208. 連刃と重撃
両腕にそれぞれ現界するは、湾曲した二振りの白。
剣の家系が次期当主候補、エルゴ・スティージェによる連舞連撃。身体ごと旋回させる一撃、その繰り返しによって間断なく降り注ぐ光刃は、少しずつ――しかし確実に、エンロカクの纏う逆風の天衣を突破していく。
「お、おお」
それはまさに、隙間あらば差し込む光明。『十三武家』における闇――エンロカクを浄化するかのごとく、瞬きを増していく。風の防壁にひびを入れ、エンロカクの黒い肌を裂き、傷を刻んでいく。
(……光属性たぁな、初めて見たぜ。このガキ、思った以上にやるじゃねえか――)
打ち下ろす一撃。左右より飛来する一閃。強烈な光によって為されるそれらは目を眩ませ、正確な軌道を悟らせない。それでいて凄まじいまでの速度を誇っていた。
白き尾を引く斬撃の嵐は、エンロカクにある考えを抱かせる。
(このまま……、俺は――)
刹那、二双の軌道が重なった。
「!」
強烈さを増した閃光に、エンロカクは思わず目を細める。
次いで訪れる、腹部への衝撃。
全く同じ軌跡を描く二連撃だった。
一撃目を打ちつけた際に生じる、逆風の天衣のわずかな綻び。そこへ間髪入れず同じ軌道の二撃目を差し込むことによって、防御を完全突破。エンロカクの身体に、刃を届かせていた。
「グッ……」
久々に感じるまともな痛み。期せず呻きが漏れる。
(成程なァ……、俺の縁者、ってぇだけのことはあるぜ)
ここまでかすり傷ひとつ負わせることもできなかった、有象無象の雑魚連中とは違う。これも血統か、と黒い巨人は太い唇を笑みの形に歪める。
「あぁ!? 笑ってんじゃねェぞゴッラァ!? カスがッ!」
エルゴの怒りに満ちた絶叫。しかし振るわれる刃の軌道に乱れはない。二連の斬衝が、エンロカクの左肩から血飛沫を噴出させた。
――スティージェの系譜。希少な光属性を宿す少年。
ただ闇雲に剣を振るうだけでなく、攻撃を続けながら試行錯誤している。その結果、逆風の天衣を突破しつつある。
(……ここで、このまま……)
止むことのない光の豪雨に晒され続け、エンロカクの巨体が確かな軋みを上げ始めた。
(何だ何だ何だ、亀みてェに縮こまりやがってよぉ――)
一閃。
(大したことねぇなあ、オイ……! これがエンロカクかよ……!)
また、一閃。
エルゴは微塵も速度を落とすことなく、斬撃を刻み続ける。エンロカクという闇に、光を浴びせ続ける。
確信する。この男は今や、旧時代の遺物だ。
現在のスティージェに及ぶべくもない。
(けど、まぁ……流石に、最強の一角とか呼ばれてただけのことはあるのかね)
これだけの攻撃を加えていながら、未だ倒れない――どころではなく、決定打となるような傷を負わせることができない。
単純に、硬いのだ。
逆風の天衣だけではない。結界さながらの風壁を突破した末にようやくたどり着ける、エンロカク・スティージェの肉体。鍛え抜かれたその黒い筋肉が、またこの上なく頑強なのだ。人とは思えぬほどに。
(けど、まるで大岩刪削だよ。退屈だね)
巨大な岩を攻撃術にて削り続け、規定の大きさに収めるという修業がある。幾度となくこなしたその鍛練を思い出し、エルゴは思わずあくびを噛み殺した。一切、攻勢の手を緩めぬまま。
(……さて)
この状況から脱するために、エンロカクが取れる選択肢は――二つ。
その鉄壁の防御にて攻撃を凌ぎ続け、エルゴが疲弊するのを待つか。機会を窺い、連撃の合間に反撃の一手を差し挟むか。
(……まぁ、)
剣の少年は嗤う。
(とりあえず前者は潰しちまうけどな!)
光の残像が、回転を増した。
「!」
エンロカクが瞠目する。
「――おい、オジサンさ。何驚いてんの? まさか、今までのが――」
さらに、回転を増す。
「今までのが、僕の全力だとでも思ってたんじゃねえだろうなぁ!?」
輝度を増した光の暴風が、エンロカク・スティージェを削り取る。大男の意思と関係なく、その巨体を後退させる。
(こうなったら……選択肢は、一つしかなくなるだろ?)
