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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
7. 天に轟くは、闘いの宴
216/673

216. ひとつの決着と、到達

「フン……」


 遥か後方から上がる黒煙を振り返り、エンロカクはつまらなげな息をついた。


 ――まるで聞き分けのない子供だ。

 自分が勝てないことに気付き、駒を盤ごとひっくり返すに等しい暴挙へ打って出る。しかしああいった輩が現れるから、天轟闘宴というものは何だかんだで油断ならない。

 黒髪の少年は何が起きようとしているのか分からず立ち尽くしていたが、果たしてどうなったか。

 もっとも、死んだならそれまでの話。生きていれば、また遭遇するだけのことだろう。幾度となく打撃を受けたが――最後に蹴られた脚、そして肘を落とされた鼻が、殊更にジンジンと痛みを発している。あの二撃は、明らかにそれまでとは質が違っていた。

 何か、縛りから解き放たれたような顔をしていた。もし再びまみえることがあれば、その時はさぞ至上の闘いが楽しめるに違いない。是非ともそれまで残ってもらいたいもんだ、と巨人はピアスの通った太い唇を吊り上げてみせる。


「フ……さて」


 今はそれより優先すべきことがある、とエンロカクは前を向く。

 ようやく思い当たったのだ。

 自爆した黒マントが乱入してくるその前に割って入ってきた、茸頭の青年。あれは――『十三武家』の若手だ。気にもかけていなかったが、謁見の間で見かけた覚えがある。民族衣装や対面したときの様子から考えて、まず間違いない。

 すぐさま姿を消した真意は不明だが、ドゥエンの指示に違いない。何らかの狙いがあるのだろう。

 さてあの青年は、どうやってこちらを見つけたのか。この広い森を闇雲に走り回り、偶然見つけたのか。


(……違うな)


 巨人はチラと視線を落とす。すぐ脇を流れる川。澄んでおり、飲み水として利用できる水の流れ。


(成程。随分と俺を研究してやがる)


 人より多く水分を必要とするこの身体。

 二度に渡る、『十三武家』の人間との遭遇。偶然などではなく、しっかりと把握しているのだ。エンロカク・スティージェの特性を。となれば――


 そう遠くない。

 その時は、もうすぐ訪れる。






「……ぐ……、あ……!」


 大地に転がった流護は、まず自分の首元を確認した。リングは外れていない。きちんと巻かれている。それほどの衝撃だった。全身がバラバラになりそうな痛み。まだ耳が聞こえない。

 あと少し気付くのが遅れていたら。立ち並ぶ木々を盾に走っていなかったら。背中に丈夫な袋を背負っていなかったら。何か一つでも欠けていれば、死んでいてもおかしくなかった。

 倒れたまま振り返れば、この森の丈夫な樹木が何本もまとめて倒壊している。掘り返されたような土くれが、そこかしこに飛散していた。立ち込める砂塵と、舞い上がる黒煙。本物の爆弾と遜色ないだろう、その破壊の爪痕。


 神詠術爆弾オラクルボムと呼ばれる、広域破壊術。


 一月前のレインディール王都テロで敵側の勢力が存在をちらつかせながら、しかし実際に行使されることはなかった、凶悪極まりない神詠術オラクル

 術者の技量によって威力は変わるそうだが、人を殺すには充分すぎる――過剰ともいえる代物だ。あとわずか逃げるのが遅かったなら、確実に終わっていたことは間違いない。


「……バカじゃ……ねぇのか……」


 そう呟いた自分の声が、辛うじて耳に届いた。

 負けるなら死を選ぶ。そういう連中だと話に聞いていたうえ、その瞳にも危険な光が宿ってはいたが、まさか本当にこんな真似をするとは思ってもみなかった。

 近くの木を支えに、ようやく立ち上がる。


「……く、」


 身体中が痛みを訴えている。服も所々が裂け、ボロ切れ一歩手前だ。それでも動けるのは、アーシレグナの葉の恩恵なのか。

 近くにエンロカクがいる気配はない。早々に爆弾を見抜き、遠くへ退避したのだろう。テロの際、爆弾の仕掛けを見抜くために騎士たちは慎重な検査を実施していたが、それをあっさり見破ったという点だけでも、あのエンロカクという男の技量の高さが窺える。


