221. 闇からの解放
『剛打爆発、完・全・決着うううぅうッッ!』
総勢三万にも及ぶ観客たちは、今度こそ歓声を爆発させた。
『なな、なんと! 敗北が決定したにもかかわらず、リューゴ選手へ攻撃を加えようとしたジ・ファール選手! ある意味、その弟――カザ・ファールネス選手が見せた、あの負けたふり……あれを上回る反則技だったと言っていいでしょう! しかしリューゴ選手、これに惑わされることなく、ものともせず、正面から斬って落とした――――ッ! まるで天罰! 闘神の慈悲なき鉄槌が、傍若無人の限りを尽くした無法者に下ったああぁ――――っっ!』
そんなシーノメアの絶叫に負けじと響く怒涛の地鳴りが、客席を――『無極の庭』周辺域を包み込む。観衆たちはもはや総立ちだった。
『こ、この闘い……! どうでしたか、ドゥエンさんっ』
『ジ・ファール氏のリングが外れた時点で、勝ちの確定したリューゴ氏は無防備となってもおかしくはありませんでした。規定に則るならば、それが当然ともいえます。しかし、氏は見事対応してみせました。戦士として、素晴らしい集中力だったかと』
原則、敗北が決定した者への攻撃は禁じられている。が、今ほどの流護の攻撃は必然の反撃として認められるだろう、とドゥエンは付け足した。
『……あれが、あの坊やの加減なしの打撃か。最初から、その気になれば一撃で倒せたということじゃのう。全く、とんでもない豪腕よ』
超越者たるツェイリン・ユエンテまでもが、若干口元を引きつらせていた。
(リューゴ……)
ようやく訪れた決着。自席で一部始終を見届けたベルグレッテは、ホッと胸を撫で下ろす。
魔闘術士を……ジ・ファールを倒したからとて、ミョールの傷が癒える訳ではない。彼女の心に刻まれた負の情が消え去る訳ではない。やられたからやり返すという、ともすれば陳腐な復讐だったのかもしれない。それでも。
(ミョールさん……やりました、リューゴが)
今も病院で苦しんでいるだろう彼女を思い、そう念じずにはいられなかった。
(……驚いたな……)
鬼神の拳とでもいうべきか。
明らかにそれまでとは質の異なる拳。恐ろしく迅い、一瞬にして放たれた三打。否、厳密には最初の右薙ぎ、その一打で終わっていた。そこを下方からの二打目で強引に浮かせて立たせ、続く三打目で完膚なきまでに叩きのめした。
裏方として、判定員として様々な闘いを目撃してきた白服であっても、思わずゾクリとした悪寒が走るほどの破壊の痕跡。術を介さぬ、ただ単純な腕っ節。
思わずにいられない。
人は。
巫術の恩恵を得ずに、これほどの領域へ至れるものなのか、と。
(……これ……は、もはや……)
うつ伏せに倒れ小刻みな痙攣を繰り返しているジ・ファールへ、手早く傷の処置を施す。辛うじて一命は取り留めるだろう。しかし――
死んだほうがまし、という言葉もある。
不遜の限りを尽くした魔闘術士。そんな男が背負わされた代償が、この惨状ということか。
他人事ながら白服が肝を冷やすうち、勝利した黒髪の少年は振り返りもせず歩き出す。
「……リングを忘れているぞ」
「いや……いらねっす」
投げかけた声に短く答え、拳の少年は常緑の広場を出て森の中へと消えていった。
苔むした大樹の根元へ腰掛け、流護は大きな息を吐いた。
(……やば、かった…………、つっ、首、痛……)
色々と自分自身にダメ出しをしたくなるような立ち回り。さすがにヘィルティニエの拳を防ぎもせず正面から受けたのはまずかった。頭が吹っ飛んだかと錯覚した。首が厭な痛みを放っている。
だが、ジ・ファール渾身の一撃すら通じなかったという図は、流護の完全勝利を演出する一助となったといえよう。
他者や、おそらくジ・ファール自身から見ても圧倒的な決着。
(そう、見えた……ろうな……)
実際は、綱渡りに等しい一戦だった。
ボディブローや挑発によって流れを掌握することができたからよかったものの、例えばジ・ファールが冷静さを欠くことなく遠距離戦にのみ終始していたとしたら――
