205. セプティウス
ベルグレッテにしてみれば、到底信じがたい光景だった。
あのディノ・ゲイルローエンが。流護との闘いをも平然と凌いでいた、あの『ペンタ』が。唐突にのけ反り、糸が切れた人形ように転げ落ちていった。
(……どういう、こと……? なにが、起こったの……?)
バダルエが右手に握る、小さな物体。見たことのない道具だ。握り締めている部分は、剣でいう柄に当たる部分か。短く伸びる筒の先には、穴が開いている。あそこから何か――大砲でいえば砲弾に相当するものを発射したのだろうか。
だとしても、あんな小さな道具で、ディノに有効な攻撃を浴びせられるとはとても思えない。
『……小砲、と我々は呼んでいます』
どこまでも静かな声で、ドゥエンが解説する。
『あれは……驚く程精巧な技術によって造られた、人を殺める為の道具です』
『え……』
ひどく物騒な響きに、シーノメアのみならず会場がどよめく。
『内部に蔵された緻密な機構と火の巫術が、爆発的な力を以って弾を撃ち出す仕組みとなっています』
『弾、ですか……?』
『ええ。ほんの小さな……赤色鉛で造られた、一センタル強程度の物ですが。しかしこれが、撃ち出される事によって恐るべき速度と貫通力を伴います』
分厚い表皮や筋肉を持つ猛獣、怨魔などには効果が薄いが、人間という生物を相手取るにはこの上ない武装。到底視認できない速度で飛来した鉛の弾が、標的を貫く。
『この小砲の驚異的な点は、弓やボウガンに比べ、小型且つ扱いが容易である事です。そのうえで、威力も大きい。あのように――』
冷たい眼差しで黒水鏡を眺め、覇者は言い捨てる。
『弱者が強者を討ち取る事も、容易に可能としてしまう』
バダルエを弱者と言い捨てる、侮蔑の言葉だった。
当の老人は鏡の向こうで跪き、天に祈りを捧げている。神を否定しておきながら、その祈りは何者に捧げているというのか。
『先程、「武祭に大砲を持ち込む輩はいない」という例え話を出しましたが……あの小砲という武器は、まさに小型の大砲とでも形容すべき代物なのです』
バダルエが持ち込んだ『モノ』の異常性を咀嚼し、音声担当のシーノメアが苦い表情で呟く。
『……それで、あれは……私、初めて見たんですけど……誰が、あんなものを……? 普通に武器として出回ってるんですか、あんなものが……?』
もっともな疑問だった。
『ペンタ』ですら易々と討ち取ってしまう武装。小型で、懐に忍ばせて携帯することも簡単だ。あんなものが数あれば、世の中の力関係がひっくり返りかねない。
当然ではあるが、シーノメアと同様、ベルグレッテも初めて目にする代物だった。
『残念ながら、出処は未だ掴めておりません。が……幸いにして、出回っている……と言う訳でもありません。私自身、鉄機呪装を――小砲を見たのは、これで三度目になります』
最初は五年前だったという。旅の商人より、とある街道にて野盗が頻出するため征伐してほしい、との要請があった。
珍しい話ではない。むしろ、日常の部類に入る出来事だろう。十数名ほどの兵士を派遣し、報告待ちとした。
しかし、期日を過ぎても兵は一人として戻らず、また連絡もない。
念のためドゥエン自身が兵を引き連れて出向き――そして、遭遇した。
見たこともない全身金属の装い。賊の頭領の身を包んでいた、その黒銀。玩具のように小さな、見たこともない道具。筒の先端を向けられた後に鳴り響く、乾いた音。それだけで、冗談のように倒れていく兵士たち。
『数名の兵が為す術なく倒されたところで、漸く気付きました。あの小さな筒から、恐るべき威力の射撃が放たれているのだと』
弓やボウガンと同じ、射撃武器。しかしその速度、威力は比較にならない。恐るべき殺傷力を秘めた、未知の兵装。
もはやただの野盗と侮れる相手ではなく、全兵力をもって叩きのめしたという。
『私自身……撃たれています。その時の傷がこれです』
鏡に映るドゥエンの右の二の腕。そこには穿たれたような形跡を残す、丸い傷痕があった。五年の月日が経過してなお、痛々しく残る痕跡。
『ドゥエンさんですら……避けることができなかったと……?』
『ええ、初見では』
激しい戦闘の末、鉄機呪装や小砲は完全に損壊。装着していた賊の頭も死亡。配下の野盗たちは詳細を何も知らず、この奇妙な武装についての情報は得られなかった。
ただ。
人を簡単に殺めることのできる危険な代物だ、という事実だけは身をもって理解した。それも――力なき者であっても容易く強者を屠ることが可能な、前代未聞の凶器。
