226. 後半戦の狼煙
『つまり……エンロカク選手は、わざと攻撃を受け続けていたことが災いした、というところでしょうか?』
『ええ。氏は、自らの回復力を過信しすぎたのでしょう』
解説席に座るドゥエンは、何食わぬ顔でさらりとそう結論する。
『裏の事情』を話す訳にもいかない。シーノメアが提起したエンロカク・スティージェの敗因について、無難にまとめ終えたところだった。
『なるほどー、ありがとうございましたっ』
ふむ、とドゥエンはシーノメアの横顔を眺める。
優れた通信術の使い手であり、ツェイリンの遠縁であるということで抜擢された、武祭のことなどろくに知らぬ素人娘。しかし、つい先ほどエンロカクが敗北した際に混乱した場をまとめた手腕は見事だったうえ、質問も鋭くなってきている。
『……? どうかしましたか、ドゥエンさん?』
『いえ。そろそろ後半戦ですが、最後まで宜しくお願いします』
『えっ!? は、はい、こちらこそっ』
慌てたように、音声担当の乙女は頭を下げるのだった。
『何を今更になって珍妙なやり取りをしとる。――ほれ、始まったぞ』
ツェイリンの言葉に二人が顔を向ければ、森の片隅から狼煙のようなものが空高く立ち上っていくところだった。
『あれは……あっ、もしかして!』
『ええ。「打ち上げ砲火」です』
他の参加者と遭遇せず、痺れを切らしたのか。はたまた、経過時間から頃合いと判断したのか。
高々と己の居場所を告げる、巫術の合図。
残り人数、四十名弱。ここからは生き残りたちが素早く出会い、素早く消えていく。最終戦まで――決着まで、もはやそう遠くない。
常連客も分かっているのだろう、観覧席の一部からは喝采が上がっていた。
この合図を皮切りに。
一癖も二癖もある生き残りの戦士たちが、それぞれ後半戦を意識して動き始める。
「あ……兄貴ィ! あれ見てくれよ、兄貴ィ!」
「何だガドガド、でかい声出すんじゃねぇ。誰かに見つかったらどうする……おっ!?」
へっぴり腰で木陰に身を潜めながら。
弟分のガドガド・ケラスを窘めようとしたラルッツ・バッフェは、しかしその舎弟が指差す先へ目を向けて、同じように驚きの声を上げていた。
空を覆うほどにひしめく樹林、その隙間から見え隠れする――神詠術の輝き。
高々と打ち上げられた一発に続き、張り合うかのごとく様々な色合いが空に軌跡を描いていく。どこまでも伸びるまっすぐな火線、低空で花開くように弾ける雷撃……等々、その属性や形も多種多様だ。
「始まりやがったな、『打ち上げ砲火』……!」
ラルッツは歯を剥き出して、己を鼓舞するように笑った。
人数の減った後半戦、他の参加者と遭遇しづらくなってくる状況を打開するための暗黙の了解。
敵の居場所が判明するのはもちろんのこと、武祭の終盤が近づいていることを示す合図でもある。
「や、や、やりましたぜぇ兄貴ィ! 俺たち、ここまで生き残れましたぜ!」
「落ち着け、ガドガド。喜ぶのはまだ早ぇぞ……!」
興奮しきりな弟分を諌めながら、しかしラルッツも内心で高揚していた。
二人は前々回の天轟闘宴にも出場、ラルッツが敢闘賞を獲得している。が、この『打ち上げ砲火』が始まるまで生き残ることはできなかった。
色とりどりの光条が輝く空。前回は医療キャンプから眺める羽目になったその光景を仰ぎ見て、確かな進歩を実感する。
「よーし……そんじゃあ――」
今回、ついに傍観者ではなく当事者となった二人は、待ちに待った『打ち上げ砲火』を――――上げない。
「今まで以上に慎重にいくぞ、ガドガド。とにかく隠れて、とことん息を潜めろ……!」
「お、おうよ! 分かってますぜ、兄貴ィ!」
「バカ野郎、言ってるそばからでかい声を出すなってんだ……!」
「す、すまねぇ兄貴ィ」
『打ち上げ砲火』など、上げるつもりはない。上げる訳がない。
二人は元山賊である。荒事に自信がない訳ではない。
だが現時点で周りにいるのは、この後半戦まで残るような連中。一筋縄ではいかない戦闘の専門家ばかり。まともに当たれば玉砕するのは目に見えている。
