198. そして出遭う
「…………、」
これまでの様々な闘いを思い返し、ベルグレッテは眉根を寄せて思案する。
因縁ある炎の『ペンタ』、ディノ・ゲイルローエン。今までその素性が謎に包まれていた、エンロカク。
やはり、この両名の実力は飛び抜けている。
ディノの力は言わずもがな。今更、改めて考えるまでもない。
一方、エンロカクについては先ほどドゥエンが解説していたが、『十三武家』の顔として名高い、剣の家系の人間だったというのだ。あの強さにも合点がいく、といったところか。
そして無論、脅威はあの二人だけではない。手練は幾人もいたし、隠れた猛者もいるかもしれない。
もう何度思ったか分からない。しかし何度でも思ってしまう。
いかに流護とはいえ、この闘いを勝ち抜くことができるのか、と。
そんなことを考えながら漠然と鏡を眺めていたベルグレッテだったが、
「!」
次に投影された人物を――まさに思い浮かべていたその顔を見て目を見開く。姿が映し出されただけで、客席からもかすかな歓声が起きるようになっていた。
『おおっと、出ました! 衝撃的な初撃破を飾った無術の雄! リューゴ・アリウミ選手です! ここまで巫術を使うことなく、その武術のみで勝ち残っています! そのこだわりに感銘を受けてか、観客席からも称賛の声が上がっているようです』
その生涯において一度も神詠術を扱うことがなかったという、古の英雄ガイセリウス。彼の信仰が殊更篤い国柄のためか、術を使わずに闘うという流護の在り方は、レフェの観客たちに概ね好印象を与えているようだった。
俯瞰気味の視点から見下ろすは、森の中を慎重に歩くそんな少年の姿。その『映し』を眺めながらか、シーノメアが不思議そうに疑問を呈する。
『しかし……なぜリューゴ選手は、巫術をまったく使おうとしないんでしょうか? 頑なに、使う素振りすら見せませんよね。最初は身体強化の使い手かなと思っていたんですが……遠距離からの術に対して、石を投げて対抗したのには驚きました』
『使わないのではなく、使えないのでしょう』
即答したドゥエンの言葉に、ベルグレッテは飛び上がりそうなほどドキリとした。
『戦闘を生業とする人間であっても、有用な攻撃術を扱えないという者は決して少なくありません。こればかりは、生まれ持った才覚が大きく影響してしまいますから。そういった場合、他の能力を磨く事で足りない部分を補うのですが』
『なるほど。リューゴ選手の場合は、それが武術であると』
そういう意味か、とベルグレッテは胸を撫で下ろす。当然だ。そのままの意味で流護が神詠術を『使えない』ことなど、ドゥエンが知るはずもない。
『神の憐憫たる巫術に頼らぬ氏の姿勢は、確かにこの国の皆の共感を誘うでしょう。……しかし』
温もりのない声色で、ドゥエンは断言する。
『人は、巫術がなければ……余りにも脆く、悲しい程弱い』
弱いからこそ、神は人を哀れみ、巫術――神詠術という武器を与えた。弱いからこそ、そんな『武器』を持たずとも強いガイセリウスに憧れる。
『術を全く使わずここまで勝ち残っている事実は、正直なところ驚嘆に値します。――が』
遠目で分かりづらいこともあったが、ベルグレッテも注視してようやく気付く。
慎重に森を行く流護だが、わずか歩みが遅い。少しだけ足取りが重い。ただ周囲を警戒して進まないだけではない。注意を払わなければ気付かない程度ではあるが、確実に疲弊している。
服はところどころ擦り切れ、短い黒髪や頬は砂に汚れている。暑さのせいもあるのだろうが、時折額の汗を拭っては、大きな息をついていた。
