227. 必然の邂逅と、凶兆
『い、いよいよ大詰めでしょうか! ドゥエンさんとしては、誰が優勝すると予想されますか!』
『そうですね……』
ふむ、と解説者兼覇者は顎下に手を添える。
かれこれ四時間以上もの長きに渡り、緊張と戦闘を強いられてきた戦士たち。程度の差こそあれ、皆が心身共に疲れを感じてきていることだろう。当然、消耗が少ない者ほど有利となる。
残った者たちの顔ぶれを考えるならば――
エンロカクと激突したダイゴスは、間違いなく限界だ。そもそも、勝利したこと自体が奇跡に等しい。
(参之操を目眩ましに、何を仕掛けたのかは知らんが……)
エンロカクに、六王雷権現は通じない。となれば、あの瞬きに紛れて何か別の一手を仕掛けたのだ。
(……馬鹿者めが)
今この瞬間に力尽きて倒れ、名前が消えたとしても驚きはしない。兄としては、救護班に命じてすぐさま森から引きずり出したい心境だった。思い出すだけで肝が冷える。
溜息と共に、思考を解説者としてのそれに切り替えた。
快進撃を続けてきた流護も、さすがに疲労の色が濃い。エンロカクやジ・ファールとの連戦で、軽視できない傷が積み重なっている。
となれば――
『そのですね! 私としてはやっぱり、ディノ選手かなあと……。かなり余力を残している印象がありますし……』
『うふふ。小娘は、よほどあの色男が気に入ったようじゃのう?』
『ち、違います! 客観的に見てですね……!』
『客観的に見るならば……現時点で最も消耗していない者が、やはり有利となります』
シーノメアの言葉を引き継ぐ形で、ドゥエンが思索した末の意見を切り出す。
『ディノ氏は確かに……バダルエ氏との戦闘以外では、まともに被弾すらしていません。ですが、あの小砲――ハンドショットで受けた傷は、決して浅くない筈』
そこで、「もし」と。
ドゥエンは仮定の言葉を前置きし、細い眼を鏡の一角へと向けた。残り三十名強、その中で当然のように輝く一つの名前を注視する。
(……もし『この男』が、未だ存分な余力を残しているならば――)
『む。一つ、捉えたぞよ。しかも、丁度これから始まるところのようじゃ』
ツェイリンの言葉と同時、鏡に映された場面が切り替わる。
林道を割いて続く、狭い獣道の途上。
堂々と佇んでいるのは、まさに今しがた話題に上がったディノ・ゲイルローエン。ドゥエンが語った通り、バダルエに撃たれた箇所――胸部や腹部にわずかな血が滲んでいる――以外、負傷した様子は見られない。端正すぎる顔立ちには、相変わらずの自信に満ちた薄笑みが浮かんでいる。
『あっ……ディノ選手です! やっぱりほとんど無傷ですね!』
何ともシーノメアの嬉しそうな声は、ほとんど恋する乙女のそれに聞こえる。
そして。
そんな炎の青年と、相対する男がいた。
すらりと背の高い、ディノに負けず劣らずの美青年。革製の軽装鎧とマントを羽織った、典型的な旅装姿。劇団の主役演者だと言われれば信じてしまいそうな美貌には、悲しみの情が浮かんでいる。その表情すら、男の眉目秀麗ぶりを際立たせているようだった。
『ほう……これはこれは。此度の武祭でも一、二を争う美男子対決じゃな。眼福なことよ。のう、小娘?』
ころころと茶化すようにツェイリンが笑うが、
『うえぇ……で、でも……』
しかしシーノメアはわずかに頬を引きつらせた。
思い出したのだろう。この悲しげな男の、これまでの闘いぶりを。整った外見からは想像もできない、あの奇妙な姿を。
『これは……ふむ。……ほぼ無傷……ですね。氏は』
ドゥエンが静かに観察した感想を述べる。
泣き出しそうな顔で、鏡の向こう側に立つその美男は口を開く。
『一つ……お尋ねしても、よろしいでしょうか……』
前々回――第八十五回、天轟闘宴。西の国の超越者、レヴィン・レイフィールドを相手取り、最後まで覇を競っていた人物。
撃墜王、グリーフット・マルティホーク。
誰が優勝するだろうかと。たった今しがた出た話題の折、ドゥエンが注視していた名前。その当人。
『貴方は……なぜ、この過酷な武祭に参加したのですか?』
『あー?』
投げかけられたのは、攻撃術ではなく言葉。問いを受け、ディノは眉をひそめる。