「この近くからも……おっ、一本、二本……上がるねぇ~、ありゃ水と風か。危ねぇ危ねぇ、思ったより近くにいやがるな。よし、離れるぞ」
強敵がわざわざ自分の居場所を知らせてくれるのだから、二人はそこへは近づかない。
逃げ回っていれば、猛者同士が勝手に出会い、勝手に潰し合ってくれる。そして――
(このまま、上手くいけばよ……)
最後の一人が残ったその時、ラルッツたちは二人がかりで闘うことができる。相手が砲火を上げるなら、所在を把握して不意打ちを仕掛けることも可能だ。
そうなれば、最後の相手がいかに化物であっても――
(お、俺達が……優勝……、なんてな、はっ)
さすがにそこまで楽観している訳ではない。山賊として生きてきた経験から、現実というものの過酷さは人並み以上に理解しているつもりだ。
だが、そんな落ちこぼれでも……どうしようもない人間でも、桁外れの功績や金が手に届くかもしれないところまでやってきた。
(みっともねぇのは百も承知だ。見てる客だって盛り上がらねぇだろうよ)
それでも、万に一つでも自分たちが栄光の座に就くことがあるのなら――これ以外の方法はない。
今、またとない絶好の機会が訪れている。
「落ち着け……落ち着いて動くぜ」
「お、おうよ」
ラルッツとしては自分に言い聞かせる言葉だったが、ガドガドが律義に反応する。二人共に、声が震えていた。
(とにかく、打ち上げを見落とすな。しっかり確認しながら、敵の居場所を把握して動け……。そうすれば、ヤバイ奴と遭遇することはまずありえねぇ)
――慎重に行動を開始する二人だったが、まだ気付いていなかった。
すでに一つ、重大な思い違いをしていることに。
彼らは凄惨なまでの鮮血をもって、その過ちを知ることになる。
「このアマが、チョコマカと……!」
黒いマントの裾をはためかせ、獲物を追い立てる。
「ほらほら、こっちよーん」
しかし、触れられない。
美しい金髪をたなびかせる女ひとりに、己の術が何ひとつ届かない。
「クソがっ、俺は魔闘術士だぞ……ッ! てめーみてェなメスガキに……ッ」
相手は、歳の頃二十ほどの若い女だった。白い肌と金色に輝く波打つ長髪、彫りの深い顔立ちが特徴的な美しい女。旅装の上からでも分かる胸の膨らみと細い腰つき、レザースカートから覗くほどよい肉づきの脚が情欲を誘う。
恰好の餌食だ、とほくそ笑んだ。
幸運、とでもいうべき遭遇。
ここしばらく女も抱けていない。何日か前の路地裏で同じような金髪の女を食えそうだったのだが、あと一歩のところで衛兵に阻まれた。金も底をついたため、娼館に通うこともできていない。そうでなくとも、レフェの女は地味な風体の者ばかりで、あまり食指が動かなかった。自分は他の猿みたいな連中とは違う。女にはうるさいのだ。
ともあれ、あの派手な露出の金髪女に勝るとも劣らない上玉。
何を思い上がってこんな武祭に参加したのか。それこそあの女と同じ愚行。三万人が見ているというこの晴れ舞台で、その浅はかな考えを後悔するよう存分に辱めてやる――と躍りかかったまではよかったが、
(当たら……ねぇッ)
まるで蝶。
上等兵であるバルバドルフには及ばないものの、幾多の敵を仕留めてきた己の水撃の乱舞が――かすりもしない。
ひらり、ひらりと。まるで精霊のごとき足捌きで、その全てが躱される。
「やだわぁ、必死になっちゃって……。また死に物狂いになったその顔が、気持ち悪いくらいブッサイクなんだけど。陸に上がってパクパクしてる魚みたいでダサっ」
「ぬかせ、クソ女がッ!」
細く鋭い水流がいかなる軌跡を描こうとも、相手にかすりもしない。嗜虐心をそそる女の香りが鼻孔をくすぐるほどの至近。だというのに、腕も水もひたすらに空を切る。たなびく黄金の毛髪、その一本にすら触れられない。
「一発当たりゃ、テメーなんざ……!」
「なんでそんな必死になって、あたしに水をひっかけようとするワケ……? ……あっ、もしかしてその水、精水でできてるとか!? ヤダ最悪、きったない! そういう趣味!? 変態だわ、誰か助けて~ん」
「――――」
神詠術とは、この上ない自身の誇りである。傍若無人な魔闘術士とて、例外ではない。女の言は、最大級の侮辱と挑発に他ならなかった。
