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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
7. 天に轟くは、闘いの宴
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218. ヘィルティニエ

 唸りながら飛んだ風の塊を、流護は身体ごと大きく動いて回避した。紙一重で避けては、髪や服を巻き込まれてしまう。

 一方で何度も拳を受けたジ・ファールは、少しずつ接近戦を避けるようになっていた。

 温い拳。軽い攻撃を当て続けたなら、より憤激して襲いかかってくるかとも考えていた流護だったが、この男は予想以上に冷静な戦闘思考を持っていたらしい。

 しつこく打ち続けたボディブローは読まれ、足捌きで躱されるようになってきている。

 それどころか、


「ハッ、なるほどな。大体の距離は掴めた。お前の間合いにはもう入らねぇよ」


 その眼光には狡猾な光が宿る。流護のリーチを見極めていたようだ。中間距離を保ち、つかず離れずの間合いを維持するようになっていた。


「術使わねーでおちょくってヌリィ攻撃喰らわせりゃ、オレがムキになって突っ込むとでも思ったか? ポンポンポンポン人の腹ばっか叩きやがって。効くと思ったのか? そんなモンが」


 無言で、一歩。流護は素早く踏み込むと同時、ジ・ファールの顔面へ向かって直線の左ジャブを疾らせる。ある意味、有海流護『最速』の一矢。繰り返した『下』からの『上』。師や桐畑良造以外に捌いた者がいなかった刻み突きを、しかしこの男はのけ反って完全にいなしきった。


(! コイツ……)


 ほとんどボクシングのスウェーと大差ない、無駄なく素早い動き。そのまま後方へ跳び、黒き影は間合いを保つ。相当な格闘センスだ、と現代日本の空手家は内心でその敵を評した。


「……おっと。くだらねー武術ゴッコは終いだ。やっと戻ったな、ヘィルティニエ」


 唐突なその言葉。鈍色を放つジ・ファールの眼光は、流護を見ていない。肩越しに、その後ろへと向けられている。

 やっと戻った。ヘィルティニエ。


「――」


 仲間の魔闘術士メイガスが戻ってきたのか。横目がちに後ろを振り返る流護だったが、


「…………?」


 誰も、いなかった。

 草に覆われた緑の大地。その向こう、深々と生い茂る木々。彩り豊かな自然が織り成すその風景に、人の姿はない。


(……、)


 まさか、ブラフか。誰か来たと偽り振り向かせて、隙を作ったつもりなのか。ジ・ファールは背後で、してやったりとでも思っているのか。

 前を向いて戦闘を続行しようとした瞬間、


「ッ!?」


 流護の眼前の風景が、魚眼レンズを通したように湾曲した。

 言い知れぬ悪寒を察し、咄嗟に身構える。

 そして、


「……が、――――はっ――!」


 全身を襲う凄まじい衝撃。見えない何かに張り飛ばされたかのごとく、流護は盛大に宙を舞う。二転三転と大地を跳ね、うつ伏せになりながらも顔を上げる。

 しかし、平原に佇むはジ・ファールただ一人のみ。他には誰もいない。


(遠くからの狙い撃ち、か――!?)


 倒れながらも素早く視線を巡らせれば、ジ・ファールがケタケタと嗤う。


「オウ、よーく防いだなァ。ハァッハハハ、だが、そっちじゃねーぞ。どこ見てんだよ。目の前だ、目の前」

「……!?」


 目の前。考えるまでもなく、目を凝らすまでもなく、何もない。誰もいない。吹き飛ばされたことで若干距離の離れたジ・ファールが、笑いながら立っているだけで――


 ぐにゃり、と歪んだ。


 そのジ・ファールの立ち姿が。大地を彩る草花が。間に、透明の異物を差し挟まれたかのように。

 考えるより早く、転がりながらその場を離れる。次の瞬間、一秒前まで流護の寝そべっていた地面が粉砕した。見えない重量物がのしかかったように、大地が爆ぜ、土砂が乱舞する。


「オウ、避けた避けた。上手く逃げるじゃねーか」


 空々しく響く魔闘術士メイガスの声。

 土煙が晴れても、やはりそこには何者の姿もない。この場には、流護とジ・ファール以外に誰もいない――。


「ククク。何が起きたか分からねぇ、ってツラだな。どれ……見せてやるよ、ホレ」

「………………!?」


 流護はただ目を剥く。

 濃度を増したのか――おぼろげな白光によって、陥没した地面の前に立つそれが、ぼんやりと浮き彫りになった。


 それは――巨大な、人型の上半身。

 高さは四、五メートル。胴回りだけで三、四メートル。両の腕はそれぞれ、生半可な木々よりも太い。頭は身体つきに比してひどく小さいボール状のものが乗っかっているだけの印象で、顔のパーツは存在しない。

 薄く発光する、絶大で不格好な人型。その巨躯の周囲を歪ませる風の流れ。


(……こ、れは……)


