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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
7. 天に轟くは、闘いの宴
224/674

224. 死闘の果て

 ――さすが……に、強い、のう。

 ……おっと、いかん。意識が、飛びかけた。


 ダイゴスが目を見開けば、エンロカクが猛獣めいた狂相で迫ってくる瞬間だった。素早く雷節棍を奔らせると同時、後ろへ跳ぶ。

 紙一重。

 打突を受けたことなどお構いなし、エンロカクは竜巻のような両腕を唸らせた。風圧が顔のすぐ横をかすめていく。巻き込まれたなら、人の身などその場で細切れ肉と化すことだろう。


「……――……、」


 血を流しすぎたためか。意識が、朦朧とする。






 穏やかな春の日。


 城の中庭に植えられた色とりどりの草花は、暖かな天の恵みを受けて美しく咲き誇っていた。

 そんな庭園の一角に、黒紫と純白の花が入り乱れている。その色合いは、どことなく『神域の巫女』が纏う装束を彷彿とさせた。


「フ、そうか。ダイゴスは、殺生が嫌いなんじゃの」


 ボサボサに広がった白ひげの先を摘みながら、大老が目を細めて笑った。

 嫌いです、と小さな少年は頷いた。武を競うことは好きです。しかし、相手の命を奪うことは嫌いです、と己の意志を訴えた。誰の命も奪われることのない世の中が来ればいいのに、と夢を語った。


「うむ、それは立派な考えじゃ。しかし……無理なんじゃよ、ダイゴス」


 生きるためには、必ず何かを殺さねばならない。

 菜をみ、肉を噛んだその口で、「何者も殺めてはならない」などとのたまうことは許されない。意思の通じぬ草木や動物たちは別だというのなら、それは何という傲慢だろう。人も、草木も、動物も、虫も、そして怨魔でさえも。等しく、一つの御霊みたまを宿して生きている命なのだから。

 黒紫色の花へ寄ってきた獰猛そうな蜂に目を向けながら、大老はそう説いた。


「神様は残酷じゃよな。何故なにゆえ……互いに殺し合わねば生きられぬよう、我等を創り給うたのか」


 しゅんとしてしまったダイゴスに対して、横から小生意気な声がかかる。


「ガイセリウスに憧れて不殺ころさずの「武」にかぶれるのもいいけどよー、無茶言うなよなーダイゴス。大体さ、コロシの仕事がなくなったら、俺らは飯食っていけなくなっちまうんだぞお」


 次兄ラデイルに言われ、ダイゴスはいよいよ泣きそうになってしまった。


「ま、まあ、あれだよ。無理するこたぁないんだ。きつい仕事なら、俺が代わってやるからさ」


 何だかんだで優しい次兄は諭すように続ける。


「不殺の精神もいいけどさ! お前もほら、そのうち好きな子の一人や二人できるだろ? その子が危ない状況になるかもだろ? そういうときは、心を鬼にしてきっちりやらないとダメだぜー。ぬるいこと言ってたら、誰も守れず終わっちまうよ」


 優しいと甘いは違うんだからな、と。次兄は心配げに、そう言ってくれた。その言葉は、長兄ドゥエンの受け売りだったが。


「――シッ!」


 突然、ラデイルが手刀を閃かせた。黒紫色の花の周囲を飛んでいた蜂が、火花に焼かれてポトリと落下する。

 あっ、と声を上げたダイゴスへ、次兄は耳をほじりながら説明した。


「山賊蜂つってな。そいつ、気に入った花を見つけると次々に仲間呼んで、養分を根こそぎ奪って枯らしちまうんだ。蜂は、生きるために花に集まる。俺は、アイジブ姉お気に入りの花が枯れないよう守る。これもまた、避けられない殺し合いの一つ……なのかねー」