「……やっちまっ……た、かなぁ……」


 桜枝里を狙うエンロカクにはみすみす逃げられ、倒れたのは魔闘術士メイガスが一人だけ。

 流護自身の消耗も大きいものになってしまった。もはや全身に満遍なく傷を負っているような状態だが、特に無視できないのは――


「……づっ!」


 左脇腹。エンロカクの一撃がかすめた箇所だった。ひび程度は入ってしまっているかもしれない。いかなアーシレグナの葉とはいえ、さすがに骨を修復するような作用は望めないはず。沈痛効果で乗り切る、といったところが関の山か。


(痛みが酷くなってきたら……最後の一枚、使わなきゃかな……)


 漫然と考えながら、流護は歩みを進める。


「……ごめん、桜枝里。でも後で、絶対……」


 それは自身に言い聞かせるような言葉でもあった。

 今はただ、やれることを。

 北の方角。魔闘術士メイガスの首領ジ・ファールが待ち受けるという、その場所へ向かう。






 早何度目となるか。振り下ろされた枝――剣を打ち払うことに成功し、振るったシールドバッシュが敵の頬をかすめていく。


「ちっ……!」


 続けて振るわれる小盾の連撃に巻き込まれるのを嫌ってか、黒衣の男――カザ・ファールネスは大きく飛びずさった。


「ぜっ……、はっ」


 相当な長期戦となってきた。しかしゴンダー・エビシールは、息を荒げながらも――必死に意識を繋ぎ止めながらも、手応えを感じていた。

 アーシレグナの葉を温存していると予想した、目の前の難敵。しかしその相手に、回復を試みる気配がない。先ほど与えた一撃によるダメージが抜けないのか、動きも精彩を欠いている。付け焼き刃にすぎぬような『廻し受け』がことごとく成功し、カザ・ファールネスの手数は目に見えて減り始めていた。

 今や、互角以上の戦況を維持している。

 とはいえ、ゴンダーの傷も深い。大地を踏みしめるたび、斬られた右脚が痛みに疼く。出血の度合いからも、そう長くはもちそうにない。元の色が黒であるため目立たないが、存分に血を吸った礼服の裾は、沼に踏み入ったかのように濡れて重くなっていた。

 何より、意識が明滅するようになってきている。このまま続けていれば――決定打をもらわなくとも、ゴンダーは遠からず倒れるだろう。


「このオレが……てめーみてーな、雑魚なんぞに……」

「悪態にも力が感じられなくなってきたな、無法者。……ところで……貴様に、訊きたいことがある」


 身構えたまま、傷だらけのゴンダーは問う。


「五日前。首都の路地裏で、貴様らが狼藉を働いた相手を……覚えているか?」

「はぁ……?」

「十七日の昼過ぎ……つい先日の話だ。余程の馬鹿でなければ、記憶に残っている筈だろう?」

「……あー……あの『野郎』かァ……? 肩がぶつかって、揉めたよーなのがいたっけか。何だ、てめーの連れ――」



「――もう良い。此処で潰えろ、下郎」



 静かな怒りを押し殺したゴンダーは滑るように間を詰め、左のバックラーを横薙ぎに払う。


「んだッてんだ、この糞雑魚――」


 反応したカザ・ファールネスが迎撃しようと構えるが、ゴンダーは左を振り切らずピタリと止めた。


「なっ……、が!」


 目を剥いた魔闘術士メイガスの顔が、衝撃にぶれる。

 左を囮としてからの、右一閃。硬い氷盾に顔面を打ち抜かれたカザ・ファールネスは、血反吐を撒き散らしながら吹き飛んだ。


「ぜっ……、はぁっ……!」


 確かな手応えに、ゴンダーは拳を握りしめる。

 廻し受け。左と見せかけての右。流護を通じて知った、『カラテ』と呼ばれる武術の技巧。この数日間で齧った程度にすぎないが、人体構造というものを知り尽くしたうえで考案されたとしか思えない、恐ろしく洗練された技術だった。

 有海流護が宿す異常なまでの身体能力と、この『カラテ』の融合。彼のあの強さにも――かつて自分が呆気なく敗れてしまったことにも合点がいく。


 ――それはさておいて。


「……はっ、……ぐ……」


 ゴンダーはゆっくりと歩を進める。

 跪き、息も絶え絶えとなっているカザ・ファールネスの下へと。


 とうに己も限界。息を吐くたび、生命力そのものが失われていくような錯覚すら感じる。意識が途絶える前に、完全なる止めを刺さなければ――


「ま……待て、ちょっと待てって、来んな……そこで止まってくれ」


 歯が欠けて真っ赤に染まった口元を卑屈な笑みに歪ませ、無法の男は懇願する。


「も、もういい……こりごりだ。もう、俺の負けでいい」

「……首のリングが、外れておらぬ以上……意味を成さぬ、言葉だな……」


 ゴンダーとしては、立っているのもやっとの状況。カザ・ファールネスが自ら敗北を選ぶというのであれば僥倖だ。有無をいわさず殴りかかりたい気持ちもあるが、もはや身体が意志に従うかどうか怪しい。