何が出てこようとブッ倒す、という気概で臨んだ闘いではあったが、あんな風の化物が出てきたのはさすがに想定外だったといえる。相性としては最悪だった。
(闘るまでは、ただの……チンピラみてーな、野郎だと……思ってたんだけど……)
同じ風という属性ながら、エンロカクとはまるで別物。
そして、その実力は本物。体術の練度も目を見張るものがあった。一人の詠術士として考えたなら、間違いなく高い純度で完成された強敵だったと断言できる。
辛勝。しかし目的の一つを果たすことができ、何とか首の皮も繋がった。
「…………」
軽く握った両の拳へ、疲れ果てた視線を落とす。
はっきりと、残っている。ジ・ファールの頬を砕いた衝撃が。顎を圧壊した感触が。
あの男の人生を、終わらせた手応えが。デトレフの時と同じ。一人の人間を、完膚なきまでに破壊した手応えが。
神詠術という神の奇跡が、どれほどの治癒を可能とするのかは詳しく分からない。それでも――この世界において規格外とされる膂力で躊躇せず人を傷つけたなら、どうなってしまうかは想像に難くない。少なくとも今後、完全回復はしないはずだ。エンロカクの時のように『そのつもり』で殴った訳ではないが、助からなかったとしてもおかしくはない。
「…………、」
後悔はない。
ミョールの無念を晴らすことができた。
最初に遭遇したヒョヌパピオの言が確かなら、魔闘術士は次にレインディールを狙うつもりだったことになる。遊撃兵として、未然に防ぐことができたと考えてもいいほどなはず。
殺すつもりは、最初からなかった。やろうと思えば簡単だったろう。しかし、あの男にはそれすら生温いと感じた。生かして、延々と後悔し続けるような地獄を味わわせてやろう、と思った。
そして――そんなどす黒い復讐は、果たされた。
(…………なんだろな)
それなのに。ただ、釈然としない。すっきりと気分が晴れることなどなく、言いようのない後味の悪さだけが胸を締めつけた。復讐とは、こうも複雑な気持ちになるものなのだろうか。
……そう。ミネットの仇となるドラウトローを倒したときも、晴れやかな気持ちになるなんてことは全然なくて。
「――――っし!」
さて、沈んでいても仕方がない。パンと自分の頬を両手で張り、気合を入れ直す。思考を切り替える。
あとは、どういった戦士たちが残っているだろう。
これで魔闘術士の首領であるジ・ファールは脱落。残りの構成員は有象無象にすぎないはず。過剰に警戒する必要はない……と思いたい。
(……ゴンダーさん、どうしたろうな)
気がかりなのは、霧氷の術士ことゴンダーに任せてきたあの男か。あの相手は、間違いなく強い。上手く言葉にできないが、他の魔闘術士たちとは――ジ・ファールと比べても、『何かが違う』ような。ゴンダーは、あの敵を相手に勝利することができただろうか。
そして何より、残っているといえば――ディノにエンロカク。この二人は、間違いなく未だ健在だろう。そういえば、『十三武家』として出場しているというダイゴスはどうしただろうか。
「はー……まだまだ、終わりそうにねえなあ」
先ほど使ったアーシレグナがじわじわと効いてきた。ジ・ファールが取りこぼした一枚――あんな形で貴重な回復アイテムを得ることができたのは、実に幸運だったといえる。
ちょっとだけ休んだら行動を再開しよう、と少年は木の根元に腰を落ち着けた。
「…………、……あ、」
またもミョール・フェルストレムは、ぼうと呆けている自分に気付く。
眠くないのに、知らず眠っていたような感覚。みっともないことに口も開けっ放しになっていたようで、伝いそうになっていた涎を慌てて拭う。
確かに、窓から吹き込む風は心地いい。今日は――そう、二十二日。天轟闘宴の当日だ。この穏やかで過ごしやすい晴れの日に、首都の中心部では屈強な戦士たちが集い集って潰し合いをしているなど、ちょっと想像できないぐらいだった。