『二年後……またも鉄機呪装を運用していた山賊を見つけ、その際は捕縛に成功しています』
『じ、じゃあ! 何か分かったんですか?』
期待に満ちた目を向けるシーノメアだったが、
『残念ながら、詳しい事は何も。装着者は頑として吐かず、あっさりと自害してしまいました。……が、無傷に近い鉄機呪装を入手する事が出来ました』
そうして、先ほど解説した小砲の構造などが調べ上げられた。便宜的に鉄機呪装や小砲といった名称をつけたのも、このときなのだそうだ。
ちなみに、現在のレフェでは到底再現できないほど高い技術が用いられていることも分かったという。
『そのような事情もあり、私が鉄機呪装を目撃するのはこれで三度目となります。あれは武具の範疇を超えた代物です。まさか、武祭に持ち込む者が現れるとは考えもしませんでした。バダルエ氏を取り押さえ、詳しい話を訊く事にしましょう』
ニッ、とドゥエンは冷ややかに微笑む。
『で、でもドゥエンさんっ。そんな危ないものを使う人を、どうやって取り押さえるんですか?』
何しろ、『ペンタ』を正面から打ち倒すような装備だ。ドゥエン自身、初見で総力戦になったと語っている。そんな相手を、いかに屈強な白服たちとはいえ止められるものなのか――という疑問は、誰しもが抱くところだろう。
『一見、隈なく全身を覆っているかのように思える鉄機呪装ですが……中身は人間ですから。視覚を持つ人間が纏っている以上、閃光で怯ませる、幻覚で惑わせる、といった手段は有効です』
『あ! た、たしかに!』
『……ただ――』
『ただ?』
『そういった対策も、二度に渡る鉄機呪装との交戦を経て考案されたもの。あの武装は、初見の人間に対して余りにも強力過ぎるのです』
対峙した相手を瞬く間に撃ち殺してしまうという性能。まさしくそれを実現した、鏡の向こうの光景。
さしものディノとて、何が起きたのか分からないうちに倒されたに違いない。
呆気なく転落していった、超越者たるディノ・ゲイルローエン。天に勝利を喜ぶは、持たざる者であるバダルエ・ベカー。
この世に生まれ落ちたその時点から隔絶している、彼我の実力差を覆しての決着。ベルグレッテとしても到底信じがたい光景だったが、もし流護がこの場面を目撃したならば、何を思うのだろうか――
(……、あれ、でも……)
そこで少女騎士は今更ながらあることに気付き、鏡を注視する。
『これ以上の犠牲が出る前に、白服の到着を期待したいところですが』
鉄機呪装の脅威性を語り尽くし、そう締め括ろうとするドゥエンだったが、
『あの……でも、ドゥエンさん。私も、今気付いたんですけど』
少し呆然としたような、シーノメアの声。その目線は、黒水鏡に釘付けとなっている。
彼女だけではない。先ほどから怪訝に思っていた者も少なくなかったのだろう、客席にもわずかなどよめきが起きていた。
ベルグレッテもつい今しがた、その事実に気がついたのだ。
『ディノ選手……名前の表示が、まったく……消える気配がないみたいなんですけど――』
涙が溢れそうだった。
右手に携えし力、ハンドショット。あらゆる敵を討滅せしめてきたこの力は、神に等しき者――『ペンタ』に対しても有用であると示された。
つまりは。
「私は……遂に、神の領域へと到達した」
バダルエは歓喜に身を震わせ、青年の落ちていった草薮に目を向ける。
信じがたい戦果だ。自分の力の前に、神の子が敗北を喫したのだ。しかし、現実だ。この身は今、神に限りなく近づいた。
儀式の贄となった彼に、せめて安らかな眠りを――と祈るべく天を仰ごうとして、
「…………!?」
視界に入った。
揺れる草むら。人より丈の高い草を掻き分け、何かがやってくる。
「――――――ッ」
そして。
射殺したはずの炎の『ペンタ』が、さも当然のように姿を現した。
弾は外れていない。間違いなく直撃している。その証として、青年の脇腹や胸元は朱色に染まり、額からは鮮血が伝っていた。が、浅いのだ。穴が穿たれていない。弾丸が肉を抉っていない。
事実、ダメージなどほとんどなかったかのように、平然と歩いてくる。
(な、何と……、)
下の草薮からバダルエを見上げて、超越者は不敵に笑う。
「オイオイ。てっきり、追撃が来るモンだと思って待ってたんだがな。こんなトコで何を呆けてやがる。まさか、とは思うが――」
額から伝う血を、赤い舌でペロリと舐め上げて。
「あの程度で、オレに勝ったつもりになってたんじゃねェだろーな?」
バダルエは震える。
「お、おお……おおお……」
声が、身体が。
歓喜に、打ち震える。