 ゲームなどに登場する、風の精霊や召喚獣。もしくは、歪な形をした巨大ゴーレム。現代日本からやってきた少年の脳裏に浮かんだのは、それだった。


「これがオレの風、ヘィルティニエだ。真価を発揮するためにゃ詠唱に一時間程度費やす必要があるが、性能は見ての通りだな」


 己より遥かに大きな風の化身を眺めながら、思い出したとばかりに魔闘術士メイガスは鼻で笑う。


「最初に言ったろ。『戻ってくるまで、オレが直々に相手しなきゃなんねーのか』ってよ。お前は勝手に他の連中の話だと勘違いしたみてーだが……オレが待ってたのは、ハナから『コイツ』だ」


 絶大な風の魔神とでもいうべきそれを顎で指し示し、淡々と羅列していく。


「オレはコイツを使って、ここに近付く奴らを狩ってたんだよ。そんでも逃がしちまう奴はいたし、お前みてーにすんなり抜けて辿り着いちまう奴が出てくることも考慮はしてたがな。飽くまで『術』ってこともあって、リングの回収もできねぇ」


 流護はゴンダーから聞いた話を思い出す。


『奴との距離は三十マイレ程もあった。奴はこちらに気付いていなかった。……しかし……あの、近くに何かが……人でない何者かが、潜んでいるかのような……』


 その正体。膨大な風の塊。ジ・ファールの遠隔操作によって動き、敵を討つ『攻撃術そのもの』。


「さァて……終わりにすっか。お前の詠唱は終わってるか、ガキ? まァ、何出したところでヘィルティニエは飲み込むがな。抗う手段がねぇってなら、大人しくすり潰されて死ね」


 白光が消える。轟音が唸りを上げる。

 姿は見えずとも。確かにそこに存在する風の怪物が、大気を歪ませて流護へと躍りかかった。






『うわわ、こちらからでは何も見えませんが、風の猛攻があるのでしょう! リューゴ選手が草原を駆け巡る! 追いかけるように、次々と土砂を巻き上げる地面!』

『ふむ……リューゴ氏も、見事……と言うべきでしょうか。あの風が人に近しい形状をしている事や、風切り音、僅かに撓む空間……そういった情報を頼りに、直撃を避け続けている。しかし――』


 完全にいなすことができなかったのか、流護の身体が横殴りに吹き飛んだ。たたらを踏みつつ持ちこたえ、大きく後ろへ跳ぶ。直前の地面が割れ、砂礫が舞う。

 一方で操者たる魔闘術士メイガスの首領は、そんな様子を少し離れた位置から悠々と眺めている。


『おや? こ、ここでジ・ファール選手、懐から何かを取り出しました……あーっと、これは……!』


 青々とした、瑞々しい大振りの葉が一枚。


『アーシレグナの葉です! リューゴ選手の相手を風の怪物に任せ、自らは悠々と回復! まるで顔を拭くように、傷へ宛がっていきます!』


 つー、と鼻から伝った血を拭き取り、ジ・ファールは葉を手放す。緑葉は、暴れ狂うヘイルティニエの余波に吹き散らされて飛んでいく。


『大した消耗はしていないはずですが、リューゴ選手に負わされていた傷を片手間で治療っ……! なんとも贅沢な使い方! 挑発的です! これはリューゴ選手、さらに不利となってしまったかっ』

『そのうえ、ジ・ファールの奴めはこれまで直接闘っておらん。アーシレグナをあと二枚残しとることになるのう』


 不利に次ぐ不利。観客席からも、悲観した声が上がり始める。


『それにしても驚かされたのは、ジ・ファールめの技巧よ。無法者に毛が生えた程度の輩かと思っておったが……よもや、覚霊かくれい級の使い手じゃったとは』


 ツェイリンの声音には、忌々しそうな色が滲んでいる。


『ええ。正直、私も驚いています。レフェ中を捜したとて、あれ程の巫術が扱える人間など……そうはいないでしょう』


 ドゥエンの言葉通り。


(……あの男……、まさか、これほどの詠術士メイジだったなんて)


 ベルグレッテもやはり、信じられないような気持ちで黒水鏡を注視していた。

 神詠術オラクルには、その使い方とも呼べる操術系統というものが存在する。『創出』、『開放』、『身体強化』、『補佐』……主たるものはこの四つだが、この他にも特殊な系統が少なからず存在している。

 比較的得意とする者も多い『創出』だが、これは既存の『何か』を模倣し、具現化することを示す。ベルグレッテの水剣。ダイゴスの雷節棍。ゴンダーの氷の盾。これらは全て『創出』に属するものだ。


 その中でも――究極形、と評されるもの。それが、今まさに鏡の向こうで顕現している。


 巨大な、風の魔神。

 少女騎士は以前、同種の神詠術オラクルと対峙したことがある。今から約二ヶ月前――暗殺組織『アウズィ』に命を狙われ、刺客の一人と相対したときのこと。敵の詠術士メイジ、ボン・ダーリオと名乗った男が喚び出した、炎の魔神とでも呼ぶべき莫大な赤の奔流。そのときベルグレッテは、同じく己の全身全霊である水の大剣をぶつけることによって、これを辛くも打ち破ったのだが――