ベルグレッテが最後に見た流護は、魔闘術士のヒョヌパピオと数人の参加者を撃退したところまでで、まだ無傷だった。あれから死角で戦闘を繰り返したのだろうか。
『徒手空拳で正面から敵を討つ。見る側としては清々しいですし、確かに盛り上がるでしょう。しかし、それでは息が続かない』
不敗の覇者のそんな指摘は、きっと正しい。
「……、」
ベルグレッテは知らず唇を噛む。
けれど、それしかない。
術も使えなければ、地の理もない。ミョールの無念を晴らし、魔闘術士を倒したい。
そんな有海流護には、正面から愚直に進んでいく以外の選択肢が存在しないのだ。
しかし、それは何もこの天轟闘宴だけに限った話ではない。出会ってからこれまでも、彼はそうやって闘い、勝ち続けてきた。今回だって、きっと――
『お、おぉっとこれは!?』
シーノメアの声に釣られ、ベルグレッテは鏡へと目を向ける。
「!」
高めの俯瞰から見下ろす風景。
流護が向かう先――距離にして五十マイレ弱ほどだろうか。木立の合間から、見え隠れする影が三つ。
『リューゴ選手の行く手に……これは、魔闘術士! 黒いマントに身を包んだ魔闘術士が三名、獣道を横断しています! まだ互いに気付いていないようですが……このまま行けば確実にぶつかります! よね、ドゥエンさん!?』
『ええ。リューゴ氏はこういった遭遇戦に不慣れのようですし……魔闘術士らが先に気付き、先手を取る事になるでしょう』
『これはリューゴ選手ピンチ、ピンチです! 相手は三人、しかも魔闘術士! さすがに正面からぶつかるのは無謀! どうにか凌ぐのか!? それともこれまでと同じく果敢に闘い、散ってしまうのか!?』
そんなの決まってる、とベルグレッテは鼻息荒く拳を握った。
これまでと同じく果敢に闘い、勝利するだけだ。
前方の茂みが揺れた。
――と流護が認識した瞬間、黒い残像が飛び出した。
「ケェァ!」
ぶん、と蜂の羽音を何倍にも増幅したような反響が大気を震わせる。素早くバックステップで下がると、直前まで流護のいた位置を突風が押し潰した。砂塵が舞い、土くれの地面が鈍い音を立てて陥没する。
「お!? 避けたぞこのガキ!?」
「避けられてんじゃねぇよ、ダッセエな!」
間髪入れず左から飛び出した黒影が、流護に向かって手のひらをかざす。横に跳べば、今度はそれまでいた空間が爆発した。
「そんじゃァ俺が貰いだ!」
爆風の余韻も消えやらぬ中、正面から茂みを突っ切って現れた影は、流護の顔面目がけて氷の砲弾を撃ち出した。首を振って躱せば、ヒヤリとした風圧が乱暴に頬を嬲りながら過ぎていく。
「おっほ! スゲースゲー、全部避けやがったぞ、コイツ!」
「あーあ、んだよ。勝者ナシかぁこれ?」
「ま、イイんじゃねぇの。正直俺も金ねぇからな、むしろお前らも避けられてホッとしたぜ」
黒衣の男たちは、それぞれ三者三様に嗤う。誰がいち早く流護を仕留められるか、金を賭けて競い合っていたようだった。
「さーて、誰のフトコロも痛まなかったトコロで……それじゃー、気合入れて狩るとすっかねぇ」
そうして、軽薄だった男たちの雰囲気が一変する。
仕留めるつもりで放った術を呆気なく躱され、流護を囲む三人の瞳は油断の消えた色へと変貌していた。
対峙する流護は、ひどく淡泊な表情と声で尋ねる。
「……そのバカみてえにでけえ黒マント……お前ら、魔闘術士だな?」
「あぁ? だったら何だ? 手加減でもしてほしいってかァ?」
その挑発に、『言葉』は返らなかった。
思わず耳を塞いでしまいそうになるほどの大歓声と、皆が足を踏み鳴らすことで発生する地響き。
しかしそれは、有海流護が齎した結果に対する、膨大なまでの称賛の証。三万もの人々が奏でる、熱狂の大音声。