「そうだ……そうでなくては……! 神にも等しき存在が、ああも容易く倒れるはずはない……! あっては、ならない……!」
相手が人ならば誰であろうと撃てば殺せる、という触れ込みで受け取ったハンドショット。事実これまで、斃れない人間など皆無だった。
しかし今、目の前に耐えた者がいる。
そう。彼は神の子。ただの人ではない。易々と死ぬはずがないのだ。
「それでこそ――乗り越えるべき存在……!」
ハンドショットに込められる弾は三発。まさか一人を相手に撃ち尽くしたうえ、充填することになるとは思いもしなかった。しかし当然なのだ。彼は通常の人間ではない。神の子なのだから。
バダルエは喜々として左腕の格納部へ手を突っ込み、弾薬を取り出す。
油断していたつもりはなかった。
熱壁を纏い、わずかな所作や『揺らぎ』をも見逃さぬよう、一挙一動に注意を払っていた。
それでもなお、その一撃は視認できなかった。あまつさえ熱の薄膜を突破し、ディノの腹に突き刺さった。
――驚異的な速度、貫通力を誇る飛び道具。攻撃術の力を内包した封術具というものは存在するが、これほどの威力を誇るものをディノは知らない。
受けた直後にそう認識しつつ、急所の防御を強化。最大限に魂心力を込めた防御は間に合わない。現状で展開できるだけの障壁を咄嗟に纏い――刹那の後、読み通り心臓と額に着弾。やはり砲撃は、またもディノの防御術を上回った。そうして、額へと受けた衝撃によって昏倒した。
油断していたつもりはなかったが、まさしく『つもり』だったのだろう。
あの黒髪の少年以外に、楽しめる相手などいない。自分に傷を負わせることのできる者など、他に存在しない。目前の敵に、自分の脅威となり得る攻め手などありはしない。
そんな慢心の生んだ結果が――これだ。
かつて投石砲を防いだときのように全力の防御を展開していれば、こんな無様は晒さなかっただろう。もっともあれは、全身全霊を守りへと集中する術。行使中は動けないうえ、発動までも発動直後も、若干の行動遅延が発生する。気軽には使いづらいのだ。いかに初見の相手が何をしてくるか不明とはいえ、最初から亀のように縮こまって守りに徹するなど、性分ではないという思いもある。
ディノは笑みと共に熱気を纏う。額から筋を描いていた血流が、赤い霞となって蒸発した。
久々に感じる――無様な自身への怒り。そして、『強き敵』に対する高揚。
追撃の準備を終えたのか、バダルエが再び筒の先端をディノへと向ける。
――砂利よりも小ぶりな、金属製の弾らしきものを組み込んでいた。射出しているものの正体はそれか。
射撃の軌道は物差しを当てたような直線。連続して放てるのは三発まで。撃ち尽くしたなら、大砲の弾を装填するように、手動で込め直す必要がある。
驚くべきは、あれ程の威力を誇る一撃が、指先の引き金ひとつで放たれていることか。恐ろしく強力な武器といえるだろう。
これまでの状況から、ディノはその奇妙なモノの特徴をそう分析した。
姿勢低く地を蹴り、バダルエへと肉薄する。
同時に鳴り響く、ぱん、と乾いた音。
ひどく味気ない砲声。だがそれは、『ペンタ』をも屠り得る必殺の一撃――
がん、と疾る衝撃。
通算四度目となる射撃は、寸分違わずディノの眉間へと飛来。着弾――せず、火花のみを残して消滅した。
「な――――」
驚嘆に染まったのはバダルエの声。
前傾気味に走り寄るディノは、額を撃たれると予測した。頭を狙いやすいよう、仕向けていた。
そのうえで展開したのは、防御術の一点特化。眉間の周囲にのみ術を凝縮・現界し、射撃を完全に凌ぎきった。
読みが外れて他の部位を撃たれていたなら、無残に肉が弾けたことだろう。
「クッ!」
足を射抜いて止めようとしたのか、バダルエの持つ得物――筒の先端が下向く。
「遅ェッ!」
しかしすでに『ペンタ』の射程圏内。大気灼く業炎が発現、唸りを上げる。
横薙ぎに迸った炎柱が、バダルエの身体を豪快に打ち据えた。
「ぁ、がば――、――――!」
馬車に弾かれた路傍の石さながら。暗銀色に包まれた元・狂信者は回転しながら吹き飛び、宙を舞った。
『すでにバダルエ選手には、失格との判定が下されています! しかしながら当然と言いましょうか、当人たちはつゆ知らず! そして比較的寛大な規定の中ですら反則と認定された凶悪な兵装を相手に、ディノ・ゲイルローエンまさかの大逆転――――ッッ!』
まさにディノの炎のごとく爆発する歓声。
黒水鏡には、結局は余裕げな色をたたえた『ペンタ』の端正な顔が映し出されている。