『故郷のため? 家族のため? それとも、あなた自身のためでしょうか? 例えばどうしようもない借金を背負っているとか、どうしても闘わねばならない事情があるとか……』
『んなコト訊いてどーすんだ。……ま、そーだな』
ポリポリと頭を掻いた赤き青年は、おもむろに人差し指を立てて右腕を掲げる。高々と。
『――このオレの最強。ソレを証明するためだ』
爛々と輝く紅い瞳。大きく吊り上がった口角。何と傲慢な宣言か。しかしあまりにも堂々とした、様になっているその姿に、観客席からも感嘆の声が漏れていた。口だけではないと思わせる、その迫力。放たれた言葉を信じさせるだけの『何か』を、この男は備えている。そう実感させる宣告だった。
しかし。
『――いけません』
対峙するその相手は、納得しなかった。ムスッと、むくれた子供のように顔を歪めて。グリーフットはディノを睨みつける。
『……何ですか、その理由は。それは……そんなのは、悲しくない』
『あー?』
『誰かのために闘う。後に引けない何かを背負って闘う。だからこそ、人は美しい。志半ばで斃れてしまえば、悲しい。なのに……そんな私利私欲のために闘うだなんて、悲しさがない。僕には納得できない』
『おかしなヤローだ。オメーが納得できるかどうかなんざ知るかっての』
『――ならば。悲しみを……この手で、創るしかないじゃないか』
直後。観客たちから、悲鳴が巻き起こった。
『打ち上げ砲火』とやらを実践し、待つこと十数分。
しかし、誰もやってくる気配がない。
どうなってんだ、結局テメーで動かなきゃなんねェのかよ――と待ちぼうけに辟易としたディノが、移動を開始してしばらく。
出会ったのが、この青年だった。
「――ならば。悲しみを……この手で、創るしかないじゃないか」
美貌の男は、涙を流しながら歯を食いしばっていた。
……何だコイツは。
呆れ気味に思うディノだったが、これだけの大人数が集った武祭。少しばかり頭のおかしい人間の一人や二人、混じっていても不思議はないだろう――
「!」
瞬間。
驚愕したのはディノだった。
消えた。
距離にして六、七マイレほどはあった。涙を流していた妙な男の姿が、掻き消えた。
(――――)
刹那、ディノは『見失う』という現象が発生する理由を考える。
あの『勇者様』のように、己の眼をもってしても捉えきれない速度で動いたか。でなければ――
予測すらしていない位置へ、回り込んだか。
「かぁ な、し、ぃ ぃひ」
結論として、後者。その声は、『真下』から聞こえた。
「――――!」
左右ではない。跳んではいない。背後へ回り込んだ訳でもない。文字通りの、真下。
仰向けとなった青年が、涙に顔を濡らしてディノを見上げていた。端正な顔を、崩壊するほどに歪めて。
完全な仰向け。しかし、寝転がっているのではない。青年の背後から、薄靄を発する無数の長い『脚』が生えていた。例えるなら――氷で形作られた、巨大なクモの脚。背中から花開くように広がったそれらが、仰向けとなった男の身体を軽々と支えていた。
「ぃ、ぎひ、いいいひ、いいびびびびひひいいぃ――ッ!」
脚の一本が、ディノ目がけて下から跳ね上がる。咄嗟に炎を現出し受け止めるが、
「! ……っ、お、ッ」
防御したディノの身体が、容易く浮き上がった。そこへ、さらに一本の脚が鞭のように唸りを上げる。敵は下にいるというのに、真横から迫り来る一撃。これも受けて凌ぐが、今度はそのまま横へ飛ばされた。
「……っとォ」
体勢を崩さず着地し、ディノは相手を見据える。
背中から、左右に五本ずつ。『へ』の字を描いているため短く感じるが、一本の長さは二マイレほどもある。計十本にも及ぶ氷の脚で支えられる青年は、ほとんどブリッジの姿勢のまま、逆さまになってディノを見つめていた。
「防ぐとは……やりますね……。しかし、残念ですが……貴方は、ここで負ける。腕……足の一本もなくしてしまえば、最強を目指すなどとは言えなくなってしまうでしょう。いや……首を落とせば、そもそも……喋ることができなくなる……? そ、それはっ、かっ、悲しい。う、うぶ……その無念は……悲しい思いは、このグリーフット・マルティホークの糧となることを、約束いたします――」