『こっ……これほどのものなのか!? リューゴ・アリウミ! まさか……まさかのっ』
全て。ただの一撃だった。疾風迅雷、目にも留まらぬ――とはまさにこのこと。
相手は三人の魔闘術士。
身体ごと旋回させた右の蹴撃で一人。さらにそのままもう一度旋回し、空中へと伸び上がり、滞空した瞬間に左脚の一閃で一人。そこでようやく我に返った最後の一人が応戦しようとするも、右拳にて瞬く間に沈められて終わり。
戦闘と呼ぶには、あまりにも呆気ない瞬殺劇。
当然のごとく一人で佇む流護と、地に伏した三人の男たちという構図。
見下ろす少年の黒い瞳は語っている。
これは戦闘ではなく。制裁なのだ、と。
「……、」
流護の強さなど、もう分かりきっているはずなのに。それでもなお、驚愕してしまう。
ベルグレッテは、いつかエドヴィンから聞いた話を思い出す。
彼は以前、流護と対峙すると仮定して、何か有効な手段はないか――とロック博士に尋ねたことがあったという。それに対する博士の答えは、あまりに身も蓋もないものだった。
『理論上、キミたちと流護クンじゃ、最初から勝負が成立しないんだ』
かつて流護と決闘を繰り広げたことがあるベルグレッテとしても、少し悔しいが――確かに納得できる話ではある。
彼がその気になったなら、詠唱の間も与えてはもらえまい。向こうの一挙一投足に反応できないまま、一瞬で倒される。まさしく、今しがたの魔闘術士たちのように。
あの『拳撃』の少年に正面から対抗できるのは、詠唱せずとも絶大な力を行使できる『ペンタ』か、彼を前にしても詠唱の時間を作ることができるほどの手練だけだ。
「フフ。詠術士殺し……とでも言うべきかな。お嬢さんのお友達は」
隣からの声に顔を向ければ、例の紳士が微笑みを見せていた。
「並の詠術士では、正面から立ち向かうことそのものが愚行に等しい。接近戦ならば圧倒的……いや、絶対的だ。それ程の武力……あの若さで一体、どれだけの鍛錬を積んできたんだろうね。いや果たして、鍛錬だけでどうにかなるものなのかどうか」
黒髪に褐色肌の目立つ紳士は、心の底から感心したように頷く。
「…………」
ベルグレッテとしては、この男の様子が少し気にかかった。
流護の戦力をそう認識していながら、なお崩れない微笑み。その余裕。出場している部下――だというチャヴ・ダッパーヴなる巨漢は、確かに強力な使い手のようだったが……。この紳士に、焦りなどは微塵も感じられない。絶対の自信があるのだろうか。
『このリューゴ・アリウミ選手! 今回、とんでもない旋風を巻き起こしてくれるのではないかと! そんな予感もひしひしとしてきましたがっ……!』
音声担当のシーノメアが興奮覚めやらぬ様子でまくし立てているが、無理もないだろう。術を使わぬ者が三人もの詠術士を相手取り一方的に打ち負かすなど、劇の台本でもありえないと一蹴されるような話に違いない。
『巫術に頼らないスタンスゆえか、遠距離戦では攻めあぐねる様子も見せていたリューゴ選手ですが……この接近戦での強さは正直、今回屈指なのではないかと思ってしまうところですっ。ど、どうでしょうかドゥエンさん』
『……ええ。どうやら私も、氏の実力を見誤っていたようですね』
気付けばあのドゥエン・アケローンまでもが、興味深げな声を滲ませるようになっていた。
流れる汗を拭いつつ、胸元から懐中時計を取り出す。
「……ふう」
天轟闘宴開始から二時間半。
この世界の人々と比べて抜群に体力のある流護といえど、さすがに疲労を自覚し始めていた。