「――ッ、のクソアマがッッ……がば!?」
殺意をもって踏み込もうとした瞬間、男の視界が反転した。二転三転と天地が回り、全身にざらついた土の感触がまとわりつく。
横合いからの飛び道具を頭に受けて吹き飛ばされた――と魔闘術士が理解したのは、それから実に数秒後の話。
「おい、てめぇ。人様の女に、ナニをブッ掛けようとしてるだとォ……?」
若い男の声だった。
細い木立を掻き分けて現れたのは、二十歳代前半と思しき細身の青年。これといった特徴のない、黒の旅装姿。短く逆立った短髪がこざっぱりとした、精悍な顔立ちの美男だった。
「きゃああぁ! サベル、きてくれたの!?」
「当ったり前だろジュリー。俺の女が変態に襲われてるとあっちゃ、いつまでも遊んじゃいられねぇさ……!」
そして魔闘術士の男は、地を這いながら目撃した。
「……!」
サベルと呼ばれた男が歩いてきたその向こう側。
遥か遠く――獣道を隔てた疎らな草薮の隙間から、いくつもの足が横たわっている光景を。
「スマンな、ジュリー。少しでもお前の負担を減らしたくて、俺が敵を受け持ったのに……休ませてるはずのお前が、まさかこんな変態黒マントに襲われちまうだなんて」
「ううん、いいのサベル。こうして颯爽と助けにきてくれたんだもの! カッコいい! やっぱりあなたは、あたしの勇者様だわっ」
「よせよ、照れるだろ……」
(この、ガキどもが……ふざけ、やがって……)
二人組みだったのか、と魔闘術士は歯を食いしばった。
それでいて、双方共に恐ろしく腕が立つ。同時に正面から相手取ったなら、まず勝ち目はない。
――隙をついて、確実に。その喉笛を、掻き切ってやる。
うつ伏せに倒れたまま、魔闘術士の男は集中力を高めていく。
「さぁて……ジュリー、ちょっと下がっててくれな」
ここでようやく、サベルは這いつくばる相手へと視線を移した。
「寝たフリしてんじゃないぜ、変態魚野郎。リングが外れてねーんだ、大して効いちゃいないだろ。立てよ」
(チッ、そうか……クソッ)
凶人はそこで初めて気付き、舌を打つ。原則として、戦闘不能にならない限り解けないという首のリング。その仕様上、死んだふりは通用しないのだ。
(面倒臭ぇ……にしてもこの小僧、炎使いか)
つい今ほど頭部に受けた一撃。負った傷の熱さと、焦げた髪の臭いが、敵の属性を雄弁に語っている。
「立つつもりがねーならそれでもいいぜ、黒マント野郎。この位置からトドメを刺すだけだ」
刹那、静寂が場を支配した。
双方の距離は五マイレ強ほど。うつ伏せの魔闘術士と、見下ろすサベル。
さざめく森の緑だけが、かすかな葉擦れの音を発し――
動いたのは魔闘術士。
「死ねッ――!」
跳ね起きると同時、投げ槍のような直線の水閃を撃ち出す。
その狙いは、サベル――ではない。
「きゃっ……!?」
庇われて後方へ下がった、ジュリーのほうだった。
「! 野郎ッ――!」
自分に来る、と決めつけていたサベルは対応できない。そして炎とは、苛烈な攻撃を得手とする属性。他者を守ることには秀でていない。
迸った白銀の光条はサベルを無視し、一直線にジュリーの眉間へと迫り――
「ひゃんっ」
その女が首を傾ける動作のみで、渾身の一撃は呆気なく躱された。なびいた服の裾や毛髪一本すら、かすめることなく。
水撃は背後の枝葉を勢いよく弾き散らしながら、遥か彼方へと消えていった。
それはまるで。ひらり、と指の隙間をすり抜ける蝶――
「な、に……?」
速度、タイミング共に申し分なし。必殺を期した一閃。それを。
「やだもー、びっくりしたー!」
児戯のようにいなした女の感想は、ただそれだけだった。
そして、
「オイ……怪人黒マントよう……」
番いの男が、低く怒りの声を震わせる。
「男と男の一騎打ち……次の交錯、その一瞬で勝負が決まる……。そんな燃える場面だと思ってたんだがよォ、俺の思い違いか?」
サベルの全身から、薄靄が立ち上った。炎使い特有ともいえる、焦熱の発現を示すその変化。しかし、異質な点が一つ。
(なん、だ……? コイツ……、紫の、炎……!?)