 次兄は溜息と共にそう言い結び、遠い目で青空を見つめた。そんな気障ったらしい少年を見守る大老が、優しく語りかける。


「のう、ラデイルや」

「なんだよ? 大老様」

「そやつ、生きとるぞ」


 気絶していただけの蜂が復活し、ラデイルと死闘を繰り広げたのは――また別の話。


 この暖かな春の日、密かに思ったのだ。

 殺し、殺されることが避けられぬのなら。せめて武人ガイセリウスのように、堂々と渡り合いたい――と。


 ――そのわずか一月後。

 伝説とまで謳われる暗殺者だった大老は、目標の殺害を果たせず死亡した。その長き生涯において、最初で最後の任務失敗。

 老い衰えていた。相手が只者ではなかった。目標の子と遭遇し、躊躇が生まれた。

 様々な憶測が飛び交ったが、証拠を残さぬよう自ら四散して消えた大老、その真実を知る者などおらず。


 やがてダイゴスは、初めての任務を見事成功させる。

 子供であることを利用しての不意打ち。大老の仇を討った。幼き少年が夢見た果たし合いとは程遠い、賎劣な――しかし暗殺者としてこの上ない手段を用いて。


 そうして、最も新たなアケローンの矛は磨かれてゆく。

 誰よりも小さかった身体はいつしか兄たちを超え、幼き頃の思いなど幻想にすぎぬものだと知り、ひたすらに効率よく命を刈り取る術を覚え――


 その生き方が当たり前となって、何も感じなくなって。異国の情勢を探るためにミディール学院へ編入して。

 二年目の生活が始まってしばらく経ったある日、唐突に現れた少年。

 彼が、とうに忘れ去っていたはずの思いに火を点けたのだ。


 術を扱えぬという、小柄で地味な黒髪の少年。

 しかし彼は、およそ通常では考えられないような体術を会得していた。その武で次々と難敵を撃破し。救えぬはずの少女を取り戻し。

 そして今もまた、誰かを助けるためにこの『無極の庭』で奮闘している。

 愚直なほどまっすぐに正面からぶつかり、力なき人々を救う。

 幼き日のダイゴスが夢見た在り方を、体現するかのように。






 ――ワシ、も……――


 首を振って躱せば、突き抜けた旋風が背後にそびえる巨大樹の枝を弾き飛ばす。


 ――羨んだのか。それとも、


「ハァッ!」


 ダイゴスの雷節棍を意にも介さなくなったエンロカクは、豪風渦巻かせた腕で掴みかかる。身を翻して避ければ、硬い老樹の幹や頑丈な岩盤が、柔らかな肉のように引き千切られた。


 ――望んだのか。


 この身をもぎ取られてはたまらない。迸る紫電を盾に、素早く飛びずさる。


 ――おそらく、両方だろう。


 致命打をもらわぬよう下がり続けていたダイゴスだったが、苔の緑に覆われた巨大樹が背中へ触れた。

 一際長大にそびえ立つ、樹齢千年は越えそうな霊樹。その高さはいかほどか。周囲に端張る根も太く長く大地で波打っており、足場の悪さに拍車をかけている。

 緑が織り成す天然の袋小路。逃げ場のない、行き止まり。

 ゆっくりと間を詰め、忌まわしき魔剣と称された大男は笑う。


「さァて……お前は所詮、ドゥエンをおびき出すための生贄……ってぇコトで、期待なんざしちゃいなかったんだがな。思ったよりは楽しめた」


 紫色の舌で太い唇を湿し、エンロカクは両腕を水平に掲げる。


「弟のお前でこれだけ遊べたんだ。奴が相手なら……この上なく楽しめそうだぜ」


 ――そうして。

 黒く太い両腕に、宿る。その密度ゆえ黒々と染まった渦を巻く、絶大な風の流れ。周囲の全てが引き寄せられるかのように、エンロカクの腕へと集束していく。

 細枝や落葉までもが宙を舞って吸い寄せられていくが、両腕の竜巻に触れた瞬間、粉々に砕かれて四散する。

 その一帯は、荒れ狂う大気が支配する異界へと変貌を遂げた。


「……!」


 ダイゴスは細い眼を限界まで見開く。

 これまでとは明らかに規模の異なる術。間違いない。この技が――


「終わりにしようや。我流、奥義――羅劫颪らごうおろし


 話には聞いていた。エンロカク・スティージェが誇る、最終奥義。全てを物言わぬ塊へ変えるという、滅殺の風。この男が扱う属性の究極形。

 その両腕に渦巻く竜巻は、エンロカク自身の背丈を数倍した規模にまで膨れ上がっている。巻き込まれた木々の枝が千切れ、粉砕し、疎らな礫となって竜巻を彩った。


 黒き巨人の顔に浮かぶ薄笑みは、絶対的な自信の表れ。

 ダイゴスを葬る自信、ではない。

 黒水鏡越しに、ドゥエンがこの技を目撃しても。己の秘術――手の内を晒したとしても、ドゥエン・アケローンと渡り合えるという揺るぎない自信。

 巨人は、目の前の相手ダイゴスなど見てはいない。その濁った瞳はすでに――あるいは最初から――ドゥエンを見据えている。


「……フ、」


 ダイゴスの額に浮かんだ汗の雫までもが、風に吸われ消えてゆく。

 敵の両腕に渦巻く凄まじい暴風。果たしてこれを――振るうのか、放つのか。およそ想像もつかなかったが、一つだけ確実なことがあった。


 逃げ場は、存在しない。


(……やはり……やるしかないようじゃ、ラデイルの兄者。さて……もう少しだけ……待っておれ、サエリ。まずは――)