 ならばせめて。この男がここで確かに脱落する様を、見届けなければ。


「わ、分かってるって。自分で外すっての。ちょっと待ってくれよ……」


 そう言って、カザ・ファールネスは己の首元へ両手を持っていき――


 くるん、と。


 左手のみを、しならせるように翻した。それはまるで、鞭を操るような手捌き。


「――――――」


 鋭く空を切る音と、衝撃。

 右肩口から、左脇腹まで。斜めに斬られたゴンダーの身体が、血煙を噴き上げた。


「……――――、…………」


 崩れ落ちる。

 その過程で、目撃した。

 カザ・ファールネスの翻した左手。その指に、細く長い蔓が巻かれているのを。その辺りに落ちていた、何の変哲もないただの蔦。しかし、この男の手にかかれば――


(……、不、覚――)


 ゴンダーは両膝をつき、前のめりに崩れ落ちた。ばしゃあ、と塗料をぶち撒けたような赤が大地を彩る。


「はー……、そもそもてめーよ、オカシイと思わなかったか?」


 指に巻きつけていた蔓を引き千切って放り投げ、カザ・ファールネスはゆっくりと立ち上がる。


「手にしたモノを刃に変える力……ってのはてめーも気付いたろうが、だったらオレは最初から、尺のある得物でも何でも持参してくりゃいい。枝だの蔦だのなんつーゴミなんざ使わねーで、手に馴染んだ武器を使えばいい。何でそれをしなかったと思う?」


 ふらふらと歩いてきた魔闘術士メイガスは、地に伏したゴンダーを見下ろしながら問う。

 絶叫した。


「売っ払っちまったんだよ、ジ・ファールが! オレの武器をよ! チンケな投げナイフしか残ってねぇーんだよ! ホレ、参加費が一人十万だろ!? オレら全員が出るなら、それだけで百万も払わなきゃなんねぇッ」


 倒れたゴンダーに蹴りを見舞う。


「優勝すりゃ金が十倍ンなって戻ってくるとは言うけどよ! そんでもオレだけ、武器を現地調達しながら闘わなきゃなんねぇ! ひでー話だと思わねーか、なぁ!?」


 蹴りの嵐を浴びせながら、カザ・ファールネスは不平をぶち撒けた。


(……、――――)


 ゴンダーの意識が、緩やかに遠のき始める。


「大体、最初っから自前の得物持ってりゃよー、てめーなんぞに指一本……れ…………せ……」


 消えていく感覚の中、ゴンダーは己の未熟を恥じていた。

 この男が負けを認めたあの瞬間、足を止めていなければ。


 もう限界だ、などと自分に言い訳をして。

 後先など考えず、魂を吐き出してでも、止めを刺すために躍りかかっていれば。


 ――結局、変わらなかったのだ。

 我が身可愛さのあまり、闘わずしてジ・ファールに臆してしまったことと同じ。もう動けない、と己を甘やかしてしまった結果が、これなのだ。


 絶対に勝ちたい、勝たねばならぬ、そんな相手だったというのに。


(……すま、ぬ……ミョール殿……)


 それは、届かぬ懺悔。しかし、思わずにはいられず。


(すま……ぬ……、リューゴ……殿……)


