20. 約束 -Transmigration-
流護が目を覚ますと、知らない部屋の風景があった。
白い天井、白い壁。白いシーツに包まれて、自分は横たわっている。清潔な印象の部屋。
すぐ右側にある窓からは、さわやかな心地いい風が入ってきていた。
「あ、目ぇ覚ましたっ!」
左隣から聞こえた声に顔を向ける。
そこには、すっかり見慣れた元気娘の姿があった。
「ミア……、なんだこれ、どこだここは」
「王都の病院だよ。リューゴくん、三日も寝たままだったんだから」
「……み、三日!?」
三日。
自己ベストの十四時間を大幅に上回る睡眠時間に、流護は驚愕した。それはもう寝ていたというより、昏睡状態だったと表現するほうが正しいのではないか。
「……ああ、あの後……どう、なったんだ……?」
「リューゴくんがファーヴナールにトドメの一撃かまして。そこで、リューゴくんも倒れちゃって。もう、スゴかったんだからーベルちゃんが。ちぎれたリューゴくんの腕を必死で繋いで、ベルちゃんだって自分で歩けないぐらい衰弱してたのに」
言われて、左腕を確認する。あった。確かに切断された左腕が、しっかりと繋がっていた。――が、動かない。
袖をめくってみる。……繋がってはいるが、結合部分がかなりグロいことになっていた……。
「あ、まだ動かしちゃダメだよ。ほんと繋がっただけなんだから。でもよかった……目、覚ましてくれて」
そこで、ガチャリと扉の開く音が聞こえた。
目を向けると、入って来たのはベルグレッテ――ではなく、無表情な金髪少女、レノーレだった。
「あ。なんかいま、『なんだベル子じゃねーのか』っていうリューゴくんの心の声が電撃となってあたしの脳裏にビビッと」
「……ベルじゃなくてごめんなさい。……目を覚ましてくれてよかったです、では」
「言ってねえ! 言ってないし思ってないから出て行かなくていいぞ!」
部屋を出て行こうとするレノーレを慌てて引き止める。
「ミアさんよお……」
「ふひひ。でもほんと、今回はリューゴくんのおかげでみんな助かったし……ほんとに、ありがと」
「……あなたのおかげで、被害は最小限に食い止められた。……ありがとう」
少女二人からお礼を言われて気恥ずかしくなった流護は、慌てて話を変えた。
「け、結局さ。あのバケモンは何だったんだ」
流護の問いに、レノーレがかすかに頷いて答えた。
「……学院の遥か北……国境付近に、未開の地『北の地平線』へ繋がってる広大な森林地帯がある。そこに生息してたドラウトローが、餌を求めてやってきたファーヴナールに襲われて逃げ出した。ファーヴナールは、ドラウトローを追って学院までやってきた。他の地域でも、散り散りに逃げたドラウトローによる被害が出てたみたい。調査の結果、森林地帯では百体を超えるドラウトローの死体が見つかった」
何だそれは。つまり、単純に言ってしまえば――
「……ただ、腹を空かした肉食獣が森に餌を食いにきた、その結果があれだってのか……」
それで運悪く、逃げ出したドラウトローによってミネットは殺された。
運悪く、流護たちはドラウトローに襲われ、そしてファーヴナールにまで遭遇した。
ファーヴナールはたまたま学院にやってきたのかもしれないが、逃げたドラウトローを追って近隣の村などへ行っていたらどうなっていただろう。村の一つや二つ、消えていたのではないだろうか。
日本では到底考えられない話だった。これが……グリムクロウズという世界。
「これからも問題だよね……その、やっぱり、そんなファーヴナールと素手でやり合えるリューゴくんは何者なんだ……って話になっちゃって」
しかしそこで、ミアが顔を輝かせて言い連ねる。
「でも兵士の人たちに追及されそうになって、そこでベルちゃんが毅然と言い放ったわけなのです! 『彼が何者であろうと、私たちを救ってくれたことに変わりはありません』って」
「……、」
流護は言葉に詰まった。
「俺だけの力じゃねえよ。みんながいなけりゃ……無理だった」
「でもやっぱ……素手で闘ったリューゴくんが異端視されるのは、もう避けられないんだよね……」
「……二週間もすれば、退院できるはず。……ただその後、あなたは城へ呼ばれることになると思う」
「神詠術を使わずに、素手でファーヴナールをとなるとさすがにねー。もう伝説みたいなもんだもん。功績より何者なんだ、って話になっちゃうのも分かるけど……でもリューゴくんは、あたしたちの勇者さまみたいなもんですから! 絶対、悪いようなことにはさせないからね!」
「……ああ、サンキュな」
勇者様、か。
退院まで二週間。
その頃には、流護の筋力は完全に衰え、ただの人になっているのだろう。
そんなことを思って窓の外へ目を向ける流護を勘違いしたのか、
「さーってと。リューゴくんも寂しそうだし、そろそろ呼んでこないとね」
にまにまとした笑みを見せて、ミアがそんなことを言う。
「は? な、なんだよ」
「ベルちゃん、下のロビーで休んでるとこなの。いま、呼んでくるから少し待ってるといいぞよ? んふふふ」
「え? いや別に俺は」
「あそ。ベルちゃんの顔見たくないんだ?」