 胆を括り、少女のために闘う不器用な若者は身構える。不敵な笑みと共に。






 黒水鏡に投影された光景が、前後左右に激しく揺さぶられる。鏡を括りつけられた樹木そのものが、エンロカクの風に煽られているのだ。

 揺れる視界、規格外の竜巻、耳朶を叩く唸り。


 その全てで、誰もが予感した。

 もうすぐ終わる、と。


 三万の観衆たちも。驚愕に目を見開くベルグレッテも。その隣席で戦局を眺めるオルケスターのデビアスも。涙に瞳を濡らす桜枝里も。

 そして――






『な、な……、なん……ですか、あの技!?』

『エンロカクの奥義、羅劫颪。私も……目にするのは、これが二度目です』


 疲れたようなドゥエンの声が通信に響く。

 あらゆるものを飲み込み、そして破壊し尽くす、まるでエンロカクという男の本質を体現したかのような螺旋の渦。

 ドゥエンは確信する。この男は間違いなく――十年前よりも、強い。あの頃とは別物だ。

 こんな奥の手を出さずとも、エンロカクならばダイゴスを倒すことは容易だろう。むしろ、ここで使わず秘匿しておくべきだったはずだ。それを今、あえて披露するという――挑発。

 見せつけるために。

 弟を殺す様を。現在の己の力量を。


「…………ッ」


 ドゥエンの握りしめた左拳から、一筋の赤色が伝う。


『よう、弟。このまま飲み込まれて終わるか? そこに鏡もある。遺言の時間ぐらいはくれてやるぜ』


 エンロカクが視線を向ければ、三万の観衆たちと目が合った。黒水鏡越しとはいえ人のものとは思えぬ濁った瞳に見据えられ、客席からにわかな悲鳴が上がる。


『……不要じゃ』

『そうか。じゃあ、とっとと消え――』



『アケローンが巫術、参之操さんのそう――六王雷権現りくおうらいごんげん



 喚び声に呼応し、現れる。

 それは――六対の光条。

 ダイゴスを守るように空中へ展開した、目に眩い白の槍が十二本。宙に浮かぶ閃光その全てが、先端をエンロカクへと向けて静止している。照準を合わせるかのごとく。


『のおわあぁ!? ダ、ダイゴス選手も凄まじい技を発現させました! 応戦する気だあ――っ!』


 その技を目にして、


「……、……ダイ、ゴス……、」


 ドゥエン・アケローンは、ついに鉄のようだった無表情を崩壊させた。

 眉間に皺を寄せ。歯を食いしばり。苦悶に満ちた、弟を思う兄の顔へと。



『にいさま。ぼくも、にいさまみたいな技を使えるようになりたいです! あの、ピカッ! って光る……きれいな、すごい巫術!』


『……ふむ。先日見せた、参之操の事か』


『兄貴さー、なんだったら、軽くでもいいから教えてあげなよ。もうあれから興奮しちゃって、うるさいったらないんだよ……ダイゴスのやつ』


『お前にはまだ早いよ、ダイゴス。いずれ、時が来れば――』


『すぐ……すぐに教えてほしいです! ……だめ、でしょうか』


『……全く。基礎的な、型のみだぞ。一朝一夕で扱えるような代物ではないからね』


『ほ、本当ですか! やった!』


『十年は要するぞ。上手くいかずとも、諦めず鍛練を積まなければならないよ』


『は、はい!』


『良い返事だ。真摯に、直向ひたむきに訓練を続けなさい。ダイゴスならば、いつかきっと――』



 そこはもはや、奇跡の力が彩る異界と化していた。

 轟々と天地揺るがす竜巻。煌々と世界照らす白雷。対をなす風と雷が、森の一角を席巻する。


『こ、ここ、これはっ……いったい、どちらが勝利するのでしょうかっ……!』


 そんな音声担当の乙女に答えたのは、


『ダイゴスは……勝てません』


 ただ静かな、『兄』の声だった。


『ドゥエン、さん……?』


 感情の滲んだ声を聞き、驚いたのだろう。シーノメアが顔を向けて――わずか、息をのむ。

 ドゥエンには、自分で知りようもないことだったが。みっともない顔を、していたのかもしれない。


『全くどこまでも、私を驚かせる……。まさか参之操を習得しているとは、思ってもみなかった。しかし、あの技では……エンロカクには、届かない』