木立の合間から顔を出し、そっと周囲の様子を窺う。緩やかな坂道。細く延びる獣道を行く者の姿はなく、辺りの緑は静かに枝葉を揺らしている。流護の耳に届くのは、ざあっと鳴る葉擦れの音のみ。近くで戦闘が行われている気配もなく、ともすれば生き残りをかけた潰し合いの最中であることを忘れてしまいそうになる。
(やっぱ……誰もいなそうだな)
先はなだらかな傾斜となっている。流護は現在、ちょっとした丘の坂を登っているところだった。坂道の脇には、さほど大きくないものの、湖面すら広がっていた。地図を参照すれば、「無極の庭」の中心部に蒼壷の湖、と記されている。規模としてはかなり小さいが、この森にある唯一の湖だという。であれば、ここがそうなのだろう。ベルグレッテが図書館で調べてきてくれた情報で事前に聞いてはいたものの、この『無極の庭』は思ったより起伏に富んだ地形をしているらしい。
――さて、いつからだろうか。
他の参加者と遭遇する回数が、明らかに減っていた。かなりの人数が脱落したようだ。
そしてこの段になって、ようやく気付いたことがある。
(んー……、ちょっとまずったか)
この天轟闘宴というイベント。現在の状況というものが、全く掴めないのだ。
あと何人残っているのか。誰が残っているのか。当然、外の観客たちは黒水鏡によって現状を把握しているのだろうが、当事者にはそのあたりのことが全く分からない。
実のところ、残り人数については判断できる材料があった。が、流護は見逃してしまっていた。
自らが獲得したリングの数。倒した相手が持っていたリングの数。
これらを照らし合わせ、残り人数をある程度絞り込んでいくべきだったのだ。思い返してみれば、ルール説明をしていたあのタイゼーンも、「リングは残り人数を把握するための指標となる」などと言っていた。
しかし流護の場合、リングはかさ張るからと獲得するたびに白服へ預けてしまっていたし、これまで何人倒したかなどもはや覚えていない。大雑把に十五人前後といったところだろうか。
倒した敵の荷物を拝借してしまうことは禁止のため、わざわざ相手の所持品を確認することもしていなかった。序盤で、倒した黒ずくめの袋からリングがはみ出しているのを見た覚えがあるが、ああいったものも情報の一つとしてチェックしておけばよかったのだろう。
絶対に優勝するからと息巻いていたこともあって、細かい部分を疎かにしてしまった感がある。つまり自らも気付かないまま気負いすぎてしまった。
試してもいないが、白服に残り人数を尋ねたところで教えてくれるとも思えない。
序盤はいかに戦闘を避け、体力を温存するかという点が重要だった。が、いつしか自らの足で歩き回り、敵を捜さなければならない――という状況へと変わりつつあった。
戦闘回数が減ってきたとはいえ、残り人数が全く分からないこの現状。
過去の記録によれば、三時間ほどで終わった回も幾度となくあったようだ。
懐中時計を確認してみれば、現在は開始から二時間半ほど。となれば、スパートをかけてしまっていい頃合いなのかどうか――
がさり、と。
自分以外の誰かが草葉を踏みしめる音に、思考を寸断する。
「――――」
右側から聞こえた。流護は油断なくそちらへ視線を飛ばし、
「……!」
そのまま、驚愕に目を見開いた。
果たしてこの遭遇は、天轟闘宴の終結が迫っていることを示すものなのか否か。
現れたのは一人の男。
すらりとした細身の体躯。燃え盛る炎のようにハネた赤髪。冷ややかさを感じさせる端正な顔立ちに、爛々と輝く紅玉の瞳――。
その男は嗤う。心の底から楽しげな顔で。
「――よう。奇遇だな、勇者クン」
獄炎の超越者、ディノ・ゲイルローエン。
ついにこの男と、会敵した。