サベルを守るように乱舞する、色濃い青紫の火の粉――。
炎とは、最も使い手の多い属性である。魔闘術士の中にも術者は多く、一族を率いる長老もこの力を扱う。それは『赤々と』輝く、破壊の象徴たる炎熱の揺らめき。
(その、はず、だろうが……!)
しかしサベルを包むそれは、まるで別物だった。紫の陽炎に抱かれ、青年は怒りの形相を露にする。
「テメェよー……この期に及んで、まーだジュリーにブッ掛けようとするなんざ……とんだド変態野郎だなァ~~」
「ケッ、小僧……何だ、お前の炎はよ……。色がオカシイぜ? 腐りかけてんじゃねーのか?」
そんな挑発も意に介さず。紫炎の男は皮肉げに笑いながら、自らの拳へ視線を落とす。
「ああ、珍しいか? ま、珍しいよな。俺の炎は生れつき『こんな』でよ、詳しいことは研究者にも分からねぇんだそうだ。ガキの頃はよく苛められたぜ。お前の炎、キッタネー! なんて言われてよ。だがな、んなこたぁどうでもいいんだ」
鋭い眼光が、正面からギンと敵を睨み据えた。
「この力が何だろうと! ジュリーを守れりゃ、それでいいんだよ――!」
色彩こそ異質だが、間違いなく炎という属性を体現した荒々しい踏み込み。握りしめられた拳に、一際激しい熱流が渦巻く。
(速ェ――……!?)
咄嗟に下がろうと動いた魔闘術士以上に、
「歯ァ食いしばれエェェェ――――ッ!」
猛り狂うサベルが速かった。策も裏表もない。愚直なまでにまっすぐ迫り来る、紫炎纏う握り拳――
直後暗転した魔闘術士の意識に、その一撃の煌めきがいつまでも残っていた。
「ジュリー、ケガはねぇか……?」
「大丈夫よ、サベル。ありがとう、最高にカッコよかったわ!」
その言葉を証明するように。女は腕を絡めながらつま先立ちになり、顔を近づけてみせた。
「……なら、良かったぜ」
見慣れた美しい顔立ちに――恋人に大事がないことを確認し、サベルは心から安堵の息を吐く。
「すまねぇな、お前を危険な目に遭わせちまった」
「ううん、あたしの方こそごめんなさい。あなたの手を煩わせることになっちゃって……」
「馬鹿言うな、お前が襲われるような状況を作っちまったのは俺だ」
獣道の向こう――自らが倒してきた参加者らが転がる草薮を振り返り、サベルは悔いるように零す。
そこでちょうど二人の白服が到着し、伸びている者たちを介抱し始めた。その様子を遠巻きに眺めながら、ジュリーがパンと手を打ち合わせる。
「あ! そういえば、『あれ』はどうだったの?」
「それなんだが、スマン。やっぱり無理だった」
渋面で頭を下げるサベルに対し、
「ううん、気にしないで。やっぱり、現実的じゃないってことよね……。あなたにできないんだもの、他の誰にだってできはしないわ」
ジュリーは掛け値なし、満面の笑顔を返した。
――何の話かというと。
武祭の規定の一つ、『倒した相手から荷物を奪うことは禁止』。
サベルはこれに則り、違反にならない形でアーシレグナの葉を確保しようとしていたのだ。
即ち――敵を倒さないよう立ち回りながら、荷の奪取を狙う。
「いやー、さすがに厳しいぜ。やる気マンマンで向かってくる相手を適度にいなしながら、荷物だけ掠め取るってのは……。盗人みたいな気分になってくるしよ」
サベルは発見した三名相手に先行、敵が持つずた袋を奪う機会を窺っていた。ジュリーは少し離れた木陰に隠れながら、いざとなれば彼を補佐するつもりで見守っていた。しかし彼女はその背後から、突如現れた魔闘術士の奇襲を受けてしまった。気付いたサベルは交戦中の相手を瞬殺し、すぐさま彼女を助けるために駆けつけた――その結果が、今のこの状況だった。
「残念だが、アーシレグナの確保は諦めた方がよさそうだぜ。そろそろ終盤に差し掛かってきたんだろうな……敵との遭遇は減ったが、その分明らかに腕利きとばっかり当たるようになってきてる」