 そう零したドゥエンに呼応するかのごとく、鏡の向こう側から低い声が響いた。


『ドゥエンの技か。悪いが、それは知ってるぜ。威力も性能もな。俺には通じねえ』

『そうか』

『兄貴の技と一緒に散るか。まァ、それもいいだろうよ』


 エンロカクが身構え――、ダイゴスが「ニィ……」と不敵な笑みを浮かべる。


 もういい。

 逃げろ。逃げるんだ、ダイゴス。

 勝てぬ敵とは闘うな。お前が小さな頃から、ずっとそう教え続けてきただろう?

 お前はどうして、兄さんの言う事を聞いてくれないんだ。お前の気持ちは……気迫は、よく伝わった。もう分かった。『絃巻き』の力を持ちながらも、弛まぬ努力を重ねてきたことはよく分かった。

 そんなにあの女が気に入ったなら、兄さんが何とでもしてやる。エンロカクは、私が斃してやる。だから――


『ダイ、ゴス…………!』


 お前は、私の指示に従っていれば良い。私の言う事を聞いていれば良い。

 私に守られていれば、それで良いんだ――――






 伝う汗さえも豪風が飲み込んでゆく中、ダイゴスは歯を食いしばり意識を集中する。

 成功するか否か。生きるか死ぬか。ふと我に返りそうになる。なぜ自分はこんな博打を仕掛けようとしているのか。余計なことは考えるな。集中しろ。次兄ラデイルとの訓練で散々に練り上げた想定。己が秘術として昇華した『この技』を。それらを信じ、貫き通せ。

 刹那の刻ですら、機会を見誤れば――


(……怖い、のう……)


 全霊の一撃に賭け。

 若きアケローンの矛は――敵を射抜く瞬間を、待ち構える。






 おかしなガキだ。何を薄笑み浮かべていやがる。闘いを楽しんでるつもりか? これだけの力量差がありながら。


 対峙するアケローンの末弟を眺め、エンロカクは理解できないと鼻を鳴らす。


 さて、この生贄の役目はここで終わりだ。見てるんだろ? ドゥエンよ。せいぜい怒れ。俺を憎んで、全力で殺しに来い。

『千年議会』も、これだけの傷を見せれば好機と思って奴をけしかけてくるだろう。連中は所詮、闘いのことなど何も知らない、耄碌した死に損ないの集まりだ。俺の体質のことなど何も理解してはいない。おそらくは、あのドゥエンでさえも正確には把握しきれていない。


 ……それはいい。だが。


(……チッ、鬱陶しいぜ)


 鼻。そして、右腿。ここまで調整のために様々な攻撃を受けてきたが、この二ヶ所がかすかな痛みを訴えていた。

 あの黒髪の若者との戦闘。その後半戦で、別人のような気迫を漂わせた少年が放った、たった二発の打撃。下段の足蹴り。そして体勢を崩した相手の膝から駆け上がり、肘を叩き落すという見たこともない大技。


(……クソ、うざってえ……)


 ジンジンと。気に障る程度に、痛みが残っている。


(――次は、アイツだ)


 これを片付けて、あのガキを見つけて。続きを闘る。もうくだらん横槍なんざ入れさせねえ、叩き潰してやる。そして最後に、ドゥエン・アケローンと闘る。

 悪くない。

 この連戦、存分に楽しめそうだ。






 そして交錯する。

 眩いばかりの白が、唸りを上げる竜巻が、全てを包み込んだ。






「…………っ!」


 声を発することも忘れたベルグレッテが、ただ呆然と鏡を見つめる。


「いやだ、大吾さ――」


 桜枝里の慟哭が、爆音に飲まれる。


 そして。

 観客席から幾分離れたその場所。屋台の売店付近に設置された鏡にて、戦局を眺めていたその男が。民族衣装を着崩した、端正な容姿の美青年が。


「そう、それでいい。完璧だ、ダイゴス」


 矛の次兄、ラデイル・アケローンが――薄笑みを浮かべて呟く。


「――――死んでくれ」


 十数秒後。

 観客席に鳴り響くは、脱落者の発生を告げる音。

 激突した両者のうち片方の名前が、消失した。

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