本当は、自分も出場するはずだった武祭。けれど。
この見慣れぬ異国の地で。この病室で――ベッドの上で、たった一人、一月近くも過ごしていかなければならない。
「……、…………う」
私、こんなに弱い女だったのか。
詠術士として修業を重ね、山賊の襲撃だって凌いだ。それなりに、腕にだって自信はあった。なのに。なのに――
頭を振る。
目を閉じれば――視界が闇に包まれれば、あの黒装の集団が脳裏に浮かび上がりそうになる。闘いにすらならなかった、あの一方的な暴力が。髑髏のような、ジ・ファールの貌が――
「すっげ、すっげえぞ、おいすげええぇって!」
突然外から大声が響き、ミョールはびくりと身を震わせた。
何事かと、窓の外――病院の中庭へ目を向ける。ベンチに腰掛けている一人の少年の下へ、足を引きずった別の少年が向かっていこうとしているところだった。年齢は流護たちと同じぐらいだろうか。二人とも、この病院で療養している患者なのだろう。
「なんだよ、うるさいな……どうしたんだよ」
「いやいや、天轟闘宴だよ、天轟闘宴! 今、会場に行ってるイトコから通信あったんだけど!」
聞こえてきたその単語に、ミョールは思わず耳をそばだてる。
「魔闘術士の頭の、ジ・ファールっていただろ! あの、街で好き勝手やってたとかいう奴らのボスだよ!」
よりによって飛び込んできたのはその名前。ミョールは過剰なほどびくりと反応した。
あいつ。あいつらが。
優勝候補などと目されていた連中だ。何かやったのか。まさか、もう優勝を飾ってしまったなんてことは――
「ボッコボコ、もうボッコンボッコンよ! 散々に殴られて、ションベン漏らしながらやられたって! 負け認めるフリして不意打ちまでしたのに、それも効かなくてもうメチャクチャにやられたんだってよ! ざまああぁねえぜ!」
「……おいおい、それ本当なのか?」
「…………、」
ミョールとしても、報告を受けたその少年と同じ心境だった。
やられた? あの男が? それほどまでに惨めに?
「誰がやったんだ? それ」
「詳しくは分からないけど……でもなんか妙な武術使うヤツで、ものすげぇ強いってさ。今回は『凶禍の者』まで参加してるみたいなんだけど、そいつとも普通にやり合ってたらしいぜ。ガケから落ちたと思ったら平然と生きてたとか、爆発したと思ったら何事もなかったよーに煙の中から出てきたとか」
「おいおい……それもう、人間じゃないだろ。いくらなんでも、ちょっと話が大げさになってるんじゃないのか?」
「にしたってよ、魔闘術士がやられたんだぜ! この目で見たかったなぁ! 気分いいね! ざまああぁみろってんだ、ヒャッホーイ!」
少年が大喜びで片手を突き上げていると、通りかかった看護師の一人が「こら、静かに!」と彼をたしなめにやってきた。
「……、」
そんな様子を呆然と眺めながら、ミョールは思い馳せる。
やられたんだ。あいつ。あんな偉そうにしてたくせに。ああ、それは何とも。
「……、は、」
はしゃいでいた少年ではないが、確かにこの目で見てみたかった。
それにしたって、あの男が並ならぬ使い手だったことに違いはない。それですら凌ぐ戦士がいるのだから、世界は広いというものだ。上には上がいる、ということだろうか。
強者はさらなる強者に喰われ、その連鎖が続いていく。天轟闘宴という檻の中で最後に生き残る猛獣は、果たして何者か。夜の帳が下りる頃には、その名も病院内に舞い込んでくるかもしれない。
漫然とそんなことを考えていると、控えめに病室の扉が叩かれた。
「ミョールさん、お薬の時間ですよ」
「……あ、はい」
因果応報、という古い言葉を信じている訳ではない。悪鬼が他の強者に叩き伏せられたというだけの話。誰かが、自分の意趣返しをしてくれた訳ではない。
それでも、今夜は闇に怯えず眠れそうな気がした。