 奇跡が起きることはなく。

 ゴンダー・エビシールの首に巻かれていたリングが外れ、敗北が決定した。






「んー……? あ、ああ……首輪か……」


 カザ・ファールネスは、延々と蹴りつけていたゴンダーのリングが外れたことにようやく気がついた。荒くなった息を整えながら拾い上げる。


「っとによ……このオレが、てめーなんぞに手こずる訳ねーんだよ……、あークソ……クソクソクソ!」


 片足を大きく振り上げる。


「――死ねや、糞雑魚が……!」


 頭を踏みつけようとした瞬間、背後から強烈な力で引っ張られた。思い切りよろめき、派手に尻餅をつく。


「何だッ――、!」


 殺意剥き出しで顔を上げれば、自分を見下ろしているのは岩のごとき体躯の大男だった。鋭い眼光。刈り上げた坊主頭に、純白の衣。つまり――天轟闘宴の裏方たる白服。


「敗北が決まった相手への追い討ち行為は……禁止だ」


 見た目と違わぬ太い声で、判定員はそう警告する。


「へ、へ……分かってるっつの。少しばかり、熱くなっちまっただけだ……」


 ペッ、と唾を吐き捨て、その場から踵を返す。


 ――気に食わねぇ。どいつもこいつも、気に食わねぇ。

 血走った目で、魔闘術士メイガスは歯を食いしばる。噛み締めたその歯も所々隙間だらけになってしまっており、それが尚更の怒りを煽った。


(殺す。どいつもこいつも、ブッ殺してやる)


 最初から武器さえ持っていれば、こんな思いをすることもなかった。出場するための資金を酒やら遊びやらに使い切ってしまわなければ、こんなことにはならなかった。もっとも、猿と大差ない知能の連中に、まともな資金の運用などできるはずはなかったのだ。


(クソが……クソがクソがクソがクソが……!)


 武器だ。もっと使える武器を探さなければ。ジ・ファールのところにも後で戻ってみるべきだろう。こんな目に遭っているのは、あの兄のせいでもある。何が外の世界は餌だらけ、だ。愛用の銀鋼線や鎖分銅を兄が売り払ったりしなければ、こんなことにはならなかった。奴の指示に従っていなければ、こんなことはありえなかった。傲慢な兄。もし無様を晒しているようなことがあれば、この手で殺してやる――。


 すでに満身創痍。しかしその代償のように燃え上がる殺意を全身に滾らせ、勝利したカザ・ファールネスは森の中を行く。






(……ゴンダーさん……)


 鏡越しに戦局を見守っていたベルグレッテは、訪れた結末にガクリと肩を落とした。流護やディノが勝ち続ける姿を見ていると錯覚してしまいそうになるが、これこそが――天轟闘宴。熟達した詠術士メイジであっても容易には生き残れない、強者ひしめく闘争の宴。

 去っていくカザ・ファールネスの後ろ姿を、少女騎士は強く睨みつける。


(卑怯な、真似を……っ)


 触れたものや自らの手そのものを刃と化す能力も、奇妙で底知れない。見たことも聞いたこともない術だ。しかし何より、平然と汚い手段に打って出るそのやり方。決定打となった、負けを認めると見せかけてからの不意打ち。あの場にいたのが自分なら、やはり同じように騙されていたかもしれない。

 エドヴィンあたりが聞いたなら、「甘い」と切り捨てるだろう。リングが外れていないのに、追撃の手を止めてしまうほうが悪い。引っ掛かるほうが迂闊だと。


「誇りで飯は食えない……とは言うけどね」


 隣席の紳士だった。これまで表情豊かに闘いを見守っていた褐色肌の青年は、やや冷たい眼差しで言い連ねる。


「誇りを持てることも、人間の美徳だと思うよ。誇りも何もない、無様だろうが何だろうが勝てばいい……というのであれば、いっそ服なんて脱ぎ捨てて、獣として暮らせばいいさ。……なんて、ね」


 肩を竦め、冗談めかして締め括る。しかしそれは――押し殺しつつもわずかに滲ませた、静かな怒り。

 客席からも、魔闘術士メイガスに対する野次が盛大に飛んでいた。


『……カザ・ファールネス選手の勝利、ではあるのですが……その……』

『この天轟闘宴では、自ら負けを認める宣告など無意味ですから。相手がどのような行動を取ろうとも、惑わされず的確に……時には毅然と対処する。そういった心構えで臨みたいものです』


 解説を務めるドゥエンは、やはりどこまでも冷淡だった。


(……うん、行ってこよう)


 ベルグレッテは席から立ち上がる。

 ゴンダーの傷は深手だった。白服が処置を施して運んではいったが、やはり気がかりだ。様子を見に行こう、と頷く。

 神詠術爆弾オラクルボムが炸裂して以降、姿を捉えられていない流護のことも気になるが、黒水鏡は客席だけでなく様々な場所に設置されている。便・不便を問わなければ、どこででも観戦することは可能だ。大事な場面を見逃すこともないだろう。