逆さまに――両目から頭部へと伝う涙。しかし、ディノから見て『下向いている』口角。
「クク、随分と歪んでんな。気の弱ぇガキが見たら泣きそうな絵ヅラだ。……ま、何でもいい」
ディノも、応えるように笑みを刻む。
「オメー、少しは楽しめそうじゃねェか。すぐ終わんじゃねェぞ?」
紅蓮の長刃を生み出した青年と、蒼白の脚を操る青年。相反する属性を宿す両者は、全く同時に地を蹴って互いへと肉薄した。
「流石に……重いな……」
白服のロン・バーテルと同救護班らは、運んでいた担架を下ろし、肩で息をついていた。
鍛え抜かれた彼らですら疲弊する、その大きな『運搬物』。担架に縛りつけられて眠る、エンロカク・スティージェという怪物。
ダイゴスが打ち勝ったという事実はあまりに信じがたいものだったが、こうして現実に倒れているのだ。
この巨人を外へ運び出し、ドゥエンらに後の対応を任せるのが現在の彼らの役目だった。
「しかし……何なのだ、この男は。あまりに……」
白服の一人がエンロカクを見下ろし、言葉を詰まらせる。
ロンとしても、その言いたいことは理解できた。
あまりに大きく、あまりに強靭。同じ人間とは思えぬほどの筋肉に包まれた、猛獣のごとき躯体。まるで――神の気まぐれか何かによって、魔獣として生まれるべき『モノ』が人の姿を授かってしまったような。
その男は現在、過剰ともいえるほどに太い縄を巻きつけられ、雁字搦めとなって拘束されている。その様相は拘束というより、もはや封印に近しいかもしれない。
「生まれたその時から立って歩いてみせた、などという噂を聞いたことがあるが」
白服の一人のそんな言を受け、別の者が追従する。
「そういえば、これも眉唾ものの話だが……エンロカクの肉体については、かのチモヘイ殿も匙を投げたらしくてな。その昔、研究部がワーガータブの医療機関に調査を依頼したことがあったらしい。何でもあの国には、とてつもなく有能な医者がいるという話でな。確か……『薬師』のソラタ・ホズミ、といったか」
「ほう、初耳だ。それで?」
「その医者の見解では、エンロカクの屈強な肉体は……何と言ったかな……確か、筋肥大……ミオス……、詳しくは忘れてしまったが……ともかくそのような、『病気』と称すべき症状の産物といえるものなのだそうだ。本当の話かどうかは知らんがな」
他の面々がほうと頷く。ロンとしても初耳だった。
噂半分程度で聞いておくべき話だろう。
外まではまだ遠い。雑談もそこそこに一行は数分の休憩を終え、再び担架を運ぼうとして――
「……!」
『運搬物』へ視線を向けたロンたちは、驚愕にその身を硬直させた。
横たえられた担架へ、強靭な縄で幾重にも縛りつけられたエンロカク。意識を失っていたはずのその大男は、両目を開いていた。ギョロリとした、血走った瞳を。
「貴、様……目覚めたのか……!」
「……おい。こりゃ、どういう状況だ」
わずかに身じろぎしようとする巨人だったが、さすがに解けはしない。用いている綱は、城を建築する際などに用いる極めて頑強なものだ。本来、生物を拘束するためのものではない。屈強な怨魔ですら脱出することはできないはずだ。
この男が万全だったなら一抹の不安も感じるが、今の消耗しきった状態ではさすがに抜け出すことなど不可能だろう。
「……どうも何もなかろう。見ての通り……貴様は、負けたのだ」
ロンの言葉を受け、拘束された魔剣はただただ目を見開く。
「俺が……負け…………?」
低く吐き出される、呆然とした呟き。歩み寄った別の白服が、ふんと鼻を鳴らした。
「ドゥエン殿と双璧を成す等と恐れられていた貴様だが……何のことはない。実際は、その弟のダイゴスにも及ばぬ程度の力量しかなかったということだ」
その発言を受け、エンロカクは血走った両眼を向ける。
「何だその目は。態度には気を付けろ、咎人め」
「よせ」
ロンが制止するも、同僚は熱っぽく言い募る。
「我々は、ここで貴様を処断してしまっても構わんのだぞ」
「……ほう」
エンロカクの太い唇が、歪に吊り上がる。
そして低く。ただ低く、その声が発せられた。
「試してみるか?」