すぐそこの茂みで介抱されている三名には申し訳ないが、彼らはあまり強敵ではなかった。だからこそ荷物の奪取を狙ってみたのだが、あえなく失敗。これが最後の機会だったろう。
後半戦に備えてアーシレグナを多めに取得したかったところだが、断念せざるを得ないな――とサベルは結論を下した。
奪うなら当然、強い相手よりは弱い相手から。しかし標的が『弱い』なら、すでに葉を使い切っている可能性だってあるのだ。
……今更ながら。この計画、少々現実的ではなかったらしい。
まあこうした試行錯誤もいつものことさ、と青年は気楽に諦める。
質実剛健。心に情熱を秘めた若者、『紫燐』のサベル・アルハーノ。
天真爛漫。気まぐれながらも健気に尽くす女性、『蒼躍蝶』のジュリー・ミケウス。
二人は、各地を転々としてきたトレジャーハンターである。同業者には名前もそこそこ知られていた。共に数え切れないほどの仕事をこなし、幾度もの危機に遭遇してきた。そのたびに機転をきかせ、時には華麗に、時には強引に、しかし確実に潜り抜けてきた。
そして今回、遺跡ではなくこの森へやってきた。
噂には聞いていた天轟闘宴。腕試しも兼ねて一攫千金を求め、この闘いに身を投じた。
初出場かつ、この地では二人の知名度も決して高いものではない。
裏を返せばつまり、『ノーマーク』であるということ。無名の二人を警戒している出場者は、まずいない。
ここまで戦闘も必要最小限に留め、体力の温存に努めてきた。余力は存分すぎるほどに残している。
トレジャーハンターとして様々な環境を渡り歩いてきた二人にとっては、この密林での行動もさして苦になるものではない。霊場特有の閉塞感は拭えないが、それは他の出場者たちも同じこと。
炎属性による文字通りの火力を特徴とするサベル、風属性による素早い回避を得手とするジュリー。
二人一緒ならなどんな強敵が相手でも勝てる自信はあるが、反面、思い上がってもいない。
もしこの武祭に『ペンタ』クラスの怪物が参加しているなら、極めて厳しい闘いを強いられることになるだろう。だからこその、余力の温存。
いつか間違いなく遭遇することになる強者との闘いに備え、二人は息を潜めつつ勝ち進んできた。
その強敵を打ち倒すことができれば、その時は――
「ううーむ……」
「どうしたの、サベル?」
「いやあ。俺らが優勝するとするだろ? そしたら、これまでとは比較にならねぇほど名前が売れちまうだろ? そしたら、その……有名になっちまったジュリーに、余計な男どもが言い寄って来そうで……」
「……そんなこと言ったら、サベルだって同じよっ。他のコにちやほやされるかもしれないし……」
「馬鹿言うなよ、俺はジュリーだけだぜ」
「あたしだってあなただけよ、サベル」
お互いの愛情を確認し合い、二人はより強く腕を絡めながら口づけを交わした。
「おっと、そうだった」
そこでハッとしたサベルは、
「おーい、そこの白服のオッサーン! こっちも頼むぜぇっ!」
空いている片手をぶんぶんと振り回し、自分が倒した参加者らを解放している裏方たちに呼びかけた。見分けがつかないほど似通った白い巨漢のうち一人が、呼ばれるままにのしのしとやってくる。
「コイツの処置も頼むぜ」
「む」
ひっくり返って泡を吹く魔闘術士の存在に気付き、白服が眉をひそめる。
「どしたい、白服のオッサン。別にコイツ倒すに当たって、違反とかはしちゃいねーぞ」
呑気な口調でサベルが言えば、
「……(私はまだ二十二だ……)……この男を倒すとは……お前達、やるな」
巌のような白い巨漢は、重々しく頷きながら呟いた。
「そりゃそーよ、俺らは二人揃えば無敵だからな! それはそうとオッサン、現時点であと何人ぐらい残ってんだい?」