「行ってらっしゃい」


 通行の妨げとなってしまうほど長々とした脚を引っ込めて、隣席の紳士が微笑む。


「……、はい、行って……きます……」


 赤の他人であるこの男にわざわざ断りを入れる必要もないのだが、ベルグレッテは反射的にそう返しつつ、紳士の前を横切って歩き出した。






 熱気の篭った客席に長時間座っていたためか、開けた場所がひどく心地いい。

 制限時間も七時間、真夏の空の下ということで、見る側にも体力が要求されそうな催し。屋台や簡易トイレにも、長蛇の列が連なっている。それぞれの施設の脇に黒水鏡が設置されているため、並びながら観戦している者も多い。周辺に広がる草原には、飽きてしまったか寝転がっている子供の姿もあった。


「ふう……」


 購入したばかりの冷たい水を一口、ベルグレッテは息をつく。

 選手の運び込まれる医療キャンプを訪れたのだが、ゴンダーは絶対安静のため面会禁止――とのことで、門前払いにされてしまった。深手ではあるものの、幸い命に別状はないそうで、武祭が終わる頃には顔を合わせることもできるようになるらしい。

 ベルグレッテだけではない。他にも参加者の身内らしき人々が、少なからずキャンプを訪れていた。ケガならばまだいい、と捉えるべきなのか。集まった人々の中には、泣き崩れている者の姿も見受けられた。


(……ん。ケガなら、まだ……)


 ミョールやゴンダーのように。その命さえ、健在であるならば。

 眼前に広がる黒い森。その中で未だ闘い続けている流護を思う。


(無事に……無事に、帰ってきて……)


 この数ヶ月の間だけで、親しい人を多く失った。

 ブリジアの街近郊に住んでいた農家の娘、ミネット。同じ師から共に剣を学んだ、兄弟子のロムアルド。ロイヤルガード候補として名高いカルドンヌ家、その令嬢であるシリル。『銀黎部隊シルヴァリオス』の一員で幼少の頃から顔なじみだったデトレフは、暗殺者として牙を剥き、罪人として裁かれた。


(もう……嫌だよ)


 学院の皆や、クレアリア、ミア、リーフィア。そして自分自身。流護がいなければどうなっていたか分からない窮地も経験している。


(無事に……帰ってきて……)


 少女は目を閉じ、両手の指を組み合わせる。己が信奉する水の神、ウィーテリヴィアに祈りを捧げて――



 流護さえ無事なら。

 他のことなんて、どうなってもいいから。



「……、――――ッッ!?」


 思わず、祈りを中断した。

 唐突に割り込んできた『何か』。邪念めいた黒い『何か』が、サッと頭の中を駆け抜けた。闇に跋扈する怨魔のように。

 目を見開き、自分の両手を凝視する。


「……そん……な、ことっ……」


 思わない。思うはずがない。なのに。隙間を突くように、そんな囁きが。


「……、っ」


 初めてではない。

 ベルグレッテは、今の感覚を知っている。奥底から湧き上がるような、黒く強烈な『何か』を知っている。


 あのときだ。


 学院を襲ってきた怨魔の群れ。腕を吹き飛ばされ、瀕死となった流護。屋上から飛び出し、全力でファーヴナールに立ち向かった自分。

 あのときに……あの激闘の果てに、何と思った? そう。確か――


『う、うわわっと! こ、これは!?』


 そこで、突然響いたシーノメアの通信にハッとする。


「!」


 ベルグレッテは売店脇の鏡を注視した。

 参加者が絞られ、戦闘回数も少なくなってきた後半戦。鏡に映し出されるその光景。

 それは。

 ついに。ついに――


『この人はどこまで頑丈なのでしょうか! 崖から転落、爆発に巻き込まれても何のその! 普通に歩いてる! 川沿いの獣道を行くは、無術を貫き通す男の中の男、リューゴ・アリウミ! そっ、そしてっその向かう先はっ……!』


 その足取りに迷いはなく。


『常緑の広場です! まるで相手がそこにいることを知っているかのような、迷いのない足取り! このまま行けば……開始から動かず佇んでいる、魔闘術士メイガスの首領ことジ・ファール選手! 黒き集団の長が待つ、その場所へ到達します!』


 瞬間、凄まじい歓声が爆発した。

 これまでの魔闘術士メイガスの所業に、客たちも鬱憤が蓄積していたのだろう。巻き起こる、怒涛の『リューゴコール』。総勢三万の人々が張り上げ連呼する、流護の名前。


「~~~~っ!」


 自然、ベルグレッテも胸を熱くさせてしまう。

 こうしてはいられない。

 少女騎士も自席で腰を据えて観戦するべく、その場から駆け出した。これから始まる闘いを、彼が勝利するところを、大きな黒水鏡で見届けるために。

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