エルゴは剣の家系に生れ落ちながら――天才だと称賛されながら、鍛錬を怠ったことはない。物心ついてからこれまで、一日たりとて修練を欠かしたことはない。術の才覚は当然のことながら、最も自信を抱いているのは体力だった。この攻勢を、あと十分は続けられる。
連撃はすでに、エンロカクの風を切り裂き、幾度もその肉体に刃を届かせている。傷を与えている。このままいけば――巨人は確実に、エルゴが疲弊するよりも早く倒れる。
(ホラ……意味のない我慢なんてやめてさぁ)
疲弊はありえない。エンロカクも悟り始めているだろう。となれば――
注視する。その瞬間を見逃さぬよう、集中を高める。攻撃を続けながら、その時を待つ。
エンロカクが逆風の天衣を解き、反撃に転じてくる一瞬を。
攻撃系統の術と、防御系統の術。もしくは、補助系統の術。それら異なる性質の巫術を同時に扱うことは不可能とされている。一見してあらゆるものを遮断するかに思えるエンロカクの防御術だが、それを展開したままでは、攻撃術や補助術を使うことができないのだ。
となれば――反撃に移る際には、防御を解く必要が出てくる。
エルゴは、その一瞬を見逃さない。逆風の天衣が解ける瞬間を。この男が反撃に転じ、攻撃術の『揺らぎ』が発生する瞬間を。
「……ろ……、……い……か、なァ……」
太い声。防御を風に任せたまま立ち尽くしている巨人から、野太い声音が漏れる。
「あぁ!? 聞こえねえぞカス、はっきり喋れや! 命乞いなら聞かねぇけどなぁ!?」
迸る白光。飛び散る血潮。
刹那。
エンロカクの巨躯から、風が消失した。
防御を――解いた。
「――――」
認識すると同時。曲げる。加速する。
袈裟懸けの白刃、右一閃が、エンロカクの身体を斜めから断ち斬った。振り抜いた剣速に遅れ、血煙が舞う。黒き巨体が、確かに傾いた。
(クソ硬ぇ、筋肉馬鹿が……!)
ダメージは浅い。防御術が消失したのはいいが、それでもこの男の肉体そのものが頑強すぎる。手応えはあったものの、致命傷には程遠い。されど、確実に傷を与えることはできる。エルゴは焦らず、至近でエンロカクを観察する。
攻撃術発生の『揺らぎ』は見られない。反撃はまだ来ない。もう一撃入れられる。ここまでの結論に秒を要しない即断。
素早く腕を舞わせ、左斬り上げの軌道で刃を刻む。またも一拍遅れ、エンロカクの身体から血飛沫が舞った。
「……?」
あっさりと入り『すぎる』攻撃に、エルゴは眉をひそめる。
(何だ? いくらウスノロだとしても、どうしてこうも簡単に――)
まだ、反撃は来ない。刹那の時を待とうとも、須臾の時間が過ぎようとも、厘の領域を超え、一秒が過ぎ去っても。反撃が、来ない――どころではなかった。
エンロカク・スティージェは防御術を解いたまま、反撃に転じることもないまま、その場に立ち尽くしていた。あまりにも堂々と。血にまみれた身体で。
そして、言い放つ。
「どうした、小坊主。終いか?」
「は……ぁ?」
――何だ、この馬鹿は。
そんな血まみれで、何を余裕ぶっていやがる。
どちらが優勢なのか、考えるまでもないこの状況が理解できていないのか。思わず呆然となるエルゴに、巨人は悠然と言葉を投げかける。
「そうだそうだ。さっき呟いたのはな」
小さなピアスの通った太い唇が、楽しげに歪む。
「もうそろそろ終いでいいかなァ、って言ったんだよ」
ふ、とエルゴの鼻から空気が漏れた。
「そうだね」
光が、閃く。
「終れよ、カス」
防御を再展開するでもなく、反撃に転じるでもない落伍者に、刃を振るう。
――勝ちを放棄したなら、最初からそう言え。慎重に斬りつけてたこっちが馬鹿みてぇだろうが。
光刃は残像を残し、首を断ち斬らんと迫る。
その一撃――より速く。
黒く野太いエンロカクの右腕が、エルゴの頭を掴んでいた。振るった斬光は、呆気なく素手の左腕に阻まれる。黒く強靭な下腕。その薄皮一枚、わずかな血を流させるのみに留まる。
「……ッ!?」
そこに攻撃術の『揺らぎ』はなく。触れてきた右手はただ、物理的に頭を鷲掴みにするだけの行為で。緩慢に、光刃を振り払った左腕がエルゴの顎下へ。
この男は、攻撃術を仕掛けるでもなく、防御術を展開するでもなく――ただ、エルゴの頭部に指を添えているだけ。まるで、手に取った果実を品定めでもするかのように。
何だ。何をしてんだこいつは。
理解、できない。
「……気安く、触っ……てんじゃねえ、このダボが――!」
激昂した剣の若手が、光芒の一閃を放つより先に。
内側から響く音。ばき、ごきんと木霊する衝撃。
同時、エルゴの視界が回転した。
「……、…………!」
投げ技か、と少年は忌々しげに歯噛みする。