「……(二十二だ……)……それを教えることはできん。だが――」
瞬間。白服の言葉を引き継ぐように、空が瞬いた。
「お!?」
「……ふむ、始まったか」
木立の隙間から見え隠れする天空、そこに描かれていく属性の軌跡。
「おおっ、これが『打ち上げ砲火』かァ……!」
「すごーい……きれいね、サベル」
「ジュリーの方がきれいだぜ」
「や、やだサベルったら」
「ゴホン」
裏方の咳払いに気付き、サベルは「こりゃ失礼した」と快活に歯を見せた。
「あ! ねえねえサベル、あたしたちも打ち上げてみない!?」
「ん? でも、他のヤツに居場所を知られちまうぜ」
「う~ん、それもそうね……。せっかくの催し事だし、ちょっと参加してみたかったんだけど」
「……よし、分かった。ジュリーがそう言うならやろうじゃねぇか」
「いいの!?」
「なーに、とりあえず派手にブチかまして、ヤバげなヤツが来そうならトンズラよ! いつものこった!」
未知の遺跡を探索する二人にしてみれば茶飯事の話である。あらゆる事態に対し、臨機応変に動くことが日常。戦うことも、逃げることも得意なのだ。
合図によって呼び寄せられてくる相手が怨魔でなく人間だというだけで、生易しくすら感じられるほどだろう。
「よーっし! やるからには一丁、派手に打ち上げてみますかァ!」
二人はひしと密着しながら、片手を揃えて上空へと掲げる。
「いくぜ、ジュリー!」
「ええ、サベル!」
――そうして。遥か高く広い蒼穹に、ハート型の砲火が花開いた。
少しずつ上がり始めた、己の位置を誇示する無数の狼煙。
「……『打ち上げ砲火』……か。そろそろ……動くとするかの」
不敵な笑みを浮かべたダイゴス・アケローンが、仕方ないとばかりに重い腰を上げる。大地を踏みしめ、人より大きな手のひらを開閉し、身体の調子を確かめた。
――回復している。万全には程遠いが、十二分に動ける。
もっとも。まともに動けなかったとしても、やるしかないのだ。絶対に、やり遂げてみせる。
(もう少しじゃ……待っておれよ、サエリ)
必勝の決意を胸に、アケローンの若き矛が動き出す。
「お……あれが、打ち上げとかってやつか……」
巨大な木に背を預けて休んでいた有海流護が、そろそろ行くかと重い腰を上げる。
当然ながら現代日本からやってきた少年には、あんなものを打ち上げることなどできはしない。あの合図を出した者のところへ、馬鹿正直に向かうしかない。
『打ち上げ砲火』とはいうが、木々の合間から見える神詠術の輝きは、黒く渦巻く風や高々と吹き上がっていく冷気の直線など様々だった。
(こうして見てりゃ、なかなかキレイなもんだな……)
立ち上る術の規模や属性から、相手の特徴や状態を把握することもできそうではある。弱々しい輝き、力強い瞬き。それは率直に術者の力量を示すものなのか、余力を偽って見せる罠なのか。
つい今ほどには、何のつもりなのかハート型の花火のようなものが打ち上がっていた。
ディノやエンロカクなら、その性格からして不必要に大きな合図を上げそうだ。それとも、合図を出すなどというまどろっこしいことはせず突っ込んでいくだろうか。
「どうせ残ってるんだろうな……あの連中は」
しんどい闘いになりそうだが、先の闘いで摂取したアーシレグナが効いてきた。そろそろ動けそうだ、と立ち上がる。
葉のせいなのか、己の性質なのか。強者との交錯を控え高揚する気持ちを胸に、拳撃の遊撃兵は歩き出す。
エンロカクという難敵を下したダイゴスと、ジ・ファールという曲者を撃破した流護。一息ついていた彼らが動き出したのは、奇しくも全くの同時だった。
――そして。
「おっ」
木陰で涼んでいたディノ・ゲイルローエンは、様々な色彩に染まり出した空に気付いて視線を上向ける。