(リューゴには……っ)


 神詠術オラクルがない。あの膨大な術の塊を相殺する手段がない。

 その拳圧で多少の術は霧散させてしまうことも多い流護だが、さすがにあれは桁違いだ。少年の身体より遥かに大きい、攻撃術そのもの。拳を打ち込んだ程度で、どうにかできるものではない。それどころか迂闊に攻撃を仕掛ければ、逆に手足を持っていかれてしまいかねない。

 流護自身、ベルグレッテとの戦術談義でよく主張する話だ。戦闘には相性がある。ジャンケンのようなもので、一概に強い弱いは語れない。その理屈に則るならば――相性として、このジ・ファールは流護にとって最悪の相手と言わざるを得ない。


(どうするの、リューゴ……!?)


 不安を胸に、少女はただ見守ることしかできなかった。






「そーいや、お前の名前も聞いてねーな。お前だけ一方的にオレを知ってるのは不公平だと思わねーか。名前を言え、ガキ」


 最初に座っていた倒木にドカリと腰を下ろし、ジ・ファールは横柄な態度で問う。


「……リューゴ、アリウミ……、十五歳でっおぉん!?」


 風の怪物が振り回す腕を躱しながら余裕げに答えようとした流護だったが、際どい一撃が頬をかすめ、言葉が途切れる。


「で、リューゴ。お前はどうしてオレを知ってる? オレに突っ掛かってきた理由は何だ?」

「逆に……訊きてぇんだけどよー」


 豪風を篭手で弾いて後退しながら、少年は魔闘術士メイガスへ冷ややかな視線を飛ばす。


「もう……五日前か。てめぇ、首都の路地裏で自分がやったこと覚えてるか?」

「あ? 質問返してんじゃねーよ、バカか。訊いてんのはオレだ、リューゴ」

「いいから答えろよ……なぁ!?」


 転がりながら、流護は片膝をついた瞬間に小石を投げ放つ。


「チッ!」


 咄嗟に首を傾けるジ・ファール。剛速のつぶては、その頬をかすめて飛んでいく。同時、眼前の風がピタリとその動きを止めた。独立して動く風の怪物のようでいて、そこはジ・ファールが操る攻撃術。咄嗟に使い手の意識が小石へ向いたことで集中が途切れ、静止したのだ。

 しかしそれも一瞬のこと、すぐに目前の空気が唸りを上げ始める。それはジ・ファールが集中力を――冷静さを取り戻した証でもあった。


「っと……集中が甘かったか。ハ、成程な。その怒りようからして、復讐……それも女ってトコか。五日前ってーと、あの金髪か。ミョールとかいったな、お前の女だったのか? クク」


 ケタケタと嗤う様は、まさしく髑髏を思わせる。


「下らねーんだよ、青臭ぇガキが」


 不可視の風を避けきれず、派手に転がる。起き上がって構えた流護を、見えない何かが叩き飛ばした。


「……ッ!」


 肌に切り傷が刻まれ、風が血風を舞い散らせる。


「女なんぞに、いちいち下らん情を抱く方がおかしい。外に出たなら一定数持って帰って、次々と子を生ませる。一族を繁栄させる。それだけの道具だ。勿論、どーせ仕込むなら上等な女に越したこたねーがな」

「……はっ、魔闘術士メイガスってのは動物かなんかかよ」

「お前は、違うのか?」


 挑発に対して返ってきたのは、想定外の問いだった。


「お前は脂が乗った極上の肉を見て、喰いてぇと思わねーのか? 目が眩むような金貨の山を見て、欲しいと思わねーのか? 小綺麗に着飾って色気づいた女を見て、犯してぇと思わねーのか?」


 偽らない、と。髑髏は、声高に言う。


「オレらはお前らと違って……いちいち我慢なんてしねぇ。自分の欲望を偽らねぇ。正直に生きてるってワケだ」

「馬鹿だろ……そんなんじゃ世の中が成り立たねぇから、ルールってもんが――」

「お前らのルールなんざ知ったこっちゃねーんだよ。お前らは一人の例外もなく、オレらの餌だ。餌は餌同士、勝手にルール作って馴れ合ってろ。オレら強者に対して、それを守らせる力もねーんだからよ。まっ……弱者は強者に喰われる。オレたちの糞としてひり出される。それだけのコトだ。何も難しい話じゃねー」


 平行線どころか、最初から噛み合わない会話。決定的に違いすぎる価値観。流護は風の猛追を躱しながらも、思わず鼻で笑う。


「……ふーん。じゃ、てめえがここで強者に喰われても、文句はねえって訳だ」

「喰うのはオレだ。いつだろうと、誰が相手だろうとな。無様に逃げながら吹いてんじゃねーぞ、ガキ。お前は――強者じゃねーよ」


 横殴りの暴風。ヘィルティニエが放つ、鉄の塊としか思えない不可視の一撃が、防御体勢を取った流護をお構いなしに薙ぎ払った。

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