「……い、いや別に……」
「ふひひひひ。まあ待ってて。呼んでくるから。いこ、レノーレ」
ミアとレノーレの二人は、連れ立って病室を出て行った。
「……、なんだってんだ」
ミアに言われたからだろうか。
顔が見たいかと言われれば、「見たいに決まってんだろ、何が悪い」と逆ギレ気味になってしまいそうなほど、彼女の顔を見たくなっていた。
ズボンのポケットに手を入れてみれば、携帯電話が指先に触れた。ミアのおかげで電池が回復して以降、何となく持っていたのだ。あの戦闘でよく壊れなかったものだと思う。
取り出して電源を入れ、画像フォルダを開く。三人で撮った写真のサムネイルが現れる。
ミアと、自分と……
なぜだろう。全然似てなんかいないはずなのに、ふと彩花の影がちらつくことがあるのは。
「――――」
急速に、眠気が襲ってきた。
まだ身体が回復しきっていないのか。
……眠る前に、せっかくだからベルグレッテの顔を見ておきたい。写真じゃなくて、実際に。
彩花との約束。夏祭りへ行くという約束は守れなかった。
けど、ベルグレッテとの約束。死なないという約束は、守れたのだ。
だからという訳ではないが、ベルグレッテの顔が見たかった。
「…………」
窓から吹き込む風が心地よく――余計に、眠気を誘うようだ。
「――……」
少しずつ、聞こえてくる。
この病室へ向かっているだろう、みんなの。
彼女の、声が。
「――――、――――……」
意識が、遠のいていく。
そうだ。
約束、守れたん、だよな。
だ、から。
――――眠る、前、に――
流護の手から、携帯電話が滑り落ちた。
この世界は実に興味深い。
中でも特筆すべきは、『神詠術』という奇跡の存在だろう。
私も一端の研究者などを気取っておきながら、神詠術というものがどういう原理で成り立っているのか――その解明に繋がる糸口さえ、未だ掴めてはいないのだ。
もっともそのあたりのことを言い出せば、人間がどうして生まれたか、宇宙はどうして発生したのか、という話になってしまうので、気にするべきではないのかもしれない。
研究者としては随分と丸くなってしまったように思う。
気にするべきでないといえば、そもそも私はどうしてこの世界へやってきてしまったのだろうか。このグリムクロウズで暮らして十四年が経過したが、帰る手立ては見つかっていない。
しかし私は研究職に就く身だ。諦めてはいない。
さて、このグリムクロウズという世界は、宇宙のどの辺りに存在している惑星なのだろう。
地球に住む私のような『人間』が、他の『人間』が住まう惑星へと放り込まれる。これは、どういう現象なのだろうか。私の頭が固いのかは知らないが、正直、経験してなお信じ難い。
ところで。実際にこのような異世界への転移をした場合、本来ならば懸念されるはずの問題がある。
それは、病原菌だ。
このグリムクロウズに、地球にはいない『怨魔』などという生物がいる以上、当然、ミクロの世界にも地球では見られない細菌類が存在するはずだ。
逆に、地球から来た私が保有しているはずの細菌が、この世界に新たな病気を蔓延させてしまうことが懸念されて然るべきなのだ。
だが……私はこの世界へ来て以来、未知の菌が原因と思われる病気には罹っていない。
この世界にも、私が来たことによると思しき病気などの発生は確認されていない。
神詠術の正体。
グリムクロウズという異世界。
その異世界への転送。
地球人、グリムクロウズの人間が共に、病原菌に侵されない理由。
確かに信じ難いことばかりだが、実は予測がついていない訳ではない。好き勝手に夢想するだけならば自由だ。
私の予想では、これらは
「ちーっす。荷物届いてたっすよ、ロックウェーブのおっさん」
エドヴィンが荷物を抱えて、気だるそうに研究室へと入ってきた。
「ってこっちの箱、小せーのにクソ重てーんだけど。何が入ってんだよ?」
「ん? ああ、黒牢石だね」
「何でそんなモンを……」
「ちょっとばかり、作らなきゃいけない物があってね」
彼の頼みだ。それにどうせ学院もしばらく休みだし、たまには日曜大工の真似事をするのも悪くない。
「ん? それ、何書いてたんすか? 遺書?」
「日記だよ。そんなにボクに死んでほしいのかねキミは」
ぱた、と書きかけの日記を閉じた。
「いや、俺はどうでもいいけどよ……女子に嫌われすぎて思いつめたんじゃねーかと」
「キミねえ……まあボクは、どれだけ女の子たちに嫌われようと構わんがね! リーフィアちゃんさえいれば! あっ、そうだよエドヴィン。こないだのリーフィアちゃんの手作りケーキの件はどうなったのかね……?」
「え? いや、リーフィアとか基本、学院こねーし……おっさんだって分かってんでしょ」
「くっ……」
わざわざ一人の少年の情報を売ったのに、やはりこんな仕打ちか。
「いやあ……今日も陽射しが眩しいね。涙が出そうだ」
「ひざし、って何すか?」
窓の外に広がる快晴の青空を眺めて――
岩波輝は一人、溜息をつくのだった。
以上、第一部終了となります。
一部につき、十万文字程度で表現できたらと思います。