「驚いたな! うむ、お見事!」
ベルグレッテの隣に座る例の紳士も、しきりに拍手を送っていた。
「…………、」
少女騎士としては、何とも複雑な心持ちだった。
間違っても好感を抱く相手ではないし、かといって先ほどの射撃で本当に死んでしまっていては、少々寝覚めが悪い。
しかしこの凄まじい『ペンタ』が健在なら健在で、流護にとっては倒さなければならない難敵となる。
『いやぁ凄い、凄いです! 恐るべき兵器も、「凶禍の者」には通じなかった……といったところでしょうか、ドゥエンさんっ』
興奮覚めやらぬといった様子で語りかけるシーノメアだったが、
『…………』
当の覇者は厳めしい顔つきで鏡を見つめていた。
『……のう、ドゥエン坊。あの鉄機呪装とかいう装束は、確か――』
記憶の底から引っ張り出すかのようなツェイリンの言葉に小さく頷き、ドゥエンはようやく口を開く。
『先程、話しそびれていた事なのですが……あの鉄機呪装がどんな金属で造られているのか、説明していませんでしたね』
『え?』
シーノメアがきょとんとした顔を見せる。なぜ今そんなことを言い出すのか、分からないのだろう。
『芯明鉄鋼。白玲鉄以上に巫術との感応性が高い、極めて希少な金属で造られています。更に、どういった技術力の為せる業なのか……研究の結果、鉄機呪装は装着者の魂心力に呼応して装甲や運動能力を増す事が判明しています』
『え……それ、って……』
『弱者が容易く強者を打ち倒せるようになる武装……ではありますが、元より優れた者が身に着けたならば、更に絶大な能力を発揮するという事です』
少なくとも、と言を継ぎ、
『同じ鉄機呪装を纏っていても……一介の山賊とバダルエ・ベカーでは、比較にもならぬ戦力差が生じるでしょうね』
そんなドゥエンの結論を待っていたかのごとく。がしゃ、と金属音を響かせて。視界外に吹き飛ばされていったはずの暗銀の人型が、さも当然のように獣道を歩いて戻ってくる。ディノの下へと。
そして愉しげな口ぶりで言い放つ。
『……追撃が来るものかと、構えてお待ちしていたのですが……まさか未だ、ここで立ち尽くしておられるとは。よもや、と思いますが――』
表情が見えずとも、笑っていると分かる声で。
『私を……倒した気になっていたのではあるまいね?』
そんな銀色の老人の挑発を、超越者は鼻で笑う。的外れだとばかりに。
『何言ってんだ。オレが格上、オメーが格下。こういうのは、格下……挑戦者の方から出向くのがスジってモンだろ。待っててやったんだ、さっさと来いよ』
『それはそれは……気が利かぬこの身をお赦し下され』
慇懃無礼に頭を下げて、鉄の老人は小馬鹿にしたように詫びた。
『では……お待たせ致しましたな。続きと参りましょうぞ』
そして右手に、小砲――ではなく、光輝く剣を顕現する。一振りすれば、ブォン、と耳慣れない音が空を裂いた。
その白色は電撃によるものだろうか。剣身は精緻すぎるほどの直線。尺は通常の長剣程度だが、神詠術で成した武器にしては、属性の脈動というものが感じられない。炎の揺らめきや、絶えず紫電を散らす雷のような、特有の活力が見受けられない。
あまりに静かすぎる、白光の剣。
『これは、レーザーブレードという内蔵兵装でしてね。先刻のハンドショットに較ぶれば利便性や確実性に欠けるやもしれませんが、やはり造作もなく人を屠ることの出来る代物でございます。このセプティウス・ワンの兵装の一つです』
胸に左手を当て、老術士は誇らしげに告げる。
『……セプ……? その鎧の名前か。ハンドショットってのは、さっきまで使ってた小型の大砲みてぇなヤツか。アレはもう使わねェのか?』
『今しがた貴方に吹き飛ばされた際、紛失してしまいまして』
『クク、そりゃ悪かったな』
じり……と両者の間に張り詰めた空気が満ちる。
『ふむふむ。ハンドショットに、レーザーブレード……セプティウス・ワン、とな。それが正式名称か。いつになく舌を回しよるな、バダルエめ。もっとも、お蔭で期せず情報が得られたのう、ドゥエンの坊や』
『ええ。後は速やかに捕縛して、他の情報も吐かせたい所ですが』
『ううむ、やはり再度激突の気配! ディノ選手としては、すでに失格となったバダルエ選手と闘う必要はないのですが……白服の早急な到着が待たれるような、個人的には続きが見てみたいような……!』
そんな音声担当の要望に応えるかのように。
両者、地を蹴って肉薄する。
武祭の規定から逸脱した領域にて――炎の申し子と黒銀の武装者が、再度交錯した。