「よーやっと後半戦、ってトコかねェ」
極端に遭遇戦が減り、誰とも出会わなくなってきたため、無駄に動くのをやめて留まっていたのだ。
次々と立ち上る狼煙。広い森に散開している参加者たちの居場所、その所在が、次々と明らかになっていく。
しかしこれも、一筋縄ではいかないはずだ。
例えば派手に一発打ち上げて、そこから身を隠す。のこのこやってきた相手を、不意打ちで仕留める。そういった手段を使う者も当然出てくるだろう。
「ハッ……」
ディノ・ゲイルローエンとは、傲岸不遜な『ペンタ』である。
己こそが最強。己以外は全て等しく格下。
ゆえに、自分が出向く道理はない。
挑むのは、いつだって挑戦者。
格下が、格上たる自分の下へ来るべきなのだ。
そう考える強者が取った行動は、実に単純明快なものだった。
「よっ、と――」
白い雲が泳ぐ遥かな大空。遠い蒼穹を、ディノの人差し指が示す。
その指先から、細い焦熱の火線が迸った。
凄まじいまでの爆音が轟く。
目に毒々しいほど赫焉とした、一筋の光条。
その一閃は他のどの『打ち上げ砲火』よりも迅く、力強く、延々と空を突き抜ける。遮るものなく、どこまでも。
途上で漂っていた雲すらも容易く貫き、その余波によって霧散させ、目に見えない高みまで上り詰めていく。その高さこそが、強さの証であるかのように。
「さて……待ってみるとすっか」
逃げも隠れもしない。己の存在を高々と誇示したディノは、座したまま挑戦者を待つ。
唯一。
(……クク。どーせ『オメー』だけは、来ねェんだろうがな)
だが、構わない。
挑戦者とは、出向くものである。
全てを片付けたその最後に。唯一、己が挑戦者となるその相手の下へは、自らのこの足で向かう必要があるだろう――。
超越者たる男が打ち上げたそれは、全ての者に等しく影響を与えることとなった。
『な、なんですかあれー! あれも「打ち上げ砲火」なんですか!?』
『……フフ』
ざわめく三万の観衆たちを代弁するかのような。思わず立ち上がった傍らのシーノメアを横目にして、ドゥエンがかすかに頬を綻ばせる。
あの鉄機呪装――セプティウスですら歯が立たないはずだ、とアケローンの長は内心で納得した。あれは、まるで兵器。未だ、存分に余力を残しているのだろう。
エンロカクが消えた今。圧倒的なあの強者が、ただ当然のように勝ち抜けるのか。それとも――
第八十七回・天轟闘宴。
その終わりは、近い。
『無極の庭』に展開している当事者――戦士たちの反応も、実に様々だった。
「なん、だ、あの砲火……!? 冗談じゃねえ、どんな化物だよ……!?」
静かな崖際を慎重に歩いていた歴戦の勇士の一人は、未だかつて見たこともない『合図』にその顔を驚愕へと染める。
「ヘッ……どこのどいつだか知らねーが、魂胆がミエミエだぜ。虚勢張って派手に打ち上げやがって、強ぇフリしてんだろ? ……そうなんだろ?」
「じゃあお前、実際に行って確かめてきてくれよ……」
「……勘弁してくれ」
もしかしたら、と優勝を視野に入れ始めていた熟練の冒険者たちが、あまりに厳しい現実を直視する。
「ひいいぃ……! あ、兄貴ィ、なんだよ今の!?」
「お、落ち着けガドガド……! あんなもん、ハッタリだ……!」
元山賊のラルッツとガドガドは、かなり間近から放たれた赤い閃光を目撃して、思わず腰を抜かしかけた。
――ハッタリ? それなら、まだマシだ。
ハッタリであれだけの真似ができるなら、実際の戦闘では一体どれだけの力を発揮するというのか。
「ちぃっ……、とにかくここから離れるぞ、ガドガド!」
「お、おうよ兄貴ィ!」
二人はなりふり構わず、その場から駆け出した。衛兵に追われるのとは比較にもならない、圧倒的な恐怖にその身を駆られながら。
