を、脚を蝕む不快感。
まぶたに焼きついた白雷。
疼く。『斎の刻』によって増幅された破壊欲が。全力で何もかもを蹂躙しろ、と囁きかける。高い回復力を宿した肉体と、アーシレグナによる高揚が混ざり合う。内側から溢れてくる殺意が、その身を駆り立てる。
――殺す。あいつらを殺せば、治まるはずだ。
殺す。皆殺しにすれば、アイツも出てくるはずだ。
つまり――
「ブ、ハ、ハハハハ」
簡単な話だった。それは――得意中の得意。
面倒なことなんて必要ない。
全員殺せば。何もかも、丸く収まる。
理性という名の鞘から解き放たれた忌まわしき魔剣が――規定という錆をこそぎ落とした最凶の剣が、獲物を求めて『無極の庭』を彷徨い始めた。