未熟だった幼い頃を思い起こす景色。投げ飛ばされ、いなされ、回転する景色。起き上がってくる地面。そうして上も下も分からなくなった世界で、身体が大地へ叩きつけられるのだ。
――が、おかしい。
視界が威勢よく回ったにもかかわらず、身体には――足には、大地の感触がある。
「…………、……?」
何だ。おかしい。
首が……、
「お前が思ったよりやるんでな。ちと早えが、このまま調整しちまうべきかどうか迷ってたんだ。ってぇワケで、ちょいと利用させてもらった。ひとまず傷は、この程度で充分だ。もういいぜ、お疲れさん」
は? どういう意味? 何言ってんだ? 何言ってんの? 説明しろ、おいカス。
巨人の濁った瞳はすでに、首をねじ曲げたままで佇むエルゴの姿を捉えてはいなかった。その視線は、細かな傷と血に染まった自らの身体を見下ろしている。
「ン~……さすがに汚れたな。少しばかり流すとするか」
その言葉が合図だったかのように。剣の少年は――、役目を終えたがごとく倒れ伏す。
結局、一度として攻撃術を振るうことなく。純粋な腕力のみで勝利したエンロカク・スティージェは、倒れゆく己が縁者の最期を見届けることすらせず、歩き出した。
バシュン、と参加者の脱落を告げる音が鳴り響く。
無意識に目を向け、解説席に並ぶ者たちは一様に硬直した。
『え……』
『むっ……』
呆然となる素人娘のシーノメア、眉をひそめる『凶禍の者』ツェイリン。
そして、
『…………』
無言で鏡を注視する、ドゥエン・アケローン。
166番――エルゴ・スティージェの名が、消失した。
『なっ……、なんとここで、剣の家系より出場している次期当主候補、エルゴ・スティージェが……脱落ですっ……!』
動揺しながらも、シーノメアが辛うじて職務を全うする。
『ツェイリン殿。拾えますか』
『……いや……感知できん。鏡のない場所でやられよったな』
ドゥエンの問いに対し、ツェイリンは首を小さく横へ振った。
観客席からもざわめきが上がっている。
『十三武家』の中心的存在である、剣の家系。その中でも期待の若手、次期当主と目されているエルゴがこの段階で脱落となれば無理もない。
(……エルゴめ。まさか……)
ドゥエンは心中で舌を打つ。
他の参加者や魔闘術士に遅れを取るとは考えづらい。となれば、独断で――
エンロカクにただならぬ対抗心を燃やしていることは理解していたが、そこは若くとも次期当主候補。仕事は仕事、個人的な感情はまた別。そう割り切り、言いつけた任務は全うするだろうと思っていた。
だが――『若い』ではなく、『幼い』と評価するべきだったらしい。
剣の当主め、中心的存在などと持てはやされ、若手の教育を怠ったか。
そう考えを巡らせながら、ドゥエンは冷たい眼差しで鏡を眺める。
(……ダイゴスよ。お前はよもや……私を失望させはしまいな……?)
「……、はぁ」
水を一口、桜枝里は胸の内側に詰まった何かを吐き出すように息をつく。
凄まじい闘いの連続。
結局、先ほどのディノ・ゲイルローエンは、あの近代兵器スーツを相手に勝利してしまった。あんな文明レベルを無視したような代物が存在したことにも驚いたが、それを凌駕する巫術の凄まじさも、改めて認識する……。
ちなみに今、白服の面々が飛んでいったバダルエを捜している最中らしい。
「……?」
そこで何やら控えていた兵士たちの様子が慌ただしくなり、桜枝里は落ち着かず周囲を見回した。
深刻そうな顔をした赤鎧の大男がやってきて、隣の席の国長に耳打ちをする。
「長様。エルゴが……」
「……、なんと……」
国長カイエルの表情が、苦渋の色に染まる。
(……、)
鏡の映像として見ることはできなかったが、つい先ほど、剣の家系から出場しているエルゴが脱落してしまったばかり。このざわめきも、それに関係するものなのか――
「……!」
そこで、その光景が視界に飛び込んでくる。慌しく動いている兵士たちの中、一人の女性が大柄な男性兵士にすがりついていた。ひどく取り乱し、何事かをわめき散らしているようだが――あれは、エルゴの母親だ。一度だけ、城内で見かけたことがあった。
嫌な予感が走ると同時、こちらへやってくる兵士二名の会話が桜枝里の耳に届く。
「信じられんな……。あのエルゴが……即死だとよ」
「母上も気の毒にな。首が、あり得ないぐらい捻られて……」
「やったのは、エンロカクで間違いないようだが……当然だろうな。奴以外に、あんな真似ができる者などおらんよ」
「正直エルゴならば、と思っていたが……これ程、力の差があったというのか……」
(…………、っ)
エンロカク。またその名前。また、あの男が。
「……、」
桜枝里は頭を抱える。
エンロカク・スティージェが。着実に勝利を重ね、優勝へ近づいている。自分へと近づいてくる……。
もう、いや……。