「おいおい……予想はしてたぜ? 強ぇヤツの一人や二人、いるんだろーなって……。けどよ、……なんだいありゃぁ……」
「サ、サベルっ……」
不安げな表情になる恋人の肩を抱きながら、紫炎の青年はあえて笑ってみせる。
「まいったなオイ! やっぱりそう簡単にゃ、いきそうにねーなぁ……!」
だが、やってみせる。むしろ奮起する。ジュリーと共に、必ず優勝してみせる。
困難であればあるほど、敵が強ければ強いほど、燃え上がるというものなのだから。
「フ……勘弁してほしいもんじゃの」
それを目にしたダイゴスの口元は笑っていたが、発せられた言葉に偽りはなかった。
相手の居場所だけでなく、特徴も推し量ることができる『打ち上げ砲火』だが、ここまで『誰が放ったか一目で分かる』というものも珍しい。
今はまだ、あの男と闘うべきではない。
見落とすほうが困難なほど豪快に迸った火線、その方角を確認し、『今は』反対方向へと足を向ける。
「うわあ……」
歩いていた先、遠方から突如として放たれたそれは、まるでレーザー砲。
うん、あっちに行くのはやめよう。
有海流護は迷うことなく踵を返し、来た道を引き返した。
『ペンタ』による圧倒的な焦火。それは弱者強者かかわらず、多くの者に警戒心を抱かせるだけの結果に終わってしまった――と、思われた。
だが、多種多様な者たちが集うことも天轟闘宴の特徴の一つ。
存在、するのである。
「そこかァ……見つけたぜェ~、小僧……!」
深い森に佇むその容貌は、まるで猪。
はち切れんばかりの巨体を巡らせれば、引っ掛かった枝葉がバキバキと音を立てる。
それらを意にも介さず身をよじり、天空裂く火線を仰ぎ見た。
位置的にはかなり遠い。だが――間違いない。あれだけの術を扱える者など、限られている。
「オイが行くまで……ヤラレたりすんじゃねェぞォ……!」
オルケスターが構成員。組織に仇なす者を例外なく駆除する掃除屋。二つ名を、『氷天羅将』。
獰猛に笑むチャヴ・ダッパーヴが、ついに目的の相手を捕捉した。
「なんという……、恐ろしい……」
思いのほか近くから発せられた砲火を目撃した青年は、悲しみにその身を震わせた。
一目で分かる。そこで待ち構える者が、絶大なまでの強者であると。その相手を下さぬ限り、己の勝利はないのだと。
それは、あまりにも――
「かな、しい……」
並大抵の術では傷ひとつ刻まれない、強靭な『無極の庭』の木々。青年の周囲にそびえるそれらのうち数本が、根元から凍りついていく。
「僕は……あんな敵に……立ち向かわなければならない、のか……?」
ピシリ、パキリと。
足元の草葉や大地が白く硬く変質し、周囲を薄靄が包み始める。
「それ、は……かな、しい、いいいぃ、なあああ……! ぃび、ひひひひひひひひ……!」
強者が集いに集う天轟闘宴。その舞台でかつて最も多く敵を殲滅したその男が――導かれるように歩き始める。
通称、撃墜王。グリーフット・マルティホーク。
前々回、『ペンタ』と覇を競ったその男。
涙に染まる美青年の口元はしかし、この上なく歪に吊り上がっていた。
――絶大な砲火にも臆さぬ戦士たちが、動き出す。
「殺す」
「殺す、殺 す」
「殺す。殺す、ころ す、コロ スコロ、スこ、ろすころ、ころす るころろすころ る」
体力は回復するどころか、消耗の一途をたどっている。
朦朧とした意識のまま徘徊するその男は、各所で打ち上がり始めた合図に気付くこともなかった。
ただ、分かるのは――
きん、きんと。
音。
自らの内側からかすかに聞こえる、金属音のような残響。
その足取りは、幽鬼のように。
魔闘術士の一員にして頭領の弟であるその男――カザ・ファールネスは、ふらつきながら樹林の合間を行く。




